一筋の光、降り注ぐ光。

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あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!

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HSPについては先月に書いたが、この概念のことを教えてくれた友人から、先日一冊の本を借りた。

 

彼女は体調を崩したときドクターからHSPの可能性があると指摘され、自分でいろいろ調べたそうだ。図書館で何冊か本を借り、その中で手元に置いておきたいと思い、購入し直したというのが『「敏感すぎる自分」を好きになれる本』(長沼睦雄著:青春出版社)で、今回その大切な本を貸していただいた。

 

読んでいるうちに、私はほぼ間違いなくHSPだろうと思った。そしてこれまで感じてきた「生きづらさ」がこの気質によるものであるのなら、今後どうしていったらいいのだろうと、改めて考えてみようと思った。

 

先日書いた記事と重なるが、HSPとはHighly Sensitive Personsの略で、とても敏感な人、という意味に直訳できる。アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が自著で提唱した概念で、その本『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』 (SB文庫)は世界的な大ベストセラーになり、HSPという概念は衝撃をもって世界の人々に迎えられたのだという。

 

HSPはどの社会にも15~20%の割合で存在すること、後天的ではなく生まれ持った気質であることが説明されており、敏感さゆえに現代社会で不当に低く評価されがちな気質だが、決して劣った人間などではなく、むしろ豊かな感受性に恵まれ創造性に富み、高い能力を持ち、繊細で深みのある人たちが多いのだと、アーロン氏は主張しているそうだ。

 

5~6人に1人はいることになるHSP。みんな、過剰とも思える自分の敏感さ、繊細さに悩むことが多かったに違いない。だから、この概念を認識することで自分の苦しみの理由を知り、その主張を読むことで自信を持つことができると思った人も多いだろう。アーロン氏の本は読んでいないが、私もHSPの存在を知ることで心がラクになった一人だ。

 

私が「生きづらさ」を感じる一番の要素は、すぐに疲れてしまうこと。周囲を見渡せば、どうやらみんな、さほどでもないらしい。他の人たちはこれくらいのことで疲れないんだ、私はきっと虚弱なんだ、とずっと劣等感を持っていた。

 

しかし、HSPはそうでない人の何倍もの刺激や情報を取り入れながら生活しているということなので、そういうことならば非HSPの人より疲れやすくて当たり前だったのだ。

 

私は仕事柄、取材をすることが多かったのだが、思えばずっと取材申し込みの電話が苦痛だった。何時ごろ電話するのが一番迷惑にならないだろうか、などと悶々と悩んでしまうのだ。通話中も、電話の向こうの相手の様子を、その声や背後の音などから細かに推察し、不安な気持ちを相手に悟られないよう、自然に話をすることに一生懸命心を砕いた。すごく疲れた。

 

また、内容的に強い緊張を伴うような取材の場合、何故か出かける前に猛烈に眠くなった。緊張しているのに眠いってどういうこと?と自分で自分が不思議だったが、まるで体がこれ以上の刺激は受け付けないよと、神経をプツンと切ってしまったかのようだった。それはきっと、パニックにならないようにするための自己防衛だったのだ。

 

誰かと会って話すのは嫌いではないし、好きな人とは何度でも会いたいのだが、会った後は本当にグッタリと疲れてしまうのが悩みだ。楽しいのに消耗する。別れた後に頭がクラクラすることもよくある。相手が苦手な人であればなおさらで、家にたどり着いた途端、倒れ込んでしまう。自分はなんて弱いんだろうと、悲しかった。

 

そうか。HSPだからだったんだ。
しかも5~6人に1人は同じ仲間。

 

そうわかると、心からほっとしたのだ。心を鍛えようと努力しても「疲れていないフリ」「気にしてないフリ」ができるようにしかならず、実際は「やっぱりとても疲れやすい」自分を持て余し、自己嫌悪に陥っていたから。

 

でも本当に5~6人に1人もいるの?気づかないだけ?

 

本を貸してくれた彼女とランチをしながら、冗談で「わたしたち、まるで超能力を隠して生きているエスパーみたいだね」などと笑っていたのだが、あながち冗談とも言い切れない。この気質を持っている人は、社会生活をする中で、自分の気質を人に悟られないように生きている人がきっと多いはずだ。それこそが、繊細気質そのもの以上に「生きづらさ」の原因になっているのではないだろうか。

 

HSPの特徴のひとつに「良心的である」というものがある。自分で言うのもなんだが、本当にそれはその通りだと思う。

 

誰かに気を遣わせてしまうのが心苦しいし、自分のために物事が滞るのは申し訳ない。つい、相手の期待に添いたいと反応してしまう。

 

