一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

歩きたい気持ちが、前を向かせてくれる

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ここのところ暖かい日が続いていて、まだ2月というのが信じられないほどだった。昨日は美容室へ向かう片道15分のウオーキングが、なんとも爽やかで気持ち良く、マスクの中で鼻歌を歌っていた私。上着、脱いじゃった。

 

その前の日も、午前中、夫と近くの川べりを散歩。ぽかぽか陽気で、光る川面は童謡そのもの。紗のかかったような景色の中を歩けば、まあるい休日、という言葉が浮かんだ。

 

そして、梅の花の蜜を吸っているメジロを撮影していたら、次から次へとお仲間が集まって来て、ちょっと焦ったけど笑ってしまった。

 

青空の下、抹茶色の小さなお饅頭が、いっぱい飛び回っている!

 

メジロってあまり人を怖がらないのかな。きっとあの梅の木は、みんなの行きつけのレストランなのね。

 


小鳥たちを見ていると、好きなように飛べていいなあ、と思う。ボリュームのある鴨や鷺や鵜も、この辺りではよく見かけるが、その飛んでいる姿の美しさといったら。いつも見惚れる。

 

私にとって、鳥は憧れで、外歩きの楽しみのひとつ。身近な鳥も好きだけど、珍しい野鳥と出会えば、たちまち幸福な気分になる。いつの日か、白鳥の飛翔する姿を見てみたいな。そうか、飛来地を調べなきゃ。

 

3年前に膝を痛めてから、長距離のウオーキングは辛くなってしまった私だけど、ゆっくりペースの散歩は時々楽しんでいる。これから良い季節になるし、covid-19が収まってきたら、列車で少し遠出して、知らない町をまた歩いてみたいなあ。

 

私は元から人が大勢集まる場所が苦手なので、オコモリ生活は全く苦にならないのだが、この1年、実家のある清水と我が家との往復ばかりで、さすがに「他の場所にも行きたい」と思い始めてきた。

 

今、行きたいところリストを作っている。この間から、まるでリスト作りにはまっているかのようだけど。笑

 ✻前回は“嬉しかったことリスト”のお話でした↓

tsukikana.hatenablog.com


行きたいところ、たくさんあるなあ。
まだ「密」が心配なうちは、広い自然を満喫しながら歩けるところがいい。クルマを借りて、そう遠くない場所の高原とか森とか海辺とか。そうね、それまでに、野鳥図鑑を買おう。

 

少し不安がなくなってきたら、長く会えていない長女一家と、どこかファミリーで楽しめる場所で遊びたい。距離的に中間になる伊賀の忍者村なんて楽しそう。

 ✻伊賀流忍者博物館(3月7日までは閉館のようですね)

www.iganinja.jp

 

ちょっと頑張って、和歌山・熊野灘でホエールウォッチング・クルーズも体験できたら素敵だな。パンダのいるアドベンチャーワールドにも、一度は行ってみたい。

 ✻昨年11月にパンダの赤ちゃんも生まれたアドベンチャーワールド

www.aws-s.com

 

それから、街歩きも久し振りに楽しみたいものだ。次女とお洒落なカフェ巡りやショッピングもいいね。私の知らないお店を、彼女は本当によく知っているから、お勧めのところに連れて行ってもらおう。

 

夫とは、レストランでワインもいいけど、焼き鳥屋さんでビールも捨てがたいなあ。マスクを外して、のんびり笑っておしゃべりしたい。カメラ片手にローカル線の旅、というのも、彼となら楽しそう。

 

そして、いろいろ安心できるようになったら、遠方に住む大好きな友人たちと、また旅にも出よう。素敵なガーデンを堪能したり、気持ちの上がるホテルに泊まったり。次は那須高原とか北海道とかに行けたら素敵。でも、ああもう、どこでもいいから行きたいわあ。

 ✻4人で初めて旅行したのは軽井沢でした↓

tsukikana.hatenablog.com


時間的、経済的に許されるなら、そしてもちろん安全だと判断できるようになったならだけど、生きているうちに海外にも行きたい。行けるといいな。「セカホシ」でうっとりと眺めた、まだ見ぬ世界。あの国も、この国も・・・。でもまず、フランスかなー。

 ✻NHK「世界はほしいモノにあふれてる」

www.nhk.jp

 


こんな風に、あれこれ思いを巡らせて、脳内であちこち楽しい場所を歩いている私。実際には明日からまたしばらく、清水に行く。独居老人となってしまった父のサポートをするためで、しばらくはこのパターンが続くだろう。

 

それが今の現実で、実家のことは常に私の優先順位の上位を占めている。常に心配だし、課題も悩みも多い。

 

でも、これって、親孝行ができるチャンスがまだ残っているということなんだよね。今、父が生きていてくれてるから。

 

そこはしっかり意識して、感謝して最善を尽くしたい。未だ悲しみの淵にいる父に、どう幸せになってもらうかを、私なりに考えていきたい。

 


母が歩けなくなって、事態がどんどん悪くなっていったのは、ちょうど去年の今頃だった。

tsukikana.hatenablog.com

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あのとき、打ちひしがれていた母に、どうして「車椅子で私がどこにでも連れて行ってあげるよ」と言ってあげられなかったんだろう。

 

歩くこと、自転車に乗ることが好きだった母。それができなくなったって、外の景色を楽しむことはできるよと、今なら励ましてあげられるのに。

 

 一緒になって悲しんでばかりの、
 不甲斐ない娘だったね。
 ごめんね、お母さん。

 

世の中が落ち着いたら、母の形見の品を連れて、あちこちを歩こう。歩くことは、前を向かせてくれるからね。母の魂をも、慰めることができるかもしれない。

 

そして・・・本当は父にこそ、ちょっとでも歩いてほしいのだ。散歩でなくても、たとえささやかなことでも、日々の楽しみを見つけてもらえたらと願っている。

 

会いたい人、行きたい場所、遊びたいこと。そういうものが、88歳の老人には希望になるのかどうか、正直、私にはわからない。体力的にも可能不可能があるし。

 

ただ、あんなに多趣味だった人が、何もしないでいるというのが、今も信じられなくて。「遊ぶ才能」が再び目覚めてくれたら、生きていくことに張り合いが持てるんじゃないか。そう期待してしまうのだ。

 


さて。元気を出して仕度をしよう。
5月並みだったという暖かさも一時的なもので、こちらの地方では、今日の最高気温は昨日より8度も低いと言っていた。

 

まだまだ、本格的な春は先らしい。体調を崩さないようにして、待ち焦がれるその季節を迎えたい。楽しいことを、ちゃんと楽しめるように。

 

それから。
緊急事態宣言が、前倒しで解除されるかもしれない。嬉しいけど、不安もあって。

 

随分みんな、我慢を強いられてきたよね。安心して外へ出られる日が、きっともうすぐ来るはず。

 

でも、まだしばらくは気を緩めないでいよう。これまでしてきたせっかくの努力や辛抱が、無駄にならないようにね。自戒も込めて、誰にともなく。

 

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これまで生きてきて、嬉しかったことはどんなこと?

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この季節、お花屋さんの前を素通りするのは難しい。選んで買うとなると、ますます難しい。悩むけど、笑みがこぼれる。

 

SMAPのあの歌のように、

 ひとそれぞれ好みはあるけど
 どれもみんなきれいだね

と、お花たち全部まるごと、褒め称えたくなる。

 


「人生で一番嬉しかったことは何ですか?」

 

そう聞かれたら、なんて答えようかと考えてみた。いつか読んだ新聞の投稿欄で、そんな話題があったから。

 

でもこれ、初恋はいつですか?という質問と同じくらい、難しいな。

 

え?初恋?難しい?と言われるだろうか。

 

だって、小学生くらいから、クラスの男子の中に「ちょっといいな」くらいに想う
子がいたりするけど、それって恋と呼べるのか?という問題があるし。

 

私は中1で西城秀樹さんにハートを奪われたが、そういうのを初恋、と言ってしまっていいのかどうなのか、とかね。よくわからない。


 ✻でも、HIDEKIは本当に好きだったなあ。今も好き。西城さんに関する記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com


その後は、好きと言ってくれた男子に好意を持ちそうになったのに、その子が転校してしまってそのまま終わったり。上級生を好きになったけど、卒業まで打ち明けられずに片想いのまま終わったり。

 

そういう甘酸っぱい思い出は、しっかり胸に刻まれているけど、これって恋だったのか?と自問すれば、「広い意味では恋なんじゃ?」と苦笑付きで返ってくる。

 


同じく、「一番嬉しかったこと」も難しい質問だけど、この場合の難しさは「一番」というところだろう。嬉しかったことって状況ごとに喜びの種類が違うから、並べて比較するのは無理があるというもの。

 

が、比較しようとして並べてみることは、これ、本当にお勧めしたくなる!

