一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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物語を読むということ、書くということ

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本を、あまり読まなくなってきたな・・・
そう感じ始めたのは、いつからだろう。

 

もちろん、全く読まないわけではない。本は今も大好きだし。
けれども、かつてのように履歴書の趣味の項目のトップに「読書」と書けるかと自分に問えば、今はもうできない気がする。残念ながら。

 

40代の頃はまだ、通勤電車の中で文庫本の小説を読んでいた。降りる駅に気がつかず、乗り越して遅刻してしまったこともあった。鞄には常に、本が入っていたあの頃。

 

転職をして、読む本は仕事の資料優先になって、それがきっかけで楽しみとしての本から少しずつ離れていったのかもしれない。仕事上の悩みも多く、忙しさもあって。

 

いや。単純に、視力の低下で細かい字にうんざりしてきたからかな、とも思う。老眼鏡をいちいち出したりしまったりは、なかなかに面倒くさい。電車での時間つぶしはスマートフォンに替わっていた。

 

現在は家にいるのだけど、多分、年に10冊も読んでないんじゃないかな。それもほぼ電子書籍。物語ではない趣味の本、実用書的なものは、結構買っているが。

 


さて。
そんな私が、久しぶりに、本当に久しぶりに、ミステリー小説を読んだ。

 

私の大切な友人が送ってくれた本。彼女の義妹さんが書いたミステリー小説だ。タイトルは『風よ僕らの前髪を』(東京創元社)。第30回鮎川哲也賞優秀賞受賞作で、これが著者、弥生小夜子さんのデビュー作となる。

 


風よ僕らの前髪を

 


261ページの長編。立派なハードカバーの本で、装丁も美しい。電子書籍も手軽で良いけど、こういう、いかにも「本!」という感じの手触りには、宝物感があって気分が上がる。

 

実は、ミステリーって昔からそんなに読んでこなかった。最後に読んだのは、東野圭吾さんの『白夜行』あたり?

 


白夜行 (集英社文庫)

 


サラ・パレツキーの、女探偵 V・I・ウォーショースキーシリーズは、2000年くらいまで読んでいたのかな。

 

当時、近所の友人がお連れ合いの転勤で米・テキサス州に引越すとき、「お餞別は何がいい?」と聞いたら「向こうで私でも楽しんで読める本を何か、本好きのつきかなさんのお下がりでちょうだい」と返答されたので、全部差し上げたのだった。

 

主人公が胸のすくカッコいい女性で勇気がもらえるし、アメリカの雰囲気が存分に楽しめると思って。「V・I」はテキサスじゃなくイリノイ州・シカゴの探偵だけどね。あれは好きなシリーズだったなあ。全部買い直すか?笑

 

✻シリーズ第1作は『サマータイム・ブルース』。懐かしい。

 

それ以降で、何かミステリーって読んだかしら。思い出せない・・・

 

ああ。こんな私なのに、友は高価な本を贈ってくれた。ご縁だと思って読んであげて、と。なんだか申し訳ない。昔、出版社にいたけど文芸は担当していないし、ミステリーファンですらない。最近は「本好き」を自称するのもはばかられる。いただいてしまって良いのかしら。

 

でも、読み始めたら・・・
すごくすごーく、楽しかった!

 

物語の世界に没頭することが、謎に引き込まれていくことが、とても気持ち良かった。そんな楽しさを思い出させてくれたということだけで、友にも弥生小夜子さんにも、大感謝である。

 

本のカバーの折り込まれた箇所に、あらすじがあり、その末尾に「圧倒的な筆力で選考委員を感嘆させた第30回鮎川哲也賞優秀賞受賞作」と書かれていた。圧倒的な筆力。すごい賛辞だ。

 

ミステリーに明るくない私には、ミステリーとしての構成やストーリーなどがどう優れていて非凡なのか、お恥ずかしいがよくわからない。ただ、登場人物や風景の詩的な描写をはじめ、端正で美しい文章が心地よく、吸い寄せられるような魅力を感じた。

 

東京・山の手を舞台とした現代劇で、少年たち青年たちが繰り広げる物語だが、全体に古風な趣きで落ち着きを感じる。暴かれた真実。殺人や虐待などの酷いシーンも、繊細でファンタジーめいた世界観が淡く包み、衝撃的ではあるけれど、目を背けずにいられる。

 

友人の義妹さんが書いたんだと、最初のうちは誇らしさのお裾分けをいただいた気分で読み始めたが、あっという間に我が心は、お話の行方に持って行かれた。夢中になって物語を読む、のめり込んでいく、という楽しさを思い出させてもらった。

 


こんな風に読まれる物語をつくれるのは、すごいことだし、素晴らしいね。才能も努力もあっての快挙だと思うけど、とても素敵だ。ご苦労も多かっただろうが、ずっと物語をつくり続けてこられたことを尊敬するし、そう、ちょっと羨ましくもある。

 

物語をつくるって、本来とっても楽しいことなんだと思う。私もまた、何か物語を書いてみようかな、なんて刺激もいただいてしまった。賞を目指すとか、そういうのは無理だけど、お話をつくる楽しさを、誰かに読んでもらうくすぐったさを、もう一度味わえたらいいな、と。

 

つきかな、という名前。
これは、20年くらい前にショートストーリーを書いてた頃の、ペンネームの一部の並べ替え、アナグラムだ。私の中にまだ「お話をつくる人」でいたい部分が残っていたから、ブログネームを付けるとき、なんとなくそうしてしまったのかな。よく覚えていないけど。

 

少女の頃は、童話やファンタジーを書くのが好きで、何度か雑誌やラジオに投稿もしていたっけ。オリジナルのつもりでも、意図せずストーリーの一部が既存の何かに似ていたりして、難しかった。たくさん、挫折もしたなあ。

 

もともと空想癖のある子どもだったから、字が書けるようになる頃には、何かお話を書いていた。もっとさかのぼれば、幼い弟にせがまれて、お話をその場でつくった子ども部屋に行き着く。

 

並べた布団。4つ違いの弟の頭をのせた小さな枕を、今も思い出せる。枕カバーはウサギの柄で、弟はその枕を「ぴょん吉」と呼んでいて。そこで『ぴょん吉の大冒険』シリーズが生まれたのだった。笑

 

眠りにつく前の、素敵な別世界。それが私のお話づくりの原点で、幼い時分の我が娘たちにも子守歌のようにお話を聞かせていた。

 

とってもいい加減だけどとっても優しい、愛情たっぷりのおとぎ話。弟も、娘たちも、もう誰も覚えていないけど、私自身も内容は忘れてしまったけど、それでいいんだよね。可愛い寝顔が思い出せるだけで。

 

物語を読むこと、物語をつくり、書くということ。
どちらもシンプルに楽しめれば幸せなのだ、と思ったりする、今の私。想像の翼を広げることこそが、私には気持ち良いのだから。

 

読むことも書くことも、あまりハードルを上げずに、好きな世界に手を伸ばしていきたいな。

 

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