一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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ときめくモノ、ときめくコト

ラナンキュラスの写真

 

初雪の後の、深い青空が眩しい。

 

今年最後のゴミ収集日に追い立てられるようにして、年の瀬の家事の手順を考えたり、買い出しを計画したりしてきたが、今日は、最後の収集日。ゴミが大量に出そうな片付けや掃除や買い物はもう諦める。考えないようにする。笑

 

大掃除なんて、ほどほどでいいのだ。まあまあ頑張ったので、こうして深呼吸する空気は美味しい。お尻のあたりに神経痛みたいな痛みが続いているし、無理をしないでおこう。

 

毎年のことだけど、本当に12月って気忙しい。「今年の汚れ、今年のうちに」なんてCMの歌は、呪いの言葉のように聞こえる。そんな呪文に耳をふさいで、「忙しい忙しい」なんて口癖とはサヨナラして、楽しいことを考えよう。

 


楽しいこと。
最近、楽しいと思ったのは、クリスマスのランチだ。夫が、握り寿司をふるまってくれた。

 

お寿司を握ってくれたのだ。いなり寿司でも太巻きでもちらし寿司でもなく、握り寿司。
ウケる。

 

前日ぐらいだったか、「お寿司を握ってみたいんだよね」と言うのを聞いたときは、冗談だと思った。また何か変なこと言い出した、くらいに。家でお寿司を握る?はあ?

 

話を聞くと、彼がよく聴いているポッドキャストの「ドングリFM」という番組で、パーソナリティの鳴海淳義さんが言っていたことがきっかけらしい。noteディレクターでもある鳴海さんが書いた記事を、私に転送してきた。

 

note.com


なるほどねえ。確かに考えてみたら、酢飯にお刺身を乗っければいいだけの話ではある。別にお客さんに出してお金をとるわけじゃないから、本格的な修行を積む必要もない。朝一番に市場でネタを探さなくても、スーパーの刺身売り場で買えばいい。そんなに難しく考える必要はなかったのだ。

 

そして、あっけなくそれは、目の前に差し出された。
夫が初めて握ったお寿司は、意外にも(普通に)美味しかった。

 

目の前で握ってくれるお寿司屋さんに最後に行ったのは、いったい何年前だったのかわからないくらいになったが、馴染みのある回転寿司だって、まあそこそこ美味しい。夫の握り寿司は、それと同じくらいには、そしてスーパーで買うパック寿司などよりずっと、美味しいんじゃないかと思った。

 

お寿司って、自宅で握っても良いものだったのね!
・・・私はその心地良いショックに、ちょっとやられた。

 

自分の中の「当たり前」が、いかにいい加減だったか。あるいは、いかに古かったか。思い込みとか刷り込みとかで、どれだけ世界を狭めてしまっていたか。

 


あれ?待って。
これと似たような気持になったことがある。そうだ、基礎化粧品を手作りしているという人の話を聞いたときだ。あのときも、そんな発想はなかった!と楽しい衝撃を受けたのだった。

 

6年前に記事を書いていたので、よろしければ。
(化粧品のレシピは載っていません、悪しからず)

tsukikana.hatenablog.com

 


話を戻して・・・
夫はその翌日の夕食(メインはおでん)のときも、少しだけお寿司を握ってくれた。スーパーで売っていた1パック298円の「柚子しめ鯖」が、見事に「柚子しめ鯖の握り寿司」に化けた。前日よりもシャリの量が微調整されている。そう、僅かだが進化していたのだ。

 

ひと頃彼が凝っていた燻製調理のように、今回も一時的な趣味に終わっていくのかもしれない。でも、そういうことではなくて。

 

できないでしょう、やらないでしょう、と思い込んでいたことをやってみた、案外上手くできた、というところに、すごい価値があるように思える。あら素敵♡って思える。

 

本人が楽しそうなのもいい。楽しそうに料理を作ってもらえるのが、いただく側でいるときは、一番嬉しいよね。

 

この件をきっかけにして、これからは自分の常識を疑ってみることを、習慣にしようと思った。価値観のアップデートが自然にできそうだ。ちょうど年末だし、来年のテーマにしちゃおうかな♪

 


クリスマス、そしてお正月。今は豪華な花束や寄せ植えが並ぶお花屋さん。とても華やかで目移りする。

 

そんな中で、私はふと、可憐な淡いピンクの花に引き寄せられた。そこだけ、優し気な春の光が集まっているようで。

 

今の私には、これかな。と思った。
ちっとも年末年始って感じではないけど。

 

まあ、あまのじゃく、という部分もある。煽られるのも好きじゃない。でも、もっと素直な気持ちで思ったのだ。みんながそうだから、ではなく、そのときの自分がときめくものの方に手を伸ばしていきたい、と。

 

年末はこうするもの、とか、お正月はこうあるべき、とかも、自分がそれを必要だと思わなければ、縛られることはない。美しく整えたいところがあれば、そこだけ綺麗にすればいい。

 


空き瓶にちょんと挿して、窓辺に置いた2輪のラナンキュラス。笑いかけてくるようで、可愛くてたまらない。こんなにささやかなことなのに、心が喜ぶ。自分を楽しませることって、案外簡単だね。

 

自分の機嫌は自分でとる。人のせいにしていちゃだめだ。

 

ときめくモノ、ときめくコトを基準に動けば、なんだか本当に気持ちよく転がっていって、いろいろ上手くいく気がして仕方ない。実感を伴って、今、しみじみそう思う。

 


✻ゆっくりペースの更新にも関わらず、今年もお付き合いいただきありがとうございました。皆さまがずっと、お健やかで幸せでありますよう、願っております。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

良いお年を(*^-^*)

 

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物語のはじまりを予感したあの日―とあるクリスマスの思い出

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東京でひとり暮らしをしていた20代の頃、生活情報紙の記者が生業だった私。いろいろな取材をする中で、素敵なお店を見つけて紹介するという仕事が、結構好きだった。

 

取材先は、自分で探したり、編集長や先輩、読者に勧められたりすることが多かったのだが、「是非紹介して」という、お店側からのお願いもたくさん届いた。

 

まだメールもなく、Faxすら出始めの頃。ほとんどが郵送で、しかも手書きの手紙が多くて。その中で、文面から「これは面白そう」と思った所には出向いていくという、そんなのどかな時代だった。

 


あるお店の話である。もう名前は忘れてしまったが、是非、バスに乗って取材に来てほしい、とハガキに書かれていたことで、興味を持った雑貨屋さんがあった。

 

それはクリスマスシーズンのことで、渋谷区の代官山を走るそのバスからは、とても素敵な街の様子を眺められるから、記者さんに雰囲気を味わいながら来てほしい、というのが理由だった。

 

30年以上前のことだけど、その頃から代官山はお洒落なお店が建ち並びキラキラしていて、当時の私も女子のひとりとして、ときめきを感じる街だった。

 

だが、お店が代官山にあるという訳ではない。ロマンティックな時期にその街をバスで通り抜けて、自分の店まで取材に来てほしいのだと言う。そんなお店のオーナーの提案が面白いと、私は思った。どんな人物かな、という興味を持ったのだった。

 

渋谷から東急バスに乗る。実はそれ、目黒本町に住んでいた私は、帰り道の選択肢のひとつだった。路線は違うが途中までは同じコースで、私の帰り道も代官山を通る。だから、珍しさはない。

 

けれど、初めての気持ちになって、バスの車窓からこの街を眺めてみよう、と私は思った。お店のオーナーの趣向に乗ったのだから。

 

不思議なもので、改めて見渡す代官山は、いつも以上に素敵に見えた。クリスマスのディスプレイが美しくきらめいて、道行く人は幸せそうで、流れゆく景色を見ながら、何か楽しい物語が始まりそうな、予感みたいなものを感じたのだった。

 

オーナーは30代くらいの女性で、お勧め通りバスで来ましたと伝えた私を、夢見る少女のような笑顔で歓迎してくれた。ちょっと風変わりで、お話していて楽しい方だった。

 

でもお店は……。可愛らしい雰囲気の雑貨店だったけれど、並べられた品物たちは、特段、個性的でもなく、悪いけど「普通だな」と思ってしまった。

 

特長がつかみきれない中、どんなお店紹介の記事が書けるかなあと、少し困った記憶がある。「代官山をバスで眺めながら来て」と言ったオーナーが面白い、とは書けないしな、なんて、ちょっと苦い思いで店内を見まわしながら。

 

ただ、店の奥にあった緑色のレトロな感じのデスクライトが目に飛び込んだ。そしてそれは、この不思議な雰囲気のオーナーとともに、印象に残った。そのライトだけ、お店のテイストと違っている気がしたから。

 


1980年代、バブル前夜。世の中はどんどん華やかになっていくような、そんな時代。新しいもの、洗練されたもの、よりファッショナブルなもの。そういうものに目が行きがちだったし、私には仕事の一部でもあったので、あのデスクライトの異質な雰囲気が気になったのかもしれない。

