一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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いつの間にか、周囲は年下ばかり?

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書くことを仕事と決めて、何十年たっただろう。新聞社や小さな出版社で取材記者をしたり、フリーでライティングや編集をしたり、企画出版(自費出版ではなく商業出版)で本も一度出した。途中ブランクも度々あったし、事務や販売の仕事をしたこともあったが、今また細々とだけど、フリーランスでライターの仕事を続けさせてもらっている。

 

20代の頃は、仕事仲間も取材先も、年上の人ばかりだった。社内外の大人たちに、叱られたり励まされたりして、育ててもらった。いっぱい恥をかいて、いっぱい衝突して、認めてもらえれば嬉しくて、背伸びするように仕事をしていた。憧れの先輩たちに近づきたかった。

 

いつからだろう、まわりに年下の人たちが増えてきたのは。私が子育てで仕事を休んでいた頃からかな。打ち合わせに出向くと自分が一番年上だった、ということが多くなった。上司です、と紹介され出て来た方もお若くて!・・・そういうのにも慣れてきた。

 

近年では、仕事に限らず様々なコミュニティで、一番の年長者になってしまっている気がする。気にしなければいいのだけど、ちょっと居心地の悪さを感じるのは否めないかも。笑

 

ここのところ、ドクターにインタビューする仕事が続いている。自分より年上のドクターを取材したのは一度だけで、先日お会いした方は40歳になったばかりだった。

 

患者としてお医者さまに診てみらうときは、最良の治療を受けたいという弱み?もあってか、どんなに若くて可愛らしいドクターでも、まずは従順な態度をとる私。先方も医師として私に向き合うので、ヘンな表現だが「年上っぽい」。

 

でも、この仕事では取材する側と取材される側で対等(本当は診療もそうであるべきなのだけど)、社会人として敬意を払いつつ、この限られた時間を有意義に使うことにお互いが協力し合う関係だ。

 

そう、限られた時間。これが今回は、諸事情でいつもの半分ほどになると、取材直前に担当者から告げられた。そう来たか!瞬時に作戦を組み立て直す。

 

どんな方だろう。ご自分から発信したいと申し入れてきたそうだから、積極的にしゃべってくれるタイプかな。担当者も会ったことがなくわからないらしい。様子を見て、空気よみよみで(笑)進行してほしいと。もちろんそのつもり。問題は、時間がないこと。

 

で・・・
全然、積極的じゃなかった。とっても好人物なんだけど、質問してから「うーん」と考え込んで、悩んで答える人だった。時間、ないんだけど!

 

焦る思いはひた隠しにして、私は彼がしゃべりやすい雰囲気づくりに務める一方で、ノッてくれそうな話を猛スピードで探った。自分の中のありとあらゆる引き出しを引っ張り出して。

 

この方が発信したい内容を、短い時間で過不足なく聞き出したい。できればご本人の本来のキャラクターも引っ張り出したい。せっかく発信するんだもの、いいものにしましょうよ!早くしゃべって!頑張って!

 

ゆったり微笑んでふむふむと頷きながらメモを取る私。しかし、頭の中は高速フル回転だった。でも、自信はあった。それはいわゆる「年の功」なのかもしれない。

 

無事、取材が終わり、残りの撮影をしながら雑談が始まると、ドクターの表情が明るくなってきた。発言もスムーズ。口下手なのではなく、緊張していたのだ。なんだ、こんなにしゃべれるんじゃない~、と力が抜けそうだった。笑

 

「いまからもう一度、やりましょうか」なんて冗談を言い合いながら、こうしてがチガチに緊張して取材を受けてくれることも、この方の魅力なんだよな、と思っていた。そして同時に、私にならその魅力も書くことができるわ、と。そんな風に当たり前に自分を信頼できることが嬉しかった。

 

それは、プロ意識というよりも、経験値。この仕事を長年やってきたということもあるけど、それ以上に人生を長くやってきたことによる引き出しの多さへの、信頼なんじゃないかな。伊達に苦労はしてないよ。なんてね。

 

若い人たちに囲まれていると、こんな年齢でこの場にまじっていていいのだろうか、と思うことが多々ある。今の若い人たちは、私の若い頃よりも概ね真面目で、礼儀正しく、しっかりしている(気がする)。みんな優しいし、失礼なことを言われたことはないけど、本心では、自分の親みたいな年齢の私を煙たいと思うこともあるんだろうなあ。

 

IT系の話はついていけてないし、専用のシステムもなかなか使いこなせない。昭和っぽい価値観もどこか染み付いていて、足を引っ張っているかもしれない。

 

でも、人生の経験値や引き出しの多さが、仕事にプラスとなるシーンが多いのは確かなのだと、これも経験から知っている。窮地では私を勇気づける武器にもなってくれる。

 

周囲より年を取ってることに引け目を感じたり、ジェネレーションギャップに途方に暮れることもしばしばある。けれど、むしろそれを面白がっていきたいものだよね。

 

もちろん、"今"を感じ取る柔軟な心は、老け込ませてはいけないし、澄んだ視線で若い人たちから学ばせてもらう姿勢も大切にしていきたい。そこは私、素直だから。(誰に売り込み?)

 

ところで、私の同級生はあと数年で定年を迎える。そんな年になったのかと思えば、急に老後が迫ってきたようで身震いしそうだ。私の仕事には定年はないから、健康である限りリタイアせず、信頼してお声を掛けていただけるのなら死ぬまで書き続けたいと思ってはいるのだけど・・・どうなるのだろう。先のことはわからない。

 

不思議なのは、人生の終い(しまい)支度についてはよく考えてるくせに、仕事に関しては"しまう"どころか、これからもっと仕事を通して成長したいし、発展させたいと願っている自分がいること。これって矛盾してる?

 

何かを成し遂げたいなどという大それたことではなく、まだまだ面白そうなことが待っている気がしてならないのだ。変に画策したりせず、日々を、一瞬一瞬を大切にすることで、良い流れが作り出せるのではないだろうか。素敵な波乗りができるのではないだろうか。

 

かつて私を鍛えてくれた先輩各位に尋ねてみたい。「だからお前は甘いんだ!」と叱られてしまうかな?

 

川べり散歩の途中、早春の光の中。若き日の、生意気盛りの自分を懐かしく思い出している。まだ人生は続いている。

 

モリスの美学に憧れて

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引越しのときに断捨離をした。あれから約3年。新しい生活のモットーとして「シンプル&コンパクト」を掲げたせいか、あるいは容積のなさが気持ちにブレーキをかけているおかげか、再び大きな断捨離をしなくては、という状況にはまだ至っていない。

 

・・・本当だろうか。

 

冷静に見渡せば、確実に、あれからモノは増えている。増やしてしまうことに対する後ろめたさはあって、何か買うときは一応「どうしようかなー」と迷うのだけど、結果的に買ってしまっていることが多いようだ。

 

本、植物、文具、手芸品、器、キッチングッズ・・・etc.

