一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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美しい夢―生命は瑞々しく、そして儚く

 

風邪をひいた。発熱で寝込むなんて、何十年ぶりだろう。

 

丸二日間。時間をロスしてしまったようで残念ではあるが、それほど悔しくはない。喉の痛みや頭痛、高熱による関節痛は辛かったけど、たくさん寝られたし良かったじゃん、という思いもある。

 

それになんといっても、この風邪はあの子たちからもらったものだからね(多分だけど)、いいのいいの。嫌わずバッチリ引き受けようじゃないの、なんて片頬笑んだりもして。

 

今は、少し咳が残る程度。今日はもう、木曜日か・・・

 


先週の土曜日、夫と次女と私は長女一家の家に行き、一泊させてもらった。去年の夏、引っ越し後の手伝いに行ってから、もう1年以上になる。

 

✻当時の記事はこちらです↓

tsukikana.hatenablog.com

 


あれから5人家族がどんな風に暮らしを楽しんでいるのかと、想像したりはしていたが、今回一晩泊まり共に過ごすことで、その生活を肌で感じることができた。

 

出発直前に長女から、婿殿と4歳になった双子がちょっとコンコンしているから気をつけてね、と連絡が。うがい、手洗いをマメにして、マスクしてればいいかな、なんて一瞬思ったけど、うつったって別にいいわ、とすぐに考え直す。それよりも、あの子たちが辛いんじゃないかと、当然ながら心配の方が強かった。

 

会ってみれば元気いっぱい。そう、確かにちょっと咳は出るけど、よく喋ってくれるし笑うし走るし跳ねるし。笑
だから私、嬉しくていっぱい抱っこした。顔を近づけて内緒話もした。まあ、そりゃあうつるよね。

 


9月6日はこの双子の誕生日だった。そしてつい先日、長女の誕生日もあって。(実は昨年他界した私の父も9月生まれ)
そんな9月の最後の日に、お祝いを兼ねて集合しようか、という話になり、婿殿と長女が「うちに泊まって」と言ってくれたのだった。

 

お祝いしてあげたい長女にいろいろ用意をさせるわけにもいかないから、お邪魔する3人は、現地で夕食の食材を調達してから伺うことにする。ケーキも、お花もね♡

 

そして当日。地下鉄で名古屋まで行き、そこから近鉄特急「ひのとり」に乗り、大阪・難波まで。南海電車に乗り換えて、和歌山市駅へ。ここからレンタカーだ。長~い道のり。本当に遠くへ行ってしまったね。

 

でも、そのおかげで今回は「旅」の気分を味わえた。これまでは、長女の所へ行くときに旅だと思ったことは一度もなかったのだ。いつも手伝いなどの用事があったからかな。そうでないときもとんぼ返りですぐ帰ってしまったからかな。

 

和歌山市を巡るのも初めてのこと。ドライブ中に仰ぎ見た和歌山城は素敵だった。

 

駅近くのケーキ屋さんで、若い女性店員さんのやわらかい関西弁にほっこりした。和歌山の言葉はなんだか、可愛い。私には和歌山に大切な友人がいるが、彼女も優しいイントネーションで話をする。

 

大きなスーパーで買い物をしていると、長女一家が合流。そこから高速に乗って新居に向かった。

 

夕食の準備は、ほぼ夫がやってくれた。私はカルパッチョに散らすディルをカットしたり、レモンを切ったりするくらい。美味しい魚は、マリーナシティの「黒潮市場」で手に入れた。

 

アヒージョ、バターライスは夫の得意料理。あとは、和歌山駅の近鉄百貨店で買ったお惣菜とバゲットなどのパン類を添える。アヒージョはスペイン発祥のお料理なので、スペインのスパークリングワイン「カヴァ」をあらかじめ2本、私から送っておいた。よく冷えていて、美味しかった♫

 

おしゃべりも弾んだパーティー。でも、さすがにみんな疲れていたっけ……私もね。
お風呂の後、用意してくれたお布団に横になる。目が冴えてて眠れないんじゃないかと思ったけど、気がつくと朝だった。

 


翌朝、長女に誘われ庭へ。彼女が丹精込めて育てている植物を見せてもらった。赤いミニバラが綺麗に咲いていて、昔、家族4人で暮らしていたマンションのベランダを思い出す。

 

私よりずっと草花に詳しくなっていて、次々と可愛らしい植物を紹介してくれる長女。虫嫌いなあの子が、夜盗虫を割り箸でつまんで駆除している姿を見て、ビックリ仰天した。強くなるもんだなあ。笑

 

その後、みんなでお出掛け。お天気が不安定で心配だったけど、外遊びを決行した。

 

クルマでまずはガーデニングショップへ向かう。広い店内に子どもが遊べるスペースがあるし、ランチも安くて美味しいし、ここは便利に使えそうだと思った。長女、次女とゆっくり店内を見て歩けたのは嬉しかったな。子守りしててくれた夫と婿殿に感謝。

 

その後、マリーナシティへ行くつもりだったが、雨が降っていたので変更。残念だけど次の機会にね、ということで、急遽、県立自然博物館へ。水族館がメインで、潮だまりの生き物に触れられるコーナーもあり、子どもたちは大喜び。

 

ふと見れば、夫と婿殿はスマホで雨雲情報とにらめっこしている。駐車場に向かいながら、「行けそうですね!」「行こうか!」と。つまり?そう、マリーナシティ、である。

 


もう、10年くらい前になるのかな。
まだ長女たちが結婚する前、ふたりがデートで訪れたマリーナシティ内のポルトヨーロッパ。そこで撮った写真を私たちに送ってくれた。ヨーロッパの街並みをコンパクトに模した小さなテーマパークなのだが、それが本当に綺麗で可愛らしかった。和歌山には、こんな場所があるの?と感心したのだった。