 

絶対に自分の部屋には似合わないし、買おうとも思わない。でも、あの緑色のシェードを通した光は、なんだかすごく心惹かれたな。真鍮製のあのカーブした支柱も、妙に素敵に思えたな。そんな風に、心に残った。

 

それが、バンカーズランプ(バンカーズライト)というものだと、後に知ることになる。

 

バンカーズ。つまり、銀行家のランプという名前を持つこのデスクライトは、昔、銀行の頭取室などで手元を照らす灯りとして生まれたらしい。目に優しいということで、緑色のシェードが採用され、銀行のみならず、法律事務所や図書館などあらゆる場所で使われるようになった。

 

定番の卓上ライトとなったバンカーズランプは、欧米の映画やドラマにもよく登場するし、アンティークな喫茶店などでも見掛けることがある。メーカーもデザインもさまざまだが、真鍮のスタンドにグリーンのランプシェード、プルチェーンスイッチ、というのが、バンカーズランプの象徴的なスタイルのようだ。

 

スタンダード中のスタンダード、というだけあって、誕生してから100年以上がたっても、人気は衰えない模様。もちろん今も、そして30年前ですら、レトロなランプとして人気なのだ。やっぱり、古風でも洒落ているし、可愛く感じるのね。

 


何かの写真とかイラストとかで、このバンカーズランプを目にすることがあると、私はあの日のことを思い出す。そう、バスから見た代官山の美しく流れるような景色も、クリスマスの華やぎも、連なるように思い出す。

 

クリスマスの思い出というと、娘たちの幼かった頃や、自分自身が幼かった時代の、家庭での景色が私には定番なのだけど、たまにこんな風に、ふいに、仕事と絡めた思い出もよみがえったりする。

 

その後、何度かバスで代官山を通ったが、あの日ほど輝いて見えたことはない。あれはやはり、ひとつの物語の入り口だったのかもしれない。私は何かを、少し、間違えた。あのバンカーズランプのことを、記事にすべきだった。あるいはあのオーナーのことを。

 

それでもはやり、その小さな悔いも含めての、これは物語だったのかもしれない。あの緑色のライトを見る度に、私は24歳の私に戻る。いろいろ夢見て、前を見て、好きな仕事を頑張っていた私。何かが始まる予感を、いつも信じてみようとしていた私。

 

彼女は今も、私の中にいる。きっとそうなのだ。私の中で、ちゃんとまだ息をしていて、出番を待っている。

 

彼女だけじゃない。小さな女の子だった私も、若いママだった私も、みんないる。

 

何十回ものクリスマスを過ごしてきて、思い出が積み重なってきて、このシーズンになるとふと立ち現れる思い出も、見る夢も、前よりずっと増えた。それらはみんな、脈絡ないように思えるけれど、本当にそうだろうか、と考えてしまう。本当は、ちゃんと何か意味があるのではないだろうか。

 


最近の私は、朝の家事をする間、TV画面でYouTubeを再生して、BGMにすることが多い。12月に入ってからは、クリスマス音楽をジャズアレンジしたものを、選んで流すことが増えた。音楽を流すことが目的なのだけど、映像がものすごく美しくて見とれてしまうこともたびたびだ。

 

エッフェル塔が見えるパリのカフェの店内とか、暖炉の炎がゆらめく暖かそうな山荘のリビングとか。綺麗な雪の結晶、大きなクリスマスツリー、海外の街の品の良いイルミネーション。

 

チャンネルが多すぎて選びきれないのだが、今日はどれにしようかと迷うひとときも楽しい。

 

あるときは幼子の私が、あるときは多感な少女の私が、あるときは母親の私が、それぞれの映像に反応する。そして時々、ほんのたまにだけど、24歳の私も現れる。

 

で、私。彼女の登場には正直、どぎまぎしてしまうのだ。
・・・なぜだろう?笑

 


✻今年のクリスマスイブは、皆さま、どんな風に過ごされるのでしょう?
私は、西城秀樹さんのディナーショーを見て過ごします。
あ、もちろん、配信ライブです。

hidekiforever.com

今年は次女も帰ってこないし、夫は仕事だし、いいかな、とは思ったのですが、もしかしたら嫌がるかもしれないので、一応彼にお伺いをたてたのです。

夫「いいじゃない。どうぞどうぞ」
私「いいの?イブだよ?」
夫「イブにヒデキ見るなんて素敵じゃない。良かったね」
私「本当に?イブだよ?『恋人たちのクリスマス』だよ?」
夫「あのー。じゃあ、なんて言えばいいの?」

アラカン夫婦のつまらない小話、失礼しました。
もちろん、嬉しかったのですよ。ちょっと、28歳の私が現れたかな?笑
調子に乗って「ヒデキにやきもち妬かないの?」とふざけたりして。
夫が残業なかったら、一緒に見ようと思います♪

慌ただしい年の瀬ですが、クリスマスの楽しい気分を味わいながら、心穏やかに過ごしたいですね。寒くなりました。お体もどうぞご自愛くださいね。

 

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父と柚子と薔薇と

カゴ入りの柚子と薔薇の画像

 

柚子ジャム、というものを初めて作った。

 

先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。

 

12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。半分に切り、タネをフォークで除き、果汁をボウルに絞る。もう、家中が柚子の香りに満たされた。

 

そうそう、取り除いたタネは、煮込むときに使うので(ペクチンを利用してトロミをつける)、捨てずに大事にとっておく。

 

果汁を絞った後の半割りの柚子から、指で中身を取り出し、皮の内側の白い部分を小さなスプーンでこそぎ取る。白い部分は苦みの元となるそうで、これは捨てるけど、取り出した中身の方は、後で絞るのでとっておく。

 

こそぎ取るのは、結構大変なのだ。繊維もたくさんあって、なかなかきれいに取り除けない。12個使ったので、×2で24回これをやるわけで、この作業にはとても時間がかかった。

 

先月、友人にいただいた100個の栗のことを思い出す。半量を冷凍し、残りを茹で、栗きんとんを作ったのだった。茹でた栗を半分に切り、スプーンで中身を掘り出すこと100回。…腱鞘炎になりそうだった。美味しくいただいたが、しばらく栗仕事はいいや、と思ったものだ。笑

 

初夏によく見聞きする梅仕事というものがあるが、私はやったことがない。梅酒も梅干しも、これまで特に自分で作りたいとは思わずにきた。それは、梅の木が実家や知り合いの家になかったからかもしれない。

 

友人宅の栗の木も、父の家の柚子の木も、よくもまあ、というほど、たくさんの実をつける。とてもひと家族で食べきれる量ではない。特に父は、高齢のひとり暮らしなのだから。

 


昨年の5月に他界した母のことを、私は思い出しながら柚子仕事をした。母は生前、あまり柚子を使って何かしてくれることはなかったと、先日、父が苦笑していたっけ。

 

実家の柚子の木は、細い公道に面した場所に植えてある。散歩する人が庭にいる父に声を掛け、柚子を褒めてくれることもある。もちろん父は「好きなだけどうぞ」と差し上げる。後日、柚子大根を作りましたから、とお裾分けで持ってきてくれた人もいたそうだ。

 

ご近所の奥様方にも、ご自由にどうぞ、と言っているらしい。ブルーベリーもあるので、それも「どうぞ」と。

 

それから、10年くらい前に私が母の日に贈った薔薇の木も、ブルーベリーの横で春と秋に小さな花をつける。近所に住む伯母がいつも褒めてくれるそうで、「どうぞ勝手に切っていってね」と言ってあるそうだ。

 

薔薇といえば、もの干しのある細い庭の奥の方には、弟が贈った木もある。私のあげた薔薇より立派な花を咲かせ、生前の母はこれをとても愛していたという。確かに今回、洗濯物を干すたびに、目に入る弟の薔薇が私の気持ちを優しくしてくれた。

 


感染状況を見ながらの帰省なので、今回は久し振りの清水だった。行きは、夫の運転で次女と3人で訪れたのだが、彼らは勤めがあるので1泊で帰り、私はしばらく残った。

 

清水では、独居老人である父をたくさんの方が支えてくださっている。伯母は、いつも草取りをしてくれるし、先日は自転車で転んだ父の傷の手当てをしてくれた。少し離れた場所に住む叔父も、ときどき父をドライブに連れ出してくれる。

 

そして、お隣のOさん。なんと週に数度、お料理やおつまみをお裾分けで、父に持ってきてくださるのだ。柚子ジャムも、彼女が作ってくれたものを以前いただいて、私も作ろうかな、と思ったのだった。また、お向かいのYさんも、仏壇に供えるお花や野菜を、頻繁に届けてくださるとのこと。おふたりとも、生前の母によくしてもらっていたから、とおっしゃる。

 

お土産を持ってご挨拶に廻りながら、私は目頭が熱くなってしまった。マスクの上の優しいまなざし。明るい笑い声。良い方たちの傍で暮らせて、父は幸せ者だと思った。でもお父さん、これきっと、お母さんのおかげよ。笑

