一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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まずは自分のからだの声を聴こう

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ちょっとした繕い物をした。ほんの15分ほど、畳に座って膝の上で。終わって立ち上がろうとしたら…動けない。膝が固まっている。

 

びっくりした。これが、年を取るということか。こんなことで、立ち上がるのにも苦労するんだ。5分ほどかけて、ゆっくりと元に戻る私の体。膝だけでなく、腰もなかなか伸びない。哀しくなってくる。

 

でもさ、と思い直す。当たり前のことじゃん、トシなんだから。何歳だと思ってがっかりしてるの?(笑)

 

ここで、情けないわーとか、もういやだわー、とか嘆き落ち込む必要はないし、そんなネガティブな気持ちを引きずることこそが、自分を貶めてしまうことにつながる。何十年も頑張ってきてくれた自分のからだに対して失礼だ。

 

膝と腰に掌を当てて、私は心の中で謝り、感謝する。

 

ごめんね、15分も同じ姿勢でいて。
ありがとう、また元通りになってくれて。

 

ここ数年、からだの声に耳をすませるようになった。繰り返し意識してそうしていると、どうしてほしいのかがわかってくる。

 

歩き過ぎだよ。後でふくらはぎをマッサージしてよね。
もう2時間も椅子に座ってるよー。腰を伸ばすストレッチをして。
また猫背になってる。首が痛いよ、姿勢正して。

 

ごめんごめん!教えてくれてありがとう。
からだにそう伝えて、素直に従う。からだは、食べすぎや寝不足などについても、サインを送ってくれる。そして、ふと思うのだけど、私は若い頃よりも病気をしなくなっている。

 

まあ、私の若い頃というのは、やせ我慢とかっこつけで出来ていたようなものだから、からだにも随分無理をさせていた気がする。

 

徹夜で仕事してボロボロでも、ユンケルとか飲んで「全然平気」みたいな顔をして、クライアントの所へ行く。クタクタなのに、仕事仲間との飲み会ではハシゴもしてしまう。深酒もする。そうだ、タバコも吸っていた。…からだ、イジメスギ。

 

若い頃は、あんまり長生きしたくないし、長生きできないだろうなーなんて、自分のことなのに、他人ごとみたいに思っていた節がある。今も特に長生きしたいとは思わないけど、長生きしちゃうかもしれないなーと、何となく思う。

 

人生100年時代なんて言われている。私はどんなふうに老いていくのかな。長患いで苦しんだり、人に迷惑をかけたりせずに、寿命を全うできたらいいのだけど。でも、先のことをあれこれ思い煩っても仕方ない。

 

私は、もう何十年もお世話になっているこのからだと、最期まで仲良く付き合っていきたい。そのために、今日のこのからだを大事に思う。同じように、今日のこの心も、大事に思う。他人ごとでなく、自分のこととしてちゃんと自分の心身を見つめ、声を聴き、必要があればメンテナンスしようと思う。

 

自分を大切に扱ってもらっている、とわかると嬉しい。親切にされれば、嬉しい。自分のことをわかってくれようとしていると知れば、それも嬉しい。よね?

 

だから、自分のからだにも、自分がそうしてあげる。心にも、そうしてあげるのだ。

 

それだけのことなんだけど。これがなかなか難しくて、自分のからだや心に対しては、どうして暴君になってしまいがちなんだろう。どうして無理をさせてしまうのだろうね。

 

年を重ねてきた私のからだと心に、もっと感謝していこうと思う。

 

目も見づらくなり去年と今年、新しくメガネを二つ作った。こうして文章を書いているときや、読むとき、針仕事をするとき用と、運転や絵画鑑賞などできちんと見たいとき用。そう、私は老眼だけでなく近眼にもなってしまったのだけど、このメガネたち、普段はかけない。

 

まず、目、の声を聴く。今はラクにしていたいよ、とか、ここはピント合わせてちゃんと見たいから手助けして、とか。

 

例えば部屋の掃除。メガネをかけると細かい汚れが見えすぎて(笑)本当にキリがないので、掃除のときにかけるのはやめた。良く見えればいいというものでもないかと、最近は視力低下にすら寛大な私だ。目が悪くなってきた頃は、あんなに嘆いていたのに。

 

物忘れが増えたのも、何でも覚えていたらしんどいでしょうから、忘れられて上等、くらいに思っているし。人名や地名が出てこなくても、本当に困ったことって思い当たらない。あれ、これ、それ、が増えてきても、笑ってしまえばそれでおしまい。

 

年齢を重ねていくことは、ネガティブに捉えられがちだけど、できるだけポジティブに考えられたらいいな、と思っている。からだは硬くなっても、心の柔軟性は失いたくない。頑固なおばあさんにはちょっと憧れるけどね。笑

 

ある職場で「あなた、カッコよく歩くねえ」と褒められたことがある。すごく嬉しくて、今でも私の励みになっている。ときどき思い出しては、はっと背筋を伸ばし、顎を引き、スッスッと足を出す。

 

歩き方はちょっと気を付けたいなと、実は最近また思っていて。ショボショボ歩くと、心までショボショボになってしまうことを実感したから。すごく直接的に心にリンクするようなのだ。

 

家の中でも、油断するとドスドス歩いてしまっていて。あ、カッコ悪いな、と思い、すぐに直すようにしている。イメージはネコ。音を立てずにエレガントに歩く、長女の家の飼い猫を思い出しながら真似してみる。良いと思ったならば、ネコだってお手本にする!

 

先日のこと。日傘をさして前を歩く女性がいて、よろよろ歩いていたからてっきりご年配の方かと思っていたのだけど、追い越したときチラリと見たら、うら若き女性だったことに驚いた。スマホを見ながら背を丸めてヨタリヨタリ…。もったいないなあ。

 

やっぱり、歩き方って大事。若く見られたいから、でなく、素敵に見られたいから。いや、見られたいからじゃなく、自分で自分を肯定的に見たいから。これは、年齢に関係なくそうありたいと思う。

 

無理をさせずに鍛えて、甘やかさずに労わって。頑張ったり力を抜いたり、加齢との付き合い方はなかなかに難しい。ただ、まずはからだの声を聴いてみる、というのは、自分とのコミュニケーションをとる上でもお勧めだ。大事に思っていることが伝われば、からだはきっと、応えてくれる。