一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

遠い記憶と遊んだ町散歩―白壁と尼ケ坂

 

尼ケ坂、という言葉に反応した。

 

新聞の地域版で読んだ記事だった。名鉄瀬戸線の清水駅から尼ケ坂駅にかけて、約550メートルの高架下を利用したお洒落な商店街があり、人気スポットになっているという。2019年にオープンした「SAKUMACHI商店街」。

 

私の脳裏に、尼ケ坂の昔の景色が広がった。坂を上った先の白壁の町も。まるで絵本をめくるように。

 

長く生きてくると、思い出の町、場所も増えてくるものだが、名古屋の白壁、尼ケ坂界隈も私にとってそのひとつ。数えてみたら、いやだわなんと、半世紀も前の思い出だった!

 

あの辺りが今、どんな風になっているのか、この目で見てみたい。懐かしい町を、歩きたい。
そんな風に思い立ち、夫を誘って基幹バス新出来町線に乗り、「白壁」で降りた。

 

実は、白壁は二重三重に懐かしい町。大人になって、この地に戻ってきてからは、仕事の取材などで何度も訪れているし、散策もしている。ただ、そのほとんどは基幹バスの通りの南側で、尼ケ坂があるのは反対の北側だ。

 

散策としてなら、白壁は南側の方が有名だと思う。白壁・主税町(ちからまち)・橦木町(しゅもくちょう)とセットで語られることが多く、江戸時代の武家屋敷の地割を残しているその街並みは知的好奇心をくすぐられ魅力的だ。武家屋敷門があったり、川上貞奴の邸宅を移築復元した文化のみち二葉館や旧豊田佐助邸など、歴史ロマンを感じる近代建築も点在したりと、とにかく見どころ満載で、歩いていて飽きることがない。

 

www.nagoya-info.jp

 

私も大好きな散策エリアだけど、今回はあえて北へ向かう。

 

尼ケ坂へ続く道。途中、左側を見ると、少し先に三角屋根の塔があった。長い下りの坂道の中ほどに建っている。金城学院の礼拝堂だろう。瞬間、喉の奥がぎゅっと絞られたようになる。遠い記憶が鮮やかによみがえった。

 

隣にいる夫に、問わず語りに話し始めた、マユとの思い出。
マユ。今、どこでどうしているの。

 


幼稚園をみっつ、小学校をよっつ。私はいつも転校生。父が転勤族で引越しが多かった。その四番目の小学校で、私はマユと出会った。5年生の3学期のこと。

 

引っ込み思案の私に親し気に話しかけてくれたマユ。すぐに仲良しになった。明るくておしゃべりが大好きな、元気な女の子。でもなぜか、彼女を悪く言う子も少なくなかった。

 

あの子は嘘つきだから、友だちにならない方がいいよ、とまで私に言ってくる子もいた。でも、転校してきたばかりの私には、マユは親切で面白い子、としか映らなくて。

 

私たちの家は近所だった。学校帰りに児童公園で「白鯨ごっこ」をして遊んだのを思い出す。ジャングルジムを漁船に見立て、白鯨が襲ってきたときの船長と船員のパニックを演じるのだ。何が面白かったのか、ふたりはこの遊びにはまっていた。

 

マユは私の家に遊びに来たし、私も彼女の家によく上がった。市営住宅の小さな部屋に、家族5人で住んでいた。生活は豊かではなかったのかもしれない。ママは本当のママじゃないの、と言っていた。小さな弟は、ママの連れ子だとも。

 

それから、マユはよく、遠くへ行こうと私を誘った。彼女のおしゃべりを聞きながらだと、どれだけでも歩けそうな気がしていた。学区外への冒険は、いつも私をワクワクさせてくれた。

 

6年生になって、私にも少しだけど友だちが増えた。多分その頃から、私はだんだんマユに不快感を持つようになってしまった。嘘が、多いのだ。そして、嫉妬。

 

私が他の子と遊んでいると「私たち、親友だよね!」と叫んで怒る。そのくせ、私の悪口を他の子に吹き込んで、私を除け者にしようとする。私が抗議するといつも言い訳をして、ごめんねとすぐに泣くのだ。

 

「親友の誓い」とか「裏切り」とか「絶交」とか。
彼女の口からは、私には激し過ぎる言葉がどんどん飛び出してくる。

 

まだ11歳。どんな風に彼女に対応すれば良いのか、私はまるでわからず、いつも翻弄されていた。そんなある日、彼女が私をまた遠出に誘った。

 

外国人の友だちがいるの。ジェニファーっていうの。これから会いに行くから、つきかなも一緒に行こう。

 