 


私が結婚してから、両親は清水に家を建てたので、私はあの家で暮らしたことはない。もう31年になるが、遊びに行くだけの私と違って、父母はあの地で確かに日々を重ね、人々と接し、しっかりと根付いて暮らしてきたんだなあと、私は清水に行くたびに不思議な気持ちになる。

 

31年か。
いつ植えたのかよく知らないけれど、柚子の木も、そして薔薇の木も、そりゃあ大きくなるはずだ。

 


今回の滞在中、ずっとお天気が良く、毎日富士山が顔を見せてくれたのは嬉しかった。
父がユニクロで靴下やシャツを買いたいというので、付き合って清水港まで自転車で行ったとき、港の向こうにすっとそびえ立つ富士を見て、私はあまりの美しさに感動。

 

富士山って、何度見ても飽きない。本当に特別な山だと思う。

 

デジカメで港と富士山を撮っていたら、うしろで「〇〇さんじゃない?」と女の人の声がする。振り返ると、自転車を停めて私を待っている父の傍らに、中年の女性が駆け寄っていた。

 

港近くの酒店の奥さんだった。この酒店はお店で買ったお酒を、奥のテーブルで飲むこともできるという粋なお店。父は常連で、おつまみ持参でよく通っていたが(私も行ったことあります)、もう1年以上、コロナ禍で奥は閉めている。(表のお店は開いています)

 

どうしているかなあ、元気かなあと、ついさっき店の前を自転車で通り過ぎながら、父が言っていたのだ。まさか、港で会えるとは!

 

あまりの偶然に父も喜び、本当に嬉しそう。彼女もニコニコと近況を報告している。話が尽きないようだ。私がカメラを向けると、なんと彼女は父の腕に手をまわしてくれた。まるでガールフレンド。笑

 

富士山が、父に小さなハッピーをプレゼントしてくれたように思えてならない出来事だった。

 


私が帰る日。週に一度、お掃除にきてくださる家政婦さんにご挨拶することができた。初対面。70代というが、もっと若く見える綺麗な女性で、気さくな、とても感じの良い方。嬉しかったし、本当に安心した。

 

私が2階にいるとき、1階の父と彼女の話声が聞こえてきた。不燃ごみのことで、何やら父のために業務外のお手伝いをしてくれるらしい。

 

「いや、悪いよ」と言う父に
「いえ、大丈夫ですよ。〇〇さんのためですもん!」

 

え。と、思わず顎が落ちる私。お父さん、もしかしてモテてるの?

 


私の夫に小椅子の高さやノルディックポール(両手で持つ杖)の調整をしてもらったり、次女にはスマホ、特にLINEのことを教えてもらったり、みんなで記念撮影をしたり、今回の帰省では、父はいつも以上に嬉しかったに違いない。

 

✻父のスマホデビューのことはこちらに書きました↓

tsukikana.hatenablog.com

 

私も、いつも以上に刺激をもらった。笑
そのせいかどうか、帰った翌日は頭も体も疲れ切ってしまい、ほぼ寝込む状態だったけど、まあそれは、いつものことかな。

 

周囲の方々のご親切に助けていただいている。
それはもちろん、その通りで。心から感謝しているが、やはり、父は寂しくて仕方ない毎日を送っているのは間違いない。体調がすぐれない日などは特に、メランコリックな電話をかけて寄こす。

 

足元の段差がよく見えなくて不安だ、とか。
お金の桁を間違えて、レジで恥ずかしかった、とか。
書類を書いていて漢字が全然出てこない、とか。

 

年齢的な衰え、持病による不調、脳梗塞の後遺症など、毎日を楽しく生きることを容赦なく邪魔してくる心配事がある。あんなに身体能力も高く、頭も良かった人だから、なおのこと悔しいだろうな、とも思う。

 

しっかりしている部分もあり、なんとかひとりで頑張ってくれている父だけど、もう、89歳。いつまで元気でいてくれるのだろう。
あと何回くらい、会えるのかな。会いに行ってあげられるのかな。

 

そんなことを思いながら、酔いそうなほどの香りの中で、柚子ジャムを作り上げたのだった。

 


白い部分をそぎ落とした皮を、細切りにする。これを3回ほど煮こぼした後、果汁と、抜いておいた中身を絞ったもの、そして、砂糖300㌘弱を、全部、鍋に入れる。

 

取り出しておいたタネをお茶パックに入れて、水100㏄とともに鍋に加え、強火に。沸騰したら、中火で15分ほど、焦げ付かないようかき混ぜながらコトコト煮れば、出来上がり。

 

父の柚子で作ったジャムは、とても甘いけど、ほんの少しほろ苦い。小さな薔薇を飾った母の遺影にこれをお供えし、ちょっとだけ切ない気持ちを聞いてもらう私だった。

 

 

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清水港と富士

 

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糸の誘惑?刺し子する喜びを知ってしまった

刺し子の糸玉と布の画像

 

私は今、刺し子にはまっている。……のかもしれない。
自分としては、ちょっと意外なのだ。刺しゅうはずっと前から好きだけど、刺し子には多分、行かないだろうと思っていたので。

 


1年前のちょうど今頃だ。次女と一緒に手芸店に行ったとき、刺し子のコーナーも覗いてみた。少し前にInstagramでとても素敵な刺し子作品を目にして、それがずっと心に残り光っているのを自覚していたから。「ああ、これが刺し子なのね」と、私は見本の花ふきんを見つめた。

 

もちろん、刺し子というものは知っていたし、何となく惹かれるものはあったけれど、それまで自分と縁があるように思えなかった。でも、試しにやってみようかな、という気持ちになったのは、あのインスタの美しい画像が目に焼き付いていたからに他ならない。

 

何もわからないままに悩みながら、花ふきん用の晒布(水で消える図案が印刷されている)と刺し子糸、刺し子用の針をなんとか選び、私はレジに向かった。初挑戦は、これもインスタで見てチャレンジしたいと思った文様のひとつ、「霰亀甲(あられきっこう)」。

 

しかしながら、当時は何かと忙しく、刺しかけの刺しゅうも仕上げたかったこともあり、せっかく買ったのに1か月以上、放っておいたのだった。

 

✻その当時の様子はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com


デスクの隅に、放置されたままの、それがある。
ずっとこちらを見ているかのよう。すごく綺麗なグリーン系のボカシ糸だ。妙に可愛い。

 

フランス刺しゅうのツヤツヤの糸も美しくて大好きだけれど、この素朴で太くてマットな風合いの、人を誘うような力はなんなんだ。布に刺していったら、どんな絵になっていくんだろう。

 

目にとまる度にそう思い、慌ただしい師走のある日、ついに刺し子針を持つ。優先順位がトップになっていたのだった。

 

しかし刺し子について、私は本当に何も知らない。すぐに刺し始めたい気持ちを抑え、とりあえず、刺し子のことを書いているブログを探し、読み漁った。

 

一目刺しって何?くぐり刺しって?模様刺し?外枠って何のこと?

 

そんな状態からのスタートだった。でも、当時の日記に私は書いている。
「やばい!たのしい♡」

 

なんとか初の作品を完成させた後、私はすぐに複数の刺し子の布と糸を仕入れていた。沼、なのか?

 


先輩方のブログを読んで勉強し、インスタで美しい作品を見て刺激を受け、私はどんどん、刺し子の奥深い世界に魅了されていった。こんなに「次」を求めることになるとは、去年の私には想像もつかなかった。

 

刺し子なんて、ただ、ちくちく刺していけばできるんでしょ。
なんて、それまで思っていた私。とんでもない話だったよ!

 

布の仕立て、糸留め。刺す順番や方向、糸を裏布に出すか布の間に渡すか、など、やり方は千差万別。「決まりはないの。人それぞれ、好きにやってね」とおっしゃる方も多い。迷う!悩む!面白い!

 

加えて、糸選びの無限の楽しさが待っている。色の組み合わせ、配分の加減。単色と段染めの合わせ加減。・・・やっぱり沼だ。

 

なるべく失敗したくなくて。しかも近道して満足がほしい、なんて思ったりして。最初から私、傲慢だったし、甘かったなあ。

 

刺し子の先輩方はよく、無心になれるのがいい、とおっしゃる。私も「そうですね、無心になれますよね」なんてインスタなどでは話している。しかし、待てよ。私はこれまで無心になれたことなどあっただろうか?

