一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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柔らかな心で

 

暖かい日が続いた先週と打って変わり、今週は最強寒波が到来。厳しい寒さになりそうだ。体が縮こまらないように気を付けなくては。

 

硬くなったなあ。

 

毎日、ストレッチをするたびに、わが身体の柔軟性低下を情けなく思う。続けているのに、なかなか柔らかくなってくれない。やり方が間違っているのかな。やらないよりは大分マシではあるのだが。

 


子どもの頃は、体は柔らかい方だった。ブリッジをしてみせると、大人が感嘆してくれたものだ。

 

いつからできなくなったんだろう。夫によると、結婚してから家で何度か、私は得意気にブリッジをしたらしい。すると、少なくとも20代後半まではできていたのか。

 

娘が幼稚園に行っていた頃。鉄棒の逆上がりができるようになりたいと言うので、近所の公園に行って特訓することにした。

 

自分がお手本を見せようとやってみたところ、できない。
いやまさかと再度試みるが・・・できない。いっこうにできない。

 

ショックだった。そんなことが起こるなんて。
すごくがっかりしたからしっかり記憶に刻まれて、今でもときどき思い出す。笑

 

身体能力の衰えを実感するのは、実に哀しく切ないものだ。仕方ないこととわかっていても残念だし、この先のことも案じられて、ちょっと怖い。

 

年齢を重ねていくと、いろいろな「初体験」をする。小さな字が読めなくなってきたり、髪に白いものが混じってきたり、顔の上に見たくもない余計なものを発見したり。

 

私たちはシニアグラスやヘアカラーリングやお化粧の力を借りて、それらの衝撃を和らげてみせることも、まあできる。ただ、身体能力は、なかなかね。

 


3年前に母が倒れてから、昨年父が亡くなるまで。私は、成人してからこのかた、こんなに両親のことを考えたことがあっただろうか、というくらい、父母と濃厚な時間を過ごした。

 

その間、人が老いてやがて死を迎えるまでの、心と体の変化というものを見てきた。たくさん学ばせてもらったと思っている。

 

父も母も若い頃は運動が得意で、晩年までダンスなど体を動かすことが好きだったのに、それでも動けなくなってしまうのだった。もちろん、病気や怪我のせいもあるけれど。彼らは思うようにならない体にもどかしさを、そして驚きさえ、感じているように見えた。

 

動くことに自信があっただけに、さぞ悔しかっただろうなあ。彼らと違って運動が得意でなかった私でも、逆上がりができなくなった30代の頃、すごくショックだったし、ここ数年は体の硬さに閉口している。

 

できていたことができなくなるのが、年を重ねていくということなのか。と、ため息ひとつ。が、一方で人生に深みが増して内面が豊かになっていくのもまた、年を重ねるということなのだ。ここは、プロエイジングの考え方でいきたい。

✻プロエイジングとは年齢を重ねることを肯定すること。いわば、アンチエイジングのアンチ。

 


年を重ねることをポジティブに考えたい。ただ、老いていくことに悲哀を感じている人への接し方には、気を付けたいと思う。

 

思いやりとか、寄り添う、とか。良い言葉なんだけど、ちょっとだけ上から目線な印象も受け取ってしまうひねくれものの私。

 

年長者に対しては、礼儀とか敬意とかを言葉として選びたい。私のまだ知らない世界を、先に体験されているのだから。

 


昨年2月に父が他界し、私と弟は強い衝撃に打ちのめされながらも、大忙しな日々を送らざるを得なかった。

 

葬儀の他にもさまざまな手続きや届け出、申請などがあり、役所、年金事務所、金融機関など、あちこちに連絡を取ったり出向いたりした。

 

電気、ガス、水道等の料金の請求先も変更してもらったり、新聞を止め、携帯会社やNHKも解約。細かい手続きはいくらでも出てきて、漏れがないかずっと心配だった。弟がよく頑張ってくれた。

 

司法書士さんや税理士さんのところにも伺う必要があり、清水だけでなく中津川に2度、恵那に3度、行っている。(弟は岐阜在住)

 

先日、司法書士さんから清水の家の登記簿関連書類が届き、謝礼を済ませ、ひとまず、相続登記まで全ての事務処理が終わった。父の死から10か月半。長かった・・・

 

でもまだ片付けが残っているし、両親亡き後の家をこれからどうするか、考えていかなくてはならないのだけど。これに関しては、時間をかけて悔いのないようにしっかりやっていきたい。

 