 

私が「行ってみた~い」と言ったのを、覚えていてくれたのだ。いや、あの後も何度も言っていたような気がするから、いつか連れてってやらなくちゃなーと、思わせてしまったのだろうね。笑

 

www.marinacity.com

 

実は、前の日に買い出しで行った「黒潮市場」も、マリーナシティ内にある。ついでにポルトヨーロッパにも寄っておいでよ、と長女からは言われていたのだけど、私たちは長旅で疲れ切っていて(笑)お天気もどんよりで意気が上がらず、それよりも早く買い物を済ませて新居に向かいたいと、パスしてしまったのだった。

 

だから、長女にしてみれば、きっとほっと安堵。「これでようやくお母さんを念願のポルトヨーロッパに行かせてあげることができた」と思ってくれているに違いない。おそらく、優しい婿殿もね。本当にありがとう。

 

たくさんたくさん、写真を撮って、母は満足しました。笑

 

ポルトヨーロッパの、よく作り込まれた街並み

 

降ったりやんだりで私たちを悩ませた雨はすっかり上がっていて、夕方には日が差してきた。そろそろ、帰る時間である。

 

駐車場へ戻る道すがら、双子のひとりが、橋の上で動かなくなった。

 

「わたし、ずっとここにいる」
「ぜったい帰らない」

 

抱き上げようとしても拒む。先を歩く母親(私の長女)に向かって叫ぶ。

 

「ずっとここにいるーーっ!」

 

楽しかったんだねぇ。帰りたくないくらいに。思わず笑みがもれる私。
長女が近づき、よいしょと抱き上げる。

 

「そうかー。そんなに言ってもらって、マリーナシティも嬉しいなあ」
和歌山言葉でそう言った。甘くやわらかなイントネーション。
ああ、娘よ。

 

ここで私たちとお別れすることをちゃんとわかっている6歳児の孫娘も、ちょっと元気がない。この子は次女が大好きで、付属の遊園地でふたりだけのデートも楽しんだのだけど、今ひとつ喜びきれなかったようだと次女は言う。夫、次女、私と何度もハグをして、まるで永遠の別れのような顔をした。涙

 

お別れのときは、いつも切ない。それでも、疲れて眠って明日になれば、また元気な日常を送ってくれるのだ。そして、また会おうねと交わした約束を、ときどきは思い出してくれるのだろう。
これまでもそうだったようにね。

 


熱の出る風邪は、寝ても寝てもまだ眠れる。こんなに続けて寝たことは初めてかもしれない。眠りは浅いのだけど、静かな波が打ち寄せてきては、私を何度でも夢の海へといざなった。

 

そんな中でいくつか、美しい景色の夢を見た。

 

どこかの湾のクルージングだろうか。少し高い位置から眩しく光る海面を眺めている。なんと気前のいい輝きっぷり。その下にある水中の世界を想像してうっとりし、圧倒的な水の量を思いクラクラする。そんな夢。

 

薄桃色の日差しが注ぐ渚。白い砂浜。波打ち際を歩く私の足元が見える。もちろん裸足。小さな波はどこまでも透明で、サイダーのような泡が光って綺麗。ちょっとくすぐったい。そんな夢も見た。

 

夢かうつつか幻か、という言葉の通り。私は熱に浮かされたようで、目が覚めても何が現実かよくわからなかった。ただ、苦しかったはずなのに、まどろみの中、とても幸せだったのだ。

 

臨終の際には何とかいう脳内物質が出て、多幸感に満たされると聞いたことがあるけど、こんな感じなのかな。
(後でちょっと調べると、脳内モルヒネとも呼ばれるエンドルフィンらしい)

 

こんなふうに幸せな気持ちになれるなら、死ぬのも怖くないな。そんな不謹慎?なことを考えながら、私は熱風邪に身を任せていたのだった。母も、父も、身内に看取られずに儚くも逝ってしまったけど、その時を苦しむことなく多幸感に包まれ迎えてくれていたらいいな、などとも思っていた。

 

両親ともに見送って、私自身も江戸時代ならとっくに寿命と言われる年齢を超えて、今は「死」はそんなに遠く見るものではなくなっている。

 

死後の世界は本当のところ全然わからないけど、その時が近づいたら、慌てず騒がず、怖がらないで穏やかにその瞬間を迎えたい。覚悟が備わってきつつある年齢まで、そうつまりここまで、生きてこられて良かったなあ、と素直に思う。

 

もちろん、私の年齢以上の方で「人生これから。まだまだ花咲かせるよ!」と思う人も多いだろう。それも素敵だ。でも、もっと頑張らなくちゃと(自他ともに)急かされず、人生を閉じていくことを考え始めさせてもらうのも悪くない。あんまり若いと恐縮しちゃうけど、この年齢になったのだからもういいでしょう、ということね。

 


私の小さな孫娘たち。
瑞々しい生命を目の当たりにして、その未来の長さを思った。
どうかずっと平和を享受できますように。

 

そして、私の最愛の娘たち。
いつも希望を持ち、ここまでの年月、人として成長する姿を見せてくれた。
私のところに生まれてきてくれてありがとう。

 

みんな。
どうか、どうか、幸せにね。

 

あ。
私も、命尽きるまでは楽しく生きるつもりだよ。
ちゃんと人生を楽しもうと思っているから、安心してね。
小さな夢の卵も、まだちゃんとあたためていますから(*^^*)

 

 

長女の庭にも秋が




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