 

常に疑問がふくらみ、納得できる情報を探し、自分なりに考え作戦を立て……と、錆びかけた頭をフルに使っている気がする。チクチクと単純な並縫いをしているときでさえ、いろんな想念が湧いてきたり、脳内再生される音楽に合わせて一緒に歌ったり、ちっとも無心じゃない。笑

 

まだまだだね、ということなのだろう。いろいろ、お恥ずかしい。
でも。

 

「この糸、本当に可愛い色だなあ」
「吸い込まれるように素敵な文様だなあ」

 

と、刺している間中、幸せな気分になれるのだ。そこは、ピュアに、本当に。刺しながら、癒されていく時間。なんだかいつも、笑顔なのだ。

 

刺し進めていくうちに表れるさまざまな幾何学模様の心地よさ。裏まで可愛いというおまけまであって、フランス刺しゅうとはまた違った楽しみ方、魅力があることを実感する日々。

 

知らない世界を知ると、学んだことをノートにつけたくなるのは私の性分で、感想や感動、疑問や攻略など、まだふきんを10枚も仕上げていないくせに、私の「刺し子ノート」はどんどん、文字で埋まっていくのだった。

 


ふと、思う。小学生のときの編み物に始まり、これまでの人生で、なんてたくさんのものづくりをしてきたことか。洋裁、ビーズアクセサリー、レース編み。パッチワークやステンシルに夢中になっていた時期もあった。

 

あるときは恋するように、あるときは「塞ぎ」から抜け出すために、私はそれらに手を伸ばしてきた。そして、たくさん救ってもらったし、たくさんの喜びをもらった。まるで「旅」のように。

 

何かを生み出すことの楽しさを知ることができた、というだけで、私の人生もまんざらではないように思えてくる。それくらい、ものづくりって(私のようなささやかな体験でさえ)素敵なことだ。

 

この先も、また違うものづくりに惹かれて、見知らぬアートに挑戦することもあるのかしら、なんて考えると可笑しくなってくる。新しい「旅」が待っているかも、と思える人生は幸せだ。

 

ハンドメイドに限らず、今だってあれもこれも、やってみたいことが山のようにあるのだけどね。私の残り時間で、あとどのくらいチャレンジできるんだろう。やれるだけ、やるか。

 


さて、前述の「刺し子ノート」。自分自身の今後の参考になればと書いてきたが、ちょこちょこ写真も撮っていたので、文字と合わせてブログにし、残してみようかと思う。

 

どこまで続けられるかわからないけれど、まずは自分用の記録として。もしかしたらどなたかのお役に立てるかも?と思ったりもする。そうなったら、とっても嬉しいのだけど。

 

そんな訳で、私のふたつめのブログです。
ご興味ある方がいらしたら、覗いてみてください(*^-^*)

tsukikana2.hatenablog.com

 

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小さなキラキラに触れる秋

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朝、ベランダに出るとひんやりした空気が肌を刺す。ついこの間まで暑い暑いと言っていたのが嘘のよう。数日前からは秋を通り越して初冬のようだ。

 

でもこの冷たい空気は私、嫌いじゃない。大きく吸い込めば、澄んだ水のように美味しく感じる。きめ細かい光の粒を体にたくさん取り込めたようで、爽快な気分になる。今日はどんな一日にしようかな。

 


最近の世の中。
感染状況が落ち着いてきて、ワクチン接種済みの人も増えてきて、見解は分かれるだろうが、だんだんアフターコロナにシフトしているように感じ取れる。

 

私も少しずつ、外出が増えてきた。百貨店まで買い物に行ったり、懐かしい友人に会ったり。美容室や歯科クリニックの予約も入れて、なかなかの気忙しさである。

 

そして、先週末は長女の住む町へ行ってきた。7か月ぶりに、ようやく愛おしい人たちに会うことができたのだ。

 


母も一緒に連れて行ってあげたい、と私は思った。
昨年、コロナ禍の中で倒れ、亡くなった母は、長女の生んだ双子に会えぬままだったから。そして、私の長女は母の初孫で、母はこよなく彼女を愛してくれていたから。

 

実は、百貨店に行ったときも、母の形見の指輪をして行ったのだった。母は服が好きで、若い頃は私を連れてよくデパート巡りをした。ウインドウショッピングの楽しさは、母に教わったのだ。なので、一緒に歩けばきっと懐かしがるだろう、喜ぶかな、と考えて、私の指に乗ってもらった。

 

でも、今回はそれは無理。小さい子たちに会うのに、オパールの指輪はさすがにしていけない。なので、母の形見のひとつである、普段使いのネックレスを首にかけたのだった。

 

これは多分、母が一番最後までよく着けていたアクセサリーだと思う。ベッド脇の壁のフックに掛かっていたのを、父の許可を得て、去年私がもらったものだ。

 


クルマで約4時間。やっぱり、長女の住む町は遠い。
今回は途中で次女もピックアップ、夫と3人での、とんぼ返りの旅である。短い時間だけど、会えることに感謝して一瞬一瞬を大切に過ごすことができれば、それは十分に有意義で幸せな旅になる。

 

長女の夫くんは、夕方まで仕事で留守。前日にワクチン2回目を打った長女が、もしも副反応で寝込んだら、パパもいないし子どもたちが可哀そう、ということで、私たちが出向くことになった次第だが、幸い副反応も軽いようで、私たちは長女ともたくさんおしゃべりすることができた。

 

そして、2歳の双子。
人見知りして、最初は遠巻きにしか私を見てくれなかったのだけど、私が4歳児のおねえちゃんと遊んでいるうちに、だんだん近寄ってきてくれて……。
ソファで隣に座り、私の胸元のネックレスに触れてきた。

 

「キラキラね」
「とってもきれいね」

 

そう言って、6つの石をひとつずつつまみ上げて、見つめる。

 

ひとりがそうしていると、もうひとりも来て、私はこれが好き、私はこっちがいい、と私に伝え、石を撫でてキスまでしてくれた。

 

まあ!お母さん、良かったわね♡
これがあなたの会いたがってた、双子のひ孫よ。

 

心の中で母にそう語りかけた私。しばらく会わない間にこんなにしっかりして、子どもの成長ってすごいなあと、感慨ひとしおだった。

 


小さい子って、キラキラを見つけるのが上手だ。日が落ちて、買い物に行こうと外に出たとき、遠くのタワーの赤い光をかわいい手で指さして、あそこにキラキラがあるねえ、と双子が教えてくれた。

 

思えば、4歳児の孫娘も、2年前我が家で過ごしていたとき、家中のキラキラを見つけては、私に知らせてくれたものだ。西側の部屋の窓は型板ガラス(デザインガラス)なので、夕方の光が美しく輝く。それを見るのが、私も彼女も大のお気に入りだった。キラキラだねえって、毎回言い合った。

 

当時は彼女もまだ2歳。大変だったけど、幸せな日々だったなあ。

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日常の中に小さく輝くものを見つけるのは、私もわりと得意な方だが、ちびっ子たちは本当に達人で、いつも私は教えられる。

 

母の形見のネックレスは、わりと渋めの色の石で、秋の服に合うかな~くらいに思っていたのだけど、よく見るとひとつひとつの石に模様が入っていて、角度を変えるとあちらこちらでキラキラと輝く。

 

こんなに綺麗だったんだ。

 

時間をかけて、ゆっくり愛でて。そうして、ちびっ子たちの瞳もキラキラが増していく。小さな幸せが積み重なっていく。そういえば、長女も次女も、幼い頃はこんな感じだったっけ。そして多分、きっと、おそらく、私も。

 

私は、母の微笑みをそばに感じて、涙が出そうだった。

 

あそこにもキラキラ。ここにもキラキラ。
小さい子になったつもりで周りを見渡してみると、キラキラはたくさん見つけることができる。心のおもちゃ箱は、たちまち素敵なものであふれそうになる。みんな、ありがとう。

 


ところで。
「コロナが落ち着いたら、また一緒にご飯でも行こうね」
そんな言葉を交わした人、たくさんいると思う。私もそうだ。ヘビロテのスタンプのように、このセリフを使っていた。

 

でも、正直に言うと、今すぐ会いたい、一緒に遊びたい、というわけではない。ゆっくりでいい。いや、ゆっくりがいい。スミマセン。笑

 

10月に入り、外出の予定がカレンダーにどんどん書き込まれるようになって。そういうのが本当に久し振りで、ちょっと腰が引けている自分がいた。疲れそうだな、とすぐに思ってしまうのだった。もうすっかり、自粛慣れしているのだろう。こなせる自信が薄い薄い。

 

果たして元に戻れるのか?私。
そもそも、元からあまり社交的ではないのに……。

 

今は、現状維持バイアスが働いているだけかもしれないが、やっぱりゆっくり戻っていきたいな。

 

大切な人にようやく会えた後は特に、その余韻をしみじみ味わって、何に心が動いたか、何を大事に感じたかを、しっかり自分の中に定着させる時間がほしい。

 

とはいえ、第6波が来たら、またしばらく会えなくなるかもしれない。行けなくなるかもしれない。それを思うと、悩ましいのだけど。

 

ステイホーム。おうち時間。
ありがたいことに、私はそれなりに楽しむことができたからかな。日常のルーティーンもあんまり乱したくないなあ、なんて気持ちも働く。体力も落ちているしね。

 

もちろん、そうじゃない人も多いと思う。
でも、誰かを誘うとき、誘われたとき、今までよりもちょっと想像力を働かせてみよう、相手のコンディションを気遣ってみよう、そんなことを思う昨今だ。みんな、疲れていることはわかっているのだから。

