一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

<当ブログではアフィリエイト広告を利用しています>


家族で過ごすクリスマスイヴ

f:id:tsukikana:20161223144017j:plain

 

サンタクロースを信じていたのはいつまでだったろうか。幼い日のクリスマスの思い出は、朝目覚めて、枕元に大きなチョコレートを見つけたときの感動、それが多分、一番古い。

 

夢見がちな少女だった頃は、外国の絵本に出てくるようなクリスマスの飾り付けに憧れていた私。我が家にはコンパクトなクリスマスツリーがひとつあり、それを目いっぱい飾り立てて悦に入っていたのを思い出す。真綿をちぎって雪に見立て、チカチカ光る色豆電球のスイッチを入れ、部屋の灯りを落とし、うっとりと眺めていた。

 

なんてロマンチックなんだろう、と。

 

父も母も堅実で質素だったが、子どもたちに夢を与える機会をたくさん用意してくれる人たちだった。若かった両親はモノクロ写真のようにしか思い出せないが、子ども心にも幸せそうで美しく輝いていたような気がする。世の中は高度成長期に入っていた。

 

物心ついた頃からずっと、クリスマスが大好きだ。クリスチャンでもないのにはしゃぐ日本人、と揶揄する声にちょっと哀しみを覚えながらも、私は私の好きなクリスマスを楽しむのだと、ずっとその思いを貫いてきた。ちょっと大袈裟か。

 

家ではクリスマスの飾り付けを担当し、いつもと違う食卓を演出したり、クリスマスソングのレコードも用意した。大切な家族と過ごす、年に一度の楽しいイヴだ。ちょうど2学期の終業式にあたることが多く、冬休みが近づけばワクワクが止まらなかった。

 

長じて高校生になり、友達の家で仲間とクリスマスパーティーをすることになった。私は家からツリーを持ち出して、手作りのクッキーを持って参加、びっくりするほど楽しかった。ただ、出かけるときに母と弟が少し淋しそうに見えて、チクリと胸が痛んだのを覚えている。勝手な私を許してね。こうして「家族で過ごすクリスマスイヴ」は終了してしまったのだった。

 

キャンドル。プレゼント交換。ドライブ。イルミネーション。シャンパンで乾杯……。年頃になれば、友達やボーイフレンドと過ごすのが当たり前になり、クリスマスの楽しみ方も変わっていった。それでもやはり、ロマンチックな気分になれなければクリスマスではないと、私なりの「こだわり」を大事にしてきたと思う。それは、穏やかな気持ちで大切な人と一緒に過ごす、ということだった。

 

やがて結婚して子どもが生まれ、またクリスマスツリーを買った。今度は小さな白いツリー。新しい「家族と過ごすクリスマスイヴ」が始まったのだ。幼い娘は瞳をキラキラと輝かせてツリーを見つめ、嬉しそうに私を見上げた。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよ。

 

私はそれを、それこそを、娘に伝えたかった。もちろん、私もホームクリスマスをとてもとても楽しんだ。

 

人生にはステキなこと、楽しいことがいっぱいある。ここまで生きてきて、それは本当だと思う。しかし、一方で辛い局面もどれほどあっただろう。メンタル、かなりやられていたなあ。あんなにクリスマスが好きだった私が、ここ数年、ツリーを出す気にもならなかったのだから。

 

去年は、引越しをしたばかりで片付けに忙殺されていて、朝カレンダーを見て「あれ?今日イヴなんだ!」と驚く始末。長女が結婚して家を出て、初めての3人家族のクリスマスなのに、ケーキだけ慌てて買ってバタバタと過ぎてしまった。次女よ、ごめんね。

 

そして、今年である。明日はクリスマスイヴ。長女と婿どのが、遠い町からやってくる。

 

たまたまこのタイミングになったのだけど、妊娠5か月の戌の日に一番近いお休みのとれる日、ということでの里帰り。25日に安産祈願のお参りに行くことになったのだ。そう、長女のおなかには新しい命が宿っている。

 

3人から、いきなり5.5人のクリスマスイヴになった。若かりし日のように、張り切ってたくさんの料理を並べることはできないが、それなりにお迎えの準備を楽しんでいる。クリスマスツリーはとっくにスタンバイしているし、花も飾った。

 

肝心な私のメンタルも、家族や両親、友人の優しさ、仕事で出会った魅力的な人たちとの交流のおかげで、とても落ち着いてきている。

 

今年のクリスマスイヴ、穏やかな気持ちで大切な人"たち"と一緒に過ごせるのだ。なんて幸せなことだろう、こんな日がくるなんて。今日、自分に向かって声をかけた。

 

人生には、ステキなこと、楽しいことがいっぱいあるんだよね、やっぱり。

 

 Merry Christmas