 

補充ではなく買い足しだ。服はそれほど買っていないつもりだったが、意外と増えている。あと、雑誌の付録のトートバッグやポーチも数個、未使用のまま「いつか」の出番待ちをしている。細々としたモノたちだが、じわじわと空間を侵食している。

 

それから、モノが増えることによって定位置も怪しくなってきた。

 

引越し直後は、荷ほどきと同時にそれぞれのモノの置き場所を決めることに熱心だったのだけど、だんだん気持ちが緩んで、収納場所がいっぱいだとその辺にとりあえず一時置きしたり、違う場所にしまったりすることが増えた。引き出しやカゴに入れればひとまず目障りでなくなるので、つい。そしてそのまま忘れることも多くなり。

 

「あれどこいった?」のセリフ、最近よく言うかも。今も、おくすり手帳が見当たらず、ちょっと困っている。

 

まだいいか、とは思っていたけれど、いや、そろそろまた大掛かりな片付けをすべきなのかもしれない。ただねぇ・・・あの"祭"には結構な決意と覚悟が必要で。

 

引越しのときの断捨離について書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


近藤麻理恵さんの片付け指南本やネットの記事などで、一通りの理屈やコツは理解しているつもりなのだが、素敵にシンプルに暮らすのって「言うは易く行うは難し」なのである。

 

捨てるために「要・不要」の仕分けをするのも、処分の方法を選ぶのも、残ったものの収納場所や収納方法を考えるのも、かなりのエネルギーを要する。コンディションの良いときに、何かに触発されるなどのきっかけを得れば、ワクワクした気持ちでできるかもだけど・・・それはいつ?笑

 

ワクワクとか「ときめき」とかで言えば、片付けるときより圧倒的に、買ったりいただいたりするときの方があるのだもの、難しいよね。ただ、そのワクワクやときめきは、ホンモノであり持続するのか?という視点を持つことだけは、モノを入手するとき、忘れずにいたいと強く思う。

 

ところで先日、新聞販売店さんからチケットをもらったので「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」を鑑賞してきたのだが、これがとても良かった。

 

ウィリアム・モリス(1834-96)
19世紀後半のイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」を牽引したデザイナー、詩人、思想家、工芸家

 

ウィリアム・モリスのデザインが昔から好きで(特に《いちご泥棒》)、さすがに壁紙という訳にはいかないけれど、布や小物をよく買っていた。新聞社勤務時代、社の主催した展覧会で、モリスを中心とするアーツ&クラフツ運動を紹介するというものがあり、その仕事に携われたことが今も嬉しく思い出される。より深く、モリスの美学を感じることができたから。

 


 役にたたないもの、
 美しいと思わないものを、
 家に置いてはならない。

 HAVE NOTHING IN YOUR HOUSES
 THAT YOU DO NOT KNOW TO BE
 USEFUL OR BELIEVE TO BE BEAUTIFUL.

                WILLIAM MORRIS

 


これだ。
私、ここを目指す!

 

心で叫んだなあ、当時。
あまりに有名なモリスの言葉ではあるが、改めて自分の理想を見た思いがして、清々しく潔く暮らす(生きる)ための道標にしようと決めたのだった。

 

今回の壁紙展も、副題に「美しい生活をもとめて」とある。自分の思うところの"美しい生活"をもとめていきたい。

 

モリスのようには、手仕事の素晴らしさを感じさせ自然美を讃えるような作品ばかりを収集できないし、ましてやデザインすることなんてできないけど、そういう精神に近づきたいということなのだ。

 

人によって、役に立つものも違うし、美しさの判断も変わるものだし。モリスの美学を投影した私の美意識を、判断基準とすればいい。

 

そんな思いを持ち帰り、家を見渡せば・・・。
自分の基準に変えても、役に立たないもの美しくないものの、なんて多いこと。笑

 

今は使っていなくてもすごく愛着があったり、美しくなくても大切な思い出があったり。そういうモノは捨てなくていいと、私は思っている。それは私にとって、役に立つものだから。

 

問題は、もう要らないと思っていて、捨てよう捨てようと先延ばしにしていたら、思いの外、役立つときがきてしまい、捨てなくて良かった!という経験があることなんだよね。だから、迷う。高いお金出して買ったものだったりすると、余計に。

 

でも、それにしても、そういうのって、カッコ悪い気がする。生き方から考えれば、私の理想とは程遠いのでは・・・。

 

清々しく潔く生きたいんだよね?と自分に問いかける。自分が美しいと思うものだけに囲まれて暮らしたいんだよね?モリスの精神、美学に憧れてるんでしょ?と畳みかける。

 

うーーーん!
さあ、断捨離しようかなっ!
ちょっと「触発」されたみたい。頑張れそうな気がしてきた。
あとは・・・コンディションだね!(逃げ道を残す)

 

断捨離は、取り掛かる前から精神鍛錬だとつくづく思う。だからこそ、"人生を整える"手段のひとつになり得るのかなあ。

 

虎にマーブルチョコレート

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遠く離れて暮らす老親問題。最近、雑誌や書籍の広告などでよく見かけるテーマだ。多くの人が抱えている問題なのかな。それとも自分が気にしていることだから、目に飛び込んでくるのだろうか。

 

私と弟も、そろそろ今後のことを話し合うべき時期だねと思いつつ先回しにしていたところ、ついに主に父の要望で小さな家族会議をすることになり、先日、実家に集合した。

 

やはりテーマがテーマなので、楽しい帰省ではなく、はっきり言って気が重かった。

 

かかりつけ医や病歴を訊き、健康保険証、障がい者手帳や年金手帳、通帳などの保管場所を尋ねる、くらいはまだ良いが、どんな最期の迎え方がしたいか、脳死状態での経管栄養や人工呼吸での延命措置を望むか、危篤時は誰に知らせてほしいかなど、「そのとき」を意識せざるを得ない話になってくると、気分が悪くなってきた。

 

私が作っていった簡単なレジュメには、その先に「先立たれたとき」の話もある。両親のどちらかが先に逝ったとき、残された者として自宅にひとりで住みたいか、子と同居したいか、他の手段を望むか、という話だ。そこまでは、当日に聞き取らなくても良いと思っていた。考えておいてね、という項目だったし、そういう表現もしてあった。

 

淡々と真面目に答えたりメモを取ったりする母。なるべく明るいムードで事を進めようとする弟。しかし、この集まりを一番強く求めていた父の様子がどこか変だ。すぐに話を脱線させる。今日はここまでにしよう、みたいなニュアンスに持って行く。そして、努めて冷静でいようとしていた私は、実はすごくイライラしていた。

 

私だって気分が悪いよ。こんな話は楽しくないし、むしろ辛いし。でも、しておかなきゃいけないって、自分で言って私たちを集めたんでしょ。

 

しかし、諦めた。父は軽く感情障害を起こしているのかもしれない。そして多分、私も。やっぱり、一度に全部をテーブルに乗っけるのは、乱暴だったのだ。

 

その晩、お酒が入ると私と父は衝突した。久しぶりの親子喧嘩。86歳になっても、あんなに大きな声で怒鳴れるんだね。そして私も、いいトシしてまあ・・・

 

私は自分の中に一匹の虎がいることを知っている。それを飼い慣らし飼い慣らし生きてきた。穏やかな人間でいたかった。しかし、胸の奥に潜むその虎の存在が、自分が弱ったときに支えにもなってくれたのは確かだ。

 

その虎が暴れた。私の抑えを振り払って、父に吠えた。そしてその虎は、他ならぬ父譲りなのだ。思春期の頃のように取っ組み合いこそしなかったけれど、かなりの暴言を吐いた・・・と思う。

 

やってしまったな。疲労感だけが残り、もうこれはどうしようもないのだと、自分に言い聞かせる。自分の中にある、ずっと抑え込んできた粗野で荒ぶる性質が、思いがけず表出してしまったことにショックを受け、脱力している。虎は・・・奥の方でシュンとしている。時々、まだちょっと唸りながら。

 


「お前はマーブルチョコが好きだったなあ」

 

昔、私と娘たちとコンビニに行ったとき、父が私にそう言ったことがある。孫娘たちにお菓子を買ってあげようとしているときだ。

 

「そうなんだ。私はマーブルチョコが好きだったんだ」

 

