一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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750冊の本とお別れする日

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クリスマスのイルミネーションに街が輝く12月、華やかな雰囲気の漂う師走である。一年で最も忙しいこの時期に、我が家は引っ越すこととなった。目下、鋭意断捨離中である。

 

今後の暮らしについて家族で迷い悩む日が続いていたのだが、一旦引っ越しを決意するや、不思議なことに一気に気分が高揚し、体が動いた。家族が皆、この新しいプロジェクトに向けて意欲的に取り組んでいる。

 

さて、何を捨てて何を残すか、という判断をするのはなかなか骨の折れる仕事だ。処分すると決めたものも、リサイクルショップに持って行けそうなもの、テレビなど家電リサイクル対象機器としての手続きが必要なもの、粗大ごみ、不燃ごみ、可燃ごみ、と分けなくてはいけない。特に粗大ごみは自治体で引き取る日が決められており予約が必要なので、早めに判断しなくては。粗大ごみで出すつもりだったけど、リサイクルショップで引き受けてくれそうだ、とわかることもある。

 

家中をひっくり返している中で、ピアノ専門の引き取り業者がやってくるし、引っ越し業者数社が見積もりにやってくる。引っ越し先ですぐに必要になるものを買い足さなくちゃ。契約に必要な住民票を取りに行かなくちゃ。ああ、本当に忙しい。仕分け作業に手間取り、荷造りにはまだ手も付けられない。

 

今の部屋には結婚したときから住んでいるから、26年半いたことになる。当初は家具もモノも少なかった我が家だが、さすがにこう年月がたつと恐ろしいことになっている。中でも一番の懸念は「本」だった。

 

夫も私も出版・印刷関係の仕事をしてきたので、そもそも仕事関係で本が集まってしまう傾向があった。その上、二人とも本が大好き。夫にいたっては「本を買うのが趣味」と開き直っていたくらいで、多分読まれないままホコリをかぶり日に焼けてしまった可哀想な本もたくさんあったろう。

 

しかし「新しい場所で新しい生活を始めよう」と決めたのだ。これからはもっとシンプルにコンパクトに暮らしたい。どうしても手放せない本だけを残して、後はみんな処分しよう、と夫婦で決意。ブックオフさんに引き取りに来てもらうことになった。

 

やってきた担当者さんは、本棚を見るなり「これは1回じゃ無理ですね」と苦笑した。その日は半量を箱に詰め、残りの分の空箱を少し多めに置いて帰って行ったのだった。

 

次回来てもらうまでに、残りを箱詰めする。その作業を夫がやってくれた。独り言が面白いように出てくる。


「ああ、これはいい本だったなあ、でももう読むことはないな」
「読みたくなったときにまた買ったり借りたりすればいいんだよ、電子書籍もあるし」
「これは好きな人にはすごく価値がある本だから、そういう人の元に届くといいなあ」

 

欲しくて買った本である。手放す作業はとても心がくたびれたことだろう。でも、そうなのだ、本に気持ちがあるのなら、きっと読んでもらえる人の元へ行きたいだろう。だから、この先読むこともないと思うのなら、どんなに思い入れがあって買った本でも手放す方がいい。その方が本も喜ぶ。

 

人生が広がっていく若い時代は、モノを所有するための時間にもスペースにも、余裕があったのかもしれない。しかし、もう広げていく年頃は過ぎたのだと思う。これからは凝縮し、必要最低限を目指す方が自分も家族もラクだし、豊かな気持でいられるのだ。

 

モノが増えればメンテナンスも増える。それがまず億劫に思える。放っておけばモノは劣化し、傷み、ほこりや錆びに晒される。今回の引っ越し準備でつくづく思い知ったことだ。モノが多いって、ホント、大変!

 

そもそもモノを買うにはお金もかかるし、場所もとられる。いずれ処分するときには、お金がかかったり面倒な手続きが必要になってくる場合もある。単純に「欲しいから買う」のではなく、最後まで面倒を見る覚悟を持って買うべきだろう。そう、ペットと同じだ。これからは、何かをひとつ買うときでもじっくり考えてからにしよう、本当に。

 

それにしても、本に限らず写真とか日記とか絵とか、次から次へと懐かしい品々が出てくるものだ。片づけながら、私たちは何度歓声をあげたことだろう。あの頃はこういうことに興味があり、こういう分野に一生懸命になっていたんだ、といちいち感慨深い。そして、自分で納得してそれらと決別する。引っ越しは大変だけれど、こういう強制的な「片づけ」の機会はありがたいのかもしれない。

 

約750冊の本を手放すことになった日。それぞれの本との出会いやそれにまつわる若かりし日の思い出に浸りながら、私たちはお互いにこれまでの人生を振り返っていた。それは切ないけれどもどこか清々しく、前向きに歩き出せるきっかけになってくれた気がするのだった。出会うべくして出会い、別れるべくして別れる本たちよ、ありがとう!

