一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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ポノと人生とマインドフルネス

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真新しいランドセルを背負った、黄色い帽子の子が歩いている。私の娘たちにも、そんな頃があった。花吹雪の中を、弾むような足取りで帰ってくる姿を、歩道橋の反対側で見守りながら待っていた。

 

桜の花びらはガラス質の成分が入っているかと思うほど、一粒一粒が光をまとっていて、その下を歩く小さな人たちは眩しく、無条件に世界から祝福されているのだと思ったものだ。

 

その娘たちも成長し、長女の娘は2歳の、次女は25歳の誕生日を、今日迎えた。

 

トートバッグの底に、少し小さく色濃くなった花びらを見つけ、嬉しいような寂しいような気持になる。毎年、家族でお花見をすると、花びらは何枚か家までついてきたっけ。娘たちのパーカーのフードの中とか、夫の襟元とか、たたんだ日傘の中とか。

 

始まりの月でもある4月は、気持ちを新たにした思い出が多くて、舞い落ちる桜の花びらを見ると鮮やかに、スイッチを入れたかのようにその映像がよみがえることがある。

 

竹内まりやさんの歌に「人生の扉」という素敵な曲があるが、今、しみじみとその気分に浸ってしまう。

 

 満開の桜や 色づく山の紅葉を
 この先いったい何度
 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては
 感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために
 生きてゆきたいよ

 


そう、人生の扉は、いつからかどんどん重くなっていった。子どもでいられた頃は、無邪気で軽やかな、好奇心の扉ばかりだったのに。

 

特にここ10年ほどは、とてもきつかった。不運とか病気・怪我が続き、更年期も重なり、人生における大きな危機が短い周期で訪れた。我ながら、よく乗り切ってきたと思う。

 

毎日を機嫌よく、心豊かに暮らしたい。春風のように人に優しく、穏やかに。口角を上げて、感じのいい笑顔を向けて。

 

それだけを目指した。たったそれだけのことが、本当に難しかった。心に余裕を持てず、人にも自分にも丁寧に対応できない時期が、長く続いた。

 

アロマセラピー、散歩、刺しゅう、好きな仕事、好きな人との会話、ささやかなお洒落や化粧、植物との触れ合い・・・etc。
「このままではいけない、自分をケアしなくては」と、いろいろなものに助けを求めた。

 

おかげさまで、今はとても気持ちが安定している。相変わらずバタバタして焦ることもあるけれど、心に余裕がなくて苦しい、ということは最近思ったことがない。

 

どれが良かったのか。多分、相乗効果だろう。そして、一番私に効いたのはホ・オポノポノだったのだ、と思っている。

 

ホ・オポノポノに関しては、過去に何度か書いているので、よろしければ。
(最初のうちは勘違いしている部分があり、読み返すと苦笑いしたくなります^^;)

tsukikana.hatenablog.com


ところで最近、「マインドフルネス」という言葉をよく聞くようになった。

weblio辞書によると、

 

「マインドフルネス」とは、自分の気持ちを“今、この瞬間”に意図的に向けて、現実をあるがままに知覚すること、あるいはそうした心の状態を体得するためのトレーニングを指す言葉。
メンタルヘルスを整え、創造性や集中力を発揮するためには、“今、ここ”に意識を集中し、とらわれているネガティブな感情や思い込みから離れることが有効だと考えられている。
これは仏教の瞑想(めいそう)法に由来する概念で、欧米では1970年代頃からストレスに対処する技法として普及し始めた。
近年はうつ病の再発防止を目的とする心理療法に導入されるなど、医療や教育、人材開発の現場でも注目を集めている。

 

とのことである。


「今この瞬間」に集中する。そのことによるメリットは大きく、雑念や無駄な思考を手放すことができ、漠然とした不安と決別できる。ストレス軽減、集中力アップ、自律神経回復といった効果があると言われているそうだ。

 

マインドフルネス状態を目指すトレーニングとして「マインドフルネス瞑想」などがあり、企業や政府機関の研修でも取り上げられているという。世界的に注目を集めているので、私もきっと、TVや新聞で目にしているのだろう。

 

この聞き覚えのある言葉についてちょっと調べ、すぐに思った。
「これは、ホ・オポノポノのクリーニングと同じね!」

 

私が毎日している4つの言葉を唱えるという実践。そして「HA(ハー)の呼吸」と呼ばれているポノの呼吸法。これはそのまま、マインドフルネス瞑想ではないか。

 

一般的なマインドフルネス瞑想では、訓練を続けるほど気づく力が育まれ、幸福感が高まることが知られているそうで、それもポノのクリーニングと同じだ。

 

タイミングを逃さずクリーニングするためには、感情を捕まえるという訓練がいる。訓練といっても、ただ何度でもトライし繰り返していく、それも楽しみながら、というものなので、少しも苦しくないのだが。

 

 ごめんなさい
 許してください
 愛しています
 ありがとう

 

この4つの言葉を、自分の内面に向かって投げかけるのが基本的なクリーニング。何かが起こって動揺したときや、感情が動いたとき。喜怒哀楽、どの場合も、すぐに言葉を投げかける。それは難しくはないが、つい忘れがちだ。だから、何度でも繰り返すことで習慣にしていくということが、ポノにおいては訓練なのかも。

 

実は、4つ全部言わなくても「愛しています」だけで大丈夫なのだそうで。この言葉には、他の3つの意味も含まれているからとのこと。もっと言えば「I love you.」でOK。この方が言いやすいのなら、何かあるごとに「I love you.」と心でつぶやくのも良いかも。時短だしね。笑

 

自分の心の動きに気づくということは、集中するということ。本当なら言葉掛けも必要ないのかもしれないけれど、ポノの場合、「言霊(ことだま)」の力も借りているのかなと思う。何百年も前から伝承されているハワイの問題解決法なのだから、神秘的な要素があって当然だし、私にはそこも魅力だ。

 

ただ、最初のうちは、スピリチュアルと聞いて少し距離を取っていたのを覚えている。当時、ネットで調べると否定的な意見も散見されたし、逆に妄信的な人の話にもちょっと違和感があったし。

 

今では「どうしてみんな、ポノをやらないんだろう」くらいに思っているのだけどね。

 

抵抗を感じる人がいるのも、以前の自分を思い出せば理解できる。怪しい、胡散臭いと思ったり、何かの商法じゃないかと思ったりするのだろう。でも、マインドフルネスのひとつの方法と考えたら、どうだろう。お金もかからないし。(セッションやクラスの受講は有料だけど、参加しなくてもクリーニングはできます)

 

本も何冊も出ているけど、無料でダウンロードできる電子書籍もあるので、こちらで様子を見るのも良いかも。


(累計21万部の人気ブックス)
『あなたも魔法使いになれる ホ・オポノポノ』


私の実感としては、小さな問題は割と早く方が付き、厄介な問題は時間がかかる。でも「なるほど、そう来るか!」というくらい思いがけない方向に道が開いたり、問題そのものを問題と感じなくなったり、一生懸命、画策を試みていた自分がちっぽけだったなぁと思えることが何度かあった。

 

表層意識で考えることなんてたかが知れてる。宇宙規模で根回ししてくれるのが、ホ・オポノポノなのね。

 

小さなラッキーやタイミングの良さは、もう頻繁に体験している。まあ、信号にぶつからず目的地に行けたとか、近づいても小鳥が逃げなかったとか、コンビニのくじを引くと、いつもコーラや炭酸水を当てるとか、本当に可愛いものだけど。笑

