一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆

 

夏を彩る風物詩は・・・
もちろん、いろいろある。が、静岡市清水区の人たちが思い浮かべるものの上位には、間違いなく「灯ろう流し」があるのではなかろうか。
だって、・・・そう、あんなにも綺麗なのだから。

 

私の記憶にある灯ろう流しは、いくつの頃に見たものだったか。多分、清水に住んでいた小学校時代の3年間の、いずれかの夏のことだったはず。

 

それは、忘れられない美しさだった。真っ暗な闇の中、広い穏やかな川面を、ともし火を乗せた無数の舟がゆっくり流れていく。なんともはかなく幻想的な光景で、夢を見ているようだった。

 


清水巴川灯ろうまつり。
巴川流域の市民に親しまれているお祭りで、何度か中止した時期もあったが、250年余の歴史を持つそうだ。

 

現在では例年7月16日(この地域は7月盆なので)に開催されていて、数か所の橋のたもとにある流し場から、毎年3000艇あまりの灯ろうが流される。
※流された灯ろうは環境面に配慮し、実行委員会で回収している。

 

灯ろう流しの他にも、盆踊り等のイベントがあったり、夜店が出たり、打ち上げ花火や手筒花火も楽しめる。

 

清水には大人になってからも何度も何度も行っているのに、たまに思い出して「また見に行きたいな」とも思っていたのに、なぜかタイミング的に合わなくて、その後全く見ていない「灯ろう流し」。

 

その存在を、はっきりと意識したのは3年前だった。母が亡くなった2020年のことだ。

 


母は5月28日に天国へ旅立ってしまった。実家にひとり残された父。私はサポートのため頻繁に足を運んでいた。7月の、母の初盆の頃も清水にいた。

 

区役所や年金事務所に父と共に出向き、各種手続きをしていたとき、ふと「灯ろう流し」を母のためにしてあげたいね、という話になった。

 

「稚児橋から流していたはずだぞ」と言う父。年金事務所からの帰り道、自転車でその場所へ向かった私たち。でも、そこには「中止」の文字が。

 

感染対策だった。それなら、仕方ないね。父が肩を落とすのが、なんとも可哀そうだったっけ。

 


その次の年も、そのまた次の年も、同じ理由で灯ろう祭りは中止となった。そして今年、4年ぶりにようやく開催されることを、私は知った。

 

やっと、父の願い(もちろん私の願いでもある)を叶えてあげられる。
ただ、その灯ろうには、母の名前と並んで父の名前も書くことになってしまった。

 

✻去年は父の初盆でした↓

tsukikana.hatenablog.com

 


今年のお盆はひときわ暑かった。
7月16日。夫と私は、暗くなってから実家を出たのだが、それでもまだ蒸し暑い。

 

稚児橋まで、ゆっくり歩いて15分ほどだろうか。だんだん道が賑わいを増してきた。車道を通行止めにして盆踊り大会をやっていた。こういう風景も、久々に見た気がする。

 

橋にほど近い場所で、灯ろうを販売していた。1隻1000円。その場で、買った灯ろうに何か書き込むことができる。私は、両親の名前と戒名を並べて書き、「皆のことを見守っていて下さい」「家内安全」と筆ペンで綴った。

 

流し場には長い行列。見渡せば、巴川の両岸は人の海だった。この辺にこんなに大勢、人がいたの?というくらいに。そうか、4年ぶりの開催。みんな、待ち焦がれていたのか。

 

順番が来て、係りの人に私たちの灯ろうを預けた。橋の上に移動する。ここも大変な人混みだ。なんとか欄干近くに場所を見つけ、スマホで写真を撮る。

 

「〇〇家」と読み上げながら、1隻づつ、灯ろうを川に降ろしてくれているのが見えた。みな同じデザインの舟だから、どれが私たちのものかは、わからない。でも、読み上げられたタイミングから、多分、あの辺り・・・と思いながら手を合わせる。

 

さようなら、お母さん。
さようなら、お父さん。

育ててくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。

 

川面を彩る幽玄なともし火たち。本当に、なんて美しいのだろう。美しすぎて、涙が出そうだ。
あの中に、父母の舟がある。ふたりは、喜んでくれたかな。

 


灯ろう流し(灯籠流し)は、死者の魂を弔って灯籠(灯篭)を海や川に流す行事。清水の灯ろう流しも、亡き先祖への思い、家内安全、無病息災などの願いを込めて流していると、公式サイトにある。

灯ろうまつり | [第69回]清水七夕まつり公式ウェブサイト

 

お盆であの世からこちらに戻ってきていた魂を、またあちらに送り届ける「送り火」という風習。灯ろう流しも、その送り火の一種に分類されているそうだ。思えば、盆踊りも花火も同じように、故人やご先祖様への供養、そして平和への祈りも込められた行事なのだろう。

 


打ち上げ花火と手筒花火も、川岸から眺めることができた。手筒花火は初めて見たのだが、近くにいたらちょっと怖いだろうな、と思うくらいの迫力だった。大きな音がする度に、たくさんの歓声が上がっていた。

 

手筒花火の画像

手筒花火



夫と私は、川岸の道をゆっくり歩いて港に向かった。気がつけば、川面を流れる風が心地よい。花火の音は、だんだん遠のいていった。

 

巴川は満々と水をたたえている。灯ろうは、かたまったり散ったりしながら、静かに海に向かっていた。

 

だんだん賑わいから離れ、少し寂しそうにも見える。でも、ホッとしているようにも見える。
どうぞ気をつけて、あの世にお帰り下さい…。

 


念願の灯ろう流し、と書くと、変な感じだが、これでようやく、なんとなくだけど、ひとつ区切りがついたような気がしている。

 

父母のお墓は弟の住む岐阜にあるので、来年のお盆はどうするかわからないけれど、とにかく今年は清水の灯ろう流しをしてあげたかった。それができて、安堵にも似た気持ちになっている。

 

2023年の清水巴川とうろうまつり。
私にとって、忘れられない景色、忘れられないお盆になりそうだ。

 

 

灯ろう流しの画像

この赤い色が心に残る




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