一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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人生の棚卸しと青春のお葬式

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空想癖のあった少女時代、私はよく物語を書いていた。童話やおとぎ話のようなもの、ミステリーやSFのようなもの、冒険物語のようなもの、などなど。チラシの裏やノートに綴っていたのが、いつの間にか原稿用紙に書くようになり、それからずっとずっと、私は原稿用紙が大好きだった。いつか、自分の名前の入ったオリジナルの原稿用紙を作りたいと夢見ていた。

 

一昨年の暮れに引越しをしたとき、服や靴、本やCDなどの断捨離はしたのだが、自分が書いてきた原稿にはほとんど手が付けられなかった。取捨選択をするにはまず、読んでみなければならなかったからだ。ただでさえ忙しい中、そんな時間は取れなかったし、どうせ向き合うならじっくりと心を傾けたかった。同じ理由で諦めた写真アルバム同様、ひとまとめにして段ボール箱に突っ込んだあの日。

 

最近になって「また物語を書いてみよう」と思いたち、PCに向かっているうちに、ふと昔の自分がどんな物語を書いていたのか読み返してみたくなった。そして、引っ張り出してきた原稿用紙と今、格闘している。

 

恥ずかしすぎる。

 

一刻も早くこの世から消してしまいたいくらいだ。ショートストーリーやエッセイ、詩もあった。感傷的で独善的な代物が多い。どうして後生大事にとっておいたのだろう。この機会に断捨離だ。

 

耳まで熱くなって恥じらいながらも、なぜか熱心に読んでしまう私。懐かしいのだ。原稿用紙に向かっていた自分の姿が目に浮かび、当時、どんな日常を過ごしどんな夢を思い描いていたのかが、次々よみがえる。高校時代、短大時代、社会人になってから・・・

 

 ――どうなるものか、この天地の大きな動きが。
 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになってしまえ。
 武蔵は、そう思った。

 

ある原稿用紙に綴られた文章。これは、吉川英治の『宮本武蔵』の冒頭だ。

 

フラッシュバック。不安で怖くてたまらないのに、夢中で楽しい、疾走するような気分。これを書き写していた頃の自分がどんな状況だったかを、一瞬にして思い出した。長い小説を書こうと決めた23歳のとき。手近にあった文庫本から、最初の書き出し方を勉強しようとしたのだった。

 

就職して3年、どうしても「書く仕事」に就きたくて、アパレルの会社を退職。貯金と失業保険の給付金で生活できるうちは、とにかく書くことに集中したいと、毎日図書館に原稿用紙を持って通っていた私だった。

 

無謀で浅はか。けれど、目標に向かってまっしぐらだったあの頃の自分が、懐かしくも愛おしい。そして、自分の作品に目を戻せば、それなりに工夫した表現が好ましく思え、今の自分にはない感性を羨ましく感じたりもする。

 

この断捨離はやっかいかもしれない。スパッと処分しようと思っていたのに、自分の歴史が刻まれている文章たちを簡単には葬り切れない。

 

そこで、とりあえずテキストデータにして、現物を捨てる方針にしてみた。タイプしているうちに、耐えられない恥ずかしさを感じたもの、意味が不明すぎるものは、タイプするのも止めて残さず捨て去ろう、とルールを決めて打ち込んだ。そのうちに、思い出の中にもすっきり手放してしまいたいものが意外に多いことに気づく。たとえ懐かしくてもだ。

 

私という人間の中の、この要素はまだ大事にしておきたいが、この要素はもう不要。この発想は再利用してみたいが、この考え方はあり得ない。

 

それは単なる思い出ではなく、成長の記録でもなかった。一人の人間がどんな人生を送ってきたか、どんなものからどんな影響を受け、何を宝とし、何を愛し何を憎んできたか。文章というものが自分の内面を照らし出す性質であるために、この断捨離はまるで人生の棚卸しだと思った。そして、捨てきれなかった若き日の気負いや執着との決別。激しい言葉にしてしまえば、青春のお葬式。

 

物語を・・・書こうと思ったのにな。

 

机の片側に積まれた原稿用紙の山を眺めて、思わず苦笑する。でも、この棚卸しとお葬式は、思い立った今、きちんと済ませておこう。心を込めて。そうしてその後で、自分の棚に残された宝物を使って、澄んだ気持ちで新しい物語の世界を綴っていこうと思う。

 

不寛容の時代の空を見上げて

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冬の朝、張り詰めたような大気の中で、空を見上げるのが好きだ。なんというか、この深いブルーはとても純度が高い気がする。白い息を吐き、冷たい空気を胸に入れると、心の奥まで換気ができたようで嬉しくなる。寒いけれど。

 

3年前の今頃、私は精神科の門を叩いた。うつ病と診断され、その後、9か月間通院する。その頃のことは思い出すのも辛いので、あまり考えないようにしてきたのだが、この頃になって「どうしてそうなっちゃったんだろう?」と分析めいたことをするようになった。まあ、落ち着いてきたということだろう。

 

