一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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母のミシン、私のミシン

 

私が子どもの頃、家にはミシンがあり、母が時折り踏んでいた。
踏む・・・そう、足踏みミシンなので母はいつも「ミシンを踏む」と言っていたのだ。

 

昔は洋服が高価だった。子ども服は親戚やご近所からお下がりをいただくのが当たり前、という時代(庶民はね)。洋裁学校を出ている母が、幼かった私や弟の服をよく作ってくれたのも、そんな時代背景があったからだろう。

 

転勤族の我が家だったが、引っ越したどの家にもあの足踏みミシンの姿があったと記憶する。私が物心ついた頃からある。ということはあのミシン、母はいったいいつ購入したのだろう。安くはなかったはずだけど。「貧乏だったのよ」が母の口癖だったのにね。^^;;

 

母は、たまに油を注したり、ベルトの調子を見たり、あのミシンを大事にしていた。使っていないときは、機械をテーブル面に反転させてしまい込み、埃をはらってカバーを掛けた。カーテンみたいな生地(ゴブラン織り?)の、フサのついたカバーを。

 

中学生になり、私は家庭科が好きになった。当時はまだ、女子だけの科目。調理実習も楽しかったけど、自分でブラウスやパジャマを作れる、というのがとにかく嬉しくて。

 

あの頃は、学校にあったのも足踏みミシンだった。宿題で制作の続きをやっているとき、下糸を納めるボビンケースに糸が絡まったりして、その度に母に泣きついたことを思い出す。

 

高校生になると、洋裁好きな親友の影響で、雑誌を参考に着たい服を作り始めた。彼女と色違いで作ったグレンチェックのフレアスカートや、グリーン系タータンチェックで作ったチュニックワンピは特にお気に入りだったので、今でもよく覚えている。小さな襟とポケットを綺麗なモスグリーンの別珍にしたことも♡

 

採寸して、型紙を作り、生地を買ってきて布目を整え裁断し・・・と、ミシンの工程まではなかなかの遠い道のり。他にも興味のあることが山積みだった女子高生が、よく頑張った。採寸。そうそう、当時はウエストが56cmだったことも思い出した。そ、そんな頃もあったのね・・・ため息。

 


短大では被服を専攻した。入学前に、母が私のためにミシンを買ってくれた。電動のミシンだ。嬉しかったなあ。

 

就職し上京したときも、ミシンは連れて行った。服はもう作らず買ってばかり。カーテンとかクッションとかベッドカバーとか、そういう布ものを縫っていたと思う。

 

結婚する前に、少し両親のもとで暮らしたのだけど、そのときに母は私のミシンを分解掃除に出してくれた。購入してちょうど10年後のことだった。

 

あれから30年以上。我が家の娘たちの服を数枚、入園準備のグッズをいろいろ、インド綿で重たいカーテンを作ったり。この電動ミシンにはどれほどお世話になったことだろう。

 

それでも年月には抗えない。ここ10年ほど、ほとんど活躍することがなくなったミシンは手入れもされず、押し入れにしまわれたまま古びていった。

 

まだ動くのかな?なんて恐る恐る出してきたのは3年前。新型コロナの感染拡大でマスクの入手が困難になり、布製マスクを家族に作るためだった。

 

最初のうちはなんとか動いてくれていたのだけど、だんだん音がおかしくなってきて。スピードも安定しないし、針目も怪しくなってきた。

 

これはもう寿命かな。分解掃除に出してメンテナンスしてもらえば、なんとかなるのかな?

 

そう思いながらもまた押し入れにしまい込み、日常の慌ただしさに紛れ、そんなミシン問題も置き去りにしてしまった私。

 


一方で、母の足踏みミシンは数年前に処分したと聞かされた。

 

断捨離してほしいものは、清水の実家には山のようにあったのに、まず捨てちゃうのはミシンなの?と、聞いたとき少し悲しくなったっけ。でも、口出しすることではないので黙っていた。自分が引き取れるわけでもないのだしね。

 

あのミシン、実は素敵だと思っていたのだ。

 

お洒落な雑貨店などで、古いミシンが小物を並べる什器として使われているのをたまに見かける。母のミシンだって、やりようによっては、あんな風にアンティーク的な魅力を発揮できたかもしれないのになあって思ったりする、ちょっと未練がましい私である。

 

そしてコロナ禍の3年ほどの間に、母も、父も、他界してしまった。

 


さて、私のミシンである。
今年10月になって、手芸系のある習い事を始め、今すぐではないが、いずれミシンがけが必要になることが判明した。そこで、件の電動ミシンを修理して使うか、新しいミシンの購入を検討するか、判断を迫られたのだった。

 

真剣に考えた。
こんなにミシンについて考えた1か月は初めて。笑

 

10月の清水行きのとき(遺品整理のため私は清水の実家に通っています)、クルマにミシンを積んで出発。途中、ミシン修理専門店に立ち寄り、修理が可能かみてもらった。

 

・・・ダメだった。
電気系統が原因の故障で、もう部品も製造されておらず、どうにもならないと。

 

そうだよね。40年以上も昔のミシンなんだもの。
がっくりとした私。心のどこかで、母に買ってもらったミシンをまた使えるのでは?と期待していたのだ。

 

電気系統なんてものがなかった母のレトロな足踏みミシンなら、どんなに古くなったって、修理したら動いたんだろうね、きっと。

 

それでもその店の方が言ってくれたひとことが嬉しかった。
「これ、いいミシンで人気があったんだよね。あの頃、一番高かったやつですよ」

 

お母さん、ありがとう!😭

 


そのまま清水までミシンを乗せていった私たち。実家の2階のアンティークコーナー(笑)に、ひとまず並べておくことにした。革カバーがカビてしまったような古いカメラとか、オープンリールのテープレコーダーとかの隣にね。夫が「普通に捨てちゃったらダメな気がする」と言うので、処分保留にしているモノたちだ。

 

夫にはそういうところがある。先人のクラフトマンシップに痺れる、みたいな。
修理店に持って行く前日も、ミシン内部の手が届く場所を私が掃除していたら、積極的に参加してきた。

 

ミシンは「マシン」だ。中の機械はメカニックで、なかなかかっこいい。「すごいなあ、よくできた仕組みだなあ」と、彼は目を輝かせて掃除してくれた。エアダスターとか持ち出して。今度、〇〇(娘婿)にも見せてやろうよ、などとも言っていた。笑

 

ミシンをかけているとき“操縦する”ような気分になったことがある。それは、手縫いの楽しさとはまた違う、ワクワク感なのだった。マシン好きな男子にも受けるのかもしれない。

 

清水に滞在中、何度もこのミシンに目がいき、母のミシンとともにたくさんの思い出がよみがえった。そうやって、お別れすることを自分に納得させていった。

 

帰りの車中では、はい、ゲンキンなもので、新しいミシンをどれにするか、すごい勢いで検索しておりましたよ!笑

 


今は、どんなミシンがあるんだろう。どんな機能があるんだろう。メーカーも種類も多い中で、今の私にはどれが手頃でちょうど良いんだろう。

 

とても迷い、悩んだ結果、今、一台のマシン、もといミシンが私のそばにある。

 

そもそもミシンはどこで買うの?(昔はミシン販売店があったと思う)から始まった私のミシン探しだったが、結局Amazon。ちょうどプライム感謝祭の最終日で、18%引きで購入することができた。
なんとラッキーなこと✨

 

多分、これが私の人生最後のミシンだろう。
大切にしなくては~♬*゚

 

それにしても、新しいミシンは嬉しいもので(*^^*)
前のミシンとはスイッチやレバーの位置が違うから、まだ慣れないのだけど、それさえも新鮮で嬉しい。動きがとてもスムーズで、音も小さいし、何より綺麗だ。新しいんだから当たり前か。

 

ミシンが・・・
使えるミシンが、家にある。
それは、可能性が広がることでもあるんだなと今、私は実感している。課題の制作だけに使うつもりは毛頭ない。

 

また、着たい服とか、作っちゃう?そんなこともできるのだ。
いや、できるのか?
何十年も服なんて作ってないんだけど?

