一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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お花見散歩とバスケ初観戦

桜の画像

 

なかなか咲かなかった今年のソメイヨシノ。ようやく咲いたと思ったら、あっという間に満開。そしてなんと、春の嵐に早くも散り始めた。花の命は短いというけれど、ここまでそれを感じる春も珍しい。

 

昨年は青空をバックにした満開の桜を撮れたけれど、今年は空の色が鈍いものがほとんどで、少し寂しい。それでも、先週末は予報がはずれて晴れ間が広がった。土・日は、どこも花見客で賑わったことだろう。

 

夫と私も、2日続けてお花見散歩を楽しんだ。1日目は近所の川沿いの緑道をそぞろ歩き、氏神様(と勝手に呼んでいる神社)まで。氏神様の前の通りは見事な桜の並木道で、この季節に歩くととても気持ちがいい。

 

桜並木の画像

長く続く桜並木

 

久しぶりに氏神様に手を合わせた。ひと頃は毎月通っていたのに、母が亡くなってからすっかり足が遠のいてしまった。今年は初詣にも行っていない。無沙汰を詫びて、平穏に暮らせていることに感謝を伝える。

 


2日目、日曜日。この日は次女も一緒だった。本来は花見ではなく、Bリーグの試合を観に行く予定だったのが、ちょうど桜の満開と重なったので、近くの公園でお花見もしようということになったのだった。

 

こちらも久しぶりの名城公園。あちこち工事中だ。愛知県体育館をこちらで新築するらしい。幼い頃よく遊んだ名城プールがもうなくなっていて、それはちょっと悲しかったな。

 

公園入り口付近に来ると、花壇の色彩が目に飛び込んできた。春の花々は、なんとカラフルで陽気なのだろう!

 

名城公園のフラワーガーデン

 

チューリップが可愛い♡

 

丁寧に手入れをされていて、花たちもご機嫌な顔?をしているみたい。見ていると幸せな気持ちになってくる。ハチミツのような甘い香りが、辺り一帯に漂っていた。

 

園内の散歩道を進む。まだ昼前なのに、気温がぐんぐん上がってくる。寒くなったり暑くなったり、大雨が降ったり強風が吹き荒れたり、今年の春は本当に暴れん坊だ。

 

広い芝生公園では大勢の人がシートを広げていた。こんなに人が集まる公園だったっけ?小さい子たちが走り回って、楽しそう。小高い丘にもオランダ風車の周囲にも花壇があるけれど、今回は芝生公園はパス。日差しを避けて、ちょっと落ち着きたかった。

 

屋台で缶ビールと串ものを買って、池のほとりの木陰で軽い昼食。涼しい風が心地良い♬
噴水の音を聞きながら、家族と他愛のない話をするひととき。今年もお花見ができて幸せだね。

 

おふけ池



www.meijyo-fp.com

 

 

さて、では行きますか、と、名古屋城のお堀端を歩いて愛知県体育館に向かう。この辺りには藤の回廊があり、来月には一帯が甘い香りに包まれることだろう。いや、もっと早いかも?

 

名古屋城(天守閣は閉館中)

 

試合までまだ時間があるので、金シャチ横丁をひやかしてみることに。ふたつのゾーンがあり、なごやめしのお店などが軒を連ねる。こちらもすごい賑わいだ。

 

kinshachi-y.jp

 


愛知県体育館は県立の総合体育施設だが、命名権導入により、2018年から「ドルフィンズアリーナ」の名称が使われている。古い建物で、ここにも子どもの頃からの思い出がある。娘たちの幼稚園の運動会もここで行われたなあ。大相撲名古屋場所もここが会場。

 

暑い中を歩き回って、すでに結構疲れていたのだが、この日のメインの目的はバスケの試合観戦。張りきって楽しまなくては!

 

夫も私も次女も、サッカーの試合は何度も観に行ったことがあるが、バスケは初めて。どんな感じなんだろうと、ちょっとワクワクした。

 

前日、YouTubeでほんの少しだけ、名古屋ダイヤモンドドルフィンズの動画を見たので、数人の選手に勝手に親しみを持つようになっていた私。笑

 

細かいルールは予習していなくて、だから頻繁に試合が中断される「ファウル」もよくわからないことが多く、これは準備不足だったなと反省。

 

それでも、躍動感あふれる試合展開は見ていて楽しく、俄か“推し”の選手が得点すると「やったー!」となる。YouTube見ておいて良かった!

 

プロ選手の優れた技術や身体能力を、ライブで、生で見るというのは、やはり圧倒されるものがある。私、スポーツ観戦には実はそれほど興味がないのだけど、野球でもサッカーでも、連れて行ってもらえばいつも満ち足りた思いを味わってきた。

 

観覧席の様子も、サッカーのJリーグとはまた違ったまとまりがあり、応援コールもスピーディーで元気いっぱい。みんな、すごく楽しそう!

 

オープニングのペンライトの海、音楽や映像などの場内演出も、この古い建物にそぐわないほど洒落ていた。盛り上げ上手なアリーナMCもカッコよかったし、チアの人たちもパワフルで可愛くて素敵だったなあ。

 

名古屋ダイヤモンドドルフィンズvs佐賀バルーナーズ

 

とにかく、すごく楽しめた。
Bリーグ、いいかも♡

 

私はふと、家の書棚に並んでいる「スラムダンク」の存在を思う。次女が置いていったコミックスだ。あれを読んだら、バスケのルールの勉強になるかな。むしろ、夢中になったりして?何十冊あるんだ?怖いぞ。

 

帰り道、気がつけば、夫と次女がスラムダンクの映画の話をしている。漫画を読んでいなくても楽しめると言っている。ま、まずはこっちか?

 

なんというか、知らない道に迷い込んでしまった気分。深みにはまったらどうしよう?笑

 

夕景のお堀端




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クラシックカーの森を散歩する

トヨタ博物館の画像1

 

綺麗!可愛い!美しい♡
入館してフロアに足を踏み入れた瞬間、私の心にまず浮かんだ言葉だ。

 

この感覚は、何かに似ている。
そうだ。素敵なケーキ屋さんでショーケースの中を眺めているときだ。

 

色とりどりで造形もさまざま。それぞれの個性を強調するように、照明を跳ね返してキラキラ輝いている。見ているだけで、心躍る♪

 

違うのは、「選んで買う」という目的がないところかな。ケーキを選ぶときは、幸せだけどちょっと苦しい。笑

 


久しぶりの「トヨタ博物館」だった。
前回の訪問は新聞社にいた頃。「バックヤードツアー」の取材で訪れたのだっけ。もう15年ほど前になるのか……。

 

あのときも確か、クラシックカーの可愛らしさにときめいた。肝心なバックヤードツアーの内容は覚えていないのに、往年のハリウッド映画に出てくるようなクルマを間近に見られて、ワクワクしたことは思い出せる。

 

仕事抜きでもう一度行きたいな、と思っていたのだがなかなかかなわず。今回、ちょっときっかけができ、夫とふたりでようやく行ってくることができた。

 


「クルマ館」に入ると、まずは真っ赤なアルファロメオさまがお出迎えしてくれた。なんという美形なクルマなのだろう。一周まわって眺めてみるが、美しいとしか言いようがない。

 

トヨタ博物館の画像2

アルファ ロメオ 1600スパイダー(1968年)

 

写真に撮ると、どうしても天井の照明が過剰に映り込んでしまう。まるでドット模様みたいだなあ。実際に見た方がずっと素敵だ。

 


エスカレーターで2階に上がり、自動車の黎明期から日本車の誕生までを案内する車両展示のフロアに入る。そこで、冒頭の感想を持ったのだった。

 

まるで散歩を楽しむかのように、クラシックカーの森を歩く。隣り合ったクルマを見比べて、こっちの方が好みだなあ、なんてつぶやく。どんな人が乗っていたんだろう、その人はどんな服装をしていたのかな、などと想像するのも楽しい。

 

そして、感心するのが、どのクルマもピカピカだったことだ。これ、毎日お手入れするのだろうか。普段公道を走らないとはいえ、こんなに美しく保てるものなのかな。

 


黎明期の自動車は、まだ馬車の名残りがある感じ。馬や御者がいなくなり、当時は斬新だったのだろうけど、現代人から見ればおとぎ話の世界に紛れ込んだ気分になる姿だ。

 

トヨタ博物館3

昔もこんなに綺麗なグリーンだったのかな

 

1920年代くらいから、自動車はどんどん豪華さを競うようになったという。ホント、目を奪われるゴージャスなクルマがたくさん!貴族とか大スターとか、マフィアの大物なんかが乗っていたのだろうか?

 

トヨタ博物館の画像4

メルセデス ベンツ 500K(1935年)

 

とにかく、1台1台をじっくり見たくなる。細かなパーツまで、本当に楽しんでデザインされているなあと、愉快な気持ちになるのだ。たくさんの人の手が入って、こだわってこだわって、これらのクルマは出来上がっていったんだよねと、当たり前のことに思い至る。

 

日本の自動車産業も頑張った。20~30年代に量産化に向けて大きく舵を切る。昔の日本車って、どこかユニークな形をしている。なんとなく可愛いな♡

 

トヨタ博物館の画像5

なんて顔をしているの笑 ニッサン 70型 フェートン(1938年)

 

 

3階も車両展示のフロアで、こちらはモータリゼーションの進展と多様化を紹介している。

 

流線形時代が到来した後の第2次世界大戦。そして50年代になり、米欧日、それぞれの再出発が始まった。

 

経済成長に伴い、モータリゼーションも加速。憧れのクルマが少し身近に感じられるようになってきたのかな。ユーミンの昔のアルバム『流線形'80』に入っていた曲「コルベット 1954」を口ずさみたくなる♪

 

70年代になれば、あのスーパーカーブームだ。フェラーリ、ポルシェ、マセラッティ・・・小学生だった私の弟も、父のカメラを持って追いかけまわしていた記憶。部屋にはランボルギーニ・カウンタックのポスターが貼ってあった。あ、ミウラだったかな?

