一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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霧の中で輝く小さな秩序

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点描曼荼羅については先月の9日に書いたが、その後も4点の曼荼羅画を描いている。前に描いた作品を見ていて、なんとなくまた描きたくなってしまったり、日常に起こるさまざまな出来事に心が乱れ、祈りを込めて描かずにはいられなくなったりしたのだった。

 

本当に不思議なのだが、黒い紙に点を打ちながら曼荼羅を仕上げていくと、心がすっと落ち着いてくる。どこかで「これは描く写経」と読んだ覚えがあるが、なるほどお写経に近い行為なのかもしれない。お写経というものをしたことがないので、想像でしかないのだけど。

 

「前向きに考えて生きていこう」と、嫌なことや辛いことがある度に自分を励ましてきた。出来事の程度や自分のコンディションによって、うまくいくこともあったし、そうでないこともあった。やはり「気の持ちよう」だけでは抜けられないピンチも、人生には多いようだ。そして今も、私は不安と心配の霧の中で彷徨っている。

 

若かった頃の私は、多くの若者と同様、どちらかと言うと無鉄砲で、愚かだったけど勇気はあった。昔の生意気な自分を思い出すと、両手で顔を隠したくなるくらい恥ずかしい一方で、とても眩しく懐かしい。

 

経験を重ねて得てきたものは多いはずだが、失ったものも少なくない。それは人によるのだろうか。失ったものなど気にせずに、得てきたものを、そしてこれから得ていくだろうものを、見つめていれば良いのだろうか。

 

私が失ったもののひとつが「突破力」。問題解決能力は本当はどこかで育っているのかもしれないのだけれど、そこへ至るまでのファイトや負けん気がとてもか弱くなってしまっているのだ。カチカチと火をつけようとしても、なかなか点火しない。不安は増すばかりで、残念な自分に失望する。

 

上手に年を重ねるのは、私にはなかなか難しいようだ。きっと、受け入れる覚悟がまだできていないのだろう。目が悪くなっていくこと、足腰が弱くなっていくこと、容姿が衰えていくこと、死が近づいてくること。この場合の覚悟って諦めに近い気がするけど、はてさて、これを前向きにやっていくには高度なロジックが必要なのではないだろうか。

 

うーん。これから少しずつ、「前向きに諦めて」いけるのかな?、と手近に置いてある曼荼羅画を眺めると、考えすぎて重くなってきた頭がふっと楽になる気がした。私はどうしてこんなに「マンダラさん」に惹かれるのだろう。

 

点描曼荼羅を描いていると、シンメトリーの安心感と、揺るぎない秩序の存在を感じる。拙い作品ながら広がりがあり、見ていて飽きない。純粋に、綺麗だなと思える。

 

黒い紙に光る点が散りばめられる様子は、夜空の星にも似ているし、クリスマスツリーやイルミネーションも連想する。ステンドグラスにも通じる美しさかもしれない。色とりどりの輝く粒は、ビーズのアクセサリーのようだし、その形はレース編みのモチーフやハワイアンパッチワークの回転対称デザインにもつながる気がする。六角形のものは雪の結晶にも見えてくる。

 

皆、私の好きなものばかりだ。そうか、私の好きなものの要素をたくさん持っているのが点描曼荼羅画なのだ。だからきっと惹かれたのだ、と腑に落ちた。心が散らかり疲れて哀しくなってきたとき、私の好きな要素を持つ曼荼羅が、気持ちのバランスを取り戻す力を与えてくれるのだ。

 

不安と心配の心細い日々の中にも、小さな喜びや幸せがある。美味しいものを食べた、楽しい話を聞いた、優しい言葉をかけられた……etc。それが日常というものだろう。楽観と悲観の繰り返しだが、なるべく楽観を多めにして生きていきたい。「マンダラさん」は、そんな私にとってのお守りなのかもしれない。