私、疑ってしまった。また嘘をついていると思った。だから、本当に、綺麗な庭付きの白いコテージハウスでジェニファーを紹介されたとき、恥ずかしかった。疑ってしまって、マユに申し訳ないと思った。

 

それが、白壁での最初の思い出だ。当時は、それが金城学院というお嬢様学校の敷地内であるとは、つゆ知らず。後から考えれば、いろいろ想像はつく。

 

ジェニファーは多分、外国人の先生のお嬢さんで、あのたくさん並んでいたコテージは、教員用の宿舎だったのだと思う。近くに「教会」があったと記憶しているが、あれは金城学院白百合館の礼拝堂だったのだろう。

 

緑の中の坂道を上る。
遠い異国を思わせる白いペンキ塗りの可愛い家々。
外国人の女の子。
厳かな教会。

 

まるで少女漫画のような道具立てに、私はすっかり魅了された。金髪で青い目のジェニファーは、漫画雑誌やテレビでしか見たことのないロザリオ(十字架のネックレス)をしていて、本当に美しく可愛らしかった。

 

そんな女の子と、マユはどうやって友だちになったのだろう。マユは、不思議な子だ。私はその後もしばらく、マユに翻弄されたのだった。

 


そんな話を、夫に聞かせた。それはさぞや記憶に残る思い出だろうねと、彼は静かに受け止めてくれた。私は、思い出の中を泳ぐように歩みを続ける。

 

白壁と隣り合わせの尼ケ坂も、私とマユのお気に入りの遊び場だった。尼ケ坂駅に向かって降りていく坂道は、緑が濃い。左手には尼ケ坂公園。多分、そう。この辺りでよく遊んだのだ。

 

でも、昔はこんなに綺麗だったかな。片山神社の方で遊んでいたのかな。もっと暗くて、ちょっと怖かった気がする。それもまた、尼ケ坂の魅力だったのだ。うっそうとした森の中だから、私たちは変な遊びを思いついて、人目も気にせず夢中になれた。
(危ないよね。今では考えられないけど、昔はそんな感じで遊ぶことも多かった)

 

名鉄瀬戸線、尼ケ坂駅。私が子どもの頃は、高架駅ではなかった。1990年に高架化されたようだ。当時、瀬戸線に乗ることはそんなに多くなく、学校の校外学習のときくらいだったかな。私の家は、地下鉄駅に近かったため、ほとんど利用しなかったのだと思う。

 

惜しいことをしたと思う。瀬戸線(当時は瀬戸電と言ってた)に、もっと乗っておけば良かった。というのも、最寄り駅で言えば、今はもうない「土居下駅」を利用したはずだし、その頃なら世にも珍しい「お堀電車」に乗って、名古屋城のお堀の中を走ることができたのだ。うう、残念。

 

土居下(どいした)という地名は、昔はあったのかな。母は柳原商店街とともに、「土居下市場」でもよく買い物をしていたのだけど。思えばあの辺りもまた、昔のお武家さんの町。

 


さまざまな思いが次々とあふれてくる。当時の名残りを求めるように、尼ケ坂駅から清水駅までを歩く。もちろん、高架下の素敵な商店街も楽しみながらだけど。スポーツバーでいただいたランチも美味しかったし(特別にハチミツまでお土産にいただけた♪)。

 

しかし、本当に不思議な気分だった。私のよく知っていた町が、まるで違う顔をしている。そりゃそうだよね、何十年たったと思ってるの。時はどんどん移り変わっていくのだ。

 

それでもつい、昔の面影を探してしまう。私とマユの物語をなぞってしまう。

 

また、来たいと思った。
今度は、新しい気分でね。高架下をこんなにお洒落に変身させてくれた人たちについてもっと関心を持ち、その心意気を称えながら、先入観なしにまっさらな気持ちで商店街を楽しみたい。隣でずっと面白がっていた夫のように。笑

 

SAKUMACHI商店街はとても良いと思う。素敵なお店がたくさんある。周囲は緑も多く、近隣の街並みとも調和していて、歩いていて本当に楽しい。日本デザイン振興会のグッドデザイン賞にも選ばれたそうだ。

 

繁華街から少しはずれた所にある、こういう良い雰囲気のスポットが、もっと増えてくれるといいなあと思いながら、懐かしい町を後にした。

 

余談。というか蛇足ね。
なんとなくだけど、思い出の町を訪ねる散歩は、しばらく続きそうな気がする。人生の終盤にさしかかればこんなお楽しみがあるのか。これは癖になる。年を重ねるのも悪くない。
・・・次はどこへ行こうかな。

 

✻機会があったら「SAKUMACHI商店街」へ是非♪

sakumachi-syoutengai.jp

 

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