一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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母のミシン、私のミシン

 

私が子どもの頃、家にはミシンがあり、母が時折り踏んでいた。
踏む・・・そう、足踏みミシンなので母はいつも「ミシンを踏む」と言っていたのだ。

 

昔は洋服が高価だった。子ども服は親戚やご近所からお下がりをいただくのが当たり前、という時代(庶民はね)。洋裁学校を出ている母が、幼かった私や弟の服をよく作ってくれたのも、そんな時代背景があったからだろう。

 

転勤族の我が家だったが、引っ越したどの家にもあの足踏みミシンの姿があったと記憶する。私が物心ついた頃からある。ということはあのミシン、母はいったいいつ購入したのだろう。安くはなかったはずだけど。「貧乏だったのよ」が母の口癖だったのにね。^^;;

 

母は、たまに油を注したり、ベルトの調子を見たり、あのミシンを大事にしていた。使っていないときは、機械をテーブル面に反転させてしまい込み、埃をはらってカバーを掛けた。カーテンみたいな生地(ゴブラン織り?)の、フサのついたカバーを。

 

中学生になり、私は家庭科が好きになった。当時はまだ、女子だけの科目。調理実習も楽しかったけど、自分でブラウスやパジャマを作れる、というのがとにかく嬉しくて。

 

あの頃は、学校にあったのも足踏みミシンだった。宿題で制作の続きをやっているとき、下糸を納めるボビンケースに糸が絡まったりして、その度に母に泣きついたことを思い出す。

 

高校生になると、洋裁好きな親友の影響で、雑誌を参考に着たい服を作り始めた。彼女と色違いで作ったグレンチェックのフレアスカートや、グリーン系タータンチェックで作ったチュニックワンピは特にお気に入りだったので、今でもよく覚えている。小さな襟とポケットを綺麗なモスグリーンの別珍にしたことも♡

 

採寸して、型紙を作り、生地を買ってきて布目を整え裁断し・・・と、ミシンの工程まではなかなかの遠い道のり。他にも興味のあることが山積みだった女子高生が、よく頑張った。採寸。そうそう、当時はウエストが56cmだったことも思い出した。そ、そんな頃もあったのね・・・ため息。

 


短大では被服を専攻した。入学前に、母が私のためにミシンを買ってくれた。電動のミシンだ。嬉しかったなあ。

 

就職し上京したときも、ミシンは連れて行った。服はもう作らず買ってばかり。カーテンとかクッションとかベッドカバーとか、そういう布ものを縫っていたと思う。

 

結婚する前に、少し両親のもとで暮らしたのだけど、そのときに母は私のミシンを分解掃除に出してくれた。購入してちょうど10年後のことだった。

 

あれから30年以上。我が家の娘たちの服を数枚、入園準備のグッズをいろいろ、インド綿で重たいカーテンを作ったり。この電動ミシンにはどれほどお世話になったことだろう。

 

それでも年月には抗えない。ここ10年ほど、ほとんど活躍することがなくなったミシンは手入れもされず、押し入れにしまわれたまま古びていった。

 

まだ動くのかな?なんて恐る恐る出してきたのは3年前。新型コロナの感染拡大でマスクの入手が困難になり、布製マスクを家族に作るためだった。

 

最初のうちはなんとか動いてくれていたのだけど、だんだん音がおかしくなってきて。スピードも安定しないし、針目も怪しくなってきた。

 

これはもう寿命かな。分解掃除に出してメンテナンスしてもらえば、なんとかなるのかな?

 

そう思いながらもまた押し入れにしまい込み、日常の慌ただしさに紛れ、そんなミシン問題も置き去りにしてしまった私。

 


一方で、母の足踏みミシンは数年前に処分したと聞かされた。

 

断捨離してほしいものは、清水の実家には山のようにあったのに、まず捨てちゃうのはミシンなの?と、聞いたとき少し悲しくなったっけ。でも、口出しすることではないので黙っていた。自分が引き取れるわけでもないのだしね。

 

あのミシン、実は素敵だと思っていたのだ。

 

お洒落な雑貨店などで、古いミシンが小物を並べる什器として使われているのをたまに見かける。母のミシンだって、やりようによっては、あんな風にアンティーク的な魅力を発揮できたかもしれないのになあって思ったりする、ちょっと未練がましい私である。