小粒でカラフルでツヤツヤしている。可愛いし、なんとなく夢がある・・・マーブルチョコレートのことは確かに好きだわ、私。

 

それから時々、自分のためにマーブルチョコを買ってきた。父が目を細めて、幼い私を語ってくれた顔を思い出して。

 


自分に孫ができてわかったことがある。人は「子どもより孫の方がずっと可愛い」と言うけれど、そんなことはない。もちろん孫は可愛いけれど、私は孫娘を見るたび娘たちの幼い頃を思い出し、世界で一番可愛いのは我が娘たちだと思うのだ。

 

決して仲が悪いわけじゃなくて、むしろ昔から愛情が濃すぎるきらいがある、父と私。威張りん坊の昭和一桁生まれの父親に、若い頃の私はずいぶん反発したものだった。でも成人してからはずっと穏やかな関係が続いていたのにね。どうしちゃったんだろう。

 

衰えていく親を、帰省の度に見るのは切ない。そしてついには、お別れのときを意識しなければいけなくなったのかと、年齢を考えれば当たり前のことなのに動揺してしまう自分がいる。

 

あんなに強かったのに。
あんなに私にアドバイスしてくれたのに。
あんなに格好良くて自慢のお父さんだったのに。

 

そんな風に思ってしまってはいけないんだろうけど、小さな失望が積み重なっていくのが哀しい。それは、老いてなお威圧的な態度を取る父を攻撃してしまう、言い訳にはならないけど。もっと、大人の対応ができる私のはずだったのに。(本当かなあ)

 


家族会議第2弾は3月に行われる予定。ゆっくり作戦を練り、今度は慎重に虎をなだめておこうと思う。


そうだね、時々、マーブルチョコレートを与えながらね。

 

あるHSPの小さな誓い―これからは睡眠ファーストで

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松の内も明け(関西地方では15日までのようですね)お正月の気配が薄まり、気がつけば日常が動き出している。新しい年を健康に、順調にスタートできたことに感謝したい。

 

年末、苦しめられていた難聴が治った。耳鼻科クリニックで処方されたリンパの流れを良くする薬が効いたのか、ドクターに言われたように「疲れ」「ストレス」「睡眠不足」を避けようと意識して生活したのが良かったのか。とにかくひとまず、耳鼻科通いから解放されることになった。

 

プールで耳に水が入ったときのような、耳が詰まった感じ。もしくは高層ビルのエレベーターに乗ったときに感じる耳の違和感が唾を飲み込んでも治らない状態。それがずっと何日も続いた。だんだん耳鳴りも大きくなって人の声が聴きづらくなってきた。ひどいときには頭全体に強い圧迫感があり、生活に支障をきたすくらいのしんどさとなった。

 

最初の違和感から1カ月以上たち、さすがにこれはマズイかもと思って受診した私。ドクターは、検査の後にこう言った。

 

「症状が強くなったのが数日前からであっても、病気は1カ月以上前に始まっていたのです。もっと早く来るべきでした。これ以上進行しないように、少しでも聴力を取り戻せるように、これから治療していきましょう」

 

え?少しでもって?
すぐに治ると思っていたので、ショックだった。「もしかしたら治らないかも?それどころか、どんどん聴こえなくなっていくのかも?」と怖くなった。

 

はっきりとした原因は不明。疲れやストレス、睡眠不足が引き金になりやすい。これらをなるべく避けるようにし、自律神経のバランスが崩れないようにすることが対処となり予防となる、といったようなことを言われた。

 

冷たい水を飲み、深呼吸。落ち着いて、自分の暮らしを振り返ってみた。

 

私は現在、それほどまでに疲れやストレスを感じる生活はしていないと思う。かつてかなり悲惨な時期があったので、それと比べたら本当に今はぬるま湯だ。それでももちろん、今だって悩みはいろいろあるし、考えないようにしているけど先のことはやはり不安だらけだ。それがストレスになっている?でもそんなの、みんな、そうでしょう?

 

ただ、自分の気質としてHSP(Highly Sensitive Persons)を自覚している私。生きづらさを軽減していくよう普段から自分をケアすることに気を付けてきたつもりだが、もしかしたらケアが足りなかったのかもしれない、とは思った。

 

HSPについては以前いくつか書いている。最初に書いたのがこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 

※こちら↓のサイトで、HSPであるかどうかのセルフテストができます。
The Highly Sensitive Person


年末年始のイレギュラーな日々が負担で「早くお正月が過ぎちゃわないかなあ」と口にしたら、休暇に入ったばかりの夫が冗談めかして「あ、邪魔ですか?」「早く会社に行けばいいのにって?」と笑った。

 

いや、私はひとりのときはひとりを、二人のときは二人を、三人のときは三人を、楽しんでいる。ひとりのときも好きだし、誰かと一緒の時間も好きだ。だから、そういうことじゃない。ちょっと、手狭でうっとおしく思うときもあるにはあるけどさ。笑

 

私が負担なのは、年内にこれこれを終わらせなければいけない、そのために天気を気にしたり、ゴミ出し最終日に間に合わせるために整理整頓のスケジュールを考えたり、普段と違う買い物の段取りをしたり、そういったワサワサした雰囲気だ。何をしてても「こんなことしてる場合だっけ?」と、常に追い立てられてるような気分だ。

 

多分、12月に入る前から私、そうなることが憂鬱だった。ギリギリで焦らなくて済むように、早い段階から窓磨きやカーテン洗いもした。それは良かったのだけど、早い段階から年末のてんやわんやを意識することで、気持ちが早々に疲れ始めていた。

 

HSPって、そういうところがある。私はあの時期、普段以上に自分のケアをしなくてはいけなかった。

 

耳鼻科で2回目の診察を受けたのが12月17日。この日が一番症状が重かった気がする。頭の中の騒音で周囲の音がよく聴こえず、自転車に乗ることさえ怖かった。が、それから1週間後のクリスマスイブ。朝、あの騒音がおさまり、頭部の圧迫感が薄れていることに気づいたのだった。

 

Lineで友人たちが話を聞いて心配し、気遣ってくれたこと、私の睡眠時間確保に家族が協力してくれたこと。この二つが大きかったのだと思う。愛を感じて、心が安らいだ。

 

「たっぷり眠ったな」と思える日が続き、27日の診察のときにはドクターも感心するほど回復していた。疲れで内耳に水ぶくれが出来てたのが、引いてきたのだろうと。(そういうことってあるの?)

 

そして無事、年が越せた。小さな耳鳴りは今もしているが、あの辛さや不快感はない。

 

治らないかもしれないと思っていたので、本当に嬉しい。耳が聴こえることの有難さを噛みしめる毎日だ。また、睡眠の大切さも身に染みて感じている。睡眠は本当に大事。質も、時間も。

 

思えば、睡眠時間は私の中で優先順位が低かった。これまでかなり冷遇していたかもしれない。

 

これとそれを片付けてから。
ここまで読んでから。

 

そんな風に、眠いくせになかなかベッドに行かなかった私。だって、やることいっぱいあるんだもん!と何かに怒るかのように。

 

でも、自律神経が悲鳴をあげると知った今、もうそんなこと、言っていられない。自分の健康と明日のパフォーマンスのために、とにかく眠る時間をこれからも確保しようと思う。睡眠時間を守る(と言ったって私の場合6時間くらいね)ことを第一に、日中の時間配分や作業計画を見直そう!

