一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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ノスタルジックな気分と幸福感―クリスマスの飾り付けに思う

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11月は、週末をいつも次女と過ごしている。一緒に買い物に出掛けたり、カフェに行ったり、彼女が家に泊まったり、私が彼女の部屋に行ったり。

 

去年の暮れに、同じ県内でひとり暮らしを始めた次女。当初はよく会っていたのだけど、その後コロナ禍で会えない時期が長く続いた。

 

✻次女のひとり暮らしについて書いた記事はこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 

その間、母が亡くなったことを始め、いろいろな出来事があり、電話やLine、ビデオ通話はしていたものの、会って話せないもどかしさを感じ続けた。

 

まるでその反動であるかのように、最近はよく会っている。
・・・でも多分、反動だけではないのだと思う。

 

「またずっと会えなくなるかもしれない」という思いが、この不穏な世の中を生きていくうちに、心の中で育ってしまったのではないか。そんな気がしている。

 

次女は、わりとさっぱりした性格で、お見送りをされるのもちょっと抵抗あるような子だったのに、先週は自分のマンションから帰って行く私の背中を見て「追いかけたい衝動を抑えた」のだと、一昨日打ち明けてくれた。

 

どうしたどうした、あなたらしくない、と笑いながらも、次女の心の中を占めている不安や心細さが、こちらの胸にダイレクトに届き、目の奥が熱くなってしまう私だった。

 

・・・会いたい人に、会いたいときに会えるという、普通のこと。
それが不可能になることもあるのだと、誰もが思い知らされた今年。

 

11月も終わりに近づき、寒くなった。5時を過ぎるともう真っ暗になる。晩秋から冬へ向かうこの季節も、不安や寂しい気分に拍車をかけているのかもしれない。

 


夜のとばりが下りきる前にカーテンを閉め、照明をつけるとほっとする。一昨日からは、クリスマスツリーの電飾にもスイッチを入れるようになった。泊まりに来ていた次女が、帰る前にセットしていってくれたのだ。

 

自分がしたいから、と言っていたけど、きっと、私のためなんだと思う。この季節に、寂しくならないように、華やいだ気分を楽しめるようにと、親思いの娘が巣立った家を明るく飾り付けてくれたんじゃないかな。

 

自分が寂しさを感じるとき、自分の大事な人も寂しがっているのではないかと、多分、次女はそういう風に思いを広げる。彼女はよく「お母さん、寂しくない?」と心配そうに聞いてくるので、私はその優しさのみなもとを思い、頭を撫でてしまう。

 

それでも、次女は本当に楽しそうに飾り付けをしていた。「昨夜のウーバーイーツ、良かったね♬」なんてはしゃぎながら。飾り方の細かい所に工夫がみられる。そこを楽しんでいるらしい。

 

私も、娘と先日イケアで買ったLEDのイルミネーションライトを、壁に取り付けてみた。オーナメントボールもドア枠にぶら下げてみる。キラキラして、とても美しい。

 

なかなか、可愛いかも。素敵かも♬

 

自然に笑顔になってきた。クリスマスの飾り付けをする、という行為には、メンタルへの効用もありそうだ。

 

リビングに。玄関に。娘たちが生まれてから、何度も何度もクリスマスの飾り付けをしてきたなあ。毎年、忙しいけれどこの季節が楽しみだった。そこには必ず、家族の笑顔があったから。

 

はしゃいだムードにそぐわない大変な年も何度かあったはず。でも、不思議とそれは思い出さなくて。ツリーやリースを見れば、いつもふたりの娘や夫の、楽しそうな顔と結びつく。マライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」とともに。

 


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それから、小さかった私と弟、若かった父と母。昔、住んでいた家の景色もよみがえってくる。

 

郷愁とか、昔を懐かしむ思いを「ノスタルジー」と言うけれど、まさにそんなノスタルジックな気分が、クリスマスの飾り付けをすることで呼び覚まされるようだ。

 

そのノスタルジーに含まれている哀愁は、哀しい色は抑えられていて、優しさや華やぎが温かみを帯びて輝いている。

 

だから、幸福感をもたらしてくれるのだろう。それは気付かないほどの小ささ、かもしれないけれど。たとえ小さくても、ストレスの多い今年は特に、クリスマスのデコレーションが果たしてくれる役割は大きいのではないかと思う。

 

次女も今、自分の部屋をクリスマスモードに模様替え中だという。長女のところでも、去年作ったあのクリスマスタペストリーが、そろそろ飾られる頃かな。

 

遠く離ればなれになってしまっても、お互いを想う気持ちは変わらない。それぞれがそれぞれの場所で、クリスマスを待つ楽しみを味わい、幸せな気持ちを大事にしていけたら、と願う。

 

それにしても・・・

会いたい人に、会いたいときに会える。不安なく。
そんな世の中に、早く戻ってくれないものか。
感染拡大のニュースに、今日もため息が出てしまう。

 

クリスマスまで、あと1か月。


✻これまでに書いたクリスマス関連の記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 

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父とふたりで、母の思い出のレストランへ

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久しぶりに、ハンカチにアイロンをかけた。

 

え。何年ぶりだろう。
昔は家族4人分のハンカチに、毎日のようにせっせとアイロンをかけたものだった。夫がパイル地のハンカチを愛用するようになって以来、我が家ではアイロンの必要なハンカチは日の目を見なくなっている。

 

いつからか、ハンカチの必要なシーンも減った。
商業施設でも、駅やサービスエリアでも、トイレには手を乾かしてくれるハンドドライヤーが、普通に装備されてきて。

 

もっとも最近はコロナのため使えないようにされていて、またハンカチが活躍しているが、それはダブルガーゼやパイル地の、アイロンをかけなくて済むハンカチだ。

 

綿ブロードの大きなハンカチにアイロンをかけるのは、正直言って面倒だった私。でも、パキッと四隅の角が際立ち、大小のしわが伸びて、生き返ったようにカッコよくなった姿を見るのは好きだった。

 

昨日、アイロンをかけたハンカチは、母のもの。先週、また清水の実家に行って、諸々父の手伝いをしてきた折、帰りにもらってきた、言わば“母の形見”のひとつ。ちょっとしたエピソードのある品だったので、持ち帰って洗い、アイロンをかけた。

 

母は昔からハンカチが好きで、出先で気に入った柄を見つけるとすぐに買っていた。人からもよくもらっていたし、あげてもいた。私もこれまで何枚も母からハンカチをもらった。新品のまま引き出しの奥に眠っているものもいくつか。

 

「なんで、そこまでハンカチが好きだったんだろうね」
と、父と笑ってしまうほど、あの家には母の膨大なハンカチコレクションがある。

 

宝石とか香水とかには、まるで興味がなかった母。でも、ハンカチには目がなくて。特別な思い入れでもあったのだろうか。今となっては知るすべもないのだけれど。

 

「お金のかからない趣味で助かったね、お父さん」
と父を見れば、苦笑しながらも頷いている。懐かしそうに遠くを見る目をした父は、ふと私を見て、こう言った。

 

「どうだ。カレー、食べに行くか?」

 

父は、母が結婚前に母の父(私の祖父)と時々訪れていたという、老舗のレストランに私を誘ったのだった。母の写真も連れて行こう、と嬉しそうだ。

 

父と母の結婚前に、母方の祖父は病気で亡くなった。だから、私は祖父に会ったことがない。どんな人だったか、母からも聞いたことはなかった。

 

そもそも母は、自分の家族のことをあまり私に話さなかった。9人兄弟の三女で、戦時中、空襲のときに末の妹を背負って逃げた話だけは別。それは、とてもよく覚えているけれど。

 

炎に包まれた町を走り、妹を背負ったまま用水路に落ちて、もうこのままふたりして死ぬんだと思ったとき、見知らぬおじさんが引き上げて助けてくれたと。映像が目に浮かぶくらい、リアルに教えてくれた。母がまだ、10歳のとき。多分、私が同じ年の頃、繰り返し話してくれたのだと思う。

 

でも、その話くらいかな、強く印象に残っているのは。件の末の妹のことを、母は最期までとても愛していた。家も近いので、ずっと仲良しだったようだ。私も一番親しい叔母として、昔も今も大好き。

 


「お母さんのお父さんって、どんな人だったの?」

 

母の大切な思い出の店で、その店の看板メニューであるカレーを待ちながら、私は父に聞いてみた。父も、母との交際中に数度会っただけだから、あまりよく知らないのかもしれない。

 

「真面目だけど、なかなか面白いところもある人だった」

 

なんじゃそりゃ。イメージがまるで掴めない。笑

 

終戦までは職業軍人だったと聞いていた。戦後は、地元の大手の企業で働いていたそうだ。空襲で全焼した家をちゃんと建て直し、9人の子供を育て上げたのだから、会ったこともないおじいちゃんだけど、「すごいね」と言いたくなる。

 

母が結婚する前というのは、日本は戦後復興期から成長期へ向かう頃か。田舎だった清水も、それなりに華やいだ雰囲気に包まれていたのかなあと、想像する。

 

それでも、当時はレストランに食事に行くことは、きっととてもスペシャルなことだったはずだ。

 

父親と港町の洋食屋にカレーを食べに行く。そんな晩は、若き母はきっと、うきうきと心弾ませていたことだろう。嬉しそうな母の顔が浮かび、私は胸が熱くなった。

 

そのお店、「サンライス」さんは大正10(1921)年オープン。創業99年だと知った。戦前から続く老舗洋食店だったのだ。

 

オープン当初はどんなお店だったのかな。今と違って、カレーもハイカラなご馳走だっただろうから、お客さんも特別な思いでテーブルに着いていたのかも。

 

