一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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少女時代の忘れものを胸に抱いて―西城秀樹さんと少女マンガ

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梅雨空には紫陽花。と、すぐにセットにしがちだけれど、真っ白なクチナシの花も雨によく似合う。どこからか香ってくれば、思わず周囲を見回して探したくなる。なんとなく、異世界から呼びかけてくるような、ちょっと神秘的な甘い香りだ。

 

じわじわと、くる。
5月16日に彼が亡くなって、もう1カ月以上が過ぎた。西城秀樹さん、享年63歳。

 

訃報を聞いたときはもちろんショックだったけど、それでも、遠い昔に好きだった芸能人が他界してしまった、という程度の認識だった。こんなに後から後から、彼の歌声が、歌う姿が、胸によみがえってくるとは思わなかった。

 

気がつけばYouTubeで彼の歌う姿を追い、涙を流している。なんと、私の手の中で彼は歌う。スマホの振動が、彼の命の拍動のようで切ない。HIDEKIの思い出…。ただし、10代の…。

 

思春期の頃、レコードを何枚も買った。テレビの歌番組で姿を追った。映画『愛と誠』を観に行った。

 

でも、ファンクラブに入らず、コンサートにも行ったことがない私など、コアなファンの人たちの足元にも及ばないだろう。ただ、彼が歌う姿を見ることが、声を聴くことが、地方に暮らす冴えない一中学生の日常を輝かせてくれていたことは間違いない。彼のまぶしい笑顔が大好きだった。

 

中学3年生になって、受験を前に「もうHIDEKIを卒業しよう」と決意したことを覚えている。勉強しなくては、という気持ちもあったけれど、あまりにも人気者になり過ぎた彼に好意の寄せ方がわからなくなってきた、ようだった気がする。

 

高校生になり、テレビに出演する姿やCMを見れば、やはり素敵だな、美しい人だな、と思っていたけれど、レコードは買わなくなっていた。20代の彼は、もう私をときめかせてくれた人とは違う人になっている気がしたし、ハイティーンになった私は他のたくさんのことに興味が広がって忙しかったり、リアルな恋もしたりで、だんだんテレビも見なくなっていった。

 

だから、彼の代表曲のように言われている「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」も、私にとっての彼の代表曲ではない。大ヒットしている頃、「うーん、それはあんまり好みじゃないかも…」なんて思っていた。ごめんなさい。


(私にとっては「薔薇の鎖」「恋の暴走」あたりがベストかな。小6のとき「青春に賭けよう」で彼を知り、なんてピシッと振り付けをキメる人なんだろうと驚いた。初めて買ったレコードは「情熱の嵐」)

 

こんな風に、年齢が上がってアイドルから離れていく女の子って多かったんだろうか。今はどうなんだろう。私は薄情だったのかな。

 

パッと出て、すぐに消えていく歌手が多い中、西城さんはずっとスターだった。だから、私が30代になっても40代になっても、ふとテレビを見ていてその姿をみとめることも多かった。

 

ああ、元気に活躍しているね、HIDEKI。
やっぱり圧倒的に歌が上手いね、さすがだわ。

 

そんな風に、60代になっても70代になっても、ときどき遠くから活躍を見ていられると思っていたのに…。

 


ところで。
今週、すごい本を読んでしまった。萩尾望都さんの『私の少女マンガ講義』(新潮社)だ。イタリアの大学での少女漫画講義と質疑応答、インタビューの収録、そして創作方法や自作関連エピソードなど、盛りだくさんの興味深い内容に夢中になった。

 

中でも、日本の少女漫画史を、とても詳しく丁寧に、愛情込めて語る様子に感銘を受けた。黎明期から現在に至るまでの他の作家たちの作品を多数取り上げ、日本の少女漫画がどのような変遷を辿ってきたかを、他国の学生にわかりやすく紹介している。日本文化や少女漫画の研究者ではない、現役の漫画家である萩尾先生がだ。その知識の広さと考察の深さといったら!

 

読みながら、どうしようもなく懐かしい気持ちになった。そして、それを心地よく感じていた。里中満智子、わたなべまさこ、浦野千賀子、望月あきら、山岸涼子、池田理代子、山本鈴美香、いがらしゆみこ、美内すずえ……etc。知ってる、知ってる。私、読んでた!

 

内気な小学生が、自転車を飛ばして、商店街の本屋さんへ急ぐ姿が見える。「別冊マーガレット」の発売日なのだ。あのお話の続きを早く読みたい。読み終わったら「リボン」を買ってるあの子と貸しっこしよう。漫画は、少女マンガは、いつも私を待っていてくれる夢と冒険の扉だった。

 

あんなに楽しい世界を、どうして捨ててしまったんだろう。多分、「漫画なんて子供の読むもの。中学生になったのだからもうやめなさい」的なことを親に言われたのだと思う。私自身も、あの派手な配色の背表紙が自分の本棚を占めていくことを、ちょっとカッコ悪いと思い始めていた。

 

でも、子供っぽいお話ばかりでなかったのは確か。今も鮮やかに思い出す、素晴らしい作品も多かった。萩尾作品のように、作家の豊かな教養に裏付けられた芸術性の高いものもあり、少女マンガは決して、絵のない文学作品に劣っているものではないと、今ならわかる。

 

だから、いくつかの作品は大人になってから単行本を入手しているし、私の娘たちの少女時代には、彼女たちが漫画に夢中になるのを注意したことはなかった。

 

今、朝のNHKのドラマ「半分、青い。」で、主人公は漫画家として奮闘している。このドラマがとても面白くて、萩尾先生の本に出てくる“若い作家たち”の一人なんだね、などとリンクさせて楽しく見ている。

 

そして、漫画に夢中になるのを終わりにしようとした私、HIDEKIのファンであることを卒業しようとした私。背伸びしたあの中学生の頃を甘酸っぱく思い出しているのだ。そういえば、西城秀樹さんも少女マンガから抜け出してきた王子様のようだった。

 

ためらいながら置き去りにしてきた、少女時代の忘れもの。少しの悔いと、申し訳なさ。そして、たくさんの懐かしさと感謝。それらを花束のように胸に抱えてみる。

 

かつて自分が憧れ、心を泳がせていた世界を、もう一度心によみがえらせてみることは、ひとつの癒しになるものなんだなと思う。多くの年月を重ねたけれど、まだよみがえらせることができるんだと、安心しているのかもしれない。クチナシの香る風を感じながら。

 


追記:今、Wikipediaで「西城秀樹」の項目を読み、これほどまでに凄い人だったんだと、正直、圧倒されています。知らなかったことばかり。書いてくださった方、ありがとう。
そして改めて、西城秀樹さんの素晴らしい63年の人生を称えたいと思います。合掌。