 

仕事も、趣味も、勉強も、家事も。無理をしないで楽しく頑張りたいね。そして、疲れたりストレスを感じたら、溜め込む前にちゃんとセルフケアをしよう。疲れやストレスのない暮らしは現代人にはまず無理だと思うけど、軽減したりケアしたりすることはできるはずだから。そのためにも、睡眠は大きく役立つ。

 

今月後半は、実家でプチ家族会議があるし、インタビューの仕事も入っている。コンディションを整えておくことも大人のマナーだ。ちゃんと寝るぞ!笑

 

ところで。
早く寝ることを意識して数週間がたつが、肌の調子がとても良くなってきた。実は期待していたのだけど(そりゃあね)、嬉しい付加価値♡ということで、書き添えておきたい。

 

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小さな炎の優しい揺らぎ―西城秀樹さんを想いながら

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12月も後半になり、気のせいか足早に歩く人が目立つ。我が家の勤め人たちもますます忙しそう。出張やら残業やら忘年会やらが続き、私は一人で過ごす夜が増えた。

 

先日、テイクアウトの握り寿司とスパークリングワインで、簡単に一人ごはんを済ませようとしたときのこと。ふと思いついて、キャンドルに火を灯してみた。

 

あら、いい感じ。
一気に侘しさは吹き飛び、温かみのある食卓に変わった。

 

何かで「キャンドルを灯せばたちまちヒュッゲな空間になる」といった文章を読んだことがあるが、その通りだ。

 

ヒュッゲ(Hygge)とは、デンマーク語で「居心地の良い時間や空間」といった意味合いを持つ幸福概念。私は何故か、寒くなってくるとこの言葉を思い出す。

 

ヒュッゲについて以前書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


キャンドルって、なかなか良い。テーブルで小さな炎が揺れているのは優し気で、ちょっと幻想的。幼い頃に読んだ『マッチ売りの少女』を思い出したりする。

 

あのお話はとてもとても可哀そうなのだけど、マッチの小さな炎の向こうに大好きなおばあさんが現れて少女を抱きしめてくれるシーンがロマンチックで、アンデルセン童話の中でも特に好きな作品だ。

 

マッチも見なくなったけど、キャンドルも近年はLEDのものが増えてきたようだ。小さい子がいる家ならその方が安全。でも、原始的な「火」は人の心を動かすよね。

 

私は「囲炉裏」体験はないけれど、子どもの頃、焚火にあたったことがある。それから、キャンプファイヤー。不思議なことに、ワクワクする一方で厳粛な気持ちにもなり、いつまでも飽きずに見つめていられた。傍にいる人との一体感を、心地よく感じていた。

 

小さな炎の揺らめく光の中で、一人の食事が少し華やぐ。でも、やっぱりスマートフォンを手にしてしまう私。最近の私は「ヒデキファン」のつぶやきを拾うのがとても楽しみなのだ。(突然、HIDEKI!)

 

先週のことだった。このブログで以前書いた記事を、ある方がツイッターで好意的に紹介してくれたことを知った。リツィートが繰り返され、ブログのアクセス数が飛び上がった。ツイッターでは、たくさんの方がとても素敵な感想とともにフォローを申し込んでくださった。びっくりして、ちょっと焦ったけれど、皆さんのその「ヒデキ愛」に感動した数日だった。

 

3カ月も前の記事を、ネットの海から見つけ出して読んでくださってありがとう!「これ読んでみて」と紹介してくださってありがとう!ブーメラン組のひ弱なファンである私に、温かく優しい言葉をかけてくださってありがとう!そして、西城秀樹さんへのそれぞれの想いを熱く語ってくださって、共感したと涙してくださって、どうもありがとう!

 

その幸せな記事は、こちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


なんだか最近はますます涙腺がゆるくなって、HIDEKIに関する思い出話や昔の映像を見せてもらうと、キャハハと笑った後にベソベソと泣いている。「可愛いね」「かっこいいね」「お茶目だね」と目尻を下げ、その後「こんな天使みたいな人がもういないなんて」とこみ上げてしまうのだ。同じ思いをしている人がたくさんいるのだと知ってからは、また違う涙が加わって。・・・あったかい♡

 

と、ハッシュタグの「#いつも心にヒデキを」に目が留まった。調べてみると、TSSテレビ新広島が2005年、開局30周年キャンペーンで用いたキャッチコピーらしい。

 

西城さんの故郷は広島。当時のCMの動画を見ると、50歳くらいのHIDEKIがブーメランを投げて元気のないサラリーマンを励ましている。あの大スターが、キャンペーンを盛り上げるために、故郷のために、こんな風に一肌脱いだんだね。

 

それにしても、いつも心にヒデキをって。・・・なんてステキなんだろう!
いつもあなたは、私の心にいるよ、という意味とともに、いつもあなたのようなハートでいられるように頑張るね、という意味にもとれる。

 

HIDEKIのようなハート?
常に前向き。プラス思考。人を悪く言わない。家族や友人を大事にする。大好きな音楽とともに生きる。いつだって努力をする。愛するファンを喜ばせたいから、大好きな音楽の世界をみんなに知ってほしいから・・・
だめだ。また泣けてきた。

 

西城秀樹さんの音楽活動については、ライターの宮内健さんの書いたこの記事が端的で好き。単なるアイドルではない、HIDEKIのロッカーとしてのピュアなハートとスターとしての偉大な功績が、もっと広く伝わってほしい。

想いは流れ、広がっていく。心はさざ波を立てながらも、優しさへと落ち着く気がする。ヒュッゲな時間は、5分でも1時間でも生活に採り入れられたら、と思う。ふんわり心豊かになれそうで。一人のときも、大切な人と過ごすときも。

 

マッチ売りの少女の話に戻る。
可哀そうな少女だけど、ただ一人自分を大切にしてくれたおばあさんに会えて、最期は幸せだったかな。幸せな気持ちだったらいいな。
そして、つい思ってしまう。HIDEKIはどうだったの・・・?

 

ああ。キャンドルの小さな炎の向こうに、幻影でもいいからHIDEKIが現れてくれないかな。

 

「でも、ごめん。まだそちらには行けません。
抱きしめてもらうのは大歓迎だけど。(おい!)
もう少し、こちらの世界で自分のミッションを果たそうと思います」

 

そんな風にHIDEKIに向けて、つぶやいたりしてね。やれやれと言われそうだね。(笑)

 

諸々弱いところの多い私だが、「いつも心にヒデキを。」をキャッチフレーズに、この後まだ少し続くであろう人生を、日常を、素敵に生きていけたら、と願っている。

 

素敵なモノに出会えるかな?―藤が丘マルシェ early bird

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今年こそ、“師走のせわしなさ”に巻き込まれない!と心に決めていたのに、やっぱり焦燥感から逃れられないでいる。心にゆとりのある大晦日を迎えるために、早め早めに年内に済ませるべきタスクをやっつけてきたつもりだった。それなのに次から次へと増えていくタスク。ああ!