それは、60数年前くらいだって、きっとそうだよね。ああ、母に聞いて確かめたいなあ。おじいちゃんと「サンライス」さんに行くのは、すごく楽しみだったんでしょ?と。

 

現在は「エスパルス通り」だけど、当時は「波止場通り」。船長、パイロット、税関職員などが連日訪れた、と書いているサイトもあった。往年の賑わいが偲ばれて、ちょっとロマンを感じてしまう。

 

もちろん何度か改装されているのだが、レトロな雰囲気も感じられる、なかなか素敵なレストランだった。店内には、フランス鴨の燻製室なんていうのもあって、ちょっと驚く。カレーも美味しかったけど、今度はコース料理を頼んでみたいな。

 

お店にいらしたマダムは、いったいおいくつなのか。88歳の父が、若い頃にここへよく来ていたことを話すと、息子でも見るようにニコニコと聞いておられた。

 

そう、父も清水で働いていた頃は、よくランチでこの店へ来ていたらしい。母と祖父のここでの食事にも、誘われたことが一度あったそうだが、仕事で行けなかったと残念がっていた。きっと、祖父も残念だったよね。

 

・・・いや、ほっとしたかな?
当時、父は母の恋人だったのか。うーん、変な感じ。笑

 

父も母も、清水っ子で、私は清水生まれだけど清水のことは何にも知らない。今年はそんな複雑な思いを何度もしているなあ。

 

✻清水と私のことは、こちらで書いています↓

tsukikana.hatenablog.com

 


母は、もしかしたら、娘の私にはあまり自分の昔のことを知ってほしくなかったのかもしれない。私たちはわりと仲の良い母子だったと思うが、話してこなかったということは、その内容について知ってほしくない、ということなのかも。

 

私も自分の娘には、私の過去について話したいこと話したくないこと、あるものね。別に知られて困るわけではなくても、あえて知らせることでもないか、という感じで。

 

だから、母の昔のことも、清水に行くと周囲の人につい取材みたいに聞きたくなってしまうけれど(職業柄?)、ちょっと抑えておこうかとも思っている。父が、ポツリポツリと話してくれるのは、とても嬉しく聞いちゃうけどね。

 


アイロンをかけた母のハンカチ。それは、十数年前の母の日に私があげたプレゼントの、おまけの方だった。メインのブラウスは若い人向けのデザインで自分には合わないと、その年の夏に私に戻されたのだ。母はそういうところ、合理的な人。

 

でも、大判のハンカチは気に入っていて、「ネッカチーフにしてるの」と言っていた。

 

ネッカチーフ。昔、そんな言葉があったっけ。首に巻く小さなスカーフだね。

 

そのネッカチーフが、母の普段使いの服を入れているカゴの中にあった。そのカゴの中身を整理してほしいと、今回父に頼まれ、見つけたのだった。ずっと、愛用してくれていたのかなと、思わず微笑んだ私。

 

シビラのハンカチ・・・
当時、頸椎の手術をして入院中の母に、元気を出してもらいたくて選んだ色と柄だった。

 

少しも色あせていないし、シミひとつない。大事に使ってくれていたんだね。

 


母が亡くなって間もなく半年がたとうとしているが、母への恋しさは増すばかりで、いつも話し掛ける時、はじめは笑っていても、しまいには涙声になってしまう。

 

会いたいよ・・・
声が聞きたいよ・・・

 

そして、母の85年の人生を、きれいに包装してリボン掛けしているような気分が、ずっと続いている。大変なこともたくさんあった人生だけど、母は幸せだったのだと、強く信じたいのかな。それは、私のエゴかもしれないね。

 

遺影の母は、呆れているようにも見えるし、慈悲深く見つめてくれているようにも見える。

 

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“ささやかな幸せ”を抱きしめる―11か月ぶりの再会

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今日も、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、眠ることができる・・・

 

ここのところ、毎晩のように、このささやかな幸せをかみしめている。新聞やテレビで、悲しい切ないお話を、ずっと見聞きしているからかもしれない。

 

・・・どんなに辛いことがあっても、私は飢えていないし、凍えていない。それだけでも幸せなことだ。ありがとうございます・・・

 

そして、このささやかな幸せを同じように抱きしめていた、遠い昔を思い出した。

 

慌ただしかった子育て中、不安も不満も自己嫌悪も、いっぱいあった中、並んでスヤスヤと眠る幼い娘たちを見て、ふっと安心した夜があった。

 

「大丈夫。この子たちはお腹を空かせていない、寒がっていない」

 

秋も深まる頃だった。

 


子どもを育てるというのは、当たり前だけど、とても大変で責任が重い。自分のような未熟な者に、ちゃんと育てることができるのだろうかと、いつもどこかで自信がなくて、育てていけなくなったらどうしよう、病気や怪我で死なせてしまったらどうしようと、沸き起こる不安に怯えていた。

 

そして、そんな不安は決まって夜に訪れる。昼間は忙しさに紛れてしまうというのもあるが、ふたりの笑顔と笑い声にこそ救われていたのだと、寝顔を眺めながら思い知る。私は、私を悩ませるものに、同時に幸せをもらっていた。

 

悪いことばかりを考えてしまう夜、「わたしたち、幸せだよ」と言っているかのような寝顔に、私はどれほど安堵しただろう。少なくともこの子たちは、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、満ち足りた顔をして寝てくれている。まるで奇跡。なんと有難いことか。

 

お金持ちではないけれど。
夫は仕事で毎日帰りが遅いけれど。
ときには頼りたい実家が遠方ではあるけれど。

 

でも、私は子どもを育てる環境に恵まれている。ひもじい思いをさせずに済んでいる。

 

感謝しなくては。

 

境遇に。時代に。神様に。
夫に。親に。友人、地域の人たちに。
そして、どんな宝物よりも貴い、ふたりの娘たちに、ね。


そう、私にたくさんの幸せを与えてくれた娘たち。
時は流れ、長女はもう3児の母である。先月、30歳になった。

 

去年は双子出産のために、上の子を連れて我が家で半年近くを過ごした長女。その頃はまだ次女も家にいて、本当に賑やかな毎日だった。大変だけど、それはそれは幸せな日々だった。

その頃のお話は双子プロジェクトとしてこちらに↓

tsukikana.hatenablog.com

 


長女たちが関西の家に帰ったのが11月3日。その後、同月の後半に一度、娘のところへサポートに出掛けたのだが、それを最後に長期間、会うことがかなわなくなってしまった。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で。

 

しかし!
先日の日曜日、ようやく会うことができた。夫と次女と私、3人で、とんぼ返りではあったけれど、長女一家のところまで行ってきたのだ。

 

11か月ぶりの再会。言葉にならない喜びだった。

 

こんなに長いこと会えなくなるとは、誰もが予想もしていなかった。会いたい人に会えるっていうのは、なんと素晴らしいことだったのか。

 

新生児だった双子は、もうヨチヨチ歩きの1歳になっていた。2歳児は、ピカピカとした発言で周囲をもれなく笑顔にする、素敵な3歳児に成長していた。

 

当たり前のことなのだけど、本当にビックリする。この11か月の間、たくさんの写真や動画を見せてもらったし、ビデオ通話もしてきたが、やはり実際に会うのは全然違う。

 

そして、長女。・・・すっかり痩せていた。筋トレしたとは聞いていたけど、それだけじゃない。細すぎる。

 

実家が遠く、夫の仕事が忙しいというのは、私の子育て中のときと同じだけれど、上の子と下の子で、2歳違いということ(うちの子たちは4歳違い)と、下が双子というところ、子育ての大変な時期にコロナ禍があったというところが、私と全く違う。

 

赤ちゃんを同時に3人、昼間ひとりでみているようなものなのだ。まとまった睡眠もとれていないだろう。
どんなに大変で、不安で心細かったことか。

 

コロナがなかったとしても、今年は私の母が入院し、その後亡くなったから、私はバタバタと清水の実家へ飛んで行くことが多かったし、なかなか長女のところへ応援には行けなかったかもしれない。

 

「手伝ってあげられなくって、ごめんね」

そう言おうと思ったら、長女の方から

「清水のこと、何もできなかったの、ごめんなさい」

と詫びてきた。抱きしめるしかない。

 


私の母は、初孫であるこの長女を、どれほど愛していたか。長女が結婚してからも、いつも気にかけ、幸せを祈っていた。自分が倒れてからも、手助けのない中で双子と2歳児を育てている長女を、ずっと心配していた。

 

長女と母を会わせてあげられなかったことが、悔しくてたまらない。私の次女も、弟のところの甥と姪も、同じこと。愛する孫たちに会えないまま、母は旅立たなくてはならなかった。

 

・・・そんな大人たちの悲しみなど、まるで知らない3歳児と双子の1歳児は、無邪気な笑顔でこちらを見ていた。遊ぼうよ、とねだっている。

 

それでいい。それがいい。
おばあちゃまもママも、泣かないよ。一緒に遊ぼう!