 

甲乙つけがたいハッピーな出来事が、今までこんなにあったのかと、自分の人生への肯定感がみるみる上がっていく。

 

いや、みるみる、は言い過ぎかもしれないけれど、「ふーん、私の人生も結構面白いじゃない、捨てたもんじゃないわ」くらいな気分には、きっとなる。

 

ここで大事なのは「昔は良かったなあ」という着地にしないこと。「なかなか面白い人生」は、継続中の人生全体のこととして捉え、そこにこんなにハッピーが並んでいる状態を喜ぶことだ。

 


思いつくままに、これまで嬉しかったことを書き出してみたら、あっという間に20個くらい並んだ。まだまだ出てきそう。そして、気付いた。

 

私は、認めてもらえたこと、褒めてもらえたことが、何より嬉しいんだなあと。

 

お金を稼いで欲しいものを手に入れたり、美味しいものを食べたり、高貴なワインを飲んだり。そういうことも嬉しいに違いないけれど、“どういう成り行きで手に入れたか”“誰と食べたり飲んだりしたか”が伴って始めて、それが「嬉しかったこと」に挙げられるかどうかが決まるようだ。

 

大きなライフイベント。例えば、受験合格や就職、結婚や出産にしても、そう。

 

単純に「子どもを産んだことが嬉しかった」というわけではない。どんな気持ちでその日を待ち、誰と喜びを分かち合えたか、どんな人たちにおめでとうと言ってもらえたか、などによって、素晴らしく嬉しい出来事になるかどうかが定まる。
(生まれてきてくれたことだけで嬉しいよ、という気持ちは、もちろんあるけどね)

 

勇気を出して踏み出したとき、何かを頑張って達成したとき、それを誰かが認めてくれたり、褒めてくれたりするのは、本当に嬉しいし幸せを感じる。あんまりパッとしない私の人生でも、そんな瞬間はこれまでたくさんあった。なんとありがたいことか。

 

仕事上でのこと、夫婦間でのこと、友人関係でのこと、いろいろ思い出されたけれど、私にとっての「一番嬉しかったこと」は、本当に本当に、ささやかなことかもしれない。

 


「ママは運転が上手よ。パパより上手よ。世界で一番上手よ」

まだ幼稚園児だった長女が、私を励ましてくれた言葉。

 

あれは、夫がLos Angeles出張のとき。まだ赤ちゃんの次女と4歳前の長女を、長期間ひとりでみるよりはと、清水の実家にしばらく滞在することにしたときだった。そのために、初めて東名高速を走ることになった私。

 

子連れでロングドライブ、しかも高速道路。私にしては大冒険だったのだ。

 

長女には「赤ちゃんがぐずったらあやしてあげてね」とはお願いしていたのだけど、自分が眠くならないように大声で歌を歌ったりして、長女なりに自分のミッションを重く受け止めてくれていたらしい。

 

そして、前述の言葉。私の勇気を称えてくれると同時に、私の不安を察して、自信を持たせようとしてくれたのだろう。シンプルに可愛くて面白くて、クスッとしたけれど、後からじんわり感動した。なんて優しい子に育ってくれているのかと。

 

そして、幼い子どもの誉め言葉にだって、大きな力があることを知った。もちろん、無事に実家に到着。帰りは、夫を迎えに空港にも寄ることができた。娘の励ましのおかげだ。

 

ちっぽけなエピソードだけど、就職して初ボーナスをもらったときよりも、私には嬉しい出来事だった。企画が通って初めて本を出版したときよりも、写真展でプロの写真家に写真を褒めてもらったときよりも、新婚旅行で憧れのフィジーの海に潜ったときよりも、多分、私の嬉しいことリストでの輝きは大きい。
(2番目に輝いているものは内緒。ちょっとここでは書けません・笑)

 


立春を迎え、暦の上では春になったが、この寒さ。たちの悪いはやり病により未だ続く不安と閉塞感。心に清らかな風を通し、明るい色を入れていくためにも「これまで生きてきて嬉しかったこと」を書き出してみること、お勧めしたいなぁ。

 

一陽来復・・・
悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かう。

 

まさに今は、それを願う気分。春色の花のブーケを心に抱いて、今日も笑顔でいようと思う。

 

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素敵な方と隣り合って暮らしていた、そんな幸せ

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その人は時々、ベランダで空を見ていた。手すりに肘をあずけて、あるいは頬杖をついて。どこか物憂く、寂しそうな表情にも見えれば、うっとりと夢見ているようにも見えた。

 

隣に住む私は、隔て板の向こうの彼女に気付くと、いつも声を掛けようか迷った末、首を振ってベランダから部屋に戻った。

 

邪魔をしてしまう気がして。彼女の世界を乱してはいけないと思って。

 

当時の私は、確か40代前半。まだ子育ても終わっていなかったし、仕事も大変な時期だった。生きていくのに必死のバタバタした日常の中、マンションの階段でたまに出会う彼女は、落ち着いた穏やかな印象だった。

 

その方、Tさんはちょうど私と母親の中間くらいの年頃で、お連れ合いとふたり暮らしのご様子。そこに入居することになったご事情とか、家族構成とかは、世代の違いによる遠慮もあり特に伺うこともなく、挨拶をしたり軽く世間話をしたりする程度の間柄だった。

 

けれども人懐こい笑顔が素敵だし、ちょっと八千草薫似の品のいい美人さん。「なんか好きだなあこの方」って、会うたび思っていた。

 

そう、いつもニコニコとおしゃべりをしてくれるので、ベランダで見かけたら挨拶くらいできそうなものなのに、空を見ているTさんには、簡単には話しかけられないような、バリアといってもいいくらいの、近づきがたい独特の気配が漂っていたのを思い出す。

 


私は、新築のその集合住宅に、結婚と同時に入居した。私たち夫婦の住む部屋は、3本ある真ん中の階段の3階で、その階段を使うのは1階から4階まで、全部で8世帯だった。

 

入居した当時は、個性的な住人が多くて面白かったり怖かったり。何故怖かったかというと、ヤクザの親分さんも1階にご家族で住んでいたからだ。派手なスーツの子分さんたちが頻繁に出入りされていた。そして、その2階上には、警察官と民放テレビアナウンサーのご夫婦が住んでいたのだった。すごいよね。ドラマみたい。

 

ところで私の娘たち。生まれた時から住んでいたわけで、あのマンションにはふるさと的な、ある意味「私の家」的な気分があったのだと思う。

 

小さい頃は、強面の親分さんに階段で会い、元気いっぱいに挨拶して
・・・褒めてもらったり!(^^;
遊び友だちのおうちはもちろん、そうでない他所のお宅でも、許されればどんどん上がってしまう。まあ、牧歌的な時代だったのかもしれないけど。

 

そして、冒頭のTさんのお宅にも上がりこんだことがあった。引っ越してこられて早々、だったと思う。どういういきさつだったか、よく覚えていないのだけど、多分、鍵がなくて家に入れなかったとき、Tさんが気づいて招き入れてくれたのではなかったか。

 

恐縮する親の気持ちも知らずに、「本がたくさんあってね、玄関まで本棚がびっしり。おじさんは怖そうに見えたけど優しい人だったよ」なんてはしゃいでいた娘。長女だったか次女だったか、あるいはふたりまとめてだったか。

 

でも、それをきっかけに、Tさんとはよく言葉を交わすようになったし、無口なお連れ合いさんにも「おはよう!」と声を掛けてもらえるようになった。

 

ちょっと上から目線ぽいようなこの方、大学教授だと後に知り、なるほど学者さんなのねと納得。下駄を履いてコンビニに行ったりする姿も、どこかユーモラスで憎めなかった。

 


27年近くもあそこで過ごしたから、その間に住人はどんどん入れ替わっていった。ヤクザさん一家もいつの間にかいなくなり、警察官カップルの次の次、くらいに入居したTさんご夫婦も、7年ほどで転居して行ってしまった。

 

その退去のご挨拶にいらしたとき、少し長めにTさんとおしゃべりができ、ある程度のご事情を教えてもらったのだった。

 

Tさんご夫婦にはお嬢さんがふたりいて、どちらも大学入学や留学などで、10代で家を出られていること。その後、一軒家を建てようと土地を買ったが地盤が悪いことがわかり、契約を破棄したら莫大なキャンセル料を取られた出来事。ひとまず、ということでこのマンションに移り住んだのだと。

 

不運を嘆きながらの入居だったが、鳥が好きなお連れ合いは、ここで野鳥が多く見られることに気を良くされたそう。Tさんもここでの暮らしに慣れていき、住み心地も良く感じるようになったそうだ。

 

そして、隣に住む私たち一家のふたりの娘を見て、お嬢さんたちを育てていた頃を懐かしく思い出したとおっしゃる。

 

遠く離れて暮らすことになるなら、もっとあの頃を楽しんでおけば良かったと思い、今後、暮らすならお嬢さんたちのそばに住みたい、と考えるようになったと。それで、東京で暮らすお嬢さんのご近所へ行こう、ということになったそうだ。

 

なんと。うちの娘たちの存在が、あのご夫婦のお引越しを決意させてしまったのか。

 

それから、Tさんはずっと源氏物語を研究されていて、好きが高じてカルチャーセンターで講師を務めるまでになったというお話も聞いた。どおりで雅で知的な雰囲気が漂っていたわけだ。

 

そうか、ベランダで空を見ていたときは、光源氏のことを思っていたのかな。いや、それもあるかもだけど、多分、ふたりのお嬢さんのことを思っていたのだろう。

 

空の青さ。飛ぶ鳥の美しさ。季節は移ろって・・・

 

