一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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「ひとり暮らし」してた、懐かしい町へ

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最近、「ひとり暮らし」という言葉が、私の頭の中を巡っている。次女が「そのうちひとり暮らしをする!」宣言をしたり(時期等未定)、大学生になった姪っ子が、岐阜の実家を離れ、我が家の近所でひとり暮らしを始めたりしたせいだろうか。

 

新聞広告で見てなんとなく気になっていた『ていねいなひとり暮らし』(shoko著、すばる舎)を買い、あらこの人もご近所だわ、どんな方かしら、などと思ってみたり。ひとりでも、こんな風に丁寧にスッキリと暮らせるなんて偉いなあ、と感心してみたり。

(その後、インスタグラムでshokoさんはふたり暮らしとなりお引越しをしたと知る。おめでとうございます!お幸せに♡)

ホント、こんな暮らし方できなかったな、私には。

 

20歳の3月から26歳の8月までの約6年半、ひとり暮らしをした。最初の半年は会社の寮で、後の6年間は目黒のアパートで。

 

先日、1泊2日で上京した折、ふと気が向いて、このアパートのあった町を訪れたのだった。代官山からバスに乗って、月光原小学校前というバス停で降りる。この小学校の名前、昔から「素敵だな」と思っていた。

 

狭い道を縫うように、バスも自家用車も走っている。こんな場所にどうやって駐車したんだろう、というクルマもよく見かける。東京の人は運転が上手なのかな。

 

私には懐かしい町だが、同行の夫には何の変哲もない町。せっかく東京に来たのに、次の日は彼は仕事なのに、なんだか申し訳ない。けれど、珍しそうに楽しそうに、一緒に歩いてくれた。

 

私の住んでいた建物はもう跡形もなく、見覚えのある家や店もほとんどなかった。それでも、この道をこう曲がって投票所に行ったなあとか、大雪が降った朝、この辺りで転んだっけとか、歩いていると細かな思い出がよみがえるから面白い。

 

生まれて初めて明太子おにぎりを買ったセブンイレブン、その脇の釣り堀のある清水池公園が健在だった。噴水前の、置物だと思っていた大きな鳥が動き出したのでビックリ。あれは鷺?鶴のように大きかったけど。

 

4月の、光る風がそよぐ。「帰って来たよ」とつぶやいてみた。怖れていたよそよそしさは全く感じられず、「お帰り」と言われた気がした。

 

ここに住んでいる間、辛いこと、苦しいことも多かったけど、若かった私はたくさん夢を描いたし、物語を紡いだ。武蔵小山駅からの帰り道にある商店街は、当時、活気があって、店の人が気さくに声をかけ夕食のヒントを教えてくれた。仕事でうまくいかなかった日も、家に帰るまでには笑顔になっていたりして。元気をもらっていたのだろう。

 

散歩するのが楽しい町で、桜並木の道、すずめのお宿緑地公園、サレジオ教会、林試の森公園などなど、お気に入りの場所をいろいろ見つけたなあ。お隣の碑文谷の町は高級住宅街で、お家や庭を見て歩くだけでも楽しかった。

 

思い出はいい感じに風化して(笑)、優しい気持ちで懐かしめるようになっている。深呼吸しながら、ああ私、この町がやっぱり好きだなー、と素直に思い、そんな自分に安心した。いつか、東京に帰りたいな。

 

次女が本当にひとり暮らしを始めたら、きっと寂しくなる。でも、応援したい。遊びに行きたい(笑)。狭くても自分のお城だ、好きなものだけに囲まれて暮らす夢は、楽しくないはずがない。不安や寂しさもエッセンスにして、人生の冒険を楽しんでほしい。

 

さて私は、この先の人生、またひとり暮らしすることがあるだろうか。夫よりも先に逝きたいと願っているので、ちょっと考えにくい。でももし、そういうことになったとしても、どんなに年を取っていたとしても、毎日を「希望」とともに暮らしていたいと思う。できれば、丁寧にスッキリとね。