 


今回のとんぼ返り再会は、夫の発案だった。

 

会える?―いやダメでしょう。
そろそろ会える?―ちょっとまだ危ない。
もう会えるんじゃ?―どうしよう。

 

ずっとそんなふうに逡巡していたのだが、長女の疲労とストレスが限界になるのではと心配した夫が、決断してくれた。感染対策をして、短時間の滞在。

 

「子どもたちを見てもらってる間にお家のことをしたい」

 

それが、長女の願いだった。なんとささやかな。
でも、気持ちはよくわかる。お皿ひとつ洗うのも、ちびっ子3人いると後回しにせざるを得ず、溜まっていく家事にストレスはどんどん増してしまうのだろう。

 

昼食後、次女と私が孫娘たちと広い児童公園でたっぷり遊んでいる間、長女は家で少しまとめて家事ができ、買い物を済ませた夫が長女を手伝ってくれた。

 

ほんの少しだけ、長女も気分転換できたかな。

 

彼女の大変な毎日は、まだしばらくは続くだろう。でも、幸せであることは、間違いないのだ。

 

長女には、彼女のことをとても大事に思ってくれる優しい夫がいて、可愛い娘が3人もいるのだから。そして、あたたかいお布団で空腹も感じさせずに、眠らせてあげることができているのだから。

 


「あのね、お母さん。お母さんと一緒に、こういうのを見ながらおしゃべりしたかったの、私」

 

長女がテーブルに広げたのはハーブの冊子。私が好きそうな植物の写真やコラムが載っている。今度、私が来たときに一緒に見ようと思っていたんだね。

 

そういう何でもないような、穏やかな時間を、ときには母親と過ごしたい気持ち。よくわかる。そんなささやかな願いも、ずっと、かなわなかったね。

 

「ハーブのサシェかぁ、好きだわ。昔、作ったことあるよ」などと、並んで冊子を見ていられたのは、しかし、3分もなかった。笑

 

ママはいつだって、赤ちゃんたちに求められているのだ。でも、嬉しいことだよね、それって♪

 

この日、仕事だった婿どのとも夕方、再会が果たせた。彼とは実に1年ぶりになる。部活の顧問をふたつも抱える高校教師。激務に加えコロナ禍で、本当に大変だったと思う。

 

ずっと娘たちを守っていてくれて、ありがとう!

 


この日は真夜中に帰宅(次女も我が家へ)して、翌日は夫も次女も朝早くに出勤。二人ともかなり疲れていたと思うが、安心して満足そうな笑顔を浮かべていた。多分、私もね。

 

いつの間にか、金木犀も散り、10月も駆け足で終わろうとしている。
長女たちに次に会えるのはいつだろう。そう遠くないといいなあと、私は今日も感染情報を気にしている。

 


これを書き始めたのは火曜日で、今日は土曜日。実は夫が水曜日からダウンしてしまいました。寒暖差の激しさに加え、疲れもたまってしまったのでしょう。今朝は少し元気になりましたが、こんなに長く寝付いたのは珍しいことです。無理をさせてしまったかもしれません。
コロナを疑ったり疑われたりで、風邪ひとつ、おちおち引いていられないこのご時世に、ついため息が出てしまいますが、例年以上に体調に気を付けて過ごしたいものですね。
インフルエンザの流行も懸念されます。皆様もどうかどうか、ご自愛くださいませ。

 

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爽やかに生きるために―ホ・オポノポノ手帳2021

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いつも爽やかな気持ちで生きていたい。
私の究極の願いはそれ、かもしれない。

 

私だけでなく、家族や大切な友人たち、周囲の人、できれば世界中の人たちが、爽やかでいてくれたら、どんなに嬉しいだろう。

 

しかし、世の中は“爽やか”とはほど遠く、今なお戦争や内戦に生命を脅かされる人々がいて、災害に苦しむ人々がいる。貧困。差別。その上今年は、新型コロナだ。なんという年になってしまったのか。

 

大変な、本当に大変な思いをしている方が大勢いるから、私がコロナで受けた影響など小さなことかもしれない。それでも控えめな声で、呻くように言ってみる。

 

「私も、大変でした・・・」

 

苦しみはまだ続いている。いくつかの問題がそびえ立ち、複合的に絡み、私の行く手を暗くしているようだ。

 

どうしていいか分からずうつむき加減でいると、誰かに責められているような気分になってくる。いつも誰かに責められている気がしてしまう。責めているのは、実は、他ならぬ自分なのかもしれない。

 

重い。いろいろなものが、重たい。そして、息苦しい。
どうしたら爽やかな気持ちになれるのだろう。

 

 

2020年という年もあと2か月半となり、入手していた来年の手帳がデスクの上で出番を待っている。

 

先日のこと。不安で圧し潰されそうな気持ちに耐えかねた夜、ベッドに持ち込み、泣きそうな思いで、新しい手帳に書かれてあるメッセージやコラムを全部、読んだ。

 

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2021』。
2016年版から購入しているので、これが6冊目のホ・オポノポノ手帳だ。

 

ここ数年、このくらいの時期になると、この手帳を入手して、来年はここにどんなことを書き込むのかなあと、穏やかな気持ちで見ていたのに。
今年の、この、すがるような思いはどうしたことだろう。

 

ウニヒピリ(ホ・オポノポノでは潜在意識をこう呼ぶ)はビックリして怖がってしまったかもしれない。ごめんごめんと、自分の内面に声を掛ける。

 


・・・最初に開いたページには、眩しいほどの“黄色”が広がっていた。

 

それは、アップで写された花の写真で、いつもの美しい詩の背景となっていた。陽光が、不意打ちのように私の胸に差し込んだ。

 

思わず呟いた私。
「ありがとう」「愛しています」

 


手帳の内容は、コンテンツ的には、前年(今年)のものとほぼ同じと言っていいかもしれない。

 

この手帳の大きな特長である「切り取れるメモ」も健在。毎日を「ゼロ」の状態(ニュートラルな心)に戻すためにいつも活用しているから、これ、私にはすごく大切。

 

腹立ちだったり泣き言だったり、読み返したくない「心の叫び」をエイッと書き付けて、すぐにピリピリ破いて捨てるのだ。すると、不思議とスッキリ。笑

 

巻末の「おさらいホ・オポノポノ」や「SITHホ・オポノポノの基本的なクリーニングツール」、そして「パーソナル・データ」などの記入ページも、今年のと全く同じ。

 

毎月の月間スケジュール欄の「今月のあなたへの言葉」や、週間スケジュール欄の「今週のあなたへの言葉」は、初見のものが若干増えた気がする。これまで何度も目にしてきた言葉も、私にはまだまだ響いてくるし、ありがたい。

 

ヒューレン博士とKRさんの対談も、魅力的で大事なコンテンツ。今回のタイトルは「ウニヒピリとともに変化の中を生きていく」。特段、新しいことは言っていないけれど、安心感を持って読めたのは嬉しい。

 

たっぷりと10ページ、読んでいくと目の前にあかりが灯り始め、見失いかけていたホ・オポノポノの道がまた見えてくる。暗闇で途方に暮れていた心が、落ち着きを取り戻し始めた。

 

でも対談というよりは、代わる代わる講義をしている、という感じかな。それでも良いのだが、もう少し会話形式で、柔らかさや流れが感じられると読みやすいのにな、というのが感想。翻訳だし、難しいのだろうけれど。

 


そして。
ホ・オポノポノ手帳には、その年のオリジナルの「クリーンングツール」がある。私のお目当てのひとつだ。

 

2020年は「青いビー玉」だった。母の入院中、私は何度、心の中で青いビー玉を道に転がしたことだろう。

 

2021年は「レモンドロップ」。今回も可愛いな♪
レモン味の飴でも、レモンの雫を想像するのでもOK。「レモンドロップ」と口にするだけでも大丈夫とのこと。

 

 どのような困難な状況下でも、
 レモンを通して太陽そのものが
 あなたという完璧な存在を
 照らし出してくれるでしょう

 

とある。

 

そうだった。ホ・オポノポノでは、「わたしは完璧な存在」なのだ。それ以外のことは「記憶」であり、記憶はクリーニングによって消去できる。

 

スピリチュアルって、未だに本当にはピンとこない部分もある。しかし、そんな私がここまで続けてこられたのは、ホ・オポノポノとの相性が良かったからなのかもしれない。

 

余談だけど、スピリチュアル迷子になっていた人が、最後に辿り着いて落ち着いたのがホ・オポノポノだった、という話もよく見聞きするなぁ。

 

今は思う。信仰を持たない私にとって、ポノは確実に心の支えになってくれている。

 

仮想敵を作らせたり、信じることを強要したりしないところが気に入っているし、集会もお布施も布教もない。お金もかからないし。まあ、宗教じゃないから当たり前なのかな。

 

何かが起こる度に沸き起こる「感情」を、しっかり捕まえてクリーニングする。それだけのことなのだ。けれど、そこが難しい。

 

クリーニングすることをすっかり忘れて、いつの間にか“思考の大波小波”におぼれかけていることが、呆れるほど多い私。

 

クリーニングすることを常に意識できる。そんな理由からも、私はこの手帳をこれからも愛用していくのだと思う。あ、これ、課金と違うよね?税込み1,980円。笑

 


毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2021

 


ホ・オポノポノを始めて一番良かったこと。
それは、ウニヒピリの存在を感じられるようになったことだろう。クリーニングで数々のミラクルが現れてくれた出来事も、もちろん素敵な体験だったけど、ウニヒピリがいつも私の中にいる、と思うことで、自分を孤独と感じる寂しさはなくなった。

 

いつも一緒。本当は、ずーっと一緒だった。

 

子どもの頃の、楽しかったあのことや、悲しかったあのことも、全部、共有してくれている。なんだか本当に嬉しいな。

 


2021年。どんな年になるんだろう。
爽やかに生きていくには、どうしたらいいんだろう。

 

新しいクリーニングツール、レモンドロップを味方に、苦しみの原因となる「記憶」をひとつひとつ、手放していこうと思う。きっと、私のウニヒピリもそう願っている。この子のケアをしながら、希望を持って歩いていきたい。

 

そしてもちろん、2020年の残された日々も、一日いちにちを大切に、丁寧に生きていこう。

 


