一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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母に長い手紙を書く

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私にとってとても貴重な、「あれもしたい、これもしたい」の5月が始まっている(そういえば今月から令和ですね)。体調を崩してのスタートだったけど、今は元気。膝の痛みも耳鳴りもなく、肩凝りすらない。どうしたの?っていうくらい、絶好調。ただ、忙しい。

 

先日の日曜日、友人夫婦に誘われて、ベルギービールのお祭りに行った。待ち合わせの時間より少し早く着き、最寄りのデパートで母の日のプレゼントを物色。花の寄せ植えを選んだ。

 

配送を頼むと、翌日か翌々日、届いてしまうという。そうか、花は生ものだものね。ネットショッピングで麻痺してしまっていたが、お届け日は選べないのだ。母の日よりだいぶ前についてしまうが仕方ない。

 

それで、火曜日の夜、母から「ありがとう、届いたわ」と電話があった。母は携帯電話もスマートフォンも持たないので、いつも家の電話から我が家の固定電話にかけてくる。

 

この固定電話、だいぶ前から調子が悪く、買い替えるか何か、対処しなくてはと思っているのだが、ほとんど使っていないので(かけてくるのは母かセールスか選挙運動くらい)ついそのままにしてしまっている。数分で子機の充電が切れ、会話がブツブツになり「かけ直すね」と言って、私のスマホから父の携帯にかける、ということがこれまで繰り返されてきた。

 

ただ、今回は私、思うところあって「手紙を書くね」と言って通話を切ったのだった。

 

お花に付いていたカードに「いつもありがとう」と書いたけど、なんだか足りなくて。電話でも、充分に伝えられるか心許なくて。ちゃんと、丁寧に伝えたかった。感謝を。

 

2年前の記事にも書いたが、長女の出産で手伝いに行ったとき、私は同じことを母にしてもらった当時を思い出し、母の大変さを思いやれていなかった自分を反省した。帰ってからそのことを電話で母に伝えたけれど、サラッと終わってしまった感じで、実はちょっと心残りだった。

 

そのときの記事↓

tsukikana.hatenablog.com


さて、書き始めると、これがなかなか大変。手紙を書くのも久し振りだし、きちんと伝えようと気負っているから余計に。3時間くらいかかったかな。便箋7枚にわたり、あの頃の若気の至りで気遣えなかったことを詫び、感謝と尊敬を言葉にした。

 

文章にしてみると、心が整理されていく。手紙を書きたいと思った衝動の本質が見えてくる。そして28年前の記憶がよみがえる。

 

まだ若かった母。高校時代はソフトボールの選手で運動神経が良く、動くことが大好きだった。「おばあちゃん」になる頃も、ダンスを続けていて。今は杖がなければ外出できないなんて、あの母が・・・と辛くなってしまう。

 

昔から本が大好きで、私の家にも数冊の本を持ってきたが、足りなくて我が家の本棚からも数冊抜き取り、赤ん坊が寝ている間に読んでいたっけ。

 

夫の両親と祖母が3人でお祝いに駆けつけてくれたとき、得意のおはぎをこしらえて来客を喜ばせてくれた母。今はもう、その3人は鬼籍に入っているのね・・・。

 

豆板醤を使って麻婆豆腐を作ろうとする私に「偉いわね、麻婆豆腐の素とか使わないでちゃんと作るなんて。私はやったことがないわ」と、感心し褒めてくれた母。私だって、母が作るもので自分ができない料理なんてたくさんあるのに。

 

数週間、一緒に暮らせた。一緒に赤ん坊の世話をし、一緒に台所に立った。それは出産直後の大変な時期だったけど、娘として母に甘えられる幸せな時間でもあった。母も嬉しいんじゃないかな、なんて思っていた。単純で愚かだった私。

 

静岡に母の暮らしはあり、その生活を犠牲にしてはるばる来てくれたのだ。一人残された父は、ほとんど家事ができない人だ。心配だったことだろう。慣れない台所も使いにくかっただろうし、少ない予算での買い物も、よく知らない若い男(私の夫ね)とのコミュニケーションも、気を遣ったことだろう。

 

居心地は良くはなかったよね。我慢を、多分、いっぱいさせてしまった。それを、一言も愚痴らず、甘えから出る私の無礼を笑って受け流したり軽く諭したりして、頑張りなさいよ、と手を振って帰っていった母。さっぱりしていた。

 

あの頃の私は、もっといてくれたらいいのに、くらいのことは思っていただろう。本当に馬鹿だね。子どもを生んだら誰かに助けてもらっていいんだなんて決まりごとは、どこにもないのに。助けてもらったら、感謝でしょう!

 

母自身は、私や弟を生んだとき、実の母親に手伝ってもらっていない。しかも、転勤族だった。どうやってあの大変な時期を乗り切ったんだろう。すごいなあ。

 

私の母は、どちらかというとクールで、私はハグとかされた覚えがない。昔の女性はそういう人がほとんどなのかもしれないけれど、なんとなく、子どもに対して冷めている感じがして、私のことをあまり好きではないのかなと、ずっとちょっと寂しかった。社交的な母は人気者で、私は母を楽しそうに笑わせる人たちにやきもちをやいていた。

 

母娘とはいえ、好きな所、苦手な所があるのは当然なんだけど。私は20歳で家を出たし、母と離れて暮らす年月の方が長くなって久しい。長く離れていると、不思議と良くしてくれたことばかりが思い出されて、懐かしく、胸が熱くなる。

 

思い出の中の母は、いつも物分かりが良くて優しい。母にとっての私は、どんなふうなのかな。

 

長い手紙を書きながら、高齢の母に、あと何回会いに行けるだろうかと考える。切なさと申し訳なさと、恋しさが募る。私の中の甘えん坊がべそをかく。

 

迷ったけれど、最後に「今度会ったとき、ハグさせてね」と書いてしまった。手紙っていいね。
明日は母の日。