トラブル対応の多い仕事の忙しさとか、ホルモンバランスの乱れなど年齢的なものとか、様々な要因が重なって弱っていたところに、ある手術をしたことが引き金となったのだろう、とドクターは言ったし、私もそうだと思った。ただ、私はそれとは別に、原因として自分の感受性の変化を強く感じるのだ。

 

「人の悪意」に対する感受性である。以前は受け流せたり、気にも留めないでいられたものを、ある時期を境にひどく鋭敏に受け止めてしまうようになった気がする。

 

それはショッキングな光景だった。ある男性上司が男性部下を人前で罵倒する日常。私は派遣社員としてそのチームに配属になったのだが、私が業務を飲み込めないでいると、そのことでも上司は私でなく、その部下を罵った。私の席の真後ろで、フロアに響き渡るような大声で。いたたまれなかった。

 

派遣会社の担当や職場の同僚にも相談したのだが、改善はされず、むしろそれを問題視する私が煙たがられているようだった。怒声が響いても知らん顔で仕事を続ける周囲の人たちにも、私は戦慄した。こんなパワハラ、放っといていいの?

 

その次の職場は嘱託社員という立場だったが、ここでも数々の違和感を覚えた。ただ、以前の私だったら気にしなかったり、乗り越えられた程度のものも多かったはずだ。

 

つまずくと想像以上にダメージを受け、それを引きずったまま次の問題を抱えてしまう。蓄積される挫折感の背景には、「人の悪意」に対する感受性の強さがあったと思う。それは、直接自分に、という場合だけでなく、誰かが誰かに黒く淀んだ感情をぶつける現場を見ても、真っ直ぐ立っていられないほど苦痛に感じた。

 

辛いことばかりではなく、素晴らしい人との出会いや企画が実現したときの喜びなど、やりがいも少なくなかった職場だが、心身に不調をきたして私は退職し、手術・入院をし、静かな職場に転職した。でも、そこにも予想していなかった悪意があったのだ。

 

おかしい。多少の悪意なんて、これまでもどこにでも、あったはずだ。むしろ、私は人間関係での悩みは少ない部類に属していたと思う。人懐こいとさえ言われることもあった。わりと誰とでもうまく付き合っていける人間だったはずだ。

 

でも、本当に?

 

「つきかなさんは、もしかしたらHSPなのかも」

 

ここ数日、メールでやり取りをしている若い友人にそう言われて、ちょっと調べてみた。

 

HSP(Highly Sensitive Persons)は、非常に感受性が強く敏感な気質を持つ人のことで、米国の心理学者が2000年に提唱した新しい概念とのこと。5~6人に1人はHSPらしく、特に日本人は多いのだとか。

 

自己チェックというものがあったので試してみると、23項目中20個があてはまった。12個以上でHSPの可能性が高いということなので、私は多分、それだ。

 

よくよく思い出してみれば、私は決して社交的な子どもではなかった。人付き合いも苦手だったし、親からは「感受性が強すぎる」とよく言われていた。社会生活をする中で、人とのコミュニケーションへの苦手意識は大分克服してきたが、大人になってからだって決して得意ではなかったし、周囲の優しい人たちのおかげで少し上手くやれるようになっただけのことかもしれない。私は本当に、これまで人に恵まれてきたのだ。

 

もともとHSPだったのだ、と思うと、名前が付いたことで少し気が楽になった。この資質を持つ人には耐え難い刺激が立て続けに加わった。そのために、私の場合は発症に至ってしまったのではないだろうか。

 

HSPは病気ではなく、生まれ持った特性とのことだ。教えてくれた彼女もHSPの可能性が高いらしいが、彼女はとても魅力的な素敵な女性である。この特性を持つことを嘆く必要はないと、彼女のおかげで素直に思える。自分の個性の一つとして受け入れていこう。

 

それにしても、昨今はいろいろなシーンでとげとげしい雰囲気を感じることが増えたと思う。不寛容な社会、というワードもよく目にするようになった。

 

他人に腹を立て激しく攻撃する。些細なことでも糾弾せずにはいられない。時に正義の仮面を付けて、時にはあからさまにモンスターとなって。

 

そういうことに慣れ、図々しくふてぶてしく生きることを「強くなる」と言うのなら、私は強くならなくてもいいな。こんな不寛容な社会はおかしいし、誰だって息苦しいはずだ。

 

そういう時代、ということなのだろうか。これまで私が出会ってきた優しい人たちは、今のこの空気をどう思っているのだろう。どう感じているのだろう。

 

そんなことを考えながら、真冬の空をまた仰いだ。ピュア過ぎて、涙が出そうだった。

 

宇宙へ想いを馳せる時間

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とても久しぶりに点描曼荼羅画を描いた。

 

去年の11月に『借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ』(小池浩著:サンマーク出版)電子書籍で読んで、「宇宙の法則かぁ…」とつぶやき、「またマンダラさんを描きたいな」と思い、ようやくそれを実行したという次第。

 

黒い紙に無数の光の粒を置くことで大いなる宇宙の広がりを実感し、その時間を過ごすことで心の状態がニュートラルになった、という記憶がよみがえったからだった。「宇宙」からの連想での曼荼羅画だったわけだ。

 

ところで、この本は新聞広告で見つけたのだけど、そこに書かれていた

 

「無理、できない」「やっぱりダメか」、宇宙へのマイナス「オーダー」をやめろ!