 

コホン。とりあえず、巾着袋とか量産しそうな気配である。
私の新しい「ミシン物語」が始まった。

 

 

3年前に作ったマスクたち




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リネンに花糸✻刺し子のファブリックパネルをつくる

 

今年の夏は例年にも増して激烈で、ちょっと外に出るのも勇気がいるほど。被害をもたらした台風7号が去った後も、ベッタリとしたいや~な熱風が吹いている。

 

そもそも夏が苦手な私、かなり早いうちからもうぐったりで。それはもう、情けないほど。悪魔のような日差しを避け、遮光カーテンを閉めた暗い部屋で、テレビをつけてボーっとする時間が必要だった。

 

見ているのはYouTube。涼を求めて、森と小鳥の映像を、毎日のように眺めていたのだった。

 

森は、いいなあ。
小鳥は、いいなあ。

 

そんな風に現実逃避をしながら、ときどき手帳に落書きをしていた。木とか鳥とか。思いきりデフォルメして。

 

するとそのうち、なんとなく、それを刺し子で表現してみたら面白いんじゃないか?と思いついた。

 


連日、体温超えの暑さ。おこもりさんの生活の中で、私になんとか元気をくれていたものは、針と糸だった。そこに、自分でデザインする、という楽しさも加わった。

 

どんな風にしよう。刺し子の寄せ模様風にしてみようか。

 

刺し子の一目刺しは、刺しゅうのステッチとして面埋めに使えそうだと、実は以前から思っていた。それで、一目刺しにはどんなものがあるのか、に興味を持ち、あれこれ調べもしていた。
✻一目刺しとは、一定の針目で縦、横、斜めと同じ方向を順に刺していく、刺し子の技法のひとつ。

 

小さな作品にしたい。だから、なるべく細かい一目刺しを選ぼう。寄せ模様風にするなら、少なくとも6種くらいは使いたいな。色も変えて、パッチワークみたいにしよう。

 

図案の輪郭線は、フランス刺しゅうの技法を使おうか。チェーンステッチにしたら可愛いんじゃないかな。ストレート+フライステッチも、ボタニカル感が出て素敵かも。

 

布は、やっぱりリネン。刺し子糸ではなく花糸を使ってみたら、ちょっと雰囲気の新しいものになるんじゃないかな、とも思った。OOE花糸は、デンマークの草木染の木綿糸で、マットな風合いと淡く微妙なニュアンスカラーが魅力の刺しゅう糸だ。

 

思いつき始めると、どんどん思いつきが繋がり広がっていくので面白い。デザインを考え、糸色を考え、使うステッチや一目刺し模様を考えていると、夢中になって一日があっという間に過ぎていく。

 

水通ししたリネンをアイロンで整え、自作の図案を写す。5ミリの方眼線をひく。
ここまでくれば、あとは刺すだけ。至福の時間だ♪

 


そうして、私の思いつきは形になり、ふたつの作品になった。とりあえず、Instagramにpostする。

 

私は、自分で作った刺しゅうや刺し子の作品は、なるべくインスタにあげるようにしている。それは、そうすることにより緊張感が生まれ、上手になろう、丁寧に刺そうと自分が努力するから。人に披露することが、上達への近道だと信じているのだ。

 

上手になりたい気持ちは、ずっと変わっていない。本当は作品そのものよりも、上手になることが私のほしいものなのかもしれない。

 

✻そう、刺しゅう以外のことも上手になりたいとずっと願ってます↓

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インスタには「額に入れて飾りたいですね♡」とコメントしてくださる方もいた。
お世辞でも嬉しい(*^^*)
額装、かあ。それもいいかもしれない、と思った。

 

出来上がった刺しゅうをどうしよう問題は、ずっと昔からあるのだけど、私は今回、やってみたいことがあった。それは、パネルに仕立てることだ。

 


ファブリックパネルとは、木製パネルにファブリック(布)を貼り、絵を飾るように壁に掛ける、北欧生まれのインテリア。ファブリックボードとも呼ばれる。私はこれを自作してみたくて、去年、好きな柄の布を使ってトライした。洗面所の殺風景な白い壁が、小さなパネルひとつで楽しい景色になった。

 

ただ、布を両面テープで貼り付けたこと、家にあった布を普通に貼っただけということが、ちょっと物足りなかった。もっとちゃんと作れないだろうか。オリジナリティが出せないだろうか。

 

それで、今回は刺し子&刺しゅうの作品を、パネル仕立てにしてみようと決めたのだ。

 

木製パネルをネットで注文し、表面に白いフェルトを貼る。こうすることで木目が透けなくなるし、ふっくらやわらかな仕上がりになる。いろいろ勉強した。笑

 

そして、今回は本格的にガンタッカーを使った。これ、ホッチキスの大きくてごついやつ、みたいなもので、針を打ち込むとき、かなり大きな音がしてちょっと怖いのだ。

 

タッカーの針の背が、壁を傷つけてはいけないので、最後に製本テープでカバーする。こうすると、裏の仕上がりも綺麗だ。

 

タッカーとか製本テープとか、いかにも工作っぽい!

 

そうして、刺し子と刺しゅうのファブリックパネルがふたつ、完成した。
なかなか可愛いでしょ?

 

ふたつ並べて壁に掛けてみる

 

作っている間、いろいろな思いがよぎった。誰かのもとに行くかもしれないこのコたち。飾ってもらえた空間で、ささやかでも優しさや楽しさが生まれたらいいな。そこに、穏やかな時間が流れてくれたら嬉しいな、と。

 

思いつきで始めたことではあるけれど、目にしてくれた人が楽しんでくれることを願って、気持ちを込めて刺したつもりだ。森や小鳥を愛する気持ちや、平和への願いなどもね。

 


今回は、やりたいことが全部できた感じで、とても清々しい。猛暑の辛さも、おかげで軽減できた気がする。

 

そしてやっぱり、手芸とか工作は絶対、脳の活性化に貢献してくれるものだと思う。完成までの時間を経ることで気持ちも前向きになれるし、クリエイティブな喜びも感じることができる。

 

まるで、夏休みの自由研究みたいだったこの経験。くせになりそう♪

 

次は何をつくろうかな




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寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中

 

清水から帰ってきたら、ニオイスミレが咲いていた。

 

冬枯れの景色だったベランダに、そこだけ色が付いたようだった。ほのかな甘い香りも春の訪れを告げている。

 

律儀だなあ。
ほったらかしだったのに、ちゃんと今年も花を咲かせてくれて、嬉しいような申し訳ないような気分になる。疲れが、ゆっくり癒えてゆく。

 


清水には、今回は4日間滞在した。12月に2泊で行ったときは、銀行さんに行ったり業者さんを迎え入れたりするのがメインで小さな作業しかできなかったが、1月下旬に弟夫婦が5日間片付けに入ってくれ、おかげで整理もかなり進んだように感じる。

 

✻昨年暮れの清水行きを書いた記事はこちら↓

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それでもまだまだ、やることは残っている。どうしていいのやら、迷っていることもたくさんある。遠くにある実家の片付け・・・いやあ、手ごわいわ。

 


毎回出るごみの量もすごいのだ。
静岡市清水区の可燃ごみ収集日は、週に2日。これに合わせて日程を組みたいのだが、必ずしもそうはいかない。出せなかった分は、帰りがクルマの場合、大抵はトランクに詰め込んで自分の家に4、5袋は持ち帰ることになる。

 

不燃ごみと粗大ごみは月に1回、決められた日に出せるが、1週間前までに回収の予約が必要だ。袋いくつとか、家具などはサイズも伝えておかなくてはならないし、個数制限もある。なので、これまで不燃ごみは自宅に持ち帰っている。粗大ごみについては、これから考えなくてはならない。

 

ペットボトルや缶、段ボールや新聞紙や雑誌、雑紙(ざつがみ)、本は、回収ステーションに運んで処分させてもらっている。ビンは持ち帰る。ビン、缶、ペットなどの収集日もあるのだが、月に1度しかなく、滞在の日程に重なることは稀だと言えるので。

 

回収ステーションでは服は扱っていないらしい。母のときは、父に頼まれて私が持ち帰ったり可燃ごみに出したりしたっけ。古かったり染みが付いてたりするものは、リサイクルショップに持って行きづらくて。父の服は、1月に来た弟夫婦が、彼らの地元で処分してくれた。

 

しまい込まれていた父母の衣類の多さには、弟夫婦も私たち夫婦もほとほと呆れた。若い頃からのものが、ほとんど捨てられていない。物が捨てられない世代とはよく聞くけれど、ここまでとは。

