一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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真冬の追憶散歩―折戸、そして三保松原

三保松原の富士山の画像

 

私にとっては「激動だった」と言いたいような2022年が、あと数日で終わる。
いつもの年と同じように今年も暮れていくんだね、と、ちょっと不思議に思いながら、先週後半、また清水に行ってきた。これが年内最後の帰省。

 

人とのアポイントもあり、早めに済ませておきたい片付けもある。短期間で、諸々用事を済ませようと頑張った。

 

とにかくちゃちゃっと終わらせ、早く帰りたかった。コンパクトな滞在はいつものことだし、年の瀬、私もそれなりに忙しいので。両親もいない実家に長居は不要、という思いもある。切なくなってくるしね。それに、温暖な静岡だけど、今年は寒い!

 


けれども今回、少しだけお楽しみの時間を持つことができた。

 

最終日、お昼を食べようと外に出たら、あまりにも富士山が綺麗だったので、もっと眺めの良い場所でその全容を見たいと思った私。富士山は近所の駅からもよく見えるのだけど、タワーマンションが邪魔をしたりして、いま一つ残念な感じなのだ。

 

今回は夫と一緒にクルマで来ていた。その夫が、食事の後「港の観覧車に乗って富士山を見る?それとも他の場所に見に行く?」と言ってお出掛けに誘ってくれた。

 

クリスマス寒波で大雪が降り、高速道路は東名も新東名も、部分的に通行止めになっていた。早く帰りたくても帰れない、という事情もあったのだ。良く晴れていたし、時間が経過すれば通行止めが解除になるかもしれない。せっかくだから、ドライブでもしようか、と。

 

それならば、折戸(おりど)に行きたい。そう頼んだ私。
私が遠い遠い昔に住んだことのある町だ。いつかは歩いてみたかった。

 

そこは、景勝地・三保松原(みほのまつばら)のある三保半島の付け根あたり。私たち一家が暮らしたのは、多分、私が3、4歳の頃。父の仕事先の支署の宿舎に住んでいた。

 


ヒタチからオリド
その次はナゴヤに行って、
そのあとシモダに行って、
次にシミズに来て、それから・・・

 

小さい頃の私は、そんな風に自分が引越してきた場所を暗唱するようにして、忘れないでいようとしていた。が、日立も折戸も実は清水だったということを、大人になってから知る。生まれた町ではあるけれど、親が転勤族だったため清水のことは本当に知らず、申し訳ないような気持ちになる。

 

小さかったし、滞在も短かったからか、折戸での思い出は、ほんの少しだけ。そのほとんどが、父に遊んでもらったことだと気付く。母は多分、弟を妊娠中か産んだばかり、だったんじゃないかな。

 

ジュースを凍らせて、父がアイスキャンディーを作ってくれた記憶があるから、季節はきっと夏。すぐそばの海岸に、よく連れて行ってもらった。

 

松の木がたくさんあって、海風が気持ち良い場所。買ってもらった筒型のカゴバッグを手に提げて、お洒落をして出掛けるのが嬉しかった。

 

父と並んで、木の切り株に腰かけて海を見ていた。キラキラ光って、すごく綺麗な海だった。嬉しいような寂しいような、よくわからない気持ちで、パパの手をぎゅっと握った。

 


あの場所が、わかるかな?住んでいた場所が、わかるかな?
心許ない気持ちで、多分この辺り、と思う所でクルマを降りた。町は静かで、人通りはほとんどない。

 

私の胸がふと騒いだ。ここを、知っているよ、と。

 

今は鉄筋の建物ばかりで、当時の木造戸建ての宿舎の面影もないけれど、空気なのか、風なのか、匂いなのか、目に見えない何かが懐かしさを呼び起こす。

 

なんだかドキドキする。海のそばまで歩いてみた。

 