だから、大きな音にすごくびっくりしてもそれを隠すし、長時間の話し合いに頭がボーッとしてきても我慢する。また、人が話している内容を先読みできても、その場の空気を乱さないよう慎重に控えている。ただでさえ気質的にストレス耐性が低いのに、良心的であるがために自分のその気質を隠し、さらにストレスをため込んでしまうのだ。

 

「人の気分に左右されやすい」という特徴もある。これはもう、実感。本当に普通に、いつも周囲の気分の影響を受けてしまっている。

 

そばにいる人が常に機嫌の良い人ばかりならいいのだが、そんな人はまれだから、しょっちゅう不機嫌や悲しみ、困惑や強い怒りなど、ネガティブな感情を過敏なセンサーでキャッチして、いつもダメージを受けている。慣れっこになれたらいいのだが、できるのは「慣れたフリ」をすることだけだ。ちなみに私が一番キャッチして具合が悪くなるのは「意地悪な感情」だ。

 

負の感情をキャッチ(それはもう、押し寄せて流れ込んでくるようで、本当に防ぎようがない)してしまったとき、まず私が恐れ、構えるのは、キャッチしてダメージを受けてしまったことを相手に悟られることだ。悲しいことだが、経験上知っているのだ。誰かがダメージを受けて弱っているとき、そこを狙ってさらに痛めつけようとする人が、少なからずいることを。

 

この自分を守るための反応と、前述の良心的な特徴とで、私は自分の繊細気質を隠そうとする経験を重ね続けてきた気がする。そのことによって、「生きづらさ」をますます強く感じるようになってしまったと思うのだ。そんな風に感じるのは私だけだろうか。

 

さてさて。

 

でもせっかく生まれてきたのだから、「生きづらさ」を我慢してばかりの人生なんてつまらない。お借りした本には、HSPとはどういうものか、という詳しい説明とともに、HSPの生きづらさを解消するための方法も紹介してくれている。「知る」「対応する」「心構えをつくる」という三つの柱だ。

 

「知る」は、自分の抱えるHSP気質について、よく観察して知ること。HSPと一言で言っても、その敏感さの中身や度合いは人それぞれだからだ。自分は何に対して敏感なのか、どんなときに心が動揺し、どんな場所に行くと具合が悪くなるのか、「対象」と「傾向」をわかっておくことが大切ということだ。

 

「対応する」は、まず、少しでも暮らしやすくなるための準備をすること。気質による不調を招く自分にとっての「刺激」を、あらかじめブロックできる場合はなるべくそのようにし、自分が活動しやすい環境をできるだけ整えるということ。そのためにも自分の状態を確認するクセをつけるといいようだ。

 

次の対応は、セルフケアを意識的に行うということ。自分を悩ます「刺激」を防ぎきれなかったときでも、「その後の対策」があれば安心だし、その安心感が過剰に「刺激」を恐れることをなくしていってくれる。自分を労わる方法を知り、積極的に行うことが大切なのだという。

 

セルフケアも人それぞれ、合うものが違うようだ。睡眠、入浴、食事の改善、ヨガ、ストレッチなどいろいろあるが、私の場合はアロマセラピーとホ・オポノポノ、それと散歩かな。ハーブに触れたり、文章を書くことも力になりそう。要するにこのブログそのものだ(笑)。

 

三つ目の「心構えをつくる」は、心の奥底に「生きづらくてもこのままでいい、変わりたくない自分」が潜んでいる可能性もあるので、そのような「心理的逆転」を乗り越えよう、というもの。変わることへの不安や、自己評価の低さから、「変わりたい」と言いつつも変わることを拒んでいる場合が、HSPに限らず結構あるようだ。人の心とは、本当に奥深いものだ。

 

HSPであることも含めた自分をすべて認めた上で「生きづらさを捨てていいんだ」と、自分自身に言い聞かせ、覚悟を決める。・・・これはなかなか簡単にはいかないかもしれないが、大事なことなんだろうと思う。

 

この本には、HSPが陥りやすい「困ったこと」への具体的な対処法も示されているほか、家族や友人など身近にHSPがいるという人に向けても、HSPを理解し付き合っていくための方法が紹介されている。特に子育て中の人で自分の子がHSPの可能性が高いと感じている人には、是非読んでもらいたいと思った。

 

HSPは「生きづらさ」も感じやすいが、すぐれた特性でもあると、今はもうわかる。そしてその「生きづらさ」もある程度まで制御できそうだということも。

 

病気ではもちろんなく性格とも違うので、治したり変えたりしようがないのだから、この先の人生、上手に付き合っていかなくてはね。いやむしろ、自己肯定し、HSPであることを楽しんで生きていきたい。