一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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父母の愛した家へ

 

外は、雨。
この季節はどうにも気分が上がらない。梅雨はだるさとの闘いだ。重い空の下、軽やかにターンするツバメを見る。少し励まされた気がした。

 

清水から帰って3日たち、ようやく体の痛みが薄らいできた私。階段の上り下りが難しいほど、腿の裏から腰にかけて、特にお尻のほっぺたがひどく痛かった。

 

たった2日間の滞在だったのに、どうしてこうも疲れてしまうのか。疲れ果てるまで動き回ってしまうのか。

 

行く前には、あんまり張り切らないでおこうと決めていたんだけどな。家中の窓を開けて風を通そう、水道の栓をひねって水を出そう、父の下着類を処分してちょっとだけ片付けよう、庭の草もみっともなくない程度にちょっとだけ抜いてこよう。ちょっとだけ、ね。その程度の心づもりだった。

 

あわよくば、時間を作って散歩がてら海を見に行こうかな、くらいに軽く考えていた。せっかく清水に行くのに、しかも今回は夫もいるのに、働くだけじゃつまらない。楽しいお出掛けもあっていいんじゃないの?って。

 

そんなことも帰ってから思い出したくらい、実際には清水のあの家に着いた途端、あれもしなきゃ、これもしようと、気ばかり焦って走り回るのだった。そしてクタクタになって時間切れ。もう、早く帰ろう、となってしまう。なんか、勿体ないし、悔しいなあ。

 

そう、今回の清水は夫とふたり、クルマで行ってきた。新幹線で行くよりずいぶん、体は楽ちんだったはず。いろいろ助けてもらえるから、心強かったし。

 

うーん。
だからこそ、余計に欲張っちゃったのかもしれない。

 


夫は主に、家の外周を整えてくれた。隣の敷地まで伸びてしまった枝を切ったり、ほったらかしの植木鉢類を洗って裏に片付けたり、伸び放題の草やシダを抜いてくれたり。暑い中、外で4時間以上頑張ってくれた。さすがにバテていたなあ、かわいそうに。

 

でもお陰様で、荒れて醸し出された“空き家感”、漂う侘しい雰囲気が、すっきりさっぱり消えてくれた。ありがとう!

 

小さな家、小さな庭でも、綺麗にするのは大変だ。
普段はもう誰も、手を掛けてあげていないのだから。

 


母が他界し、ひとり暮らしとなった父をサポートするために、2年少し前からこの家によく来るようになった私。その度、掃除もしたけれど、人が生活をするというのは、汚したり散らかしたりすることなのだなあと、手を動かしながらつくづく感心したものだ。

 

 ♪人が生きてりゃゴミが出る
 ♪なのに皆さん、ゴミ嫌い
 ♪嫌いで結構、好かれちゃ困るの
 ♪ごみ将軍

 

掃除している間、いつもこの歌が頭の中で流れていた。昔、うちの娘たちがまだ小さい頃。多分、Eテレの子ども番組から聞こえてきたものだ。変な歌詞(合ってるかちょっと自信ない)だよね。でもなんだか忘れられない。笑

 

人は、生きている間中、ゴミを出し、散らかし、汚すのだ。食べて、排泄して、生きていく。食べこぼし、洟をかみ、髪や角質を落とし、伸びた爪を切り、男性は髭を剃り、着替えで埃を舞い散らし、ポストに放り込まれた印刷物を捨てる。

 

父は日常、一応簡単には掃除をしていたが、やはり細かいところまでは難しいようだった。去年の秋、家政婦さんが週に一度、お掃除に来てくれることになり、私は心底、ホッとしたのを覚えている。

 

父にはできるだけ清潔に暮らしてほしかった。でも、離れて暮らす私や弟には頻度、程度ともに限界があったし、毎回の掃除サポートは正直、ちょっと負担だった。週一でプロに来てもらえるのは本当に助かるし、寂しがり屋の父の話し相手になってもらえるのもありがたかった。父も嬉しそうな顔をしていたっけ。

 

でも。そんな父も、母を追うように今年の2月に逝ってしまって・・・

 

家の中が汚れるって、人が生きてる証だったんだなと、今の私は寂しく思ったりする。今回(前回もだけど)、私が一生懸命掃除したのは、古い汚れ。母や、父が、生きていた頃に残した汚れ。

 

部屋の四隅や電話台の棚、クローゼットの奥。その汚れが生まれた頃には、ここに生活があったんだなあと、生きていたんだなあと、妙に胸が苦しくなる。

 

生活が消えた家は、止まっている。
本当に寂しそうだ。
かわいそうな家。悲しい家。かつて父母が愛した・・・

 

だからきっと、私はたまらなくなって、必要以上に動き回ったのかもしれない。少しでも早く、綺麗にしてあげたい、手入れすることで家を慰めてあげたいと、思ったのかもしれない。

 

寂しくないよ!
私がいるよ!

 

疲れたけど、実は清々しい気持ちにもなった。ひとつ片付けるたびに、ひとつ心が整う、みたいな。水で洗い流したような。梅雨空に日が差して、陽気な景色が見えたような。

 


とにかく。
また近いうちに行くつもりである。次は、お盆かな。

 

父母のお墓は弟の住む岐阜にあり、あちらのお盆は8月1日ではあるけれど、静岡地方のお盆は新暦を取り入れた7月盆。初盆を迎える父は、どちらに帰ってくるのかな。わからないけど、生まれ故郷の清水にまずは帰ってくるような気がして仕方ない。

 

毎年7月16日に行われる「清水巴川灯ろうまつり」は、去年、一昨年に続き、今年も中止らしく、父母の灯ろうを流してあげたかった私は、とても残念。でも、家の玄関前に迎え火と送り火を焚く、ということを、こういうのに疎い私だけど、やっぱり今年くらいはやってこようかな、と思っている。

 

そして、今度行ったときは、もう少し楽しいこともしてきたいものだ。掃除や片付けばかりではなくね。

 

清水はお魚を始め、美味しいものがたくさんあるし、晴れれば富士山が拝める。特に、羽衣伝説のある景勝地、三保の松原から見る富士山の素晴らしさといったら!

 

そう、海も良い。清水港の景色も好きだけど、久能山から見る駿河湾の美しいこと。私の親戚はここで石垣いちごの農園を営んでいる。子どもたちが小さい頃は、父がよく連れて行ってくれた。来年は、私が孫娘たちを連れて行ってあげられたらいいなあ。いちご狩り、楽しいよね♪

 

父母亡き後も、まだしばらくは清水通いが続きそうだ。
あの家を片付けながら、気持ちも整理していきたい。これからのことも、焦らずゆっくり考えていこうと思う。

 

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