一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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嵐のような彼女

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天気予報では確か晴れると言っていたはず。バスタオルを外に干そうか迷いながら、私は空を見上げた。昨日の朝のことである。

 

なんとなく雲行きが怪しい。買い物に行った後、早めの昼食をとると頭が重くなってきた。気圧のせいかもねと思いながら、少し横になることにした。

 

風が鳴り始め、気のせいか建物が揺れた感じもした。雷の音も聞こえてくる。横になってはみたものの、寝ていられないような胸騒ぎを覚えて立ち上がり、TVをつけた。そのとき電話が鳴ったのだ。彼女だった。

 

今、近くに来てるんだわ、多分。引越し先、この辺かなあって、出先からの帰り道にナビを見たら想像以上に近かったんだ。ねえ、今日、あいてる?行ってもいい?ケーキ買いに行こうよ、誕生日のお祝いしよう!

 

具合の悪いのが一度に吹き飛んだ。あの子ったら、来てくれたんだ!

 

突然の訪問でも嬉しい、そんなお客は限られる。彼女はそのひとりなのだった。15歳のときからの親友。この春には、出会って40年ということか。ふたりとも2月生まれだから、記念すべき誕生会ということになる。

 

近所のケーキ屋さんまで彼女のクルマで行った。はっきり言って荒天だ。雨はさほどでもないが、風が強く吹いている。そして、まだまだ荒れそうな気配。

 

「嵐が来るかと思ってたらあなたが来た」と私が言えば、「そうでしょう!嵐を呼ぶ女だからね、私は」と大笑いする彼女。

 

相変わらず快活で元気いっぱい。でも私は知っている。そんな彼女がどんなに心優しく、傷つきやすく、デリケートな女性であるかということを。

 

家に戻り、コーヒーを飲みながらケーキをいただく。近況報告から懐かしい昔話まで、話題は尽きない。2回離婚をし、子供を4人産み育て、家を3回買った彼女は、私とはまるで違う人生を歩んでいるが、彼女の気持ちはわかっているし、いつも心の底からエールを送ってきた。そしてきっと、彼女も。なかなか頻繁には会えないけれど、ずっと胸のどこかに温かく存在していてくれる、そんな友がいることに感謝したい。

 

彼女は強気な発言で誤解されることもあるようだ。しかし、強がらなくては自分や子供たちを守っていけなかったという背景がある。実際は愛情深く、弱っている人を見ると手を差し伸べずにはいられない、本当に優しい人なのだ。そして、私は彼女の強さやバイタリティ溢れる行動的なところ以上に、そんな部分を尊敬している。

 

別れ際、彼女が私の手を取り、涙ながらに言った。自分はひとつの家庭をずっと守ることはできなかったけど、あなたはそれをやってくれている。ありがとう。私はそれが嬉しい、と。本当に嬉しいのだと。

 

彼女がどれほど苦労をしてきたか、そして頑張ってきたかを知っているから、私は余計なことは言えなかった。ただ、あなたは私の誇りだよ、と。ただそれだけを伝えて別れた。

 

人生にはいろいろな形がある。人の数だけあるのだ。その形に正解はないし、悔いを残すも残さないも本人の気持ち次第だ。ひどいなと思えるような人が胸を張ってる場合もあれば、その逆もある。嵐のような人生も、凪いだ海のような人生も、みんな大事な人生だと思う。自分の大切な人がどんなに荒海を漕ぐような人生を送ってきたとしても、それを非難することなど絶対できないし、その涙や悔しさはむしろ全部いとおしい。

 

デモ、アタシタチモモウ50ダイナカバヨ。これからは、もうちょっと、そう、もうちょっと穏やかな航海をしたいよね? 無理はしないでいこう、お互いにね。大丈夫。これからもっと、きっときっとうまくいくよ。

 

今朝も風は強かったが、空は打って変わって青く澄んでいた。川沿いの道を歩きながら、銀色の柔らかな毛に包まれた白木蓮の花芽を見上げ、今年も春が来てくれる、そんな当たり前のことにも「ありがとう」と言いたくなる自分に気づいた。

 

何にでも「ありがとう」と言いたいね、言っていこうね。それは昨日、彼女と交わした約束なのだった。