早くに巣立ってしまったのだなあと、可愛らしかった幼いお嬢さんたちの姿を、きっと改めて思い出したのだ。寂しさ、愛おしさ、切なさが日に日に募っていったのかもしれない。そばで暮らせるものなら、そりゃあそうしたいよね。

 

元々、Tさんは東京の大学(女子大の最高峰)を出ていらっしゃるから、彼の地で暮らすことにも抵抗はなかったのだろう。むしろ、懐かしさの方が大きかったかも。

 

いろいろ納得して、幸せを祈りながらお別れしたのだった。でも、もっと仲良くしてたくさんおしゃべりをしておけば良かったなあと、そのとき私は心から思った。

 


5年前に、私たちもあの集合住宅を去った。思い出があり過ぎて、引き渡しのときはさすがに万感胸に迫るものがあったなあ。

 

たくさんの方にお世話になって、幸せな子育て時代を送ることができたと、今も感謝とともに思い出す場所である。

 

Tさんとは、この10年あまり、年賀状での交流が続いている。今ではカルチャーセンターの講師のみならず、大学の非常勤講師もされていて、ご活躍が眩しく嬉しい。

 

昨年は母が亡くなったため、年賀状は書かず喪中はがきを出した。すると、ほどなくしてTさんから長いお手紙をいただいた。思いやりに溢れた、優しく温かいお手紙を。

 

崩し字の達筆。ああ、母と同じだ。

 

どことなく母との共通点があるな、と、実はかねてから思ってはいたのだが、その字を見て、文章を読んで、私の母とやはり少し似ているのだと感じた。

 

Tさんとは全く面識のない母だけど、なんだか紹介したくなってしまい、母の遺影の前にそのお手紙を置いた私。

 

一昨日、拙い字の横書きだけど、お返事の寒中見舞いをTさんに出した。私のことももっと知ってほしくなり、長い長い手紙になった。少しだけ、母に手紙を書いている気分にもなった。

 


人生は出会いと別れの繰り返し。でも、この年齢になってくると、もう出会う数より別れる数の方が多くなっている気がしてならない。

 

そして、ご縁があって出会った人はたくさんいるが、出会った人全てが好きになるわけではもちろんない。また、出会って好きになった人全てに、好きになってもらえるわけでもない。

 

そんな中で、ほんのり相思相愛とも言える、うっすらとでも何か惹かれ合っている人とのご縁がある。しかもそれが続いている。

 

これって人生に彩りと輝きを与えてくれる、ひとつの宝物なのではないだろうか。
大事に、したい。

 


大変な世の中になってしまっていて、暗く沈みそうになりがちだけど、小さくても力をくれるもの、光を当ててくれるものは、日々の中に必ずある。また、小さくても誰かに力をあげられるもの、光を当ててあげられるものも、自分の中にきっとあるはず。

 

見落としがちな小さな小さな宝物。幸せのかけら。楽しみの種。見つけて大事にしていけば、明日はもっと良くなっていく。

 

信じて、口角を上げて、今日も機嫌よく生きようと思う。

 

 

今年の初投稿です。久し振りの更新となってしまいました。
喪中のため新年の明るいご挨拶は控えますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
コロナ禍がおさまらず、また厳しい寒さが続く日々ですが、どうぞ皆さま、心身ご自愛くださいませ。
からだもこころも、大事にしましょう。守りましょうね。

 

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刺しゅうの雑誌を買ってみたら・・・

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あっという間に師走ももう半ばである。気分だけは慌ただしいが、なかなか動きが伴わない日々。

 

世の中は相変わらずコロナで、先の見通しが立たず、年末年始の計画も宙ぶらりん。家の中のことなど、今できることをやっていこうと思うのだが、気持ちが乗ってこない。

 

といって、娯楽に流れるほど度胸もない。「遊んでる場合じゃないでしょ」という鋭い声が、自分の中から聞こえてくる。

 

ああもうほんと、12月ってやっかいだ。

 

そんな私を落ち着かせてくれたのは、刺しゅうだった(これは遊びではない。薬っ!)

 

11月に予約注文して届いていた「リンネル特別編集 素敵な刺繍生活」。その付録、刺繍スターターキットを使って、私の好きな刺繍作家atsumiさんの、それはそれは可愛らしい図案を刺してみた。

 

リンネルは好きだし、atsumiさんの図案も好きだし、宮﨑あおいちゃんの語る刺しゅう愛も読んでみたいし、キットの内容にも興味あるし。で、買わない選択はなかったのだった。

 

ただ、いろいろ用事が重なり忙しく、手が付けられずに放置していて。

 

ちょっと久しぶりの刺しゅう。さあ、いよいよ取り掛かろうと思って付録を開けてみたら、キットの布に図案の印刷がない。

 

あれ?トレースからしなくてはいけなかったのね、と少し残念な気持ちになった。

 

「付録だけでゼロから刺せます」と書いてあったので、てっきり布には図案が印刷されているものと、勝手に思い込んでいた。写真をよく見ればわかったのにね。

 

刺しゅうの枠や針、糸、布はキット内容に含まれているけど、トレースの材料は含まれていない。図案を布に写すためには、トレーシングペーパーやチョークペーパーなどの材料を用意する必要がある。私は持っていたけど、初心者さん向けというなら(私も初心者みたいなものだけど)あまり親切とは言えない。そこで立ち止まってしまう人がいそうな気がする。

 

それから、布の織り糸が思ってた以上に硬くて太い。狙った位置に針を刺すのがちょっと難しく、細かいステッチには辛かった。慣れている人なら、どうということないのかもしれないけれど、私には少し難易度が高かったかな。

 

そうはいっても、とにかくデザインが可愛くて、刺しゅう糸の色も素敵。針を持っている間中、気分が上がった。仕上がれば、出来はともかく(笑)本当に嬉しい。そして、次は何を刺そうかな、という気持ちになる。

 


ところで、リンネルとほぼ同時に購入したのが「ステッチイデーvol.32」だった。刺しゅうの定期刊行物があるということを何かで知り、どんな感じなのかずっと気になっていたのだが、今回初めて買ってみた。

 

これが、すごく充実した内容でびっくり。

 

52点の作品の写真と図案が掲載されていて、綴じ込みの実物大図案(2色刷りの大判)が付いている。特集の「モノトーンのクロスステッチ」を始め、どのページも美しく見やすく、ステッチのワンポイントアドバイスとか刺しゅうの基礎のコーナーもわかりやすい。テーマに沿った読み物もいくつかあり、興味深いコンテンツが盛りだくさん。

 

私はフランス刺しゅうが好きだったのだが、そんなに興味のなかったクロスステッチにも関心を持つようになったし、刺しゅうの種類も本当にいろいろあるのだと、この雑誌を通して知ることができた。

 

イタリアの伝統刺しゅう「プント・アンティーコ」の緻密な美しさには、心が震えた。西暦800年頃から行われていた手法だそうだ。

 

ルーツはシチリア島だけれど、オリエント文化の影響も受けている。長い歴史の中で成長し、洗練されていった手工芸のひとつなんだね。

 

それにしても、なんて気品があり、かつ柔らかい優しさを感じさせるんだろう。素敵、としか言いようがない。実物を手に取って見てみたい。

 

こぎん刺しの作品もいくつか掲載されていた。日本の伝統刺しゅうも、本当に素晴らしい。調べていったら奥が深くて面白いだろうな。

 

刺し子(日本三大刺し子は「津軽こぎん刺し」「南部菱刺し」「庄内刺し子」)には、実は昔から心惹かれるものがあった。インテリアや手持ちの服に合わないと、これまでなんとなく遠ざけていたのだけど。

 

ついに先日、刺し子ふきんを作ってみようと決め、手芸店で布と糸と針を入手した。ふきんとして使わないかもしれないけど、とにかく心惹かれるのだから、経験してみようと!

 

私のこの行動。見ようによっては、なんだか全てが中途半端だという気がしないでもないが、今の私はおそらく「極める」ことがしたいのではなく、「やってみたい」思いを大事にしたいのだ。

 

今やってみたいのは、自分のオリジナルの図案で刺しゅうをすることと、興味を持った他の刺しゅうの技法に、できる限り触れてみること。刺しゅうに関しては、そのふたつ。どちらもすごく、ワクワクする。

 

これまでは、刺しゅうの本といえば、好きな作家さんや気になった作品が載っている図案集を買うという発想しかなかった。でも、こんな風に興味の世界が広がっていく雑誌を買う、というのも楽しいことだと知った。広告の多さは仕方ない。関連の物がほとんどなので、それもまた楽しいし。

 

このようにやってみたいことばかりが増えて、自分の人生の残り時間が追い付くのか、まあ甚だ怪しいけれど、やりたいことがないよりは随分いいよね、きっと。

 

それに、刺しゅうの場合、やりたいことを複数やっていく中で、相乗効果というのは必ずあると思う。(プント・アンティーコを引き合いに出すのはおこがまし過ぎるけれど)デザインの発想への影響とか、刺し方の応用とか、違う技法をコラボレーションするとか。あれこれ試していくうちに、絞られたりミックスしたりして、自分の独自の道を見つけられるかもしれない。

 

もちろん、針扱いに慣れてくれば、技術の向上も期待できる。
・・・と、思う。・・・思いたい。

 

