一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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米寿の父に家事を教える

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秋分の日、敬老の日、そして父の誕生日はとても近いなあと、毎年、思う。今年は母が他界し、結婚してから初めて妻のいない誕生日を迎える父。清水の実家でひとりで過ごすのはあんまりだと思ったので、お祝いに行ってきた。一緒にワインでも飲もうかな、と。

 

米寿となるので、本来ならもっと華々しく祝福してもいいところだが、喪中だしコロナ禍だし。で、優しく静かに過ごそうと思ったのだ。

 

孫娘たち(私の次女と弟の長女が一緒に。そして、私の長女が3人のこどもたちと一緒に)から私のスマホに、父宛の動画メッセージが届き、それを見た父はこの上なく嬉しそうだった。

 

滞在中に彼岸入りともなったのだが、母はまだお墓もないし、小さな仏壇にお線香をあげて、お花とおはぎをお供えしただけ。それでも少し気が済んだのか、父は満足そうな顔をしていた。

 

ただ、実はこの滞在には別のミッションがあり、そのために私は行く前からどんより気が重かった。父に「家事指南をしてくれ」と頼まれていたのだ。

 

88歳のおじいさんが、家事を覚えようとしている。

 

いや、それは素晴らしいことなのだろうけど、簡単ではない。何をどこまで?家事って正解はないし、果てしなく細かいよ?

 

確かにここ数か月で、父の家事力がついてきているようには見えていた。しかし、今どの程度できていて、今後どの程度までこなせるようになりたいのか、父の実力と目標の度合いがはっきりとはわからなかった上、体調や心身の衰え具合も考慮しなければならない。

 

娘とはいえ40年近く離れて暮らしていたのだ。数日の滞在でそれをやるのは無理だと思ったし、さてどの程度でお茶を濁そうかと、正直、荷が重かった。

 


・・・で、何を教えてほしいの?

 

快く「任しといて♪」と言わなかったためか、父は少し仏頂面をしていた。

 

「洗剤のこととか、拭き掃除どうやるかとか、わかんないんだよ」とモゴモゴ言う。

 

なあんだ、そんなことだったのかと、私は力が抜けた。どこまで高度なことを覚えたいのか、家事が得意でない私は不安でもあったのだ。

 

母が残していった衣料系、食器洗い系、掃除系のたくさんの洗剤を、どう使い分けていいものやら困っているらしい。洗剤ボトルの『まぜるな危険』の赤い大きな文字にもおののいている。「そりゃ、怖いか」と思わず苦笑。

 

そもそも、母もいろいろ買い過ぎなのだ。そして、使う場所の近くに置いていない。これでは父も迷うだろう。

 

でも、感心したのは、それらをちゃんと使いこなしたいという思いが、父にあったことだった。まあ、昭和一桁生まれでモノが捨てられない人だから、もったいない、というのが大きかったのだろうけど。

 

しかし、これはこういう時に使うんだよ、と話していると、時々顔を曇らせる。

 

「俺はそんなこと、やらないよ」「できないよ!」

 

はいはい。予想していましたよ、この態度。教えてくれと言いながら、こういう威張った態度をとる人だから、私は余計に気が重かったのだ。

 

「おしゃれ着洗いの洗剤はね、デリケートなブラウスとかニットとかを洗う時に使うんだ。お父さんはそういうの、全部クリーニング屋さんに持って行けばいいよ」

 

少しホッとした顔をする。こどもか。

 

タオルや下着、パジャマやポロシャツなどは、何日かに一度、まとめて洗濯機で洗っているようだ。でもあまり綺麗にならないと言う。

 

どうやら、洗濯機が自動計量した後の水量表示、それに応じて液体洗剤の量が決まるということを、わかっていなかったらしい。ボトルキャップを示しながら説明すると、なんとか理解してくれた。

 

それから、父は洗濯機の糸くずフィルターの存在を知らなかった。これを外して、ゴミを捨ててから洗って乾かしてね、と言ったが、外し方から猛烈に苦労していた。頑張れ。

 

もう一つ、父は食器を洗剤で洗ったことがないらしい。やり方がわからないから、水で洗うだけだと。唖然とする。どおりであれもこれも、ベタベタしてるわけだ。石鹸は時々、使うらしいけれど。

 

洗剤の希釈がわからないと言う父に、付け置きも面倒ならやらなくていいし、この洗剤をスポンジにピュッとかけてクチュクチュ泡立てて使えばいいよ、と教えると、ピュッの加減とクチュクチュの回数を知りたがる。細かいよー・・・

 

そして、料理。
炊飯器でご飯も炊けるし、味噌汁も自分で作る父。酒のつまみに簡単な炒め物くらいならやっているようだった。あとは、お刺身や煮物などをスーパーで買ってきたり、レトルトや冷凍食品を活用しているのだろうと思っていた。

 

それにしては、冷蔵庫も野菜室もいつもいっぱい。最初のうちは、母が買ったものが残っているのだと思ったが、行くたびにたくさんの食品が揃っている。キノコ類だけで3種類はある。私の家より充実しているくらいだ。

 

自分の健康を考えて、頑張って、料理をしようとしていたのだろう。ちょっとジーンとする。確かに、夕方によく電話が掛かってきたものだ。

 

「筆先みたいな形のコレ、なんだ?これは茹でなきゃだめなのか?」
「茹でる時間は?茹でたら網に入れとけばいいのか?」

 