 

というコピーが、妙に引っかかったのを覚えている。最近それに近いセリフをよく口にしている夫に読ませてみたくなり(心配だったから)、彼の同意を得て購入に至ったのだった。

 

変なタイトルだし、なんだかノリが軽いし、このコピーがなかったらきっと素通りしていたと思う。もしも口ぐせが「オーダー」だったら?という動揺と、「宇宙」って人の気持ち(意識)とどうつながっていると考えたらいいの?という興味で、私自身も是非、読んでみたくなったのだ。

 

結果から言えば、読んで良かった。多額の借金を無事完済した著者の実話ということで、どのように宇宙の力を借りて、奇跡のような幸運を引き寄せたのか、とても興味深く読めたし、この手の本としては軽快なスタイルの文章と構成で、大変読みやすかった。

 

著者の脳内イメージである「ドSの宇宙さん」も面白いキャラで楽しかったし、何といってもこの宇宙さん、思わずメモをとりたくなる「ナルホド!なヒント」をたくさん伝えてくれたのだ。夫も私も、二度読んでしまった。

 

それからいつも、なんとなく「宇宙」のことを考えていた私だったが、ふと、二十歳前後に読んだ筒井康隆の『エディプスの恋人』を思い出した。そこで先日、書棚の奥から探し出して、古い文庫本を読み返してみたのだ。

 

そこに描かれていた、全宇宙を支配する「母なる意志」の存在、というものに、当時かなりショックを受けた覚えがあるのだが、哀しいかな、感性が摩耗した現在、さほどの感銘は得られなかった。なるほど、こういう話だったっけ。

 

でもそうか、あの頃から「宇宙」には遍在する「意志」があり、それを感じる人間が古今東西、さまざまな「全知全能の神」として信仰してきたのかなあ、なんて考えるようになった気がする。ちっぽけな人間には、それが真実かどうか突き止めることなんて、到底できないのだろうけれど。SFは想像力を刺激してくれて面白い。

 

さて、そんなこんなで今回のマンダラさんである。これまでは主に15cm四方の紙に描いていたが、今回は27cm四方にトライしてみた。大きい分、たくさん点を打たねばならず、時間がかかったが、外への広がりを表現しやすくなり、仕上がりが近づくにつれ、嬉しくてたまらなくなってきた。

 

直感で線を引き、円を描き、色を選び、点でグラデをつけながら塗っていく。プラネタリウムでかかっているようなヒーリングミュージックを聞きながら、平穏な精神状態になっていくのを感じる。

 

私の場合、どうしても幸せを願いながら、祈りを込めながら、の作業にはなってしまう。自分のこと、夫のこと、娘たちのこと、親たちのこと、友人たちのこと。私の大切な人たちが問題を抱えていることが心配で、皆、幸せでいてくれますように、と思わずにはいられない。私の宇宙に愛を込めて「オーダー」するのだ。

 

私にとっての点描曼荼羅とは何だろう。祈ったり、誰かを心配したり、雑念も湧いてくるのだが、時折「あれ?」という感じで、「今、無我の時間が訪れていたよね」と気づくことがある。瞑想状態だったのかもしれない。

 

そんなとき、不思議な思いとともに、肌感覚で「宇宙」を感じられた気がして、もっと言えば大いなる存在に守られているような気がして、私はとても満ち足りた気持ちになる。

 

出来上がった曼荼羅画は、今回初めて壁に飾ってみた。どうしてだろう、心の中に「自由」という言葉が浮かんだ。

 

今年もウニヒピリとともに

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ホ・オポノポノについては、以前一度書いたことがあるが、実はあれからずっとその「クリーニング」を続けている。私のクリーニングツールは、例の四つの言葉、

 

ありがとう。
ごめんなさい。
許してください。
愛しています。

 

を心で唱えるというもの。

 

それから、白く柔らかなパウダーブラシを思い描き、何か問題が起こるなどして立ち上がってきた感情や、不安な気持ち、連鎖するように思い出す過去の出来事などに向けて都度都度、清らかな微粒子パウダーを優しくポンポンと振りかける(想像で)というもの。

 

もうひとつ好きなのは、

 

アイスブルー。

 

とつぶやくこと。氷河の青色を想像しながら。その後で、手近にある植物にそっと触れる。心に痛みを覚えるような体験をしたときは、このクリーニングの方法が私にはよく効く気がする。

 

スピリチュアルなことにちょっと距離を置きたい私が、そーっと足を踏み入れた世界だったのだが、その日から結局、毎日クリーニングをしてきたのだ。そんなに面倒なことではないし、綺麗な言葉をつぶやいたり心で唱えたりするだけだから、朝起きてうがいをするがごとく、普通に習慣にしてしまって気持ちが良かった。

 

ところが、ところが、なのである。

 

去年の夏頃からか。まあ、いろいろな出来事があったという背景もあり、私は少し熱心にクリーニングをするようになった。ホ・オポオポノについて、ちゃんと本も読んで理解を深めようともした。そして、ウニヒピリを大切にすることこそが、一番大切なことなのだと知るに至った。