 


私はこの秋はまだ、小さなキラキラに触れていたいかな。ドキドキするようなイベントは、もう少し先でお願いしたい。なんて贅沢かな。

 

でも本当にそう思う。今はまだ、優しい輝きを少しずつ集めるように、穏やかな気持ちで暮らしていたい。今日も小さなキラキラを見つけたよ、と。

 

✻待ち望んでいた状況が見えつつあるのに、戸惑っている自分がいます。そんな自分の心境も、メモしておこうと思いました。それでも、好きな人たちに会えるのはとても楽しみなのです。いっぺんに、が怖いのです。笑
今週は西城秀樹さんの特番をNHKオンデマンドで繰り返し観たりして、ゆったりラブリーな気分で過ごしました。(地上波での再放送を切に願っています!>NHKさん)

急に寒くなりました。今朝から少し、のどが痛む私です。
どうぞ皆さまもご自愛くださいね。

 

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懐かしい町をトコトコ歩く―名古屋・覚王山界隈

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今日も、日差しが強く夏のように暑かった。10月に入ったというのに、どうかしている。

 

それでも、空を見れば明らかに秋の色で、数日前から「もうそろそろ咲いて良い?」と言いたげに、金木犀が香り始めた。遠慮がちみたいで、ちょっと気の毒になる。

 

宣言が解除されてすぐの週末、青空に誘われて散歩に出かけた。いつものご近所散歩ではなく、夫と共に少しだけ離れた場所に出向き、歩いた。それこそ、「もうそろそろ良い?」という感じでの、遠慮がちな外出だけど。

 


地下鉄東山線の「覚王山」界隈。実はこの辺り、以前住んでいた町からはそう遠くない場所で、家からここまで歩いて来たことも数度ある、お散歩コースのひとつだった。6、7年ぶりに訪れたので、ちょっと懐かしさを覚えて嬉しくなる。

 

お釈迦様の御真骨が眠る日本唯一のお寺で、超宗派の寺院である日泰寺。この大きなお寺に続く参道には、味わいある古い商店とともに新しくできたカフェやショップが軒を連ねる。

 

ここが覚王山商店街。上手くバランスのとれたレトロとモダンの融合は、町歩きの楽しさを高めてくれるようだ。

 

日泰寺と参道で毎月21日に開かれる縁日は、昔から大変な賑わいだとか。一度くらいは通り掛かったことがあった気もするけど、よく思い出せない。

 

カレーと紅茶で有名な「えいこく屋」は健在だった。昔から知っているお店がちゃんとそこにあるって、妙に安心するものだ。30年くらい前に初めてここのカレーを食べたとき、美味しさと異国情緒に感動したなあ。

 

お洒落な器のお店、ハンドメイドの雑貨店、ステンドグラスハウスなどなど、気になったお店をのぞきながら歩くのはとても楽しい。今日の記念にと、小皿を2枚購入。

 

スイーツのお店も増えた気がする。行列の先にあったのは・・・高級芋菓子「しみず」? 今って、お芋が人気なのかな? ドーナッツのお店だと思っていた「ZARAME NAGOYA(ザラメナゴヤ)」はランチもあるのね。

 

娘たちとケーキを食べによく来た「シェ・シバタ」が、すっかりシックな装いにリフォームされていて驚いた。夫が写真を撮って、ファミリーLINEに上げていた。笑

 


そして今回の一番の目的地である「メルヘンハウス」へ。参道から1本、西に入る。

 

ここは、1973年3月、日本で初めての子どもの本専門店として誕生したものの、経営状況の悪化などで2018年3月に45年の歴史に幕を閉じ、移動書店などを経て今年8月、実店舗再開を果たしたお店。
(webサイト参照)


我が家の娘たちが幼かった1990年代に、当時今池にあったお店によく行ったのだった。長女が選んだ絵本のひとつは、ちょっとシュールな『ねこざかな』。今も家にある。

 


ねこざかな

 

え。魚が猫を飲み込んで、ねこざかなになっちゃうの?
もっとファンシーな優しい絵のお話を選ぶと思っていた私は、「本当にこれでいいの?」と念を押したっけ。笑

 

でも、その後、何度も何度もページをめくるお気に入りの一冊となり、いつの間にか私も大好きになっていた。

 

そんないくつもの楽しい思い出につながる絵本という存在は、親にも子にも、本当にとても大事なものだよね。

 

店主さんといろいろなお話をしながら、2冊の絵本を選び、今度孫娘たちに会えた時にプレゼントしようという、素敵な楽しみを得た。

 

「メルヘンハウス」は古い古いマンションをリノベーションした、居心地の良い明るいお店。改装の痕跡を見つけては、すごいなあと感心した。ちょっとレトロな風情も残しているのだ。この辺りには、そんな遊び心を大切にしたお店がたくさんあるように感じる。

 

「覚王山アパート」などは、その典型だろう。古い2階建ての木造アパートを改装し、アトリエを兼ねたショップとか、ギャラリーとか、古本カフェなどが入っている。

 

昔はどんな人が住んでいたんだろう?などと柱や階段を眺めるだけでも楽しくなる。エントランスも可愛くて、個性的なアート作品はなかなか面白いので、近くに行けばつい立ち寄ってしまう建物だ。でも、売れてるのかな?と、いつも心配になる……。

 


さて。
ここは結構坂道の多い町で、まあそこも魅力なんだけど。例によって、私は膝が痛くなってきた。暑さもあって、なかなかの疲労感。おなかもすいた。

 

「SideLish」(サイドリッシュ)というカフェで、豚の角煮オムライスなるものををいただいて帰路へ。夫はキーマカレー。美味しかったし、小さいが良いお店だと思った。このご時世でご苦労も多いだろうけれど、続いてほしいと願う。そう、たくさんの、良いお店に。

 

ゆったりとお店を見ながら歩くのは、やっぱり楽しい。こういう散歩が、またできるようになったのかな、と思うと素直に嬉しい。第6波がくるまでに、もう一度くらいは楽しみたいけど、どうなんだろう。できるかな?

 

マスクなしで、笑顔でお店の人と会話して。検温もアルコール消毒もなしで不安なくお店に出入りして……。
そんな町歩きを楽しめる日は、いつ来るのかなあ。

 

見上げた10月の空は無邪気に明るくて、ちょっと切ない。

 

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7冊目も、宝もの―ホ・オポノポノ手帳2022

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毎年、9月になると、来年の手帳の広告を目にするようになる。

 

ちょっと素敵なデザインだったり、目新しいコンテンツが加わっていたりすると、お洒落だなあ、面白そうだなあと興味を覚えるけど、私は今年も迷わず、ホ・オポノポノ手帳を購入した。

 

これで7冊目。

 

去年までの手帳をデスクの上の本棚に並べている。5年くらい前までのことって、わりと頻繁に記録を頼ることが多いので(私の場合)、こうしておくと便利なのだ。背表紙が揃って、なかなか美しい佇まいだと思う。

 

一番最初の2016年版を取り出して、パラパラとめくってみた。意外と書き込みが少ない。その前年までは、もう一回り小さい文庫本サイズを使っていたから、まだ使い慣れていない、という感じだろうか。

 

それでも、新しい手帳に親しんでいこうという気持ちが強かったことを思い出す。手帳を買ったことは、ホ・オポノポノとの出会いそのものだったから。

 

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現在使っている6冊目の2021年版も、あと3か月少しでこの棚に並ぶ。6年前は、こんなに買い続けることになるとは思っていなかったな。今では、この手帳とともに私の暮らしはある、とさえ言える。

 


手帳としてはごく普通なホ・オポノポノ手帳。特別便利なわけでもないし、紙質もきっと、ほぼ日手帳の方が薄くても裏写りしにくいなど使いやすいのだろうと思う(ほぼ日手帳は過去に1回購入)。

でもまあ、手帳って機能性だけでなく、自分にしっくりくるかどうかが大事なんだよね。もちろん、ライフスタイルによっても合う合わないがある。仕事の特性にもよるかな。

 

昔の私ではなく、今の私だからこそ、ホ・オポノポノ手帳が合っている、という話なのかも。この大きさ、この厚さ、この普通さが、現在のライフスタイルではとても使いやすい。


ホ・オポノポノ手帳に慣れてきて、自分なりに楽しんで利用できるようになってきたな、と感じているのがウイークリースケジュール欄。1週間を月火水と木金土日に分け、見開き2セットで展開しているのだが、見開きの左側は完全なフリースペースになっている。

 

淡い破線の2.5ミリ方眼の罫線入り。広々と使えるこのフリースペースが大きな魅力で、以前は空白のままにしてしまうことも多かったのだが、自然に工夫するようになったのだろう、去年あたりからバレットジャーナル風にも使えるようになってきた。

※バレットジャーナルとは、ノートを使ったタスク管理術。バレット=「・」を付けることからそう呼ばれる。米国のデザイナー、ライダー・キャロル氏が発案。

 