手続きや相談、打ち合わせや申請などで、たくさんの方たちに会った。そして、知らないことをたくさん教えていただいた。緊張も疲れもあったけど、頭が冴えてくるような刺激も多く、背筋を伸ばして頑張ることができたと思う。

 

静岡、岐阜、愛知。
父と弟と私は居住地が離れているため、各地の役所で書類(父の除籍謄本や改製原戸籍謄本、私たちの戸籍謄本や戸籍の附票、印鑑証明書、住民票など)を複数求めなくてはならなかった。金融機関でも、やり取りに必要で用意しなくてはならない書類がたくさんあった。

 

それは当初からわかっていたので、そんな中でも無駄なく動いて、なんとか少しでも合理的に進めたいと、私は願っていた。

 

そう、清水から帰ったら書類が足りなくて、またすぐに清水に引き返さなくてはならない、なんてことは避けたかったのだ。

 

弟は夏秋トマトの生産者なので、農繁期は動けなくなる。あまり悠長にもしていられない。焦りもあって、私は司法書士さんに最初、ちょっぴりビジネスライクに接してしまった。

 

どの書類がどのタイミングで何枚必要になりますか。
一度に済ますことはできますか。
今後のタイムスケジュール的なものを教えてください。

 

つまり、なるべくちゃっちゃと済ませたかったのだ、事務的なことなんて。

 

でも、返ってきたのは優しい微笑み。何と言われたのか忘れてしまったが、直接的なお返事ではなく、時間を掛けることも良い面がありますよね、みたいなことを話された。そして、父に関する書類を見ながらこう言った。

 

「お父さん、すごく頑張られましたね。89歳まで、立派に生きてこられましたね」

 

ふいに胸が詰まる。事務処理において、その文脈で考えたことはなかった。

 

父の一生。昭和一桁に生まれて、少年時代に戦争を経験し、6人兄弟の次男として進学を諦め家計を支え、18歳から国家公務員として定年まで勤め上げた。ふたりの子を巣立たせた後、故郷に家を建て、地元の大手商社に請われて再就職。難しい資格試験をパスし、講師として後輩を育てた。

 

家ではただの威張りん坊の怒りん坊だった父は、外ではとても尊敬され慕われていた人物だった。それは知っていたけれど、私はそこをきちんと認めて敬ったりしたことはあっただろうか。「外でばっかりいい顔をして」くらいに思っていたよね。

✻父に関する記事も意外とたくさん書いていました↓

tsukikana.hatenablog.com


親が亡くなった後の事務手続きは、煩雑で厄介で、確かに面倒だ。けれども、その間に親の社会的な貢献とか、家の外での苦労とか、これまでよく知らなかった事実を、様々な書面から読み解くことができる。通帳を見るだけでも、贅沢もせずに堅実に貯蓄をし、私たちに少しでも多く残したいと思ってくれていたことがわかり、愛情が伝わってくる。

 

帰りの電車の中で、私は悟った。
これは、亡くなった父の人生を辿れる大事な旅でもあるのだと。この与えられた機会に感謝して、父の残してくれた足跡を、敬意を払いながらゆっくり見つめ、大切に過ごさせてもらおう、と。

 

2時間弱かけて中津川や恵那に何度も行ったことも、私には大きな意味があったのだと思う。

 

小さな旅。長い時間を電車に揺られながら、頭の中を整理することができた。考えがまとまると気持ちが定まってくる。そして、素直になれば、この年になっても成長できるのだと知った。

 

税理士さんには完璧すぎるほどの遺産分割書を作っていただいた。どの銀行さんに持っていっても、こんなに立派なものは見たことがないと驚かれた。とても丁寧なお仕事をしていただき、頭が下がる。

 

一連の手続きが終了し、先生方にはこの先、もうお会いすることはないかもしれない。でも、お世話になったことはずっと忘れないだろう。

 

ありがとうございました。
父母の人生の軌跡に思いを馳せる旅は、今もまだ、続いています。

 


来月、父の一周忌を迎える。
お父さん、今、どうしていますか。

 

空を、雪雲が覆ってきた。いよいよ近づいてきたようだ。最大級の寒波、いったいどんな大物なのか。

 

さあ、ストレッチをしようかな。
体も柔らかくなってほしいけど、それ以上に心の柔軟さを失わないようにしたいものだ。

 


✻最大級の寒波。皆さんのところは大丈夫ですか?
お気を付けて。どうぞご安全にお過ごしくださいね。

今年、最初の更新となります。遅ればせながら、今年も楽しくお付き合いいただけると幸せです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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