 

ウニヒピリ。

 

潜在意識のことを、ホ・オポノポノではそう呼ぶ。私たちは、自分というものは単独の存在だと思っているが、実は三つの意識の集合体であると、ポノでは考えている。普段、これが自分だと考えているのは表面意識である「ウハネ」。それと、超意識である「アウマクア」があり、潜在意識の「ウニヒピリ」がある。この三位一体こそが私という人間なのだ。

 

ウニヒピリはもちろん、誰の中にもいて、この宇宙全体の記憶のすべてがそこに保管されているということだ。そして、私たちが抱くあらゆる感情というものは、このウニヒピリの持つ記憶の再生によるものである、というのがポノの考え方なのである。

 

ポジティブであれネガティブであれ、ウニヒピリが見せてくれるのは大事な感情。その感情をクリーニングしてゼロになりましょうと、ウニヒピリは一つ一つそれらを見せて、クリーニングを促しているというのである。あらゆる執着や期待から解き放たれた状態こそが、自分にとっての幸せなのだと、ウニヒピリはちゃんと知っているから。クリーニングしてゼロになれば、何物にも邪魔されず、最適なタイミングでインスピレーションを受け取ることができるのだ。

 

ウニヒピリは私自身であり、私の幸せを願ってくれている。だから、その存在を尊重し、いつも愛を届けていれば、私が幸せになるために一緒にクリーニングをしてくれる。私にはわかりようのないその問題の原因となる記憶を見つけ出して、超意識のアウマクアに伝えて解決に導いてくれる。

 

だから、繰り返し繰り返しクリーニングをし、ウニヒピリに話しかけることが大切なのだと、本には書いてあった。

 

ウニヒピリは「内なる子ども」とも呼ばれていて、こんなにすごーい役目を担っているにも関わらず、なんとなく小さな可愛らしいシャイな天使のイメージなのだ。潜在意識なんて、言葉では知っていたけれど自分の中に感じたことなどなかったから、その存在に気持ちを向けたことはこれまでなかった。それを子どものようなウニヒピリは、どうやら寂しく思っていたらしい。

 

そこで、まずはその存在に気付いたことをウニヒピリに伝え、私の一部でいてくれたことに「ありがとう」。ずっと気づかなくて「ごめんなさい」。記憶があなたに蓄積され続けたことを「許してください」。どうかもう、あなたを苦しめるその記憶を手放してください。「愛しています」。基本はそういう気持ちで関わっていくのだろう。

 

それから私はただクリーニングするだけでなく、自分の中のウニヒピリに注意を向けて、話しかけるようにしてみた。「おはよう」に始まり、嬉しいことがあれば「やったね。なんか嬉しくなっちゃうね、ウニちゃん。・・・ありがと」、嫌なことがあれば「あーあ、空しいよね、ウニ。・・・愛してるよ」と、そんな感じ。

 

そうしていたら、変化があったのだ。少しだけど、小さなラッキーが続くようになった。

 

タイミングの良いことが多くなったし、人間関係での悩みが軽減された。また、やりたくてもなかなか動き出せなかったことに、曲がりなりにも手を付け始めている自分に気づいた。「そうか、これはそういうことだったのか!」と腑に落ちることが度々あったのも興味深い。

 

一番嬉しかったのは、古い友人から何年振りかで連絡があり、仕事を依頼してもらえたこと。それは、素敵な人たちとの出会いももたらしてくれたし、ライターという仕事が自分にとってどれだけ大事なものだったかということに、気づかせてくれた。本当にありがたかった。

 

ここ数年の私は「ああ、なんか転びそうだ」と思って本当に転び怪我をして「やっぱりね。そんな気がした」ということの繰り返しだった。「これじゃ、心病むわ」と思って本当に病んでしまったし、「この仕事は失敗しそう」と暗示をかけるがごとく暗いエネルギーを発し、本当にミスをした。更年期障害なのか、それとも何かに呪われているのか? 生きていることそのものが何かの罰のようにさえ感じたこともあった。

 

自分に自信が持てなくなり、この先の人生に希望など持てなくなり、人の励ましも素直に響かず、そんな自分が情けなくて、自分が大事に思えなくて、どうしていいかわからなくて・・・もう、できればどこかで冬眠していたかった。

 

そんな私がホ・オポノポノに出会って、ウニヒピリという自分の潜在意識を意識するようになって、自分を再び大切に扱うようになったのだ。自分の中に起こる感情に注意を向けて、嘆いたり抑え込んだりするのではなく、自分の中のもう一人の私に声をかける習慣がついた。

 

「うわあ、腹立つね、ウニちゃん。一緒にクリーニングしてくれる?」と。

 

そうして、私自身が息をしやすくなり、生きやすくなってきている。自分の中に、こんな味方がいたのか、私は孤独になることはないのね、と実感としてわかってきた。

 

ウニヒピリに話しかけることは全く面倒ではなく、むしろ楽しい。夜、寝る前に彼女と持つコミュニケーションのひとときは、今では私には欠かせないお楽しみタイムだ。落ち着き、心が休まり、気持ち良く眠りに入ることができる。