✻過去に書いたホ・オポノポノの記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com


✻ウニヒピリに関しては、私はこちらの本で学び、自分なりにかなり腑に落ちました。↓

はじめてのウニヒピリ


✻蛇足ですが、これを書いているうちに、自分の中の苦しみが驚くほど軽減されていることに気がつきました。

 

月とワインと神秘と科学―今宵、中秋の名月

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昔、ワイン教室に通っていた。動機は大したことではない。

 

ワインが好きでずっと飲んできたけれど、レストランでもワインショップでも、いつも選ぶときに迷ってしまう。勧められたものをただ漫然と飲んでるのも情けないので、自分で選べるよう少し勉強してみようと思ったからだった。

 

教室には、私のようにライトなワインファンも結構いたけれど、ソムリエやワインエキスパートを目指す、目が真剣!な人たちもいて、その温度差に、講師の先生はさぞやりにくかっただろうと思う。私や友人は、単純に楽しんでいたなあ。本当に面白い講座だった。

 

その先生が、自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)が好きな方で、ヨーロッパでの自然派ワイン造りの歴史や手法の話になると、もう熱が入り過ぎて止まらない。だんだん難しい用語が増えてくる中、欠伸をかみ殺す受講生も増えてくる。「早く試飲会にしようよー」と小さく呻く声も。気持ち、わかる。笑

 

でも、その自然派ワイン造りでの「ビオディナミ」という農法のお話は、私の中で強く印象に残った。なんだかすごく興味をひかれ、「へええ!」と思ったのだ。

 

月の満ち欠けを見てブドウの畑に肥料を撒く日が決まる。その肥料とは、牛の角や糞、水晶の粉、たんぽぽやカモミールの花など、独自の調合をしたもの。牛の角ひとつとっても、ある調合では雌牛の角に牛糞を詰めて地中に半年間置いた後、雨水で希釈したものを使う、なんて聞いて、最初は笑ってしまった。まるで儀式みたい。

 

占星術まで取り入れていると聞き、オカルト的とまでは言わないけれど、古くからの呪術的な慣習、経験による先人の知恵、そんな解釈をしたくなる農法だと思った。しかし、それが科学的に理にかなってるということなのだ。

 

長い歴史を持つ飲み物だけに、さまざまな切り口からの学びがあり、奥が深いなあと、感心した。ロマンがある。ワインへの見方が変わった瞬間だった。それまでの私は、ワインが農作物だなんてことすら、考えたこともなかったのだから。

 

ビオディナミとは、1942年にルドルフ・シュタイナーという人智学者が行った講演で世に知られるところとなった言葉。土壌と植物、動物の相互作用、天体の動きにも着目した農法で、「全ての生命は、地球上で完結しているのではなく、地球を含む宇宙の営みからも影響を受け、調和しながら生きている」という思想に基づく。

 

月の満ち欠けが、生命力をも左右するらしい、とは思っていたが、土壌の微生物にまで活力を与えていたとは。その土地が持つ力に働きかけ、宇宙の動きも取り入れて、本来のエネルギーを最大限に引き出すよう環境を調えるというビオディナミ。なんとスケールが大きいことか。

 

そんなふうに宇宙の営みとも調和させて、大事に栽培されたブドウからつくられたワインなら、さぞや美味しく、みずみずしい生命力があるんだろうなあ。多分、月のパワーも秘めている・・・

 

講義の後は、先生のセレクトしたワインを飲み比べる「お楽しみ」があって、これだけを目当てに来る受講生もいたくらいだったが、ビオディナミのお話を聞いた後の試飲会は、私には格別だった。月を見上げながら、この素敵なワインをいただきたいと思ったものだ。

 


今宵は中秋の名月。満月となるのは10月2日の午前6時とのこと。夜に見上げるお月さまは真ん丸のちょっと手前、くらいかな。

 

中秋の名月が満月とは限らない、という話を、何度聞いても忘れてしまうので、ここで自分的におさらいしておく。

 


中秋の名月は、別名「十五夜」、つまり旧暦で8月15日の夜のこと。なので「中秋の名月」という日は、旧暦に基づいて決まってしまう。

一方、満月というのは「月が地球からみて太陽の反対側に来た瞬間」。満月となるのは、ある時刻であり、日付ではない。

旧暦の1ヶ月は、月の満ち欠けの周期であり、平均すると29.4日。しかし、暦は1日単位で数えるため、「.4日」ということはなく、旧暦の1ヶ月は29日か30日ということになる。新月から満月になるための時間は、29.4の半分で14.7日。

また、月の運動は一定ではない。月が地球のまわりを回る軌道は完全な円ではないからだ。満月が近づいたときに地球から遠くなっていると、月の運動は遅くなり、満月になるのに時間がかかってしまうし、逆に地球に近いところを月が回っていると、月の運動は速くなり、満月になるまでの時間が短くなる。

そのため、満月と暦の上での「中秋の名月」に1〜2日のずれが生じることがある。

✻こちらのサイトを参照させていただきました。↓

moonstation.jp

 


今夜はきっと、お月見をされる方が多いだろう。輝く名月を拝むのが、私も楽しみ。
どうか雲に邪魔されませんように。

 

すすきやお団子をお供えしたり・・・
月見の宴で俳句を詠んだり・・・

 

ゆったりと、風流に観月を楽しめる人ばかりではないけれど、世の中のどんな境遇の人にも、今夜、優しさや穏やかさが平等に届いたらいいな、と思う。コロナ禍で皆、大変な思いをしてきているのだから。

 

今日が中秋の名月だと知らなかった人も、ふと見上げた綺麗なお月さまに心が動き、ロマンを感じて癒されたり、小さなご褒美を宇宙からもらったような気持になってくれたら、素敵だなあ。

 

お高いワインとはすっかり縁遠くなった私だけど、プチプラの、でもそこそこ美味しいワイン(笑)を片手に、ベランダに出てみよう。早くお月さまに会いたいな。

 

神秘的な光を浴びたら、何か特別な魔法にかけられるかもしれない?
ちょっと期待もしたりして。私も「全ての生命」の端くれ、ぜひ宇宙の営みと調和したい!


本当の話。
しんどい世の中で日々いろいろあって。
祈りたいことはいろいろある。
いろいろあるけど・・・
まずは、今日を無事に生きていることへの感謝をしようかな。心を込めて。

 

米寿の父に家事を教える

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秋分の日、敬老の日、そして父の誕生日はとても近いなあと、毎年、思う。今年は母が他界し、結婚してから初めて妻のいない誕生日を迎える父。清水の実家でひとりで過ごすのはあんまりだと思ったので、お祝いに行ってきた。一緒にワインでも飲もうかな、と。

 

米寿となるので、本来ならもっと華々しく祝福してもいいところだが、喪中だしコロナ禍だし。で、優しく静かに過ごそうと思ったのだ。

 

孫娘たち(私の次女と弟の長女が一緒に。そして、私の長女が3人のこどもたちと一緒に)から私のスマホに、父宛の動画メッセージが届き、それを見た父はこの上なく嬉しそうだった。

 

滞在中に彼岸入りともなったのだが、母はまだお墓もないし、小さな仏壇にお線香をあげて、お花とおはぎをお供えしただけ。それでも少し気が済んだのか、父は満足そうな顔をしていた。

 

ただ、実はこの滞在には別のミッションがあり、そのために私は行く前からどんより気が重かった。父に「家事指南をしてくれ」と頼まれていたのだ。

 

88歳のおじいさんが、家事を覚えようとしている。

 

いや、それは素晴らしいことなのだろうけど、簡単ではない。何をどこまで?家事って正解はないし、果てしなく細かいよ?

 

確かにここ数か月で、父の家事力がついてきているようには見えていた。しかし、今どの程度できていて、今後どの程度までこなせるようになりたいのか、父の実力と目標の度合いがはっきりとはわからなかった上、体調や心身の衰え具合も考慮しなければならない。

 

娘とはいえ40年近く離れて暮らしていたのだ。数日の滞在でそれをやるのは無理だと思ったし、さてどの程度でお茶を濁そうかと、正直、荷が重かった。

 


・・・で、何を教えてほしいの?

 

快く「任しといて♪」と言わなかったためか、父は少し仏頂面をしていた。

 

「洗剤のこととか、拭き掃除どうやるかとか、わかんないんだよ」とモゴモゴ言う。

 

なあんだ、そんなことだったのかと、私は力が抜けた。どこまで高度なことを覚えたいのか、家事が得意でない私は不安でもあったのだ。

 

母が残していった衣料系、食器洗い系、掃除系のたくさんの洗剤を、どう使い分けていいものやら困っているらしい。洗剤ボトルの『まぜるな危険』の赤い大きな文字にもおののいている。「そりゃ、怖いか」と思わず苦笑。

 

そもそも、母もいろいろ買い過ぎなのだ。そして、使う場所の近くに置いていない。これでは父も迷うだろう。

 

でも、感心したのは、それらをちゃんと使いこなしたいという思いが、父にあったことだった。まあ、昭和一桁生まれでモノが捨てられない人だから、もったいない、というのが大きかったのだろうけど。

 

しかし、これはこういう時に使うんだよ、と話していると、時々顔を曇らせる。

 

「俺はそんなこと、やらないよ」「できないよ!」

 

はいはい。予想していましたよ、この態度。教えてくれと言いながら、こういう威張った態度をとる人だから、私は余計に気が重かったのだ。

 

「おしゃれ着洗いの洗剤はね、デリケートなブラウスとかニットとかを洗う時に使うんだ。お父さんはそういうの、全部クリーニング屋さんに持って行けばいいよ」

 

少しホッとした顔をする。こどもか。

 

タオルや下着、パジャマやポロシャツなどは、何日かに一度、まとめて洗濯機で洗っているようだ。でもあまり綺麗にならないと言う。

 

