一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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糸始末まで、心を込めて

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器用な方ではないけれど、手芸とか工作とか、昔から私、結構好きなのである。仕事が忙しかったり、目が悪くなってきたりで、ほとんど何も作らなかった時期が長くあったけれど、最近になってまた、小さなものなら作りたいと思うようになってきた。まあ、シニアグラスをお伴に、だけど。

 

最近は、刺しゅうが楽しい。何十年ぶりかで、チクチク刺している。

 

昔、学校の授業で習ったから全くの初心者ではないし、色とりどりの刺しゅう糸、刺しゅう針や刺しゅう枠も、まだ手元にある。刺しゅう糸って本当に綺麗で、模様替えや引越しのとき、道具箱に入っているのを見つけるたびに、「ああ、この糸を使ってそのうちまた、何か刺しゅうしたいな」と思っていた。

 

ただ、「じゃあ何に刺しゅうをするの?」というところで、この案件はいつも「検討中」フォルダに戻るのだった。ハンカチ?クッション?ブラウスの襟?うーん・・・なんか違う。

 

刺したいものが、見つからない。それでもちょっと何かに刺しゅうがしたい。そんなぼんやりした気持ちに火を付けたのは、書店で手に取った一冊の図案集だった。

 

桜井一恵さんの、その名も『刺しゅう図案集 愛しの草花、雑貨、風景…、日々の暮らしのスケッチ』(日本ヴォーグ社)という本で、パラパラめくるうちに、すっかり惚れ込んでしまったのだ。

 

とにかく、そのテイストがとってもお洒落で、可愛い!
本当にスケッチ画のような刺しゅう作品で、ナチュラルな細い線と優しい色使いに癒される。よくぞこれを図案化してくれた、という感じだ。

 

というわけで、簡単そうなデザインからチクチクを始めてみた。とりあえず刺しゅうをしたいがために、特に装飾を必要としているわけでもないその辺のカバーとかに、チクチクしている。次女のお弁当袋を手作りしてあげることになったのも、単に私が刺しゅうをしたかったためという、よくわからない展開になっている。

 

ブローチも作ってみた。手持ちのどの服に合うのかわからないけど、まあ、シンプルな布製のトートバッグに付けても可愛いし、と思って。刺しゅうを合わせる相手をいろいろ変えられる、ブローチという形態は便利だな。

 

トレーシングペーパーに写し取った図案を、布にチャコペーパーとトレーサーで写す、という作業が一番、大変で苦手。麻布など目が粗い布を使うことが多いので、なかなかきれいに線が写らないのだ。水で消せるチャコペンでなぞって、何とか下描きらしくした。

 

チクチクするのは、本当に楽しい。一針ずつ、好きな色の糸を布に載せていく作業は大好き。昔、習っていたとはいえ、覚えているステッチはほんのわずかだ。桜井さんの本の後ろの方にあるステッチの説明を見て、「おお!なるほど。こうすればこういう形になるのか」と、感動しながら刺し進めていく。

 

そして、仕上がりが近づくワクワク感。でも実はこれ、嬉しいけどちょっと曲者で。

 

桜井さんの図案はシンプルだし、私は小さなものばかり作るのですぐに完成が見えてくるのだが、「あと少し」と思うと何故か心が先走り、焦ってしまうのだ。「次、こうしてこうやったら、出来上がり!」と思うと、夢中になってしまう。

 

で、刺しゅうした布の裏を見ると・・・「ああ!」となることがある。後で糸始末をするために放置してある刺し始めの糸(10cmほど)を、途中から巻き込んで刺しゅうを進めてしまっている。

 

こういうとき、やり直すかどうか一瞬迷う。裏だから、見えないし。

 

でも昔、学校の先生が言っていた言葉がよみがえってくるのだ。
「刺しゅうが上手な人は、裏も綺麗」
と。

 

別に学校に提出するわけじゃないし、裏を人に見せるわけでもない。でも、なんとなく気持ちが悪くって、結局、やり直す私なのだった。「ドンマイ。もっと落ち着いて丁寧に刺していこうぜ」と自分を励ましながら。

 

裏まで気を配って仕上げる。糸始末まで綺麗に整えて、刺しゅうは初めて完成なのだ。

 

私は仕上がりを急ぐあまり、変に焦るところがある。それは刺しゅうだけでなく、手芸だけの話でもなく、仕事においても家事においても、時々見受けられる性質だ。尻切れトンボ的というか、詰めが甘いというか、「もうこれでいっか」と最後に手を抜いちゃう。

 

それでこれまでの人生、何度残念な思いをしてきたことだろう。せっかくそこまでキチンとやってきたのに、最後の最後で台無しにしてしまうという残念さといったら。

 

「わかっているのに、なんでそうなの」
と自分を悔しがる。面倒くさがり屋のくせに、手を抜く自分であることは嫌なのだ。往生際が悪く、そこがまた悩ましい。そんな性格も自分でよくわかっている。だったら、面倒くさい自分が出てくるたびに、注意信号を出すしかないのだ。反射的に。

 

丁寧に仕上げよう。裏も美しい刺しゅうは、実に気持ちのいいものだからね。
うんうん、本当にそうだよね。面倒がらずに、最後までね。

 

仕上げの頃、自分の中で会話する。刺しゅう布の裏側の糸始末をしながら、最後まで気を抜かずに心を込めるということを、訓練させてもらっている私なのだった。ちょっと成長している。