一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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父とスマートフォン―88歳のトライ&エラー

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もしかすると7、8年くらい前から、実はスマートフォンに興味があったのかもしれない。父の話、である。

 

あの頃は、両親の住む清水に、年に1度か2度訪れるくらいだったが、行く度に父は、私のスマホをちょっと手に取った。

 

「買い替える?」

 

と訊ねれば、苦笑して首を横に振っていたが。

 

母の、何度かの手術と入院で、あの家にしばらく滞在することもあった。父と一緒にバスに乗って、毎日病院へお見舞いに行っていた、あれは何年前だろう。

 

バス停の後ろの新聞販売店の軒先に、ツバメが巣を作って出入りしていた。6月くらい、だったのかな。

 

バスを待ちながら話をしていて、何か、言葉の意味をふたりで思い出そうとしていた。私がおもむろにスマホのマイクに向かって言葉をしゃべり、その意味を即、導き出したとき、父は心底、感心したような顔をして見つめた。私でなく、スマホを。

 

スマホの画面を、2本の指で拡大したときも、ほっほう!と驚き、やっぱりガラケーとは違うな、と言って、ちょっと試させてくれと手を出してきた。

 

2年前に、そのガラケーを水没させて買い替えに行ったとき、「スマホを勧められちゃったよ」と苦笑したので、このときも「いっそ、そうしたら?」と言ったのだが、父は結局、これまでと同じような老人向けの携帯電話を選んだ。

 

あの声。迷ってる風に、ちょっと聞こえたんだけどな。

 


そして、去年。

 

母が急性期病院からいったん退院し、数日間の自宅療養を経て、療養型病院に転院した4月のこと。

 

✻当時のお話はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 


COVID-19の感染拡大対策のため、病院では一切の面会が禁止されていた。それでもあの時は、そのうち下火になれば、面会もすぐ許されるようになるだろうと思っていた。また、それまで母は待っていてくれるだろうと、希望を込めて思っていた。

 

5月になると、タブレット端末を使って、病室の母と病院ロビーまで来た父が、お互いの顔を見ることが可能になった。しかし、タブレット面会は予約が必要だし、ほんの10分程度しか許されない。

 

このときも、スマホがあればビデオ通話ができるから、母と自分に2台買おうか、と父は迷ったようだった。しかし、あの病状の母にはスマホなんてとても無理だと、私は思った。父だって、そんなすぐには扱えるようにならないだろう、とも。

 

結局、母はスマホを覚えさせられることもなく、あっけなく、本当にあっけなく、天国に旅立ってしまった。

 

医師の計らいで、父は亡くなる9日前と前日、短時間の面会を許されたが、私は会えずじまい。6月になったらすぐ、弟と私とで病院に面会に行こうと、ちゃんと手筈を整えたのだけどね。母は待っていてくれず、5月28日に逝ってしまった。

 

もしも、もっと早く両親がスマホを持つようになっていたら?

 

そんなことを考えないでもなかったが、あの母は、元気な頃から携帯電話にすら全く興味のない人だったから、スマホなどまず持とうとは思わなかっただろう。

 

母亡き後、役所や金融機関などのさまざまな手続きを手伝うため、また、母の新盆の来客対応などのため、私は頻繁に清水に通った。数日間の滞在後、父を残して帰るとき、寂しげな父に見送られるのが、いつも本当に辛かった。

 

毎日のように、父は電話をしてくる。重要度の高いものもあるが、多くが食事づくりの相談や、掃除や洗濯についての質問だ。とにかく、人と話がしたいのだ。

 

頑張ってこんなものを作ったぞ、みたいな話題だと、私も安心するし嬉しいのだが、眠れない、寂しい、不便だ、辛い、みたいな愚痴や不満を訴えることが続くと、こちらのメンタルもおかしくなってくる。

 

父はよく頑張っているし、ひとりで寂しいのもわかるので、私はうんうんと受け止めて聞いているのだけど、電話魔よろしく1日に5度くらいかかってくる日もあり、どうしたものかと頭を抱えたことも。

 


そんな父が、今月に入ってスマホデビューした。

 


「近くに住む親戚も友達も、みんなスマホに疎く、周囲に誰も教えてくれる人がいない。子どもも孫も遠くに住んでいる自分は恵まれない境遇。スマホは無理だ。悔しいけど、ひとりでマスターできるとは思えない。自信がない」

 

もう数か月前から何度も、そんなふうに聞かされてきて、励ましつつも同じボヤキにちょっと辟易していた私は、この急展開に驚いた。

 

私が最後に清水に行ったのは3月の終わり頃だ。第4波が来て移動を控え、もう4か月になろうとしている。父の寂しさも限界か?