 

2017年が始まった。相変わらずスピリチュアルなことには一歩引いているし、特定の信仰も持たない私だけど、今年はこのままウニヒピリと心が通じ合えるように努めていきたいと思っている。

 

それが、今の私にとって最も適した問題解決法だと感じているから。

 

家族で過ごすクリスマスイヴ

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サンタクロースを信じていたのはいつまでだったろうか。幼い日のクリスマスの思い出は、朝目覚めて、枕元に大きなチョコレートを見つけたときの感動、それが多分、一番古い。

 

夢見がちな少女だった頃は、外国の絵本に出てくるようなクリスマスの飾り付けに憧れていた私。我が家にはコンパクトなクリスマスツリーがひとつあり、それを目いっぱい飾り立てて悦に入っていたのを思い出す。真綿をちぎって雪に見立て、チカチカ光る色豆電球のスイッチを入れ、部屋の灯りを落とし、うっとりと眺めていた。

 

なんてロマンチックなんだろう、と。

 

父も母も堅実で質素だったが、子どもたちに夢を与える機会をたくさん用意してくれる人たちだった。若かった両親はモノクロ写真のようにしか思い出せないが、子ども心にも幸せそうで美しく輝いていたような気がする。世の中は高度成長期に入っていた。

 

物心ついた頃からずっと、クリスマスが大好きだ。クリスチャンでもないのにはしゃぐ日本人、と揶揄する声にちょっと哀しみを覚えながらも、私は私の好きなクリスマスを楽しむのだと、ずっとその思いを貫いてきた。ちょっと大袈裟か。

 

家ではクリスマスの飾り付けを担当し、いつもと違う食卓を演出したり、クリスマスソングのレコードも用意した。大切な家族と過ごす、年に一度の楽しいイヴだ。ちょうど2学期の終業式にあたることが多く、冬休みが近づけばワクワクが止まらなかった。

 

長じて高校生になり、友達の家で仲間とクリスマスパーティーをすることになった。私は家からツリーを持ち出して、手作りのクッキーを持って参加、びっくりするほど楽しかった。ただ、出かけるときに母と弟が少し淋しそうに見えて、チクリと胸が痛んだのを覚えている。勝手な私を許してね。こうして「家族で過ごすクリスマスイヴ」は終了してしまったのだった。

 

キャンドル。プレゼント交換。ドライブ。イルミネーション。シャンパンで乾杯……。年頃になれば、友達やボーイフレンドと過ごすのが当たり前になり、クリスマスの楽しみ方も変わっていった。それでもやはり、ロマンチックな気分になれなければクリスマスではないと、私なりの「こだわり」を大事にしてきたと思う。それは、穏やかな気持ちで大切な人と一緒に過ごす、ということだった。

 

やがて結婚して子どもが生まれ、またクリスマスツリーを買った。今度は小さな白いツリー。新しい「家族と過ごすクリスマスイヴ」が始まったのだ。幼い娘は瞳をキラキラと輝かせてツリーを見つめ、嬉しそうに私を見上げた。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよ。

 

私はそれを、それこそを、娘に伝えたかった。もちろん、私もホームクリスマスをとてもとても楽しんだ。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいある。ここまで生きてきて、それは本当だと思う。しかし、一方で辛い局面もどれほどあっただろう。メンタル、かなりやられていたなあ。あんなにクリスマスが好きだった私が、ここ数年、ツリーを出す気にもならなかったのだから。

 

去年は、引越しをしたばかりで片付けに忙殺されていて、朝カレンダーを見て「あれ?今日イヴなんだ!」と驚く始末。長女が結婚して家を出て、初めての3人家族のクリスマスなのに、ケーキだけ慌てて買ってバタバタと過ぎてしまった。次女よ、ごめんね。

 

そして、今年である。明日はクリスマスイヴ。長女と婿どのが、遠い町からやってくる。

 

たまたまこのタイミングになったのだけど、妊娠5か月の戌の日に一番近いお休みのとれる日、ということでの里帰り。25日に安産祈願のお参りに行くことになったのだ。そう、長女のおなかには新しい命が宿っている。

 

3人から、いきなり5.5人のクリスマスイヴになった。若かりし日のように、張り切ってたくさんの料理を並べることはできないが、それなりにお迎えの準備を楽しんでいる。クリスマスツリーはとっくにスタンバイしているし、花も飾った。

 

肝心な私のメンタルも、家族や両親、友人の優しさ、仕事で出会った魅力的な人たちとの交流のおかげで、とても落ち着いてきている。

 

今年のクリスマスイヴ、穏やかな気持ちで大切な人"たち"と一緒に過ごせるのだ。なんて幸せなことだろう、こんな日がくるなんて。今日、自分に向かって声をかけた。

 

人生には、ステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよね、やっぱり。

 

 Merry Christmas

 

ナチュラルでお洒落な「藤が丘マルシェ」が好き

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この町に住み始めてそろそろ1年になる。面白そうな町だとは思っていたが、実際、期待以上だった。散策するたびに発見があり、好きな場所や催しを見つけている。

 