それはアスパラ。アミじゃなくて、ザルね。と答えながらも、まあ、自分で新しい食材に挑戦しようと思うのは良いことだね、と。でも、私だって扱ったことのない食材はたくさんあるし、答えてあげられないことも今後、増えるはず。

 

そもそも私は、自分のやり方が正しいか自信がないのだった。そこで、自炊の始め方、みたいな読みやすい本を買って置いてきたのだが・・・

 

「俺には宝の持ち腐れだよ、本なんて。見ないよ!」と宣う。本当に料理を覚えたいという気があるのかしら。私が帰ってから、心を改めて見ておくれ。

 

✻贈った本はこちら。著者はきじまりゅうたさん↓


ゼロからはじめる自炊の教科書

 

✻ともう一冊↓


からだととのえ野菜のおかず (オレンジページブックス)

 

✻父はまだ不眠に悩んでいたので、メインのプレゼントは安眠枕↓


【雲のうえで寝よう】Maywind 枕 第二代 まくら パイプ 肩こり いびき解消 高さ調整 無重力 丸洗い 2020新品

 

 

「お母さんはこうやっていたぞ」

 

滞在中、これもよく言われたセリフ。母と同じやり方を、私がしないことに戸惑っている。「時代は変わるし、お母さんと私でやり方が違うこともたくさんあるから」と言うと、そういうものなのかと驚く。家事は母と娘で全て継承されていく、と思っていたのか。こっちが驚くわ。

 

もう、なんというか、本当に疲れた。何回も喧嘩になりそうになった。よくこらえたわ、私。去年はこらえられなかったよ。成長したのかな?笑

こらえれなかった去年の出来事を書いたのがこちら↓

tsukikana.hatenablog.com

 


でも、この4日間の滞在中、父の様子を注意深く見ていて、大体の現状はわかった。できるだけのことは自分でしていかなくては、という父の決意もわかった。

 

ただ、父は複数の基礎疾患がある88歳だ。同じように家事が不得手な男性でも、例えばお連れ合いに先立たれたのが70代だったら、体力のある人だったら、まだこれから頑張って習得していけるかもしれない。意欲も続くかもしれない。

 

「日に日に衰えているよ」と自分で言っている父が、あとどれくらい頑張れるものなのか、私にはわからないし、心配でたまらない。家事力アップが張り合いになって、老衰のスピードを遅くしてくれるといいのだけれど、そう上手くいく?

 


「あんたはキビキビ動くなあ」と父は私に言う。
「俺はモタモタしてて、すっかりじじむさくなって、嫌になるよ」

 

威張りん坊のくせに、ボヤキも多い父だった。確かに動作はかなり鈍くなっている。そして、私や弟がいると普段以上に“老いぼれ感”が増すのだとか。

 

ただ、それわかる気がする。私も次女が来ると“若い人のようには動けませんよモード”に、ちょっとなるもの。無意識のうちに、関係性による役割を演じようとするのだろうか?不思議だね。

 


ところで。
滞在2日目に、ハウスクリーニングの人が来て、キッチンの排水口と、バスルームをすっかり綺麗にしていってくれた。お風呂は戸まではずして洗浄。2時間かけて、もう本当にピッカピカ。

 

来てくれたのは、テキパキ動くにこやかな男性で、普段のお手入れについてのアドバイスも丁寧。話せばなんと私と同い年だった。

 

父は彼の感じの良さとプロの技に感嘆し、これまでどうやっても綺麗にならなかったシンクや、手に負えないお風呂を、掃除の専門家に任せてみて良かったと、心から満足したようだった。(父がそんなに綺麗好きだったとは。私、知らなかったなあ)

 

1万5000円+税。高いとみるか、安いとみるか。私は安い!と思った。「これなら、半年に一度くらいお願いしたっていいんじゃない?」と父に言うと、頷いていた。

 

誰だって、できることできないことはある。私だって、弟だって、そんなに頻繁には来られない。これからは、こんな風に時々プロの手も借りながら、自分でできることは頑張って、日常をなるべく快適に過ごしてほしいと思う。

 

大好きなお風呂を楽しみ、ちょっとずつ料理にも挑戦する、明日につながる日常を。

 


ついこの間まで、水を出すとお湯のようだったのに、水道水も冷たくなってきた。コロナもだけど、熱中症も心配だった長い夏が去っていく。夏の終わりの、ダレたような疲れた気配も、風に流されていく。

 

運動不足だった父が、「夕方の散歩を習慣づけようと思っている」と言った。体調管理を心掛けてくれるのは嬉しい。それから少しずつ、楽しいことも見つけていけるといいね。

 

清水から帰って、毒気に当てられたようにぐったりしていた私だけど、ようやく食欲も戻ってきた。買い物に行く道に咲く彼岸花が鮮やかで、でも寂しげだ。清水の家の小さな庭でも、きっと咲いているだろう。

 

帰る日に父があの庭から切ってきてくれた青い柚子を、今夜の食事で使おうと思う。

 

少しイライラしたり、意地悪な気持ちになったりしたことを、私は今、ほろ苦く思い返している。人を責めるようなあの言い方やボヤキの裏には、取り払いようのない老いへの悲哀が揺曳していることを、本当はわかっていたのに。

 

今度行ったら、もう少し優しい言葉を掛けてあげられるといいなあ。
寂しいだろうけど、お父さん、元気で長生きしてね!