朝、窓を開けると、甘く清らかな香りの挨拶を受ける。向いの庭の金木犀だ。
去年、初めてこの挨拶を受けたとき、いったいどこから?と、辺りを探したものだ。引っ越して最初に迎えた秋で、近所のことがまだよくわからなかったから。香りは遠くまで届くのに、咲き始めは本当に地味で目立たない花だしね。
そうそう、去年は、銀木犀という種類もあることを知った。花の色がオレンジ色ではなく、白いのだ。
そして今年。秋雨前線が居座り、ここのところ雨の日が続いている。傘をさして歩いていると、香りによって金木犀が近くにあるとわかるのが楽しい。足を止めて、その場所を確かめる。
緑道の脇だったり、一軒家の庭先だったり、マンションのアプローチだったり。
我が家の近辺には、結構な大木が割と多く、花付きも見事で、「地味で目立たない花」だなんて失礼なことは言えないな、と恐縮している。
春先の沈丁花、梅雨時のくちなしの花と並んで、秋の金木犀の花も、散歩時に甘い香りで季節の挨拶をしてくれる律儀な子たちだ。毎年、この香りに出会うと、金木犀の咲いていたさまざまな場所を繰り返し思い出す。香りと記憶の結びつきってすごいなあ。
祖父母の家の庭。従妹と金木犀の木の下を抜け、池の鯉を覗き込んでいた小学生時代の思い出。井戸水をくみ上げる手押しポンプの、湿った金属の匂いもそばにあった。
それから、まだ小さかった娘たちが、通学路の緑道にあった金木犀の下で、こぼれた花をすくい上げては撒いて、嬉しそうに遊んでいた姿。見守る私は何を考えていたんだっけ。
切なくも温かく思い出すこともある。
何年か前、すごく心細い思いで夜道を急いでいた日、ふと漂ってきたこの香りに励まされたこと。どこかな、と見上げた東の空に満月が浮かんでいて、その後の道中はずっと、月がお伴をしてくれたから、もう淋しくなかった。
そして、必ず思い出すのは、「イヴ」という名のガム。子供の頃、ちょっとお洒落なこのガムが大好きだったのだけど、その香りはまさしく金木犀そのものだったのだ。
ささやかな香りが与えてくれる優しさと、呼び覚ましてくれる小さな思い出たち。外を歩くたびに、金木犀は心をやわらかくしてくれる。
ありがとう、金木犀。雨で散り急いでしまわないか、心配。あと何日くらい、咲いていてくれるのですか。