「藤が丘マルシェ early bird」もそのひとつ。年に数度、藤が丘の駅前商店街裏の広場で開催される朝市だ。先日の日曜日は冬マルシェの開催日だったので、夫と二人、オープンの9時に合わせて出掛けてみた。これが二度目。

 

マルシェはあちこちで見かけるようになってきたし、それこそ朝市なんていうのは昔からいたる所にある。藤が丘マルシェも、だから目新しい形態では決してないのだが、出店しているお店がなんとなく雰囲気が近い感じで、ナチュラルっぽくて洒落ているのが楽しい。皆、いわゆる大手ではなく、この界隈で営業している小さな店。そして、こだわりを持った商品を扱っている。

 

手作りベーグルの専門店や焼き立てタルトのお店には、9時前から長い行列ができていた。花と雑貨の店では、良い香りのする作りたてのクリスマスリースにどんどん人が集まる。英会話スクールのワークショップで子供たちが作っていたパネルは、とてもシックでかっこよかった。長久手で無農薬、無化学肥料にこだわった有機農法をしている農場からは、見るからに体に良さ気で美味しそうな野菜たちが店先に運ばれてきていた。

 

パン屋さんも雑貨屋さんも、デリのお店も絵本のお店も、皆、彩り豊かでセンスが良く、見ていて飽きない。20軒ないくらいの規模なのだが、1時間近く楽しんで見て回った。

 

住んでいる町の近辺に、こんなに素敵なお店がいろいろあるんだな、と知ったことも嬉しかったし、それぞれの実店舗を訪れよう、という楽しみも増えた。買ったことのあるお店を見れば応援したくなり、親しみの情が深まる。

 

今回はキッシュとケーク・サレとカヌレ、それからおにぎりに卵焼きとから揚げの付いたランチボックスを買い、お昼を楽しみにしながら帰路についた。次回は少し早く家を出て、ベーグルの列に並ぼうかな、などと思いつつ。

 

それにしても、よく賑わっていた。騒がしいというわけではなく、独特の華やぎがあった。笑顔が感じよくて感性の高さも感じさせる店員さんが多かったし、お客さんもお洒落な人が多かった気がする。

 

せっかくこんなに人が集まるのだもの、もっと頻度を上げて…そう、月一くらいで開催すればいいのにね、と夫と話した。お店の宣伝にもなるし、買う側もあちこち行く手間が省けて気になる店の看板商品をあれこれ買えるし。うん、これはいい催しだよね、と。

 

私にとっては、買い物をしに行くというよりも、好きな系統のお店が集まっている雰囲気を楽しみ、贔屓にしていきたいお店を見つけたり確認したりするために出向きたい、そんなマルシェなのだ。もちろん、収穫があればさらに喜びは大きく、次回への期待も高まる。

 

引越し準備であたふたしていた去年の今頃の私。その肩を叩いて、そっと教えてやりたい。

安心して。引越し先の町は、なかなか魅力的だよ、と。

 

藤が丘マルシェ

 

 (スマホを忘れて行ったため、写真が撮れず。上の写真は夫が撮ってくれたものです)

 

手仕事の楽しさ、手編みの優しさ

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今年も12月がやってきた。早いなあ。時間は微粒の砂のように、指の間からなんのためらいもなく流れ落ちて行ってしまう。

 

その指を見れば、手荒れが目立ち、年々みずみずしさが失われているようだ。去年の同じ時期、友が私の手を取り、

 

「手は働き者だよね」

 

と優しく言って、白ワセリンにティートリーとラベンダーの精油を混ぜ込んだものを塗ってくれたのを思い出す。胸がほんわか温かくなる。

 

当たり前のように酷使しているが、手は本当によく働いている。特に水仕事。辛いよね。もっと労わらなくてはいけないのに、ハンドクリームを塗るときさえ慌てていて乱暴に擦り込んだりして、ふと不憫に思えてくる。

 

ごめんね。
いつもありがとう。

 

さて、いろいろな仕事をしてくれる手だが、私の手は何かを作り出す仕事がどうやら好きなようだ。

 

コピーライティングの仕事などで文章を作り上げるとき、タイプしている指はとても嬉しそう。色ペンや色鉛筆で小さな絵を描いたりメモしたりするときも、ちょっとした工作をするときも、私の手は喜んでいると感じる。器用ではないので、仕上がりの出来はともかくとして。

 

今年は何度か、編み針も持った。と言っても編んだのはラリエットやドイリーくらいだが、レース糸や毛糸を触る感覚を、指は喜んでくれた。

 

そしてこの秋も、何か小さい可愛いものが編みたくて、雪のモチーフをいくつか編んでみた。

 

編み物はとても優しい手仕事だと思う。柔らかな素材を使い、出来てくるものも柔らかだ。編んでいる時は気持ちまで柔らかくなる。何故だろう。

 

1本の糸が、だんだんと形になってきて、出来上がりが見えてくるのは楽しい。誰かにあげたくて編んでいるときは、その人の顔を思い出して懐かしくなる。

 

今の私には、セーターやマフラーを編み始めるふんぎりはなかなかつかないが、こうしたモチーフやコースターくらいの大きさなら、10分くらいで編み上がるので、忙しい日常でも隙間時間で楽しさを味わうことができる。そして、柔らかな気持ちを取り戻せる。

