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理想の庭を考える―「フラワーショウ!」と「マイビューティフルガーデン」

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観たかったのに観逃してしまった映画はたくさんある。「フラワーショウ!」(2014年・英国)もそのひとつ。アマゾンビデオで観られると知り、先日、嬉々としてTVの前に座った。

 

自然豊かなアイルランドの田舎で育った若い女性が、ケルト文化の香り漂う自然をテーマにデザインした庭で、ガーデニングの権威ある世界大会、チェルシーフラワーショウの金賞を史上最年少で獲得するまでを描いた、実話に基づくサクセスストーリーだ。

 

わずか8枠に2000人の応募。お金もコネもない中、応募さえ危ぶまれたが見事合格。しかし出展が決まってからも資金繰りや人集め、植物の調達、と苦労が続き、短期間での施工(庭造り)でも、最後までピンチの連続。

 

しかし・・・
「現代の庭園は自然本来の美しさを見失っている」と訴え、人と自然は共存できると信じ、そのための庭造りを世に送り出す必要性を説く彼女の信念、そして、揺るぎない植物たちへの深い愛が、人を動かし、スポンサーを呼び、植物さえも味方してくれたのだった。

 

踏まれても踏まれても諦めない、主人公エミリー(エマ・グリーンウェル)の雑草魂?にも感動したけれど、登場する植物(ほとんどが野草と呼ばれているものたち)のひとつひとつの造形美と、彼女の生まれ故郷アイルランドや、訪れたアフリカ・エチオピアの自然描写に惹き込まれた。あんな大自然の中で自分のミッションを確信したら、恐れるものなど何もなくなるだろうなあ。大スクリーンで観たかった。

 

去年の暮れに映画館で観た「マイビューティフルガーデン」も、若い女性を主人公にして庭を扱った英国映画。こちらは実話ではなく、限りなくおとぎ話に近いが、やはり自然への愛と畏敬を込め、自然の力を借りて庭造りをするという骨格だった。

 

予測不能な自然を恐れ、植物を嫌うベラ(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)は、借りているアパートの庭を放置しすぎであることを理由に退去を迫られる。1か月以内に庭を元通りにしなければならず、犬猿の仲となっている隣家の老人に助けを求めることになる。この老人、アルフィーが、自宅の庭をベラに見せながら「カオスに美を見出すこと」と教えるシーンが素敵だった。

 

自然は制御できない。人は謙虚になって、この自然の力を"お借りして"、自然に調和したデザインで庭を造り、その恵みを楽しませてもらうのだ。そこには美しい混沌と優しい秩序がある。

 

理想の庭とは何だろう。ふたつの映画は、庭造りというものへの根源的な考え方を探るという点でも、共通している。さすがはガーデニング大国、イギリスだ。

 

ところで、そのイギリス。元々は自生樹木の種類がとても少ない土地柄だったらしい。16世紀以降、海外に進出する中で、世界中の豊かな植物の存在を知り、憧れ、持ち帰り育てようとしたということだ。最初は王立の植物園などで研究をされ、貴族階級の園芸趣味の流行があり、やがては庶民階級にも広がっていき、ガーデナーという国民気質が根付いていったようだ。「憧れ」の力はすごい。

 

私の好きなTV番組「猫のしっぽ カエルの手」。京都の古民家で素敵な庭造りをしているハーブ研究家・ベニシアさんも、イギリス出身の女性だ。子どもの頃から大好きな「ピーター・ラビット」も、イギリスの湖水地方が舞台。

 

実は私はフランス贔屓なのだが、今、ちょっとイギリスに「憧れ」のようなものを抱いている。人々が愛し育ててきた自然、その自然と調和した居心地の良い庭、その庭を彩りながら自らも生命を謳歌している植物たち。いつか、彼の地を訪れてこの目で確かめてみたい。

 

さて、庭のデザインも奥が深いが、ひとつひとつの植物のデザインこそ、細かなところまで本当に素晴らしいと思う。

 

自然はときに荒ぶる神のごとく暴れるが、限りなく繊細な創造主であることは間違いなく、小さなベランダの鉢の中にも、その圧倒的な美は容易に見つけることができる。マクロレンズ越しに葉っぱを覗けば、そこに宇宙が広がっている。虫メガネでもいい。お勧めしたい。

 


公式サイト:

フラワーショウ!

マイビューティフルガーデン