一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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ずっと、見ているよ♡―喪失感を超えて

 

見て。
ほら、見て見て。

 

・・・ああ、何回言われただろう。今もまだ、あの子たちの可愛らしい声が耳に残っている。
シャボン玉、綺麗だね。たくさん、上手に作れたね。

 


関西に住む長女一家が、家を新築して引越しをした。引越し当日は行けなかったけど、翌々日に、旧宅の清掃と新居での荷ほどきの手伝いをするために、夫と次女と3人で出向いた。

 

あれからもう1週間以上たつのか。
彼女たちと過ごせた時間、作ることができた思い出のひとつひとつを、甘く切なく胸に抱きしめるような毎日だ。

 


彼女たちがこれまで住んでいた場所は、和歌山県の奈良寄りの都市。そこを私が初めて訪れたのは、もう5年半くらい前になる。長女が初めての子を生んだときだ。

 

✻その頃の話です↓

tsukikana.hatenablog.com

 

近くを優雅に流れる紀の川が、美しくて好きだった。そこは高野山のふもとでもあった。娘たちが何か大きなものに守られている気がして、「どうかよろしくお願いします」と、その大きな存在に手を合わせたのを、昨日のことのように覚えている。

 

あのときの赤ちゃんが、今は5歳。そして、その下に3歳になった双子がいる。みんな、女の子。私の孫娘たちだ。

 

遠いし、コロナ禍だしで、なかなか会えないけど、父の四十九日のときに会えたから、今回は5か月ぶりの再会。それでも“おさなご”の記憶はすぐにリセットされてしまう。仕方ないけどね。

 

✻双子が生まれた頃の話です↓

tsukikana.hatenablog.com

 

でも5歳児の方は・・・
リセットされていない(*^-^*)
会った途端、私たちにハイタッチを求めてきた。笑

 

この子がおなかにできて、紀の川の近くに白い子猫とともに越してきた娘夫婦。それからどんどん荷物が増えてきて、3人の子どもを育てていくには、今の住まいでは手狭になってきた。また、いずれは婿どのの実家の近くに家を建てたいと希望していたそうだ。

 

そうして建てられた新居は、旧宅から高速を使ってもクルマで1時間くらいかかる場所なのだった。

 

もう、この町に来ることはないのかな。
少なくとも、この住まいには、この先足を踏み入れることはないのね。

 

そう思うと、少し寂しくなってきた。私も何度も訪れた町だし家なのだ。窓ふきをしていたら、ここでの思い出がひとつひとつ、浮かんでは流れていった。

 

ありがとう。
娘たちがお世話になりました。

 


新しい家は、若いふたりが考えに考えて工夫を凝らし、自分たちらしく仕上げた注文住宅で、シンプルだけどお洒落でモダンな印象だった。なかなかのカッコよさである。それでいて、子どもたちが楽しく伸び伸びと過ごせそう。感心した。

 

家は賃貸派。を自認する私も、こんな風に自分たちの希望を形にしていけるなら持ち家もいいな♪楽しいな♪と、心が動くほどだった。経済的に可能ならば、の話ではあるが。

 

暗くなってから、庭でみんなで花火をした。その頃には、双子も私たちに慣れてくれて、火のついた花火を渡すと、小さな手でこわごわ持ち、すぐに笑顔になった。その瞳を、あかあかと照らす、色彩豊かな花火。いったいどれほど写真や動画を撮ったことか。笑

 

楽しい時間が賑やかに過ぎ、夫と次女と私はお宿に泊まるため、ここでいったんサヨナラする。次の日もお楽しみが待っているので、ちびっ子たちも機嫌よく、笑顔で「また明日、遊ぼうね」と手を振ってくれた。みんなニコニコ。もちろん、夫と次女と私も。

 

しかし、県道を走り出すと一転、私たちはその暗さに息を呑んだ。町灯りがまるでない。本当に山の中だ。なんて急カーブが多いんだ。

 

ああ、娘たちはこんなに遠い所へ来てしまったのね。家まで建てて、いよいよここに根付いてしまうのね。

 

