一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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秋の夕暮れは好きですか

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年賀状の欠礼を告げる喪中はがきが届く季節になった。同年代の人たちからのお知らせには少し緊張する。亡くなったのが祖父母であったのが、いつの頃からか父母という場合が多くなってきており、受け取るたび、ギュッと胸が痛む。

 

先日届いたのは、私の母の友人が亡くなった悲しいお知らせ。息子さんからのもので、この親子とは古い知り合いだ。画家である息子さんには、母も私も絵を描いてもらっているし、もうずっと年賀状のやり取りが続いている。亡くなったお母さんは、私の長女が生まれたとき誕生祝を持って我が家に遊びに来てくれた。あのときの赤ん坊が今年結婚したことを、年賀状でお知らせしようと思っていたのに。

 

人は必ずいつかは亡くなる。わかってはいても、知人の訃報にはいつも「何故?」と思ってしまう。元気だった頃の面影を思い出し、もう会えなくなった事実を受け入れるのに苦しむ。近年、それが増えた気がする。自分が年をとったということだろう。

 

秋は夕暮れ・・・
清少納言は『枕草子』で、秋は夕暮れが一番、と言っている。私も秋の夕暮れの景色はとても趣があるとは思う。しかし、あっという間に太陽が西の空に落ちてしまうので、実はすごく怖いとも思っている。とても「死」に近い季節と時刻のように感じて恐れている。だからこそ、の美しさなのではないか?と考える。だからこその「いとをかし」かと。

 

12月は華やかで気忙しい印象だが、11月の下旬あたり、晩秋というのは妙に寂しさが募る。身の置き場のないような心細さを感じる。いっそ、今はもう12月なのだ!と自分をだまして追い立ててみたくなる。やるせないような気持ちに浸ってしまわないように。

 

さまざまな悩み事がある。最近は出口のない迷路を彷徨っているように感じることが多い。昔だって悩み事はたくさんあったけれど、どこか楽観的で何とかなるような気がしていた。今は本当に何をするにも自信がなく、決められず、困ってしまう。これも、年齢によるものなのだろうか。

 

しかし、下を向いてばかりではいけない、ということはわかる。心が下を向きたがるなら、せめて顔だけでも上を向かせよう、と、最近はよく空を見るようになった。雲や、鳥や、飛行機の動きを目で追うことが増えている。それから、笑顔。たとえ作り笑いでも、笑顔には心身に良い働きかけをする力があると聞いたことがある。そうだ、無理をしてでも笑おう。

 

晩秋の空を見上げ、ぎこちない変な笑い顔をしている人物がいたら、それは私である。