どうやら、洗濯機が自動計量した後の水量表示、それに応じて液体洗剤の量が決まるということを、わかっていなかったらしい。ボトルキャップを示しながら説明すると、なんとか理解してくれた。

 

それから、父は洗濯機の糸くずフィルターの存在を知らなかった。これを外して、ゴミを捨ててから洗って乾かしてね、と言ったが、外し方から猛烈に苦労していた。頑張れ。

 

もう一つ、父は食器を洗剤で洗ったことがないらしい。やり方がわからないから、水で洗うだけだと。唖然とする。どおりであれもこれも、ベタベタしてるわけだ。石鹸は時々、使うらしいけれど。

 

洗剤の希釈がわからないと言う父に、付け置きも面倒ならやらなくていいし、この洗剤をスポンジにピュッとかけてクチュクチュ泡立てて使えばいいよ、と教えると、ピュッの加減とクチュクチュの回数を知りたがる。細かいよー・・・

 

そして、料理。
炊飯器でご飯も炊けるし、味噌汁も自分で作る父。酒のつまみに簡単な炒め物くらいならやっているようだった。あとは、お刺身や煮物などをスーパーで買ってきたり、レトルトや冷凍食品を活用しているのだろうと思っていた。

 

それにしては、冷蔵庫も野菜室もいつもいっぱい。最初のうちは、母が買ったものが残っているのだと思ったが、行くたびにたくさんの食品が揃っている。キノコ類だけで3種類はある。私の家より充実しているくらいだ。

 

自分の健康を考えて、頑張って、料理をしようとしていたのだろう。ちょっとジーンとする。確かに、夕方によく電話が掛かってきたものだ。

 

「筆先みたいな形のコレ、なんだ?これは茹でなきゃだめなのか?」
「茹でる時間は?茹でたら網に入れとけばいいのか?」

 

それはアスパラ。アミじゃなくて、ザルね。と答えながらも、まあ、自分で新しい食材に挑戦しようと思うのは良いことだね、と。でも、私だって扱ったことのない食材はたくさんあるし、答えてあげられないことも今後、増えるはず。

 

そもそも私は、自分のやり方が正しいか自信がないのだった。そこで、自炊の始め方、みたいな読みやすい本を買って置いてきたのだが・・・

 

「俺には宝の持ち腐れだよ、本なんて。見ないよ!」と宣う。本当に料理を覚えたいという気があるのかしら。私が帰ってから、心を改めて見ておくれ。

 

✻贈った本はこちら。著者はきじまりゅうたさん↓


ゼロからはじめる自炊の教科書

 

✻ともう一冊↓


からだととのえ野菜のおかず (オレンジページブックス)

 

✻父はまだ不眠に悩んでいたので、メインのプレゼントは安眠枕↓


【雲のうえで寝よう】Maywind 枕 第二代 まくら パイプ 肩こり いびき解消 高さ調整 無重力 丸洗い 2020新品

 

 

「お母さんはこうやっていたぞ」

 

滞在中、これもよく言われたセリフ。母と同じやり方を、私がしないことに戸惑っている。「時代は変わるし、お母さんと私でやり方が違うこともたくさんあるから」と言うと、そういうものなのかと驚く。家事は母と娘で全て継承されていく、と思っていたのか。こっちが驚くわ。

 

もう、なんというか、本当に疲れた。何回も喧嘩になりそうになった。よくこらえたわ、私。去年はこらえられなかったよ。成長したのかな?笑

こらえれなかった去年の出来事を書いたのがこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 


でも、この4日間の滞在中、父の様子を注意深く見ていて、大体の現状はわかった。できるだけのことは自分でしていかなくては、という父の決意もわかった。

 

ただ、父は複数の基礎疾患がある88歳だ。同じように家事が不得手な男性でも、例えばお連れ合いに先立たれたのが70代だったら、体力のある人だったら、まだこれから頑張って習得していけるかもしれない。意欲も続くかもしれない。

 

「日に日に衰えているよ」と自分で言っている父が、あとどれくらい頑張れるものなのか、私にはわからないし、心配でたまらない。家事力アップが張り合いになって、老衰のスピードを遅くしてくれるといいのだけれど、そう上手くいく?

 


「あんたはキビキビ動くなあ」と父は私に言う。
「俺はモタモタしてて、すっかりじじむさくなって、嫌になるよ」

 

威張りん坊のくせに、ボヤキも多い父だった。確かに動作はかなり鈍くなっている。そして、私や弟がいると普段以上に“老いぼれ感”が増すのだとか。

 

ただ、それわかる気がする。私も次女が来ると“若い人のようには動けませんよモード”に、ちょっとなるもの。無意識のうちに、関係性による役割を演じようとするのだろうか?不思議だね。

 


ところで。
滞在2日目に、ハウスクリーニングの人が来て、キッチンの排水口と、バスルームをすっかり綺麗にしていってくれた。お風呂は戸まではずして洗浄。2時間かけて、もう本当にピッカピカ。

 

来てくれたのは、テキパキ動くにこやかな男性で、普段のお手入れについてのアドバイスも丁寧。話せばなんと私と同い年だった。

 

父は彼の感じの良さとプロの技に感嘆し、これまでどうやっても綺麗にならなかったシンクや、手に負えないお風呂を、掃除の専門家に任せてみて良かったと、心から満足したようだった。(父がそんなに綺麗好きだったとは。私、知らなかったなあ)

 

1万5000円+税。高いとみるか、安いとみるか。私は安い!と思った。「これなら、半年に一度くらいお願いしたっていいんじゃない?」と父に言うと、頷いていた。

 

誰だって、できることできないことはある。私だって、弟だって、そんなに頻繁には来られない。これからは、こんな風に時々プロの手も借りながら、自分でできることは頑張って、日常をなるべく快適に過ごしてほしいと思う。

 

大好きなお風呂を楽しみ、ちょっとずつ料理にも挑戦する、明日につながる日常を。

 


ついこの間まで、水を出すとお湯のようだったのに、水道水も冷たくなってきた。コロナもだけど、熱中症も心配だった長い夏が去っていく。夏の終わりの、ダレたような疲れた気配も、風に流されていく。

 

運動不足だった父が、「夕方の散歩を習慣づけようと思っている」と言った。体調管理を心掛けてくれるのは嬉しい。それから少しずつ、楽しいことも見つけていけるといいね。

 

清水から帰って、毒気に当てられたようにぐったりしていた私だけど、ようやく食欲も戻ってきた。買い物に行く道に咲く彼岸花が鮮やかで、でも寂しげだ。清水の家の小さな庭でも、きっと咲いているだろう。

 

帰る日に父があの庭から切ってきてくれた青い柚子を、今夜の食事で使おうと思う。

 

少しイライラしたり、意地悪な気持ちになったりしたことを、私は今、ほろ苦く思い返している。人を責めるようなあの言い方やボヤキの裏には、取り払いようのない老いへの悲哀が揺曳していることを、本当はわかっていたのに。

 

今度行ったら、もう少し優しい言葉を掛けてあげられるといいなあ。
寂しいだろうけど、お父さん、元気で長生きしてね!

 

 

潔く、やり直す!刺しゅうが思い出させてくれた“母の教え”

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自分の図案で刺しゅうができるようになりたい。

そう思い始めたのはいつ頃だろう。

 

家族のためにマスクを作ったとき、小さな刺しゅうをアクセントに施してみたりとか、その程度はしたけれど。ある程度の大きさのものを自分でデザインするって、私にはなかなかのハードルの高さで、ずっとトライできずにいた。

 

大好きな刺しゅう作家さんの図案に憧れて、本を買って、お手本を見ながら指定のステッチでチクチク・・・そんな刺しゅう体験も素晴らしく幸せなのだけど。そしてこれからももちろん、そういう刺しゅうもしていきたいのだけど。

 

自分の心の景色を絵にして、刺しゅうで表現してみたいという気持ちが芽生え、その芽も大事に育ててみようと思ったのだった。

 


今年は3月からずっと、母のことで不安かつ慌ただしい日々が続き、時間的にも精神的にも、じっくりと自分の好きなことに向き合う余裕などなかった。新型コロナの影響でステイホームが叫ばれ、ある意味「手芸日和」が用意されていたとも言えるのに。

 

頻繁に清水の実家に行っていたし、自分の家にいても、いつも電話にビクビクしていた。病院からか、父からか、弟からか。母の急変を知らされるのが怖くて、着信音にドキッとする胃の痛む毎日だった。

 

今はそれもなくなった。
母はもう急変しない。もうこの世にはいないのだから・・・
着信音に怯えた日々すら、懐かしく思える。
母に会いたい。声が聞きたい・・・

 


今日は、刺しゅうに取り掛かろう。ある朝、そう決めた。久しぶりに糸を選び、針を持ち、布に触りたかった。悲しみを紛らわせるためというよりも、母への恋しさについて、自分とゆっくり対話できるんじゃないかな、と思って。

 

スケッチ用のノートを開き、かつて描いた中からひとつの絵を選び、図案をおこしてみた。カッコいいデザインにしようとか、あまり考えなくていいや、とにかくやってみよう、と。

 

シチリアの水色のドアのリストランテは、SNSで見つけた画像。目にした瞬間、行ったことがないのに何故か懐かしいようなあたたかな気分になり、ざっくりと描きとめておいたものだ。

 

ラフなスケッチの味わいで、軽いタッチにしたい。どこまで抽象化して線にするか、色数をどう抑えるか、ステッチはどれを選ぶか。楽しくも悩ましい時間を経て、拙くはあるが、自分の図案ができた。

 