松の木は確かにたくさんあったけれど、お行儀よく一列に並んでいて、ちょっとまばら。私の記憶では、もっともっと広い範囲に密に植わっていて、その下は薄暗いほどだったような。

 

何十年も経っているのだから、景観が変わったのかもしれない。私の記憶が改ざんされている可能性もある。

 

そのとき、ふと思い出した。父は若い頃、スーパーカブに乗っていて、私もよく乗っけられていたことを。父はもしかしたら、私をカブに乗せて、三保の松原まで行っていたのではないか。

 


その場所から三保松原までは、すぐ近くなのだった。羽衣伝説のある松の木を仰ぎ、その辺りの大きな古木の林を眺めれば、ああ、ここが父と遊んだ場所だったんだろうな、と思えてきた。

 

私はずっと、折戸は清水ではないと勝手に思い込んでいたため、自分が有名な三保松原のそばに住んでいたとは気付かず、GoogleMapで知り、へえぇと驚いたのだった。父とよく訪れた海は、ここだったのかもしれない。

 

海岸に出て、波打ち際近くまで歩くと、左手に富士山が現れた。真っ青な空に白い雲がふたつ、みっつ。でも、富士山には全く雲がかかっていない。こんなに機嫌の良い顔を見せてもらえたこと、これまでの人生で数えるほどしかない。なんてラッキーなんだ♡

 

駿河湾も美しかった。深い深いブルー。かなり風が強く荒れていたけど、白波が弾け、舞い上がって日に輝き、胸がスカッとした。

 

そんな清々しい気分で撮ったのが、冒頭の写真。
なんだかお正月の図柄みたいだけど、この日はクリスマスイブだったのよね。笑

 


こんな風に、また追憶と戯れる散策ができたことが、とても嬉しい。以前、名古屋の白壁、尼ケ坂界隈を歩いたとき、次は折戸か下田に行ってお散歩したいなあ、と思ったのだけど、意外と早く、その願いの半分が叶った。

 

✻以前に書いた追憶散歩の記事です↓

tsukikana.hatenablog.com

 


折戸にいた頃の幼かった自分の姿は、アルバムの古い写真でしかイメージできない。けれど、父の姿はぼんやりと脳裏に思い浮かべることができる。

 

日に焼けた顔。水泳で鍛えられた引き締まった体。煙草を持つ指。

 

バスを待つ停留所。あと5分だねと、手をつないで一緒に300数えたのは、どこに住んでいたときだったかな。競争してツクシを摘んだりもしたね。

 

子どもの頃、父は厳しくて怖い人だと思っていたけど、もっと子どもの頃はたくさん遊んでくれる優しいパパだった。そして、癪だけどちょっとカッコよかった。

 


父のこと。母のこと。
家の中で片付けをしているだけだと、思い出は何十年分も折り重なって、どう受け止めればよいかわからなくなり混乱することが多い。けれど、今回の追憶散歩は、思い出の範囲が限られたのが良かった。

 

綺麗な富士山に会えたことを、夫と喜び合いながら家路につく。それは普通で平凡なことだけど、きっととても幸せなことなのだろう。初日には、清水港のイルミネーションを楽しめたことも、穏やかな幸せだ。

 

今回はずいぶん、気持ちが楽だった。

 

清水への帰省が疲れたり寂しかったりだけのものでなくなってきていることが、今、とても喜ばしく思える。

 

 

清水港のイルミネーションの画像

清水港のイルミ

 


✻帰りの高速道路は、途中から通行止めが解除され、私たちは無事に家に辿り着くことができました。高速を降りると、道路脇に雪が積まれていて、清水では雪は全く降らなかったので、ちょっと不思議な気がしましたよ。

この冬は厳しい寒さで、雪で大変な思いをされてる方がたくさんいらっしゃると思います。事故のないよう、どうぞご安全に。そして、温かくしてお過ごしくださいね。

今年もお世話になりました。
皆様、お健やかに幸せに。

良いお年をお迎えください。

 

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