 

でもその前に、忘れてならないのは、1967年公開映画『007は二度死ぬ』に登場した日本車。TOYOTA 2000GTには、トヨタ博物館も特別な思い入れがあるのだろう。

 

✻Webコラムはこちら↓

toyota-automobile-museum.jp

 

”ボンドカー”は今はバックヤード。展示されていたのはMF10型だったが、いやあ、やっぱりカッコいいね。このクルマ、もちろんファンはとても多いようだ。

 

たくさんの人がいろんな角度から写真を撮りまくっていた。おじさん(おじいさん?)たちも目がキラキラ。もはやただの男の子にしか見えなかったな。笑

 

トヨタ博物館の画像6

トヨタ 2000GT MF10型(1966年)



このフロアには「クルマづくり日本史」というコーナーがあり、日本における自動車産業の歴史を興味深く学べるよう、資料の見せ方がよく工夫されていた。ただ、暖房が効きすぎていて、私は長く居られなかった。ちょっと残念。

 


連絡通路を通って文化館へ。企画展示室では「お蔵出し展」なるものを開催していた。トヨタ博物館では常設展示車140台のほかに400台あまりの車両を収蔵しているそうで、その中の13台をセレクトして展示したとのこと。1950-60年代の日本と欧州の大衆車、日米欧憧れのスポーツカー3選など、なかなか粋な構成だった。

 

その奥のクルマ文化資料室も楽しい場所で。
1/43模型、約800台の展示が目を引く。ミニチュアならではの愛くるしさに、皆、目尻を下げて見入っていた。時間軸で並べてあるので、自動車の歴史、その流れを理解しやすい。

 

トヨタ博物館の画像7

ミニチュアのクルマたち

 

カーマスコット、カーバッジのコレクションもあった。自動車生産に関わった人たちの情熱を、クルマにあまり興味のある方ではないこんな私でも、感じ取ることができた。

 

トヨタ博物館の画像8

こういうのをカーマスコットと呼ぶのね

 

そう、私はそんなにクルマに関心がない。それでもこれだけ楽しめたのだから、クルマ好きな人にはたまらないだろうな、と思う。

 

今、ジブリパークで盛り上がっている愛知県長久手市だが、リニモで2駅隣のこちらの博物館にも足を運んでみては?・・・と、関係者でも何でもないのに、ついお勧めしたくなる。笑

 

✻トヨタ博物館の車両データベースはこちら↓

toyota-automobile-museum.jp

 


街を走っているクルマに「美」を感じたことは、実はほとんどない。でも、ここにあるクルマの多くは、フォルムもカラーも美しく素敵だと思う。どうして昔は、こんなに可愛かったりカッコよかったりするクルマを作れたんだろう。

 

当時は、作っている人も乗る人も、無邪気だったからなんじゃないかな、と思ったり。失礼ながら、効率とかコストとか環境とか、あまり考えてはいなかったんだろうなあ、と。

 

「そうかもしれないね。でも、そもそも素敵と思うのは我々世代だからかもしれない。今の若い人もこういうクルマを可愛いって思うのかな」と夫。

 

性能にも値段にも無頓着な私だから、ケーキや宝石を眺めるようにクルマを見て「綺麗♡」と、ノスタルジックな気分もあいまって「素敵♡」と、はしゃぐことができたとも言える。
なんだ、無邪気なのは私か。笑

 

これからのクルマづくりはどうなっていくのかな、なんてことも一応考えたけどね。散歩するように広い館内を巡るだけでも良いと思うのだ。森の中を、木々や花を愛でながら歩くみたいに。
目と、心が喜びます♬*゚

 

 

トヨタ博物館の画像9

ニュアンスカラーが並んで素敵♡

 

 

toyota-automobile-museum.jp




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優しさの詰まった2日間ー知多半島・常滑と美浜町

常滑の画像

 

初めて夫の実家に行ったのは、結婚する前年。祖母、父、母、そして同居の兄夫婦とまだ伝い歩きの幼い姪を、彼は私に紹介してくれた。数えれば36年前のことである。

 

それから何度、あの家を訪ねただろう。お盆やお正月、大型連休。
やがて姪っ子は3人になった。私たちにも娘がふたりでき、家族が集まると毎回、とても賑やかだったのを、昨日のことのように思い出す。

 

女の子5人はずっと、今に至るまでとても仲が良い。
といっても、それぞれ仕事があり、家庭のある子もいて、もうなかなか会えなくなっている。結婚式、法事のときぐらいかな。大人になって、お正月に集合することもなくなった。それは仕方のないことだろう。

 

夫の祖母、母、父も鬼籍に入って久しい。昨年の夏が、義父の七回忌だったが、私の娘たちは参列できなかった。

 

義兄夫婦のところの三女と、うちの次女は年が近く、お互い独身ということもあってよく一緒に遊んでいるが、結婚して関西に住む長女はそういうわけにもいかず、みんなに会いたい気持ちが募っていたようだ。

 

彼女たち従姉妹5人と、義姉、私の、計7人が参加しているグループLINEがあるのだが、そこで「久しぶりに集合したい。みんなに会いたいな」と長女がコメントしたのは、去年のクリスマスの頃だった。

 

長女には6歳の娘、双子の4歳の娘たちがいる。また、義兄夫婦のところの次女にも、同じ年頃の姉妹がいる。そう、「はとこ」である。この子たちを会わせてみたいね、ということでも、話は盛り上がった。

 

そして、先日。その計画は実行された。

 


前日に、まずは私たち一家が集合。
長女と婿どの、孫娘たち。それから次女、そして夫と私。8人が、常滑(とこなめ)の宿に一泊した。

 

常滑は婿どののリクエスト。常滑を観光したい、やきもの散歩道などを歩いてみたいとのことで。私も常滑が好きなので、これは嬉しかったな。

 

朝から雨で寒かったけれど、彼らが到着する頃には降りやんでくれて、みんなでお散歩していたら日も差してきた。長靴をはいた3人の孫娘たちは元気いっぱい。たくさん笑わせてくれた。

 

曲がりくねった坂道だらけの散歩道を歩く。道幅は細く、分かれ道の先も見通せず、迷子になりそうだ。でも、なぜか楽しくなってしまう。あっちにもこっちにも行きたくなる。

 

レンガ造りの煙突。古い登り窯。道にも壁にも廃材の陶器が使われている独特の景観だ。大きな廻船問屋を見学できたり、今回は入らなかったけれど美味しそうなスイーツが食べられるカフェも点在していて、歩いているだけで面白い。

 

しかし、有名な土管坂はかなりの勾配で。ここを何度上り下りしたことか。
ああ、足腰が・・・

 

常滑の画像2

常滑やきもの散歩道

 

お宿はいわゆる民泊で、古民家をリノベーションしたゲストハウス。やきもの散歩道の一番上に位置し、なかなかの風情だ。

 

一棟貸しではなく、他の宿泊客もいる。外国人のお客さんも多いらしい。知らない人とリビングルームを共有したりするのは初めてなので、ちょっとドキドキだったけど、良い経験をさせてもらえると思い、楽しみにしていた。

 

結局、この晩の同宿は一組。外国人のグループで、夜遅くに来て朝早くに発って行ったから、「おはようございます」と挨拶を交わしただけだったのだけど。トイレもシャワールームも綺麗で、キッチンも広く、居心地の良いお宿だった。

 

常滑の画像3

ゲストハウスよもぎ

 

翌朝、快晴。
集合場所である南知多ビーチランドへ向かう。ここで、孫娘たちは「初めまして」の対面だ。ちょっと緊張してたけど、みんな、なかなかしっかりした挨拶ができた。偉いぞ~!

 

この園も、娘たちにとっては懐かしい場所だ。幼い頃、よくおじいちゃんに連れてきてもらったね。そんな思い出のビーチランドに自分の子どもたちを連れてくることができて、長女は嬉しかっただろうなあ。

 

水族館でマイワシ流星群(イワシショー)を見たり、ペンギンを間近に見たり、カメに餌やりをしたり、イルカショーを見たり・・・最後に観覧車にも乗って、子どもたちは大喜び。でもすぐに駆け出してしまう年頃だから、大人たちはひやひやだった。ちゃんと5人いる?笑

 

南知多ビーチランドのマイワシ流星群

 

その後、義姉の待つ家へ。
義兄夫婦とその三女は、隣に建てた家で暮らしているのだが、私たちは懐かしい母屋のお座敷に通してもらった。お仏壇の義父母とご先祖さまにご挨拶し、総勢15名の大集合を報告する。

 

義姉の作ってくれた美味しい太巻きとお稲荷さん、豚汁、サラダ。立ち寄ったスーパーで買ってきた総菜などが食卓に並ぶ。法事でもないのに会食のお手間を掛けてしまい、義姉には申し訳ない思いだったが、とても気持ちよく迎え入れてくれた。昔から本当に素敵な、私の大好きな「おねえさん」なのだ。

 

食事が済めば、子どもたちはじっとなんてしていられない。もうすっかり仲良しになり、折り紙やあやとりで遊んでいる。

 

暖かな縁側で、小さな5人の女の子が頭を寄せている微笑ましい姿は、どうしたってかつての娘たちの姿と重なってしまう。あの頃に戻ったような、とても不思議な気持ちになり、胸が熱くなる。

 

やがて、庭に出てかくれんぼ大会が始まった。
すごい。全力だ。

 

築山に登るわ、岩陰の茂みに入るわ、池(水はなし)の飛び石をぴょんぴょんするわで、おてんば娘たちの本領発揮。危なっかしくて、大人も外に出て見守らざるを得ない。が、みんな笑っている。とってもいい笑顔。

 

「もういいかーい!」
「まあだだよー!」

 

青空の下、子どもたちの元気な声が飛び交う。普段はきっと、静かな庭なのだろう。こんなに大騒ぎされてびっくりしているだろうな。でも、喜んでいるんじゃないかな?