緑のアーチを抜けると、そこに可愛らしいお店がある。魚介料理が得意なリストランテだ。テーブルについたら、どんな時間が、どんな感動が待っているのだろうか・・・
そんな空想をしながら、糸を刺していった。

 


刺しゅうはいろいろなことを教えてくれる。楽しさも厳しさも。

 

集中し、丁寧な作業を心掛ければ、生き生きとした表情を見せてくれるし、失敗をごまかせばたちまち、くすんでしまう。

 

売り物じゃないし、仕事じゃないし。なーんて気持ちで仕上げると、もうその作品への愛情が見事に薄れてしまうのだから、ある意味、怖い。もったいないもの。

 

私は器用なほうではないので、手は遅いし、よく失敗する。糸が絡み、撚れて輪や玉ができてしまったり、後で糸始末しようと残しておいた刺し始めの糸を、ステッチで刺しとめてしまったりと、トラブルだらけだ。こうして書いていて情けなくなる。

 

大失敗なら潔く諦めて、糸を抜き、最初から始めるのだけど。問題は、小さな失敗だ。

 

「ごまかせる。これ、誰も裏を見る訳じゃないし、ちょっと汚いけど、表に響かなければそんなに気にならないんじゃない?」

 

そんな自分の中の声に、つい乗っかろうとする。やり直すのは・・・勇気がいる。大袈裟だけど、本当に。

 

そして、こういう状況になる度に、母との思い出がよみがえるのだった。中・高生の頃、家庭科の課題で、家でミシンをかけていた時のことだ。

 

母は洋裁学校を出ているので、お裁縫では頼りになる家庭教師だったが、指導は厳しい。私がようやくミシンをかけ終えた部分を見て、縫い目がきれいでないと、かけ直しを命じる。

 

「次の工程に進んだら、余計にやり直すのが嫌になるから、今のうちに全部ほどいた方がましだよ。今度はきちんと躾け(躾け糸で縫うこと)をして、慎重にやりなさい」

 

私が面倒がると、冷めた目をしてこう言う。

 

「ま、あなたがいいならいいけどね。私なら気持ち悪いからやり直すわ」

 

早く片付けて遊びたい私は、しぶしぶ従ったり、無視したり。そして、毎度、母が正しかったと認めるしかなかった。ごまかして先に進むと、結局どこかで上手くいかなくなり、そこからやり直して余計に時間がかかるのだ。

 

でも、手が遅いことは責められたことはなかった。時間がかかってもきれいに仕上げると、必ず目を細めて褒めてくれる母だった。そして、上手にできなくても丁寧な作業がわかれば「良し!」としてくれた。

 

今回の作業中にも、あの頃の母を何度も思い出した。母は手芸はしなかったけれど、ごまかそうとかズルをしようとか思ったなら、きっと私に、あの頃と同じことを言うだろう。

 

「ま、あなたがいいならいいけどね。私なら気持ち悪いからやり直すわ」

 


今はもう跡形もない、あの町のあの公務員宿舎。3階のあの部屋で、母の足踏みミシンを前に、二人で交わした何気ない会話の数々。遠いあの頃を今、愛おしく思い出す。

 

なんだか、大事なことを他にもいろいろ教わったような気がする。これから折に触れ、思い出していくのだろうか。

 


完成した刺しゅうは、時間もかかったし、やっぱり拙いけれども、ごまかしはしなかったよ。お母さん、見たら褒めてくれるかな。

 

「あら、いいじゃないの。ところでここは、どこ?」

 

という声が聞こえた気がした。

 

シチリアのリストランテ「Il Consiglio di Sicilia」さん。刺しゅうで向き合っていたら、すっかり親愛の情が湧いてしまった。いつか本当に行ってみたいなあ。

 

海外はおろか、近所のレストランへ行くのもためらわれる日々。平穏な日常が一日も早く訪れますようにと、天を仰ぐ。秋の雲が光っていた。

 

 

人生は短いから不幸でいる暇なんてない ―「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」から

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 忙しすぎて心が迷子になっていない?

 

そんな風に聞かれたら、どれだけの人がドキッとするだろう。私の場合は忙しすぎではないと思うが、心は迷子になりがちだ。

 

何をしていても「今って、こんなことをやってていいんだっけ?」「私はどこへ行くのだったかしら」と心細くなり、目的地や道しるべを探したくなる。また、「気持ちが散漫だな」と思い、「軌道修正をしなきゃ」と焦ることが多い。

 

冒頭のことばは、「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」という映画の予告編字幕で見て、心の端に刺さっていた。

 

公式サイト

tasha-movie.jp


ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)さん。1915年8月28日に生まれ、2008年6月18日に92歳で永眠。その絵本のタッチに懐かしさを覚えるのは、私も幼い頃、彼女の本に触れたことがあったからかな。あるいは誰かからのクリスマスカードだったかも。

 

この映画を観てみたいと思っていたことを、ふと思い出して、Amazonプライム・ビデオ(Amazonが展開するサブスクリプション・サービス)で検索してみた。その中の「シネマコレクション by KADOKAWA」というチャンネルで観ることができるらしい。月額388円(税込)だけど、14日間の無料お試し期間がある。良かった!

※無料お試しを希望の場合、14日たって自動解約とはならないので、期間終了に注意して解約手続きを。

 


本当は大きなスクリーンで観たかった。2017年4月に公開されたが、結構、遠方まで出向かなければならなかったため、残念だけど諦めたのだった。

 

でも、自宅でリモコン操作をしながら観るのも別の良さがある。素敵なことばが出てきたら、一時停止して書き留めたり、スマホで撮ったりできるから。私は自分に「素敵なことば収集家」という肩書も勝手に付けたりしているので。笑

 

tsukikana.hatenablog.com


というわけで、たくさんの“心に響くことばたち”を収集できた。


 人間はとかく悲劇を好むけど
 それは間違いよ
 この美しい世界を謳歌しないなんて
 馬鹿げているわ


 私はいつも自分が欲しいものを手に入れてきた
 それは忍耐強かったからよ
 決して諦めないことが大切なの
 私の人生は忍耐の連続だった
 でも忍耐のあとに得るものは
 絶対にその価値があるのよ


 私は静かな水のようにありたいと
 「スティルウォーター教」を発明したの
 それは私が惹かれる
 小さな動物たちの生き方にも通じるもの
 彼らは必要なすべてが身の回りにあると知っているから
 満ち足りている
 かたや人間はないものねだりばかり
 欲望で不満を膨らませているの
 まずは静かな水のように世界を受け止め
 感謝することから始めたいわ


 忙しすぎて心が迷子になっていない?
 豊かな人生を送りたいと思ったら
 心が求めるものを心に聞くしかないわ
 私は時々腰をおろして ゆっくり味わうの
 花や夕焼けや雲 自然のアリアを
 人生は短いのよ 楽しまなくちゃ


などなど、ここには書ききれないほどの、とてもたくさんの「生き方のヒント」「考え方のヒント」をいただくことができた。

 

面白かったのは、ターシャさんもご自分の座右の銘を「喜びの泉」と呼び、一冊の本にまとめているということだ。

 

 私たちは夢と同じものでできている
  ――シェイクスピア

 

 この世でもっとも素晴らしいのは
 自分は自分のものと
 知ることである
  ――モンタギュー

 

私はこんな格式高い凄い人たちの言葉は集められていないけれどね。本にもまとめていないし、同列で述べるなんて不遜でした、スミマセン!

 



喜びの泉ターシャ・テューダーと言葉の花束

 


全米で最も愛される絵本作家と言われ、ガーデナーとしても世界中から絶賛されるターシャさん。決して平坦ではなかったその人生を辿りながら、自然に寄り添った生活スタイルと、圧倒されるほど美しい庭を、映像でたっぷり堪能できるドキュメンタリー映画だった。

 

「忙しすぎて心が迷子になっていない?」
と言うけれど、そんなターシャさんの毎日は、凡人ではとても真似できない忙しさだったと思うのだ。

 

「4人の子供の他にペットや家畜。牛や鶏などたくさんの世話をしながら、料理に洗濯や裁縫をこなし、読書や庭仕事を楽しみ、同時に絵も描いていたのです。母が愛する手仕事は手間ひまのかかるものですから、朝から晩まで、子供たちが寝た後も、いつも手を動かしていたんです」

 

映画の中で、長男のセスさんもそう話している。

 

そもそも、ターシャさんはボストンの典型的な文化人の家庭に生まれた人。9歳のとき、両親が離婚。母親は画業の成功を求めてニューヨークへ。でも幼いターシャさんはニューヨークでもボストンでもなく、農村の暮らしがしたくて、コネチカット州の母の親友の家に預けられたという。

 

自分の手でものづくりをすることへの憧れだったのか。幼い頃から意思が強かったんだろうな。もちろん、簡単なことではなかったはずだけど。

 

そして、画家だった母親のそばで幼少時から描いていた絵。描くことは、息をするように自然なことだったのかもしれない。その後の農家暮らしでの経験、人形遊びや読書で育てた想像力。22歳での結婚後、絵本作家を目指すことも自然な流れか。

 

ただ、出版社に持ち込むも、なかなか相手にされなかったそうだ。でも、諦めなかった。そんなこともあって、彼女はヘンリー・D・ソローのことば、

 

 夢に向かって自信を持って進み
 思い描いた人生を生きようと
 努力するなら
 思わぬ成功を手にするだろう

 

が、人生の指針だと言うのかもしれない。

 

ターシャさんは離婚後ひとりで4人の子を育て、57歳のとき、バーモント州の山中に、理想とする家と庭を造る。19世紀頃の開拓時代スタイルなのだとか。18世紀の工法を研究し、お母さんが希望する古びた家をひとりで建てたという、家具職人のセスさんもすごい!