 

あまりにも古いものや下着類は迷わず捨てられたけど、「これ、気に入ってよく着ていたなあ」と懐かしく思うものや、状態の良い上質の衣類、大切にしていたであろう綺麗なデザインのものなどは、処分の手が止まり、心が揺れた。特に母の洋服。まだまだ断捨離が進まず、かなり残っているのが実情だ。

 

今回は、そんな服の中から2点、服地を切り抜いて「くるみボタン」を作った。母のお気に入りだったコートと、プリーツが美しいブラウス。

 


くるみボタン。実は、11月に清水に行ったとき、父の愛用のベストからも作っている。十数年前に、私が誕生日プレゼントとして贈ったものだが、ポケットがたくさんついていて便利だし、色や形が気に入っていると言って、ボロボロになっても毎年着てくれていたのだった。

 

あちこち擦り切れているし、洗っても落ちない汚れが染みついている。もう捨てたら?と何度父に言ったことか。弟もブランドを調べて買い直そうとしてくれたらしいが、当然だろう、既に製造されていない。

 

父の遺影は、去年、心臓のペースメーカーのバッテリー交換手術の前々夜、私がスマホで撮ったものを使用したのだが、このときもそのベストを着ている。

 

この写真、とても良い笑顔で、10歳くらい若見えするのだ。笑顔のおかげかベストの汚れはほとんど目立たず、これって私のお手柄だよね~、と自分では思っている。父に褒めてもらいたいな。笑

 

というわけで、このベージュのベストも簡単には捨てられなかったのだけど、裏地が暖色のチェック柄になっていて、なかなか素敵なのだった。傷みも少ない。くるみボタンはそこから切り出して作ることにした。

 

ボタンにしたからと言って、別に何かの服に付けるわけではない。ただ、思い出の服の一部を小さく可愛く保存することで、心が落ち着くというだけの話だ。でも、そこが大事。

 

とにかく、くるみボタンの可愛らしさは理屈ではない。それは、昨年の小さな手芸で実感したものだった。そして、ビックリするほどそれは簡単に作れる。

 

✻もうひとつのブログで書いています。よろしければどうぞ↓

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そんな父は、服だけでなく日記も書類も捨てられない人。今回は2階洋室のデスクや本棚に残された父の古い書類や書物を中心に断捨離をしたのだが、まあ、本当に大変なことだった。

 

滞在最終日、この辺りをよく散歩するというご高齢の紳士がやって来て、柚子大根を作りたいので、庭の柚子を少し分けてほしいとおっしゃる。時期的にもうあまり店頭に並ばなくなってしまったので、と。

 

2年ほど前にもお願いしたことがあるんですよ、とのこと。そう、父からその話を聞いたことがある。後日、お礼にと柚子大根をお裾分けしてくれた方だ。

 

「柚子がお役に立てて父も喜びます、お好きなだけどうぞ」と、私はもちろん快諾。枝切バサミを貸して差し上げた。

 

その方がハサミを返しに再び呼び鈴を鳴らし、私は玄関先で彼と少し話をすることになった。父の他界を残念がってくださり、自分も子どもたちのために終活をしようと思っている、なんてお話をされた。

 

「親の遺品整理では、何が一番大変ですかね」

 

そうたずねられ、ちょうど父の書類をまとめて紐掛けしていた私は、即座に「書類です」とこたえた。

 

服も小物も確かに大変。これから扱うアルバムや食器類も、きっとすごくすごく大変だろう。しかし、書類はざっと目を通し、捨てていいか捨てたくないか、読んで判断しなくてはならない。個人情報などがあれば、簡単には捨てられない。父は公務員だったので流出してはまずい書類もある。シュレッダー案件だ。

 

走り書きのある書類には、その筆跡に若き日の父を想像し、胸が熱くなる。結婚前の書類まであるのだから、想像力を掻き立てられ、古い小説を読むような気分にすらなる。

 

日記やノートも、読んだら悪いかな、と思いながらもチラチラ見てしまう。今の私よりずっとずっと若い父が、青年だった父が、公私にわたり初々しい悩みを書き付けている。うう、だめだー、でも、読んじゃう!・・・仕事がちっともはかどらないよ~!

 

以前、父と母の往復書簡を発見したときと同じように、子どもとしては知ってはならない秘密を見てしまったような、罪悪感まじりの甘さと切なさを覚えた。これ、父は自分で捨てておくべきだったよね。笑

 

「書類は、読んで判断して処分しなくてはならないので、時間がかかるんです。読んじゃまずいかな、なんて気持ちにもなり、辛いですよ。現時点で不要なものなら、ご自分で処分された方がいいかもですねぇ」

 

などと、柚子の紳士に告げながら、私は自宅にしまわれている自分の書類について考えてもいた。私も、早めに「あれら」を断捨離しなくては!

 

夫ともその話になり、「私が死んだら読まずに捨ててねBOX」を用意しなくちゃね、などと笑いあった。執着があり、今はまだ捨てる決心ができないノートや書類を入れておくのだ。死後、娘たちに苦労をかけたくないし、また、読まれたら恥ずかしくて、死んでも死にきれない。笑

 

でも、ふと思うのだ。もしかしたらだけど、父はあのノートを実は子どもに見せたかったのかな、と。自分にもこんな出来事や悩みがあったんだよ、知っておいてもらいたいよ、なんてね。

 

今となっては、確かめようがないのだけれど。
お父さん、結局いろいろ捨てちゃってごめんね。

 


今回は、父の命日に合わせて帰省・・・あの恐ろしい日々から、1年がたった。

 

行きはひとりで新幹線で行ったが、帰りは夫がクルマで迎えに来てくれた。ごみ袋でパンパンになった後部座席が恥ずかしかったけど、良いお天気だし、せっかくなので日本平あたりをドライブしながら帰ることにした。

 

日本平ホテルには、いくつかの楽しい思い出がある。広い芝生の庭に出て、梅の花越しに清水港を見下ろせば、本当に美しい景色だなあと感動。雲で富士山が見えなかったのは残念だったけどね。

 

清水港の画像

日本平ホテルの庭から見下ろす清水港

 

その後、ロープウエイで久能山へ。今年は大河「どうする家康」効果で、東照宮を訪れる人も多そうだ。少し石段を下りたところから見晴らせる、春の駿河湾はまぶしかった。そして、なんというか、清々しい気分になれた。

 

久能山東照宮近くから見える駿河湾の画像

久能山東照宮近くから見える駿河湾

 

 

実家の片付けは大変だ。けれど、父母の思い出の品に触れ、古い記憶を呼び覚ましたり、私の知らない彼らの姿を知ったりするのは、きっと得難い経験なのだろう。

 

寂しくもあり、あたたかくもあるよねと、夕食後のひとときをひとりで過ごすのも悪くなかった。好きなプレイリストを流しながら、今回は刺し子も少ししたりして。

 

疲れても、気持ちがニュートラルになる、前向きになれる。そんな針仕事をライフスタイルに加えられたのは、私にとってラッキーだった。

 

3年前、母の介護に来ていた頃は、フランス刺しゅうのセットを持ってきてたけど、ほとんどそんな暇はなかったっけ。旅行鞄に針山とハサミをどう入れようか、けっこう悩んだんだけどね。

 

そんな経験から、先日、持ち運びに便利ながま口式のピンクッションケースを作った。なので今回、針山問題は解決。これからも旅の相棒になってくれそうだ。

 

刺し子のがま口ピンクッションケースの画像

がま口ピンクッションケース

 

 

✻1年半くらい前から、刺し子が好きになっている私。
よろしければ、こちらのブログ↓もご覧くださいね(*^^*)

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ワントーン明るく!

