一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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心に流れる挽歌と共に―「生きる」と「アラバマ物語」

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モノクロの映画を2本、観た。
黒澤明監督の「生きる」(1952年公開)と、ロバート・マリガン監督の「アラバマ物語」(1963年公開)だ。

 

「生きる」を観たのは、先日取材したドクターのお話にこの映画が出てきて、興味を覚えたからだった。志村喬演じる主人公が、「死」を前にして初めて「生きる」ことについて真剣に考え行動するというお話で、すごくスケール感があるというわけではないのだが、私はこの映画を観て自分の死生観が大きく動かされた、と感じた。

 

古い日本映画は実は苦手で、画面の暗さやセリフの不自然さに馴染めず、なんとなく避けてきたのだが、この作品は惹き込まれるように見入ってしまった。

 

光の使い方が上手なのだろう、モノクロだけど暗さはさほど気にならず。むしろ、モノクロだからこその陰影が、大切なシーンを印象深いものにしていて美しかった。

 

セリフは「やっぱり自然な感じではないかも。この時代を体験していないからね」と思いながら聞いていたが、そのうちに自然に聞こえてきたから面白いものだ。ナレーションも軽妙で、突き放した言い方がなかなか洒落ていた。

 

命のリミットを知ったとき、死ぬまでをどう生きるか。

 

重いテーマではあるが、登場人物の可笑しみのあるキャラクターと構成の妙が奏功し、単なる悲劇になっていない。でも、後からジンジン効いてくる感じで、「命」について考えずにはいられなくなる。

 

私はまだ生きていて、何かにまだ間に合う。

 

そう感じることができたから、考えずにはいられなくなるのだと思う。そんな優しさもこの映画は届けてくれていた。

 

これまでの私の死生観はどこかシニカルで、ちょっと投げやりで荒っぽかった気がする。どんな風に生きたって、人はいつか死ぬのだと。大したことじゃないよ、くらいに思おうとしていたような。

 

それは、実は大切な人を失うことへの恐怖の裏返しだったのかもしれない。自分にもいつか訪れる死。意識すれば急ぎ足でやってきてしまうような気味の悪さも、なんとはなしに感じていた。

 

考えたくないために、単純化し矮小化しようとしていなかったか。今、例えばあと3ヶ月の命、とわかったら、自分だったらどうする?

 

そんなことを考え始め、思索の世界を彷徨いだした頃、義父が他界した。

 

・・・あれから2週間以上が過ぎたけれど、心にまだ挽歌が流れ、「生きるとは、死ぬとは」との問いかけ、思いは複雑になる一方だ。

 

部屋中を南国のフルーツのような香りが満たした約十日間は、ずっと酔っているようだった。葬儀の折の供花を帰りにたくさんいただき、4つくらいの花瓶に活けて、我が家は俄かに花園のようになったのだが、その中で大輪の百合の花が、特に強く香っていたのだった。(この季節にすごく長持ちしてくれた)

 

そんな百合の香りの中で、「アラバマ物語」を観た。こちらは30年代の米国南部の小さな町でのある事件を描いた物語で、人種的偏見の根強さに対峙する、グレゴリー・ペック演じる弁護士の正義感と勇気と父性が光る名作。

 

人種問題を取り上げたモノクロ映画、ということで、こちらも暗く重くなりそうなものを、いやな重苦しさを全く感じさせないドラマになっていた。弁護士アティカスの素敵な人間性や、子供たちの好奇心と純真さがあまりにもキラキラしていたからだろう。

 

この映画、6歳の少女スカウトと、その兄ジェムの成長物語でもあり、闇夜の冒険や大人たちへの可愛い反抗など、微笑まずに観ろというのは無理な話なのだ。見てはいけないと言われれば見たくなるし、行ってはいけないと言われれば行きたくなるよね!それが子供というものだ。

 

生命力に溢れたような彼らの存在は、しかし、心無い大人がその気になれば簡単に摘み取ることが可能なはかない存在でもある。あわや、のシーンには戦慄した。

 

子供たち。

 

そうなんだ。子供たちを見れば、命がどんなに尊いものかということが、ストンと納得できるのだ。

 

あの日、義父の訃報を聞き、遠方から長女夫婦がお別れに駆け付けてくれた。生後4か月の孫娘を伴って。

 

不幸な出来事ではあったが、図らずも彼らと数日を過ごすという幸せを味わうこともできた。

 

生まれたばかりで頼りなく、抱っこするのも怖いくらいだったあの赤ちゃんが、もう寝がえりを打てるようになっていた。目が合うとニッと笑ってくれる。純真無垢な笑顔。長いまつげの下のキラキラした瞳。ほっぺたのてっぺんに宿る光。

 

やっぱり、生命ってすごい。生きてるって不思議。命って美しい!

 

この世に生まれてきたことに、理由があるのかはわからない。何のために生きているのか、なんて、おいそれと答えられるわけがない。しかし、死を軽んじてはいけないと思う。また、恐れ過ぎるのも違うと思う。

 

死は、生の先に必ずあるもの。誰にも等しく訪れるもの。

 

謙虚に受け止めて、今をただ、一生懸命生きよう。今生きていることに感謝しよう。

 

そんな当たり前のことを、義父の亡くなった後、噛みしめるようにつぶやいている。ちゃんとできていなかったから。

 

私はまだ生きていて、何かにまだ間に合う。・・・さあ、これからどうしよう?

 

思索の旅は続く。