問題は、隙間時間にやると決めていても、楽しくなってくると、やめ時が難しいことだ。どんな趣味でもそうかもしれないね。時々、昼食を抜いてしまう。笑

 

さて、初挑戦の刺し子、上手くいくかな。手始めは、Instagramで見かけてからずっとトライしたいと思っていた「霰亀甲(あられきっこう)」という模様。とても楽しみだ。

 

初めてなので、まずはやり方から調べなくてはね。インターネットの時代で助かった!
(何冊も本は買えない。←小さい声


✻今回購入した雑誌は以下の2冊です。


リンネル特別編集 素敵な刺繍生活 (TJMOOK)



ステッチイデーvol.32 (Heart Warming Life Series)


✻今年の始めは、上手になることを熱望していました。↓

tsukikana.hatenablog.com

 

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ノスタルジックな気分と幸福感―クリスマスの飾り付けに思う

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11月は、週末をいつも次女と過ごしている。一緒に買い物に出掛けたり、カフェに行ったり、彼女が家に泊まったり、私が彼女の部屋に行ったり。

 

去年の暮れに、同じ県内でひとり暮らしを始めた次女。当初はよく会っていたのだけど、その後コロナ禍で会えない時期が長く続いた。

 

✻次女のひとり暮らしについて書いた記事はこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 

その間、母が亡くなったことを始め、いろいろな出来事があり、電話やLine、ビデオ通話はしていたものの、会って話せないもどかしさを感じ続けた。

 

まるでその反動であるかのように、最近はよく会っている。
・・・でも多分、反動だけではないのだと思う。

 

「またずっと会えなくなるかもしれない」という思いが、この不穏な世の中を生きていくうちに、心の中で育ってしまったのではないか。そんな気がしている。

 

次女は、わりとさっぱりした性格で、お見送りをされるのもちょっと抵抗あるような子だったのに、先週は自分のマンションから帰って行く私の背中を見て「追いかけたい衝動を抑えた」のだと、一昨日打ち明けてくれた。

 

どうしたどうした、あなたらしくない、と笑いながらも、次女の心の中を占めている不安や心細さが、こちらの胸にダイレクトに届き、目の奥が熱くなってしまう私だった。

 

・・・会いたい人に、会いたいときに会えるという、普通のこと。
それが不可能になることもあるのだと、誰もが思い知らされた今年。

 

11月も終わりに近づき、寒くなった。5時を過ぎるともう真っ暗になる。晩秋から冬へ向かうこの季節も、不安や寂しい気分に拍車をかけているのかもしれない。

 


夜のとばりが下りきる前にカーテンを閉め、照明をつけるとほっとする。一昨日からは、クリスマスツリーの電飾にもスイッチを入れるようになった。泊まりに来ていた次女が、帰る前にセットしていってくれたのだ。

 

自分がしたいから、と言っていたけど、きっと、私のためなんだと思う。この季節に、寂しくならないように、華やいだ気分を楽しめるようにと、親思いの娘が巣立った家を明るく飾り付けてくれたんじゃないかな。

 

自分が寂しさを感じるとき、自分の大事な人も寂しがっているのではないかと、多分、次女はそういう風に思いを広げる。彼女はよく「お母さん、寂しくない?」と心配そうに聞いてくるので、私はその優しさのみなもとを思い、頭を撫でてしまう。

 

それでも、次女は本当に楽しそうに飾り付けをしていた。「昨夜のウーバーイーツ、良かったね♬」なんてはしゃぎながら。飾り方の細かい所に工夫がみられる。そこを楽しんでいるらしい。

 

私も、娘と先日イケアで買ったLEDのイルミネーションライトを、壁に取り付けてみた。オーナメントボールもドア枠にぶら下げてみる。キラキラして、とても美しい。

 

なかなか、可愛いかも。素敵かも♬

 

自然に笑顔になってきた。クリスマスの飾り付けをする、という行為には、メンタルへの効用もありそうだ。

 

リビングに。玄関に。娘たちが生まれてから、何度も何度もクリスマスの飾り付けをしてきたなあ。毎年、忙しいけれどこの季節が楽しみだった。そこには必ず、家族の笑顔があったから。

 

はしゃいだムードにそぐわない大変な年も何度かあったはず。でも、不思議とそれは思い出さなくて。ツリーやリースを見れば、いつもふたりの娘や夫の、楽しそうな顔と結びつく。マライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」とともに。

 


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それから、小さかった私と弟、若かった父と母。昔、住んでいた家の景色もよみがえってくる。

 

郷愁とか、昔を懐かしむ思いを「ノスタルジー」と言うけれど、まさにそんなノスタルジックな気分が、クリスマスの飾り付けをすることで呼び覚まされるようだ。

 

そのノスタルジーに含まれている哀愁は、哀しい色は抑えられていて、優しさや華やぎが温かみを帯びて輝いている。

 

だから、幸福感をもたらしてくれるのだろう。それは気付かないほどの小ささ、かもしれないけれど。たとえ小さくても、ストレスの多い今年は特に、クリスマスのデコレーションが果たしてくれる役割は大きいのではないかと思う。

 

次女も今、自分の部屋をクリスマスモードに模様替え中だという。長女のところでも、去年作ったあのクリスマスタペストリーが、そろそろ飾られる頃かな。

 

遠く離ればなれになってしまっても、お互いを想う気持ちは変わらない。それぞれがそれぞれの場所で、クリスマスを待つ楽しみを味わい、幸せな気持ちを大事にしていけたら、と願う。

 

それにしても・・・

会いたい人に、会いたいときに会える。不安なく。
そんな世の中に、早く戻ってくれないものか。
感染拡大のニュースに、今日もため息が出てしまう。

 

クリスマスまで、あと1か月。


✻これまでに書いたクリスマス関連の記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 

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父とふたりで、母の思い出のレストランへ

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久しぶりに、ハンカチにアイロンをかけた。

 

え。何年ぶりだろう。
昔は家族4人分のハンカチに、毎日のようにせっせとアイロンをかけたものだった。夫がパイル地のハンカチを愛用するようになって以来、我が家ではアイロンの必要なハンカチは日の目を見なくなっている。

 

いつからか、ハンカチの必要なシーンも減った。
商業施設でも、駅やサービスエリアでも、トイレには手を乾かしてくれるハンドドライヤーが、普通に装備されてきて。

 

もっとも最近はコロナのため使えないようにされていて、またハンカチが活躍しているが、それはダブルガーゼやパイル地の、アイロンをかけなくて済むハンカチだ。

 

綿ブロードの大きなハンカチにアイロンをかけるのは、正直言って面倒だった私。でも、パキッと四隅の角が際立ち、大小のしわが伸びて、生き返ったようにカッコよくなった姿を見るのは好きだった。

 

昨日、アイロンをかけたハンカチは、母のもの。先週、また清水の実家に行って、諸々父の手伝いをしてきた折、帰りにもらってきた、言わば“母の形見”のひとつ。ちょっとしたエピソードのある品だったので、持ち帰って洗い、アイロンをかけた。

 

母は昔からハンカチが好きで、出先で気に入った柄を見つけるとすぐに買っていた。人からもよくもらっていたし、あげてもいた。私もこれまで何枚も母からハンカチをもらった。新品のまま引き出しの奥に眠っているものもいくつか。

 

「なんで、そこまでハンカチが好きだったんだろうね」
と、父と笑ってしまうほど、あの家には母の膨大なハンカチコレクションがある。

 

宝石とか香水とかには、まるで興味がなかった母。でも、ハンカチには目がなくて。特別な思い入れでもあったのだろうか。今となっては知るすべもないのだけれど。

 

「お金のかからない趣味で助かったね、お父さん」
と父を見れば、苦笑しながらも頷いている。懐かしそうに遠くを見る目をした父は、ふと私を見て、こう言った。

 

「どうだ。カレー、食べに行くか?」

 

父は、母が結婚前に母の父(私の祖父)と時々訪れていたという、老舗のレストランに私を誘ったのだった。母の写真も連れて行こう、と嬉しそうだ。

 

父と母の結婚前に、母方の祖父は病気で亡くなった。だから、私は祖父に会ったことがない。どんな人だったか、母からも聞いたことはなかった。

 

そもそも母は、自分の家族のことをあまり私に話さなかった。9人兄弟の三女で、戦時中、空襲のときに末の妹を背負って逃げた話だけは別。それは、とてもよく覚えているけれど。

 

炎に包まれた町を走り、妹を背負ったまま用水路に落ちて、もうこのままふたりして死ぬんだと思ったとき、見知らぬおじさんが引き上げて助けてくれたと。映像が目に浮かぶくらい、リアルに教えてくれた。母がまだ、10歳のとき。多分、私が同じ年の頃、繰り返し話してくれたのだと思う。

 

でも、その話くらいかな、強く印象に残っているのは。件の末の妹のことを、母は最期までとても愛していた。家も近いので、ずっと仲良しだったようだ。私も一番親しい叔母として、昔も今も大好き。

 


「お母さんのお父さんって、どんな人だったの?」

 

母の大切な思い出の店で、その店の看板メニューであるカレーを待ちながら、私は父に聞いてみた。父も、母との交際中に数度会っただけだから、あまりよく知らないのかもしれない。

 

「真面目だけど、なかなか面白いところもある人だった」

 

なんじゃそりゃ。イメージがまるで掴めない。笑

 

