一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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そんなときは空を見上げる―双子プロジェクトと西城秀樹さん

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梅雨が続いている。

 

雨の風情は嫌いではないけれど、あまりにも長い。どんよりと暗い空で、頭も気分も重くなりがち。我が家に2歳児が来て7週間たったが、この子がお日様の代わりに家中を照らしてくれているような気もする。

 

とは言え、やはり忙しい。そして、やはり疲れる。ツバメがヒナに餌を運ぶように、毎日買い物の自転車を飛ばしている私。隙あらば、シーツを洗おうとしている私。雨よ、お手柔らかに。昨日は久し振りにエナジードリンクを飲んだ。

 

双子を宿した長女は、妊娠8ヵ月だけどもう臨月のような腹囲で、少し動いても息が上がると苦笑している。やっぱり双子妊娠は大変そうだ。

 

でも、無事ここまで来られて良かった。あと2カ月しないうちに、お腹の子たちに会えるのだ。ありがたいこと。まだまだ気は抜けないけれどね。

 

長女が管理入院するまでを、双子プロジェクトの第1フェーズと私は考えている。そこでの主な目標は長女(=母体)の体調管理、そして、2歳児との信頼関係の構築(大袈裟・笑)で、大体において達成されつつある。今はそれが嬉しい。

 

でも、第2フェーズはもっと不安だ。長女の約1カ月半の入院中、ママっこの孫娘がどんなに寂しい思いをするだろうか、と。そして、いくらなついてくれてきたとは言え、日中、私一人で対応できるだろうか(私がもつだろうか)と。

 

ここでの目標は、2歳児にママなしでの生活に慣れてもらい、楽しく過ごしてもらうことだ。子連れで入院先へ通うことや買い出しに出ることも、暑い最中、なかなかの難題だろうな。

 

さらに、退院後の第3フェーズとなると、物理的な問題も出てくる。双子との対面は感動的であることは間違いないだろう。だが、その後、退院してこの狭い我が家にやって来たら・・・どうなるのだろう?

 

産褥期の長女のケアと、2歳児のケアと、未体験の双子のケア。ご飯、作れるかな?7人分の洗濯って?・・・想像もつかない。

 

まあ、でも多分、なんとかなるよね。夫も次女も、頑張ると言ってくれているし。ただ、仕事から疲れて帰ってきて、ツインの新生児の世話で寝不足になってしまうのは気の毒過ぎるので、やっぱり私が頑張らなくてはいけないよね、と思っている。

 

思ってはいるけど、心配だし不安であることは打ち消せない。このように、疲れ以外にも、ミッションの大きさに対する不安と責任から、楽観と悲観を行き来している私である。

 

そして、私が倒れてしまっては本当に立ち行かなくなるので、それが怖い。だから、第1フェーズである今のうちから、セルフケアを心掛けている。

 

自分のために使える時間は、全くないという訳ではない。ただ、細切れなので、まとまったことをするのはちょっと無理で。これまでのライフワークの中から、外せるものと外せないものを仕分けるようになった。

 

勉強系はちょっとお休みかな。読書や散歩も、なかなか難しくなってしまった。映画やショッピング、お洒落な外食もしばらくはお預けだ

 

外せないセルフケアとしては、まずアロマ。就寝前、アロマディフューザーで自律神経を整えてくれる香りを中心に楽しみ、自分を労わる時間を作っている。ホ・オポノポノとともに。

 

次に、余裕があればリンパを流すセルフマッサージとストレッチをしている。あとは、できるだけ睡眠時間を確保すること。

 

それでも、あれやこれや考えて気持ちが不安定になり、なぜだか"悲しみ"の感情が沸き上がってしまうときがある。「こうありたい」のに「そうできない」。前向きに考えたいのに否定してしまう。自分は弱いんだな、大人になりきれていないんだな、と、持っていきようのないマイナスの気分に翻弄される、そんなとき。

 

空を見上げる。晴天でも曇天でも、雨が降っていても。
私はHIDEKIを求めて空を見上げている。

 

そう、西城秀樹さん。こう書いてしまうと、大スターがそびえ立ってしまうけど、実際大スターなんだけど、私にとってはこの1年ですっかり心のよりどころとなっているHIDEKIなのだ。

 

HIDEKIなら、どうする?