クロスについた水滴の画像

 

家の窓から遊園地の観覧車が見える。
クリスマスあたりから日が暮れるとライトアップされ、毎晩これを見るのが、冬の間の私のちょっとした楽しみになっている。

 

小さな光のつぶが、指輪のように円形に並んできらめき、とっても綺麗。色はグリーンとゴールド。ところどころ、赤いつぶも配置した可愛い指輪だ。

 

これ、ごく近くで見たら印象が変わるのだろうなあ…とも、実は思う。夜に観覧車のそばまで行ったことはなかったけど、多分そうだ。

 

冬の冷えた空気を通ってここまで届いた光。寒風を抜けて、星のようにまたたいて。だからきっと、私の好みの色と、控えめな輝きになっているのだと思う。

 


透明感のある色味が好き。
光を通したステンドグラスとか、江戸切子のカットグラスとか。クリスタルガラスの淡色のビーズも見惚れる。いや、ビー玉やおはじきだっていい。

 

思うに私、色のついたガラスが好きみたいだ。それを光にかざして少し色を飛ばし、輝きを加えた感じ。小さい頃からずっと、そういう色を目にすると心が弾んだ。

 


「好きな色は何色?」
と聞かれると、ちょっと困った。

 

赤も白も青も、緑も黄もピンクも好きだし、同じ赤でも好きな色味とそうでない色味があった。だから、グラデーションが美しい「虹」の色が好き、などと答えたりした。虹の、はかなげな淡い質感も好きだった。

 


透明感がない色味も、実は好き。
私は1年くらい前から刺し子に興味を持ち、それ以来、刺し子糸の持つマットな色の味わいに、これでもかと魅了され続けている。

 

パステル系の優しい桃色の糸が春のお花畑を作り、こっくりとした葡萄色で刺せば、たちまち秋の景色が広がる。複数の糸色の組み合わせによる表情の変化ときたら、軽く衝撃を受けるほどだ。色って本当に、奥が深くて面白い。

 

✻刺し子ブログも書き始めています↓

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ここ数年、ニュアンスカラーとかくすみカラーと呼ばれる色味に、人気があるようだ。ちょっとスモーキーな、グレイがかったような中間色。刺し子糸にもよくある。柔らかで上品な印象で、昔から目にしていたはずだが、何故か新鮮に感じる。

 

最近は衣料系だけでなく、例えば文具などでもよく見掛けるようになり、私も数か月前、100円ショップでくすみカラーの色画用紙と付箋、丸シールを衝動的に買った。この手の商品のビビッドな色の氾濫に、ちょっと疲れているのかもしれない。

 


色のトーンや輝きによって、気分というものはある程度コントロールできるようだ。

 

例えばスマホのカメラで撮影をするとき、私はほぼ毎回、ワントーン明るめに設定する。その方が心地良いからだ。

 

物撮りをするときは、照明を使わなくて済むように、できるだけ自然光の中に置くのだが、あまりに光が強いと影が濃く出てしまう。そんなときは、レースのカーテン越しの光にして、設定のコントラストを下げ、明るさを上げるようにすると、望んでいた表情に近づく。

 

時にはワントーンどころか「白飛び」と思われるくらい、明度を上げてしまうこともある。が、それがその時の気分だったり、狙いだったりすることもあるので、それもまた良しとする。

 

最近、トンボのABTでいたずら描きみたいなイラストを描くことが増えたのだけど、これも水筆を使って、ワントーン明るく、淡くしてみると、自分が欲しかった表現に近づく。

✻私のお気に入りのABTはノルディックの6色セット↓

トンボ鉛筆 筆ペン デュアルブラッシュペン ABT 6色セット ノルディック AB-T6CNR

 

今の私、ワントーン明るめが好みのようだ。
そうか。この際、気持ちの方もワントーン上げるように心掛けよう♪

 


ところで。
今年2022年のトレンドカラー(流行色)は、「ジョリー・コーラル」と「ベリー・ペリ」なのだとか。ん?どんな色?ってなるのは、私だけじゃないと思う。笑

 

ジョリー・コーラルは、JAFCAという“色”にまつわる事業を行っている協会が選んだトレンドカラーで、オレンジをベースとした、優しい蛍光色カラーとのこと。カラーコードが付いていたので、ちょっと再現して貼ってみる。

Jolly Coral(#F18D5F)の画像

Jolly Coral(#F18D5F)

新型コロナウイルスやそれによって制限された生活に不安を感じていた2020年、2021年。先行きの見えない社会で生きる私たちを労り、前へと導いてくれる、という意味が込められた色である。

 

そして、ベリー・ペリは、PANTONEという世界的な色見本帳を出している企業が選んだカラー・オブ・ザ・イヤーで、初の新色とのこと。少し紫がかった淡いブルーだ。

Very Peri(#6667AB)の画像

Very Peri(#6667AB)

このカラーは、すべての青のなかで最も幸せで温かみがあり、同時に新しさや力強さをもたらす色だ、と同社は言う。

 

✻「Workship MAGAZINE」などを参照

goworkship.com

 


私たちの未来に新しい光を照らし、導いてくれる。そんな今年のトレンドカラーを、生活の中に取り入れてみるのも良さそうだ。

 

で、私はそれをやっぱり、ワントーン明るくしようかな、と思う。いや、たっぷりと明るくしてみようかな。ワントーンのワンというのは、非常に曖昧だけど、融通がきくとも言えて、便利かもしれない。笑

 

私の中でも、2022年が動き出している。
明るく優しく柔らかい色たちに力を貸してもらえば、毎日がもっと素敵になるのではないか。
そんな気がする。

 


✻遅くなりましたが、本年初の更新です。2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。
本当に、明るい光に照らされるような年になってほしいですね。
厳しい寒さが続きますが、心身、どうぞご自愛ください。

 

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糸の誘惑?刺し子する喜びを知ってしまった

刺し子の糸玉と布の画像

 

私は今、刺し子にはまっている。……のかもしれない。
自分としては、ちょっと意外なのだ。刺しゅうはずっと前から好きだけど、刺し子には多分、行かないだろうと思っていたので。

 


1年前のちょうど今頃だ。次女と一緒に手芸店に行ったとき、刺し子のコーナーも覗いてみた。少し前にInstagramでとても素敵な刺し子作品を目にして、それがずっと心に残り光っているのを自覚していたから。「ああ、これが刺し子なのね」と、私は見本の花ふきんを見つめた。

 

もちろん、刺し子というものは知っていたし、何となく惹かれるものはあったけれど、それまで自分と縁があるように思えなかった。でも、試しにやってみようかな、という気持ちになったのは、あのインスタの美しい画像が目に焼き付いていたからに他ならない。

 

何もわからないままに悩みながら、花ふきん用の晒布(水で消える図案が印刷されている)と刺し子糸、刺し子用の針をなんとか選び、私はレジに向かった。初挑戦は、これもインスタで見てチャレンジしたいと思った文様のひとつ、「霰亀甲(あられきっこう)」。

 

しかしながら、当時は何かと忙しく、刺しかけの刺しゅうも仕上げたかったこともあり、せっかく買ったのに1か月以上、放っておいたのだった。

 

✻その当時の様子はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com


デスクの隅に、放置されたままの、それがある。
ずっとこちらを見ているかのよう。すごく綺麗なグリーン系のボカシ糸だ。妙に可愛い。

 

フランス刺しゅうのツヤツヤの糸も美しくて大好きだけれど、この素朴で太くてマットな風合いの、人を誘うような力はなんなんだ。布に刺していったら、どんな絵になっていくんだろう。

 

目にとまる度にそう思い、慌ただしい師走のある日、ついに刺し子針を持つ。優先順位がトップになっていたのだった。

 

しかし刺し子について、私は本当に何も知らない。すぐに刺し始めたい気持ちを抑え、とりあえず、刺し子のことを書いているブログを探し、読み漁った。

 

一目刺しって何?くぐり刺しって?模様刺し?外枠って何のこと?

 

そんな状態からのスタートだった。でも、当時の日記に私は書いている。
「やばい!たのしい♡」

 

なんとか初の作品を完成させた後、私はすぐに複数の刺し子の布と糸を仕入れていた。沼、なのか?

 


先輩方のブログを読んで勉強し、インスタで美しい作品を見て刺激を受け、私はどんどん、刺し子の奥深い世界に魅了されていった。こんなに「次」を求めることになるとは、去年の私には想像もつかなかった。

 

刺し子なんて、ただ、ちくちく刺していけばできるんでしょ。
なんて、それまで思っていた私。とんでもない話だったよ!

 

布の仕立て、糸留め。刺す順番や方向、糸を裏布に出すか布の間に渡すか、など、やり方は千差万別。「決まりはないの。人それぞれ、好きにやってね」とおっしゃる方も多い。迷う!悩む!面白い!

