一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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「瞳の面影」を聴きながら―西城秀樹さんを追い続ける日々

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「瞳の面影」という歌をほぼ毎日のように聴いたり、口ずさんだりしている。フランキー・ヴァリの名曲を西城秀樹さんがカヴァーした、美しいバラードだ。美しすぎて、気がつくと、涙が頬を伝っている。いつものことだ。

 

西城さんが遠い世界へ旅立たれて、4か月以上がたつ。喪失感は、形を変えながら今も続いている。

 

寂しい気持ちはある程度、落ち着いてきた気がする。しかし、何とも言えない哀しみと恋しさが、日を追うごとに深まっていくようなのだ。辛いのだけど胸は温かく、涙にくれながらも優しい気持ちになる。体験したことのない感覚。一体これは何なのだろう。

 

過去の歌を聴いたり動画を見たりして、私の覚えているHIDEKIをなぞり、私の知らなかったHIDEKIを知っていく日々。いつも彼を追っている。

 

お母さんはオタクなんだね、と先日、24歳の娘に言われてしまい、ちょっと笑った。そうだね、お母さん、HIDEKIオタクになったのかもしれない。

 

小学生のテレビゲームよろしく「HIDEKIのことは1日1時間までにします」などと言っていたら「いいじゃない、好きなだけやれば」と優しい娘。(笑)


動画を見て泣いてしまい「ありゃりゃ、ごめん、変だよね、私」と言ったら、夫まで「そんなの。好きなだけ泣けばいいさ」と言ってくれた。(甘えさせていただいてます)

 

西城秀樹さん。
16歳で上京、17歳直前でデビューして、63歳まで、46年もの間、ずっと芸能界の第一線で活躍されてきた。画家で言うところの「画業○○年」に相当する言葉が、歌手にもあるのだろうか。とにかく生涯現役で、大スターでいつづけるということは、本当に凄いことだと思う。

 

「西城秀樹が好き」と言うとき、相手がどの年代の「西城秀樹」を思い浮かべてくれているかは、いつもとても気になる。例えば10代のあどけなさの残る彼の姿や歌声(でも洋楽カヴァーでは思い切りロックしてる)と、30代の洗練されたそれとでは、全くイメージが異なる。もちろん、どの年代も本当に魅力的なのだけれどね。

 

以前にも書いたが、私がHIEDEKIに夢中になっていたのは、遠い遠い思春期の頃。1973年2月発売の「青春に賭けよう」(デビュー1年後くらい)でドキンとし、5月の「情熱の嵐」で恋に落ちた。(よくあるパターンみたいです)

 

「ちぎれた愛」「愛の十字架」「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」「涙と友情」「この愛のときめき」「恋の暴走」「至上の愛」「白い教会」

 

このあたりまでかな。レコード屋さんに3カ月に一度、走って行ったと思う。当時はそれくらいのペースでシングル曲を発売していたから。で、私は高校受験を機に、HIDEKIを卒業しようと自分で決めたのだった。

 

この後、1976年に入ってからの「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」は、西城さんの「青年3部作」と言われている。西城秀樹を少年から青年にしようと、作詞家に阿久悠を起用、以後しばらく、阿久悠・三木たかしコンビの曲が続く。まさにその頃、HIDEKIを離れてしまった私は、少年期までの彼を愛していたことになるのね。

 

でも、テレビをつければ彼はそこにいた。少しずつ大人になって、いつもキラキラ輝いて。だから、その後のヒット曲もたくさん知っているし、ずっと好きだったし、活躍を見て嬉しかった。ただ、80年代になると自分がテレビをあまり見なくなったこともあって、彼の曲をよく知らない。90年代も、2000年代も、ネットで初めて知った曲がほとんどだ。そう、訃報後に・・・

 

アルバムも100枚以上出していて、その中にも素敵な曲がいっぱいあることを知った。YouTubeを開けば、お宝音源や動画が綺羅星のようにアップされていて、私は自分の知らないHIDEKIに驚き、改めてその素晴らしさを実感している。というか、圧倒されている。

 

音源や動画のアップも、これ、加速度的に増えているのではないだろうか。人気があるのはもちろんだが、それだけデータがあるということで。

 

歌謡界全盛期の国民的スターであったということは、しかも46年間も活躍されたということは、こういう膨大な宝物を残してくれるということなのか!(掘れば掘るほど出てくる・・・)

 

彼の素晴らしさは音楽だけにとどまらない。歌唱力や表現力がずば抜けているだけでは、こんなに多くの人に愛されないだろう。恵まれた容姿ももちろんあるけれど、やはり、人柄、人格なのだと思う。