 

目指したスタイルは、ターシャさんの生きた時代から1世紀前のものだったのかと、私はこの映画を観るまでうかつにも気付かなかった。彼女は都会的なものに背を向けただけでなく、(当時の)現代的なものをも遠ざけた。

 

そうだよね。あのおうちは、おとぎ話の絵本に出てくるような可愛らしさでとっても素敵だけど、いくらなんでも古すぎる。ターシャさんは20世紀の人なのだから。

 

「低い天井、切り立った屋根、格子窓。古い農家ならではの雰囲気。昔の人間の生まれかわりだからだと言っていました。『アメリカが最も輝いていたのは1830年代』というのが持論で、当時のように暮らし、描いたのです」

 

と、セスさん。なるほど。

 

例えば、私が大好きなモンゴメリの『赤毛のアン』の時代は、(カナダではあるけれども)1880~1890年代あたりに設定されているというから、彼女はそれよりもさらに半世紀前の暮らしを求めていたことになる。

 

「憧れのスローライフ」とざっくり言ってしまうには、筋金入り過ぎて怖いくらいだ。

 

映画の中で、ターシャさんは「楽しい」「幸せ」ということばを何度も繰り返す。愛情を込めて種から育てられた花々は、輝くばかりの美しさで見る者の心を豊かにする。

 


 ガーデニングは喜び
 人生は短いから好きなことをする
 私の場合それがガーデニングなの


 人生は短いから不幸でいる暇なんてない
 気づいていない人が多いけど

 


ターシャさんのように生きるのは難しいだろう。でも、その生き方を表すことばの中から、エッセンスをいただいて、今この場所で生きている自分に、自分の手で、必要としている光と水を注ぐことはできるような気がする。

 

以前に観た「人生フルーツ」のときにも、感じたことだ。どちらの映画にも人生の示唆があちこちに散りばめられていて、ずっとキラキラ輝いている。

 

tsukikana.hatenablog.com

 


ターシャ・テューダー 静かな水の物語 [Blu-ray]

 

 

すごーく久しぶりに映画のことを書いたけれど、私、ちょくちょく映画は観ております(この頃では専ら自宅でだけど)。ただ、これは感想を書いておきたい!と思えるものは、まだそうなくて。でも、映画の話って楽しいですね。また書きたいと思います。

写真は、花フェスタ記念公園にある「ターシャの庭」(現在は休業中)で、昨年5月に撮影したものです。

 

 

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ストレッチ&スロトレで、からだと心を整えたい

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力が入らない。食欲もないし。

 

夏バテ気味なのかもしれない。それでも、毎日ヨガマットを広げては、ストレッチや緩い筋トレを続けている。そうすると、少しだけ元気が出てくるから不思議だ。

 

からだの声を聴き、声を掛けてあげる。どこが調子悪いのか、どこを伸ばしてほしいのか。一日のうちの、ほんの30分ほどだけど、面倒がらずにちゃんとからだと向き合うことを大切にしている。

 

あれ。同じようなことを以前も書いていたなあと思ったら、2年前のことだった。

 

tsukikana.hatenablog.com

 

このときは冒頭で、15分座ったら膝が固まって動けない、なんて言ってる。
そうだったんだね。

 

でも何故だろう。2年後の今は、それくらい正座したって膝は固まらない。そういえば、腰痛にも悩まされることがなくなっている。加齢による不調は不可逆的なものと思っていたけれど、そうではないの?それとも毎日のストレッチが功を奏しているのかな。

 

今年の春、母のことで清水によく行くようになって、自分も少し体調を崩した。軽めのぎっくり腰もやってしまい、友人が「腰痛に良いよ」と教えてくれたのが、YouTubeのある動画だった。

それが、こちら。↓

www.youtube.com


B-lifeのMariko先生は元バレリーナだそうで。ひとつひとつの動きがとても優雅で美しい。真似して動いても全然サマにならないのだけど、気分だけは優雅になる。笑

 

そして、私が今までやってきたストレッチは何だったの?というくらい、ひとつのポーズが長い。ゆっくりじっくり時間をかけて、ハムストリングスや中臀筋などを伸ばしていく。寝ている姿勢なので、からだも心もすごくリラックスできる。とにかく気持ちいいのだ。

 

ヨガとかストレッチ、筋トレの動画は世の中に溢れかえるほどあり、視聴して比べるということもなかなかできずにいたから、信頼する友が「コレ」と言って教えてくれたのは、本当にありがたかった。

 

母が他界し、それどころではない時期がしばらく続いたけれど・・・最近また毎日続けられるようになってきて。

 

15分程度という長さも良いし、難しい動きもないから、すぐに動画なしでもできるようになり、気楽で助かる。

 

「吸ってーー」
「吐いてーー」
Mariko先生の落ち着いた声にも癒される。深い呼吸、大事だね。

 


ところで。
本当に毎日暑い。ストレッチは気持ちいいけど、なかなか爽やかな状態が続かない。

 

連日の猛暑と、コロナ対策とで、外出は極端に減ったという人が多いことと思う。夏が大の苦手で元々引きこもりがちな私ではあるが、この夏は輪をかけておこもり傾向。家にいることが好きでも、こう毎日暑くて、暗いニュースばかり入ってくると、気分は沈みがちになる。

 

こんなに長きにわたって新型コロナに行動を制限されるとは、当初は思っていなかった。他県に暮らす長女一家とは、昨年11月以来、もう9か月も会えていない。

 

去年の今頃は、我が家に2歳児がいて、9月に双子が生まれて・・・そんなことを思い出しては切なくなる。大変だったけど、幸せな夏だった。

 

tsukikana.hatenablog.com


長女が写真や動画を送ってくれるので、孫娘たちの成長を感じさせてもらっているけど、早くホンモノに会いたいな。抱き上げて、ふざけて、笑わせたい。

 

そして、3人の幼子を日中ひとりで育てている我が娘を、ぎゅっと抱きしめて労ってあげたい。私が清水の母のことでてんやわんやだったから、どんなに子育てが大変でも泣き言ひとつ言ってこなかった(言えなかった)娘がいじらしく、愛おしい。

 

そんな娘は私のブログを読み、なんと自分が“母親”の立場で、私(つきかな)をひとりの娘として見ていることに気づいた、と言う。

 

tsukikana.hatenablog.com


母親モードの娘は「自分のときも、最期は娘たちにこんなふうにしてもらえたら嬉しいな」「おばあちゃまはお母さんのような娘がいて幸せだったよね」と。そして「お母さんはすっかり娘モードだったのでは?」とも。

 

確かに。私はあの頃、娘モード全開だった。そして今は、母親モードを取り戻しつつある、という感じ。娘は子育て真っ最中だから、母としての立場から見がちなのかな。

 

なんだかややこしいけど、ちょっと面白い。そして、母親モードで娘モードの私を見守っていてくれた長女が、頼もしいとも思った。

 


頼もしいといえば。
長女は忙しい毎日なのに、時間を作って筋トレに励んでいるらしい。プロテインとかも飲んじゃったりして、なにやら本格的。そして、すっごーーーく、痩せた。引き締まってほっそりしていた。写真を見てビックリ。

 

長女と次女はすこぶる仲が良く、いろいろな情報を共有している。次女は私たち夫婦と同じ県内で暮らしているので、自粛要請解除後は、時々、泊まりにきている。そんな彼女から、長女のトレーニングの様子を聞いて、本当に頑張っているなあと感心しきりだ。

 

次女も長女ほどではないにしろ、筋トレを続けていて、やはり引き締まってきている。私、刺激を受けてしまった。笑

 

彼女たちのようなハードなものは無理だけど、私にも何かできそうなトレーニングはあるかしら。先週、そう相談したら、次女が勧めてくれたのが「ひなちゃんねる」のひとつであるこちら。 

www.youtube.com


わ、若い!笑
でもこれ、良さそう。ゆっくりペースで10分ほどだし、じんわり効きそうな予感。自分でカウントしなくても画面に回数が出てくるのと、ひなちゃんが励ましてくれるのも気に入った。

 

というわけで、スロートレーニングも始めた私。まだ6日だけど、これなら続けられそうだと思っている。ひなちゃん可愛いくて好感持てるし。Mariko先生のヨガストレッチと合わせても30分でおさまる。

 

今の体力や年齢に見合った鍛え方をしたなら、からだは喜んでくれると思う。心の不調も、ある程度、緩和される気がする。心配事は消えなくても、ダメージを抑えることはできるんじゃないかな。

 

私は、アンチエイジングの対極であるプロエイジング(pro-aging)の考え方に賛成で、加齢に抗わないと自分で決めている。年を重ねることを肯定し、嘆くことはしたくない。

 

加齢を面白がって、あわよくば楽しもうとさえしている。抗わないことと、屈することは違うのだ。

 

「若いっていいな!」と思うことはあるけど、いろいろな経験を重ねてきた今の自分も尊い、と感じる。

 

娘たちの年頃から私は「素敵に年を重ねていきたい」と言っていた。その言葉がむなしくならないよう、今からでも、いつからでも、背筋を伸ばして微笑もうと思う。

 

そのスイッチが、今の私には、1枚のヨガマットなのかもしれない。モノは増やしたくなかったけど、これは買って正解だった!

 

朝だったり、午後だったり。都合の良い時間にマットを広げ、手足を伸ばす。最初のうちは脇腹つったりして、よく悲鳴を上げてたのだけど、もう大丈夫。

 

ちょっとずつしなやかになっていくからだを、自分で「可愛いな」と思う。内面までちょっとずつ、しなやかになっていく気がして嬉しい。そして、お水の美味しいこと!