終戦までは職業軍人だったと聞いていた。戦後は、地元の大手の企業で働いていたそうだ。空襲で全焼した家をちゃんと建て直し、9人の子供を育て上げたのだから、会ったこともないおじいちゃんだけど、「すごいね」と言いたくなる。

 

母が結婚する前というのは、日本は戦後復興期から成長期へ向かう頃か。田舎だった清水も、それなりに華やいだ雰囲気に包まれていたのかなあと、想像する。

 

それでも、当時はレストランに食事に行くことは、きっととてもスペシャルなことだったはずだ。

 

父親と港町の洋食屋にカレーを食べに行く。そんな晩は、若き母はきっと、うきうきと心弾ませていたことだろう。嬉しそうな母の顔が浮かび、私は胸が熱くなった。

 

そのお店、「サンライス」さんは大正10(1921)年オープン。創業99年だと知った。戦前から続く老舗洋食店だったのだ。

 

オープン当初はどんなお店だったのかな。今と違って、カレーもハイカラなご馳走だっただろうから、お客さんも特別な思いでテーブルに着いていたのかも。

 

それは、60数年前くらいだって、きっとそうだよね。ああ、母に聞いて確かめたいなあ。おじいちゃんと「サンライス」さんに行くのは、すごく楽しみだったんでしょ?と。

 

現在は「エスパルス通り」だけど、当時は「波止場通り」。船長、パイロット、税関職員などが連日訪れた、と書いているサイトもあった。往年の賑わいが偲ばれて、ちょっとロマンを感じてしまう。

 

もちろん何度か改装されているのだが、レトロな雰囲気も感じられる、なかなか素敵なレストランだった。店内には、フランス鴨の燻製室なんていうのもあって、ちょっと驚く。カレーも美味しかったけど、今度はコース料理を頼んでみたいな。

 

お店にいらしたマダムは、いったいおいくつなのか。88歳の父が、若い頃にここへよく来ていたことを話すと、息子でも見るようにニコニコと聞いておられた。

 

そう、父も清水で働いていた頃は、よくランチでこの店へ来ていたらしい。母と祖父のここでの食事にも、誘われたことが一度あったそうだが、仕事で行けなかったと残念がっていた。きっと、祖父も残念だったよね。

 

・・・いや、ほっとしたかな?
当時、父は母の恋人だったのか。うーん、変な感じ。笑

 

父も母も、清水っ子で、私は清水生まれだけど清水のことは何にも知らない。今年はそんな複雑な思いを何度もしているなあ。

 

✻清水と私のことは、こちらで書いています↓

tsukikana.hatenablog.com

 


母は、もしかしたら、娘の私にはあまり自分の昔のことを知ってほしくなかったのかもしれない。私たちはわりと仲の良い母子だったと思うが、話してこなかったということは、その内容について知ってほしくない、ということなのかも。

 

私も自分の娘には、私の過去について話したいこと話したくないこと、あるものね。別に知られて困るわけではなくても、あえて知らせることでもないか、という感じで。

 

だから、母の昔のことも、清水に行くと周囲の人につい取材みたいに聞きたくなってしまうけれど(職業柄?)、ちょっと抑えておこうかとも思っている。父が、ポツリポツリと話してくれるのは、とても嬉しく聞いちゃうけどね。

 


アイロンをかけた母のハンカチ。それは、十数年前の母の日に私があげたプレゼントの、おまけの方だった。メインのブラウスは若い人向けのデザインで自分には合わないと、その年の夏に私に戻されたのだ。母はそういうところ、合理的な人。

 

でも、大判のハンカチは気に入っていて、「ネッカチーフにしてるの」と言っていた。

 

ネッカチーフ。昔、そんな言葉があったっけ。首に巻く小さなスカーフだね。

 

そのネッカチーフが、母の普段使いの服を入れているカゴの中にあった。そのカゴの中身を整理してほしいと、今回父に頼まれ、見つけたのだった。ずっと、愛用してくれていたのかなと、思わず微笑んだ私。

 

シビラのハンカチ・・・
当時、頸椎の手術をして入院中の母に、元気を出してもらいたくて選んだ色と柄だった。

 

少しも色あせていないし、シミひとつない。大事に使ってくれていたんだね。

 


母が亡くなって間もなく半年がたとうとしているが、母への恋しさは増すばかりで、いつも話し掛ける時、はじめは笑っていても、しまいには涙声になってしまう。

 

会いたいよ・・・
声が聞きたいよ・・・

 

そして、母の85年の人生を、きれいに包装してリボン掛けしているような気分が、ずっと続いている。大変なこともたくさんあった人生だけど、母は幸せだったのだと、強く信じたいのかな。それは、私のエゴかもしれないね。

 

遺影の母は、呆れているようにも見えるし、慈悲深く見つめてくれているようにも見える。

 

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“ささやかな幸せ”を抱きしめる―11か月ぶりの再会

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今日も、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、眠ることができる・・・

 

ここのところ、毎晩のように、このささやかな幸せをかみしめている。新聞やテレビで、悲しい切ないお話を、ずっと見聞きしているからかもしれない。

 

・・・どんなに辛いことがあっても、私は飢えていないし、凍えていない。それだけでも幸せなことだ。ありがとうございます・・・

 

そして、このささやかな幸せを同じように抱きしめていた、遠い昔を思い出した。

 

慌ただしかった子育て中、不安も不満も自己嫌悪も、いっぱいあった中、並んでスヤスヤと眠る幼い娘たちを見て、ふっと安心した夜があった。

 

「大丈夫。この子たちはお腹を空かせていない、寒がっていない」

 

秋も深まる頃だった。

 


子どもを育てるというのは、当たり前だけど、とても大変で責任が重い。自分のような未熟な者に、ちゃんと育てることができるのだろうかと、いつもどこかで自信がなくて、育てていけなくなったらどうしよう、病気や怪我で死なせてしまったらどうしようと、沸き起こる不安に怯えていた。

 

そして、そんな不安は決まって夜に訪れる。昼間は忙しさに紛れてしまうというのもあるが、ふたりの笑顔と笑い声にこそ救われていたのだと、寝顔を眺めながら思い知る。私は、私を悩ませるものに、同時に幸せをもらっていた。

 

悪いことばかりを考えてしまう夜、「わたしたち、幸せだよ」と言っているかのような寝顔に、私はどれほど安堵しただろう。少なくともこの子たちは、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、満ち足りた顔をして寝てくれている。まるで奇跡。なんと有難いことか。

 

お金持ちではないけれど。
夫は仕事で毎日帰りが遅いけれど。
ときには頼りたい実家が遠方ではあるけれど。

 

でも、私は子どもを育てる環境に恵まれている。ひもじい思いをさせずに済んでいる。

 

感謝しなくては。

 

境遇に。時代に。神様に。
夫に。親に。友人、地域の人たちに。
そして、どんな宝物よりも貴い、ふたりの娘たちに、ね。


そう、私にたくさんの幸せを与えてくれた娘たち。
時は流れ、長女はもう3児の母である。先月、30歳になった。

 

去年は双子出産のために、上の子を連れて我が家で半年近くを過ごした長女。その頃はまだ次女も家にいて、本当に賑やかな毎日だった。大変だけど、それはそれは幸せな日々だった。

その頃のお話は双子プロジェクトとしてこちらに↓

tsukikana.hatenablog.com

 


長女たちが関西の家に帰ったのが11月3日。その後、同月の後半に一度、娘のところへサポートに出掛けたのだが、それを最後に長期間、会うことがかなわなくなってしまった。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で。

 

しかし!
先日の日曜日、ようやく会うことができた。夫と次女と私、3人で、とんぼ返りではあったけれど、長女一家のところまで行ってきたのだ。

 

11か月ぶりの再会。言葉にならない喜びだった。

 

こんなに長いこと会えなくなるとは、誰もが予想もしていなかった。会いたい人に会えるっていうのは、なんと素晴らしいことだったのか。

 

新生児だった双子は、もうヨチヨチ歩きの1歳になっていた。2歳児は、ピカピカとした発言で周囲をもれなく笑顔にする、素敵な3歳児に成長していた。

 

当たり前のことなのだけど、本当にビックリする。この11か月の間、たくさんの写真や動画を見せてもらったし、ビデオ通話もしてきたが、やはり実際に会うのは全然違う。

 

そして、長女。・・・すっかり痩せていた。筋トレしたとは聞いていたけど、それだけじゃない。細すぎる。

 

実家が遠く、夫の仕事が忙しいというのは、私の子育て中のときと同じだけれど、上の子と下の子で、2歳違いということ(うちの子たちは4歳違い)と、下が双子というところ、子育ての大変な時期にコロナ禍があったというところが、私と全く違う。

 

赤ちゃんを同時に3人、昼間ひとりでみているようなものなのだ。まとまった睡眠もとれていないだろう。
どんなに大変で、不安で心細かったことか。

 

コロナがなかったとしても、今年は私の母が入院し、その後亡くなったから、私はバタバタと清水の実家へ飛んで行くことが多かったし、なかなか長女のところへ応援には行けなかったかもしれない。

 

「手伝ってあげられなくって、ごめんね」

そう言おうと思ったら、長女の方から

「清水のこと、何もできなかったの、ごめんなさい」

と詫びてきた。抱きしめるしかない。

 


私の母は、初孫であるこの長女を、どれほど愛していたか。長女が結婚してからも、いつも気にかけ、幸せを祈っていた。自分が倒れてからも、手助けのない中で双子と2歳児を育てている長女を、ずっと心配していた。

 

長女と母を会わせてあげられなかったことが、悔しくてたまらない。私の次女も、弟のところの甥と姪も、同じこと。愛する孫たちに会えないまま、母は旅立たなくてはならなかった。

 

・・・そんな大人たちの悲しみなど、まるで知らない3歳児と双子の1歳児は、無邪気な笑顔でこちらを見ていた。遊ぼうよ、とねだっている。

 

それでいい。それがいい。
おばあちゃまもママも、泣かないよ。一緒に遊ぼう!