 

なんて、幸せな絵なんだろう。
縁側から動画を撮りながら、私はずっと見とれていた。

 

この日のことを、この子たちは覚えていてくれるかな。楽しかったね~って、何度も思い出してくれるといいな。

 

さあ帰るよ~と言われると抵抗するのは、娘たちのときと一緒。笑
それでも、最後の撮影会は盛り上がった。

 

軽トラの荷台に、まずは5人の小さな女の子。その次に、大きくなった5人の女の子も。アイドルみたいにポーズをとって、婿どのやじいじばあばたちがワイワイと撮影する。こんな日がくるとはねえ。

 

亡き義父と義母も、そんな様子をどこからか見てくれていたと思う。きっと満面の笑顔でね。

 


この計画を進めたのは娘たち世代で、私たち世代はほとんど口出ししなかった。
世代交代だ。みんな、しっかりした大人になったね。特に、グループLINEをリードしてくれたのは、義兄夫婦のところの長女。さすがキャプテン!

 

伝い歩きが始まったばかりの、あの可愛い赤ちゃんが・・・
緊張してて、出していただいたケーキになかなか手が付けられなかった私のそばに、ソファを伝って来て、大きなキラキラの目で私を見上げてくれた。おかげでふっと楽になり、場が和んだっけ。
夫と私にとっての、初めての姪っ子である。どれほど可愛かったことか。

 

彼女だけではない。どの子もみんな、可愛くてたまらない。立派になった人たちに、こういう言い方は失礼かな?

 

これまでたくさんの幸せな思い出を、本当にありがとう♡
それぞれの道を歩んでいるみんなのことを、これからもずっと応援してるよ!

 

それにしても、女子だらけだ。笑
婿どのは大丈夫だったかな?彼も姉と妹にはさまれて育ってきたから、馴染んでいるように見えたけれどね。そもそも長女の背中を押してくれたのは彼だったらしい。いつもいつも、さりげない優しさをありがとう。

 

大勢だったし、たったの2日間だったし。それでも少しの時間だけど、長女とも気持ちのこもった会話ができた。孫ももちろん可愛いが、やはりそれ以上に娘は可愛いのだ。今度はもっとゆっくり話をしようね。

 

帰りの車中で綺麗な満月を見上げながら、ぎっしり中身が詰まったこの2日間を思い返していた。イベントも詰め込まれてたけど、優しさもいっぱい詰まっていたなあ、と。

 

それにしても、今年の冬、そして早春は、天候不順と寒暖差に振り回されて大変。この計画も最後までどうなることか心配だったが、無事に実現できて本当に良かった。

 

忙しかった2月も、もうすぐ終わろうとしている。

 

常滑の画像4

常滑市陶磁器会館前のポストに乗っていた子




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四半世紀ぶりの夢の国にて・・・

 

初めてではないのに、初めて来たような気がする・・・

 

東京ディズニーランドと東京ディズニーシーに行ってきた。先週の木、金曜日のことである。

 

楽しかった。夢のようだった。それは間違いない。
ただ、あまりにもたくさんのものを見て、心が動いて、情報が今もって処理できていないというのが正直な感覚で、我ながら実にもったいないと思う。

 

いったい私は何と何を見て、いくつの、どんなアトラクションに乗ったんだろう。200枚ほど撮った写真をスクロールして見ていっても、よく思い出せないのだ。情けないったら。

 

それは多分、全部次女に「お任せ」していたからだろうね。「私に任せてついてきてほしい」と言ってもらえたことに甘えて、全てをお願いしてしまった。私と夫は、ひたすらついていくだけ。そんな日が来るとは~。

 


次女が「ふたりをディズニーに連れて行きたいんだけど」と言ってくれたのは、昨年の秋、一緒に恵那峡までドライブに行ったときだったかな。そしてお正月にうちに来たとき、夫と私のスマホにアプリを入れて、チケットをプレゼントしてくれた。

 

2泊のホテル代、新幹線代も3人分出すと言うので、慌ててそれはダメだよと言ったのだけど、彼女は譲らず「そうさせて」と。これまでの数々のお礼の気持ちだから、親孝行させてくれと説得してくるのだ。い、いいのかな・・・と困惑した。

 


前回、ディズニーランドへ行ったのは、確か四半世紀前。幼いふたりの娘を連れて行き、当時、東京で半分単身赴任みたいだった夫と園で落ち合い、埼玉県に暮らす従妹一家と遊んだ。それが最後だ。

 

あのときの記憶はほとんどないのよ、という次女は、長じてTDL&TDS大好きな少女となり、これまで数えきれないほど遊びに行っている。今、29歳だ。

 

「シーは、おかあさん、絶対好きだと思うんだよね。見せてあげたい!」

 

何年か前から、何回かそんなことを言ってくれるようになっていたけど、まさか本当に行けることになるとは思っていなかったよ。

 

実は、言いにくいけどそこまでディズニーを好きと思っていないし、遊園地も観覧車くらいしか興味がない。子どもが小さい頃ならともかく、この年になって自分から率先して行こうと思う場所ではなかったのだ。

 

でも、行けば素敵な夢の国。
あのとき連れて行ってあげた次女に、今度は私たちが連れて行ってもらえるのだと、何とも感慨深い思いだったし、それは今も続いている。

 


久~しぶりのディズニーランド。
驚いたのは、何でもアプリで済ませてしまえることだった。

 

チケット購入はもちろん、アトラクションの抽選(当たれば長い列に並ばずにスーッと入れる)、レストランの予約、園内マップで各ショップの込み具合や、アトラクション・飲食店の待ち時間が確認できる。入退園も、スマホをかざすだけ。

 

www.tokyodisneyresort.jp

 


四半世紀前は、ワンデーパスポートみたいなものを購入し、別売りの透明ケースにそれを入れて名札のように胸に付け、園内を歩いていたと記憶する。技術の進歩と年月の厚みを感じた出来事だった。

 


開園40周年とのことで。
多分私、開園した年に行っている。東京に住んでいたから、普通に新しい遊園地に遊びに行く感覚で。テーマパーク、という言葉もディズニーランドから一般に浸透していったのではないかな。

 

20代だった。東京を離れるまで、3回くらいは遊びに行ったはずだ。そして、久々に訪れたのが、四半世紀前。その頃はもう、自分が楽しむというよりは、娘たちに素敵な経験をさせてあげたい、という思いの方が強かった。

 

そんなふうに、私にはもう「過去の人」のようなディズニーランドだったのだが、さすが、日本一のテーマパーク、世界中数多くの人々を魅了してきた夢の国だ。足を踏み入れれば、こんな私でも胸が高鳴った。耳の付いたカチューシャを、生まれて初めて頭に付けたよ。笑

 

たくさん。本当にたくさんの写真を撮ったが、後日作ったグループLINEのアルバムに放り込んだ中で、「おかあさんはこういうところをこうやって切り撮るんだね」と次女が面白がってくれたのは多分これだろうな、と思うものをここにいくつか載せさせていただく。

 

TDLの画像

TDLの画像

TDLで

 

ホテルへはシャトルバスで。
お部屋はキャッスルスタイルというそうで、ロマンティックな色使いが印象的。クラシックなソファやドレープカーテンのあしらいなど、まさに華やかなお城のゲストルームといった感じ。

 

ディズニーの世界観そのままに夢の中へ、というコンセプトらしい。おとぎ話の世界にいる気分が途切れないのが嬉しい配慮だ。

 


翌日はディズニーシーへ。
前日は暖かい日で、昼間は上着をコインロッカーにしまっておいたほどだったが、この日は気温がガクンと下がり、着込んでいても震えてくる。開園前の入場待ちの時間が、なかなか厳しかった。

 

9時入場。すぐに、娘はアプリでアトラクションの抽選(エントリー受付というらしい)にトライし始める。そちらはもうお任せして、夫と私はポップコーンを買い、のんびり開園直後の園内を歩く。

 

よく作り込まれた風景で、どこを見渡しても面白い。なるほど、次女が私に見せたかったというのも頷ける。いかにも私が好きそうな景色だわ。笑

 

さすがに何度も訪れているだけあって、攻略法?に長けている次女。エントリーしたものは全部、当選したらしい。すごいな!

 

前の日もそうだったけど、何十分待ち、という行列の脇を、すみません・・・という感じですり抜けて、別口からすんなりと中に入れてもらえるのは、申し訳なくもあり快感でもある。もちろん、エントリーせずにその場で決めて、少し並んでから入ったアトラクションも、いっぱいあったけれどね。

 

TDSの画像

TDSの画像

TDSで

 

2日間、よく遊んだ。
空を飛んだり海底に潜ったり、パレードや花火、いくつものショーを見せてもらったり。

 

アトラクションの、長い凝った名前は思い出せないのだけど、とにかくたくさんの体験ができた。空の旅も船旅も宇宙の旅も、短い時間だったけど、確かに冒険だった。

 

美しい建物の中を歩き、最後にドリームフライヤーに乗り込んで世界中の空を飛んだのは「ソリアン:ファンタスティックフライト」と言うらしい。もう一度、あのフライトを楽しみたいなあ。

 

閉園時間ギリギリに、ふと乗ってみようかという話になって、3人で駆け込んだ2階建てのメリーゴーラウンド?可愛い素敵な回転木馬。最後だったせいかもしれないが、あれが一番楽しかったかな。

 

「キャラバンカルーセル」と言うのね。ライトアップされたドーム屋根がとても綺麗な建物だった。ランプの魔人ジーニーもいたし、エキゾティックな雰囲気。アラビアンナイトの世界だったんだ。そういえば夫が乗ったのは馬ではなくラクダだったっけ。それでかー(今頃?)。

 


翌日は遅めにチェックアウトし、リゾートラインでJR舞浜駅に隣接するリゾートゲートウェイ・ステーションへ。ここにあるディズニーショップ「ボン・ヴォヤージュ」でお土産を購入。広々としていて、とても買い物がしやすかった。

 

軽食をとり、JRで東京駅へ。新幹線の時間までまだ少しある。次女が、自分のお気に入りの場所を私たちに見てほしいらしい。

 

まずは丸の内中央口を出てからの駅前広場。うんうん、私もこの場所、以前から好き。丸の内駅舎って、ほんと、素敵だよね。

 

それから、少し先の丸の内仲通り。ここは、初めて歩いた。

 

お洒落なブランドショップが並ぶ、大人っぽい道だ。人通りもほどほどで、歩きやすい。土曜日でクルマは入れずテーブルと椅子が車道に並べてある。キッチンカーもあり、街路樹もいい感じ。夜はきっと、イルミネーションが綺麗なのだろう。

