一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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小さな3人の女の子

 

11月も、もう終わろうとしている。
慌しいのは師走、と相場は決まっているのに、今月、なんだかずっとせわしなかった。時間が足りなくて、日々のルーティーンがなかなか回らない。

 

外歩きが快適な気候になったから、ウォーキングをよくしていたせいかな。
冬物を買いに街に行ったし、次女が泊まりに来て、一緒に紅葉を見に恵那までドライブもしたし。
恵那峡。山の色付きはわずかだったけれど、湖畔の散歩道が素敵だった。

 

恵那峡の画像

恵那峡の紅葉

 

それから、習い事の課題制作に勤しんで、ここに随分時間をかけてしまった。それでも他のこともしたくて、合間に小さな作品も仕上げてみたり。

 

花糸で小さな刺しゅう

 

こう書いていると、全部自分の楽しみのための慌ただしさじゃないか、と苦笑してしまうけど。
早めの大掃除、的なこともやって、筋肉痛にもなった11月。いろいろ頑張ったつもり。ここへきて少々疲れがたまってきたようだ。

 


長女一家の所へも行ってきた。
9月の終わりにも行っているのだが、今回は悲しい用事での訪問だった。

 

前回私たちが遊びに行って帰った1週間後に、婿どのの父君が亡くなってしまわれた。ずっと闘病されていたものの普通に暮らしていらしたのに、急に病状が悪化して息をひきとられたのだった。

 

私たち夫婦は、お通夜に駆けつけるつもりが、その日夫が高熱を出してしまいかなわず、四十九日のご法要前後にお線香をあげさせていただこうということになり、今回、悲しいお別れをしてきた次第だ。

 

長女一家の家から、婿どののご実家まで、クルマで約20分。
去年の夏に訪れたときは、父君も笑顔で迎えてくださったのに・・・

 

✻その日のことを書いた昨年の記事です↓

tsukikana.hatenablog.com

 

69歳。早過ぎる・・・
広くて綺麗なお宅に上がり、ご遺影を見つめた。まだ信じられなかった。
残された母君のことも心配だったのだけど、いつもと変わらぬ笑顔を見せてくださった。気丈に振舞われていたのだろうが・・・あの大きなおうちにひとりで暮らすのだ。それを思うと寂しさがこちらまで押し寄せ、切なさに胸が痛んだ。

 

でも。悲しい訪問ではあったが、行けて良かった。彼女のお顔を見られてご様子もわかり、お互いの出産時の昔話などで盛り上がって、少し心が落ち着いた。

 


その前の晩、夫と私は長女の家に泊めてもらったのだが、3人のチビッコを寝かしつけてから、私と長女は深夜まで語り合った。こんなに長い時間をふたりで過ごしたのは、何年ぶりだろう。

 

いろいろな・・・本当にいろいろな話をした。
もちろん婿どのの父君のことも。彼女はポロポロと涙をこぼし、つい最近までよく会っていたのよと、大好きなお義父さんのことを話してくれた。長男である婿どののことも、お義母さんのことも、とても心配していた。

 

どんな生命にも必ず訪れる、その日。
わかってはいても、大切な人の死は、どうしてこうも受け入れがたいのだろう。

 

私はここ3年で、母と父を立て続けに亡くし、死別の痛みを十分すぎるほど知ってしまった。そして、この先も悲しい別れは何度も訪れるのだと考えると、生きるということは何と理不尽なことか、とさえ思ってしまう。

 

自分がその日を迎えることは、それほど怖いとは思わないのだ。
残された家族や友人たちに悲しみを与えてしまったり、苦労をかけてしまったりするなら申し訳ないなあ、いやだなあ、と思うくらい。

 

でも、大切な人に先立たれることは、もう、怖くて仕方ない。そういう意味では、生きていることの方が怖く感じてしまうくらいだ。

 

結婚し、生まれ育った町を離れ、知り合いもいない遠い町に住むことになって8年半。長女にとって、お義父さんは大きな存在で、心の拠り所でいてくれた人のひとりだったに違いない。

 

娘が本当にお世話になりましたと、何度も手を合わせずにいられない。
ああ、とても残念だ。でも、心からご冥福を祈った。

 


悲しい訪問。
ではあったが、長女たちにまた会えたことは、正直なところやはりとても嬉しかった。

 

深夜のおしゃべりも、悲しい話ばかりではなく、悩み事だったり、楽しい報告だったり、思い出話だったり、寝てしまうのが惜しいほど、いつまでも話していたかった。問題にぶつかりながらも、母親として人として大きく成長していく娘が、その頑張る姿が、愛おしくてたまらない。

 

そして、3人の孫娘である。その存在がいかに大きなものであるかに、改めて驚かされた。
あの、生命の輝きそのものの、光るほっぺ6つ!

 

歌ったり踊ったり、おしゃべりしたり。おもちゃでもたくさん遊んで、今回も夫と私を何度も何度も笑顔にしてくれた6歳児と4歳児双子。彼女たちがそこにいてくれるだけで、ネガティブな気分になった私でも「生」を肯定することができる。

 

生きてることって素晴らしい。
世界はこんなにも美しい。

 

私は本来、そう考えられる人間だったはずだ。そのことに気づき、ベースに立ち返らせてくれるのは、これから成長していく小さな人たちの曇りない瞳と、あのほっぺの輝きだ。

 

子どもたちが、「生きることって嬉しい」と感じられる世の中にしなくてはいけない。生きていきたいと思ってもらわなくては困る。希望を持てる未来にしなくては!

 

それは、大人の責任なのだ。無力な私も、無力なりに努力が必要だ。責任を自覚し、自分にできることは何かを考えなくてはいけない・・・

 

 

冒頭の写真は、お土産の他におまけとして3人の孫娘たちに持って行ったもの。街で買い物をしていたとき、雑貨店で見つけた(オーナメントにもなる)人形だ。その顔が、あの子たちによく似ている気がして、買わずにいられなかった。

 

パッケージに入っていたときも可愛かった♡

 

箱裏には「ノルディカガール」と書いてあったっけ。こういうラブリーなものに、最近は私、よく心が動く。笑

 

長女もチビッコたちも気に入ってくれたようだ。早速、クリスマスツリーのタペストリーを壁に掛け、他のオーナメントと共に、ノルディカガールも飾ってくれた。ジングルベルを歌いながら♬

 

明日から12月。
毎日いろいろあって大変だろうけど、風邪ひかないように、みんな元気に過ごしてほしい。楽しいクリスマス🎄も、お正月🎍も待っているからね✨

 

私の心の中にいる小さなガールも、希望を胸に今、前を見ている。

 

 

長女の家の窓から見た空




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