 

年のせいだと思ってた物忘れやうっかりの多さも、最近はあまりない気がする。大事なことはタイミングよくふっと思い出し、大体は間に合う。インスピレーションという言葉を実感する素敵な体験だ。

 

シンクロニシティもよく感じる。TVをつけたら、ちょうど知りたかったことの特集をやっていた、ということも増えた。どうしてるかな、と気になってた人からお誘いの連絡が来るとかね。

 

何をやっても裏目に出て、周囲からの攻撃を警戒して、上手く振舞えず、しなやかに生きるってどうやればいいの?と自分を情けなく思っていたあの頃の私を思えば、今は別人になったみたい。自分を大切にするということの意味を、ポノに教えてもらった気がする。

 

多分、まだ少し人生は続く。問題も次々に立ち現れるだろう。でも、今は前ほど生きていくのが怖くない。

 

「今この瞬間」に集中する。「期待」をクリーニングし、「判断」をクリーニングし、「焦り」をクリーニングし、私は今日も少しずつ、重荷を下ろして軽やかになっていく。

 

・・・来年の桜の季節、どうしているかな。
人生っていろんなことがあって、面白いね。面白がって、生きていきたいね。
そう、春風のように機嫌よく♪

 

歌うように春散歩―西城秀樹さんの魔法かな

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桜は開花した。見頃はもう少し先になるが、散歩道を歩いていると桜の樹々がその存在を訴えてくるように感じる。

 

ああ、久しぶりだね。

 

冬の間も桜はそこに立っていたのに、まるで遠路はるばる戻ってきたかのように思え、つい声を掛けたくなる。

 

足元にはタンポポの綺麗な黄色。ムスカリの紫も可愛らしい。ユキヤナギも花盛りで、弓なりの枝に真っ白な花をどっさりと、まさに雪が積もったかのように咲かせている。花はいいなあ、と素朴な感動。

 

あっちに気を取られこっちで立ち止まり、を繰り返す私の傍らを、ジョギングやウォーキングの人たちが追い抜いて行く。運動にもならないような私の散歩だが、心の健康のためにはきっと、とても効いているはずだ。

 

いくつかの問題を抱えている。

 

自分からは働きかけようがないものは、ただ心配をしているだけだが、解決に向けて自分から動き出すべきものは、どのタイミングでどう打って出ようか、ちょっと悩んでいる状態。もちろん、問題解決法のホ・オポノポノを実践しながら。ポノを知っていて、本当に良かった。

 

外気の中を、風に吹かれて歩いていると、物事をポジティブに考え直せる気がする。今日のような青空の広がる日はなおさら、気持ちが軽くなっていくのがわかる。花粉症の人には申し訳ない気がするが、私はこの季節の外歩きがとても楽しい。

 

鳥たちも春を喜んでいるのだろうか、元気いっぱいだ。カップルで寄り添うカルガモも、よく見かけた。もう少ししたら、ひな鳥たちの愛くるしい行列が見られるのかな。聞き慣れない野鳥の声もした。そうだ、今年も探鳥会に参加できたらいいな。

 

歩いている間、脳内では音楽が再生されている。それは西城秀樹さんの歌。もうずっと毎日聴いているのだから、当然なのかもしれないけど、ちょっと不思議な気分になる。去年の今頃は、HIDEKIのことがこんな風にライフワークになるなんて、思いもよらなかったから。

 

少女期にドキッとして夢中になって、でも大人になるとともに離れていって。何十年もたって、その恋心がよみがえる。そのきっかけが訃報だったことがなんとも切ないのだけど。

 

YouTubeで在りし日の姿を繰り返し見て、亡くなったことがじわじわと悲しくなってきたのが去年の梅雨時。やっぱり素晴らしい人だわと、想い焦がれて追いかけて。そうはいっても、そのうち気持ちは落ち着くのだろうと思っていた。でも、終わりそうにない。

 

最初は私だけが変なのか?と思ったのだけど、YouTubeのコメント欄や匿名掲示板を覗いてみると、同じような人がたくさんいて驚いた。「どうしちゃったんだろう、私」と戸惑いながらHIDEKIにブーメランで帰って来る人が、どんどん増えているようなのだ。集団催眠術にでもかかったみたい。

 

孵化したヒナが最初に見たものを親と認識するように、少女期の恋が刷り込まれてしまっていた?いやでも、時を超えてファンに戻る人だけではない、新規でファンになったという人も大勢いる。

 

本当、魔法みたい。年末には生まれて初めて、テレビ番組にリクエストハガキを出す、ということをした。HIDEKIを追悼する特別番組があるからと、何十年ぶりかで家でラジオを聴いた。それも泣きながら!「この私が?」なことばかり。こんな風になるなんて。

 

今年に入ってからも静岡まで西城秀樹展を観に行ったり、CD-BOXを買ったり、TwitterでHIDEKIファンさんたちのつぶやきを拾ったりで、その想いに衰えは見えない。いや、ますます熱を帯びてきた?

 

優しい目で見てくれていた家族も、さすがに「え?まだ?」という感じで引いているのがわかる。これは、隠れキリシタンのように潜るべきなのか?と寂しく思っていたら、誕生日に夫がHIDEKIのCDとフォトエッセイをプレゼントしてくれた。今までのどんな贈り物よりも嬉しかった!笑

 

ネットの時代であることもありがたい。10代から還暦まで。膨大な数の歌を残してくれた西城さん。そして、大切に保存しておいた画像や音声、貴重な映像を、惜しげもなく披露してくれる古参のファンの方々にも、感謝の言葉しかない。

 

少女の頃のように、毎日ときめきを感じていられるから。ただ、その人はもういない、という現実に向き合うと、やはりかなりツライけど。泣くけど。

 

先日は、西城さんの初のオールタイムシングルBOX『HIDEKI UNFORGETTABLE』発売決定のニュースが入り、Twitter上にファンたちの喜びの声が飛び交った。ファンからのリクエストが殺到し、昨夏から企画、レコード会社3社の枠を超えて発売に至ったそうだ。HIDEKIファン、すごい!

 

発売はもちろん嬉しく、すぐに予約をしたけれど、それ以上にHIDEKIのことがこんなに明るく大きく話題になったこと(悲しい話ばかりだったから)、各メディアが丁寧に紹介してくれていると感じたことが、何より嬉しかった。

 

そして使われている画像は、私が大好きだった「HIDEKIお兄ちゃん」。誰よりも元気いっぱい、明るくて若さに輝く、あの西城秀樹だ。キャーッと叫びたくなる。笑

 

一昨日の3月25日は、西城さんのデビュー記念日。1972年のこの日、「恋する季節」でデビューしたHIDEKIは、まだ16歳だった。たったそれだけのことで、また泣きそうになる。

 

このまま、魔法にかかったまま、私はこれからも年を重ねていくのだろう。今日は20代の頃の歌を聴こうかな、それとも40代のにしようかな、なんて毎日迷いながら。

 

今日の散歩中は、デビューして間もない頃の声が脳内再生されていた。あの、可愛いハスキーヴォイスが大好き。パチパチとはじけて煌めくサイダーみたい。春の日の散歩にぴったりだ。

 

心で歌いながら歩いていたら、胸にあるいくつかの心配事も、なんとかなる気がしてきた。天候の変わりやすい春は、晴天がとても貴重だから、お天気の日はやりたいことがたくさんあるのだけど、やっぱり散歩を優先させて良かった。

 

さあ、機嫌よく美味しいご飯を作ろう!