 


今回のとんぼ返り再会は、夫の発案だった。

 

会える?―いやダメでしょう。
そろそろ会える?―ちょっとまだ危ない。
もう会えるんじゃ?―どうしよう。

 

ずっとそんなふうに逡巡していたのだが、長女の疲労とストレスが限界になるのではと心配した夫が、決断してくれた。感染対策をして、短時間の滞在。

 

「子どもたちを見てもらってる間にお家のことをしたい」

 

それが、長女の願いだった。なんとささやかな。
でも、気持ちはよくわかる。お皿ひとつ洗うのも、ちびっ子3人いると後回しにせざるを得ず、溜まっていく家事にストレスはどんどん増してしまうのだろう。

 

昼食後、次女と私が孫娘たちと広い児童公園でたっぷり遊んでいる間、長女は家で少しまとめて家事ができ、買い物を済ませた夫が長女を手伝ってくれた。

 

ほんの少しだけ、長女も気分転換できたかな。

 

彼女の大変な毎日は、まだしばらくは続くだろう。でも、幸せであることは、間違いないのだ。

 

長女には、彼女のことをとても大事に思ってくれる優しい夫がいて、可愛い娘が3人もいるのだから。そして、あたたかいお布団で空腹も感じさせずに、眠らせてあげることができているのだから。

 


「あのね、お母さん。お母さんと一緒に、こういうのを見ながらおしゃべりしたかったの、私」

 

長女がテーブルに広げたのはハーブの冊子。私が好きそうな植物の写真やコラムが載っている。今度、私が来たときに一緒に見ようと思っていたんだね。

 

そういう何でもないような、穏やかな時間を、ときには母親と過ごしたい気持ち。よくわかる。そんなささやかな願いも、ずっと、かなわなかったね。

 

「ハーブのサシェかぁ、好きだわ。昔、作ったことあるよ」などと、並んで冊子を見ていられたのは、しかし、3分もなかった。笑

 

ママはいつだって、赤ちゃんたちに求められているのだ。でも、嬉しいことだよね、それって♪

 

この日、仕事だった婿どのとも夕方、再会が果たせた。彼とは実に1年ぶりになる。部活の顧問をふたつも抱える高校教師。激務に加えコロナ禍で、本当に大変だったと思う。

 

ずっと娘たちを守っていてくれて、ありがとう!

 


この日は真夜中に帰宅(次女も我が家へ)して、翌日は夫も次女も朝早くに出勤。二人ともかなり疲れていたと思うが、安心して満足そうな笑顔を浮かべていた。多分、私もね。

 

いつの間にか、金木犀も散り、10月も駆け足で終わろうとしている。
長女たちに次に会えるのはいつだろう。そう遠くないといいなあと、私は今日も感染情報を気にしている。

 


これを書き始めたのは火曜日で、今日は土曜日。実は夫が水曜日からダウンしてしまいました。寒暖差の激しさに加え、疲れもたまってしまったのでしょう。今朝は少し元気になりましたが、こんなに長く寝付いたのは珍しいことです。無理をさせてしまったかもしれません。
コロナを疑ったり疑われたりで、風邪ひとつ、おちおち引いていられないこのご時世に、ついため息が出てしまいますが、例年以上に体調に気を付けて過ごしたいものですね。
インフルエンザの流行も懸念されます。皆様もどうかどうか、ご自愛くださいませ。

 

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爽やかに生きるために―ホ・オポノポノ手帳2021

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いつも爽やかな気持ちで生きていたい。
私の究極の願いはそれ、かもしれない。

 

私だけでなく、家族や大切な友人たち、周囲の人、できれば世界中の人たちが、爽やかでいてくれたら、どんなに嬉しいだろう。

 

しかし、世の中は“爽やか”とはほど遠く、今なお戦争や内戦に生命を脅かされる人々がいて、災害に苦しむ人々がいる。貧困。差別。その上今年は、新型コロナだ。なんという年になってしまったのか。

 

大変な、本当に大変な思いをしている方が大勢いるから、私がコロナで受けた影響など小さなことかもしれない。それでも控えめな声で、呻くように言ってみる。

 

「私も、大変でした・・・」

 

苦しみはまだ続いている。いくつかの問題がそびえ立ち、複合的に絡み、私の行く手を暗くしているようだ。

 

どうしていいか分からずうつむき加減でいると、誰かに責められているような気分になってくる。いつも誰かに責められている気がしてしまう。責めているのは、実は、他ならぬ自分なのかもしれない。

 

重い。いろいろなものが、重たい。そして、息苦しい。
どうしたら爽やかな気持ちになれるのだろう。

 

 

2020年という年もあと2か月半となり、入手していた来年の手帳がデスクの上で出番を待っている。

 

先日のこと。不安で圧し潰されそうな気持ちに耐えかねた夜、ベッドに持ち込み、泣きそうな思いで、新しい手帳に書かれてあるメッセージやコラムを全部、読んだ。

 

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2021』。
2016年版から購入しているので、これが6冊目のホ・オポノポノ手帳だ。

 

ここ数年、このくらいの時期になると、この手帳を入手して、来年はここにどんなことを書き込むのかなあと、穏やかな気持ちで見ていたのに。
今年の、この、すがるような思いはどうしたことだろう。

 

ウニヒピリ(ホ・オポノポノでは潜在意識をこう呼ぶ)はビックリして怖がってしまったかもしれない。ごめんごめんと、自分の内面に声を掛ける。

 


・・・最初に開いたページには、眩しいほどの“黄色”が広がっていた。

 

それは、アップで写された花の写真で、いつもの美しい詩の背景となっていた。陽光が、不意打ちのように私の胸に差し込んだ。

 

思わず呟いた私。
「ありがとう」「愛しています」

 


手帳の内容は、コンテンツ的には、前年(今年)のものとほぼ同じと言っていいかもしれない。

 

この手帳の大きな特長である「切り取れるメモ」も健在。毎日を「ゼロ」の状態(ニュートラルな心)に戻すためにいつも活用しているから、これ、私にはすごく大切。

 

腹立ちだったり泣き言だったり、読み返したくない「心の叫び」をエイッと書き付けて、すぐにピリピリ破いて捨てるのだ。すると、不思議とスッキリ。笑

 

巻末の「おさらいホ・オポノポノ」や「SITHホ・オポノポノの基本的なクリーニングツール」、そして「パーソナル・データ」などの記入ページも、今年のと全く同じ。

 

毎月の月間スケジュール欄の「今月のあなたへの言葉」や、週間スケジュール欄の「今週のあなたへの言葉」は、初見のものが若干増えた気がする。これまで何度も目にしてきた言葉も、私にはまだまだ響いてくるし、ありがたい。

 

ヒューレン博士とKRさんの対談も、魅力的で大事なコンテンツ。今回のタイトルは「ウニヒピリとともに変化の中を生きていく」。特段、新しいことは言っていないけれど、安心感を持って読めたのは嬉しい。

 

たっぷりと10ページ、読んでいくと目の前にあかりが灯り始め、見失いかけていたホ・オポノポノの道がまた見えてくる。暗闇で途方に暮れていた心が、落ち着きを取り戻し始めた。

 

でも対談というよりは、代わる代わる講義をしている、という感じかな。それでも良いのだが、もう少し会話形式で、柔らかさや流れが感じられると読みやすいのにな、というのが感想。翻訳だし、難しいのだろうけれど。

 


そして。
ホ・オポノポノ手帳には、その年のオリジナルの「クリーンングツール」がある。私のお目当てのひとつだ。

 

2020年は「青いビー玉」だった。母の入院中、私は何度、心の中で青いビー玉を道に転がしたことだろう。

 

2021年は「レモンドロップ」。今回も可愛いな♪
レモン味の飴でも、レモンの雫を想像するのでもOK。「レモンドロップ」と口にするだけでも大丈夫とのこと。

 

 どのような困難な状況下でも、
 レモンを通して太陽そのものが
 あなたという完璧な存在を
 照らし出してくれるでしょう

 

とある。

 

そうだった。ホ・オポノポノでは、「わたしは完璧な存在」なのだ。それ以外のことは「記憶」であり、記憶はクリーニングによって消去できる。

 

スピリチュアルって、未だに本当にはピンとこない部分もある。しかし、そんな私がここまで続けてこられたのは、ホ・オポノポノとの相性が良かったからなのかもしれない。

 

余談だけど、スピリチュアル迷子になっていた人が、最後に辿り着いて落ち着いたのがホ・オポノポノだった、という話もよく見聞きするなぁ。

 