 

・・・言い訳はいろいろできるけど、まあ、やめておこう。まだ、20日あるし!ね。

 

週末、最寄り駅そばの「藤が丘マルシェ early bird」をのぞいてきた。年に数度開かれる小規模マルシェだけど、近隣のお洒落なお店が集まってちょっと良い雰囲気。お目当てがなくても、開催を知れば様子を見たくなってしまうので、ほぼ毎回行っているのじゃないかな、私。

 

2年前に初めて行ったときに書いたのが、こちらの記事。

tsukikana.hatenablog.com


正直に言うと、ここ何回かは前ほど面白さを感じなくなっていたのだった。私が見慣れてしまったせいなのか、出店側の内容が代わり映えしないせいのか、なんとなく物足りない。

 

でも、今回は私の好きな「北の住まい設計社」が初出店すると聞いたことと、師走の慌ただしい日常から逃れホリデーシーズンのキラキラした雰囲気に触れたくて、やっぱり出向いてしまった。

 

繁華街の喧騒が苦手なので、近場でセンスの良いものを見られてホンワカした華やぎも感じられるのは、私にはとてもありがたい。

 

今回は9時前に到着したのだけど、「コハルベーグル」さんには既に長い行列。相変わらずの人気だ。ここのベーグルがとっても美味しいのはちゃんとわかっているが、今回はパスして、ざっとお店を見渡す。

 

一目ぼれしたソックスは2160円とお高かったが、その値段に見合う素材とデザインだと納得し、母に贈ろうと買い求めた。とにかく、素敵で気に入ったから。

 

一期一会を感じられるのも、マルシェの醍醐味だろう。これまで訪れた中で、悩んだ末、買うのをやめたモノたちを思い出してしまう。とってもカッコよかった植木鉢とか、編み目とフォルムが抜群に美しかったカゴとか。

 

買っておけば良かったかな。次、があることの方が珍しいのが、マルシェなんだよね。判断力が試される、と言ったら大袈裟か?

 

春、夏、秋、冬。このマルシェを見てきたが、やっぱりクリスマスの時期が一番ステキだと思う。

 

プレゼントしたい、されたいモノたちがたくさん並び、ディスプレイにも力が入っていて見応えがある。特設の一日限りの会場で、こういう見せ方ができるのかと、家のインテリアの参考にもなりそう。そこここにあしらわれた小さなサンタクロースやトナカイに、何度もホッコリする。

 

特にお値打ち品が並ぶというわけでもないこういうマルシェが、「良いものとの出会い」を求めるお客さんたちで朝から賑わうということが、なんとなく嬉しい。その様子を見たくて、出向こうと思うのかもしれない。

 

次の開催日はいつ頃決まるのかな。もう少し頻度が高いといいのにな。出店はどのような基準で、どのような手続きで決まっていくのかな。仕掛け人はどんな人なのかな。などと、興味は膨らんでいく。

 

今日は耳鼻科へ行くために、また駅前に行った。マルシェの会場だった広場は、もちろんガランとしていた。当たり前じゃん、と思いつつ夢から覚めた気分で、ちょっとだけ体感温度が下がった。

 

それにしても、膝が治ってきたと思ったら、今度は耳。難聴。神経から来ていると考えられるけどはっきりした原因は不明であるという診断で、ひとまず薬を飲んで様子を見ることに。疲れとストレスと睡眠不足を避けて、と言われた・・・。

 

うーん。でも凹んでいられないよね!
12月、やること、いっぱい!

 

常識にとらわれず、自由に刺しゅうをしてみたい

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久し振りに刺しゅう針を持った。刺したのは、ずっと気になっていたatsumiさんのデザインだ。正確に言うと、atsumiさんのデザインを真似してみたもの。

 

NHKの「すてきにハンドメイド」で作品を見て、是非この図案を刺してみたい!と思ってから約半年。インスタグラムで、arsumiさん始め多くの刺しゅう作家さんや愛好家の方たちの作品を拝見し、刺激をいただき続け、意欲だけは高まっていた私だ。実行できないまま時間ばかりが過ぎていったのだけど……。

 

ついに先日、録画しておいた番組を再生し、よし!と実行に移す。なーんて大層な感じだが、小さなアルファベットひとつを刺し、ブローチに仕立てただけ。それでも、やっぱり刺しゅうは楽しく、こうして実行できたということは喜ばしい。

 

ところで今回、録画したものを一時停止したり巻き戻したりして、自分でも意外なほど熱心に見た。これまでは作家さんの図案集から選び、トレースし、出来上がり写真を見ながら刺していたのだが、作業する手元までアップでゆっくり見せてもらえるというのは、こんなにもわかりやすいものなのね。テレビってすごい。録画再生で確認できるというメリットを、目いっぱい活かせた感じ。録っておいて良かった。

 

ワークショップやカルチャー教室で教えてもらうのであったら、多分、私はたくさん先生に質問してしまうタイプの生徒だろう。思えば「これは、こうでいいのかな?」とつぶやき「ま、いいんじゃないかな」と自分に返事しながら、でもどこか釈然としないまま、いつも進めてきた気がする。本の情報量の限界を知る。

 

先生について何かを習う、ということを随分していない。病気をして人と会うのがちょっと怖くなってからかな。特に初対面の人とコミュニケーションをとらなければならない、というのが、仕事以外だと苦痛に感じるようになってしまった。以前はわりと、得意分野だったのだけどね、そういうの。楽しかったし。

 

病気は治ったとはいえ、昔のようには戻れていないなあ、と思い至り、ふと寂しさを感じる。でも、一人でいること自体は別に寂しくはないし、やることもいろいろあり忙しくしているから、普段は自分の対人スキルの変化についてあまり考えることはしない。

 

ただ、テレビ番組などで手芸や料理の先生を見ていて、この先生の話し方や雰囲気は好きだなあとか、こういう先生の教室だったらちょっと行ってみたいなあとか、リラックスして楽しめるかもしれないなあとか、思わないこともない。もう少し、なのかもしれない。

 

テレビで見たatsumiさんも穏やかな雰囲気が漂う方で、作品とともにお人柄も魅力的なのだろうな、と思った。ステッチのコツを教えてくれるその声も、落ち着いていて優しく、心地よかった。

 

さて、肝心の作品だ。番組では、俳優の宮崎あおいさんがatsumiさんの刺しゅうの大ファンだということで、コメントを寄せており、「色使いが特別」「抜群にデザインが可愛い」と絶賛していた。確かに、甘くラブリーに思われがちな刺しゅうのイメージがガラッと変わる作風だと思う。特にエンブレムなどは本当にかっこいい。

 

今回の作品は初心者でもトライしやすい、シンプルなアルファベット。ステッチも「コーチング・ステッチ」「コーチドトレリス・ステッチ」「フレンチノット・ステッチ」「サテン・ステッチ」の4つだけ。チャーミングなデザインで、妙に心惹かれる。

 

刺し方の基本の部分では、最初に玉止めを作って糸端を短く切ってから挿し始める、というところが、私には新鮮だった。糸端は10センチほど残しておいて、後で針に通して糸始末をする、というのが常識だと思っていたから。

 

そうか、常識にとらわれなくていいんだ。

 

その気づきが、番組を見ての一番の収穫だったかもしれない。ここ数年の私の大好きワードである「自由」が、心の水面下からプカッと浮かび上がり光り輝いた。こうあるべき、こうしなくてはいけない、という思いに、意外と根深く絡めとられていたのではないかな、私って。刺しゅうの刺し始め、に限らず。

 

また、今回は手元に図案がなかったので、画面を見ながら自分でデザインを描き取るということをした。斜線の角度とか、文字の大きさに対する線の太さのバランスとか、かなりアバウトだ。自分が「こんな感じがいい」と思う感覚を優先してみたのだが、そういうのも気持ちが良かった。

 

デザインはあくまでも参考にして、自分の直感や好みを作品づくりに反映させていくという楽しさ。正解を追い求め過ぎない気楽さ。なんだか、ひとつ前進できたような気がする。気のせいかな?

 

さて。小さな作品がひとつ生まれると、すぐに次を作りたくなる私。そうしてまた、取り掛かりまでに時を要してしまうのかもしれないけど。

 

桜井一恵さん、青木和子さん、シライカズミさん、atsumiさんと、これまで好きな作家さんの図案を楽しんできた。手元の図案集の中には刺してみたいものがまだたくさんある。でもそろそろ、自分で自由にデザインし、刺してみるのもいいかな、とも思い始めている私。

 

・・・「自由」って、ちょっと勇気がいるけどね。

 

会いたいね。そうだ京都、行っちゃう?