タスク管理もするし、To Doリストや思いつき、アイディアのメモ、気に入ったフレーズの書き写し、観た映画や読んだ本のタイトルの覚書きとちょっとした感想、新しい目標や夢も書き込む。最近はいたずら描きみたいなイラストも増えた。

 

絵や色の効用は大きくて、何かを思い出したいとき、このビジュアルが非常に役に立つ。○月の前半はこういうことをしていたんだ、ということも、文字を読まなくてもひと目で思い出せる。ああ、私、これが欲しかったんだっけ、そろそろ買おうかな、なんてことも頻繁にあって、買い忘れも防げるし、欲しくなった動機も思い出して楽しい気分になる。

 

本格的なバレットジャーナルは、多分、私にはできないけど(ちょっとメンドクサイ)、この左ページの自由度の高さのおかげで、かなりそれっぽいメリットを享受できているのではないかと、自分では思っている。いろいろ、サクサク上手くいくようになった。

 

✻バレットジャーナルをもし始めるなら、こんな感じがいいかな↓

tombow-funart.com

 

✻そして、ノートはオシャレなこちらを試してみたいかな♡↓


クオバディス ライフジャーナル ドット A5 ミント qv237984

 


社会人になり、中身を入れ替えて使う革のシステム手帳から始まった手帳ライフ……。
変遷はあったけど、思えば手帳って昔からずっと相棒感が強く、自分を勇気づけてくれる夢のある存在だった。

 

他の人がどんな手帳をどんな風に使っているのかにも昔から興味があって、手帳術などの本や、特集を組んでいる雑誌も手にしたことがある。参考にもしたし、自分はしないだろうな、と思う方法でも、感心しながら面白く読んだものだ。

 

断捨離にトライしている友人と「古い手帳、どうしてる?」みたいな話を、先日もして。ああ、私は捨てていないな、と気付いた。整理してまとめてはいないけど、多分、十数年分は家のどこかにあるはず。捨てようと思った記憶がない。

 

まあ、今後読み返すとも思えないのだけどね。
一緒に仕事を頑張って、自分の分身のように過ごしてきた手帳だもの、私は簡単には処分できない。友も同じだった。

 

予定だけ書き込んだカレンダーは捨てられるけど、気持ちを書き込んだ手帳はなかなか捨てられないのだ。
(だったらちょっとは整理してまとめておこうよ、私(^^;)

 


さて、2022年のホ・オポノポノ手帳。
手帳としてはごく普通と書いてしまったけれど、もちろんホ・オポノポノならではの特長がある。それは、これまで何度も書いてきたから、今回は割愛しようと思う。

 

2021年版とほぼ同じ内容で、もうこれで、スタイルはほぼ固まったのかな?
この変わらなさがまた、安心感でもある。新しいクリーニングツール、そして巻末のKRさんとヒューレン博士の対談ページは、新刊の書籍を読むような楽しみも与えてくれる。そこもまた、安定の心地よさ。

 

至るところに散りばめられた、心に響く言葉や気付きを与えてくれる言葉に、無理なくクリーニングを促してもらいながら、また、迷ったときには「おさらいホ・オポノポノ」を読み返して心を落ち着かせ、私は来年もこの手帳と共に歩いていこうと思う。

 

そして、私なりに手帳術の工夫を深めて、もっとパワーのある、もっともっと宝もの感のある存在に、この手帳を育てていけたら素敵だなあ。

 


毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2022

 

✻ホ・オポノポノについて書いた過去記事です↓

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✻昨夜、中秋の名月は見られましたか?あいにくの曇り空で、私は見られませんでした。残念!
でも、前夜の月には会えました。大きく輝いていた14番目の月。とても綺麗で、思わずあの歌を口ずさみたくなりましたよ。笑

中秋の名月は満月とは限らないとのことですが、今年はちょうど満月だったそうで。これから気温が下がり空気が澄んでくると、星も月も輝きが増してきます。夜空を見上げるのが楽しくなりますね。
次の満月は…10月20日のようです♪

 

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そろそろ、歩こうではないか♪

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季節の移ろいはなめらかではなく、後戻りしたり一気に進んだりして、人々を戸惑わせる。

 

この先まだ、暑い日も戻ってくるそうだが、今日などはだいぶ涼しい。朝晩はもうすっかり秋の気配だ。最近の私は、ほっとするような寂しいような、この時期ならではのちょっと落ち着かない気分になっている。

 

今まさに、去っていく夏。
・・・夏のうしろ姿は、他の季節のそれよりも哀愁たっぷりに見えるのは、何故なんだろう。

 


さて。
と、夏を見送っている自分の姿を、今、改めて見てみる。
これはやっぱり、ちょっとまずいよね。

 

わかっていたのだ。ずっと引きこもっているも同然だったのだから。猛暑だったり長雨だったりで、今年の夏も大変だったし。もちろん感染のリスクも避けたかったしね。

 

それでも、夏の間、家でちゃんと筋トレすればいいと思っていた。そのつもりだった。なのに、腰痛やら膝関節痛やらが続き、ヨガのゆるい動きすら、それどころか簡単なストレッチすら、思うようにできなかった。

 

そして、今、鏡に映っているこの私がいる。
ずっと食欲がなかったから、太った、というわけでもないのだが。筋肉が、まるでない。姿勢も悪い。
なにこの緊張感のないダラッとした姿。
・・・哀愁たっぷり。

 


整えなくては!
「涼しくなったら、腰が治ったら、頑張ろう」
と思っていたことを、今こそ始めようではないか。筋力をつけたい!

 

まだ少し痛みがあるから、最初はゆったりとでいいからね、と少しブレーキもかけつつ。

 

そうなのだ、思い出すのは、張り切り過ぎて悲惨なことになった過去の失敗。一度や二度ではない。学習して、自分。なんとかの冷や水、って言うでしょ。

 

まずは、歩こう。
痛みが出ない程度の距離から。

 


散歩。さんぽ。sampo・・・
なんてのんきでステキな響き。
私は散歩が大好きだ。多分、もの心ついた頃からね。

 

5年くらい前までは、どこまでも歩いて行けそうに思えたんだけどなあ。健脚だったあの頃が懐かしい。

 

✻6年前の今頃は私、こんな感じ。↓やっぱり、心身を整える時期って言ってる(笑)

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トコトコと歩く。
ただそれだけのことが楽しくて、ただそれだけのことで救われる気がしていた、あの頃。
歩けることがどんなに恵まれているかってことまでは、まだ思い至らなかったようだ。


✻これは3年前。膝を痛めている。ポンコツ感が出てきたのはこの頃?

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でもまあ、故障しないように少しずつ距離を伸ばして、筋力をつけていけば、そのうち長距離も歩けるようにきっとなる、と信じよう。きちんと脚のケアもして、ありがとうと声も掛けよう。
(ポンコツなんて自分で言っちゃだめだよ>私)

 


今朝、TVで「9月病」の話をしていた。
9月病。初めて聞く言葉だ。5月病みたいなもの?
“ながら”で聞いていたので、さっき改めてちょっと調べてみた。

 

9月病とは、夏に長期のバカンスをとるヨーロッパで生まれ、長い休みの後でなかなか仕事モードに戻れない人が、心身の不調に陥ることから付いた名前だそうで、近年は日本でも増えているとか。
(✻ウエザーニュース参照)


生活面での原因と、気候面での原因があるそう。

 

生活面では、夏バテからくる不規則な睡眠や食生活の乱れ、加えて去年や今年はコロナ禍での不自由さによるストレスなどが考えられるという。

 

気候面では、9月は台風やゲリラ豪雨など気象の変動が大きい時期であり、気圧の変化などに体がついていけないことが主な原因のようだ。また、秋が深まり日照時間が短くなることで起こる季節性うつ病が、近年見られる四季の曖昧さにより、早まって発症しているのかもしれない、とも。

 


医学用語ではないけれど、心身の病気の一歩手前である可能性があり、適切な対処をした方が良さそうだ。
(✻徳島県医師会参照)


だるい、食欲がない、頭が重い、気力が出ない、億劫、面倒、不安、いらいら、気分の落ち込み、集中困難、眠れない、朝起きにくい、などの症状が続いていたら、注意したいもの。

 

対処方法としては、まずは睡眠や食事などの生活習慣を整えること。

 

睡眠のリズムを作るために、寝る前にはPCやスマホを見るのを控える、朝は目から光を入れる、昼休みに15分くらい仮眠をとるのが効果的。食事は栄養バランスを良くするのはもちろん、朝食を十分に摂って血糖値を上げることを、睡眠覚醒のリズムを作るためにも気をつけたい。

 

それから、適度な運動をして、生活にメリハリをつけることも大事。ストレッチや軽い筋トレとともに、積極的に歩くことも勧められている。

 


私は今のところ、9月病の症状に当てはまるものはそんなに多くはないかも。あっても時々そうなる、程度かも。しかし、気圧の変化による不調があるのは、もうずっと昔から自覚しているし、確かに9月はちょっと「うつ」っぽくなりやすい気もする。

