一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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清水

温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道

クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は本当に慌しい。 年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直…

幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆

夏を彩る風物詩は・・・もちろん、いろいろある。が、静岡市清水区の人たちが思い浮かべるものの上位には、間違いなく「灯ろう流し」があるのではなかろうか。だって、・・・そう、あんなにも綺麗なのだから。 私の記憶にある灯ろう流しは、いくつの頃に見た…

寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中

清水から帰ってきたら、ニオイスミレが咲いていた。 冬枯れの景色だったベランダに、そこだけ色が付いたようだった。ほのかな甘い香りも春の訪れを告げている。 律儀だなあ。ほったらかしだったのに、ちゃんと今年も花を咲かせてくれて、嬉しいような申し訳…

真冬の追憶散歩―折戸、そして三保松原

私にとっては「激動だった」と言いたいような2022年が、あと数日で終わる。いつもの年と同じように今年も暮れていくんだね、と、ちょっと不思議に思いながら、先週後半、また清水に行ってきた。これが年内最後の帰省。 人とのアポイントもあり、早めに済ませ…

父の初盆

私の父は6人兄弟の次男。母の違う兄もひとりいたから、正確には7人兄弟だ。私の母は9人兄弟の三女。 親戚が多いのである。小さい頃は、おじさんおばさんの名前を覚えきれなかった。母方の兄弟については、今も順番があやしい。会ったことのない従兄弟もいる…

父母の愛した家へ

外は、雨。この季節はどうにも気分が上がらない。梅雨はだるさとの闘いだ。重い空の下、軽やかにターンするツバメを見る。少し励まされた気がした。 清水から帰って3日たち、ようやく体の痛みが薄らいできた私。階段の上り下りが難しいほど、腿の裏から腰に…

温かい法事と、辛い帰省(後編)

陽を受けて輝く新緑が美しい。私の大好きな5月が始まった。 今、ゴールデンウィークの真っ只中。コロナ禍による行動制限のない3年ぶりの大型連休だということで、どこも賑わっている様子だ。 私は……今年も遠くには行かないつもり。混雑は昔から苦手で、不要…

温かい法事と、辛い帰省(前編)

今日は父母の月命日。慌ただしかった4月が終わろうとしている。 先週末、清水から帰った後、私は体調を崩してしまった。ようやく回復しつつあるが、今日のような曇天の日は頭が重く、食欲がない。 気温のアップダウンの激しさ、ころころと変わるお天気。美し…

父と柚子と薔薇と

柚子ジャム、というものを初めて作った。 先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。 12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。…

父とスマートフォン―88歳のトライ&エラー

もしかすると7、8年くらい前から、実はスマートフォンに興味があったのかもしれない。父の話、である。 あの頃は、両親の住む清水に、年に1度か2度訪れるくらいだったが、行く度に父は、私のスマホをちょっと手に取った。 「買い替える?」 と訊ねれば、苦笑…

父とふたりで、母の思い出のレストランへ

久しぶりに、ハンカチにアイロンをかけた。 え。何年ぶりだろう。昔は家族4人分のハンカチに、毎日のようにせっせとアイロンをかけたものだった。夫がパイル地のハンカチを愛用するようになって以来、我が家ではアイロンの必要なハンカチは日の目を見なくな…

米寿の父に家事を教える

秋分の日、敬老の日、そして父の誕生日はとても近いなあと、毎年、思う。今年は母が他界し、結婚してから初めて妻のいない誕生日を迎える父。清水の実家でひとりで過ごすのはあんまりだと思ったので、お祝いに行ってきた。一緒にワインでも飲もうかな、と。 …

実家の片付けは難しい―断捨離は急がずに

母が亡くなり、清水の実家には父ひとりになった。威張りん坊だった父がものすごくしょげかえってしまい、見ていられない。父には反発することが多く、度々反抗的な態度をとってきた私だったが、最近は本当に父に優しくしている。可哀相すぎて・・・ 区役所や…

「ありがとう」と言われた気がした―母のことをもう少しだけ

清水の実家にはお仏壇がない。理由は聞いていないが、父は次男だし、結婚してからは転勤族となり、引っ越してばかりだったから、だと思う。薄給の公務員だったし。 ただ、父の家の先祖代々の霊を祀る紙と、母のお父さん(私の祖父)の戒名を書いた紙(紙位牌…

50'sの恋人たち―母の青春時代

私の知っている母は、当然ながら私がもの心ついてからの人物で、それ以前は未知の人だ。若き日の母は、古いアルバムの中でしか知らず、それは子どもの私にとってすでにセピア色だった。 少女の頃、私は、母によく若い頃の話をしてほしいとねだった。どんな女…

母の入院で事態は急展開―遠距離介護が始まった

母が歩く夢を見た。 退院した母が、土間のような場所に立ち、そこから明るい外を見て「あらぁ」と嬉しそうに、ゆっくりと、薄桃色の紗がかかったような春の庭に出て、表の道を歩き出した。杖もなしで、父の肩に手を掛けて。 「待って」と私は慌てて追いかけ…

次郎長親分と南岡町

手を洗い過ぎて手荒れが大変。ハンドミルクの減りが激しい、ここ数週間。ニューコロナ関連の日々のニュースには本当に気が滅入る。明るい兆しが早く見えないものか。 前回の記事で、明るい気分で3月を迎えたい、と書いたけれど、なかなかそうは問屋が卸して…