一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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「サンセット大通り」とクラシックカー

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先日の日曜日に、クラシックカーのイベント(走行披露と展示:トヨタ博物館主催)に行ったから、という訳ではないが、古い映画が観たくなり、アマゾンプライムで探してみた。選んだのは、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」だ。

 

この映画、30年以上前にフィルムで観たことがある。そんなに昔なのに当時ですら「大昔の映画」として上映されていた。それは名画座的に古き良き映画を定期的に上映するという、素敵なイベントで、会場は確か、今は無き青山ベルコモンズだったと思う。協賛はハーレクイン・ロマンスで、お土産に小説をもらったっけ。懐かしい。「ひまわり」や「スティング」などもここで観たのだった。

 

「サンセット大通り」は1950年の映画だものね。私の親世代が思春期だった頃だ。しかもここで描かれているのは、過去の栄光にしがみつく往年の大女優のお話。彼女が活躍したのはサイレント映画なのだ。さらに古くなる!

 

何重にも古いと、それはもはや新しいと思えるから面白い。映画の中で、この往年の女優、ノーマ・デズモンド(グロリア・スワンソン)が、自宅で、かつて自分の主演したサイレント映画を上映するシーンがある。その何とも言えないアンティークな趣が、とてもお洒落に感じた。

 

それからクルマだ。映画のモノクロの世界を走り回っているクルマの数々は、紛れもなくクラシックカーで、先日のイベントで私が見てきたようなものばかり。それなのに、ノーマが自宅ガレージに停めているクルマのことを、皆が「クラシックカー」と言っている。いやいやいや、映画に出てくるクルマ全部、クラシックカーだよ?なんて現在の私が言っても始まらない。

 

古い贅沢なものを「時代遅れ」「野暮ったい」と言ったり「貴重だ」「価値がある」と言ったり、人が判断する基準はあいまいで時に気まぐれ。カッコいい!古臭い!と同時に思うこともある。先日見たクラシックカーについてもそうだった。

 

我々世代がかつて憧れた、60年代、70年代のクルマも、クラシックカーとして陳列されていた。流線型のスポーツカー、トヨタ2000GTジャガーEタイプロードスターの周りには、少年に帰ったようなおじさんたちが目をキラキラさせて群がっていた。

 

約150台を集めたというから壮観で、クルマ好きな人にはたまらないイベントだっただろう。門外漢の私も「小さい頃、こういうの普通に走ってたよね」「わあ。これ、弟の部屋のポスターにあった」などと、思いのほか楽しめた。

 

昔のクルマは美しいデザインのものが多いなあと、一緒に行った夫と共に感心しきり。でも、今乗ったら結構大変そう、とも思う。車内が狭いし、音が大きいし、燃費も悪そう。窓もハンドルで開けなくてはいけない。

 

今見ても素敵で綺麗だけど、やはり古臭いのだ。古き良き時代に走っていたから、輝いていたんだね。

 

さて、「サンセット大通り」。昔のハリウッドの豪邸の描写に惹かれたし、栄枯盛衰への考察を誘う視点は好きだが、ストーリーはありきたりで特に面白みはなかった。昔、観たときはもっとのめり込んだ気がしたのにな。ノーマ・デズモンドのイタくて哀れなだけの描かれ方にも物足りなさがある。

 

ただ、ありきたりな描かれ方だと思ってしまうのは、ずっと時代が下って、私がこういう描写や展開を見飽きているせいかもしれない。もしかしたら、そういった展開の作品たちの大元は、実はこの作品だったりしてね。これくらい古い映画について、ストーリー展開をありきたりと批判するのはフェアじゃない。

 

昔は大スターだった女優、ノーマ。老いた今も、まだ大スターだと信じ込んでいる。もう化石扱いなのに。そんなノーマがなんと50歳なのだと知ったとき、私は一番戦慄したのだった。老女じゃなかったの?普通、その年齢ならまだまだ大女優でしょう??

 

恐るべし、1950年代。