 

加えて、糸選びの無限の楽しさが待っている。色の組み合わせ、配分の加減。単色と段染めの合わせ加減。・・・やっぱり沼だ。

 

なるべく失敗したくなくて。しかも近道して満足がほしい、なんて思ったりして。最初から私、傲慢だったし、甘かったなあ。

 

刺し子の先輩方はよく、無心になれるのがいい、とおっしゃる。私も「そうですね、無心になれますよね」なんてインスタなどでは話している。しかし、待てよ。私はこれまで無心になれたことなどあっただろうか?

 

常に疑問がふくらみ、納得できる情報を探し、自分なりに考え作戦を立て……と、錆びかけた頭をフルに使っている気がする。チクチクと単純な並縫いをしているときでさえ、いろんな想念が湧いてきたり、脳内再生される音楽に合わせて一緒に歌ったり、ちっとも無心じゃない。笑

 

まだまだだね、ということなのだろう。いろいろ、お恥ずかしい。
でも。

 

「この糸、本当に可愛い色だなあ」
「吸い込まれるように素敵な文様だなあ」

 

と、刺している間中、幸せな気分になれるのだ。そこは、ピュアに、本当に。刺しながら、癒されていく時間。なんだかいつも、笑顔なのだ。

 

刺し進めていくうちに表れるさまざまな幾何学模様の心地よさ。裏まで可愛いというおまけまであって、フランス刺しゅうとはまた違った楽しみ方、魅力があることを実感する日々。

 

知らない世界を知ると、学んだことをノートにつけたくなるのは私の性分で、感想や感動、疑問や攻略など、まだふきんを10枚も仕上げていないくせに、私の「刺し子ノート」はどんどん、文字で埋まっていくのだった。

 


ふと、思う。小学生のときの編み物に始まり、これまでの人生で、なんてたくさんのものづくりをしてきたことか。洋裁、ビーズアクセサリー、レース編み。パッチワークやステンシルに夢中になっていた時期もあった。

 

あるときは恋するように、あるときは「塞ぎ」から抜け出すために、私はそれらに手を伸ばしてきた。そして、たくさん救ってもらったし、たくさんの喜びをもらった。まるで「旅」のように。

 

何かを生み出すことの楽しさを知ることができた、というだけで、私の人生もまんざらではないように思えてくる。それくらい、ものづくりって(私のようなささやかな体験でさえ)素敵なことだ。

 

この先も、また違うものづくりに惹かれて、見知らぬアートに挑戦することもあるのかしら、なんて考えると可笑しくなってくる。新しい「旅」が待っているかも、と思える人生は幸せだ。

 

ハンドメイドに限らず、今だってあれもこれも、やってみたいことが山のようにあるのだけどね。私の残り時間で、あとどのくらいチャレンジできるんだろう。やれるだけ、やるか。

 


さて、前述の「刺し子ノート」。自分自身の今後の参考になればと書いてきたが、ちょこちょこ写真も撮っていたので、文字と合わせてブログにし、残してみようかと思う。

 

どこまで続けられるかわからないけれど、まずは自分用の記録として。もしかしたらどなたかのお役に立てるかも?と思ったりもする。そうなったら、とっても嬉しいのだけど。

 

そんな訳で、私のふたつめのブログです。
ご興味ある方がいらしたら、覗いてみてください(*^-^*)

tsukikana2.hatenablog.com

 

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刺しゅうの雑誌を買ってみたら・・・

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あっという間に師走ももう半ばである。気分だけは慌ただしいが、なかなか動きが伴わない日々。

 

世の中は相変わらずコロナで、先の見通しが立たず、年末年始の計画も宙ぶらりん。家の中のことなど、今できることをやっていこうと思うのだが、気持ちが乗ってこない。

 

といって、娯楽に流れるほど度胸もない。「遊んでる場合じゃないでしょ」という鋭い声が、自分の中から聞こえてくる。

 

ああもうほんと、12月ってやっかいだ。

 

そんな私を落ち着かせてくれたのは、刺しゅうだった(これは遊びではない。薬っ!)

 

11月に予約注文して届いていた「リンネル特別編集 素敵な刺繍生活」。その付録、刺繍スターターキットを使って、私の好きな刺繍作家atsumiさんの、それはそれは可愛らしい図案を刺してみた。

 

リンネルは好きだし、atsumiさんの図案も好きだし、宮﨑あおいちゃんの語る刺しゅう愛も読んでみたいし、キットの内容にも興味あるし。で、買わない選択はなかったのだった。

 

ただ、いろいろ用事が重なり忙しく、手が付けられずに放置していて。

 

ちょっと久しぶりの刺しゅう。さあ、いよいよ取り掛かろうと思って付録を開けてみたら、キットの布に図案の印刷がない。

 

あれ?トレースからしなくてはいけなかったのね、と少し残念な気持ちになった。

 

「付録だけでゼロから刺せます」と書いてあったので、てっきり布には図案が印刷されているものと、勝手に思い込んでいた。写真をよく見ればわかったのにね。

 

刺しゅうの枠や針、糸、布はキット内容に含まれているけど、トレースの材料は含まれていない。図案を布に写すためには、トレーシングペーパーやチョークペーパーなどの材料を用意する必要がある。私は持っていたけど、初心者さん向けというなら(私も初心者みたいなものだけど)あまり親切とは言えない。そこで立ち止まってしまう人がいそうな気がする。

 

それから、布の織り糸が思ってた以上に硬くて太い。狙った位置に針を刺すのがちょっと難しく、細かいステッチには辛かった。慣れている人なら、どうということないのかもしれないけれど、私には少し難易度が高かったかな。

 

そうはいっても、とにかくデザインが可愛くて、刺しゅう糸の色も素敵。針を持っている間中、気分が上がった。仕上がれば、出来はともかく(笑)本当に嬉しい。そして、次は何を刺そうかな、という気持ちになる。

 


ところで、リンネルとほぼ同時に購入したのが「ステッチイデーvol.32」だった。刺しゅうの定期刊行物があるということを何かで知り、どんな感じなのかずっと気になっていたのだが、今回初めて買ってみた。

 

これが、すごく充実した内容でびっくり。

 

52点の作品の写真と図案が掲載されていて、綴じ込みの実物大図案(2色刷りの大判)が付いている。特集の「モノトーンのクロスステッチ」を始め、どのページも美しく見やすく、ステッチのワンポイントアドバイスとか刺しゅうの基礎のコーナーもわかりやすい。テーマに沿った読み物もいくつかあり、興味深いコンテンツが盛りだくさん。

 

私はフランス刺しゅうが好きだったのだが、そんなに興味のなかったクロスステッチにも関心を持つようになったし、刺しゅうの種類も本当にいろいろあるのだと、この雑誌を通して知ることができた。

 

イタリアの伝統刺しゅう「プント・アンティーコ」の緻密な美しさには、心が震えた。西暦800年頃から行われていた手法だそうだ。

 

ルーツはシチリア島だけれど、オリエント文化の影響も受けている。長い歴史の中で成長し、洗練されていった手工芸のひとつなんだね。

 

それにしても、なんて気品があり、かつ柔らかい優しさを感じさせるんだろう。素敵、としか言いようがない。実物を手に取って見てみたい。

 

こぎん刺しの作品もいくつか掲載されていた。日本の伝統刺しゅうも、本当に素晴らしい。調べていったら奥が深くて面白いだろうな。

 

刺し子(日本三大刺し子は「津軽こぎん刺し」「南部菱刺し」「庄内刺し子」)には、実は昔から心惹かれるものがあった。インテリアや手持ちの服に合わないと、これまでなんとなく遠ざけていたのだけど。

 

ついに先日、刺し子ふきんを作ってみようと決め、手芸店で布と糸と針を入手した。ふきんとして使わないかもしれないけど、とにかく心惹かれるのだから、経験してみようと!