 

財布を包む布。施した刺しゅうで金運、あがるかな?

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ずっと作ってみたいものがあった。全然難しいものではない。お財布の寝具、というか、包むもの。一枚の布でいいのだ。布端が、ちゃんとかがってあれば。

 

そんなの、すぐに出来るじゃない。なんで今まで作らなかったの?と言われれば、後回しにしてきた、としか返せないのだけど。

 

そもそも、何故、お財布の寝具?

 

それは、何年か前の人間ドックでの待ち時間、手にした雑誌の記事を見たことにさかのぼる。そこに書かれていた特集は、お財布の扱い方について、だった。

 

お金が貯まる人は、お財布をこんなふうに扱っている、という、割とよくある話だったが、そのときは時間がたっぷりあったためか、つい熱心に読んでしまって。で、お財布に対する自分の雑な扱いに、愕然としたのを覚えている。

 

レシートは入れっぱなしだし、お札の向きも揃えていないし、小銭で膨らんでてもそのままだし、カード類も何枚入れていることやらだし。それ、全てNGだから!

 

あかんわ、私。お金貯まらんわけや!(何故か関西弁風に)

 

お財布にもお金にも、アイデンティティがあって、大切にしてくれている人のもとへ行きたがるのは当然のことだと。そして、お金はあちこち旅をしている。あの財布は居心地が良いぞ、と、旅の先々でクチコミまで行うらしいのだ。

 

参ったな。私の財布、お気に入りではあるのだけど、お金さんには決して居心地の良い環境ではないみたいだ。私の財布はお金さんに嫌われてるかも?

 

私は猛省した。(ちょっと大袈裟)

 

そもそも、お金に対して「足りないなー」「もっと欲しいなー」と思いはするものの、あんまりお金、お金と考えるのは品がない、だとか、キッチリしすぎも計算高い感じでカッコ悪いだとか、私、すごく失礼なことを考えているヤツだった。お金って、人の心を惑わす汚いもの、くらいに思ってたかも。ネガティブに捉えることが多かった気がする。

 

ああ、お金さん、ごめんなさい!

 

その後、お財布の中を整えることは、少しはするようになった。

 

そういえば子どもの頃、母のがま口の中を小銭の種類別に整理するのが好きだったっけ、などと、何故か思い出したりして。お金は純粋に楽しくて、夢のある存在だったんだよね、私にとっても元々は。

 

さ。続いて、お財布さんにとっての居心地について。

 

外から帰って、バッグに入れっぱなしというのは、すごく良くないらしい。そのバッグを床に置いてしまうのは、ますます悪いとのこと。さすがに床に置いたりはしていなかったが、バッグに入れっぱなしは日常だったわ、私。

 

ああ、お財布さん、ごめんなさい!

 

お財布には、家の中にくつろげる定位置が必要らしい。あまり人の出入りしない静かな所が良いそうだ。ゆっくり休んでもらえるように、寝具のようなものを用意してあげればベストだと書いてあった。布で巻くだけでも良いそうだ。

 

去年、ふとこの話を思い出して、ハンカチでくるみ引き出しにしまうようにしてみた。

 

・・・うん、大切にしている感じが出てきたかも。気に入って買ったお財布だったのに、だんだんぞんざいに扱うようになってきてたよねと反省し、なんだか申し訳なく思えてきた。

 

そして今年になり、その申し訳なさを形にして、もう少しお財布さんに喜んでもらおうという気持ちになってきた。すごく長くなったけど、それが冒頭に書いた「お財布の寝具」である。

 

確か、あの記事には布はラベンダー色が良い、と書かれていたっけ。100円ショップでラベンダー色のカットクロスを買い、周囲をかがり縫いする。それだけでも良いのだが、ここはひとつ、刺しゅうでもしようではないか、と思い立つ。

 

既製のデザインではなく、自分で考えようと思った。以前「可愛いな」と思って写真を撮っておいたお店の看板のデザインを参考に、刺しゅうしやすくなるよう省略や誇張をし、ノートに絵を描いてみる。

 

えーっと。やっぱり、お金と仲良しになりたいから、「実のなる木」がいいだろうと思ったのだけど、そこのところは、そんな気がしただけだから、正しいのかはわからない。色も、ゴールドを感じさせる実が良いのかなと、これもなんとなく。でも、良さそうでしょ?笑

 

そして、チクチクと針を動かす。幹や枝はバックステッチ。大小の実は、バックステッチとサテンステッチ、それからフレンチナッツステッチ。たったこれだけ。すぐに出来てしまった。

 

ほんの短い時間だったけど、久しぶりの刺しゅうは楽しかった。「可愛くなーれ」という気持ちに「お金さん、おーいで」という気持ちが加わって、我ながら可笑しかった。でも、これって・・・こんなふうに願いを込めながら糸仕事をするって、きっと昔からみんな、やってきたことなんだろうね。

 

「背守り」というものがあると、以前「猫のしっぽ カエルの手」という番組で知った。子供の服の背につける縫い目のおまじないは、江戸時代から行われていたとか。背中に忍び寄る魔物(厄災)から我が子を守ろうと、祈りを込めて魔除けのしるしを縫う母の愛情が、温かいね。

 

ひるがえって私の金運を願う心は・・・いや!これも大切だから!(ブルブルッ)

 

さて、話は戻る。
願いを込めて刺しゅうを施した布に包んだお財布。この際だから定位置も変えてみた。前の場所よりは静かだ。落ち着いて、安心して、くつろいでくれるかな。

 

人目につかない場所だから、この刺しゅうは人に見せる機会はほぼないだろう。純粋に、お財布さんのために刺しゅうしたのだ。「そこのところを評価してほしいわ、金運の神様」なんてつい思ってしまう私は、はい、まだまだだね。

 

でも本当に、お金もお財布も、これからはもっと大切に扱おうと思う。それは、拝金主義や守銭奴みたいになるということでなく、その存在を尊重し、良い関係を築いていこうという気持ちでいること、なんだよね、きっと。ポジティブなイメージを持ちたい。

 

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いつの間にか、周囲は年下ばかり?

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書くことを仕事と決めて、何十年たっただろう。新聞社や小さな出版社で取材記者をしたり、フリーでライティングや編集をしたり、企画出版(自費出版ではなく商業出版)で本も一度出した。途中ブランクも度々あったし、事務や販売の仕事をしたこともあったが、今また細々とだけど、フリーランスでライターの仕事を続けさせてもらっている。

 

20代の頃は、仕事仲間も取材先も、年上の人ばかりだった。社内外の大人たちに、叱られたり励まされたりして、育ててもらった。いっぱい恥をかいて、いっぱい衝突して、認めてもらえれば嬉しくて、背伸びするように仕事をしていた。憧れの先輩たちに近づきたかった。

 

いつからだろう、まわりに年下の人たちが増えてきたのは。私が子育てで仕事を休んでいた頃からかな。打ち合わせに出向くと自分が一番年上だった、ということが多くなった。上司です、と紹介され出て来た方もお若くて!・・・そういうのにも慣れてきた。

 

近年では、仕事に限らず様々なコミュニティで、一番の年長者になってしまっている気がする。気にしなければいいのだけど、ちょっと居心地の悪さを感じるのは否めないかも。笑