 

今は9月病ではなさそうな私だが、用心しよう。予防的にこれらの対処方法を意識して取り入れ、生活を整えていこうかな、と思った。そんなに難しいことではないのだし。

 

生活を意識して整えていけば、哀愁たっぷりな私の気分も姿かたちも、きっと整っていくだろう。笑
とりあえずそう信じて。そろそろ重い腰を上げて。

 

さあ、9月を歩き始めよう!
マスクの下で、口角を上げていこう!
小さい秋をまたひとつ見つけたと、そのたび優しい気持ちになれる9月の散歩は・・・

 

きっと楽しい。(*^-^*)

 

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オードリー・ヘプバーンという、特別な存在を思う―「尼僧物語」など

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これほど“生きにくい”夏はなかった。
きっと多くの人が、そう思っているのではないかな。毎夏、生きにくさを感じている夏嫌いの私でも、これまでの人生でワースト3に入るくらいの辛い夏だ。

 

COVID-19の影響は、この夏、去年よりも複雑に、より不穏になった感じがする。

 

感染が収まってくるどころか拡大した。それだけでも大変なのに、考え方の「分断」が次々と露わになり、発言ひとつにも気を遣うようになった。このやっかいなウィルスに対しても、ワクチン接種に対しても、オリパラに対しても。その他の夏の風物詩的なイベントに対しても。

 

あまのじゃくな私は、熱く語られれば語られるほど聞きたくなくなるし、同調圧力には反発してしまう。一方で、誰かが「良し」としているものを、声高に「NG」とは言えない、自説に自信のない自分もいる。何を批判しても、振り返れば自分の行動に矛盾が生じる気がするし。

 

誰かに強制されるのは絶対イヤだけど、自己責任で判断して選択していくことにも、ちょっとしんどさを感じ始めている。疲れてきた。

 

でも、医療の逼迫が深刻な今、自分のできることは何かをちゃんと考えなくちゃ。それはまず、医療現場の方たちにさらなる負担をかけないよう、セルフロックダウンすることだろうと、自分では思っている。

 

結構、ずっとやってるけど(笑)改めて。
疲れてきたけど、改めて。

 


それにしても、ため息が出ちゃう。

 

気が滅入ってくるのをなんとかやり過ごそうと思っていた矢先、治りかけてたぎっくり腰を、またズキンと痛めてしまった。ううう、前より痛いかも。弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂。昔、お世話になった方の訃報もあって、胸も苦しい。

 

気圧による頭痛があったり、ワクチン(ファイザー・2回目)の副反応で発熱・関節痛があったり、かれこれ2週間以上、どこかが「痛い」状態が続いている私。情けない限りだ。

 

そして、ちょうどその間、雨が続いた。デルタ株が台頭して感染爆発。引きこもれ、と言われたも同然な事態となり、おかげでネット配信の映画やドラマをかつてない勢いで観ている。ああ、腰が痛い。
(同じ姿勢が続くと、固まるのです~泣)

 

次女に薦められて、Amazonプライムビデオでドラマ『MIU404』を一気に観て、『大豆田とわ子と三人の元夫』(この春のドラマ)のマメコロス(勝手にマメコ呼び)から同じ脚本家、坂元裕二さんが書いた映画『花束みたいな恋をした』を観て、友人に「私たち世代に不足しているキュンキュンがもらえるから」と推された映画『糸』を観た。どれも、すごく良かった!

 

✻前回で「はな恋」のことも書いています↓

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そんなつもりはなかったのだが、これで完全に私は「菅田将暉ファン」と認定されたのかもしれない。「あなたにお勧め」として菅田くん出演の映画やドラマが出てきてしまうのは、まあ、仕方ないかー。いや、彼は素敵だけど、私のタイプとはちょっと違うのよね。まあ、いいかー。どうでもいいかー。

 


アマプラでは「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も観た。アニメーションを含めて日本の作品もとても素晴らしく楽しめるものが多い。
・・・でも、私はやっぱり洋画が好き。それも、古い洋画に惹かれる。近所に「名画座」があったら、絶対、通う!

 

私の両親は、特に映画好きという人たちではなかったので、私が古い洋画に惹かれるようになったのは、多分に女性誌の影響があると思う。

 

就職で上京し、親元離れて初めてのひとり暮らし。まだ20歳だった私には、女性誌の特集が生活全般の教科書だった。特に「MORE」が好きだったなあ。

 

ファッションはもちろん、旅行、インテリア、料理、年末の大掃除のやり方も、みんな「MORE」に教えてもらった。そう、映画の楽しみ方も。

 


80年代だった。「MORE」でもよく特集されていた女優が、オードリー・ヘプバーン。オードリーはハリウッド映画全盛期の大女優で、私の両親よりも年上になるのだけど、その存在を遅れて知った私は「この世にこれほど可愛い人はいない!」と一瞬でハートを射抜かれ、彼女の物語に夢中になっていったのだった。

 

それから、オードリー主演の映画をよく観るようになった。青山にあったベルコモンズ(懐かしいなあ!)で、定期的に昔の映画をかけてくれる企画があり、その案内ハガキが来ると、喜んで出掛けて行ったものだ。

 

この企画が大好き過ぎて、もらったハガキを今も捨てられずにいる。オードリーの出る作品では『いつも2人で』(1967年)『お洒落泥棒』(1966年)『パリの恋人』(1957年)を観たことが、このハガキでわかる。

 

あとはレンタルビデオとか、TVの洋画劇場とかで、彼女の主演作を追いかけてきた。

 

『ローマの休日』(1953年)『ティファニーで朝食を』(1961年)は、これまでいったい何度観たことだろう。
『麗しのサブリナ』(1954年)も『マイ・フェア・レディ』(1964年)も『シャレード』(1963年)も好き。
『パリで一緒に』(1964年)は変な話だったけど、彼女は輝くように美しく素敵だった。
『暗くなるまで待って』(1967年)は観たことあったのか、曖昧。
『昼下りの情事』(1957年)はまだ観ていないと思うので、何とかして観たい。

 


心がくたびれてしまったときには、オードリー・ヘプバーンに浄化してもらうのが一番!
私はずっとそう思ってきたので、今年に入ってからは特に、彼女の映画を求めている。今はネット配信があるから、ホント、ありがたい。

 

・・・でも、観たいと思ってる映画に限って、リストになかったりする。あっても別のサービスとの契約が必要だったり。まあ、ガッカリしたり悩んだりするのも、おうち映画を楽しむ醍醐味なのかもね。

 

で、U-NEXT で『噂の二人』(1961年)と『オールウェイズ』(1989年)を初めて観たのだけど、ちょっと物足りなくて。おや、どうしてかな?

 

・・・そうか。ロマンティック・コメディで見せてくれるあの純真可憐でいたずらっ子みたいな笑顔を、私は求めていたのかと思い至り、なんだかオードリーに対して申し訳ないような気分にもなってしまった。

 

「永遠の妖精」と呼ばれ、映画界のファッションアイコンとしてずっとアイドル的に扱われることに、もしかしたらオードリーは抵抗があったのかもしれない。ふと、そんなふうに思った。本来、真面目でシャイ。とても謙虚で決してうぬぼれ屋さんにはならないタイプ。

 

栄光に輝いても、彼女は他のスターとは違った。紛争地域で苦しむ子どもたちのためにユニセフでボランティア活動を続け、1992年9月、63年の生涯を閉じるまで、世界中の子どもたちのために尽くした。

 

そんな彼女の人生を考えながら、Amazonプライムビデオで『尼僧物語』(1959年)を選んで再生。第二次世界大戦前夜、厳しい宗教戒律を守らねばならない尼僧であることと、人としての良心が重要な看護師であること、相容れないふたつの立場で葛藤する、ひとりのベルギー人女性を描いたヒューマンドラマだ。

 

とても重いテーマで、信仰を持たない私には、かなり理解が困難と言えた。151分と結構長い。その間、あのお花が咲くような笑顔は、ほんの数度見られるだけ。

 

しかし、主人公の真面目さ、優しさ、慈悲深さ、真摯な姿は、演じる本人とシンクロし、強く印象に刻まれた。私はこれを観てますます、オードリー・ヘプバーンのことが好きになった。

 

こういう根源的な問いかけを、彼女はきっと一番したかったのではないだろうか。社会貢献という、自身の望む使命を重ねて。主人公がコンゴで現地人の赤ちゃんを抱っこする姿は、後にソマリアで化粧っ気もなく子どもたちに接していたオードリーそのものではないか。

 

本当に美しい人とは、こういう人のことを言うのだろう。

 


私がオードリーの映画に求めていたものは、実は、可愛らしさやエレガンス、スタイリッシュな楽しさだけではなかったようだ。それがわかったことが、ちょっと嬉しい。

 

にじみ出る「人としての品格」は、そう簡単に真似られるものではないけれど、残された綺羅星のような映画作品から、少しずつ学ばせてもらいたいと願う。

 

そんな風に自省し、静かな感動を味わっていると、ずっと胸に居座っていた憂鬱な気持ちが、だんだん薄められていくように感じる。ほらね、やっぱりオードリー・ヘプバーンが浄化してくれた。

 


オードリーには名言がたくさんある。どれも素敵なのだけど、今の私が特に心惹かれる言葉はこちら。

 

 For beautiful eyes,
 look for the good in others;
 For beautiful lips,
 speak only words of kindness.

