これほど“生きにくい”夏はなかった。
きっと多くの人が、そう思っているのではないかな。毎夏、生きにくさを感じている夏嫌いの私でも、これまでの人生でワースト3に入るくらいの辛い夏だ。
COVID-19の影響は、この夏、去年よりも複雑に、より不穏になった感じがする。
感染が収まってくるどころか拡大した。それだけでも大変なのに、考え方の「分断」が次々と露わになり、発言ひとつにも気を遣うようになった。このやっかいなウィルスに対しても、ワクチン接種に対しても、オリパラに対しても。その他の夏の風物詩的なイベントに対しても。
あまのじゃくな私は、熱く語られれば語られるほど聞きたくなくなるし、同調圧力には反発してしまう。一方で、誰かが「良し」としているものを、声高に「NG」とは言えない、自説に自信のない自分もいる。何を批判しても、振り返れば自分の行動に矛盾が生じる気がするし。
誰かに強制されるのは絶対イヤだけど、自己責任で判断して選択していくことにも、ちょっとしんどさを感じ始めている。疲れてきた。
でも、医療の逼迫が深刻な今、自分のできることは何かをちゃんと考えなくちゃ。それはまず、医療現場の方たちにさらなる負担をかけないよう、セルフロックダウンすることだろうと、自分では思っている。
結構、ずっとやってるけど(笑)改めて。
疲れてきたけど、改めて。
それにしても、ため息が出ちゃう。
気が滅入ってくるのをなんとかやり過ごそうと思っていた矢先、治りかけてたぎっくり腰を、またズキンと痛めてしまった。ううう、前より痛いかも。弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂。昔、お世話になった方の訃報もあって、胸も苦しい。
気圧による頭痛があったり、ワクチン(ファイザー・2回目)の副反応で発熱・関節痛があったり、かれこれ2週間以上、どこかが「痛い」状態が続いている私。情けない限りだ。
そして、ちょうどその間、雨が続いた。デルタ株が台頭して感染爆発。引きこもれ、と言われたも同然な事態となり、おかげでネット配信の映画やドラマをかつてない勢いで観ている。ああ、腰が痛い。
(同じ姿勢が続くと、固まるのです~泣)
次女に薦められて、Amazonプライムビデオでドラマ『MIU404』を一気に観て、『大豆田とわ子と三人の元夫』(この春のドラマ)のマメコロス(勝手にマメコ呼び)から同じ脚本家、坂元裕二さんが書いた映画『花束みたいな恋をした』を観て、友人に「私たち世代に不足しているキュンキュンがもらえるから」と推された映画『糸』を観た。どれも、すごく良かった!
✻前回で「はな恋」のことも書いています↓
そんなつもりはなかったのだが、これで完全に私は「菅田将暉ファン」と認定されたのかもしれない。「あなたにお勧め」として菅田くん出演の映画やドラマが出てきてしまうのは、まあ、仕方ないかー。いや、彼は素敵だけど、私のタイプとはちょっと違うのよね。まあ、いいかー。どうでもいいかー。
アマプラでは「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も観た。アニメーションを含めて日本の作品もとても素晴らしく楽しめるものが多い。
・・・でも、私はやっぱり洋画が好き。それも、古い洋画に惹かれる。近所に「名画座」があったら、絶対、通う!
私の両親は、特に映画好きという人たちではなかったので、私が古い洋画に惹かれるようになったのは、多分に女性誌の影響があると思う。
就職で上京し、親元離れて初めてのひとり暮らし。まだ20歳だった私には、女性誌の特集が生活全般の教科書だった。特に「MORE」が好きだったなあ。
ファッションはもちろん、旅行、インテリア、料理、年末の大掃除のやり方も、みんな「MORE」に教えてもらった。そう、映画の楽しみ方も。
80年代だった。「MORE」でもよく特集されていた女優が、オードリー・ヘプバーン。オードリーはハリウッド映画全盛期の大女優で、私の両親よりも年上になるのだけど、その存在を遅れて知った私は「この世にこれほど可愛い人はいない!」と一瞬でハートを射抜かれ、彼女の物語に夢中になっていったのだった。
それから、オードリー主演の映画をよく観るようになった。青山にあったベルコモンズ(懐かしいなあ!)で、定期的に昔の映画をかけてくれる企画があり、その案内ハガキが来ると、喜んで出掛けて行ったものだ。
この企画が大好き過ぎて、もらったハガキを今も捨てられずにいる。オードリーの出る作品では『いつも2人で』(1967年)『お洒落泥棒』(1966年)『パリの恋人』(1957年)を観たことが、このハガキでわかる。
あとはレンタルビデオとか、TVの洋画劇場とかで、彼女の主演作を追いかけてきた。
『ローマの休日』(1953年)『ティファニーで朝食を』(1961年)は、これまでいったい何度観たことだろう。
『麗しのサブリナ』(1954年)も『マイ・フェア・レディ』(1964年)も『シャレード』(1963年)も好き。
『パリで一緒に』(1964年)は変な話だったけど、彼女は輝くように美しく素敵だった。
『暗くなるまで待って』(1967年)は観たことあったのか、曖昧。
『昼下りの情事』(1957年)はまだ観ていないと思うので、何とかして観たい。
心がくたびれてしまったときには、オードリー・ヘプバーンに浄化してもらうのが一番!