 

ここのところ、ドクターにインタビューする仕事が続いている。自分より年上のドクターを取材したのは一度だけで、先日お会いした方は40歳になったばかりだった。

 

患者としてお医者さまに診てみらうときは、最良の治療を受けたいという弱み?もあってか、どんなに若くて可愛らしいドクターでも、まずは従順な態度をとる私。先方も医師として私に向き合うので、ヘンな表現だが「年上っぽい」。

 

でも、この仕事では取材する側と取材される側で対等(本当は診療もそうであるべきなのだけど)、社会人として敬意を払いつつ、この限られた時間を有意義に使うことにお互いが協力し合う関係だ。

 

そう、限られた時間。これが今回は、諸事情でいつもの半分ほどになると、取材直前に担当者から告げられた。そう来たか!瞬時に作戦を組み立て直す。

 

どんな方だろう。ご自分から発信したいと申し入れてきたそうだから、積極的にしゃべってくれるタイプかな。担当者も会ったことがなくわからないらしい。様子を見て、空気よみよみで(笑)進行してほしいと。もちろんそのつもり。問題は、時間がないこと。

 

で・・・
全然、積極的じゃなかった。とっても好人物なんだけど、質問してから「うーん」と考え込んで、悩んで答える人だった。時間、ないんだけど!

 

焦る思いはひた隠しにして、私は彼がしゃべりやすい雰囲気づくりに務める一方で、ノッてくれそうな話を猛スピードで探った。自分の中のありとあらゆる引き出しを引っ張り出して。

 

この方が発信したい内容を、短い時間で過不足なく聞き出したい。できればご本人の本来のキャラクターも引っ張り出したい。せっかく発信するんだもの、いいものにしましょうよ!早くしゃべって!頑張って!

 

ゆったり微笑んでふむふむと頷きながらメモを取る私。しかし、頭の中は高速フル回転だった。でも、自信はあった。それはいわゆる「年の功」なのかもしれない。

 

無事、取材が終わり、残りの撮影をしながら雑談が始まると、ドクターの表情が明るくなってきた。発言もスムーズ。口下手なのではなく、緊張していたのだ。なんだ、こんなにしゃべれるんじゃない~、と力が抜けそうだった。笑

 

「いまからもう一度、やりましょうか」なんて冗談を言い合いながら、こうしてがチガチに緊張して取材を受けてくれることも、この方の魅力なんだよな、と思っていた。そして同時に、私にならその魅力も書くことができるわ、と。そんな風に当たり前に自分を信頼できることが嬉しかった。

 

それは、プロ意識というよりも、経験値。この仕事を長年やってきたということもあるけど、それ以上に人生を長くやってきたことによる引き出しの多さへの、信頼なんじゃないかな。伊達に苦労はしてないよ。なんてね。

 

若い人たちに囲まれていると、こんな年齢でこの場にまじっていていいのだろうか、と思うことが多々ある。今の若い人たちは、私の若い頃よりも概ね真面目で、礼儀正しく、しっかりしている(気がする)。みんな優しいし、失礼なことを言われたことはないけど、本心では、自分の親みたいな年齢の私を煙たいと思うこともあるんだろうなあ。

 

IT系の話はついていけてないし、専用のシステムもなかなか使いこなせない。昭和っぽい価値観もどこか染み付いていて、足を引っ張っているかもしれない。

 

でも、人生の経験値や引き出しの多さが、仕事にプラスとなるシーンが多いのは確かなのだと、これも経験から知っている。窮地では私を勇気づける武器にもなってくれる。

 

周囲より年を取ってることに引け目を感じたり、ジェネレーションギャップに途方に暮れることもしばしばある。けれど、むしろそれを面白がっていきたいものだよね。

 

もちろん、"今"を感じ取る柔軟な心は、老け込ませてはいけないし、澄んだ視線で若い人たちから学ばせてもらう姿勢も大切にしていきたい。そこは私、素直だから。(誰に売り込み?)

 

ところで、私の同級生はあと数年で定年を迎える。そんな年になったのかと思えば、急に老後が迫ってきたようで身震いしそうだ。私の仕事には定年はないから、健康である限りリタイアせず、信頼してお声を掛けていただけるのなら死ぬまで書き続けたいと思ってはいるのだけど・・・どうなるのだろう。先のことはわからない。

 

不思議なのは、人生の終い(しまい)支度についてはよく考えてるくせに、仕事に関しては"しまう"どころか、これからもっと仕事を通して成長したいし、発展させたいと願っている自分がいること。これって矛盾してる?

 

何かを成し遂げたいなどという大それたことではなく、まだまだ面白そうなことが待っている気がしてならないのだ。変に画策したりせず、日々を、一瞬一瞬を大切にすることで、良い流れが作り出せるのではないだろうか。素敵な波乗りができるのではないだろうか。

 

かつて私を鍛えてくれた先輩各位に尋ねてみたい。「だからお前は甘いんだ!」と叱られてしまうかな?

 

川べり散歩の途中、早春の光の中。若き日の、生意気盛りの自分を懐かしく思い出している。まだ人生は続いている。

 

モリスの美学に憧れて

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引越しのときに断捨離をした。あれから約3年。新しい生活のモットーとして「シンプル&コンパクト」を掲げたせいか、あるいは容積のなさが気持ちにブレーキをかけているおかげか、再び大きな断捨離をしなくては、という状況にはまだ至っていない。

 

・・・本当だろうか。

 

冷静に見渡せば、確実に、あれからモノは増えている。増やしてしまうことに対する後ろめたさはあって、何か買うときは一応「どうしようかなー」と迷うのだけど、結果的に買ってしまっていることが多いようだ。

 

本、植物、文具、手芸品、器、キッチングッズ・・・etc.

 

補充ではなく買い足しだ。服はそれほど買っていないつもりだったが、意外と増えている。あと、雑誌の付録のトートバッグやポーチも数個、未使用のまま「いつか」の出番待ちをしている。細々としたモノたちだが、じわじわと空間を侵食している。

 

それから、モノが増えることによって定位置も怪しくなってきた。

 

引越し直後は、荷ほどきと同時にそれぞれのモノの置き場所を決めることに熱心だったのだけど、だんだん気持ちが緩んで、収納場所がいっぱいだとその辺にとりあえず一時置きしたり、違う場所にしまったりすることが増えた。引き出しやカゴに入れればひとまず目障りでなくなるので、つい。そしてそのまま忘れることも多くなり。

 

「あれどこいった?」のセリフ、最近よく言うかも。今も、おくすり手帳が見当たらず、ちょっと困っている。

 

まだいいか、とは思っていたけれど、いや、そろそろまた大掛かりな片付けをすべきなのかもしれない。ただねぇ・・・あの"祭"には結構な決意と覚悟が必要で。

 

引越しのときの断捨離について書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


近藤麻理恵さんの片付け指南本やネットの記事などで、一通りの理屈やコツは理解しているつもりなのだが、素敵にシンプルに暮らすのって「言うは易く行うは難し」なのである。

 

捨てるために「要・不要」の仕分けをするのも、処分の方法を選ぶのも、残ったものの収納場所や収納方法を考えるのも、かなりのエネルギーを要する。コンディションの良いときに、何かに触発されるなどのきっかけを得れば、ワクワクした気持ちでできるかもだけど・・・それはいつ?笑

 

