一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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モリスの美学に憧れて

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引越しのときに断捨離をした。あれから約3年。新しい生活のモットーとして「シンプル&コンパクト」を掲げたせいか、あるいは容積のなさが気持ちにブレーキをかけているおかげか、再び大きな断捨離をしなくては、という状況にはまだ至っていない。

 

・・・本当だろうか。

 

冷静に見渡せば、確実に、あれからモノは増えている。増やしてしまうことに対する後ろめたさはあって、何か買うときは一応「どうしようかなー」と迷うのだけど、結果的に買ってしまっていることが多いようだ。

 

本、植物、文具、手芸品、器、キッチングッズ・・・etc.

 

補充ではなく買い足しだ。服はそれほど買っていないつもりだったが、意外と増えている。あと、雑誌の付録のトートバッグやポーチも数個、未使用のまま「いつか」の出番待ちをしている。細々としたモノたちだが、じわじわと空間を侵食している。

 

それから、モノが増えることによって定位置も怪しくなってきた。

 

引越し直後は、荷ほどきと同時にそれぞれのモノの置き場所を決めることに熱心だったのだけど、だんだん気持ちが緩んで、収納場所がいっぱいだとその辺にとりあえず一時置きしたり、違う場所にしまったりすることが増えた。引き出しやカゴに入れればひとまず目障りでなくなるので、つい。そしてそのまま忘れることも多くなり。

 

「あれどこいった?」のセリフ、最近よく言うかも。今も、おくすり手帳が見当たらず、ちょっと困っている。

 

まだいいか、とは思っていたけれど、いや、そろそろまた大掛かりな片付けをすべきなのかもしれない。ただねぇ・・・あの"祭"には結構な決意と覚悟が必要で。

 

引越しのときの断捨離について書いた記事はこちら。

tsukikana.hatenablog.com

 


近藤麻理恵さんの片付け指南本やネットの記事などで、一通りの理屈やコツは理解しているつもりなのだが、素敵にシンプルに暮らすのって「言うは易く行うは難し」なのである。

 

捨てるために「要・不要」の仕分けをするのも、処分の方法を選ぶのも、残ったものの収納場所や収納方法を考えるのも、かなりのエネルギーを要する。コンディションの良いときに、何かに触発されるなどのきっかけを得れば、ワクワクした気持ちでできるかもだけど・・・それはいつ?笑

 

ワクワクとか「ときめき」とかで言えば、片付けるときより圧倒的に、買ったりいただいたりするときの方があるのだもの、難しいよね。ただ、そのワクワクやときめきは、ホンモノであり持続するのか?という視点を持つことだけは、モノを入手するとき、忘れずにいたいと強く思う。

 

ところで先日、新聞販売店さんからチケットをもらったので「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」を鑑賞してきたのだが、これがとても良かった。

 

ウィリアム・モリス(1834-96)
19世紀後半のイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」を牽引したデザイナー、詩人、思想家、工芸家

 

ウィリアム・モリスのデザインが昔から好きで(特に《いちご泥棒》)、さすがに壁紙という訳にはいかないけれど、布や小物をよく買っていた。新聞社勤務時代、社の主催した展覧会で、モリスを中心とするアーツ&クラフツ運動を紹介するというものがあり、その仕事に携われたことが今も嬉しく思い出される。より深く、モリスの美学を感じることができたから。

 


 役にたたないもの、
 美しいと思わないものを、
 家に置いてはならない。

 HAVE NOTHING IN YOUR HOUSES
 THAT YOU DO NOT KNOW TO BE
 USEFUL OR BELIEVE TO BE BEAUTIFUL.

                WILLIAM MORRIS

 


これだ。
私、ここを目指す!

 

心で叫んだなあ、当時。
あまりに有名なモリスの言葉ではあるが、改めて自分の理想を見た思いがして、清々しく潔く暮らす(生きる)ための道標にしようと決めたのだった。

 

今回の壁紙展も、副題に「美しい生活をもとめて」とある。自分の思うところの"美しい生活"をもとめていきたい。

 

モリスのようには、手仕事の素晴らしさを感じさせ自然美を讃えるような作品ばかりを収集できないし、ましてやデザインすることなんてできないけど、そういう精神に近づきたいということなのだ。

 

人によって、役に立つものも違うし、美しさの判断も変わるものだし。モリスの美学を投影した私の美意識を、判断基準とすればいい。

 

そんな思いを持ち帰り、家を見渡せば・・・。
自分の基準に変えても、役に立たないもの美しくないものの、なんて多いこと。笑

 

今は使っていなくてもすごく愛着があったり、美しくなくても大切な思い出があったり。そういうモノは捨てなくていいと、私は思っている。それは私にとって、役に立つものだから。

 

問題は、もう要らないと思っていて、捨てよう捨てようと先延ばしにしていたら、思いの外、役立つときがきてしまい、捨てなくて良かった!という経験があることなんだよね。だから、迷う。高いお金出して買ったものだったりすると、余計に。

 

でも、それにしても、そういうのって、カッコ悪い気がする。生き方から考えれば、私の理想とは程遠いのでは・・・。

 

清々しく潔く生きたいんだよね?と自分に問いかける。自分が美しいと思うものだけに囲まれて暮らしたいんだよね?モリスの精神、美学に憧れてるんでしょ?と畳みかける。

 

うーーーん!
さあ、断捨離しようかなっ!
ちょっと「触発」されたみたい。頑張れそうな気がしてきた。
あとは・・・コンディションだね!(逃げ道を残す)

 

断捨離は、取り掛かる前から精神鍛錬だとつくづく思う。だからこそ、"人生を整える"手段のひとつになり得るのかなあ。