私はずっとそう思ってきたので、今年に入ってからは特に、彼女の映画を求めている。今はネット配信があるから、ホント、ありがたい。
・・・でも、観たいと思ってる映画に限って、リストになかったりする。あっても別のサービスとの契約が必要だったり。まあ、ガッカリしたり悩んだりするのも、おうち映画を楽しむ醍醐味なのかもね。
で、U-NEXT で『噂の二人』(1961年)と『オールウェイズ』(1989年)を初めて観たのだけど、ちょっと物足りなくて。おや、どうしてかな?
・・・そうか。ロマンティック・コメディで見せてくれるあの純真可憐でいたずらっ子みたいな笑顔を、私は求めていたのかと思い至り、なんだかオードリーに対して申し訳ないような気分にもなってしまった。
「永遠の妖精」と呼ばれ、映画界のファッションアイコンとしてずっとアイドル的に扱われることに、もしかしたらオードリーは抵抗があったのかもしれない。ふと、そんなふうに思った。本来、真面目でシャイ。とても謙虚で決してうぬぼれ屋さんにはならないタイプ。
栄光に輝いても、彼女は他のスターとは違った。紛争地域で苦しむ子どもたちのためにユニセフでボランティア活動を続け、1992年9月、63年の生涯を閉じるまで、世界中の子どもたちのために尽くした。
そんな彼女の人生を考えながら、Amazonプライムビデオで『尼僧物語』(1959年)を選んで再生。第二次世界大戦前夜、厳しい宗教戒律を守らねばならない尼僧であることと、人としての良心が重要な看護師であること、相容れないふたつの立場で葛藤する、ひとりのベルギー人女性を描いたヒューマンドラマだ。
とても重いテーマで、信仰を持たない私には、かなり理解が困難と言えた。151分と結構長い。その間、あのお花が咲くような笑顔は、ほんの数度見られるだけ。
しかし、主人公の真面目さ、優しさ、慈悲深さ、真摯な姿は、演じる本人とシンクロし、強く印象に刻まれた。私はこれを観てますます、オードリー・ヘプバーンのことが好きになった。
こういう根源的な問いかけを、彼女はきっと一番したかったのではないだろうか。社会貢献という、自身の望む使命を重ねて。主人公がコンゴで現地人の赤ちゃんを抱っこする姿は、後にソマリアで化粧っ気もなく子どもたちに接していたオードリーそのものではないか。
本当に美しい人とは、こういう人のことを言うのだろう。
私がオードリーの映画に求めていたものは、実は、可愛らしさやエレガンス、スタイリッシュな楽しさだけではなかったようだ。それがわかったことが、ちょっと嬉しい。
にじみ出る「人としての品格」は、そう簡単に真似られるものではないけれど、残された綺羅星のような映画作品から、少しずつ学ばせてもらいたいと願う。
そんな風に自省し、静かな感動を味わっていると、ずっと胸に居座っていた憂鬱な気持ちが、だんだん薄められていくように感じる。ほらね、やっぱりオードリー・ヘプバーンが浄化してくれた。
オードリーには名言がたくさんある。どれも素敵なのだけど、今の私が特に心惹かれる言葉はこちら。
For beautiful eyes,
look for the good in others;
For beautiful lips,
speak only words of kindness.
美しい瞳であるためには、
他人の良いところを探しましょう。
美しい唇であるためには、
美しい言葉を使いましょう。
・・・素敵だな。
さあ、私も精進しなくてはね。
✻明日から、私の住む地域にも緊急事態宣言が適用されます。もう何度目になるのかな。厳しい残暑も続きます。皆さん、どうかどうか、ご安全に。からだもこころも、きっととても疲れていると思います。ご自愛くださいね。