一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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秋のモチーフに心寄せる日々

 

明け方、リアルな夢にハッとして目覚めることが増えた。
昔の友人。もうすっかり普段は忘れているくらい、付き合いもなくなって久しい人が、親し気に私のそばにいる。その人の夫君まで登場して、私は、彼らの家庭の問題を一緒に悩んでいたりする。

 

どうしているだろう。
ふとそう思う人が増えたのは、仕方ない、私の年齢を考えたら当然だろう。長く生きてくればその分、出会った人、離れてしまった人、すごい数にのぼる。

 

私の身に起こったこと、人と過ごしたこと、そのすべてを覚えていられるはずもない。それなのに、何かの拍子に脳がピックアップして、思いがけない夢を見せたりすることを、面白いなあと思う。

 

私たちの脳は、実はぜーんぶ記憶しているのかもしれない。それもすごいし、今気にもしてないことをポンッと投げてくるのも不思議。ランダムなの?

 

リアルな夢には愉快なものも、そうでないものもある。
まだ起床時間ではないので、しばらくベッドの中でぼんやりと今見た夢を反芻してみたりする私。今の、誰だっけ?どうやってこの人と別れたんだっけ?えーっと……。そんな感じで。

 

懐かしさや、チクリとした痛み。不義理の申し訳なさ。情けなさ。悔しさ。憎らしさ。複雑な気持ちが絡み合う。

 

その度、私は曲がりなりにもホ・オポノポノを実践しているので、今見た夢に対して動いた自分の感情を、すぐに四つの言葉でクリーニングする。

 

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

 

そして、自分の中のもうひとりの私、ウニヒピリ(潜在意識)に、見せてくれてありがとうね、とお礼を言う。

 

ふわっと軽くなった心持ちで、もう一度浅い眠りに入れるとなんだか嬉しい。まどろみの淵で、自分が尊重されているような幸せを実感する。

 


幸せだなあ、と思うのだ。
何が?と問われると困るけど、強いて言葉にすれば、何かあっても穏やかさに戻っていける自分になれたこと、かなあ。いや、幸福を肯定できるようになれたこと、かもしれない。

 

幸福って、ちょっと認めるのが気恥ずかしかったり、申し訳なくなったりしがちな言葉のように感じてきた。誰かに「お気楽なものね」と嘲笑されたり「ふざけんな」と攻撃されたりするのを、いや、言われないまでも悪意を持たれてしまうことを、恐れていたのかもしれない。好んで誰かの神経を逆撫でしたくないし、妬まれるのも嫌だし。本当は今だって、少しそう思う。

 

でも、肯定したい。自分の幸せも、ひとの幸せも。

 

心配ごと、不安なこと、不満や劣等感、後悔や罪悪感、もっと重くて黒い感情だって、私の胸の中にはまだたくさんある。が、それは認めた上で、私は幸せだと思う。幸せそうな人を見ても、素敵だー!って思う。まっすぐ思う。そんな風に思えるようになっていることが、とても嬉しいのだ。

 


9月になっても猛暑日が続いている。
もう笑ってしまうくらい、ずーっと暑い。夏バテも残暑バテもして、夏風邪もひいた。ほんと、冴えない私なのだけどね。

 

夏の間はひきこもると決めていたのに、美容室や歯科クリニックには行かなければならなかったし、娘たちの企画で大阪にも行ってきたし、デパートにも行ったし。家にいるときは習い事の課題に意欲的に取り組んだり、イラスト描きたい熱が復活して夢中になってしまったり。
・・・思えば結構、もりだくさんな夏だった。夏、まだ終わった気がしないけど。

 

それでも、日は短くなってきている。あ、涼しいね、と微笑む日が、そう遠くない日に必ずくるとわかる。だから、絶望はせずにすんでいる。笑

 

そんな風に、人生の最後も、そう遠くない日にくるのだろう。いつくるかはわからないが、必ずくる。もしかしたら、それこそが私にとって、一番幸せに思えることなのかもしれない。いつまでも生きていなくていい、ということが。やがて幕を降ろせる日がくるということが。

 

人生を四季に例えれば、私は間違いなく「秋」にいる。それも、晩秋に。若い頃よりも、秋の落ち着きが自分に馴染むように思えてきたのは、そのせいかもしれない。

 

私が一番好きなのは初夏、5月。でもそれはきっと、輝き始めた季節の美しさを讃える気持ちからだ。青春へのノスタルジーもあるのだろうね。

 

コスモス。小さな木の実。洋梨、栗、落ち葉・・・
最近、イラストや刺しゅうを通して、自然の秋のモチーフに心を寄せている。去年撮った写真を参考に、下描きをしていく時間は心が和む。穏やかな気持ちは、そんなところからも生まれていそうだ。

 

綺麗で、可愛くて、楽しくて、でもどこか少し寂し気。
そんな佇まいが、とても愛おしいと感じている。そしてそんな自分をまた、幸せだなと思う。

 

周囲の人にも、幸せでいてほしい。幸せを感じているときは、それを恥じたり遠慮したり否定したりせず、喜んで表現してほしい。そうして、みんながそれを笑顔で讃えることができたら、なんて素敵だろう。

 

もっと言えば、輝きを見せてくれてありがとう、世の中を明るく照らしてくれてありがとうと、互いに感謝しあえるくらいになれたらどんなにいいだろう、と夢見る。そうすれば、誰もが人生という果実をあますことなく幸せに味わえるだろうに。

 


今夜も夢に誰かが出てくるのかな。
思いもよらない人が出てくるかもしれないね。

 

振り返ればきついことも数多くあった人生。蓋をしてきた思いや出来事も、夢に出てあらわになってしまうかもしれない。でもどこかでそれを待っている自分もいるのだ。人生を肯定していくための機会ととらえて。
怖くはない。これ、年の功かな?笑

 

早く涼しくなってほしいなあと、秋のモチーフに心を寄せながら、年を重ねていくことにさえ幸せを感じている私。さすがに少し、能天気かしら。やれやれと呆れてもいるけれど、嫌いじゃないんだよね、そんな自分も。

 

 

昨年撮った近所のコスモス

 


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