 

一号館広場という場所で、ベンチに腰掛ける。そうかあ、次女はこういう所が心地いいのね。わかるなあ、と思いながら、私は植え込みのスズメを撮ったりしていた。笑

 

その後、皇居外苑前の通りを歩き、次に連れて行ってくれたのは新丸ビル。7階のテラスだ。すいている。

 

そして・・・おお!あの可愛い駅舎がさらに可愛く見えるではないか。まるでおもちゃみたい♡
こんなスポットがあったのね。

 

東京駅の駅舎の画像

新丸ビルのテラスから見た駅舎

 

東京駅での時間のつぶし方を教わった。人混みが苦手な私には嬉しい情報だ。次に誰かと待ち合わせする機会があったら、新丸ビルにしよう。笑

 


行きの新幹線はのぞみの自由席。帰りはこだまのグリーン車。
こんなところにも、旅慣れた次女の知恵が働いていた。

 

なんといっても早朝7時の集合。誰かが寝坊しても大丈夫なように、自由席にしておく。でも、早く着きたいからのぞみで。帰りはもう、ゆっくりでいいから。というよりたっぷり余韻に浸りたいから、時間のかかるこだまにしてしまう。そして、広々スペースのグリーン車でくつろぎ、スパークリングワインで乾杯する。

 


いやあ、あのチビッコだった娘が・・・
そう。この旅を通しての一番の感動は、次女がこんなふうに私たちをもてなす計画を練り、実行してくれたことだ。その成長と優しさが何よりも嬉しくて、夢の国での思い出を一層きらめかせてくれる。

 

ああ、もういつお迎えが来てもいいや。なんてね。
そこまで言ったら、叱られるだろうか。

 

数日たった今も、夢の国で見た光景にちょっと酔っている私である。

 

 

TDLの画像

夜のシンデレラ城

 

 

TDLの画像

ここにもミッキー?まさかね




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つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(後編)

 

この冬一番の寒気が流れ込んでいるという。昨日はこちらでも雪が降った。
雪深い地方はさぞ大変なことだろう。特に、能登の被災地のことが気掛かりだ。

 

冬は嫌いじゃない私だけど、今年はとても春が待ち遠しい。とりあえず、この寒波には一刻も早く立ち去っていただきたい!

 

私は2月生まれなのだが、2月って早春でありながら、実は一番寒い月だったりする。そんな季節に私を産んでくれた母は、暖房の乏しい時代、授乳やオムツ替え、汚れものの洗濯に、きっととても苦労したはずだ。

 

今日が誕生日の友人に、朝方LINEでメッセージを送りながら、私たちの母たちはよく頑張ってくれたよねと、改めて思った次第。

 

寒さ厳しいこの時期なのに、先週、私は東京散歩をしてきた。寒波が来ているときだったら、あんなに歩けなかっただろう。運が良かった、としか言えない。ほんと、1日目はぽかぽかのお天気で、昼間歩いていると少し汗ばむくらいだったのだ。

 

2日目はしかし、朝から雲行きがあやしく、お昼前くらいから冷たい小雨が降りだした。

 

✻この記事は、前回の記事↓の続きです。

tsukikana.hatenablog.com

 


10時過ぎ。高輪のホテルをゆっくりチェックアウト、荷物だけ預かってもらって、私たちは渋谷へ向かった。前の日は仕事だった夫も、この日はフリー。私の散歩に同行してくれると言う。

 

奥渋谷。いわゆる“オクシブ”を、まずは歩きたかった私。昔、仕事で通ったことのある東急本店が閉店し、そろそろ1年になる。複合ビルが建ってしまう前に、その跡地を見ておきたいと思った。

 

たくさんの楽しかった思い出がよみがえる。バブル前夜。百貨店がまだ元気だったあの頃。懐かしさと切なさが入り混じった気持ちで、しばし立ちすくんでしまった。このあたりで、ポツリと雨が。

 

奥渋はちょっと歩いてみたいと思っただけで、特にお目当ての店もあるわけでなく、適当なところでランチをとることに。もっと下調べしておくべきだったかな?でも、行き当たりばったりなのは私、いつものことなのだ。

 

富ケ谷で入ったそのお店は、決してお洒落なレストランではないけどなんとなく入りやすい雰囲気だった。で、フレンチカレーを注文したら期待以上の美味しさ。嬉しかったな。お店の方も優しくフレンドリーで♡ちょっと昭和っぽいインテリアも落ち着いた。

 

sakaba-take.com

 

お店の壁。そして野菜たっぷりのフレンチカレー

 

私たちが歩いた道では、奥渋のかけらくらいしか多分味わえていないだろう。でも、なかなか楽しいエリアだった。お洒落なカフェやブックショップなどもある中で、魚屋さんとか珈琲豆の焙煎専門店とか、古くから続くお店もいい味を出してて面白い町、というのが私の印象だ。

 

オート三輪をディスプレイに?

 

そのまま代々木八幡まで歩いて、私たちは小田急線に乗る。下北沢で井の頭線に乗り換え、次の目的地、吉祥寺に向かった。

 

と、ここでまた追憶散歩の誘惑が。
私、目黒に住む前に、三鷹台に5か月ほど住んでいたのだった。会社の女子寮があったのだ。

 

「降りてみようか?」という夫の声に、つい「うん…」と頷いてしまった。懐かしい井の頭線に乗れただけで満足だったのに、辛い記憶しかない女子寮跡地を探してみたくなってしまうとは。

 

辛い。
そうなのだ。寮暮らしは私には辛過ぎて、仕事から帰る道々、足が重かったっけ。優しくしてくれたのは、寮長さんだけだった。みんな、怖いお姉さんだったよ。規則も厳しくて。だから、早々にアパート探しを始めたのだ。

 

そんな女子寮はしかし、当然ながらもう跡形もない。ただ、これもまた遠い記憶で、多分、この辺りにあったんだろうな、くらいのあやふやさであるのが、実にもどかしい。

 

でも、間違いなくこの地で、私は暮らしたことがあるのだ。親元を離れて初めてひとりになった、あの二十歳の春。

 

駅前のローソンで、夫が透明傘を買ってくれた。これ、三鷹台で買ったんだよねと、きっと後から思うんだろうな。そんな思い出ひとつがあれば、私にはもう十分だ。この地に関してはね。

 

さて、吉祥寺。
ここも当時よく遊びに来ていた。井の頭公園にも何度も行ったし。
なのに、やっぱり見覚えがない。年月の厚みを感じる。笑

 

サンロードは、あの頃もあった…気もしないではない。もう少し奥の、大正通りを目指した。ここに、私のお目当てのお店「CHECK&STRIPE」吉祥寺店があるのだ。

 

checkandstripe.com


可愛いチェックやストライプのカットクロス、リネンや糸を、いくつか購入。素敵な店内をたっぷり堪能できて満足した。夫は近所を見て回ると言ってくれたので、ゆっくり品物を選べた。

 

CHECK&STRIPE

 

そして、次の目的地に向かうのだが、大正通りには素敵なお店がたくさんあり、気を引かれてちっとも前に進めず困ってしまった。笑

 

ちょっと遠いけど、私たちが目指したのは善福寺公園。何故?
それは、大好きなドラマ『À Table!〜歴史のレシピを作ってたべる〜』のロケ地だったからである。

 

www.shochiku-tokyu.co.jp

 


リアタイの放送は見ていないのだが、アマプラの配信で何気なく見始めて、ア・ターブルがすっかり気に入ってしまった。料理や食事中のシーンもいい。でもそれ以上に、公園を歩くシーンがとても素敵だった。

 

その公園は、てっきり井の頭公園だと思っていたのだけど、違ったのだ。ドラマ冒頭で「吉祥寺から徒歩20分のところに住む」と言っているから、善福寺公園もそれくらいで行けるかな~と思ったら、甘かった。

 

地図を見れば、わかる。なかなかの距離だ。
私は前日、2万6000歩、歩いている。大丈夫か?

 

雨がやんでくれた。それはたいそうありがたく、夫と私は元気よく歩きだしたのだった。

 

長い道のり、彼は前日の私の話を聞きたがる。
昨夜帰ってきたときに話したよ?と返すと笑ってごまかす。会議の後の親睦会で飲んできたから、私の話したことを覚えていないのだ。そして、押上駅でキレそうになった話にいたると、面白がって大笑い。昨夜も笑ったよね・・・ま、いっか。

 

東京女子大の長い塀が左手に続く。その先に、ようやく公園が見えてきた。池がふたつある、割と大きな公園だ。ドラマに出てきたのはどのあたりかな?

 

ここじゃない?
あっちの方も、それっぽい!

 

公園のシーンを思い出そうとしたけど、難しかった。もっとちゃんとリサーチしてからこなくっちゃ、だよね。せめて、ドラマを見直してから。
でもいいの。その場所に行けたことが嬉しいのだから。

 

前日と打って変わって寒い日で。朝から夕方みたいな暗さだったけど、そろそろ本当に夕方っぽい。適当なところで引き上げることにした。

 

本当に静かな公園だった。ときどき犬の散歩をする人とすれ違うくらい。鳥の声しか聞こえない。今は冬枯れの時期だが、緑いっぱいの季節に来たら、きっともっと美しい景色に出会えそうだ。

 

足元がふわふわする。地面がなんだか赤い?
それは、落ち葉が降り積もっていたからだったのだが、細い葉なのでそうとは気づかなかったのだ。
メタセコイアの枯れ葉、なのかな?
どんな季節も、そのときの良さと味わいがある。やっぱり、来てよかった。

 

冬の善福寺公園

 

そこからまた、駅まで歩いた私たち。タクシーを拾おうかと思ったけど、やっぱり歩いた。歩けた。すごいな、私!

 

今度は西荻窪駅。でも、歩いて良かった。女子大通り商和会、西荻一番街など、駅に続く商店街は穏やかでちょっといい感じ。西荻ってきっと、暮らしやすい町なんだろうなあ。

 

灯りのともりはじめた駅前通りをゆっくり進みながら、私の頭の中を流れていたのは、ひらけ!ポンキッキの「ゴロちゃん」という歌だった。

 

西荻生まれのゴロちゃん、知ってる?
可愛い歌なの。

この猫ちゃん、素敵なドラネコ。燃えないゴミの日だって知ってるんだから!

