忙しすぎて心が迷子になっていない?
そんな風に聞かれたら、どれだけの人がドキッとするだろう。私の場合は忙しすぎではないと思うが、心は迷子になりがちだ。
何をしていても「今って、こんなことをやってていいんだっけ?」「私はどこへ行くのだったかしら」と心細くなり、目的地や道しるべを探したくなる。また、「気持ちが散漫だな」と思い、「軌道修正をしなきゃ」と焦ることが多い。
冒頭のことばは、「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」という映画の予告編字幕で見て、心の端に刺さっていた。
公式サイト
ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)さん。1915年8月28日に生まれ、2008年6月18日に92歳で永眠。その絵本のタッチに懐かしさを覚えるのは、私も幼い頃、彼女の本に触れたことがあったからかな。あるいは誰かからのクリスマスカードだったかも。
この映画を観てみたいと思っていたことを、ふと思い出して、Amazonプライム・ビデオ(Amazonが展開するサブスクリプション・サービス)で検索してみた。その中の「シネマコレクション by KADOKAWA」というチャンネルで観ることができるらしい。月額388円(税込)だけど、14日間の無料お試し期間がある。良かった!
※無料お試しを希望の場合、14日たって自動解約とはならないので、期間終了に注意して解約手続きを。
本当は大きなスクリーンで観たかった。2017年4月に公開されたが、結構、遠方まで出向かなければならなかったため、残念だけど諦めたのだった。
でも、自宅でリモコン操作をしながら観るのも別の良さがある。素敵なことばが出てきたら、一時停止して書き留めたり、スマホで撮ったりできるから。私は自分に「素敵なことば収集家」という肩書も勝手に付けたりしているので。笑
というわけで、たくさんの“心に響くことばたち”を収集できた。
人間はとかく悲劇を好むけど
それは間違いよ
この美しい世界を謳歌しないなんて
馬鹿げているわ
私はいつも自分が欲しいものを手に入れてきた
それは忍耐強かったからよ
決して諦めないことが大切なの
私の人生は忍耐の連続だった
でも忍耐のあとに得るものは
絶対にその価値があるのよ
私は静かな水のようにありたいと
「スティルウォーター教」を発明したの
それは私が惹かれる
小さな動物たちの生き方にも通じるもの
彼らは必要なすべてが身の回りにあると知っているから
満ち足りている
かたや人間はないものねだりばかり
欲望で不満を膨らませているの
まずは静かな水のように世界を受け止め
感謝することから始めたいわ
忙しすぎて心が迷子になっていない?
豊かな人生を送りたいと思ったら
心が求めるものを心に聞くしかないわ
私は時々腰をおろして ゆっくり味わうの
花や夕焼けや雲 自然のアリアを
人生は短いのよ 楽しまなくちゃ
などなど、ここには書ききれないほどの、とてもたくさんの「生き方のヒント」「考え方のヒント」をいただくことができた。
面白かったのは、ターシャさんもご自分の座右の銘を「喜びの泉」と呼び、一冊の本にまとめているということだ。
私たちは夢と同じものでできている
――シェイクスピア
この世でもっとも素晴らしいのは
自分は自分のものと
知ることである
――モンタギュー
私はこんな格式高い凄い人たちの言葉は集められていないけれどね。本にもまとめていないし、同列で述べるなんて不遜でした、スミマセン!
