一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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一眼レフと私

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8月もあと10日ほど。朝晩涼しくなり、日毎に秋が近づいて来るのを感じる。

 

義父の一周忌法要も滞りなく済み、我が家に泊まっていた長女一家も帰っていき、ここ2週間ほどの忙しさをぼんやりと振り返る。1歳4か月の孫娘が遊んだ積木やぬいぐるみを片付け、愛らしい笑顔を早くも懐かしみながら、でもやはり戻ってきた日常にホッとしている。

 

手元にはミラーレス一眼のカメラ。せっかく買ってもらったのに、その後忙しすぎて、まだちょっとしか触れていない。

 

いや、大丈夫。外に出やすくなるこれからの季節、いろいろ試して好きな写真をたくさん撮りたい。

 

私は30年くらい前、小さな出版社でグルメ系フリーペーパーの記者をしていた。当初はカメラマンと組み、彼のランクルに同乗し取材に飛び回っていたのだが、ある日、編集長にこう言われた。

 

「これからは、つきかなさんが写真も撮ろう。クルマも買うから(軽だけど!)一人で取材に行ってね」

 

要するに経費節減。カメラマンに撮影を頼めるのは表紙と特集ページに限られてしまった。そして、私はペーパードライバーを返上して運転することになり、会社にあったニコンの一眼レフを覚えることになってしまった。

 

今では編集長に感謝しているが、当時は本当に面食らい、紙面完成度の低下を恐れて、仕事を取り上げてしまった形の当のカメラマン(強面だけど本当に優しい人だ)や、カメラの得意な同僚や仲間のデザイナーに聞きまくりながら、自分でも一眼レフを買って練習した。

 

もちろんスマホも携帯電話もない時代。それまでは、インスタントカメラしか持っていなかったけれど、写真を撮るのは好きだった。だから、一眼レフの魅力にも瞬く間にはまり、面白くてたまらなくなった。

 

そのフリーペーパーの印刷をお願いしていた会社の担当さんが、写真撮影を趣味にしていると聞き、それなら休みの日に一緒に撮りに行きましょうかという話になり、よく牧場や海などに連れて行ってもらった。

 

レンズを付け替えたり、絞りやシャッタースピードを変えてみたり。いろいろな表現力がある一眼レフにどんどん夢中になり、仕事で撮るだけでは物足りず、ついにはグループで写真展を2回、するまでになった。ちなみに、その担当さんが今の夫である。

 

結婚し、娘たちが生まれ、彼女たちが被写体になることが増えて、いつからか我が家でもデジタルのカメラが主流になっていき・・・使われないままのリバーサルフィルムの箱が埃をかぶっていった。

 

今ふと、あの巻き上げ式のニコンを懐かしく思い出す。135mmのレンズを愛用していたっけ。ああ、ニコンのシャッター音が好きだったなあ。

 

年月は流れた。10年近く前、新聞社で記者をしていたときには自分のデジタルカメラを使っていたが、今はもうそのデジカメさえどこかに仕舞い込まれたままだ。

 

いつしか私、スマホのカメラでしか撮らなくなっている。なんてことだ、そのスマホにしたって、機能を十分に使いこなせていない。

 

「あなたは写真を撮る人だと思うんだ」

 

そう言って、この夏、夫が買ってくれたオリンパスのPEN。小さくて可愛いけれど、このちょっとした重みに安心感を覚える。カメラって、やっぱりこう構えるものだよね(ファインダーはないけどね)。

 

これから、いろんな所へこの子を一緒に連れて行きたい。旅にも出たい。つい、スマホの手軽さに手を伸ばしてしまいがちだけど、本当に「撮る」モードのときは一眼がいい。絶対に面白いから。

 

で、面白くなるためには、まず操作を覚えなくてはならない。PENのマニュアル本も2冊買ってもらっている。が、パラパラと見ながら不安になるのだ。

 

いろんなことをメンドクサがりながらここまで来てしまった今の私に、こんなにたくさんのこと、覚えられるのかな。

 

が、がんばろ!

 

被写界深度、なんて言葉、ホント、懐かしいな。まずはスマホでは撮れない、キレイな背景ボケをマスターしたい。一応、強い意欲はあるのだ。

 

このカメラをつきかなに買ってあげようと思ったときの、夫の気持ちを想像してみる。彼にとっての「こうあってほしい」私像は、多分、私自身にとっても「こうありたい」私像なのだと思う。そこをサボって、錆びかけていた。

 

少しでも輝きを取り戻したいと思うよ。その気持ちへの感謝とともに。
さあ、何を撮ろうかな!