一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

<当ブログではアフィリエイト広告を利用しています>


父と柚子と薔薇と

カゴ入りの柚子と薔薇の画像

 

柚子ジャム、というものを初めて作った。

 

先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。

 

12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。半分に切り、タネをフォークで除き、果汁をボウルに絞る。もう、家中が柚子の香りに満たされた。

 

そうそう、取り除いたタネは、煮込むときに使うので(ペクチンを利用してトロミをつける)、捨てずに大事にとっておく。

 

果汁を絞った後の半割りの柚子から、指で中身を取り出し、皮の内側の白い部分を小さなスプーンでこそぎ取る。白い部分は苦みの元となるそうで、これは捨てるけど、取り出した中身の方は、後で絞るのでとっておく。

 

こそぎ取るのは、結構大変なのだ。繊維もたくさんあって、なかなかきれいに取り除けない。12個使ったので、×2で24回これをやるわけで、この作業にはとても時間がかかった。

 

先月、友人にいただいた100個の栗のことを思い出す。半量を冷凍し、残りを茹で、栗きんとんを作ったのだった。茹でた栗を半分に切り、スプーンで中身を掘り出すこと100回。…腱鞘炎になりそうだった。美味しくいただいたが、しばらく栗仕事はいいや、と思ったものだ。笑

 

初夏によく見聞きする梅仕事というものがあるが、私はやったことがない。梅酒も梅干しも、これまで特に自分で作りたいとは思わずにきた。それは、梅の木が実家や知り合いの家になかったからかもしれない。

 

友人宅の栗の木も、父の家の柚子の木も、よくもまあ、というほど、たくさんの実をつける。とてもひと家族で食べきれる量ではない。特に父は、高齢のひとり暮らしなのだから。

 


昨年の5月に他界した母のことを、私は思い出しながら柚子仕事をした。母は生前、あまり柚子を使って何かしてくれることはなかったと、先日、父が苦笑していたっけ。

 

実家の柚子の木は、細い公道に面した場所に植えてある。散歩する人が庭にいる父に声を掛け、柚子を褒めてくれることもある。もちろん父は「好きなだけどうぞ」と差し上げる。後日、柚子大根を作りましたから、とお裾分けで持ってきてくれた人もいたそうだ。

 

ご近所の奥様方にも、ご自由にどうぞ、と言っているらしい。ブルーベリーもあるので、それも「どうぞ」と。

 

それから、10年くらい前に私が母の日に贈った薔薇の木も、ブルーベリーの横で春と秋に小さな花をつける。近所に住む伯母がいつも褒めてくれるそうで、「どうぞ勝手に切っていってね」と言ってあるそうだ。

 

薔薇といえば、もの干しのある細い庭の奥の方には、弟が贈った木もある。私のあげた薔薇より立派な花を咲かせ、生前の母はこれをとても愛していたという。確かに今回、洗濯物を干すたびに、目に入る弟の薔薇が私の気持ちを優しくしてくれた。

 


感染状況を見ながらの帰省なので、今回は久し振りの清水だった。行きは、夫の運転で次女と3人で訪れたのだが、彼らは勤めがあるので1泊で帰り、私はしばらく残った。

 

清水では、独居老人である父をたくさんの方が支えてくださっている。伯母は、いつも草取りをしてくれるし、先日は自転車で転んだ父の傷の手当てをしてくれた。少し離れた場所に住む叔父も、ときどき父をドライブに連れ出してくれる。

 

そして、お隣のOさん。なんと週に数度、お料理やおつまみをお裾分けで、父に持ってきてくださるのだ。柚子ジャムも、彼女が作ってくれたものを以前いただいて、私も作ろうかな、と思ったのだった。また、お向かいのYさんも、仏壇に供えるお花や野菜を、頻繁に届けてくださるとのこと。おふたりとも、生前の母によくしてもらっていたから、とおっしゃる。

 

お土産を持ってご挨拶に廻りながら、私は目頭が熱くなってしまった。マスクの上の優しいまなざし。明るい笑い声。良い方たちの傍で暮らせて、父は幸せ者だと思った。でもお父さん、これきっと、お母さんのおかげよ。笑

 


私が結婚してから、両親は清水に家を建てたので、私はあの家で暮らしたことはない。もう31年になるが、遊びに行くだけの私と違って、父母はあの地で確かに日々を重ね、人々と接し、しっかりと根付いて暮らしてきたんだなあと、私は清水に行くたびに不思議な気持ちになる。

 