 

私のこの行動。見ようによっては、なんだか全てが中途半端だという気がしないでもないが、今の私はおそらく「極める」ことがしたいのではなく、「やってみたい」思いを大事にしたいのだ。

 

今やってみたいのは、自分のオリジナルの図案で刺しゅうをすることと、興味を持った他の刺しゅうの技法に、できる限り触れてみること。刺しゅうに関しては、そのふたつ。どちらもすごく、ワクワクする。

 

これまでは、刺しゅうの本といえば、好きな作家さんや気になった作品が載っている図案集を買うという発想しかなかった。でも、こんな風に興味の世界が広がっていく雑誌を買う、というのも楽しいことだと知った。広告の多さは仕方ない。関連の物がほとんどなので、それもまた楽しいし。

 

このようにやってみたいことばかりが増えて、自分の人生の残り時間が追い付くのか、まあ甚だ怪しいけれど、やりたいことがないよりは随分いいよね、きっと。

 

それに、刺しゅうの場合、やりたいことを複数やっていく中で、相乗効果というのは必ずあると思う。(プント・アンティーコを引き合いに出すのはおこがまし過ぎるけれど)デザインの発想への影響とか、刺し方の応用とか、違う技法をコラボレーションするとか。あれこれ試していくうちに、絞られたりミックスしたりして、自分の独自の道を見つけられるかもしれない。

 

もちろん、針扱いに慣れてくれば、技術の向上も期待できる。
・・・と、思う。・・・思いたい。

 

問題は、隙間時間にやると決めていても、楽しくなってくると、やめ時が難しいことだ。どんな趣味でもそうかもしれないね。時々、昼食を抜いてしまう。笑

 

さて、初挑戦の刺し子、上手くいくかな。手始めは、Instagramで見かけてからずっとトライしたいと思っていた「霰亀甲(あられきっこう)」という模様。とても楽しみだ。

 

初めてなので、まずはやり方から調べなくてはね。インターネットの時代で助かった!
(何冊も本は買えない。←小さい声


✻今回購入した雑誌は以下の2冊です。


リンネル特別編集 素敵な刺繍生活 (TJMOOK)



ステッチイデーvol.32 (Heart Warming Life Series)


✻今年の始めは、上手になることを熱望していました。↓

tsukikana.hatenablog.com

 

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潔く、やり直す!刺しゅうが思い出させてくれた“母の教え”

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自分の図案で刺しゅうができるようになりたい。

そう思い始めたのはいつ頃だろう。

 

家族のためにマスクを作ったとき、小さな刺しゅうをアクセントに施してみたりとか、その程度はしたけれど。ある程度の大きさのものを自分でデザインするって、私にはなかなかのハードルの高さで、ずっとトライできずにいた。

 

大好きな刺しゅう作家さんの図案に憧れて、本を買って、お手本を見ながら指定のステッチでチクチク・・・そんな刺しゅう体験も素晴らしく幸せなのだけど。そしてこれからももちろん、そういう刺しゅうもしていきたいのだけど。

 

自分の心の景色を絵にして、刺しゅうで表現してみたいという気持ちが芽生え、その芽も大事に育ててみようと思ったのだった。

 


今年は3月からずっと、母のことで不安かつ慌ただしい日々が続き、時間的にも精神的にも、じっくりと自分の好きなことに向き合う余裕などなかった。新型コロナの影響でステイホームが叫ばれ、ある意味「手芸日和」が用意されていたとも言えるのに。

 

頻繁に清水の実家に行っていたし、自分の家にいても、いつも電話にビクビクしていた。病院からか、父からか、弟からか。母の急変を知らされるのが怖くて、着信音にドキッとする胃の痛む毎日だった。

 

今はそれもなくなった。
母はもう急変しない。もうこの世にはいないのだから・・・
着信音に怯えた日々すら、懐かしく思える。
母に会いたい。声が聞きたい・・・

 


今日は、刺しゅうに取り掛かろう。ある朝、そう決めた。久しぶりに糸を選び、針を持ち、布に触りたかった。悲しみを紛らわせるためというよりも、母への恋しさについて、自分とゆっくり対話できるんじゃないかな、と思って。

 

スケッチ用のノートを開き、かつて描いた中からひとつの絵を選び、図案をおこしてみた。カッコいいデザインにしようとか、あまり考えなくていいや、とにかくやってみよう、と。

 

シチリアの水色のドアのリストランテは、SNSで見つけた画像。目にした瞬間、行ったことがないのに何故か懐かしいようなあたたかな気分になり、ざっくりと描きとめておいたものだ。

 

ラフなスケッチの味わいで、軽いタッチにしたい。どこまで抽象化して線にするか、色数をどう抑えるか、ステッチはどれを選ぶか。楽しくも悩ましい時間を経て、拙くはあるが、自分の図案ができた。

 

緑のアーチを抜けると、そこに可愛らしいお店がある。魚介料理が得意なリストランテだ。テーブルについたら、どんな時間が、どんな感動が待っているのだろうか・・・
そんな空想をしながら、糸を刺していった。

 


刺しゅうはいろいろなことを教えてくれる。楽しさも厳しさも。

 

集中し、丁寧な作業を心掛ければ、生き生きとした表情を見せてくれるし、失敗をごまかせばたちまち、くすんでしまう。

 

売り物じゃないし、仕事じゃないし。なーんて気持ちで仕上げると、もうその作品への愛情が見事に薄れてしまうのだから、ある意味、怖い。もったいないもの。

 

私は器用なほうではないので、手は遅いし、よく失敗する。糸が絡み、撚れて輪や玉ができてしまったり、後で糸始末しようと残しておいた刺し始めの糸を、ステッチで刺しとめてしまったりと、トラブルだらけだ。こうして書いていて情けなくなる。

 

大失敗なら潔く諦めて、糸を抜き、最初から始めるのだけど。問題は、小さな失敗だ。

 

「ごまかせる。これ、誰も裏を見る訳じゃないし、ちょっと汚いけど、表に響かなければそんなに気にならないんじゃない?」

 

そんな自分の中の声に、つい乗っかろうとする。やり直すのは・・・勇気がいる。大袈裟だけど、本当に。

 

そして、こういう状況になる度に、母との思い出がよみがえるのだった。中・高生の頃、家庭科の課題で、家でミシンをかけていた時のことだ。

 

母は洋裁学校を出ているので、お裁縫では頼りになる家庭教師だったが、指導は厳しい。私がようやくミシンをかけ終えた部分を見て、縫い目がきれいでないと、かけ直しを命じる。

 

「次の工程に進んだら、余計にやり直すのが嫌になるから、今のうちに全部ほどいた方がましだよ。今度はきちんと躾け(躾け糸で縫うこと)をして、慎重にやりなさい」

 

私が面倒がると、冷めた目をしてこう言う。

 

「ま、あなたがいいならいいけどね。私なら気持ち悪いからやり直すわ」

 

早く片付けて遊びたい私は、しぶしぶ従ったり、無視したり。そして、毎度、母が正しかったと認めるしかなかった。ごまかして先に進むと、結局どこかで上手くいかなくなり、そこからやり直して余計に時間がかかるのだ。

 

でも、手が遅いことは責められたことはなかった。時間がかかってもきれいに仕上げると、必ず目を細めて褒めてくれる母だった。そして、上手にできなくても丁寧な作業がわかれば「良し!」としてくれた。

 

今回の作業中にも、あの頃の母を何度も思い出した。母は手芸はしなかったけれど、ごまかそうとかズルをしようとか思ったなら、きっと私に、あの頃と同じことを言うだろう。

 

「ま、あなたがいいならいいけどね。私なら気持ち悪いからやり直すわ」

 


今はもう跡形もない、あの町のあの公務員宿舎。3階のあの部屋で、母の足踏みミシンを前に、二人で交わした何気ない会話の数々。遠いあの頃を今、愛おしく思い出す。

 

なんだか、大事なことを他にもいろいろ教わったような気がする。これから折に触れ、思い出していくのだろうか。

 


完成した刺しゅうは、時間もかかったし、やっぱり拙いけれども、ごまかしはしなかったよ。お母さん、見たら褒めてくれるかな。

 

「あら、いいじゃないの。ところでここは、どこ?」

 

という声が聞こえた気がした。

 

シチリアのリストランテ「Il Consiglio di Sicilia」さん。刺しゅうで向き合っていたら、すっかり親愛の情が湧いてしまった。いつか本当に行ってみたいなあ。

 

海外はおろか、近所のレストランへ行くのもためらわれる日々。平穏な日常が一日も早く訪れますようにと、天を仰ぐ。秋の雲が光っていた。

 

 

自分の中に変化を感じた2月―刺しゅうの可能性にときめく日々

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 今年は閏年だから29日まであるけれど、2月はやっぱり短くて、だからこそ大切にしてあげたくなる特別な月だ。柔らかな日差しは春の近さを感じさせ、時折吹く良い香りを乗せた風は、楽しい予感のようなものまで連れてくる。

