春まだ浅い、3月。
大安の日を選んで、彼は長女を迎えに来た。
遠距離恋愛だった。
当初、長女は大学生、彼は大学院生で、仕事を始めたらどうなるのかなと心配していたが、杞憂だったようだ。
「多分、結婚することになると思う」
と娘に言われたときは、ああ良かった、と思った。一方で、関西に行ってしまうことになるの?と、実はうろたえた私。今度は、私たちと遠距離になるの?
それからが、早かった。
薔薇の花束のプロポーズに始まり、彼が家に挨拶に来てくれて、先方の御両親と顔合わせの食事会をして、引越しの荷造りやら送別会やら、あれこれ忙しくしているうちに、ついにその日が来てしまった。
✻薔薇の花のプロポーズについては、ここでも書いています↓
もちろん、心から娘の幸せを願っていた。
4人で暮らせる残された時間の、日常の、どんなにささやかなことでも覚えていたいと、一日、一日を大切に過ごした。
でも私、なかなか思うように覚悟ができなかったのだ。自分は大丈夫だと思っていたのに。
家族が寝静まってから、毎晩のように泣いた。お風呂でも、声を殺して泣いた。
本当は、手放したくない・・・その気持ちを一生懸命、飲み込む毎日だったけど、誰にも見つからないところでひとり泣くことだけは、自分に許したのだった。
娘が生まれた日のこと。
この子は天からの授かりものであると同時に、預かりものなのだと、自分に言い聞かせた。
宝ものには違いないけど、私や夫の所有物ではない。娘の人生は娘のもの。
縁あって、わたしたちのところに生まれてきてくれたこの小さな命を、大事に育てさせていただこう、と。
娘が二つか三つの頃、私と彼女はふたりでよく「プラタナス星の王女さま」ごっこをして遊んでいた。(星の王子さまとかぐや姫を混ぜたようなお話です・笑)
あなたはプラタナス星から地球に遊びに来た王女さまなのよ、と私は言った。でも、地球が気に入ったら、いつまでもいてくれていいのよ、なんて。
かぐや姫みたいに帰られたら困るなあと、ふと思ってしまい、小さな体を抱きしめたっけ。
下の子がお腹にできて、私がツワリに苦しんでいる頃、娘に電話に出てもらうことが時々あった。
「ママは今、気分が悪くて出られませんが、どちらさまですか?」と言うつもりが、
「ママは今、機嫌が悪くて出られません」と言ってしまった娘。慌てて私、ベッドから飛び起きて・・・。
そんな出来事も懐かしい思い出だ。
同じ頃のある日のこと、娘が長々と電話をしていた。「誰からかな?」と電話を代わると、品のいいご婦人からだった。知らない方。
「ごめんなさいね、お具合悪いのに。実は私ね、間違い電話をしてしまいまして。そしたらあんまり可愛い応対をしてくれるから、つい、嬉しくなってしまって、おしゃべりをしておりましたの。ああ、楽しかったわ。〇〇ちゃん、優しくて素敵なお嬢ちゃまですね」
間違い電話をしてきた人さえ、楽しい気持ちにさせてしまったのかと、私は娘に笑いかけた。こちらを真っ直ぐ見上げてくる、澄んだ明るい瞳。
わかっていたのだ。この天使といつまでも一緒にいられるわけではないこと。たくさんの幸せな思い出を残してくれたと、ただ感謝して、いつの日か送り出さなくてはいけないことを。生まれたときから、私はちゃんとわかっていたのに・・・。
娘のフィアンセは、誠実で笑顔が素敵な好青年だった。娘のことを、本当に大切にしてくれているのがよくわかり、親としてはそれが一番嬉しかった。
彼となら、娘はきっと、幸せな楽しい家庭を築けるだろう。彼で良かった。だから、もっと喜ぶべきだよ、と、私は自分に言い続けた。
その日、3月7日。
彼らと私、夫と次女の5人で、半日行動を共にした。娘の荷物はもう、関西の彼の部屋に送ってある。皆で昼食をとり、熱田神宮にお参りした。
そしてその後、新幹線・名古屋駅のホームに向かった。
彼らは行ってしまうのだ。新しい家族としてふたりでスタートするために。
泣き虫の長女が・・・あの子が、プラットホームで見せた顔は、一生忘れないだろう。幼かったあの頃と少しも変わっていない、黒目がちのキラキラの瞳。愛おしく心に刻まれた。
家族の最後のひとときのために、少しの間、席を外してくれた彼も本当にいいヤツ、優しい人だ。そっと娘を抱き寄せた夫は、もしかしたら私以上に切なかったかもしれない。お姉ちゃんが大好き過ぎる次女も、この瞬間をどんな思いで受け止めただろう。
でも。
私はあのとき、自分を律することで手一杯、余裕がなかった。
本当は手放したくない・・・
まだ胸に残るその思いをなだめ、抑え、娘の幸せな旅立ちを笑顔で飾ろうと努めた。終わりではない、始まりなんだよ、と。
彼らが乗車する。発車のベルが鳴る・・・
小さくなっていく新幹線を見送った私たちは、静かに帰路についた。
口数が少なかった。・・・雨が降り出した。
長女たちはこの日のうちに、彼の住む町で入籍。結婚式は、彼の仕事の都合で7月になったが、夫婦としての実際のスタートはこの日となる。夫と次女と私の三人にとっても、この日が新しい生活の始まりだった。
2015年3月7日。
私の記憶に刻まれた、とても大切な日。
そんな風にスタートを切った長女夫婦には、今は3人の娘がいる。4歳児と、9月で2歳になる双子だ。双子出産のときは、長い里帰りもあった。
✻双子プロジェクトの記録はこちら↓
長女が結婚した年の暮れ、私たちも転居をした。そして一昨年には次女も、私たちの元を巣立った。
✻次女が巣立ったときの記事です↓
時は流れ、人も生活も、世の中も変わっていく。
でも、記憶に刻まれた大切な思い出はずっとそこにあり、決して色褪せないよね。
生まれたばかりの長女も、3歳のおしゃまな長女も、恋をした美しい長女も、母となった頼もしい長女も、みんな私の中で変わらずキラキラ輝く宝ものだ。
そう。王女はプラタナス星にも、帰っていない。ほんの4時間ほどで、会いに行けるよ!
✻今回は、はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」への投稿文として書いてみました。いくつになってもおセンチな母親です。笑
写真は、長女が2歳のときに作ったドレスです。私の従妹の結婚式で着せました。
ほんの4時間ほどで会いに行けるのに、なかなかそれがかなわない、もどかしく悩ましいご時世ですね。早く穏やかな日常が戻ってきますように。
暑い日が続きますが、皆様、どうぞご自愛を。