一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道

 

クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は本当に慌しい。

 

年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直前、2泊ではあるが夫とふたり、また清水の家に行くことができた。両親の住んでいた家である。

 

寒かったけど、頑張った。
果てしないと感じていた遺品整理、今回ようやく“前に進めている”実感を、少しだけど得ることができたのは何よりだ。ビデオテープやDVD、CD、カセットテープ類に手を付けたからだと思う。

 


断捨離をするとき、何から始めるか順番が大事なのだと、本で読んだことがある。順番、大事なのはその通りだろう。

 

ただ、自分の家のモノを断捨離するのと、亡くなった親のモノを遺族として処分していくのとでは違うのだ。まだ混乱や喪失感に苦しんでいるときに、できることは限られる。

 

母が亡くなったとき、残された父とともに母の遺品の整理を始めたのだけど、まあ、ほとんど何も捨てられなかった。かろうじて、まず処分できたのは下着類。これは母が「早く捨てて」と言っている気がしたからだった。

 

続いて、闘病中のときの医薬品や器具など。その次が衣類。一部を残して、思い切って処分した。

 

でも、そこまで。父が、抵抗したのだった。
母のモノを見るのは辛いけど、なくなるのも辛い。その気持ちはもちろん、私にも痛いほどわかった。

 

「夏服、少なくなっちゃったねぇ」と、母が父の夢に出てきたのだというから、仕方ない。捨てるのは諦めて、住まいの片付けと掃除をするのにとどめておいた。

 

それから2年とたたないうちに、母のもとへ旅立ってしまった父。もう私、誰かに抵抗されるからという言い訳はできない。自分で決断していくしかない。もちろん弟にも相談しつつ、だけど。

 

母のときと同じように、父の下着類から処分。その他の衣類の断捨離は、弟夫婦に任せた。

 

衣類は家の中でもかなりかさ高いものなので、早いうちに処分すると良いと思う。家の中が広くなり、片付ける人の励みになる。靴も、誰ももう履くことはないので、捨てやすい。靴箱がからっぽになるのは達成感にもつながる。

 

その次は古い家具。うちの場合、再利用の可能性のない古家具がゴロゴロ放置されていたので、これも早めに処分したかった。

 

で、その中のモノたちをごみ袋に入れることになる。ガラクタだけなら気持ちがラクなのだが、書類がやっかいだった。

 

✻以前、書類処分の苦労を書いています↓

tsukikana.hatenablog.com

 


古い本、趣味のあれこれ・・・。仕分けしてリサイクルショップやステーションに持って行ったり、我が家に持ち帰ったり。そういう判断にも時間がかかるし、何より父母が “あの頃” 何に興味を持っていたのか、どんなことをしたかったのか、そんな想像に心を持って行かれて。手を止めてしまうことが多くなり、作業はなかなか進まなかった。

 

そんなこんなで、ようやくたどり着いたCDやテープの類である。これもかさ張るものなので、処分のし甲斐があった。家族の声が入っていそうなものや、ちょっとすぐには判断できないものだけ、捨てないでおいた。いつかもう少し落ち着いたら、見たり聞いたりしてみよう。

 

カラーボックスに放り込まれていた何十冊ものアルバムは、そのボックスを処分したいがために取り出して積んでおいた。これ、見始めたら大変だ。写真の類は本当に時間泥棒だから。こちらも、最後の方で弟と相談しながらどうするか考えよう。

 

そうそう、私たちの両親は親戚も友人も多い上に、職場の部下など10組超の仲人もしているので、写真館の封筒に入った結婚写真もかなりの数、いただいていた。ちらちらと見たが、ほとんどが知らない人。知っている人もいたけど、もう捨てさせてもらっていいよね。既に離婚しているカップルの写真もあったな。人生、いろいろだ。

 

清水の家での作業は、泊まりで行くため、生活しながらということになる。さすがに料理はしなくなったが(調味料などを置いて帰れないから)、ダイニングテーブルは使うし、洗濯もする。寝具も使う。なので、片付けのときにモノをそんなには広げられない。

 

そういう意味で、食器類は本当に最後だな、と思っている。出し始めたら大変なことになるからね。身動き取れなくなるのが目に浮かぶ。処分するものの順番は、やっぱり結構大事なのである。

 

疲れた~と、ゴロリ寝ころんだ1階和室の障子に、玄関脇のモチノキのシルエットが映っていた。この部屋で介護ベッドに寝ていた母も、同じシルエットを見ていたのかな。

 


庭の柚子が、今年もたわわに実っていた清水の家。
冬至だった22日の朝、ふと思い付いて、私はたくさんの柚子を摘み、カゴに入れた。それを公道に面した場所に置き、ご自由にどうぞとメモを添えた。柚子湯にいかが?と。

 

剪定した枝や落ち葉を、市の指定ごみ袋に詰める作業を庭でしていると、通りがかりの高齢女性に明るく声をかけられた。
「柚子、もらってっていいの?」

 

3人か4人に声をかけてもらえただろうか。どうぞどうぞ、たくさんどうぞ、と、嬉しくなってしまった私。中には、在りし日の父母との思い出を話してくれる方もいて……。

 

夕方、カゴを引き上げに出てみると、なかなかの売れ行き(タダだけど)。町内の方に季節のお裾分けができたようで、頬が緩んだ。夫も「いいこと思い付いたねえ」と微笑んでいた。

 

その晩、私たちもお風呂に柚子を浮かべた。特有の何とも言えない良い香り。小さな幸せを感じる。父の愛した柚子の木が、今回の働きをねぎらってくれたのかもしれないね。心地よい疲れを抱いて、よく眠れた晩だった。

 

カゴに入れて家の前に置いた柚子

 

ご近所の方にお野菜やミカン、手作りの干し芋までいただき、少しだけ咲き残っていた、母の愛したピンクの薔薇も手折って、私たちは帰路についた。

 

慌しかったし疲れたけど、なんだか胸が温かく、清々しい。清水からの帰り道に、こんな気分になれる日がくるなんて。

 

「今日は富士山がよく見えるみたいだよ」

 

夫が調べてそう言ってくれたので、日本平ホテルのお庭にちょっと立ち寄る。本当に、雲ひとつかかっていない綺麗な富士山だった。

 

前日の寒さが嘘のように、風もなく暖かで。空も、海も、とても美しい青。

 

外国人カップルに頼まれて写真を撮ってあげている夫。周囲の人たちの楽しそうな笑顔。優しい日差しと小鳥の鳴き声・・・

 

私はそのとき、自分がとても大事にされている気がした。何に?

 

それは生まれた町、清水なのか、あるいは空の住人となった父や母なのか。
それとも、富士山かな?いや、もっと大きな何か?

 

わからないけど、澄んだ気持ちになれたことが嬉しくて、そうさせてくれた大きな存在に向け、私は手を合わせた。

 

 

富士山と清水港―日本平ホテルの庭から―




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