 

ビデオ通話。
なかなか家族と会えない今、もうこれが唯一の希望の光と思い、頼りだと思ったようだ。

 

子どもたちと、孫たちと、顔を見ながらしゃべりたい。ひ孫たちの顔も見せてほしい。自分の暮らす家の様子も見てもらいたい、相談に乗ってほしい。

 

そんな気持ちが高まって、スマホに替えることを決意したのだろう。

 

父はひとりで携帯ショップに行き、シニア向けレッスンの申し込みをしてきた。最初はグループレッスンだけだったが、周囲の人は既にスマホを持っていて、それを使って学習しているので、ついていけない。それではと、有料の個人レッスンを申し込んだ。

 

お金を払って教えてもらっているのだ、もう後には引けない。だから、マスターするまで待つことなく、思い切ってスマホを購入。それが、7月9日のことだった。

 

面白いことに、それまで連日のようにかかってきた、(時に文句をつけるかのような)愚痴混じりの長電話が、パタッと止まった。かけてくるのもテスト送信的なもの。とても短い。

 

そうか。夢中になって覚えようとしているんだね。夢中になれるものが、見つかったんだね、と私は嬉しくなった。しかし・・・

 

非常に、非常に、悪戦苦闘しているようだ。いろいろ触って、おかしな設定にしてしまって、自分で直せないから慌てて携帯ショップに自転車で走ったり。確認で、何度も私に電話したり。

 

「メール着いた?着かないか。もうすぐ着くかも。着いたら電話してくれ」

 

って、メールはそんなに時間かかって届くものじゃないから、操作を間違えてるか、アドレスが間違ってるか、だと思うよ。。。(アドレスが間違っていたようです)

 

携帯ショップまで、自転車で15分くらいかかるんじゃないかな。熱中症が心配だから、涼しい時間になってから行ってね、と言ったのに、昼日中にショップから確認の電話をしてくる。店員さんをつかまえて、設定を直してもらっているのだ。店員さん、スミマセン!

 

しかし、お父さん、すごい根性だな。そもそも、昭和一桁生まれの人たちって、ガッツがあるよね。コンチクショウ!って、よく言うし。母もよくナニクソッって言ってた。二人とも、スポーツマンだったから?

 

そんな、父のど根性を見せられると、ちょっと安堵する。だって、毎日のように聞かされてきたセリフは、これだもの。

 

「体は動かなくなっていくし、理解力もなくなっていく」
「ほんと、虚しい。毎日何のために生きているのかと思う」
「もう、お父さんはギリギリだよ」

 

それは、今も変わらない本音だと思うし、スマホが扱えるようになっても老化が止まるわけではないだろう。父の習得のスピードが、老化のスピードより少しでも速いことを願うばかりだ。そして、父の根性に火をつけてくれたスマホに、感謝しかない。

 


実は6月に、父の住む町の地域包括支援センターとつながり、担当の人が父の元を訪れてくれ、私とも電話で話してくれた。とても感じの良い方で優しくて、私は心強い味方を得たような気持ちになった。

 

その方が、しっかりした家事代行サービスの業者を紹介してくれて、父の元へ定期的に家政婦さんがお掃除に来てくれることになった。

 

これは本当に嬉しい。父が清潔に暮らせることももちろんだが、定期的に誰かの見守りが入ること、社交好きの父に話し相手ができることが、何より助かる。

 

同時に進められた要介護認定・要支援認定の申請、その後の訪問調査。私も弟も立ち会えなかったので、母の時のケアマネージャーさんに立ち会ってもらった。彼女が父のケアマネも担当してくれることになり、私にはそれも心強い。(父の性格ももう御存知だし)

 

まあ、前述のように父は自転車にも乗るし、通院も買い物もひとりでちゃんと行っている。私には大袈裟なくらいぼやくくせに、人前だとカッコつける。特に女性には。(調査員さんは女性だった)

 

だから、調査の結果はまだだけど、「要支援も1がつくかどうか、微妙ですねえ」とケアマネさんに言われてしまった。

 

しかし、彼女には申し訳ないが、私はそれで上等だと思った。気を張る父が目に見えるようで。そんな姿が好ましく感じられて。

 

サービスが自費でも、割引にならなくても、父を助けようという目や手が入ってくれるのなら、それで恩の字だ。今は大丈夫でも、これからできないことが増えていくのはわかっている。もうすぐ89歳なんだもの。時が来たら、再調査をお願いすればいい。

 

家族がいなかったり、いても皆遠方、というひとり暮らしの高齢者。この時代、世の中にたくさんいることだろう。

 

やっかいな疫病が流行り、いつ緊急事態宣言になるかハラハラしているような今は特に、遠くの親戚より近くの他人。老親の暮らす地域の、行政や介護のプロに気に留めてもらえてるということが、非常に重要になってくるはずだ。

 


父は、自分を不遇と思っているかもしれないが、温暖な生まれ故郷に家があり、親戚も友人も親切な隣人もいて、幸せな人だと思う。

 

あちこち不調はあるものの、まだ頑張れる体力と気力も、本当はある。失敗もトライのうちだとばかり、スマホの習得にひとり正面から向き合っている。

 

もちろん、最愛の妻を亡くし、生まれて初めてのひとり暮らしを経験しているのだから、辛いにきまっているのだけど。

 

父は思いきり愚痴を言った後、ときどきは私に謝ってくれる。そして、聞いてくれてありがとうな、と言ってくれる。そんなときは、私の心に何か、切なさ混じりの温かなギフトが届いたような気持ちになる。

 

やれやれと思うことも多い。でも、私はこの忍耐をいつかきっと、懐かしく思い出すんだろうね。残された人生があとどれくらいあるのか、神のみぞ知るだけど、余生をできるだけ明るく、楽しい気持ちで過ごしてほしい。できるだけ、幸せな気持ちでいてほしい。

 

父の元に来た、新しいスマートフォンさん。トライ&エラーで苦労をかけるけど、どうか父の、良き相棒になってやってね。

 

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