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一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

不寛容の時代の空を見上げて

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冬の朝、張り詰めたような大気の中で、空を見上げるのが好きだ。なんというか、この深いブルーはとても純度が高い気がする。白い息を吐き、冷たい空気を胸に入れると、心の奥まで換気ができたようで嬉しくなる。寒いけれど。

 

3年前の今頃、私は精神科の門を叩いた。うつ病と診断され、その後、9か月間通院する。その頃のことは思い出すのも辛いので、あまり考えないようにしてきたのだが、この頃になって「どうしてそうなっちゃったんだろう?」と分析めいたことをするようになった。まあ、落ち着いてきたということだろう。

 

トラブル対応の多い仕事の忙しさとか、ホルモンバランスの乱れなど年齢的なものとか、様々な要因が重なって弱っていたところに、ある手術をしたことが引き金となったのだろう、とドクターは言ったし、私もそうだと思った。ただ、私はそれとは別に、原因として自分の感受性の変化を強く感じるのだ。

 

「人の悪意」に対する感受性である。以前は受け流せたり、気にも留めないでいられたものを、ある時期を境にひどく鋭敏に受け止めてしまうようになった気がする。

 

それはショッキングな光景だった。ある男性上司が男性部下を人前で罵倒する日常。私は派遣社員としてそのチームに配属になったのだが、私が業務を飲み込めないでいると、そのことでも上司は私でなく、その部下を罵った。私の席の真後ろで、フロアに響き渡るような大声で。いたたまれなかった。

 

派遣会社の担当や職場の同僚にも相談したのだが、改善はされず、むしろそれを問題視する私が煙たがられているようだった。怒声が響いても知らん顔で仕事を続ける周囲の人たちにも、私は戦慄した。こんなパワハラ、放っといていいの?

 

その次の職場は嘱託社員という立場だったが、ここでも数々の違和感を覚えた。ただ、以前の私だったら気にしなかったり、乗り越えられた程度のものも多かったはずだ。

 

つまずくと想像以上にダメージを受け、それを引きずったまま次の問題を抱えてしまう。蓄積される挫折感の背景には、「人の悪意」に対する感受性の強さがあったと思う。それは、直接自分に、という場合だけでなく、誰かが誰かに黒く淀んだ感情をぶつける現場を見ても、真っ直ぐ立っていられないほど苦痛に感じた。

 

辛いことばかりではなく、素晴らしい人との出会いや企画が実現したときの喜びなど、やりがいも少なくなかった職場だが、心身に不調をきたして私は退職し、手術・入院をし、静かな職場に転職した。でも、そこにも予想していなかった悪意があったのだ。

 

おかしい。多少の悪意なんて、これまでもどこにでも、あったはずだ。むしろ、私は人間関係での悩みは少ない部類に属していたと思う。人懐こいとさえ言われることもあった。わりと誰とでもうまく付き合っていける人間だったはずだ。

 

でも、本当に?

 

「つきかなさんは、もしかしたらHSPなのかも」

 

ここ数日、メールでやり取りをしている若い友人にそう言われて、ちょっと調べてみた。

 

HSP(Highly Sensitive Persons)は、非常に感受性が強く敏感な気質を持つ人のことで、米国の心理学者が2000年に提唱した新しい概念とのこと。5~6人に1人はHSPらしく、特に日本人は多いのだとか。

 

自己チェックというものがあったので試してみると、23項目中20個があてはまった。12個以上でHSPの可能性が高いということなので、私は多分、それだ。

 

よくよく思い出してみれば、私は決して社交的な子どもではなかった。人付き合いも苦手だったし、親からは「感受性が強すぎる」とよく言われていた。社会生活をする中で、人とのコミュニケーションへの苦手意識は大分克服してきたが、大人になってからだって決して得意ではなかったし、周囲の優しい人たちのおかげで少し上手くやれるようになっただけのことかもしれない。私は本当に、これまで人に恵まれてきたのだ。

 

もともとHSPだったのだ、と思うと、名前が付いたことで少し気が楽になった。この資質を持つ人には耐え難い刺激が立て続けに加わった。そのために、私の場合は発症に至ってしまったのではないだろうか。

 

HSPは病気ではなく、生まれ持った特性とのことだ。教えてくれた彼女もHSPの可能性が高いらしいが、彼女はとても魅力的な素敵な女性である。この特性を持つことを嘆く必要はないと、彼女のおかげで素直に思える。自分の個性の一つとして受け入れていこう。

 

それにしても、昨今はいろいろなシーンでとげとげしい雰囲気を感じることが増えたと思う。不寛容な社会、というワードもよく目にするようになった。

 

他人に腹を立て激しく攻撃する。些細なことでも糾弾せずにはいられない。時に正義の仮面を付けて、時にはあからさまにモンスターとなって。

 

そういうことに慣れ、図々しくふてぶてしく生きることを「強くなる」と言うのなら、私は強くならなくてもいいな。こんな不寛容な社会はおかしいし、誰だって息苦しいはずだ。

 

そういう時代、ということなのだろうか。これまで私が出会ってきた優しい人たちは、今のこの空気をどう思っているのだろう。どう感じているのだろう。

 

そんなことを考えながら、真冬の空をまた仰いだ。ピュア過ぎて、涙が出そうだった。