 

ふと気づいたことがある。最近の私、「楽しかったー!」と言うことが増えたみたい。他にも「なんて可愛いの!」とか「嬉しい、ありがとう」「もー大好き♡」とか、素直な喜びの声が、臆面もなく口から飛び出している。もちろん良いことなんだけど、ちょっと驚いている。笑

 

PCが壊れて買い替えなければならなくなった等々、相変わらず金銭的な危機は繰り返しやってくるのだけど。それでも友情や家族の絆を感じる局面が多くなったし、そうそう、次女に勧められて応募した「セリアde川柳」は33,000を超える作品中の35作品としてノミネートしていただいた。グランプリは逃したけれど、やっぱり嬉しい。

 

先日は弟夫婦が遠くから遊びに来てくれた。義妹に会うのは何年ぶりだろう!とても楽しいひとときが過ごせて、今も胸が温かい。

 

外出も増えた私。街なかへ出るのがずっと億劫だったのに、年末に次女に連れ出されたのをきっかけに、結構な頻度で都心部に行くようになっている。

 

「54字の物語」を作ってみようという、氏田雄介さんのワークショップに行ってみたり、西城秀樹さんの写真集『HIDEKI FOREVER blue』出版記念パネル展にも(もちろん)出向いた(4回ね)。新聞社勤務時代からの飲み友おじさんたちから久々にお誘いがあり、笑いっぱなしの再会も楽しんだ。

 

そして、一昨日は「布博in名古屋」へ。"布"にまつわる作家さんたちの作品群が見られるとあって、雨の中、ワクワクしながら出掛けて行った。

 

一番のお目当ては、大好きな刺しゅう作家のatsumiさん。会場内ステージでのトークがあると知って、これだけでも入場料払って行く価値がある、と思ったのだった。

 

とても興味深いお話が聞けたし、想像通り素敵な方で嬉しかった。刺しゅうの魅力、その表現の可能性について、楽しく思いを遊ばせてもらえる時間だったと思う。

 

サテンステッチがお好きとのこと。私は苦手なの。でもそうだなあ、練習して好きになりたい。頑張ろう。「刺しゅうは好きなんだけど縫製は得意じゃない」というくだりには共感です!笑

 

会場を巡ると、オリジナルの服、生地、布小物、ニット、刺しゅうアクセサリーなどなど、今をときめく作家さんたちの自信作が山盛り。本当に素敵なものがいっぱいで、見ているだけで幸せな気持ちになれたし、自分の創作時に参考にしたくなるヒントをたくさん拾わせてもらえた。

 

中でも一目惚れで、その場から動けなくなってしまったのが、片山邦子さんのnico*iro (にこいろ)。染めたオーガンジーに優しい色味のビーズ刺しゅうを施した、とっても繊細で愛らしいアクセサリーの数々にびっくり仰天。

 

綺麗すぎる。
どうやったらこんな素敵なものが作れるの?
私にもできる?
教えてもらえたらどんなに素敵だろう。
やっぱり刺しゅうってすごいわ!

 

・・・恋に近いときめき。

 

布と布雑貨では、温かみのあるお洒落なデザインを手捺染という技法を使って丁寧に染め上げ、手作業で縫製しているというnocogouさんが、私には特に印象的だった。とにかく、図柄が可愛い。それでいて上品で、ナチュラル、心地よい。森をデザインした布と、レモンとローズマリーをモチーフにしたマスキングテープを購入。

 

世の中にはお洒落で可愛くて素敵なものが、どんどん生まれているんだね。と、たくさんの実物を前に、感嘆しきりの一日だった。本当に行って良かった。

 

さて、この経験を私はどこまで活かせるかな?

 


ところで。
刺しゅうに関心を持つようになってからというもの、私はさまざまな「模様」に目が向くようになってきた。例えばTVで知ったイングランドの陶器デザイナー、スージー・クーパーのティーカップの模様。アステリを並べただけなのに、なんでこんなに可愛いんだろう、とときめいた。これ、刺しゅうで絶対再現してみたい!と。

 

マスキングテープの色柄や、包装紙のイラストにも、ときめくデザインを見つけては模写をする日々。道を歩いていても草花の形状や、見上げる木の枝のレースのような繊細さに感動し、スマホで撮影して参考にさせてもらう。

 

なかなか技術が追い付かないが、刺しゅうで試してみたいものがどんどん増えていく。この頃では風景などをゆるいタッチで描いてみたいな、という気持ちが膨らんでいて。

 

どこかで見た景色とか、何かで見た街角の絵や写真、映像。なんとなく懐かしいような、優しい気持ちになれるような風景を、スケッチ風に刺しゅうできたらいいな、と。

 

先日、まずは絵筆の使い方を教えてもらうような気持ちで、桜井一恵さんの図案集から海辺の景色を選んで刺してみた。麻布にシンプルに。糸の色数を抑え、細めの線もあえて真っ直ぐにせず。こういう表現も面白いなと思い、刺してる間中、楽しかった。次は、自分のデザインで描いてみたいなあ、と思う。

 

レモンイエローのスイートピーが視界に入る。優し気な姿に心が和む。

 

「楽しかったー!」をいっぱい乗せて、生まれ月なのでひとつ年齢も重ねて、甘い花の香りとともに2月も去っていこうとしている。3月もこのまま、明るい気分のままで春の訪れを喜べますように、と願いながら空を見上げた。

 

世の中には不安なニュースもあり、新型コロナウィルス感染拡大など本当に情勢が気になるけれど、どうか早く終息に向かいますようにと祈りつつ、とにかく予防、健康管理に気を付けたい。早く安心して日常生活を送りたいですね。

 

上手になりたい、とシンプルに思う。刺しゅうも、他のことも・・・

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『一週間』という歌がある。ロシア民謡らしい。

 

 日曜日に市場へ出かけ
 糸と麻を買って来た
 テュリャ テュリャ・・

 

 月曜日にお風呂をたいて
 火曜日はお風呂に入り
 テュリャ テュリャ・・

 

 水曜日にあのこと逢って
 木曜日は送っていった
 テュリャ テュリャ・・

 

 金曜日は糸巻きもせず
 土曜日はおしゃべりばかり
 テュリャ テュリャ・・

 

 恋人よこれが私の
 一週間の仕事です
 テュリャ テュリャ・・

 

というのが歌詞。初めて聞いた小学生の頃、なんて変わった人なんだろうと思った。

 

やること少ないんだなあ。暇なのかなあ、のんきなのかなあ。こんな人が恋人だったら、いくらテュリャテュリャ・・~♪って歌われても嫌になっちゃうんじゃないかなあ、なんて心配したものだ。

 

2020年が始まり、10日が過ぎた。去年から持ち越しの問題を抱えており、のんきにしていてはいけないとはわかっているのだけど、ちょっと今、具体的にどうしたらいいのかわからない状態。軽く金縛り状態。

 

で、『一週間』という歌を思い出してしまうくらい、最近の私はこの歌詞に似た暮らしをしている。この効率重視の世の中で、真逆のように時間を掛けてひとつひとつの仕事をし、続きを明日の自分に託して早めに休んでしまう。

 

分刻みで日々を多忙に駆け抜けている人たちには、眉をひそめられそうだ。そんな風に思えばなんだか申し訳なくなり、委縮して、余計にポジティブな思考から遠のく気がする。

 

なんでもかんでも詰め込んで忙しくすれば良いっていうものではない!そもそも「忙しい」は免罪符にはならない!と、考えるタイプの私だったはずなのに。忙しくしていないことに罪悪感を持つなんて、ちょっとモヤモヤするなあ。

 

こんなときこそ、手芸脳だ!