ワクワクとか「ときめき」とかで言えば、片付けるときより圧倒的に、買ったりいただいたりするときの方があるのだもの、難しいよね。ただ、そのワクワクやときめきは、ホンモノであり持続するのか?という視点を持つことだけは、モノを入手するとき、忘れずにいたいと強く思う。

 

ところで先日、新聞販売店さんからチケットをもらったので「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」を鑑賞してきたのだが、これがとても良かった。

 

ウィリアム・モリス(1834-96)
19世紀後半のイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」を牽引したデザイナー、詩人、思想家、工芸家

 

ウィリアム・モリスのデザインが昔から好きで(特に《いちご泥棒》)、さすがに壁紙という訳にはいかないけれど、布や小物をよく買っていた。新聞社勤務時代、社の主催した展覧会で、モリスを中心とするアーツ&クラフツ運動を紹介するというものがあり、その仕事に携われたことが今も嬉しく思い出される。より深く、モリスの美学を感じることができたから。

 


 役にたたないもの、
 美しいと思わないものを、
 家に置いてはならない。

 HAVE NOTHING IN YOUR HOUSES
 THAT YOU DO NOT KNOW TO BE
 USEFUL OR BELIEVE TO BE BEAUTIFUL.

                WILLIAM MORRIS

 


これだ。
私、ここを目指す!

 

心で叫んだなあ、当時。
あまりに有名なモリスの言葉ではあるが、改めて自分の理想を見た思いがして、清々しく潔く暮らす(生きる)ための道標にしようと決めたのだった。

 

今回の壁紙展も、副題に「美しい生活をもとめて」とある。自分の思うところの"美しい生活"をもとめていきたい。

 

モリスのようには、手仕事の素晴らしさを感じさせ自然美を讃えるような作品ばかりを収集できないし、ましてやデザインすることなんてできないけど、そういう精神に近づきたいということなのだ。

 

人によって、役に立つものも違うし、美しさの判断も変わるものだし。モリスの美学を投影した私の美意識を、判断基準とすればいい。

 

そんな思いを持ち帰り、家を見渡せば・・・。
自分の基準に変えても、役に立たないもの美しくないものの、なんて多いこと。笑

 

今は使っていなくてもすごく愛着があったり、美しくなくても大切な思い出があったり。そういうモノは捨てなくていいと、私は思っている。それは私にとって、役に立つものだから。

 

問題は、もう要らないと思っていて、捨てよう捨てようと先延ばしにしていたら、思いの外、役立つときがきてしまい、捨てなくて良かった!という経験があることなんだよね。だから、迷う。高いお金出して買ったものだったりすると、余計に。

 

でも、それにしても、そういうのって、カッコ悪い気がする。生き方から考えれば、私の理想とは程遠いのでは・・・。

 

清々しく潔く生きたいんだよね?と自分に問いかける。自分が美しいと思うものだけに囲まれて暮らしたいんだよね?モリスの精神、美学に憧れてるんでしょ?と畳みかける。

 

うーーーん!
さあ、断捨離しようかなっ!
ちょっと「触発」されたみたい。頑張れそうな気がしてきた。
あとは・・・コンディションだね!(逃げ道を残す)

 

断捨離は、取り掛かる前から精神鍛錬だとつくづく思う。だからこそ、"人生を整える"手段のひとつになり得るのかなあ。

 

虎にマーブルチョコレート

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遠く離れて暮らす老親問題。最近、雑誌や書籍の広告などでよく見かけるテーマだ。多くの人が抱えている問題なのかな。それとも自分が気にしていることだから、目に飛び込んでくるのだろうか。

 

私と弟も、そろそろ今後のことを話し合うべき時期だねと思いつつ先回しにしていたところ、ついに主に父の要望で小さな家族会議をすることになり、先日、実家に集合した。

 

やはりテーマがテーマなので、楽しい帰省ではなく、はっきり言って気が重かった。

 

かかりつけ医や病歴を訊き、健康保険証、障がい者手帳や年金手帳、通帳などの保管場所を尋ねる、くらいはまだ良いが、どんな最期の迎え方がしたいか、脳死状態での経管栄養や人工呼吸での延命措置を望むか、危篤時は誰に知らせてほしいかなど、「そのとき」を意識せざるを得ない話になってくると、気分が悪くなってきた。

 

私が作っていった簡単なレジュメには、その先に「先立たれたとき」の話もある。両親のどちらかが先に逝ったとき、残された者として自宅にひとりで住みたいか、子と同居したいか、他の手段を望むか、という話だ。そこまでは、当日に聞き取らなくても良いと思っていた。考えておいてね、という項目だったし、そういう表現もしてあった。

 

淡々と真面目に答えたりメモを取ったりする母。なるべく明るいムードで事を進めようとする弟。しかし、この集まりを一番強く求めていた父の様子がどこか変だ。すぐに話を脱線させる。今日はここまでにしよう、みたいなニュアンスに持って行く。そして、努めて冷静でいようとしていた私は、実はすごくイライラしていた。

 

私だって気分が悪いよ。こんな話は楽しくないし、むしろ辛いし。でも、しておかなきゃいけないって、自分で言って私たちを集めたんでしょ。

 

しかし、諦めた。父は軽く感情障害を起こしているのかもしれない。そして多分、私も。やっぱり、一度に全部をテーブルに乗っけるのは、乱暴だったのだ。

 

その晩、お酒が入ると私と父は衝突した。久しぶりの親子喧嘩。86歳になっても、あんなに大きな声で怒鳴れるんだね。そして私も、いいトシしてまあ・・・

 

私は自分の中に一匹の虎がいることを知っている。それを飼い慣らし飼い慣らし生きてきた。穏やかな人間でいたかった。しかし、胸の奥に潜むその虎の存在が、自分が弱ったときに支えにもなってくれたのは確かだ。

 

その虎が暴れた。私の抑えを振り払って、父に吠えた。そしてその虎は、他ならぬ父譲りなのだ。思春期の頃のように取っ組み合いこそしなかったけれど、かなりの暴言を吐いた・・・と思う。

 

やってしまったな。疲労感だけが残り、もうこれはどうしようもないのだと、自分に言い聞かせる。自分の中にある、ずっと抑え込んできた粗野で荒ぶる性質が、思いがけず表出してしまったことにショックを受け、脱力している。虎は・・・奥の方でシュンとしている。時々、まだちょっと唸りながら。

 


「お前はマーブルチョコが好きだったなあ」

 

昔、私と娘たちとコンビニに行ったとき、父が私にそう言ったことがある。孫娘たちにお菓子を買ってあげようとしているときだ。

 

「そうなんだ。私はマーブルチョコが好きだったんだ」

 

小粒でカラフルでツヤツヤしている。可愛いし、なんとなく夢がある・・・マーブルチョコレートのことは確かに好きだわ、私。

 

それから時々、自分のためにマーブルチョコを買ってきた。父が目を細めて、幼い私を語ってくれた顔を思い出して。

 


自分に孫ができてわかったことがある。人は「子どもより孫の方がずっと可愛い」と言うけれど、そんなことはない。もちろん孫は可愛いけれど、私は孫娘を見るたび娘たちの幼い頃を思い出し、世界で一番可愛いのは我が娘たちだと思うのだ。

 

決して仲が悪いわけじゃなくて、むしろ昔から愛情が濃すぎるきらいがある、父と私。威張りん坊の昭和一桁生まれの父親に、若い頃の私はずいぶん反発したものだった。でも成人してからはずっと穏やかな関係が続いていたのにね。どうしちゃったんだろう。