全米で最も愛される絵本作家と言われ、ガーデナーとしても世界中から絶賛されるターシャさん。決して平坦ではなかったその人生を辿りながら、自然に寄り添った生活スタイルと、圧倒されるほど美しい庭を、映像でたっぷり堪能できるドキュメンタリー映画だった。
「忙しすぎて心が迷子になっていない?」
と言うけれど、そんなターシャさんの毎日は、凡人ではとても真似できない忙しさだったと思うのだ。
「4人の子供の他にペットや家畜。牛や鶏などたくさんの世話をしながら、料理に洗濯や裁縫をこなし、読書や庭仕事を楽しみ、同時に絵も描いていたのです。母が愛する手仕事は手間ひまのかかるものですから、朝から晩まで、子供たちが寝た後も、いつも手を動かしていたんです」
映画の中で、長男のセスさんもそう話している。
そもそも、ターシャさんはボストンの典型的な文化人の家庭に生まれた人。9歳のとき、両親が離婚。母親は画業の成功を求めてニューヨークへ。でも幼いターシャさんはニューヨークでもボストンでもなく、農村の暮らしがしたくて、コネチカット州の母の親友の家に預けられたという。
自分の手でものづくりをすることへの憧れだったのか。幼い頃から意思が強かったんだろうな。もちろん、簡単なことではなかったはずだけど。
そして、画家だった母親のそばで幼少時から描いていた絵。描くことは、息をするように自然なことだったのかもしれない。その後の農家暮らしでの経験、人形遊びや読書で育てた想像力。22歳での結婚後、絵本作家を目指すことも自然な流れか。
ただ、出版社に持ち込むも、なかなか相手にされなかったそうだ。でも、諦めなかった。そんなこともあって、彼女はヘンリー・D・ソローのことば、
夢に向かって自信を持って進み
思い描いた人生を生きようと
努力するなら
思わぬ成功を手にするだろう
が、人生の指針だと言うのかもしれない。
ターシャさんは離婚後ひとりで4人の子を育て、57歳のとき、バーモント州の山中に、理想とする家と庭を造る。19世紀頃の開拓時代スタイルなのだとか。18世紀の工法を研究し、お母さんが希望する古びた家をひとりで建てたという、家具職人のセスさんもすごい!
目指したスタイルは、ターシャさんの生きた時代から1世紀前のものだったのかと、私はこの映画を観るまでうかつにも気付かなかった。彼女は都会的なものに背を向けただけでなく、(当時の)現代的なものをも遠ざけた。
そうだよね。あのおうちは、おとぎ話の絵本に出てくるような可愛らしさでとっても素敵だけど、いくらなんでも古すぎる。ターシャさんは20世紀の人なのだから。
「低い天井、切り立った屋根、格子窓。古い農家ならではの雰囲気。昔の人間の生まれかわりだからだと言っていました。『アメリカが最も輝いていたのは1830年代』というのが持論で、当時のように暮らし、描いたのです」
と、セスさん。なるほど。
例えば、私が大好きなモンゴメリの『赤毛のアン』の時代は、(カナダではあるけれども)1880~1890年代あたりに設定されているというから、彼女はそれよりもさらに半世紀前の暮らしを求めていたことになる。
「憧れのスローライフ」とざっくり言ってしまうには、筋金入り過ぎて怖いくらいだ。
映画の中で、ターシャさんは「楽しい」「幸せ」ということばを何度も繰り返す。愛情を込めて種から育てられた花々は、輝くばかりの美しさで見る者の心を豊かにする。
ガーデニングは喜び
人生は短いから好きなことをする
私の場合それがガーデニングなの
人生は短いから不幸でいる暇なんてない
気づいていない人が多いけど
ターシャさんのように生きるのは難しいだろう。でも、その生き方を表すことばの中から、エッセンスをいただいて、今この場所で生きている自分に、自分の手で、必要としている光と水を注ぐことはできるような気がする。
以前に観た「人生フルーツ」のときにも、感じたことだ。どちらの映画にも人生の示唆があちこちに散りばめられていて、ずっとキラキラ輝いている。
すごーく久しぶりに映画のことを書いたけれど、私、ちょくちょく映画は観ております(この頃では専ら自宅でだけど)。ただ、これは感想を書いておきたい!と思えるものは、まだそうなくて。でも、映画の話って楽しいですね。また書きたいと思います。
写真は、花フェスタ記念公園にある「ターシャの庭」(現在は休業中)で、昨年5月に撮影したものです。