 

こんな風に、ニャニャニャニャ・・・♪と鼻歌交じりで、私の二日間の東京散歩は幕を閉じたのだった。ちなみにこの日の歩数は、約2万歩。ふぅ。

 

 

西荻の商店街にあったお花屋さん

 


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つい欲張って歩いちゃう―東京散歩(前編)

 

夫の出張に便乗して、東京へ行ってきた。彼は仕事、私は散歩。
呑気ですみません^^;
でも、頑張ってすごくすごく歩いたから…・・やっぱり呑気とは言いたくないかも。笑

 

昔住んでいた町を、また訪れたくなったのだ。大事な方のお墓参りをしたい気持ちが募っていたからでもある。でもそれだけじゃない。

 

追憶散歩の甘酸っぱさ。これはクセになる。こうやって生きてきたのだと、自分の人生を俯瞰してみたい年頃になったからだろうか。いつまでもこんなに歩けるわけじゃないと、ちゃんと自覚しているし。だから元気な今のうちに、懐かしい場所をあちこち歩いておきたいのだ。

 


会議に向かう夫と別れて、私は目黒に向かった。目黒線の武蔵小山駅で降り、花を買う。前回この駅に来たのは6年前かな。そのときも驚いたけど、またまた驚いた。ここどこだよ?と。

 

私の覚えてる景色ではまるでない。本当にこの方角で合ってる?と不安になりながら歩くなんて。6年住んだ町なのに、アパートまでの道のり、自信もって歩けないという・・・

 

でも、そんなめまいに似た気分も、実は楽しんでいた。迷子になっても面白いからいいや、なんて。ひとりだからできるんだけどね、そんな歩き方も。

 

アパートがすでにないのは6年前に確認済み。あのときは、夫が同行してくれたっけ。

 

✻そのときの記事です↓

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当時、良くしてくれた大家さんは、まだご健在なのかな。表札の苗字は同じだったけれど、新しい綺麗な邸宅になっていた。アパートは大家さんの敷地内に建っていて、窓をあけるとそこはお庭。小さな部屋だったけど、居心地よくて好きだった。

 

軽自動車を停めてた月極駐車場は工事中。マンションが建つみたい。なんだかあっちもこっちも工事が多かった。狭い横道の風情が好きだったのに、面影もなし。お邪魔になるだけなので、早々に退散だ。

 


それから、お散歩コースでよく訪れた円融寺に向かう。正式には経王山文殊院圓融寺。

 

平安時代、慈覚大師により創建、と伝えられる天台宗の古刹で、国の重要文化財に指定されている「釈迦堂」(室町時代)は都区内最古の木造建築とのこと。都の有形文化財「黒漆塗りの仁王像」など、見てまわると心がシンと鎮まるような厳かなお寺だ。

 

でも、なんとなくおおらかな雰囲気もあり、散歩がてらに寄りやすい。参道の両脇には紅梅が並び咲き誇り、とても美しかった。

 

円融寺

 

こちらのお墓に、彼が眠っている。それを知ったときは、ちょっと震えた。いつかお参りに行かせてもらおうと思った。

 

生花はご迷惑になるからと迷ったけれど、数分お供えしてその後持ち帰れば大丈夫かな、と武蔵小山駅で購入した。シュシュフルールとかいう“そのまま置いて飾れる花束”で、花器いらず。さすが日比谷花壇!これならホテルに持ち帰って飾っておけばいいかな、と。

 

ところが、お墓にはお花がたくさん置かれていた。どれもまだ瑞々しい。月命日のすぐ後だったから、ファンの方々がお参りにいらしたのだろう。

 

どうしよう?
悩んだけど、私だけ持ち帰るのも逆におかしいかなと、一角に置いたままにさせていただいた。お片付けでお世話をかけます、すみません。

 

平日の午後。東京の閑静な住宅街の墓地には、私以外に誰もおらず。暖かい日差しが優しく降り注ぐ。手を合わせ、ゆっくりとお祈りすることができたのは、とても幸せなことだった。

 

ありがとう、HIDEKI・・・

 


お参りの後も、懐かしい町を歩く。お寺から数分のところにあるサレジオ教会は、松田聖子さんが最初の結婚式を挙げたところ。あの朝、取材のヘリコプターの爆音で目が覚めたっけ。聖子ちゃんも神田さんも若かったな。うん、私もね。笑

 

サレジオ教会

 

桜の季節に歩くと楽しい、坂道のある通り。その道の名が、碑さくら通りということを、今回の散歩で初めて知った。釣り人の多い清水池公園、投票に行った第七中も懐かしい。

 

このまま林試の森公園まで歩きたいところだったが、そろそろ夕暮れの気配。次へ行こう。これまた懐かしい月光原小学校前のバス停で、渋谷行きのバスを待つ。

 

この道、円融寺通りっていうのか。夏祭の頃だったかな、夜、この道に出たらぼんぼりが連なって灯されていて、とても神秘的だったことを思い出す。夢、幻みたいな・・・まるで童話の世界のようだった。私が20代の頃の話である。

 

こうして、昔お世話になった町を後にする。きっといつか、また。

 


渋谷からは東京メトロに乗って、押上駅へ。
夜のお目当ては、東京スカイツリーの撮影だ。上るのではなく、撮るのが目的。

 

ところがオノボリさんの悲しさで、どの出口に出ればいいのかわからない。ええい、ままよ!と出たものの、なんだか裏っぽい。スカイツリーはすぐそこに見えるのに、なかなかビューポイントにたどり着けない情けなさよ。

 

ほぼ一周、まわったかな。それでも真下からソラマチのイルミ越し

道々、何度も振り返ってスカイツリーを見上げた。ライトアップ、綺麗だな。でも、周囲はどんどん暗くなってきて、だんだん心細くなってきた。

 

スカイツリーを見上げる

 

予想はしてたけど、やっぱり結構歩く。昼間にずいぶん歩いたから、もう足が痛くなっていて、歩調は鈍い。それでも、欲張ってしまうのは、やっぱりたまにしか来れない街だからだろうね。

 

さて、頑張って歩いた甲斐あって、その場所から「竹あかり」というイルミネーションを通して仰ぐスカイツリーの姿は幻想的だった。本当に感動した。
✻東武鉄道が主催する「東京下町回遊 竹あかり」のイベントの一環で、ライトアップは1月31日まで。

 

ひとしきりスマホで撮影して満足した私だったが、今度はどの駅から何線で帰るか、夕ご飯はどこで食べるか、でまた悩むのであった。

 

GoogleMapを見たり、乗換案内アプリを見たり、あれこれ考えた末、結局ソラマチまで戻ることに。夕食をとり、買い物をして、またアタフタしながら押上駅へ。どこから降りるの?東京メトロどこ?押上駅、こわい!笑

 

ようやくホテルにたどり着いた頃には、足が棒のようになっていた。この日の歩数、約2万6000歩!誰もお誘いできないお散歩だな。笑

 

クタクタだったけどね、心は満たされていたのですよ~。懐かしい町の景色と、あの構図のスカイツリーが見られたことが、とても嬉しかったから♬
(ホントは東京タワーの方が好きだけど🗼)

 

 

 

イルミ越しの東京スカイツリー

 

✻翌日もたくさん歩きましたが、長くなったので続きは次回にしますね(*^^*)

本年最初の投稿です。相変わらずののんびり更新ですが、よろしければお付き合いくださいませ。
2024年もよろしくお願いいたします。

今年は元日から大変なことが起こりました。地震大国に住んでいることを実感し、改めて恐ろしく思いました。それにしてもお正月の夕方に、だなんて。どんなに怖かったことでしょう、悔しかったことでしょう。私には心ばかりの義援金を振り込むことしかできず、申し訳ない思いです。一刻も早い復興を祈る毎日です。被災された皆さま、今なお不便を強いられ、不安の渦中におられる皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。どうかお体とお心をお大事に、希望を持ってくださればと願っています。

 

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温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道

 

クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は本当に慌しい。

 

年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直前、2泊ではあるが夫とふたり、また清水の家に行くことができた。両親の住んでいた家である。

 

寒かったけど、頑張った。
果てしないと感じていた遺品整理、今回ようやく“前に進めている”実感を、少しだけど得ることができたのは何よりだ。ビデオテープやDVD、CD、カセットテープ類に手を付けたからだと思う。

 


断捨離をするとき、何から始めるか順番が大事なのだと、本で読んだことがある。順番、大事なのはその通りだろう。

 

ただ、自分の家のモノを断捨離するのと、亡くなった親のモノを遺族として処分していくのとでは違うのだ。まだ混乱や喪失感に苦しんでいるときに、できることは限られる。

 

母が亡くなったとき、残された父とともに母の遺品の整理を始めたのだけど、まあ、ほとんど何も捨てられなかった。かろうじて、まず処分できたのは下着類。これは母が「早く捨てて」と言っている気がしたからだった。

 

続いて、闘病中のときの医薬品や器具など。その次が衣類。一部を残して、思い切って処分した。

 

でも、そこまで。父が、抵抗したのだった。
母のモノを見るのは辛いけど、なくなるのも辛い。その気持ちはもちろん、私にも痛いほどわかった。

 

「夏服、少なくなっちゃったねぇ」と、母が父の夢に出てきたのだというから、仕方ない。捨てるのは諦めて、住まいの片付けと掃除をするのにとどめておいた。

 

それから2年とたたないうちに、母のもとへ旅立ってしまった父。もう私、誰かに抵抗されるからという言い訳はできない。自分で決断していくしかない。もちろん弟にも相談しつつ、だけど。

 

母のときと同じように、父の下着類から処分。その他の衣類の断捨離は、弟夫婦に任せた。

 

衣類は家の中でもかなりかさ高いものなので、早いうちに処分すると良いと思う。家の中が広くなり、片付ける人の励みになる。靴も、誰ももう履くことはないので、捨てやすい。靴箱がからっぽになるのは達成感にもつながる。

 