 

  美しい瞳であるためには、
  他人の良いところを探しましょう。
  美しい唇であるためには、
  美しい言葉を使いましょう。

 

・・・素敵だな。
さあ、私も精進しなくてはね。


✻明日から、私の住む地域にも緊急事態宣言が適用されます。もう何度目になるのかな。厳しい残暑も続きます。皆さん、どうかどうか、ご安全に。からだもこころも、きっととても疲れていると思います。ご自愛くださいね。

 

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夏嫌いを克服できるかな?―ビー玉とか「はな恋」とか

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立秋を過ぎ、暦の上では秋になったが、危険レベルの猛暑はまだしばらく続きそうだ。

 

何もしなくても、暑いというだけで夏は疲れる。特に後半は疲労がたまってきているので、意識して心身をいたわりたいもの。昨年に続きコロナ禍の中で迎えている今年の夏は、なおさらだ。マスク、息苦しいね。

 

夏、という言葉は好きなんだけど、実際は夏が嫌いな私。
汗かくのイヤ、虫多いのイヤ、日焼けイヤだし日焼け止め塗るのもイヤ。
豪雨とか台風とか熱中症とか、心配事がいっぱい。
寝つきは悪いし、食欲はなくなるし、頭はぼーっとするし、体はだるいし・・・

 

いつからかな、本当にこの季節が苦手になってしまった。

 

でも、あんまり「嫌い嫌い」言ってても、毎年逃げられないわけだし、嫌ってばかりいるのもつまらない。嫌うって、なんだか負のエネルギー使ってメンタルに悪そうだから、できるだけその感情を遠ざけたいという思いもある。

 

それで私、今年は夏の「悪口」を控え、良い所を褒め(笑)、夏嫌いを軽減しようと努めているのである。まずは、夏が好きだった子ども時代を思い出して・・・

 


しかし、そもそも子どもの頃の夏は、今のような暑さではなかったよ。エアコンなんてなくて、6月になると扇風機が登場。それでひと夏、困らなかったと思う。そしてもちろん、夏休みという楽しみもあったから、夏が好きでいられたのだ。

 

プール開きの日は、ドキドキした。まだ水は冷たいんじゃないかと、恐る恐る足から入った。最初のうちは冷たいけど、しばらく水の中にいると、水の外に出たときの方が寒く感じられるのが不思議だった。

 

ちょっと潜って、下から水面を見上げるのが好きだったな。喧騒が遠のき、青空が水の向こうに揺れてキラキラと輝いて、なんて素敵な世界なのかと思った。

 

市営プールに行くときは、母がお小遣いをくれた。プールの近くに屋台が来ていて、行きはアイスが食べたいなあと思っていたのに、帰りにはアツアツのタコ焼きが食べたくなるのが可笑しかった。そう、1時間も水で遊ぶと体はしっかり冷えて、震えるほど。照りつける太陽の存在がありがたかったのを思い出す。

 

今はアブラゼミばかり幅を利かせているようだが、昔はミンミンゼミの声をよく聞いた。
ミーン、ミン、ミン、ミン・・・
という音は眠気を誘い、のどかなお昼寝のBGMとなった。

 

母がお腹に掛けてくれたタオルケットは、確か淡い水色。窓の外には、白い入道雲。わずかに揺れている風鈴の短冊・・・

 


毎年ではないが、家族で海水浴にも行った。山にも行った。紫外線のことなんて、何にも気にせずに、真っ黒に日焼けして遊んだものだ。日焼けは平気だけど、後で皮がむけるのは、幼いながらも恥ずかしかったなあ。

 

民宿とか旅館とか。家でない所にお泊りするのが、とても新鮮で嬉しかった。父も母も、普段と違う様子を見せてくれるし、夏休みの絵日記に描いた通りの、にこにこ顔が多かったと思う。

 

清水に住んでいたときは、父が鈴虫を飼っていた。近所には畑や蓮池があって、バッタやザリガニを捕まえるのも面白かった。今思い返すと、なんでああいったものが触れたんだろうと、ちょっと鳥肌がたつけど。

 

縁日。港まつり。花火大会。そうそう、きも試しや林間学校での百夜話も忘れられない。夏には夜の楽しみもたくさんあったね。

 


そんな風にノスタルジックな夏を思い出しても、もう子ども時代には帰れないし、当時とは最高気温も全然違ってしまっているわけで、あの夏を再現することはできない。そもそも、ステイホームだし。

 

ならば、もっと小さな夏の工夫はどうだろう。

 

小学何年生のときだったかな。ベランダに咲いていた朝顔を、かき氷用の製氷カップに入れて、水中花ならぬ氷中花を作って遊ぶのが楽しかった。今は、フラワーアイス、なんて呼ぶのかな?ガラス皿に乗せて飾り、食卓の中央へ。母が褒めてくれたっけ。
また、作ってみようかな。朝顔、ないけど。

 

そうだ。食べられるハーブの花などを、アイスキューブに閉じ込めて、冷たい飲み物に入れるのもお洒落だし楽しそう。ジュースやハーブティーはもちろん、ウイスキーの炭酸割りにも合うかもしれない。

 


水や氷を連想させるもの、例えばビー玉などを、ちょっと目に入る所に置くだけでも、「涼」を演出してくれる小さなオブジェになる。

 

私は先日、塩スイカラムネというものを見つけて買って帰ったのだが、飲み終えてから夫が取り出してくれたビー玉があまりに可愛くて、窓辺に飾ってしまった。笑
(昔はビンを割らないと取り出せなかったけど、今は違うのね)

 

朝の光を受けてキラキラ輝くビー玉。光の粒が散乱して、小さな宇宙をつくっている。

 

ああ、綺麗だなあ、ビー玉ってこんなに魅力的だったかなあ、と思って、写真に残しておきたくなった。

 

涼し気で、楽し気で、詩的。
こんなささやかなあしらいなのに、ちゃんと心が癒されたことを実感できた。
そして、ついでに夏のこともちょっとだけ、好きになった。

 


週末は、夫とふたり、家で映画を観た。
『花束みたいな恋をした』という、可愛らしいタイトルの。

 

この春放映されていたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』がすごく好きで、終わってしまって寂しかったのだけど、同じ坂元裕二さんの脚本で映画があると知って、独占配信中というU-NEXT にアクセスした。(31日間、無料トライアル♪)

 

私はひとりで翌日もう一度観て、同じところでもう一度泣いた。やっぱり私、坂元裕二さん脚本の作品って好きだ。優しくて可愛くて愛おしくて、でも結構深い所をえぐってくる。「きっついなあ」と辛くなる。余韻が長い。

 

夢見た頃の「世界の美しさ」は、夢が損なわれることによって、より輝くのだろうか。もう取り戻せないと知って余計に、眩しく貴く思い出すのだろうか。いやむしろ、目を背けたくなるのだろうか。

 

思い描いた自分になれなかった、思い描いたふたりでいられなかった。生きていくためには現実と折り合いをつけ、周囲の大人たちにまみれながら、なんとか前に歩いていかなければならないから。例え、自分がかつて軽蔑していたような、ああはなりたくないと思っていたような大人に、なってしまっていても。

 

そういう思いを経験した若者たちは、きっとずっと昔からいたはずだ。そんな「元若者たち」にもきっと、この映画は刺さるんじゃないかな。

 

ふと花束のような恋の日々を思い出す。それは甘く懐かしいだけでなく、残酷な一面も、きっとあるよね。それって、5年後の回想と30年後の回想とでは、どんな風に違うんだろうね。花束の色や香りは、変わるのかな。

 

ふわっと可愛いタイトルだし、W主演の菅田将暉くんと有村架純ちゃんも可愛くて、セリフも軽快で洒落ていて、軽く楽しむ気持ちで見始めたけど、甘かった。見終わると、ふんわりどころかズンと重い宿題が残されたように感じる。そう、私も「元若者たち」のひとり。

 

公式サイト

hana-koi.jp

 


映画館にも安心して行ける日が、早く来てほしい。でも、ネット配信の便利さも本当にありがたい。猛暑とか感染拡大とか、外の環境が悪ければなおのこと、ありがたさが身に染みる。(そして今、私、10年ぶりくらいにぎっくり腰!)

 

観てみたい映画は山ほどある。もう一度観ておきたい映画も山ほどある。Amazonプライムビデオのウォッチリストも、U-NEXTのマイリストも、たまっていく一方だ。

 

夏バテしている場合じゃない。

 

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