 

数多くの後輩に慕われている様子はよく伝えられているが、彼は10代の頃から父性を感じさせるものがあった。

 

思春期の私は、彼をただ「カッコイイ!」と憧れただけでなく、いつも守ってくれそうな信じられるお兄さん、という目で見ていた。それでいて時折見せる、寂し気な瞳が幼い母性をもくすぐった。だってHIDEKIはまだ、18歳くらいだったのだものね。心細い、不安な思いもあったことでしょう、多分、たくさん。

 

冒頭で書いた「瞳の面影」で、HIDEKIと綺麗にハモっているギタリストの芳野藤丸さん。藤丸バンドでHIDEKIのバックを務めていた頃のエピソードを書いてくれた記事があり、その中で、ファンの多くは女子中学生や高校生だから、彼は保護者のような目で見ていたと回想していた。そうでしょうとも、と思い、また泣けてきた。

 

先日入手したDVD『ブロウアップ ヒデキ』では、20歳の彼が歌い、叫び、踊り、語っている。月並みだけど、青春がほとばしっている。43年前のステージとは思えないキラキラ感。スタイリッシュで可愛らしく、礼儀正しく、優しく、激しく、切なく、この世の人とは思えないほど美しい彼。そして抜群に歌が上手い。

 

ライヴで彼の作り出す世界観は、テレビの歌番組とは比較にならないスケールだ。私の魂も時間ごとごっそり持って行かれた気がする。クラクラするようなこの感覚を、どういう思いで受け止めたらいいのかわからない。

 

自分の娘よりも若い20歳の彼を「そんなに走ったら転ぶよ」と、ハラハラ見守る50代の自分がいるし、優しく美しい素敵なお兄さんにときめく中学生の自分もいる。そんなのが同時に存在するわけで、本当に混乱する。

 

どう表現したらいいのかわからない、この不思議さといったら。そして、もう彼はいないのだという思いに至れば、自分が存在することすら現実味がなくなってくる。

 

誰かと共有したい気持ちで、YouTubeの動画のコメント欄とか、掲示板などもそっと見ている。で、自分と同じような気持ちでいる人が多いことに、喜びと感動を覚える。私のように戻ってきたファンは「ブーメラン組」と呼ぶそうだ。

 

ブーメラン組の切なさは、ファン歴46年の方々や、訃報をきっかけに新規でファンになってくれた方々とはまた違う、贖罪の意識もある。一番大変だったときに、支えてあげられなくてごめんなさい。リハビリの頃のお姿を見るのが辛く、目を逸らしてしまってごめんなさい、という・・・。そして、いつも、いつだって、努力してきた貴方をリスペクトし、まぶしく見上げてきたのです、と。貴方は昔からずっと、本当に、身も心も美しい人でした、と。

 

同世代ファンの想いは複雑で、それぞれの人生も反映されていて。私はついつい自分と重ね、感情移入してしまう。刺さる言葉を見つけては、涙して、時に嗚咽まで。でもやめられない。(これをヒデキ沼と言うそうです)

 

まあでもね、前述の24歳の次女に「お母さん、綺麗になったんじゃない?」と言ってもらえたのは嬉しい。傍から見たら滑稽でも、きっと私の救いになっていると思うのだ、この沼は。

 

切ないし、オタクかもしれないけど、宝物を見つけ直したような喜びがある。自分の知らなかった大人世代のHIDEKIを知って、初めて聴く曲に心打たれたり、これまであまり興味を持てずにいた楽曲にも魅力を感じてきた。今ではどの世代の彼をも絶賛したい。

 

・・・ただ。
やっぱり私は、私が一番夢中になっていた頃の彼を、今でも一番愛おしんでいると認めざるを得ない。HIDEKIは、それでいいと許してくれるだろうか。

 

最近は、向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」を見て懐かしんでいる。昔、見ていたはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない私。子どもだったんだね。HIDEKIが演じる周平君が、年上の親戚の女性にほのかな恋心を抱く23話、24話は、まるでフランス映画のようだ。ライムとかレモンとかの香りがしてくる。本当に素敵。

 

おばあちゃん役の樹木希林さんも、先日神に召された。今頃、周ちゃんとばあちゃんは、あちらでじゃれ合っているのかな。

 


・・・ああ、お彼岸ですね。仏花も良いけれど、彼に捧げるお花はやっぱり・・・深紅の薔薇かな、と思いました。