その次は古い家具。うちの場合、再利用の可能性のない古家具がゴロゴロ放置されていたので、これも早めに処分したかった。

 

で、その中のモノたちをごみ袋に入れることになる。ガラクタだけなら気持ちがラクなのだが、書類がやっかいだった。

 

✻以前、書類処分の苦労を書いています↓

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古い本、趣味のあれこれ・・・。仕分けしてリサイクルショップやステーションに持って行ったり、我が家に持ち帰ったり。そういう判断にも時間がかかるし、何より父母が “あの頃” 何に興味を持っていたのか、どんなことをしたかったのか、そんな想像に心を持って行かれて。手を止めてしまうことが多くなり、作業はなかなか進まなかった。

 

そんなこんなで、ようやくたどり着いたCDやテープの類である。これもかさ張るものなので、処分のし甲斐があった。家族の声が入っていそうなものや、ちょっとすぐには判断できないものだけ、捨てないでおいた。いつかもう少し落ち着いたら、見たり聞いたりしてみよう。

 

カラーボックスに放り込まれていた何十冊ものアルバムは、そのボックスを処分したいがために取り出して積んでおいた。これ、見始めたら大変だ。写真の類は本当に時間泥棒だから。こちらも、最後の方で弟と相談しながらどうするか考えよう。

 

そうそう、私たちの両親は親戚も友人も多い上に、職場の部下など10組超の仲人もしているので、写真館の封筒に入った結婚写真もかなりの数、いただいていた。ちらちらと見たが、ほとんどが知らない人。知っている人もいたけど、もう捨てさせてもらっていいよね。既に離婚しているカップルの写真もあったな。人生、いろいろだ。

 

清水の家での作業は、泊まりで行くため、生活しながらということになる。さすがに料理はしなくなったが(調味料などを置いて帰れないから)、ダイニングテーブルは使うし、洗濯もする。寝具も使う。なので、片付けのときにモノをそんなには広げられない。

 

そういう意味で、食器類は本当に最後だな、と思っている。出し始めたら大変なことになるからね。身動き取れなくなるのが目に浮かぶ。処分するものの順番は、やっぱり結構大事なのである。

 

疲れた~と、ゴロリ寝ころんだ1階和室の障子に、玄関脇のモチノキのシルエットが映っていた。この部屋で介護ベッドに寝ていた母も、同じシルエットを見ていたのかな。

 


庭の柚子が、今年もたわわに実っていた清水の家。
冬至だった22日の朝、ふと思い付いて、私はたくさんの柚子を摘み、カゴに入れた。それを公道に面した場所に置き、ご自由にどうぞとメモを添えた。柚子湯にいかが?と。

 

剪定した枝や落ち葉を、市の指定ごみ袋に詰める作業を庭でしていると、通りがかりの高齢女性に明るく声をかけられた。
「柚子、もらってっていいの?」

 

3人か4人に声をかけてもらえただろうか。どうぞどうぞ、たくさんどうぞ、と、嬉しくなってしまった私。中には、在りし日の父母との思い出を話してくれる方もいて……。

 

夕方、カゴを引き上げに出てみると、なかなかの売れ行き(タダだけど)。町内の方に季節のお裾分けができたようで、頬が緩んだ。夫も「いいこと思い付いたねえ」と微笑んでいた。

 

その晩、私たちもお風呂に柚子を浮かべた。特有の何とも言えない良い香り。小さな幸せを感じる。父の愛した柚子の木が、今回の働きをねぎらってくれたのかもしれないね。心地よい疲れを抱いて、よく眠れた晩だった。

 

カゴに入れて家の前に置いた柚子

 

ご近所の方にお野菜やミカン、手作りの干し芋までいただき、少しだけ咲き残っていた、母の愛したピンクの薔薇も手折って、私たちは帰路についた。

 

慌しかったし疲れたけど、なんだか胸が温かく、清々しい。清水からの帰り道に、こんな気分になれる日がくるなんて。

 

「今日は富士山がよく見えるみたいだよ」

 

夫が調べてそう言ってくれたので、日本平ホテルのお庭にちょっと立ち寄る。本当に、雲ひとつかかっていない綺麗な富士山だった。

 

前日の寒さが嘘のように、風もなく暖かで。空も、海も、とても美しい青。

 

外国人カップルに頼まれて写真を撮ってあげている夫。周囲の人たちの楽しそうな笑顔。優しい日差しと小鳥の鳴き声・・・

 

私はそのとき、自分がとても大事にされている気がした。何に?

 

それは生まれた町、清水なのか、あるいは空の住人となった父や母なのか。
それとも、富士山かな?いや、もっと大きな何か?

 

わからないけど、澄んだ気持ちになれたことが嬉しくて、そうさせてくれた大きな存在に向け、私は手を合わせた。

 

 

富士山と清水港―日本平ホテルの庭から―




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小さな3人の女の子

 

11月も、もう終わろうとしている。
慌しいのは師走、と相場は決まっているのに、今月、なんだかずっとせわしなかった。時間が足りなくて、日々のルーティーンがなかなか回らない。

 

外歩きが快適な気候になったから、ウォーキングをよくしていたせいかな。
冬物を買いに街に行ったし、次女が泊まりに来て、一緒に紅葉を見に恵那までドライブもしたし。
恵那峡。山の色付きはわずかだったけれど、湖畔の散歩道が素敵だった。

 

恵那峡の画像

恵那峡の紅葉

 

それから、習い事の課題制作に勤しんで、ここに随分時間をかけてしまった。それでも他のこともしたくて、合間に小さな作品も仕上げてみたり。

 

花糸で小さな刺しゅう

 

こう書いていると、全部自分の楽しみのための慌ただしさじゃないか、と苦笑してしまうけど。
早めの大掃除、的なこともやって、筋肉痛にもなった11月。いろいろ頑張ったつもり。ここへきて少々疲れがたまってきたようだ。

 


長女一家の所へも行ってきた。
9月の終わりにも行っているのだが、今回は悲しい用事での訪問だった。

 

前回私たちが遊びに行って帰った1週間後に、婿どのの父君が亡くなってしまわれた。ずっと闘病されていたものの普通に暮らしていらしたのに、急に病状が悪化して息をひきとられたのだった。

 

私たち夫婦は、お通夜に駆けつけるつもりが、その日夫が高熱を出してしまいかなわず、四十九日のご法要前後にお線香をあげさせていただこうということになり、今回、悲しいお別れをしてきた次第だ。

 

長女一家の家から、婿どののご実家まで、クルマで約20分。
去年の夏に訪れたときは、父君も笑顔で迎えてくださったのに・・・

 

✻その日のことを書いた昨年の記事です↓

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69歳。早過ぎる・・・
広くて綺麗なお宅に上がり、ご遺影を見つめた。まだ信じられなかった。
残された母君のことも心配だったのだけど、いつもと変わらぬ笑顔を見せてくださった。気丈に振舞われていたのだろうが・・・あの大きなおうちにひとりで暮らすのだ。それを思うと寂しさがこちらまで押し寄せ、切なさに胸が痛んだ。

 

でも。悲しい訪問ではあったが、行けて良かった。彼女のお顔を見られてご様子もわかり、お互いの出産時の昔話などで盛り上がって、少し心が落ち着いた。

 


その前の晩、夫と私は長女の家に泊めてもらったのだが、3人のチビッコを寝かしつけてから、私と長女は深夜まで語り合った。こんなに長い時間をふたりで過ごしたのは、何年ぶりだろう。

 

いろいろな・・・本当にいろいろな話をした。
もちろん婿どのの父君のことも。彼女はポロポロと涙をこぼし、つい最近までよく会っていたのよと、大好きなお義父さんのことを話してくれた。長男である婿どののことも、お義母さんのことも、とても心配していた。

 

どんな生命にも必ず訪れる、その日。
わかってはいても、大切な人の死は、どうしてこうも受け入れがたいのだろう。

 

私はここ3年で、母と父を立て続けに亡くし、死別の痛みを十分すぎるほど知ってしまった。そして、この先も悲しい別れは何度も訪れるのだと考えると、生きるということは何と理不尽なことか、とさえ思ってしまう。

 

自分がその日を迎えることは、それほど怖いとは思わないのだ。
残された家族や友人たちに悲しみを与えてしまったり、苦労をかけてしまったりするなら申し訳ないなあ、いやだなあ、と思うくらい。

 

でも、大切な人に先立たれることは、もう、怖くて仕方ない。そういう意味では、生きていることの方が怖く感じてしまうくらいだ。

 

結婚し、生まれ育った町を離れ、知り合いもいない遠い町に住むことになって8年半。長女にとって、お義父さんは大きな存在で、心の拠り所でいてくれた人のひとりだったに違いない。

 

娘が本当にお世話になりましたと、何度も手を合わせずにいられない。
ああ、とても残念だ。でも、心からご冥福を祈った。

 


悲しい訪問。
ではあったが、長女たちにまた会えたことは、正直なところやはりとても嬉しかった。

 

深夜のおしゃべりも、悲しい話ばかりではなく、悩み事だったり、楽しい報告だったり、思い出話だったり、寝てしまうのが惜しいほど、いつまでも話していたかった。問題にぶつかりながらも、母親として人として大きく成長していく娘が、その頑張る姿が、愛おしくてたまらない。

 

そして、3人の孫娘である。その存在がいかに大きなものであるかに、改めて驚かされた。
あの、生命の輝きそのものの、光るほっぺ6つ!

 

歌ったり踊ったり、おしゃべりしたり。おもちゃでもたくさん遊んで、今回も夫と私を何度も何度も笑顔にしてくれた6歳児と4歳児双子。彼女たちがそこにいてくれるだけで、ネガティブな気分になった私でも「生」を肯定することができる。

 

生きてることって素晴らしい。
世界はこんなにも美しい。

 

私は本来、そう考えられる人間だったはずだ。そのことに気づき、ベースに立ち返らせてくれるのは、これから成長していく小さな人たちの曇りない瞳と、あのほっぺの輝きだ。

 

子どもたちが、「生きることって嬉しい」と感じられる世の中にしなくてはいけない。生きていきたいと思ってもらわなくては困る。希望を持てる未来にしなくては!