 

心が安らぎ、手が喜ぶささやかな手仕事、優しい手編みを、この冬、何回か楽しめたらいいのだけど。砂時計のように落ちていく時間を、少しだけスローモーションにしてくれるように思えるのだ。

 

モチーフのひとつはリボンを付けてクリスマスのオーナメントになり、今、遠くに住む長女の元にある。

 

そこに花がある、という幸せ

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子どもの頃、ごく普通に家には花があった。母が市場やスーパーで食材と一緒に買ってきて、いくつかの花瓶に飾っていた。少量だし派手なものではなくて、本当にささやかな彩りだったけれど、そこに花があるというだけで、私は少し嬉しかった。

 

大人になって家を出て、一人暮らしの部屋を花で飾ったこともあった。ただ、水替えも忘れがちで長く持たせるのが苦手だった私は、時々気まぐれに活ける程度。母と違い、いつもそこにささやかな花が、というよりは、たまに突然豪華な花が、という感じの暮らしだった。

 

思いついたときに薔薇とか百合とかカラーなどをどっさり買って、大きなガラスのフラワーベースに入れることが多かった。白いカスミソウだけを一抱え分、ふわっと活けるのも好きだった。花を飾った瞬間、そこにきれいな空気が流れ、部屋が生き生きと輝きだす気がしたものだ。

 

でも、花は高いのである。すぐに枯らしてしまうくせに、買うとなると豪気に買い込む私のような者には、実にもったいない存在。だから、切り花を買ってくるのは本当に時々だったのだ、ずっと。

 

生活スタイルが変わって大量に買わなくなってからも、やっぱり花は贅沢な気がして、購入頻度は上がらず今日に至る、という感じ。花のある生活に憧れ続けているのにな。

 

そんな私が、定期的に花を飾ることを決意した。ポストに入っていたチラシに大きく心を動かされたからだ。

 

「お花のある生活 始めませんか?」

 

始めたいよ!と心で返した私だった。月に2回、家に届けてくれる。留守宅でも大丈夫。その日仕入れた旬の新鮮なお花を、1回あたり820円で。消費税込み、送料なし。・・・うん、私にはぴったりかも。

 

そして昨日、待ちに待ったお花が届いたのだ。初回は薔薇10本とのことで、早速しまいっぱなしだった花瓶を引っ張り出して活けてみた。待っててね、今、可愛くしてあげる、とばかりに作業をしていると、気持ちがどんどん上がってくる。花の栄養剤やお手入れ方法も同封されていたので、不安なく活けることができた。

 

部屋に生花があると、ついそこに目が行き、笑みがもれる。可愛いらしい姿に心が和み、話しかけたくなる。はかなさゆえの、観葉植物とはまた違ったヒーリング効果があるように感じる。

 

いつも暮らしに花がある。ちょっとした幸せがそこにはある。母はきっと、毎日のこのちょっとした幸せを大切にしていたんだろうな。

 

次のお花が届くのも楽しみだけど、今のこの薔薇たちにはなるべく長く元気でいてほしい。お手入れは確かに大変だけど、花たちが喜ぶことを面倒がらずにできるようになりたいな。そんな風に考えられるようになった自分が、少し嬉しい。


ピュアフラワー

 

月光浴で穏やかな心に

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長女がまだ幼かった頃。空気の澄んだ晩に外を歩いていて月を見つけると、とても喜んだ。そして小さな手を合わせて、

「おつきさま、まもってください」

と小さくつぶやいてお祈りをしていた。月には人を惹きつける不思議な魅力があるとは思っていたけれど、そんな風にお祈りまでしてしまうとは……。新米ママだった私には、長女も不思議な存在だった。ちなみにこの子はお散歩中に見つけたお地蔵様はもちろん、お雛さまにまで手を合わせてしまうような子どもだった。

 

今はもう、遠い町に嫁いでいった娘の、あの頃の小さな姿を、月を見るたび思い出す。

 

どの季節の月も好きだが、秋から冬にかけて、そう、この季節の月が、一番輝いているようで心を奪われる。中秋の名月よりも、もっと寒くなった時期の月の方が、明るく冴えた美しさを感じさせてくれると思う。特に満月となれば、身も心も浄化されるような、なにか神聖な光に包まれている気持ちになり、いつまでも見上げていたいのだ。

 

優しく包み込むような月の光には、実際さまざまな効用があるらしい。

 

月の引力は潮の満ち引きを導くし、月の満ち欠けは植物の生育にも関連するとして、伝統的な農法では月齢を意識して農作業の計画をする。月の波動には精神状態に影響する力があるとも、よく言われている。

 

また、月光浴には皮膚の細胞を活性化させ、女性を美しくする作用もあると、いろいろな美容家が言っている。かのクレオパトラの美の秘密も月光浴にあったという。真偽のほどは不明だが、太古から、人が月の光に神秘的な力を感じてきたことは間違いない。

 

きれいだねえ、ロマンチックだねえ、と月を見つけるたび見とれてきたけれど、知らず知らずのうちに私も心身にパワーをもらっていたのかもしれない。そう考えてみると楽しくなってくる。