 

そしてコロナ禍の3年ほどの間に、母も、父も、他界してしまった。

 


さて、私のミシンである。
今年10月になって、手芸系のある習い事を始め、今すぐではないが、いずれミシンがけが必要になることが判明した。そこで、件の電動ミシンを修理して使うか、新しいミシンの購入を検討するか、判断を迫られたのだった。

 

真剣に考えた。
こんなにミシンについて考えた1か月は初めて。笑

 

10月の清水行きのとき(遺品整理のため私は清水の実家に通っています)、クルマにミシンを積んで出発。途中、ミシン修理専門店に立ち寄り、修理が可能かみてもらった。

 

・・・ダメだった。
電気系統が原因の故障で、もう部品も製造されておらず、どうにもならないと。

 

そうだよね。40年以上も昔のミシンなんだもの。
がっくりとした私。心のどこかで、母に買ってもらったミシンをまた使えるのでは?と期待していたのだ。

 

電気系統なんてものがなかった母のレトロな足踏みミシンなら、どんなに古くなったって、修理したら動いたんだろうね、きっと。

 

それでもその店の方が言ってくれたひとことが嬉しかった。
「これ、いいミシンで人気があったんだよね。あの頃、一番高かったやつですよ」

 

お母さん、ありがとう!😭

 


そのまま清水までミシンを乗せていった私たち。実家の2階のアンティークコーナー(笑)に、ひとまず並べておくことにした。革カバーがカビてしまったような古いカメラとか、オープンリールのテープレコーダーとかの隣にね。夫が「普通に捨てちゃったらダメな気がする」と言うので、処分保留にしているモノたちだ。

 

夫にはそういうところがある。先人のクラフトマンシップに痺れる、みたいな。
修理店に持って行く前日も、ミシン内部の手が届く場所を私が掃除していたら、積極的に参加してきた。

 

ミシンは「マシン」だ。中の機械はメカニックで、なかなかかっこいい。「すごいなあ、よくできた仕組みだなあ」と、彼は目を輝かせて掃除してくれた。エアダスターとか持ち出して。今度、〇〇(娘婿)にも見せてやろうよ、などとも言っていた。笑

 

ミシンをかけているとき“操縦する”ような気分になったことがある。それは、手縫いの楽しさとはまた違う、ワクワク感なのだった。マシン好きな男子にも受けるのかもしれない。

 

清水に滞在中、何度もこのミシンに目がいき、母のミシンとともにたくさんの思い出がよみがえった。そうやって、お別れすることを自分に納得させていった。

 

帰りの車中では、はい、ゲンキンなもので、新しいミシンをどれにするか、すごい勢いで検索しておりましたよ!笑

 


今は、どんなミシンがあるんだろう。どんな機能があるんだろう。メーカーも種類も多い中で、今の私にはどれが手頃でちょうど良いんだろう。

 

とても迷い、悩んだ結果、今、一台のマシン、もといミシンが私のそばにある。

 

そもそもミシンはどこで買うの?(昔はミシン販売店があったと思う)から始まった私のミシン探しだったが、結局Amazon。ちょうどプライム感謝祭の最終日で、18%引きで購入することができた。
なんとラッキーなこと✨

 

多分、これが私の人生最後のミシンだろう。
大切にしなくては~♬*゚

 

それにしても、新しいミシンは嬉しいもので(*^^*)
前のミシンとはスイッチやレバーの位置が違うから、まだ慣れないのだけど、それさえも新鮮で嬉しい。動きがとてもスムーズで、音も小さいし、何より綺麗だ。新しいんだから当たり前か。

 

ミシンが・・・
使えるミシンが、家にある。
それは、可能性が広がることでもあるんだなと今、私は実感している。課題の制作だけに使うつもりは毛頭ない。

 

また、着たい服とか、作っちゃう?そんなこともできるのだ。
いや、できるのか?
何十年も服なんて作ってないんだけど?

 

コホン。とりあえず、巾着袋とか量産しそうな気配である。
私の新しい「ミシン物語」が始まった。

 

 

3年前に作ったマスクたち




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