 

手芸には、脳の機能を活性化し、ストレス軽減、自尊心の向上、心を癒すなど、さまざまな効果があると言われている。リラックスし、創造性を発揮できる上、「やる気」になった脳のおかげで、次のパフォーマンスへの取り掛かりもスムーズになるというおまけ付き。

 

そうだ、刺しゅうをしよう、と思い立った。小さな光が差した。

 

今年初の刺しゅうは、キーチャーム。わけあって「6」をデザインした。

 

やっぱり刺しゅうは楽しい。綺麗な色の糸を扱うことが気持ち良く、癒される。刺し進めて出来上がりが見えてくると、ワクワクしてくる。幸せホルモンが出ているのかな。

 

でも、思うのだ。ステッチがまだまだ下手だなあ、と。

 

糸がねじれて光沢が半減している。サテンステッチは糸の方向がなかなか揃わない。あれ、コーチングステッチが中途半端になっている。フレンチナッツステッチの間隔がまちまちだな。

 

・・・仕上がれば嬉しいのだけど、少し残念な気持ちもあって。たまにしかやってないし、素人なんだから、気にしなくていいんだよと自分を慰めたりする。笑

 

でもね、今年はもっと上手になりたい。もっと気分よく仕上げられるようになりたい。もう少し頻度を上げて刺しゅうをすれば、上達するんじゃないかな。ちゃんと練習を重ねてみようかな。そう思った。

 

新しい年に新しく何かを始める。それも素敵なのだけど、今、私の心を占め始めているのは、「上手になりたい」という気持ち。

 

刺しゅうだけではない。字も、絵も、雑念にさらわれがちな瞑想も、上手になりたい。

 

他にもいろいろあるな。料理の盛り付けや花あしらいも上手になりたい。それから、やりくりも、人付き合いも、親とのコミュニケーションも・・・なんてね。どさくさか?

 

七夕の短冊に書く願い事――「ピアノがもっと上手になりたい」とか「習字が上達しますように」とか書かれているものを見ると、「プロ野球選手になりたい」や「アイドルになれますように」などと比べて地味だけど、私はなんだかすごく好感が持てる。ちょっとそれに似た気持ちなのだった。

 

「よーし」と声が出た。手芸脳のおかげで、「やる気」のスイッチが入ったみたい。

 

「上手になりたい」と思うものの中で、経験値を上げることで上達できそうなものは、とにかく繰り返しやってみよう。上手にできなくても、上手になるための道のりだと思えば、自分にがっかりすることもないだろう。多分。

 

実は、今回作ったキーチャームを付けるのは、12月にひとり暮らしを始めた次女の部屋の鍵。次女は、鍵をひとつ、私たちに預けてくれたのだった。

 

鍵を親に預けるって、普通のことなのかな。でもそんなことが、私はなんだかとても嬉しくて、その鍵を大切に扱いたかった。「6」の刺しゅうでキーチャームを作ってよ、と私に頼んだ夫も、同じ思いだったのかな。(何故、6かは秘密です・笑)

 

もう少し上手に刺しゅうができるようになったら、今度は夫にも作ってあげよう。嫌がるかな。でも渡そう。数字じゃなくてイニシャルがいいね。お守りがわりにしてもらえたら嬉しい。

 

その頃には、抱えている問題が解決に向かって動き出していますように、と願いながら、そのためにも私は健全な自己肯定感を持ち続けなくてはね、と苦笑する。

 

手芸脳の力も借りつつ、自分にできることをやっていこう。不安との向き合い方も、上手になりたいね。いろいろ、上手になりたい!

 


ところで、冒頭の歌。
気になって少し調べてみると、19世紀末、ロシア革命前夜の混乱した時代に生まれた民謡のようだ。

 

麻糸で布を作る仕事と地味な家事で、単調な毎日を過ごしている女性の、年末年始の一週間を綴った歌。年末だから仕事はあまりはかどらず、恋人が家に挨拶に来てくれて泊まっていった。金曜日は1月1日で皆、仕事を休み、土曜日は内乱で亡くなった人や祖先に供養をした。

 

夢のない退屈な生活と、続く内乱、暗い世情。鬱屈した毎日から、この町から、恋人よ、早く私を連れ出して!

 

そんな素朴で、かつ切実な、田舎町のひとりの娘さんのお話だったようなのだ。ひとつの解釈ではあるけれど、それを読み心が痛んだ。歌の生まれた時代背景と地域について、小学生の自分に教えてやりたい。

 

のんきだなんて言って、ごめんなさい!

 

隙間時間でも達成感。ありがとう!「100ネエサン」刺しゅう

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長女たちが帰ってから、急に秋が深まり寒くなった。毎日あんなに、暑い暑いと言っていたのに。

 

そう、2週間前は半袖で走り回っていた私。今日はカシミアのカーディガンを着ている。気温以上に、室温が下がったのかな。4人分の体温が消えて・・・

 

もう既に懐かしい。まるで子育て中の頃に戻ったかのような、慌ただしい日々だった。

 

忙しかったけど、自分に使える時間がまるでなかったという訳でもない。特に、長女が入院するまでの時期は、細切れだけど自由時間を作り出せる日もあった。

 

長女もちょこちょこと手芸をするのが好きで、一緒に刺しゅうしたことも数回。2歳児には、隣でお絵かきをしてもらったっけ。

 

楽しい思い出の時間が作れたのは、ある商品のおかげかもしれない。

 


ああ、隙間時間でちょっと何か作りたいなぁ。心が華やぐような、綺麗なものが作りたい。ただし、あまり作業スペースを取らず、すぐに片付けられる、という条件は外せないよね・・・

 

そんな風に考えていたとき、インスタグラムの広告が目に飛び込んだ。

 

 「100ネエサン」

 

シンプルなお姉さんたちがズラリと並んだプリント柄の布。そこに、ぬり絵のように自由に刺しゅうをして、彩っていく。

 

ただそれだけのものなんだけど、妙に惹かれる。妙に可愛い。「何かチクチクしたい!」という望みを、即、叶えてくれそうだし!

 

サイトを見ると、

手芸作家 中島一恵による「刺しゅうやペンでスタイリングできるぬりえみたいなファブリック」。
着せ替え気分で、ひとりひとりのネエサンの髪型や服、足元を刺しゅうや布ペンでスタイリングすれば、オリジナル作品ができあがります。

とある。3秒迷って衝動買い。

 

私が買ったのは、スターターセットというもの。刺しゅう糸、刺しゅう枠、針が付いて1980円(税別)と、お試しで始めるのに手頃感があった。糸も針も枠も既に持っていたけど、刺しゅうを始めたばかりの長女に針と枠をあげるつもりで買った。

 

届いて早速やってみたら、これ、思ってた以上に楽しくて!

 

服に合わせて髪の色を決めたり、イヤリングをビーズにしてみたりと、お洒落の工夫が気分を上げてくれる。

 

なんといっても、小さい刺しゅうなので、ネエサン一人分ならすぐに仕上げることができるのが魅力だ。完成したという達成感を、隙間時間で得られるのだから。

 

しっかりした生地なので、私は枠を使わなかった。下絵がプリントされているから、図案を写す手間もない。糸も指定がないから、手持ちの余り糸を好きに利用することができて、なんだか本当にお手軽。

 

小さな針山とハサミ、余り糸の入った小箱を木製のトレイにのせ、下絵の布を裏返しにかぶせて棚に置いておく。時間ができたら、そのトレイをひょいとダイニングテーブルに持ってきて、糸選びを楽しみつつ刺していく。散らからない!

 

仕上がったネエサンたちのスタイリングを眺めながら、
「次のネエサンのドレスは、どんな色・柄にしようかな」
などと考えるのも、ちょっとワクワクして。

 

ああ!自由だ!

 

刺しゅうは、なにもどこかや何かを飾るためだけにするものじゃないんだね。もちろん、ネエサンたちをひとつひとつ切り離してオーナメントやチャームにしてもいいし、そのまま額装したって、クッションやポーチに仕上げたっていいのだけど。

 

これまでは、好きな図案があると、これをどこに刺しゅうしようか。これを使って何を作ろうか、ということを、当たり前のように考えていた。考えるべきだと思っていた。舞台があっての刺しゅうだと思い込んでいたのだ。

 

でも、何にするあてもなく、ただチクチク刺しゅうがしたいというときもある。絵を描きたいのと一緒。100ネエサンは、そんな気分にもマッチしている商品なのだろう。

 

役に立たなくてもいい。上手にできなくてもいい。この手で何かを生み出すことで、ワクワクして満たされて、他のパフォーマンスにも気持ちが入っていくことは、手芸の効能のひとつだよね。

 

まあ、「そろそろ、役に立つものを上手に作りたいものだなあ」とは、一応、思ってはいるのだけど。少なくとも、誰かに喜んでもらえるものが作れたら、プレゼントできたら、素敵だよね。

 

もうすぐクリスマス。(自分にプレッシャー?)

 


100ネエサン(ルシアン オンラインショップ)