 

衰えていく親を、帰省の度に見るのは切ない。そしてついには、お別れのときを意識しなければいけなくなったのかと、年齢を考えれば当たり前のことなのに動揺してしまう自分がいる。

 

あんなに強かったのに。
あんなに私にアドバイスしてくれたのに。
あんなに格好良くて自慢のお父さんだったのに。

 

そんな風に思ってしまってはいけないんだろうけど、小さな失望が積み重なっていくのが哀しい。それは、老いてなお威圧的な態度を取る父を攻撃してしまう、言い訳にはならないけど。もっと、大人の対応ができる私のはずだったのに。(本当かなあ)

 


家族会議第2弾は3月に行われる予定。ゆっくり作戦を練り、今度は慎重に虎をなだめておこうと思う。


そうだね、時々、マーブルチョコレートを与えながらね。

 

あるHSPの小さな誓い―これからは睡眠ファーストで

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松の内も明け(関西地方では15日までのようですね)お正月の気配が薄まり、気がつけば日常が動き出している。新しい年を健康に、順調にスタートできたことに感謝したい。

 

年末、苦しめられていた難聴が治った。耳鼻科クリニックで処方されたリンパの流れを良くする薬が効いたのか、ドクターに言われたように「疲れ」「ストレス」「睡眠不足」を避けようと意識して生活したのが良かったのか。とにかくひとまず、耳鼻科通いから解放されることになった。

 

プールで耳に水が入ったときのような、耳が詰まった感じ。もしくは高層ビルのエレベーターに乗ったときに感じる耳の違和感が唾を飲み込んでも治らない状態。それがずっと何日も続いた。だんだん耳鳴りも大きくなって人の声が聴きづらくなってきた。ひどいときには頭全体に強い圧迫感があり、生活に支障をきたすくらいのしんどさとなった。

 

最初の違和感から1カ月以上たち、さすがにこれはマズイかもと思って受診した私。ドクターは、検査の後にこう言った。

 

「症状が強くなったのが数日前からであっても、病気は1カ月以上前に始まっていたのです。もっと早く来るべきでした。これ以上進行しないように、少しでも聴力を取り戻せるように、これから治療していきましょう」

 

え?少しでもって?
すぐに治ると思っていたので、ショックだった。「もしかしたら治らないかも?それどころか、どんどん聴こえなくなっていくのかも?」と怖くなった。

 

はっきりとした原因は不明。疲れやストレス、睡眠不足が引き金になりやすい。これらをなるべく避けるようにし、自律神経のバランスが崩れないようにすることが対処となり予防となる、といったようなことを言われた。

 

冷たい水を飲み、深呼吸。落ち着いて、自分の暮らしを振り返ってみた。

 

私は現在、それほどまでに疲れやストレスを感じる生活はしていないと思う。かつてかなり悲惨な時期があったので、それと比べたら本当に今はぬるま湯だ。それでももちろん、今だって悩みはいろいろあるし、考えないようにしているけど先のことはやはり不安だらけだ。それがストレスになっている?でもそんなの、みんな、そうでしょう?

 

ただ、自分の気質としてHSP(Highly Sensitive Persons)を自覚している私。生きづらさを軽減していくよう普段から自分をケアすることに気を付けてきたつもりだが、もしかしたらケアが足りなかったのかもしれない、とは思った。

 

HSPについては以前いくつか書いている。最初に書いたのがこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 

※こちら↓のサイトで、HSPであるかどうかのセルフテストができます。
The Highly Sensitive Person


年末年始のイレギュラーな日々が負担で「早くお正月が過ぎちゃわないかなあ」と口にしたら、休暇に入ったばかりの夫が冗談めかして「あ、邪魔ですか?」「早く会社に行けばいいのにって?」と笑った。

 

いや、私はひとりのときはひとりを、二人のときは二人を、三人のときは三人を、楽しんでいる。ひとりのときも好きだし、誰かと一緒の時間も好きだ。だから、そういうことじゃない。ちょっと、手狭でうっとおしく思うときもあるにはあるけどさ。笑

 

私が負担なのは、年内にこれこれを終わらせなければいけない、そのために天気を気にしたり、ゴミ出し最終日に間に合わせるために整理整頓のスケジュールを考えたり、普段と違う買い物の段取りをしたり、そういったワサワサした雰囲気だ。何をしてても「こんなことしてる場合だっけ?」と、常に追い立てられてるような気分だ。

 

多分、12月に入る前から私、そうなることが憂鬱だった。ギリギリで焦らなくて済むように、早い段階から窓磨きやカーテン洗いもした。それは良かったのだけど、早い段階から年末のてんやわんやを意識することで、気持ちが早々に疲れ始めていた。

 

HSPって、そういうところがある。私はあの時期、普段以上に自分のケアをしなくてはいけなかった。

 

耳鼻科で2回目の診察を受けたのが12月17日。この日が一番症状が重かった気がする。頭の中の騒音で周囲の音がよく聴こえず、自転車に乗ることさえ怖かった。が、それから1週間後のクリスマスイブ。朝、あの騒音がおさまり、頭部の圧迫感が薄れていることに気づいたのだった。

 

Lineで友人たちが話を聞いて心配し、気遣ってくれたこと、私の睡眠時間確保に家族が協力してくれたこと。この二つが大きかったのだと思う。愛を感じて、心が安らいだ。

 

「たっぷり眠ったな」と思える日が続き、27日の診察のときにはドクターも感心するほど回復していた。疲れで内耳に水ぶくれが出来てたのが、引いてきたのだろうと。(そういうことってあるの?)

 

そして無事、年が越せた。小さな耳鳴りは今もしているが、あの辛さや不快感はない。

 

治らないかもしれないと思っていたので、本当に嬉しい。耳が聴こえることの有難さを噛みしめる毎日だ。また、睡眠の大切さも身に染みて感じている。睡眠は本当に大事。質も、時間も。

 

思えば、睡眠時間は私の中で優先順位が低かった。これまでかなり冷遇していたかもしれない。

 

これとそれを片付けてから。
ここまで読んでから。

 

そんな風に、眠いくせになかなかベッドに行かなかった私。だって、やることいっぱいあるんだもん!と何かに怒るかのように。

 

でも、自律神経が悲鳴をあげると知った今、もうそんなこと、言っていられない。自分の健康と明日のパフォーマンスのために、とにかく眠る時間をこれからも確保しようと思う。睡眠時間を守る(と言ったって私の場合6時間くらいね)ことを第一に、日中の時間配分や作業計画を見直そう!