31年か。
いつ植えたのかよく知らないけれど、柚子の木も、そして薔薇の木も、そりゃあ大きくなるはずだ。

 


今回の滞在中、ずっとお天気が良く、毎日富士山が顔を見せてくれたのは嬉しかった。
父がユニクロで靴下やシャツを買いたいというので、付き合って清水港まで自転車で行ったとき、港の向こうにすっとそびえ立つ富士を見て、私はあまりの美しさに感動。

 

富士山って、何度見ても飽きない。本当に特別な山だと思う。

 

デジカメで港と富士山を撮っていたら、うしろで「〇〇さんじゃない?」と女の人の声がする。振り返ると、自転車を停めて私を待っている父の傍らに、中年の女性が駆け寄っていた。

 

港近くの酒店の奥さんだった。この酒店はお店で買ったお酒を、奥のテーブルで飲むこともできるという粋なお店。父は常連で、おつまみ持参でよく通っていたが(私も行ったことあります)、もう1年以上、コロナ禍で奥は閉めている。(表のお店は開いています)

 

どうしているかなあ、元気かなあと、ついさっき店の前を自転車で通り過ぎながら、父が言っていたのだ。まさか、港で会えるとは!

 

あまりの偶然に父も喜び、本当に嬉しそう。彼女もニコニコと近況を報告している。話が尽きないようだ。私がカメラを向けると、なんと彼女は父の腕に手をまわしてくれた。まるでガールフレンド。笑

 

富士山が、父に小さなハッピーをプレゼントしてくれたように思えてならない出来事だった。

 


私が帰る日。週に一度、お掃除にきてくださる家政婦さんにご挨拶することができた。初対面。70代というが、もっと若く見える綺麗な女性で、気さくな、とても感じの良い方。嬉しかったし、本当に安心した。

 

私が2階にいるとき、1階の父と彼女の話声が聞こえてきた。不燃ごみのことで、何やら父のために業務外のお手伝いをしてくれるらしい。

 

「いや、悪いよ」と言う父に
「いえ、大丈夫ですよ。〇〇さんのためですもん!」

 

え。と、思わず顎が落ちる私。お父さん、もしかしてモテてるの?

 


私の夫に小椅子の高さやノルディックポール(両手で持つ杖)の調整をしてもらったり、次女にはスマホ、特にLINEのことを教えてもらったり、みんなで記念撮影をしたり、今回の帰省では、父はいつも以上に嬉しかったに違いない。

 

✻父のスマホデビューのことはこちらに書きました↓

tsukikana.hatenablog.com

 

私も、いつも以上に刺激をもらった。笑
そのせいかどうか、帰った翌日は頭も体も疲れ切ってしまい、ほぼ寝込む状態だったけど、まあそれは、いつものことかな。

 

周囲の方々のご親切に助けていただいている。
それはもちろん、その通りで。心から感謝しているが、やはり、父は寂しくて仕方ない毎日を送っているのは間違いない。体調がすぐれない日などは特に、メランコリックな電話をかけて寄こす。

 

足元の段差がよく見えなくて不安だ、とか。
お金の桁を間違えて、レジで恥ずかしかった、とか。
書類を書いていて漢字が全然出てこない、とか。

 

年齢的な衰え、持病による不調、脳梗塞の後遺症など、毎日を楽しく生きることを容赦なく邪魔してくる心配事がある。あんなに身体能力も高く、頭も良かった人だから、なおのこと悔しいだろうな、とも思う。

 

しっかりしている部分もあり、なんとかひとりで頑張ってくれている父だけど、もう、89歳。いつまで元気でいてくれるのだろう。
あと何回くらい、会えるのかな。会いに行ってあげられるのかな。

 

そんなことを思いながら、酔いそうなほどの香りの中で、柚子ジャムを作り上げたのだった。

 


白い部分をそぎ落とした皮を、細切りにする。これを3回ほど煮こぼした後、果汁と、抜いておいた中身を絞ったもの、そして、砂糖300㌘弱を、全部、鍋に入れる。

 

取り出しておいたタネをお茶パックに入れて、水100㏄とともに鍋に加え、強火に。沸騰したら、中火で15分ほど、焦げ付かないようかき混ぜながらコトコト煮れば、出来上がり。

 

父の柚子で作ったジャムは、とても甘いけど、ほんの少しほろ苦い。小さな薔薇を飾った母の遺影にこれをお供えし、ちょっとだけ切ない気持ちを聞いてもらう私だった。

 

 

f:id:tsukikana:20211123205032j:plain

清水港と富士

 

Sponsored Link