 

空に向かって私は尋ねる。HIDEKIだったら、きっとこんな風に考えて、こんな風に振る舞うよね。私も真似してみるよ、と心でつぶやく。

 

訃報のショックと寂しさから、YouTubeで西城さんの動画巡りをして、ブーメランで彼に戻って1年以上になる。その間に、同じようにHIDEKIに戻ってきた人たちがたくさんいることを知った。そんなブーメラン組の人たちや、古参のファンの人々から、彼にまつわるたくさんのエピソードや個人的な思い出を聞かせてもらうことができた。

 

ほぼ全てが美談で、こんなに心根の優しい人だったのか、努力の人だったのか、それほどまでに素敵な人だったのかと驚いた。思わず吹き出すような可愛い失敗談や、ハラハラさせられる言動も含めて、なんとも魅力的で、愛さずにはいられない人。こんな人が本当に実在したんだね。奇跡みたいだ。

 

12歳の夏、同じクラスのタカコちゃんが、私に『情熱の嵐』のレコードを買うことを勧めた。あれから新聞のテレビ欄で「西城秀樹」の文字を探す日々が始まった。私の恋が始まった。タカコちゃん、今頃どうしているだろうか。

 


 その瞳 僕のもの
 この体 君のもの
 太陽が燃えるように 二人は愛を
 永遠にきざもう
   (1973年5月25日発売『情熱の嵐』より)

 


HIDEKIは本当に私たちの瞳をくぎ付けにして、姿も声も、その体全てを私たちに捧げてくれたんだね。

 

HIDEKIに夢中だった頃を思うとき、中学の教室や中庭の風景がよみがえる。辛いことの多かったあの時代を、それでも懐かしく思い出すことができるのは、彼の存在があったおかげだ。逆に言えば、HIDEKIを恋しく思う気持ちは、郷愁に裏打ちされているのかもしれない。HIDEKIが好きな女の子たちと、他愛もない話をしていたあの頃の思い出は、ソフトフォーカスの写真みたいだ。

 

HIDEKIがすごく好きだった。すごく好きだったけど、コンサートにも行ったことがないし、アイドル雑誌も買ったことがない私は、もしかしたら本当のファンとは言えなかったのかも。今だってブーメラン組と名乗るのはおこがましいのかもしれない。ほとんど新規ファンなのだ。

 

なので、この1年で見聞きしたことは、知らないことばかり。長くスターでいた方だから情報量も多く、知れば知るほど素敵な方なので欲も出て、もっともっとと知りたがる自分を制御するのが大変だった!笑

 

素晴らしい歌唱力と表現力。日本を代表するエンターティナー。芸能界に疎い私でも、それくらいはわかる。だから、「こんな偉大なスターが亡くなったというのに、追悼番組が少ないことやマスコミのどこか冷めた扱いってどういうことなの?」と、これまで歯がゆく思っていた。

 

それが、だ。ファンの想いが大きなうねりを作ったのだろう、一周忌を境に潮目が変わったようなのだ。

 

HIDEKIを再評価してくれる動きが目立ってきた。フィルムコンサートが開催され、初のオールタイムシングル集『HIDEKI UNFORGETTABLE-HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972』も命日の5月16日に発売された。雑誌での特集も増えたし、9月26日には没後初の写真集『HIDEKI FOREVER blue』が発売される。

 

これからもっともっと、西城秀樹さんは注目され、彼のファンは増えていくことだろう。その色彩豊かな歌の世界に夢中になり、映像に残るパフォーマンスに心躍らせ、出演作のドラマや映画を楽しむ人が増えていくだろう。HIDEKIやご家族、HIDEKIファンのことを思うと、本当に嬉しい。

 

もちろん、私も。何の力もないちっぽけなファンで、頑張ってくださってきた人たちの足元にも及ばないけど、それでも、好きな人(今は"推し"というのですね)がこれからもっともっと認められていくのは嬉しい。

 

でも少しだけ、少しだけなんだけど、寂しさもあって。

 

それは、14歳の秋、あまりにも大スターになってしまったHIDEKIに戸惑いはじめた私に通じる寂しさ。あのとき私は高校受験を言い訳に「HIDEKIを卒業しよう」とした。でも、今の私は卒業はしないよ。ずっと"推し"ていく。

 

HIDEKIはみんなのもの。だけど私には私のHIDEKIがいる。私の生活に合ったペースで、心のままに彼の歌を聴き、姿にときめき、彼にまつわる思い出話に想いを馳せ、彼の生き方に憧れ続けていく。彼がこの世にいてくれたことに、シンガーになってくれたことに、感謝と幸せを感じながら。

 

時々は、空を見て泣いちゃうけどね。そこにいてくれる喜びと、そこに行ってしまった哀しみとが、同じ大きさで迫ってくる。

 

こんな状況の今、隙間時間でしか歌を聴けないし、SNSもなかなかできないけど、「いつも心にヒデキを」の言葉が私の胸にはある。短時間でもHIDEKIタイムは効果絶大で、沈みがちな心も魔法のように浮上してくる。アロマより効くかもよ?

 

「もっともっと多くの方が、西城さんの歌に癒され、励まされ、日常を輝かせてくれるといいなあ」と心から思っているので、ライトなファンではあるけれど、そのときどきで私でもできるささやかな行動はしていきたい。

 

この記事も隙間時間を集めて書いている。アップできるか怪しかったけど、なんとかなりそうで良かった。

 

それにしても、青空が恋しい。
HIDEKIを求めて見上げる空は、やはりブルーが似合うと思うのだ。


(西城秀樹さんについてはこれまでも書いています)

tsukikana.hatenablog.com


蛇足:我が家にいる2歳児も、上手に「ヒデキ」と言えるようになりました。笑