 

仕事も、趣味も、勉強も、家事も。無理をしないで楽しく頑張りたいね。そして、疲れたりストレスを感じたら、溜め込む前にちゃんとセルフケアをしよう。疲れやストレスのない暮らしは現代人にはまず無理だと思うけど、軽減したりケアしたりすることはできるはずだから。そのためにも、睡眠は大きく役立つ。

 

今月後半は、実家でプチ家族会議があるし、インタビューの仕事も入っている。コンディションを整えておくことも大人のマナーだ。ちゃんと寝るぞ!笑

 

ところで。
早く寝ることを意識して数週間がたつが、肌の調子がとても良くなってきた。実は期待していたのだけど(そりゃあね)、嬉しい付加価値♡ということで、書き添えておきたい。

 

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小さな炎の優しい揺らぎ―西城秀樹さんを想いながら

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12月も後半になり、気のせいか足早に歩く人が目立つ。我が家の勤め人たちもますます忙しそう。出張やら残業やら忘年会やらが続き、私は一人で過ごす夜が増えた。

 

先日、テイクアウトの握り寿司とスパークリングワインで、簡単に一人ごはんを済ませようとしたときのこと。ふと思いついて、キャンドルに火を灯してみた。

 

あら、いい感じ。
一気に侘しさは吹き飛び、温かみのある食卓に変わった。

 

何かで「キャンドルを灯せばたちまちヒュッゲな空間になる」といった文章を読んだことがあるが、その通りだ。

 

ヒュッゲ(Hygge)とは、デンマーク語で「居心地の良い時間や空間」といった意味合いを持つ幸福概念。私は何故か、寒くなってくるとこの言葉を思い出す。

 

ヒュッゲについて以前書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


キャンドルって、なかなか良い。テーブルで小さな炎が揺れているのは優し気で、ちょっと幻想的。幼い頃に読んだ『マッチ売りの少女』を思い出したりする。

 

あのお話はとてもとても可哀そうなのだけど、マッチの小さな炎の向こうに大好きなおばあさんが現れて少女を抱きしめてくれるシーンがロマンチックで、アンデルセン童話の中でも特に好きな作品だ。

 

マッチも見なくなったけど、キャンドルも近年はLEDのものが増えてきたようだ。小さい子がいる家ならその方が安全。でも、原始的な「火」は人の心を動かすよね。

 

私は「囲炉裏」体験はないけれど、子どもの頃、焚火にあたったことがある。それから、キャンプファイヤー。不思議なことに、ワクワクする一方で厳粛な気持ちにもなり、いつまでも飽きずに見つめていられた。傍にいる人との一体感を、心地よく感じていた。

 

小さな炎の揺らめく光の中で、一人の食事が少し華やぐ。でも、やっぱりスマートフォンを手にしてしまう私。最近の私は「ヒデキファン」のつぶやきを拾うのがとても楽しみなのだ。(突然、HIDEKI!)

 

先週のことだった。このブログで以前書いた記事を、ある方がツイッターで好意的に紹介してくれたことを知った。リツィートが繰り返され、ブログのアクセス数が飛び上がった。ツイッターでは、たくさんの方がとても素敵な感想とともにフォローを申し込んでくださった。びっくりして、ちょっと焦ったけれど、皆さんのその「ヒデキ愛」に感動した数日だった。

 

3カ月も前の記事を、ネットの海から見つけ出して読んでくださってありがとう!「これ読んでみて」と紹介してくださってありがとう!ブーメラン組のひ弱なファンである私に、温かく優しい言葉をかけてくださってありがとう!そして、西城秀樹さんへのそれぞれの想いを熱く語ってくださって、共感したと涙してくださって、どうもありがとう!

 

その幸せな記事は、こちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


なんだか最近はますます涙腺がゆるくなって、HIDEKIに関する思い出話や昔の映像を見せてもらうと、キャハハと笑った後にベソベソと泣いている。「可愛いね」「かっこいいね」「お茶目だね」と目尻を下げ、その後「こんな天使みたいな人がもういないなんて」とこみ上げてしまうのだ。同じ思いをしている人がたくさんいるのだと知ってからは、また違う涙が加わって。・・・あったかい♡

 

と、ハッシュタグの「#いつも心にヒデキを」に目が留まった。調べてみると、TSSテレビ新広島が2005年、開局30周年キャンペーンで用いたキャッチコピーらしい。

 

西城さんの故郷は広島。当時のCMの動画を見ると、50歳くらいのHIDEKIがブーメランを投げて元気のないサラリーマンを励ましている。あの大スターが、キャンペーンを盛り上げるために、故郷のために、こんな風に一肌脱いだんだね。

 

それにしても、いつも心にヒデキをって。・・・なんてステキなんだろう!
いつもあなたは、私の心にいるよ、という意味とともに、いつもあなたのようなハートでいられるように頑張るね、という意味にもとれる。

 

HIDEKIのようなハート?
常に前向き。プラス思考。人を悪く言わない。家族や友人を大事にする。大好きな音楽とともに生きる。いつだって努力をする。愛するファンを喜ばせたいから、大好きな音楽の世界をみんなに知ってほしいから・・・
だめだ。また泣けてきた。

 

西城秀樹さんの音楽活動については、ライターの宮内健さんの書いたこの記事が端的で好き。単なるアイドルではない、HIDEKIのロッカーとしてのピュアなハートとスターとしての偉大な功績が、もっと広く伝わってほしい。

想いは流れ、広がっていく。心はさざ波を立てながらも、優しさへと落ち着く気がする。ヒュッゲな時間は、5分でも1時間でも生活に採り入れられたら、と思う。ふんわり心豊かになれそうで。一人のときも、大切な人と過ごすときも。

 

マッチ売りの少女の話に戻る。
可哀そうな少女だけど、ただ一人自分を大切にしてくれたおばあさんに会えて、最期は幸せだったかな。幸せな気持ちだったらいいな。
そして、つい思ってしまう。HIDEKIはどうだったの・・・?

 

ああ。キャンドルの小さな炎の向こうに、幻影でもいいからHIDEKIが現れてくれないかな。

 

「でも、ごめん。まだそちらには行けません。
抱きしめてもらうのは大歓迎だけど。(おい!)
もう少し、こちらの世界で自分のミッションを果たそうと思います」

 

そんな風にHIDEKIに向けて、つぶやいたりしてね。やれやれと言われそうだね。(笑)

 

諸々弱いところの多い私だが、「いつも心にヒデキを。」をキャッチフレーズに、この後まだ少し続くであろう人生を、日常を、素敵に生きていけたら、と願っている。

 

素敵なモノに出会えるかな?―藤が丘マルシェ early bird

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今年こそ、“師走のせわしなさ”に巻き込まれない!と心に決めていたのに、やっぱり焦燥感から逃れられないでいる。心にゆとりのある大晦日を迎えるために、早め早めに年内に済ませるべきタスクをやっつけてきたつもりだった。それなのに次から次へと増えていくタスク。ああ!

 

・・・言い訳はいろいろできるけど、まあ、やめておこう。まだ、20日あるし!ね。

 

週末、最寄り駅そばの「藤が丘マルシェ early bird」をのぞいてきた。年に数度開かれる小規模マルシェだけど、近隣のお洒落なお店が集まってちょっと良い雰囲気。お目当てがなくても、開催を知れば様子を見たくなってしまうので、ほぼ毎回行っているのじゃないかな、私。

 

2年前に初めて行ったときに書いたのが、こちらの記事。

tsukikana.hatenablog.com


正直に言うと、ここ何回かは前ほど面白さを感じなくなっていたのだった。私が見慣れてしまったせいなのか、出店側の内容が代わり映えしないせいのか、なんとなく物足りない。

 

でも、今回は私の好きな「北の住まい設計社」が初出店すると聞いたことと、師走の慌ただしい日常から逃れホリデーシーズンのキラキラした雰囲気に触れたくて、やっぱり出向いてしまった。

 

繁華街の喧騒が苦手なので、近場でセンスの良いものを見られてホンワカした華やぎも感じられるのは、私にはとてもありがたい。

 

今回は9時前に到着したのだけど、「コハルベーグル」さんには既に長い行列。相変わらずの人気だ。ここのベーグルがとっても美味しいのはちゃんとわかっているが、今回はパスして、ざっとお店を見渡す。

 

一目ぼれしたソックスは2160円とお高かったが、その値段に見合う素材とデザインだと納得し、母に贈ろうと買い求めた。とにかく、素敵で気に入ったから。

 

一期一会を感じられるのも、マルシェの醍醐味だろう。これまで訪れた中で、悩んだ末、買うのをやめたモノたちを思い出してしまう。とってもカッコよかった植木鉢とか、編み目とフォルムが抜群に美しかったカゴとか。

 

買っておけば良かったかな。次、があることの方が珍しいのが、マルシェなんだよね。判断力が試される、と言ったら大袈裟か?