今は思う。信仰を持たない私にとって、ポノは確実に心の支えになってくれている。

 

仮想敵を作らせたり、信じることを強要したりしないところが気に入っているし、集会もお布施も布教もない。お金もかからないし。まあ、宗教じゃないから当たり前なのかな。

 

何かが起こる度に沸き起こる「感情」を、しっかり捕まえてクリーニングする。それだけのことなのだ。けれど、そこが難しい。

 

クリーニングすることをすっかり忘れて、いつの間にか“思考の大波小波”におぼれかけていることが、呆れるほど多い私。

 

クリーニングすることを常に意識できる。そんな理由からも、私はこの手帳をこれからも愛用していくのだと思う。あ、これ、課金と違うよね?税込み1,980円。笑

 


毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2021

 


ホ・オポノポノを始めて一番良かったこと。
それは、ウニヒピリの存在を感じられるようになったことだろう。クリーニングで数々のミラクルが現れてくれた出来事も、もちろん素敵な体験だったけど、ウニヒピリがいつも私の中にいる、と思うことで、自分を孤独と感じる寂しさはなくなった。

 

いつも一緒。本当は、ずーっと一緒だった。

 

子どもの頃の、楽しかったあのことや、悲しかったあのことも、全部、共有してくれている。なんだか本当に嬉しいな。

 


2021年。どんな年になるんだろう。
爽やかに生きていくには、どうしたらいいんだろう。

 

新しいクリーニングツール、レモンドロップを味方に、苦しみの原因となる「記憶」をひとつひとつ、手放していこうと思う。きっと、私のウニヒピリもそう願っている。この子のケアをしながら、希望を持って歩いていきたい。

 

そしてもちろん、2020年の残された日々も、一日いちにちを大切に、丁寧に生きていこう。

 


✻過去に書いたホ・オポノポノの記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com


✻ウニヒピリに関しては、私はこちらの本で学び、自分なりにかなり腑に落ちました。↓

はじめてのウニヒピリ


✻蛇足ですが、これを書いているうちに、自分の中の苦しみが驚くほど軽減されていることに気がつきました。

 

月とワインと神秘と科学―今宵、中秋の名月

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昔、ワイン教室に通っていた。動機は大したことではない。

 

ワインが好きでずっと飲んできたけれど、レストランでもワインショップでも、いつも選ぶときに迷ってしまう。勧められたものをただ漫然と飲んでるのも情けないので、自分で選べるよう少し勉強してみようと思ったからだった。

 

教室には、私のようにライトなワインファンも結構いたけれど、ソムリエやワインエキスパートを目指す、目が真剣!な人たちもいて、その温度差に、講師の先生はさぞやりにくかっただろうと思う。私や友人は、単純に楽しんでいたなあ。本当に面白い講座だった。

 

その先生が、自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)が好きな方で、ヨーロッパでの自然派ワイン造りの歴史や手法の話になると、もう熱が入り過ぎて止まらない。だんだん難しい用語が増えてくる中、欠伸をかみ殺す受講生も増えてくる。「早く試飲会にしようよー」と小さく呻く声も。気持ち、わかる。笑

 

でも、その自然派ワイン造りでの「ビオディナミ」という農法のお話は、私の中で強く印象に残った。なんだかすごく興味をひかれ、「へええ!」と思ったのだ。

 

月の満ち欠けを見てブドウの畑に肥料を撒く日が決まる。その肥料とは、牛の角や糞、水晶の粉、たんぽぽやカモミールの花など、独自の調合をしたもの。牛の角ひとつとっても、ある調合では雌牛の角に牛糞を詰めて地中に半年間置いた後、雨水で希釈したものを使う、なんて聞いて、最初は笑ってしまった。まるで儀式みたい。

 

占星術まで取り入れていると聞き、オカルト的とまでは言わないけれど、古くからの呪術的な慣習、経験による先人の知恵、そんな解釈をしたくなる農法だと思った。しかし、それが科学的に理にかなってるということなのだ。

 

長い歴史を持つ飲み物だけに、さまざまな切り口からの学びがあり、奥が深いなあと、感心した。ロマンがある。ワインへの見方が変わった瞬間だった。それまでの私は、ワインが農作物だなんてことすら、考えたこともなかったのだから。

 

ビオディナミとは、1942年にルドルフ・シュタイナーという人智学者が行った講演で世に知られるところとなった言葉。土壌と植物、動物の相互作用、天体の動きにも着目した農法で、「全ての生命は、地球上で完結しているのではなく、地球を含む宇宙の営みからも影響を受け、調和しながら生きている」という思想に基づく。

 

月の満ち欠けが、生命力をも左右するらしい、とは思っていたが、土壌の微生物にまで活力を与えていたとは。その土地が持つ力に働きかけ、宇宙の動きも取り入れて、本来のエネルギーを最大限に引き出すよう環境を調えるというビオディナミ。なんとスケールが大きいことか。

 

そんなふうに宇宙の営みとも調和させて、大事に栽培されたブドウからつくられたワインなら、さぞや美味しく、みずみずしい生命力があるんだろうなあ。多分、月のパワーも秘めている・・・

 

講義の後は、先生のセレクトしたワインを飲み比べる「お楽しみ」があって、これだけを目当てに来る受講生もいたくらいだったが、ビオディナミのお話を聞いた後の試飲会は、私には格別だった。月を見上げながら、この素敵なワインをいただきたいと思ったものだ。

 


今宵は中秋の名月。満月となるのは10月2日の午前6時とのこと。夜に見上げるお月さまは真ん丸のちょっと手前、くらいかな。

 

中秋の名月が満月とは限らない、という話を、何度聞いても忘れてしまうので、ここで自分的におさらいしておく。

 


中秋の名月は、別名「十五夜」、つまり旧暦で8月15日の夜のこと。なので「中秋の名月」という日は、旧暦に基づいて決まってしまう。

一方、満月というのは「月が地球からみて太陽の反対側に来た瞬間」。満月となるのは、ある時刻であり、日付ではない。

旧暦の1ヶ月は、月の満ち欠けの周期であり、平均すると29.4日。しかし、暦は1日単位で数えるため、「.4日」ということはなく、旧暦の1ヶ月は29日か30日ということになる。新月から満月になるための時間は、29.4の半分で14.7日。

また、月の運動は一定ではない。月が地球のまわりを回る軌道は完全な円ではないからだ。満月が近づいたときに地球から遠くなっていると、月の運動は遅くなり、満月になるのに時間がかかってしまうし、逆に地球に近いところを月が回っていると、月の運動は速くなり、満月になるまでの時間が短くなる。

そのため、満月と暦の上での「中秋の名月」に1〜2日のずれが生じることがある。

✻こちらのサイトを参照させていただきました。↓

moonstation.jp

 


今夜はきっと、お月見をされる方が多いだろう。輝く名月を拝むのが、私も楽しみ。
どうか雲に邪魔されませんように。

 

すすきやお団子をお供えしたり・・・
月見の宴で俳句を詠んだり・・・

 

ゆったりと、風流に観月を楽しめる人ばかりではないけれど、世の中のどんな境遇の人にも、今夜、優しさや穏やかさが平等に届いたらいいな、と思う。コロナ禍で皆、大変な思いをしてきているのだから。

 

今日が中秋の名月だと知らなかった人も、ふと見上げた綺麗なお月さまに心が動き、ロマンを感じて癒されたり、小さなご褒美を宇宙からもらったような気持になってくれたら、素敵だなあ。

 

お高いワインとはすっかり縁遠くなった私だけど、プチプラの、でもそこそこ美味しいワイン(笑)を片手に、ベランダに出てみよう。早くお月さまに会いたいな。

 

神秘的な光を浴びたら、何か特別な魔法にかけられるかもしれない?
ちょっと期待もしたりして。私も「全ての生命」の端くれ、ぜひ宇宙の営みと調和したい!


本当の話。
しんどい世の中で日々いろいろあって。
祈りたいことはいろいろある。
いろいろあるけど・・・
まずは、今日を無事に生きていることへの感謝をしようかな。心を込めて。

 

米寿の父に家事を教える

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秋分の日、敬老の日、そして父の誕生日はとても近いなあと、毎年、思う。今年は母が他界し、結婚してから初めて妻のいない誕生日を迎える父。清水の実家でひとりで過ごすのはあんまりだと思ったので、お祝いに行ってきた。一緒にワインでも飲もうかな、と。

 

米寿となるので、本来ならもっと華々しく祝福してもいいところだが、喪中だしコロナ禍だし。で、優しく静かに過ごそうと思ったのだ。

 

孫娘たち(私の次女と弟の長女が一緒に。そして、私の長女が3人のこどもたちと一緒に)から私のスマホに、父宛の動画メッセージが届き、それを見た父はこの上なく嬉しそうだった。

 

滞在中に彼岸入りともなったのだが、母はまだお墓もないし、小さな仏壇にお線香をあげて、お花とおはぎをお供えしただけ。それでも少し気が済んだのか、父は満足そうな顔をしていた。

 

ただ、実はこの滞在には別のミッションがあり、そのために私は行く前からどんより気が重かった。父に「家事指南をしてくれ」と頼まれていたのだ。

 

88歳のおじいさんが、家事を覚えようとしている。

 

いや、それは素晴らしいことなのだろうけど、簡単ではない。何をどこまで?家事って正解はないし、果てしなく細かいよ?