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秋の京都へ行って来た。関東に住む友から「この日、会えない?」と誘われたのが、その日の12日前。旅行というのは随分前から計画しなければならないものと思い込んでいたが、今回、パタパタと決まっていった。

 

旅行しない?いつにする?どこに行く?から始めていくと、なかなか決まりづらいけど、日にちや場所の縛りがあると、案外まとまっていきやすいのかもしれない。LINEのおかげもある。グループ間の相談が早い。便利な時代になったものだ。

 

メンバーは、この春、伊勢志摩へ行った4人のうちの3人。1人は残念ながら仕事で都合つかず。うーん、急だったものね、ごめんね。4人揃っての旅はまた近いうちに実現しようね!

 

本当に、この忙しい人たちと1年の間に2回も一緒に旅ができるなんて、思いもよらなかったよ。

 

みんな、住む地方がバラバラなので、集合場所は悩みどころ。今回はあまり時間もないので駅上のホテルをとり、ロビーに集まった。その場で荷物を預かってもらって、すぐに出発。コインロッカー要らず。効率が良くて、これは正解だった。

 

京都はこれまで何度か行ったはずだが、あまり記憶に刻まれていない。修学旅行とか出張の仕事後とか、駆け足でちょっと見てきたくらいで、旅らしい思い出がないのだ。ちゃんとした京都旅は、だから私、これが初めてだと言える。

 

しかし、京都って果てしないね。さすがは世界屈指の観光地、見どころ多すぎ!

 

京都は何度も来ているTちゃん@関西在住 が「どこへ行きたい?」と聞いてくれるが、選ぶの難しい~!ネットや「ことりっぷ」を見て候補を挙げ、絞っていくのに苦労した。

 

私たちの年齢や体力を考え、「休憩多めに」「長い階段は敬遠して」などと、ちょっと弱気なところが情けないけど、翌日から仕事や介護に忙しい日常が待っているのだから、そこは慎重にならざるを得ない。膝やら腰やらを庇いながら、無理のないコース設定を考える。

 

でも、絶対楽しい旅にするわ!
そこは譲らない。顔を上げてにこやかに歩く、あくまでも明るい私たちだ。

 

まずは嵐山へ向かった。でも、鉄道路線図をちょっと見間違えて、山陰本線の保津峡駅まで行ってしまう。いきなりこれか?と焦ったけど、駅のホーム(鉄橋の上)から見下ろす保津川の美しさに息をのむ。京都駅から20分でこんな絶景になるなんて、京都ってなんて良い所なんだろう。

 

「いいじゃん!間違えて正解♪」と写真を撮って、機嫌よく嵯峨嵐山駅に戻る、性格の良い私たちだった。(能天気?)

 

トロッコ列車に乗ってみたかったけれど、3時間くらい待たないと空席がないとのことで諦め、竹林の道を歩いて天龍寺へ向かう。

 

観光客の多さは想像以上だった。平日でこれなら、週末はどうなってしまうのか。外国の人が半数くらいだろうか。聞いたことのない言語があちらこちらで飛び交っていた。

 

初めての天龍寺。水面に映る色づき始めた紅葉。庭園の池を眺めながら、大方丈の回廊に足を伸ばし、しばし休憩した。午後の光が優しい。ずっと眺めていたくなる、本当に素敵なお庭だった。

 

さて、遅めのランチを、と通りに出て店を探したが、どこも満員。お漬物屋さんで京漬物寿司を買って、桂川のほとりでいただくことにした。渡月橋を仰ぎ見ながらの缶ビールも乙なもので!川面を吹く風が心地よい。

 

そろそろ日も暮れかけたので、バスで永観堂禅林寺へ行くことにした。目的地最寄りの停留所は東天王町。そこまで1本で行けるバスを調べて教えてくれた、嵐山バス停前のお店のお嬢さん、本当にありがとう!京都は親切な方が多いのね。

 

洛東屈指の紅葉の名所という永観堂は、ライトアップが始まっていた。広い境内全体が幻想的な雰囲気。照明に浮かび上がる紅葉ももちろん綺麗だったが、ご本尊の「みかえり阿弥陀」のお顔の美しさといったら。一同ウットリ見とれていた。混み具合も程よい感じで、落ち着いて参拝できたことがとても嬉しい。

 

夕食はホテル近くの京野菜のお店でいただき、ホテルではやはりおしゃべりに花が咲いて、翌朝は睡眠不足でスタート。でも、急遽予約したホテルグランヴィアのお部屋はとても居心地が良くて、ベッドも持って帰りたいくらい(笑)快適だったので、疲労はわりと回復していた。

 ※後で調べたらベッドはシモンズ社製、マットレスパッドはエアウィーヴだった。

 

駅前のバスロータリーから下鴨神社へ向かった。背の高い原生林が広がっている。これが噂の「糺(ただす)の森」。確かに厳かで、とても清らかな「気」を感じる。木々の間から漏れる光にも、空気にも、何か特別な粒子があるのか、胸の奥深くまできれいなものが染みわたり心が洗われるようだった。

 

鴨川と高野川が合流するあたりの橋を渡り、「鴨川って本当に素敵な川だよね」と、しばし佇む。ちょうどお昼になったので、近くの商店街の横丁にあった可愛らしいカフェでランチ。この後、歩いて京都御所へ向かったのだけど・・・。

 

京都御所、広い!Yちゃんの友人は、ここを犬の散歩コースにしていると言う。優雅だけど、広大過ぎて大変だよね、きっと。体力も尽きてきたしタイムリミットも近づいてきたので、京都駅に戻ることに。

 

またまた市バスを使った。京都はバスに詳しくなると移動が楽なんだろうな、と思う。次に来るまでに、もっとバス路線の知識を入れておきたい。

 

市バスは一律230円でお得感があったが、一日乗車券カードというのが600円で買えるそうなので、3回以上乗るなら、その方が割安。今回は両日とも2回の乗車だったし、交通系ICカードがラクだったから良いのだけどね。

 

京都駅で、在来線に乗るTちゃんと別れて、新幹線のぞみに乗り込む。Yちゃんも私も、笑っちゃうくらい疲れていて、座席に着くなり二人でふくらはぎのマッサージを始めた。こういうケアは、早い方が良いのだ。

 

それにしても、3年前にみんなで軽井沢に行ったときよりも、認めたくないが、確実にからだは衰えている。歩くことには自信があった私も、この夏からの膝の不調が不安だった。2日間、不思議なくらい痛まなかったのは助かったけれど。

 

楽しい旅を終えて戻る日常は、みんな、なかなかにハードだ。勤めも介護もない私が一番お気楽だけど、それなりに不在中の用事が山盛りになって待っている。ちょっと心配事もあったし。

 

旅は、年を重ねるほどに疲労が残る。帰ってからのパフォーマンスが落ちそうな怖さもある。それでも、出かけたくなるのは、やはり心に光と風が入り、パワーをもらえるからだろう。気の置けない友人となら、なおさら。本当に、今回もよく笑ったね。よく話したね。

 

思えば、出会ってもう37年になる私たち。ここ数年は毎日のようにLINEでおしゃべりもしていて、お互いに応援していて、泣いたり笑ったり。なんだかもう、家族みたいになっている。こんな風に続く友情を得られたことに感謝したいし、これからも大切にしたい。

 

一番しっかり者のMちゃんが不参加だったので、いつも以上に珍道中となってしまった私たちの今回の旅。結構、行き当たりばったりだったかな。でも、ふり返ればいろいろ正解だったし、ラッキーだったと感じている。今度は4人揃って、またどこかへ旅に出ようね。

 

そのためにも、もう少し体力をつけたい。よし、今日から筋トレとストレッチを頑張ろう!