 


先が見えない世の中で、暗く沈みがちな心。でも、これまでの人生で、不安、不遇、不運を、私は何度でも克服してきたではないか。そう考えてみる。たくさん傷は負ったけど、乗り越えた。乗り越えずにスルーしただけなこともあるけれど、それもまた良し!

 

まだ口角は上げられるし、これからもっと笑うつもりだよ。

 

娘たちが私を見て、「年を重ねていくことも悪くないな」「面白そうだな」と思ってくれたら幸せだ。これ以上、私の“生”を肯定するものはないだろう。

 

まあでも、力を抜いて。
あんまり気負うと疲れちゃうからね。今日はダメだなあと思ったら、明日の自分に期待しよう。意外と頑張ってくれるものだと、経験から知っている。

 

自分を大切にして。みんな、幸せになろうね。

 


※ご参考までに、私が買ったヨガマットはこちらです。大きめで使いやすく、夫も愛用中。


ヨガマット 初心者に向け Leetaker トレーニングマット tpe素材 滑り止め 折りたたみ 匂いなし 厚 さ8mm グムバンド 収納ケース付き 幅広 軽量 耐久性 おしゃれ ストレッチマット (グリーン)

 

 

睡眠。私の場合は・・・

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 昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ

 

そんな風に始まる井上陽水さんの『東へ西へ』を聴いたのは、いくつの頃だっただろう。中学生くらい?

 

すごく共感した覚えがある。学校から帰ってきて一度寝てしまうと、夜、なかなか寝付けない。それでラジオの深夜放送を聴く。睡眠時間が少なくなる。だから授業中にウツラウツラしてしまったり、家に帰ってまたちょっと寝てしまったり。

 

・・・悪循環。
早寝早起きの規則正しい生活をしろと言われるけど、
「難しいよ!」
そう感じてた思春期の私。

 


とにかく若い頃って眠いのだ。20代になっても、私は基本、いつでも眠かった。寝てるの大好き。ベッドの一部でいたい。仕事に行かなくて良いならば、お昼までだって寝ていられる自信があった。疲れて帰って、バタンキューで眠りに落ちていた日々。

 

30代。子育てが生活の中心だった頃は、寝られるときに寝る、という技術が身についてきて、分散した睡眠でもわりと元気に生きていられた。子どもを病院に連れて行くことは多かったけれど、自分のために病院に行くことって、なかったんじゃないかな。

 

40代。再び通勤が始まるが、20代の頃よりも人生が複雑になっていて、考えなくてはならないこと、やらなくてはならないことが増えている。睡眠に時間を取られるのが惜しくなっていた。そして確実に体力は落ちていった。

 

50代。・・・Oh!No!
いろんなことがあり過ぎて、病気や怪我もたくさん経験して、どんな睡眠をとっていたかなど、ひとことでは言い表せない。というか、そもそも思い出せない。思い出したくないのかもしれない。

 

でもこの年代になってようやく、自分をケアすることの大切さに気付けたのだ。そこは良かった。友人のおかげ。

 

そして目の前にロクジュウダイが迫って来る。あらあら、という感じです。笑

 


「夏の夜=寝苦しい」という図式なのか、毎年、この時期は睡眠関連の話題をよく見聞きする。今年は新型コロナウイルスの影響で、生活スタイルの変化や不安があってよく眠れないという人も多そうだ。眠らなきゃ、という焦燥感が眠れなくさせているケースもあるようで。

 

厚生労働省のサイトにあったページ。ご参考までに・・・

「眠れない症状」になるのはどうしてですか

 


私の周りにも、眠れないことで苦しんでいる人が数名いる。背景因子は人によって違うし、特に心理的な問題が原因である場合はとてもデリケートなので、彼ら彼女らの話を聞けば、悩みの解決は簡単ではないと実感している。

 

まず、私の父の場合。5月に母が亡くなったばかり。伴侶を失ったショックと悲しみが大きいこと、ふいに襲う喪失感、そして、今後どう暮らしていくかという悩みの深さがある。

 

精神的な因子以外でも、昼間の活動量が不足しがちなこと(猛暑とコロナ対策で)、お茶を頻繁に飲むからカフェインの摂取が多いこと、夜眠れないため日中テレビを見ながらウトウトしてしまうこと、そもそも80代という高齢なのでそんなに眠る力はない、などが考えられる。

 

先日、NHKの『あしたも晴れ!人生レシピ』という番組で、
「夜ぐっすり朝すっきり 中高年の快眠ライフ」というテーマの放送があったので、父に紹介。番組を見た父は「思い当たる節があった。録画したのでまたゆっくり見てみる」と言っていた。少しでも改善につながるといいのだけど。うーん、どうかな。


次に、私と同世代の友人たちの場合は、自身の体調不良を抱えながらの親の介護、過酷な仕事、などの因子が大きいのだと思う。

 

セルフケアには十分に積極的な彼女たちでさえ、睡眠障害をどうにもできずに辛い不調に悩まされている。医師に処方された睡眠導入剤を服用しながら、なおも頑張り続けている彼女たちに、「頑張り過ぎないで」とか「自愛してね」とか、そんな言葉しか投げかけられない自分が不甲斐ない。

 

 自然な睡眠リズムを作るために、朝、日光を浴びて体内時計を調整するといいよ、とか。
 ブルーライトは覚醒作用があるから、寝る前にPCやスマホを見ないでね、とか。
 自律神経を整えるマッサージやストレッチをしてね、とか。

 

そんなこと、彼女たちはとっくに知ってるしやってるし。

 

ストレスを上手に解消しよう、と思っても、このご時世だ。気晴らしできる場所は減り、遊べたとしても不安がつきまとい、ストレスは増すばかり。

 

そして、介護や仕事といった避けられない日常は続く。ハードな日常だ。持病もあるのに。心配でホント、泣けてくる。

 

食べ物、飲み物、アロマ、お風呂、枕、マットレス、アイマスク、耳栓、etc.・・・
ネットを検索すれば、不眠対策の情報は山盛りだね。でも不眠の原因は人それぞれだし、こうすればOKという正解は当然、ない。

 

深刻な場合は、やはり睡眠外来に行くのがベストなのだろうね。「寝るのが下手で」と軽く流しちゃうのも心配だ。不眠の陰にやっかいな病気が潜んでいるかもしれない。

 


私のことを言えば、今年の3月に母の容体が悪化してからずっと、眠れない夜が続いていた。不整脈やめまいもあった。6月の葬儀を終えてからもしばらくは、苦しかった。心配と不安、悲しみが背景因子だろう。

 

2か月がたった今は、悲しみはもちろん続いているけれど激しさは落ち着いてきていて、夜、母のことを思い出すとき涙は出てしまうが、穏やかな気持ちで母を偲べることが多くなったと思う。

 

これまで生きてきた年月にも、何度か眠れない日が続いたことはあった。そのたびに、いろいろな対策を試みた。とても多くのことを試したので、どれが効いたのかわからないのが残念だ。

 

今回は、眠れない日々だけど眠りたいとも思わずにいた。だから眠るための努力もしていなくて。気がつけばいつの間にか眠れるようになっていたという、私には初めてのケース。

 

今は、20代の頃みたいに「寝てるの大好き」な私がいる。ありがたいことだ。

 

睡眠時間は確実に短くなったし、朝までに2、3回、目が覚めてしまうことも多いけど、不足はない。最近は、就寝前のひとときを大事にしているためか、ベッドに行くのが楽しみだ。

 

寝室は居心地の良い空間にしておきたい。できるだけモノを少なくし、間接照明で目と脳に、眠りに入る準備をさせてあげる。時々はアロマディフューザーでリラックス感を上げておく。

 

ブルーライトは良くないのだけど、ちょっとの時間だけYouTubeで西城秀樹さんが歌うのを見る(癒される♪)。その後、本を読む。今、読んでいるのは原田マハ『キネマの神様』 (文春文庫)。面白い!


テレビは、寝る前には本当に見なくなったなあ。見たい番組があれば、録画して後日見るようにしている。

 

そして。
電気を消して、すぐに眠れなくても「眠らなきゃ」と焦ってはいけないと言い聞かせる。他界した母の思い出、巣立っていった娘たちの幼い頃の思い出など、ちょっと寂しいけれど優しい気持ちになれることを思い浮かべる。

 

「大変なことも多かったけど、なかなか良い人生だったんじゃないか」

 

そんな風に、死にゆく人のような気持ちになって、自分をねぎらう。そして、感謝する。朝までだって、自分と話ができるよ、なんて思っているうちに、夢の中へ。

 

夜中に目が覚めることも多いけれど、気にしない。もう若くはないんだもの、昔みたいにぐっすり長く眠る力はないのだ。そう考え横になっていると、また夢の中へ、ということもあるし、そのまま朝までベッドで目を開けていることも。

 

加齢による睡眠時間の減少は、自然なこと。私くらいの年齢ならば、6時間半も寝れば十分だそうだ。力を抜いていこう。抗わないよ。

 


こんな感じで、現在は睡眠に関して特に悩んでいない私だが、これがいつまで続いてくれるかはわからない。胸の中に常にある不安や悩みがいつ肥大化するか、天災や事故などの突発的な出来事がいつ起こるか。アナオソロシヤ。。。

 

起こり得るストレスを心配すればきりがないのだけどね。平穏な気持ちで眠りにつける日が、この先もできるだけ長く続いてほしいなあと、切に願う。

 

そして、私の大切な人たちが、不眠の悩みから早く解放されますようにと、祈らずにはいられない。本当に、本当に・・・

 

これを読んでくださっている方々にも、どうか心地よい眠りが訪れていますように。
暑い日が続きますが、どうぞご自愛を。

 

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