 

確かにここ数か月で、父の家事力がついてきているようには見えていた。しかし、今どの程度できていて、今後どの程度までこなせるようになりたいのか、父の実力と目標の度合いがはっきりとはわからなかった上、体調や心身の衰え具合も考慮しなければならない。

 

娘とはいえ40年近く離れて暮らしていたのだ。数日の滞在でそれをやるのは無理だと思ったし、さてどの程度でお茶を濁そうかと、正直、荷が重かった。

 


・・・で、何を教えてほしいの?

 

快く「任しといて♪」と言わなかったためか、父は少し仏頂面をしていた。

 

「洗剤のこととか、拭き掃除どうやるかとか、わかんないんだよ」とモゴモゴ言う。

 

なあんだ、そんなことだったのかと、私は力が抜けた。どこまで高度なことを覚えたいのか、家事が得意でない私は不安でもあったのだ。

 

母が残していった衣料系、食器洗い系、掃除系のたくさんの洗剤を、どう使い分けていいものやら困っているらしい。洗剤ボトルの『まぜるな危険』の赤い大きな文字にもおののいている。「そりゃ、怖いか」と思わず苦笑。

 

そもそも、母もいろいろ買い過ぎなのだ。そして、使う場所の近くに置いていない。これでは父も迷うだろう。

 

でも、感心したのは、それらをちゃんと使いこなしたいという思いが、父にあったことだった。まあ、昭和一桁生まれでモノが捨てられない人だから、もったいない、というのが大きかったのだろうけど。

 

しかし、これはこういう時に使うんだよ、と話していると、時々顔を曇らせる。

 

「俺はそんなこと、やらないよ」「できないよ!」

 

はいはい。予想していましたよ、この態度。教えてくれと言いながら、こういう威張った態度をとる人だから、私は余計に気が重かったのだ。

 

「おしゃれ着洗いの洗剤はね、デリケートなブラウスとかニットとかを洗う時に使うんだ。お父さんはそういうの、全部クリーニング屋さんに持って行けばいいよ」

 

少しホッとした顔をする。こどもか。

 

タオルや下着、パジャマやポロシャツなどは、何日かに一度、まとめて洗濯機で洗っているようだ。でもあまり綺麗にならないと言う。

 

どうやら、洗濯機が自動計量した後の水量表示、それに応じて液体洗剤の量が決まるということを、わかっていなかったらしい。ボトルキャップを示しながら説明すると、なんとか理解してくれた。

 

それから、父は洗濯機の糸くずフィルターの存在を知らなかった。これを外して、ゴミを捨ててから洗って乾かしてね、と言ったが、外し方から猛烈に苦労していた。頑張れ。

 

もう一つ、父は食器を洗剤で洗ったことがないらしい。やり方がわからないから、水で洗うだけだと。唖然とする。どおりであれもこれも、ベタベタしてるわけだ。石鹸は時々、使うらしいけれど。

 

洗剤の希釈がわからないと言う父に、付け置きも面倒ならやらなくていいし、この洗剤をスポンジにピュッとかけてクチュクチュ泡立てて使えばいいよ、と教えると、ピュッの加減とクチュクチュの回数を知りたがる。細かいよー・・・

 

そして、料理。
炊飯器でご飯も炊けるし、味噌汁も自分で作る父。酒のつまみに簡単な炒め物くらいならやっているようだった。あとは、お刺身や煮物などをスーパーで買ってきたり、レトルトや冷凍食品を活用しているのだろうと思っていた。

 

それにしては、冷蔵庫も野菜室もいつもいっぱい。最初のうちは、母が買ったものが残っているのだと思ったが、行くたびにたくさんの食品が揃っている。キノコ類だけで3種類はある。私の家より充実しているくらいだ。

 

自分の健康を考えて、頑張って、料理をしようとしていたのだろう。ちょっとジーンとする。確かに、夕方によく電話が掛かってきたものだ。

 

「筆先みたいな形のコレ、なんだ?これは茹でなきゃだめなのか?」
「茹でる時間は?茹でたら網に入れとけばいいのか?」

 

それはアスパラ。アミじゃなくて、ザルね。と答えながらも、まあ、自分で新しい食材に挑戦しようと思うのは良いことだね、と。でも、私だって扱ったことのない食材はたくさんあるし、答えてあげられないことも今後、増えるはず。

 

そもそも私は、自分のやり方が正しいか自信がないのだった。そこで、自炊の始め方、みたいな読みやすい本を買って置いてきたのだが・・・

 

「俺には宝の持ち腐れだよ、本なんて。見ないよ!」と宣う。本当に料理を覚えたいという気があるのかしら。私が帰ってから、心を改めて見ておくれ。

 

✻贈った本はこちら。著者はきじまりゅうたさん↓


ゼロからはじめる自炊の教科書

 

✻ともう一冊↓


からだととのえ野菜のおかず (オレンジページブックス)

 

✻父はまだ不眠に悩んでいたので、メインのプレゼントは安眠枕↓


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「お母さんはこうやっていたぞ」

 

滞在中、これもよく言われたセリフ。母と同じやり方を、私がしないことに戸惑っている。「時代は変わるし、お母さんと私でやり方が違うこともたくさんあるから」と言うと、そういうものなのかと驚く。家事は母と娘で全て継承されていく、と思っていたのか。こっちが驚くわ。

 

もう、なんというか、本当に疲れた。何回も喧嘩になりそうになった。よくこらえたわ、私。去年はこらえられなかったよ。成長したのかな?笑

こらえれなかった去年の出来事を書いたのがこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 


でも、この4日間の滞在中、父の様子を注意深く見ていて、大体の現状はわかった。できるだけのことは自分でしていかなくては、という父の決意もわかった。

 

ただ、父は複数の基礎疾患がある88歳だ。同じように家事が不得手な男性でも、例えばお連れ合いに先立たれたのが70代だったら、体力のある人だったら、まだこれから頑張って習得していけるかもしれない。意欲も続くかもしれない。

 

「日に日に衰えているよ」と自分で言っている父が、あとどれくらい頑張れるものなのか、私にはわからないし、心配でたまらない。家事力アップが張り合いになって、老衰のスピードを遅くしてくれるといいのだけれど、そう上手くいく?

 


「あんたはキビキビ動くなあ」と父は私に言う。
「俺はモタモタしてて、すっかりじじむさくなって、嫌になるよ」

 

威張りん坊のくせに、ボヤキも多い父だった。確かに動作はかなり鈍くなっている。そして、私や弟がいると普段以上に“老いぼれ感”が増すのだとか。

 

ただ、それわかる気がする。私も次女が来ると“若い人のようには動けませんよモード”に、ちょっとなるもの。無意識のうちに、関係性による役割を演じようとするのだろうか?不思議だね。

 


ところで。
滞在2日目に、ハウスクリーニングの人が来て、キッチンの排水口と、バスルームをすっかり綺麗にしていってくれた。お風呂は戸まではずして洗浄。2時間かけて、もう本当にピッカピカ。

 

来てくれたのは、テキパキ動くにこやかな男性で、普段のお手入れについてのアドバイスも丁寧。話せばなんと私と同い年だった。

 

父は彼の感じの良さとプロの技に感嘆し、これまでどうやっても綺麗にならなかったシンクや、手に負えないお風呂を、掃除の専門家に任せてみて良かったと、心から満足したようだった。(父がそんなに綺麗好きだったとは。私、知らなかったなあ)

 

1万5000円+税。高いとみるか、安いとみるか。私は安い!と思った。「これなら、半年に一度くらいお願いしたっていいんじゃない?」と父に言うと、頷いていた。

 

誰だって、できることできないことはある。私だって、弟だって、そんなに頻繁には来られない。これからは、こんな風に時々プロの手も借りながら、自分でできることは頑張って、日常をなるべく快適に過ごしてほしいと思う。

 

大好きなお風呂を楽しみ、ちょっとずつ料理にも挑戦する、明日につながる日常を。

 


ついこの間まで、水を出すとお湯のようだったのに、水道水も冷たくなってきた。コロナもだけど、熱中症も心配だった長い夏が去っていく。夏の終わりの、ダレたような疲れた気配も、風に流されていく。

 

運動不足だった父が、「夕方の散歩を習慣づけようと思っている」と言った。体調管理を心掛けてくれるのは嬉しい。それから少しずつ、楽しいことも見つけていけるといいね。

 

清水から帰って、毒気に当てられたようにぐったりしていた私だけど、ようやく食欲も戻ってきた。買い物に行く道に咲く彼岸花が鮮やかで、でも寂しげだ。清水の家の小さな庭でも、きっと咲いているだろう。

 

帰る日に父があの庭から切ってきてくれた青い柚子を、今夜の食事で使おうと思う。

 

少しイライラしたり、意地悪な気持ちになったりしたことを、私は今、ほろ苦く思い返している。人を責めるようなあの言い方やボヤキの裏には、取り払いようのない老いへの悲哀が揺曳していることを、本当はわかっていたのに。

 

今度行ったら、もう少し優しい言葉を掛けてあげられるといいなあ。
寂しいだろうけど、お父さん、元気で長生きしてね!