 私たちの旅↓

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「秘密」をウニヒピリに告白する?―ホ・オポノポノ手帳2019

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ついこの間まで、暑い暑いと嘆いていたのに、急に朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。少しづつ木々も色づき、空は日に日に高くなる。

 

明日からは11月。そろそろ新しい年を迎える準備もしておきたい時期だ。そう、カレンダーとか手帳とか…。

 

手帳は、私はホ・オポノポノ手帳を愛用。もうすっかり生活に欠かせないものとなっている。スケジュールを入れたり、簡単なToDoリストを書き込んだり、思い付いたアイディアや気になる言葉をメモしたり。そして、ちょっとした日記帳代わりにも使っている。

 

その辺りの使い方としては、他の手帳でも同様かとは思う。ただ、この手帳には月間スケジュールの下欄や、週間スケジュールの毎週月曜日の横と月2回右上部に、ホ・オポノポノの素敵なメッセージが記されている。

 

翻訳だからか、抽象的な表現に戸惑うことも実のところあるのだが、タイムリーに欲しい言葉に出合えることも多く、日々、ポノを実践していく支えとなってくれる。また、クリーニングをつい忘れてしまいがちなので、手帳を開くたびに目にして、思い出せるのもありがたい。

 

このメッセージと、巻末の著者対談、そして、書いてちぎって捨てられる「今日のクリーニング」欄があることが、私がこの手帳を使い続けている大きな理由だ。

 

四六版は、手帳としては大きめな方かな。私は今、外勤めではないので、手帳を持ち歩くことはほとんどない。でも、家の中、リビングと仕事机の間を、私と共に移動している。つまり、ほとんどいつも一緒にいるのだ。今、そこに気づいてちょっと驚いている。多分、これまでの手帳ではそんなことはなかった。

 

机の片隅に、ポノに出会う前に購入した2015年の手帳(アフタヌーン・ティーのもの)があったので、どんな風に使っていたのかとパラパラめくってみた。毎日ではないが、やはりその日にあったことや感じたことを書き留める使い方をしていた。今と比べてすごくまばらだけど。そして・・・見てしまった!

 

あららー・・・
この年は我が家の危機があり、私自身の大ピンチがあり。で、とてもとても辛い叫びが記されていた。ここにはとても書けないような。

 

ちょっと、いや、かなり衝撃を受けた。自分で書いた言葉なのに、ショックで涙が出そうだった。

 

もちろん、すぐにその感情に向けて四つの言葉をつぶやく。きっとクリーニングするために、今、ウニヒピリが見せてくれたのだろう。ありがとね、ウニ。

 

ああびっくりした。それにしても、この辛い時期をよく乗り越えられたな、と改めて思う。3年前・・・ポノを始めようかな、と思った頃だ。年末に引越しをし、年明けから「ホ・オポノポノ手帳2016」を使い始めたのだった。

 

あの頃と比べると、今は考えられないほど事態が好転している。もちろん波はあったけれど、全体の底上げがされているし、波も小さくなってきている。私だけでなく、家族の幸運度も上昇しているように感じる。私には、ポノとポノ手帳が助けてくれたと思えて仕方がない。

 

 ありがとう
 ごめんなさい
 許してください
 愛しています

 

さて、そのポノの手帳。1か月前に入手してあった2019年度版(私にはこれが4冊目)を、ようやくゆっくり開いてみた。10月始まりになっているが、私は新年の元日から手帳を替える派。ただ、やはり先に中を見ておきたい。新しい手帳って、いいものだね。

 

2018年版と比べて、特に変わったところはないみたい。巻頭の「わたしはわたし」「わたしの平和」というふたつの詩は、やはり美しい。声に出して読むと、いつも心が澄んでくる。

 

この手帳を使う人に向けた新しいクリーニングツールもあった。2019年は「clear glass marbles」。心の中で、透明のガラスでできた「おはじき」を投げてみよう、というもの。2017年の「白いビー玉」と似ているね。

 

巻末。「おさらいホ・オポノポノ」もそのまま。この手帳で初めてポノを実践しようとする人でも大丈夫なように、わかりやすい解説が付いている。「ポノってなに?」「ウニヒピリって?」「クリーニングって?」に、ちゃんと答えてくれていて、その後には、基本的なクリーニングツールの紹介もある。

 

そして、自分と関わりのある場所をクリーニングするための日本地図と世界地図。その次にある「パーソナル・データ」は、2018年版にはなかったページ。17年、16年にはあったから、18年だけ特別かな。18年の対談のテーマが「『わからない』という知恵の贈り物」で、その後に「『わからない』という知恵のリスト」があり、自分や家族のことを書き込むスペースがあるから、パーソナル・データのページは割愛したのかも。

 

さて、私が一番読みたかった巻末の対談。SITHホ・オポノポノの継承者ヒューレン博士と、ホ・オポノポノ創始者モーナ女史の一番弟子であるKR女史によるもので、毎年アンダーラインを引きながらじっくり読み込んでいる。

 

2019年のテーマは「ウニヒピリにあなたの秘密を打ち明けよう」というもの。

 

・・・秘密?すぐには具体的に思い浮かばなかったが、対談を読み進めるうちにわかってきた。自分の中に湧き上がった「恥ずべき感情」など、認めたくなくてフタをしたり黙殺してきたアレなのね。ふとした時に無意識に出てくる「差別感情」とかね。なんだか、思い出してしまったら(掘り起こして目の当たりにしてしまったら)、かなり嫌な気持ちになりそう。

 

でも実は、それはクリーニングするチャンスなのだ。そのことについて、ウニヒピリに「あのね、私にはあのとき悪意があったんだ」と打ち明ける。そして、クリーニングする。それが大事、ということらしい。

 

過去のことに限らず、これから現れる負の感情についても同じ。「こんな風に思ってはいけない!」とその感情を押し殺しても、それは好ましい方法ではない。抹殺したつもりになっているかもしれないが、その記憶(ポノでは問題の原因はすべて、太古からの記憶と考える)は消去されないまま、後に再び立ち現れる。

 

確かにそういうこと、あった。身に覚えあるわ。何とかやり過ごしたと思っても、再度、同じような問題が起こってしまう。

 

実はそれ、「クリーニングしようよ」とウニヒピリが見せてくれたもの。だから、慌てて打ち消すのではなく、ウニヒピリに打ち明けて、一緒にクリーニングして手放すという方法をとればいいのだ。

 

KR女史の言葉を借りると、他人に堂々と言えないことや自分の隠れた趣味、小さな頃に抱いていたマイナスの感情、多くの人が嫌悪感を抱いているのに自分だけが興味を持って好ましく感じているようなことも、ウニヒピリには打ち明けてみて、ということだ。随分具体的なので、自分に置き換えて考えやすい。

 

そして、ウニヒピリに告白してクリーニングしていくことは、本来の流れを取り戻し、あなたを自由にしてくれるはず、と女史は続ける。

 

また、ヒューレン博士は、あなたが心の内を明らかにし、クリーニングしていけば、見えなかったものが見えてくる、ウニヒピリへの告白は、宇宙を動かすほどのインパクトを持つ行為なのです、と言っている。一日のどこかで、ウニヒピリに打ち明ける時間を持てると良い、とも。できるだけ頻繁に機会を持つようにすれば、調和はすぐに戻ってくる、と。

 