 

それは、大人の責任なのだ。無力な私も、無力なりに努力が必要だ。責任を自覚し、自分にできることは何かを考えなくてはいけない・・・

 

 

冒頭の写真は、お土産の他におまけとして3人の孫娘たちに持って行ったもの。街で買い物をしていたとき、雑貨店で見つけた(オーナメントにもなる)人形だ。その顔が、あの子たちによく似ている気がして、買わずにいられなかった。

 

パッケージに入っていたときも可愛かった♡

 

箱裏には「ノルディカガール」と書いてあったっけ。こういうラブリーなものに、最近は私、よく心が動く。笑

 

長女もチビッコたちも気に入ってくれたようだ。早速、クリスマスツリーのタペストリーを壁に掛け、他のオーナメントと共に、ノルディカガールも飾ってくれた。ジングルベルを歌いながら♬

 

明日から12月。
毎日いろいろあって大変だろうけど、風邪ひかないように、みんな元気に過ごしてほしい。楽しいクリスマス🎄も、お正月🎍も待っているからね✨

 

私の心の中にいる小さなガールも、希望を胸に今、前を見ている。

 

 

長女の家の窓から見た空




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母のミシン、私のミシン

 

私が子どもの頃、家にはミシンがあり、母が時折り踏んでいた。
踏む・・・そう、足踏みミシンなので母はいつも「ミシンを踏む」と言っていたのだ。

 

昔は洋服が高価だった。子ども服は親戚やご近所からお下がりをいただくのが当たり前、という時代(庶民はね)。洋裁学校を出ている母が、幼かった私や弟の服をよく作ってくれたのも、そんな時代背景があったからだろう。

 

転勤族の我が家だったが、引っ越したどの家にもあの足踏みミシンの姿があったと記憶する。私が物心ついた頃からある。ということはあのミシン、母はいったいいつ購入したのだろう。安くはなかったはずだけど。「貧乏だったのよ」が母の口癖だったのにね。^^;;

 

母は、たまに油を注したり、ベルトの調子を見たり、あのミシンを大事にしていた。使っていないときは、機械をテーブル面に反転させてしまい込み、埃をはらってカバーを掛けた。カーテンみたいな生地(ゴブラン織り?)の、フサのついたカバーを。

 

中学生になり、私は家庭科が好きになった。当時はまだ、女子だけの科目。調理実習も楽しかったけど、自分でブラウスやパジャマを作れる、というのがとにかく嬉しくて。

 

あの頃は、学校にあったのも足踏みミシンだった。宿題で制作の続きをやっているとき、下糸を納めるボビンケースに糸が絡まったりして、その度に母に泣きついたことを思い出す。

 

高校生になると、洋裁好きな親友の影響で、雑誌を参考に着たい服を作り始めた。彼女と色違いで作ったグレンチェックのフレアスカートや、グリーン系タータンチェックで作ったチュニックワンピは特にお気に入りだったので、今でもよく覚えている。小さな襟とポケットを綺麗なモスグリーンの別珍にしたことも♡

 

採寸して、型紙を作り、生地を買ってきて布目を整え裁断し・・・と、ミシンの工程まではなかなかの遠い道のり。他にも興味のあることが山積みだった女子高生が、よく頑張った。採寸。そうそう、当時はウエストが56cmだったことも思い出した。そ、そんな頃もあったのね・・・ため息。

 


短大では被服を専攻した。入学前に、母が私のためにミシンを買ってくれた。電動のミシンだ。嬉しかったなあ。

 

就職し上京したときも、ミシンは連れて行った。服はもう作らず買ってばかり。カーテンとかクッションとかベッドカバーとか、そういう布ものを縫っていたと思う。

 

結婚する前に、少し両親のもとで暮らしたのだけど、そのときに母は私のミシンを分解掃除に出してくれた。購入してちょうど10年後のことだった。

 

あれから30年以上。我が家の娘たちの服を数枚、入園準備のグッズをいろいろ、インド綿で重たいカーテンを作ったり。この電動ミシンにはどれほどお世話になったことだろう。

 

それでも年月には抗えない。ここ10年ほど、ほとんど活躍することがなくなったミシンは手入れもされず、押し入れにしまわれたまま古びていった。

 

まだ動くのかな?なんて恐る恐る出してきたのは3年前。新型コロナの感染拡大でマスクの入手が困難になり、布製マスクを家族に作るためだった。

 

最初のうちはなんとか動いてくれていたのだけど、だんだん音がおかしくなってきて。スピードも安定しないし、針目も怪しくなってきた。

 

これはもう寿命かな。分解掃除に出してメンテナンスしてもらえば、なんとかなるのかな?

 

そう思いながらもまた押し入れにしまい込み、日常の慌ただしさに紛れ、そんなミシン問題も置き去りにしてしまった私。

 


一方で、母の足踏みミシンは数年前に処分したと聞かされた。

 

断捨離してほしいものは、清水の実家には山のようにあったのに、まず捨てちゃうのはミシンなの?と、聞いたとき少し悲しくなったっけ。でも、口出しすることではないので黙っていた。自分が引き取れるわけでもないのだしね。

 

あのミシン、実は素敵だと思っていたのだ。

 

お洒落な雑貨店などで、古いミシンが小物を並べる什器として使われているのをたまに見かける。母のミシンだって、やりようによっては、あんな風にアンティーク的な魅力を発揮できたかもしれないのになあって思ったりする、ちょっと未練がましい私である。

 

そしてコロナ禍の3年ほどの間に、母も、父も、他界してしまった。

 


さて、私のミシンである。
今年10月になって、手芸系のある習い事を始め、今すぐではないが、いずれミシンがけが必要になることが判明した。そこで、件の電動ミシンを修理して使うか、新しいミシンの購入を検討するか、判断を迫られたのだった。

 

真剣に考えた。
こんなにミシンについて考えた1か月は初めて。笑

 

10月の清水行きのとき(遺品整理のため私は清水の実家に通っています)、クルマにミシンを積んで出発。途中、ミシン修理専門店に立ち寄り、修理が可能かみてもらった。

 

・・・ダメだった。
電気系統が原因の故障で、もう部品も製造されておらず、どうにもならないと。

 

そうだよね。40年以上も昔のミシンなんだもの。
がっくりとした私。心のどこかで、母に買ってもらったミシンをまた使えるのでは?と期待していたのだ。

 

電気系統なんてものがなかった母のレトロな足踏みミシンなら、どんなに古くなったって、修理したら動いたんだろうね、きっと。

 

それでもその店の方が言ってくれたひとことが嬉しかった。
「これ、いいミシンで人気があったんだよね。あの頃、一番高かったやつですよ」

 

お母さん、ありがとう!😭

 


そのまま清水までミシンを乗せていった私たち。実家の2階のアンティークコーナー(笑)に、ひとまず並べておくことにした。革カバーがカビてしまったような古いカメラとか、オープンリールのテープレコーダーとかの隣にね。夫が「普通に捨てちゃったらダメな気がする」と言うので、処分保留にしているモノたちだ。

 

夫にはそういうところがある。先人のクラフトマンシップに痺れる、みたいな。
修理店に持って行く前日も、ミシン内部の手が届く場所を私が掃除していたら、積極的に参加してきた。

 

ミシンは「マシン」だ。中の機械はメカニックで、なかなかかっこいい。「すごいなあ、よくできた仕組みだなあ」と、彼は目を輝かせて掃除してくれた。エアダスターとか持ち出して。今度、〇〇(娘婿)にも見せてやろうよ、などとも言っていた。笑

 

ミシンをかけているとき“操縦する”ような気分になったことがある。それは、手縫いの楽しさとはまた違う、ワクワク感なのだった。マシン好きな男子にも受けるのかもしれない。

 

清水に滞在中、何度もこのミシンに目がいき、母のミシンとともにたくさんの思い出がよみがえった。そうやって、お別れすることを自分に納得させていった。

 

帰りの車中では、はい、ゲンキンなもので、新しいミシンをどれにするか、すごい勢いで検索しておりましたよ!笑

 


今は、どんなミシンがあるんだろう。どんな機能があるんだろう。メーカーも種類も多い中で、今の私にはどれが手頃でちょうど良いんだろう。

 

とても迷い、悩んだ結果、今、一台のマシン、もといミシンが私のそばにある。

 

そもそもミシンはどこで買うの?(昔はミシン販売店があったと思う)から始まった私のミシン探しだったが、結局Amazon。ちょうどプライム感謝祭の最終日で、18%引きで購入することができた。
なんとラッキーなこと✨

 

多分、これが私の人生最後のミシンだろう。
大切にしなくては~♬*゚

 

それにしても、新しいミシンは嬉しいもので(*^^*)
前のミシンとはスイッチやレバーの位置が違うから、まだ慣れないのだけど、それさえも新鮮で嬉しい。動きがとてもスムーズで、音も小さいし、何より綺麗だ。新しいんだから当たり前か。

 

ミシンが・・・
使えるミシンが、家にある。
それは、可能性が広がることでもあるんだなと今、私は実感している。課題の制作だけに使うつもりは毛頭ない。

 

また、着たい服とか、作っちゃう?そんなこともできるのだ。
いや、できるのか?
何十年も服なんて作ってないんだけど?