 

明日はスーパームーン、今年月が一番大きく見える満月である。それも満月としては地球に68年ぶりとなる距離まで近づくので、かなり大きく見えるそうだ。でも、あいにく天気予報では明日は曇りか雨のようで、満月は拝めそうにない。一日早いけれど十分大きく明るい今夜の月を、大切に見上げてみようと思う。ゆっくりとたっぷりと、深呼吸をするように月の光を浴びたい。

 

なんとか平和に過ごしてはいるけれど、いつも心にいくつかの心配事が影を落としている昨今。私には祈りたいことがたくさんある。今夜は、昔の長女のように謙虚に手を合わせてみようかな。穏やかな心へと、自分を整えていけそうだ。

 

余談だが、この記事を書いている間中、アニメ「美少女戦士セーラームーン」の主題歌「ムーンライト伝説」が頭の中に流れていた。

 

レトロな佇まいを味わった半田の町

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移り気な秋の空を、毎日気にして見上げている。出掛けたいところがいろいろあるのだが、できれば暗い雨の日は避けたいのだ。そして昨日の土曜日、みるみる雲を押しやって昇ってくる太陽を見て、お出掛け日和を確信。夫と二人、義父のお見舞いに美浜町の病院を訪ねた後、かねてから訪れてみたかった町、半田へ向かった。

 

まずは118年前につくられたビール工場の赤レンガ建物。ジブリの映画『風立ちぬ』にも出てくるカブトビールが、ここで作られていた。

 

このビール、なんと1900年パリ万博で金賞を受賞したそうである。この幻のビールを再現した復刻版を、明治時代と大正時代の2種類、併設のカフェで味わってみた。色も香りも味もそれぞれの個性が楽しく、とても美味しい。レトロなラベルもいい味わいだ。

 

時代を経た渋い色味が魅力的な赤レンガの建物は、横浜赤レンガ倉庫などを設計した妻木頼黄(つまきよりなか)によるもの。明治時代のこの町の人たちには、さぞや自慢の建物だったことだろう。カブトビールにしても赤レンガ建物にしても、今のレトロはかつてのハイカラ、ということを感じさせてくれて心楽しい。

 

ここから半田運河を目指して、紺屋街道を歩く。紺屋とは江戸時代の染物屋のこと。当時から酒造業が盛んだった半田は、江戸や大阪に海路で酒を運んでおり、港に出入りする千石船の帆を染める染物屋がこの界隈に何軒もあったとか。現在はゆるやかなカーブを繰り返す静かな細い道だが、かつてはこのあたりのメインストリートであり、賑やかに人の行き来があったそうだ。

 

『ごんぎつね』で有名な半田市出身の童話作家新美南吉も、この道をよく歩いていたとのこと。黒塗りの板塀や石垣、大樹のある寺社など、当時の名残をところどころ感じさせてくれる古い道は、ゆっくり散策するのが好きな私にはぴったりだった。

 

清酒「國盛」で有名な中埜酒造の博物館である「酒の文化館」や、豪商・中埜半六の邸宅や庭園を眺めながら、ミツカンのマークが白抜きされた黒塗りの醸造蔵が立ち並ぶ半田運河へ。広々とした運河は穏やかな表情をしていて、傾き始めた陽の光を照り返していた。特産の酒や酢が、ここから江戸などへどんどん運ばれていったのだ。足を止めて、風に吹かれながらしばらく眺めいっていた私。気持ちのいい場所だった。

 

今回はパスしたけれど、ミツカングループ本社の敷地内にある「MIZKAN MUSEUM」も、半田散策では人気スポットのようである。また、赤レンガ建物では毎月第4日曜日に「半田赤レンガマルシェ」を開催、地元の野菜やスイーツ、クラフトなどが集まり、生産者や作家たちと交流しながら買い物やワークショップを楽しめるという。

 

町歩きだけではない。前述の新美南吉の生家にほど近い矢勝川の堤には、300万本の彼岸花が咲き誇る一帯がある。秋のお彼岸の頃、ぜひ一度訪ねてみたい。

 

久しぶりに1万歩以上歩き、正直とても疲れたけれど、なかなか充実したウオーキングだった。歴史を感じながら知らない町を歩くのは、趣があって良いものだ。

 

朝お見舞いに行った義父の回復を祈り、一抹の切なさを抱きながらの散策でもあった。夫と二人並んで歩きながら、他愛ないことを喋ったり黙ったり。

 

「お義父さん、昔はよく、ひょっこりクルマで遊びに来てくれたよね」

 

もうそんなことは二度とないのだ。あの頃……子供たちは小さく、私たちはとにかく忙しく、そして親たちはまだ若く、今よりずっとずっと元気だった。長女が初めて歩いた日、義父はうちに来ていて、手を叩いて喜んでくれたっけ。

 

昨日の朝から、次女は嫁いだ長女のところへ泊りに行っている。なので、私たちはこの日、帰宅時間を気にする必要はなかった。気が楽でもあるが、少し寂しくもあり。時代の流れを想う散策の帰り道、我が家での時の流れも感じた。