秘密は、どんな些細なことでも良いそうなので、早速、今日からウニヒピリに打ち明けていこうと思う。自分自身の秘密、人に言えない心の動きを、たとえ自分自身の潜在意識であるウニヒピリとはいえ、「打ち明ける」というのは、慣れるまでは抵抗ありそうだけど。

 

ウニヒピリが「あなたが今、記憶に気づき、クリーニングという選択をしている」ということを知っている、そのことが重要なのです。それほどまでに「明らかになっている」ということは、とても大切なことなのです。

 

あなたが自分のウニヒピリに打ち明けるほど、ウニヒピリは、失われた自身を取り戻し、ウニヒピリにしかない能力をどんどん発揮してくれるようになるでしょう。それは、体の機能、感性を通して、面白いほど、あなた自身も気づくはずです。

 

というヒューレン博士の言葉にアンダーラインを引く。

 

私は、ウニヒピリとの関係は良い方だと思っているが、秘密を告白する、という行為を毎日加えてみたら、もっと調和がとれ、もっと自由になれるのだろうか。そんな期待もクリーニングしながら、新たな学びを得た来年の手帳を眺めている。

 

新しい年の元日。この手帳を開き、私は最初に何を書き込むのだろう。

 

 

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2019

 

娘とのプチ旅行―清水、そして自由が丘散策

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私は静岡県の清水(今は静岡市だが、当時は清水市)で生まれた。父が転勤族だったため、この町で過ごした年月は短く、今も付き合いのある友人というのはいない。でも、約30年前に両親がこの地に居を構えてからは、私のふるさとはやはり清水なのかな、と思っている。

 

二人きりで暮らす両親は、今もう80代になっていて、病歴も華やか(!)だし現在も複数の病や後遺症に悩まされており、揃って障害者手帳も持っている。はっきり言って、不安でしょうがない。いつもとても心配しているのだが、実家までDoor-to-Doorで3時間。なかなか帰れないのが実情だ。

 

前回訪れたのは、3月。曾孫の顔を見てもらうために、長女一家の旅に同行したのだった。あれから7カ月。今回は次女の提案で、彼女と二人で老夫婦の様子伺いに行ってきた。

 

いつも悩むのが、泊まるかどうかということ。母の負担にならないよう、前回も今回も宿泊は最初、遠慮していたのだが、「泊まっていきなさいよ」と言ってくれたため従った。近所に住んでいれば、そんなことを気にせず、頻繁に会いに行けるのだろうけど。

 

どうなんだろう。行くことが迷惑になっていないだろうか。あれこれ先回りして準備したいのに、それができないことを気に病む、そんな母の性格を思うと、どうしてあげるのが一番良いのかわからなくなってしまう。不甲斐ない娘なのだ、私は。

 

「一緒に清水に行こう」と次女が言ってくれて、私はもちろん嬉しかった。でもきっと、弱った祖父母を見て、次女が気落ちするのではないかとも思った。だから、合わせ技でお楽しみも用意しようと考えた。翌日、東京・自由が丘を一緒に散策する、という。

 

何故、自由が丘?
それは、ふと思いついただけ。でも多分、私が彼女くらいの年齢だった頃、楽しく過ごした経験があったからだろう。あの可愛らしい町が今どうなっているのか、私自身が確かめたかった気持ちも強い。

 

そんなお楽しみも待っていたせいか、あるいは次女と一緒で少し気が楽なせいか、清水に向かう私の心は久し振りに晴れやかだった。空も秋晴れ。

 

そして、実家に着けば両親は笑顔で迎えてくれた。あちこち不具合を抱えながらも、なんとか二人で支え合って暮らしている様子に、ひとまず安堵する。

 

前日、頑張って庭の草取りをしたと言うので、そんな無理をしなくて良かったのに、と返したら、頑張れたことに達成感があり、嬉しいのだと言う。思っていたより気丈で、なんだか救われた。

 

父は腰の痛みが続いているらしい。私は早速、持参のアロマオイルを用いてマッサージする。そういえば、この父には子どもの頃から「揉むのが上手い」と褒められていたっけ。

 

横たわり、目を細めながら昔話をする父。ちょっと説教混じり。その老いたからだから辛い痛みが消えてなくなりますようにと祈りのハンドパワーを送りながら、私はわざと軽口をたたいていた。

 

一方、次女は持ち前の明るさでおばあちゃまのハートを鷲づかみ。二人でガールズトークよろしく、きゃっきゃっと何時間でも笑っていた。

 

「こんなにおしゃべりしたこと、最近ないわ。顎が筋肉痛になりそう」と母。
「もーメチャクチャ楽しい。だって、おばあちゃま、可愛いんだもん」と娘。
この二人、気が合うのだろう。ちょっと妬けるくらいだ。(笑)

 

翌朝、二人に別れを告げて、私と娘は東京へ向かう。静岡から新横浜まで、新幹線で44分。11時頃出発しても、ランチタイムを自由が丘で過ごせる。静岡に住むのもいいかも、なんてね。

 

自由が丘は思っていた通り、30年前の面影はなかった。道・・・全然、わからない。

 

次女がスマホを駆使して案内してくれなければ、一人では楽しめなかったかもしれない。昔はこんなにお店の数はなかったし、人もこれほど歩いていなかった。

 

でもやはり、お洒落な佇まいの建物や、ディスプレイの素敵なお店がいっぱいで、女の子好みの町であるという点では変わりない。駅前だけでなく、住宅街まで足を延ばしても、フォトジェニックなスポットがたくさんあった。そうそう、“自由が丘のヴェニス”と謳う「ラ・ヴィータ」は、昔、名古屋にあったイタリア村を思い出させた。

 

オープンエアのテラス席で、秋の風を感じながらのランチ(ワインも)、雑貨店巡り、可愛いカフェでの休憩。心の弾むお散歩タイムだった。予報になかった雷雨さえ、楽しい思い出になりそう。

 

ピーターラビットだらけのカフェの窓際で、雨の音を聞きながら、娘といろんな話をした。

 

「一緒に清水に行ってくれて、ありがとうね」と言えば、
「なんでお礼?二人に会えて嬉しかったし、すんごく楽しかったよ」と娘。

 

「早く彼に会いたいでしょう」と聞けば(この後、娘は彼氏とデート)、
「今はお母さんといられることが嬉しいから」と娘。
「次はお父さんとお母さんと彼と、4人で自由が丘に来ようね」だって。

 

長女といい、この次女といい、性格の良さは誰に似たの?夫譲りなのだろうか。物事を良い方に捉え喜べる力、素直になんでも面白がれる才能は、頼もしい限りだ。私も見習いたい・・・。

 

ふと、思う。親孝行って、なんだろう。

 

私はずっと、親に心配や迷惑をかけ通しだったという負い目がある。あまり自慢できる娘ではなかった。大人になってからも、旅行にも連れて行ってあげられていないし、相変わらず心配ばかりかけている。

 

もし、私に親を喜ばせるものがあるとすれば、それは二人の娘たちだけだ。あなたたちの孫をこんな良い子に育てたよと。それだって、夫の力かもしれないが。

 

東京駅。改札で次女に見送られながら手を振った。彼女はこの後、彼氏と食事をし、翌日は一緒にボーリングをするのだそうで。

 

仲良しでいいね。遠距離恋愛、切ないけど楽しいよね。その笑顔があれば大丈夫だよ。そう、心でつぶやく。

 

娘たちが日々、幸せな気持ちでいてくれる。私にはそれが一番の願いだし、何よりの親孝行だなあ、と実感するのだ。もしも私の両親もそう考えてくれているとしたら・・・?

 

私も娘たちを見習って、もっともっと幸せ上手にならなくては、ね。
(いや、旅行に連れていけ、という父の声が聞こえそうだけど!)