 

コホン。とりあえず、巾着袋とか量産しそうな気配である。
私の新しい「ミシン物語」が始まった。

 

 

3年前に作ったマスクたち




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美しい夢―生命は瑞々しく、そして儚く

 

風邪をひいた。発熱で寝込むなんて、何十年ぶりだろう。

 

丸二日間。時間をロスしてしまったようで残念ではあるが、それほど悔しくはない。喉の痛みや頭痛、高熱による関節痛は辛かったけど、たくさん寝られたし良かったじゃん、という思いもある。

 

それになんといっても、この風邪はあの子たちからもらったものだからね(多分だけど)、いいのいいの。嫌わずバッチリ引き受けようじゃないの、なんて片頬笑んだりもして。

 

今は、少し咳が残る程度。今日はもう、木曜日か・・・

 


先週の土曜日、夫と次女と私は長女一家の家に行き、一泊させてもらった。去年の夏、引っ越し後の手伝いに行ってから、もう1年以上になる。

 

✻当時の記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 


あれから5人家族がどんな風に暮らしを楽しんでいるのかと、想像したりはしていたが、今回一晩泊まり共に過ごすことで、その生活を肌で感じることができた。

 

出発直前に長女から、婿殿と4歳になった双子がちょっとコンコンしているから気をつけてね、と連絡が。うがい、手洗いをマメにして、マスクしてればいいかな、なんて一瞬思ったけど、うつったって別にいいわ、とすぐに考え直す。それよりも、あの子たちが辛いんじゃないかと、当然ながら心配の方が強かった。

 

会ってみれば元気いっぱい。そう、確かにちょっと咳は出るけど、よく喋ってくれるし笑うし走るし跳ねるし。笑
だから私、嬉しくていっぱい抱っこした。顔を近づけて内緒話もした。まあ、そりゃあうつるよね。

 


9月6日はこの双子の誕生日だった。そしてつい先日、長女の誕生日もあって。(実は昨年他界した私の父も9月生まれ)
そんな9月の最後の日に、お祝いを兼ねて集合しようか、という話になり、婿殿と長女が「うちに泊まって」と言ってくれたのだった。

 

お祝いしてあげたい長女にいろいろ用意をさせるわけにもいかないから、お邪魔する3人は、現地で夕食の食材を調達してから伺うことにする。ケーキも、お花もね♡

 

そして当日。地下鉄で名古屋まで行き、そこから近鉄特急「ひのとり」に乗り、大阪・難波まで。南海電車に乗り換えて、和歌山市駅へ。ここからレンタカーだ。長~い道のり。本当に遠くへ行ってしまったね。

 

でも、そのおかげで今回は「旅」の気分を味わえた。これまでは、長女の所へ行くときに旅だと思ったことは一度もなかったのだ。いつも手伝いなどの用事があったからかな。そうでないときもとんぼ返りですぐ帰ってしまったからかな。

 

和歌山市を巡るのも初めてのこと。ドライブ中に仰ぎ見た和歌山城は素敵だった。

 

駅近くのケーキ屋さんで、若い女性店員さんのやわらかい関西弁にほっこりした。和歌山の言葉はなんだか、可愛い。私には和歌山に大切な友人がいるが、彼女も優しいイントネーションで話をする。

 

大きなスーパーで買い物をしていると、長女一家が合流。そこから高速に乗って新居に向かった。

 

夕食の準備は、ほぼ夫がやってくれた。私はカルパッチョに散らすディルをカットしたり、レモンを切ったりするくらい。美味しい魚は、マリーナシティの「黒潮市場」で手に入れた。

 

アヒージョ、バターライスは夫の得意料理。あとは、和歌山駅の近鉄百貨店で買ったお惣菜とバゲットなどのパン類を添える。アヒージョはスペイン発祥のお料理なので、スペインのスパークリングワイン「カヴァ」をあらかじめ2本、私から送っておいた。よく冷えていて、美味しかった♫

 

おしゃべりも弾んだパーティー。でも、さすがにみんな疲れていたっけ……私もね。
お風呂の後、用意してくれたお布団に横になる。目が冴えてて眠れないんじゃないかと思ったけど、気がつくと朝だった。

 


翌朝、長女に誘われ庭へ。彼女が丹精込めて育てている植物を見せてもらった。赤いミニバラが綺麗に咲いていて、昔、家族4人で暮らしていたマンションのベランダを思い出す。

 

私よりずっと草花に詳しくなっていて、次々と可愛らしい植物を紹介してくれる長女。虫嫌いなあの子が、夜盗虫を割り箸でつまんで駆除している姿を見て、ビックリ仰天した。強くなるもんだなあ。笑

 

その後、みんなでお出掛け。お天気が不安定で心配だったけど、外遊びを決行した。

 

クルマでまずはガーデニングショップへ向かう。広い店内に子どもが遊べるスペースがあるし、ランチも安くて美味しいし、ここは便利に使えそうだと思った。長女、次女とゆっくり店内を見て歩けたのは嬉しかったな。子守りしててくれた夫と婿殿に感謝。

 

その後、マリーナシティへ行くつもりだったが、雨が降っていたので変更。残念だけど次の機会にね、ということで、急遽、県立自然博物館へ。水族館がメインで、潮だまりの生き物に触れられるコーナーもあり、子どもたちは大喜び。

 

ふと見れば、夫と婿殿はスマホで雨雲情報とにらめっこしている。駐車場に向かいながら、「行けそうですね!」「行こうか!」と。つまり?そう、マリーナシティ、である。

 


もう、10年くらい前になるのかな。
まだ長女たちが結婚する前、ふたりがデートで訪れたマリーナシティ内のポルトヨーロッパ。そこで撮った写真を私たちに送ってくれた。ヨーロッパの街並みをコンパクトに模した小さなテーマパークなのだが、それが本当に綺麗で可愛らしかった。和歌山には、こんな場所があるの?と感心したのだった。

 

私が「行ってみた~い」と言ったのを、覚えていてくれたのだ。いや、あの後も何度も言っていたような気がするから、いつか連れてってやらなくちゃなーと、思わせてしまったのだろうね。笑

 

www.marinacity.com

 

実は、前の日に買い出しで行った「黒潮市場」も、マリーナシティ内にある。ついでにポルトヨーロッパにも寄っておいでよ、と長女からは言われていたのだけど、私たちは長旅で疲れ切っていて(笑)お天気もどんよりで意気が上がらず、それよりも早く買い物を済ませて新居に向かいたいと、パスしてしまったのだった。

 

だから、長女にしてみれば、きっとほっと安堵。「これでようやくお母さんを念願のポルトヨーロッパに行かせてあげることができた」と思ってくれているに違いない。おそらく、優しい婿殿もね。本当にありがとう。

 

たくさんたくさん、写真を撮って、母は満足しました。笑

 

ポルトヨーロッパの、よく作り込まれた街並み

 

降ったりやんだりで私たちを悩ませた雨はすっかり上がっていて、夕方には日が差してきた。そろそろ、帰る時間である。

 

駐車場へ戻る道すがら、双子のひとりが、橋の上で動かなくなった。

 

「わたし、ずっとここにいる」
「ぜったい帰らない」

 

抱き上げようとしても拒む。先を歩く母親(私の長女)に向かって叫ぶ。

 

「ずっとここにいるーーっ!」

 

楽しかったんだねぇ。帰りたくないくらいに。思わず笑みがもれる私。
長女が近づき、よいしょと抱き上げる。

 

「そうかー。そんなに言ってもらって、マリーナシティも嬉しいなあ」
和歌山言葉でそう言った。甘くやわらかなイントネーション。
ああ、娘よ。

 

ここで私たちとお別れすることをちゃんとわかっている6歳児の孫娘も、ちょっと元気がない。この子は次女が大好きで、付属の遊園地でふたりだけのデートも楽しんだのだけど、今ひとつ喜びきれなかったようだと次女は言う。夫、次女、私と何度もハグをして、まるで永遠の別れのような顔をした。涙

 

お別れのときは、いつも切ない。それでも、疲れて眠って明日になれば、また元気な日常を送ってくれるのだ。そして、また会おうねと交わした約束を、ときどきは思い出してくれるのだろう。
これまでもそうだったようにね。

 


熱の出る風邪は、寝ても寝てもまだ眠れる。こんなに続けて寝たことは初めてかもしれない。眠りは浅いのだけど、静かな波が打ち寄せてきては、私を何度でも夢の海へといざなった。

 

そんな中でいくつか、美しい景色の夢を見た。

 

どこかの湾のクルージングだろうか。少し高い位置から眩しく光る海面を眺めている。なんと気前のいい輝きっぷり。その下にある水中の世界を想像してうっとりし、圧倒的な水の量を思いクラクラする。そんな夢。

 

薄桃色の日差しが注ぐ渚。白い砂浜。波打ち際を歩く私の足元が見える。もちろん裸足。小さな波はどこまでも透明で、サイダーのような泡が光って綺麗。ちょっとくすぐったい。そんな夢も見た。

 

夢かうつつか幻か、という言葉の通り。私は熱に浮かされたようで、目が覚めても何が現実かよくわからなかった。ただ、苦しかったはずなのに、まどろみの中、とても幸せだったのだ。

 

臨終の際には何とかいう脳内物質が出て、多幸感に満たされると聞いたことがあるけど、こんな感じなのかな。
(後でちょっと調べると、脳内モルヒネとも呼ばれるエンドルフィンらしい)

 

こんなふうに幸せな気持ちになれるなら、死ぬのも怖くないな。そんな不謹慎?なことを考えながら、私は熱風邪に身を任せていたのだった。母も、父も、身内に看取られずに儚くも逝ってしまったけど、その時を苦しむことなく多幸感に包まれ迎えてくれていたらいいな、などとも思っていた。

 

両親ともに見送って、私自身も江戸時代ならとっくに寿命と言われる年齢を超えて、今は「死」はそんなに遠く見るものではなくなっている。

 

死後の世界は本当のところ全然わからないけど、その時が近づいたら、慌てず騒がず、怖がらないで穏やかにその瞬間を迎えたい。覚悟が備わってきつつある年齢まで、そうつまりここまで、生きてこられて良かったなあ、と素直に思う。

 

もちろん、私の年齢以上の方で「人生これから。まだまだ花咲かせるよ!」と思う人も多いだろう。それも素敵だ。でも、もっと頑張らなくちゃと(自他ともに)急かされず、人生を閉じていくことを考え始めさせてもらうのも悪くない。あんまり若いと恐縮しちゃうけど、この年齢になったのだからもういいでしょう、ということね。

 


私の小さな孫娘たち。
瑞々しい生命を目の当たりにして、その未来の長さを思った。
どうかずっと平和を享受できますように。

 

そして、私の最愛の娘たち。
いつも希望を持ち、ここまでの年月、人として成長する姿を見せてくれた。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。

 

みんな。
どうか、どうか、幸せにね。

 

あ。
私も、命尽きるまでは楽しく生きるつもりだよ。
ちゃんと人生を楽しもうと思っているから、安心してね。
小さな夢の卵も、まだちゃんとあたためていますから(*^^*)

 

 

長女の庭にも秋が




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