 

春、夏、秋、冬。このマルシェを見てきたが、やっぱりクリスマスの時期が一番ステキだと思う。

 

プレゼントしたい、されたいモノたちがたくさん並び、ディスプレイにも力が入っていて見応えがある。特設の一日限りの会場で、こういう見せ方ができるのかと、家のインテリアの参考にもなりそう。そこここにあしらわれた小さなサンタクロースやトナカイに、何度もホッコリする。

 

特にお値打ち品が並ぶというわけでもないこういうマルシェが、「良いものとの出会い」を求めるお客さんたちで朝から賑わうということが、なんとなく嬉しい。その様子を見たくて、出向こうと思うのかもしれない。

 

次の開催日はいつ頃決まるのかな。もう少し頻度が高いといいのにな。出店はどのような基準で、どのような手続きで決まっていくのかな。仕掛け人はどんな人なのかな。などと、興味は膨らんでいく。

 

今日は耳鼻科へ行くために、また駅前に行った。マルシェの会場だった広場は、もちろんガランとしていた。当たり前じゃん、と思いつつ夢から覚めた気分で、ちょっとだけ体感温度が下がった。

 

それにしても、膝が治ってきたと思ったら、今度は耳。難聴。神経から来ていると考えられるけどはっきりした原因は不明であるという診断で、ひとまず薬を飲んで様子を見ることに。疲れとストレスと睡眠不足を避けて、と言われた・・・。

 

うーん。でも凹んでいられないよね!
12月、やること、いっぱい!

 

常識にとらわれず、自由に刺しゅうをしてみたい

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久し振りに刺しゅう針を持った。刺したのは、ずっと気になっていたatsumiさんのデザインだ。正確に言うと、atsumiさんのデザインを真似してみたもの。

 

NHKの「すてきにハンドメイド」で作品を見て、是非この図案を刺してみたい!と思ってから約半年。インスタグラムで、arsumiさん始め多くの刺しゅう作家さんや愛好家の方たちの作品を拝見し、刺激をいただき続け、意欲だけは高まっていた私だ。実行できないまま時間ばかりが過ぎていったのだけど……。

 

ついに先日、録画しておいた番組を再生し、よし!と実行に移す。なーんて大層な感じだが、小さなアルファベットひとつを刺し、ブローチに仕立てただけ。それでも、やっぱり刺しゅうは楽しく、こうして実行できたということは喜ばしい。

 

ところで今回、録画したものを一時停止したり巻き戻したりして、自分でも意外なほど熱心に見た。これまでは作家さんの図案集から選び、トレースし、出来上がり写真を見ながら刺していたのだが、作業する手元までアップでゆっくり見せてもらえるというのは、こんなにもわかりやすいものなのね。テレビってすごい。録画再生で確認できるというメリットを、目いっぱい活かせた感じ。録っておいて良かった。

 

ワークショップやカルチャー教室で教えてもらうのであったら、多分、私はたくさん先生に質問してしまうタイプの生徒だろう。思えば「これは、こうでいいのかな?」とつぶやき「ま、いいんじゃないかな」と自分に返事しながら、でもどこか釈然としないまま、いつも進めてきた気がする。本の情報量の限界を知る。

 

先生について何かを習う、ということを随分していない。病気をして人と会うのがちょっと怖くなってからかな。特に初対面の人とコミュニケーションをとらなければならない、というのが、仕事以外だと苦痛に感じるようになってしまった。以前はわりと、得意分野だったのだけどね、そういうの。楽しかったし。

 

病気は治ったとはいえ、昔のようには戻れていないなあ、と思い至り、ふと寂しさを感じる。でも、一人でいること自体は別に寂しくはないし、やることもいろいろあり忙しくしているから、普段は自分の対人スキルの変化についてあまり考えることはしない。

 

ただ、テレビ番組などで手芸や料理の先生を見ていて、この先生の話し方や雰囲気は好きだなあとか、こういう先生の教室だったらちょっと行ってみたいなあとか、リラックスして楽しめるかもしれないなあとか、思わないこともない。もう少し、なのかもしれない。

 

テレビで見たatsumiさんも穏やかな雰囲気が漂う方で、作品とともにお人柄も魅力的なのだろうな、と思った。ステッチのコツを教えてくれるその声も、落ち着いていて優しく、心地よかった。

 

さて、肝心の作品だ。番組では、俳優の宮崎あおいさんがatsumiさんの刺しゅうの大ファンだということで、コメントを寄せており、「色使いが特別」「抜群にデザインが可愛い」と絶賛していた。確かに、甘くラブリーに思われがちな刺しゅうのイメージがガラッと変わる作風だと思う。特にエンブレムなどは本当にかっこいい。

 

今回の作品は初心者でもトライしやすい、シンプルなアルファベット。ステッチも「コーチング・ステッチ」「コーチドトレリス・ステッチ」「フレンチノット・ステッチ」「サテン・ステッチ」の4つだけ。チャーミングなデザインで、妙に心惹かれる。

 

刺し方の基本の部分では、最初に玉止めを作って糸端を短く切ってから挿し始める、というところが、私には新鮮だった。糸端は10センチほど残しておいて、後で針に通して糸始末をする、というのが常識だと思っていたから。

 

そうか、常識にとらわれなくていいんだ。

 

その気づきが、番組を見ての一番の収穫だったかもしれない。ここ数年の私の大好きワードである「自由」が、心の水面下からプカッと浮かび上がり光り輝いた。こうあるべき、こうしなくてはいけない、という思いに、意外と根深く絡めとられていたのではないかな、私って。刺しゅうの刺し始め、に限らず。

 

また、今回は手元に図案がなかったので、画面を見ながら自分でデザインを描き取るということをした。斜線の角度とか、文字の大きさに対する線の太さのバランスとか、かなりアバウトだ。自分が「こんな感じがいい」と思う感覚を優先してみたのだが、そういうのも気持ちが良かった。

 

デザインはあくまでも参考にして、自分の直感や好みを作品づくりに反映させていくという楽しさ。正解を追い求め過ぎない気楽さ。なんだか、ひとつ前進できたような気がする。気のせいかな?

 

さて。小さな作品がひとつ生まれると、すぐに次を作りたくなる私。そうしてまた、取り掛かりまでに時を要してしまうのかもしれないけど。

 

桜井一恵さん、青木和子さん、シライカズミさん、atsumiさんと、これまで好きな作家さんの図案を楽しんできた。手元の図案集の中には刺してみたいものがまだたくさんある。でもそろそろ、自分で自由にデザインし、刺してみるのもいいかな、とも思い始めている私。

 

・・・「自由」って、ちょっと勇気がいるけどね。