結婚したときにちゃんと覚悟したつもりだったけど、ここに至って決定的に長女を手放してしまったのだと気付いた私だった。夏の終わりの、暗闇の底で。

 


漆黒の不気味な道に思えたその道路は、多分よくあることなのだろうが、翌朝走ると全く印象が異なった。疲れと、ふいに襲った喪失感が、夜道を不穏なものに変えていたのか。

 

太陽の光を浴びれば、キラキラと山の緑に包まれて、なんと気持ちの良いドライブコースであることか。ミンミンゼミの声がのどかで明るい。

 

この日、婿どのの実家へご挨拶に伺った。もちろん、ちびっ子たちも一緒。大勢で押しかけてしまい恐縮したが、ご両親は温かく迎えてくださった。

 

双子が生まれたとき以来だから、3年ぶりになるのかな。こんなに離れていてはなかなか会えないが、今回の転居が再会の機会になったのはありがたいことだ。

 

芝生のお庭で、孫娘たちがシャボン玉遊びを始めた。大人たちも、外へ出る。マスクはしているけど、みんな、笑っている。

 

次はいつ、こんな風に一堂に会することができるだろう。

 

婿どのとそのご両親。人生の途中で、思いがけずご縁がつながった方たち。婿どのもきっと、彼らにとっては幼い面影をまとったまま、心の中では可愛い男の子のままなんだろうなと、会話の端々にそんな感じを受けて、なんとも微笑ましかった。

 

転居して近くに暮らすようになった若い一家のことを、これからもどうぞよろしくお願いしますと、夫と私は頭を下げた。手を合わせる思いだった。こんなに遠くても、なかなか会えなくても、このご縁はずっと続いていく。人生って、不思議。

 


緑の山や青空に向かってふわふわと飛んでいく、まんまるのシャボン玉。虹色に輝いて美しい。儚いからこそ、美しいのかもしれない。

 

見ていてね。
ほら、ちゃんと見てて!

 

孫娘たちは、何度もこちらを向いて、ママが、大人たちが、見てくれているかを確かめる。シャボン玉をたくさん飛ばせたり、上手に大きな玉を作れたりすると、得意気に目を輝かせて笑いかけてくる。

 

私の娘たちも昔、こんなふうにシャボン玉を飛ばして、見て、ほら見て、と言っていたなあ。それは、ついこの間のような気がするのだけど。

 

自由に遊びまわっているようでも、目の端ではいつもママをとらえていて。ママの姿が見えないとすぐ不安になってしまう。孫娘たちがママである長女の姿を確かめる様子に、幼い頃の我が娘たちが重なって見えた。

 

そして、多分、きっと・・・私もそうだったのだろう。小さい頃は、いつも母を目で追っていたはずだ。楽しいことをするときは、ちゃんと母に見ていてほしいと、そう思っていたはずだ。うっすらとだけど、思い出せる。

 

私の母も、幼かった長女や次女に、私の小さい頃の姿を重ねてみたことがあるのかな。シャボン玉の行方を追って目を上げると、空から母の笑い声が聞こえてきそうだった。あの、楽し気な明るい声が・・・

 


一昨日の、土曜日の晩は十五夜だった。
「見えた?」「雲でちょっと」「こっちは見えてきたよ」などと、私と長女と次女は、夕方からファミリーLINEでずっとやり取りをしていた。

 

昔、みんなでベランダでお月見したよね、とか。あの月見団子はナフコ(近所にあったスーパー)で買ってきたんだよ、とか。そう、他愛もない話。早く寝てしまった夫をよそに、興が乗って、俳句を詠んだりもした。笑

 

同じ月を見ている。
遠く離れていても、今、同じ月を。

 

まるで平安ロマンみたいだね、と笑いながら、私たちは嬉しい気持ちにちょっとだけ寂しさを織り交ぜつつ、優しい会話をした。そして、互いの幸せを祈っていた。

 

まんまるの月に、あの日のシャボン玉が重なった美しい宵。
どうかみんな、健やかで・・・

 

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