 

ありがとう、愛しています、ごめんなさい、許してください

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来年の手帳をどうしよう、と考えているとき、新聞広告が目に留まった。

 

「毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2016」

 

ホ・オポノポノ? ああ、そういうものがあった。2年半前、病気がわかりドクターから手術を勧められたとき、ある友人がメールで教えてくれたのだった。ホ・オポノポノというのを知っていますか?と。「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」を、心の中でいいからつぶやいてみて、と。

 

ホ・オポノポノとは、古代ハワイに伝わる問題解決法なのだそうだ。それを、人間州宝、モナ・ナラマク・シメオナという女性が、自分ひとりでいつでもどこでもできる方法に発展させて、今の形になったという。とてもたくさんの方法があるのだが、先の4つの言葉を繰り返すというのが、最も代表的なものらしい。

 

寝る前に「うれしいな」「幸せだな」「ありがたいな」といった感謝につながる言葉を繰り返すことで、良い睡眠が得られるだけでなく、潜在意識に働きかけて人生を好転させることができる・・・そんな内容の本を昔、読んだことがあったが、それと同じようなものなのかなと、友人のメールを見たときは思ったのだった。

 

スピリチュアルな分野は得意ではないし、成功者の書いた「成功するための○つの習慣」的な本も敬遠する方だ。けれども、きれいな言葉を唱えて心が穏やかになるというのは悪いことではないし、何も胡散臭がることはないだろう。ありがたく実践して入院する日を待ったのだった。

 

手術を終え無事生還し、心配してくれた他の人たち同様、彼女にもお礼メールを書いた私。そのままこの「ホ・オポノポノ」のことは忘れてしまっていた。

 

それがここにきて、手帳のことを考えているときに、偶然目にするとは。山あり谷ありの人生で、何度目かの深い谷にいることを実感する今。何かの引き寄せなのだろうか、とさえ思ってしまった。3日ほど考え、アマゾンで注文した私である。

 

基本的には普通のスケジュール手帳だった。普段私が使うタイプより少し大きめで、表紙の紙を裏返すと白い花の写真になり、一見本に見える。手帳のうしろの方には、この手帳の使い方と「ホ・オポノポノ」についての簡単な説明、そして「記憶のクリーニング」の方法がいくつか書かれている。

 

人生におけるさまざまな問題の本当の原因は、自分の中にある記憶である。ここで言う記憶とは、個人の幼少期の思い出のことではなく、この世界が始まってからの膨大な記憶のこと。潜在意識にはこうした記憶が無意識にため込まれている。これらの記憶をクリーニングしていくことで、私たちは本来持っている能力を十分に発揮する人生を送ることができる。神聖なる存在からのインスピレーションが、古い記憶に邪魔されることなく届くのだ。もっと自由に、自分を生きやすくなる。

 

……こんな理解でいいのだろうか。

 

実を言うと、ざっと読んだところよくわからなかったのだ。この先も理解できるかどうか甚だ怪しいが、何かのご縁だと思って4つの言葉を唱えることは実行してみようと思う。クリーニングを1、2週間続けていくと「クリーニングすること」の意味が体感できてくるでしょう、と綴られている。

 

「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」
自分の潜在意識に向かって言うのだ。順番は決まっていないし、「愛しています」だけでも良いそうである。難しくはないが、不思議な感覚である。負の記憶の浄化とは、いったいどのようなものなのだろう。こんな実験みたいな態度ではいけないのかな?

 

秋の夕暮れは好きですか

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年賀状の欠礼を告げる喪中はがきが届く季節になった。同年代の人たちからのお知らせには少し緊張する。亡くなったのが祖父母であったのが、いつの頃からか父母という場合が多くなってきており、受け取るたび、ギュッと胸が痛む。

 

先日届いたのは、私の母の友人が亡くなった悲しいお知らせ。息子さんからのもので、この親子とは古い知り合いだ。画家である息子さんには、母も私も絵を描いてもらっているし、もうずっと年賀状のやり取りが続いている。亡くなったお母さんは、私の長女が生まれたとき誕生祝を持って我が家に遊びに来てくれた。あのときの赤ん坊が今年結婚したことを、年賀状でお知らせしようと思っていたのに。

 

人は必ずいつかは亡くなる。わかってはいても、知人の訃報にはいつも「何故?」と思ってしまう。元気だった頃の面影を思い出し、もう会えなくなった事実を受け入れるのに苦しむ。近年、それが増えた気がする。自分が年をとったということだろう。

 

秋は夕暮れ・・・
清少納言は『枕草子』で、秋は夕暮れが一番、と言っている。私も秋の夕暮れの景色はとても趣があるとは思う。しかし、あっという間に太陽が西の空に落ちてしまうので、実はすごく怖いとも思っている。とても「死」に近い季節と時刻のように感じて恐れている。だからこそ、の美しさなのではないか?と考える。だからこその「いとをかし」かと。

 

12月は華やかで気忙しい印象だが、11月の下旬あたり、晩秋というのは妙に寂しさが募る。身の置き場のないような心細さを感じる。いっそ、今はもう12月なのだ!と自分をだまして追い立ててみたくなる。やるせないような気持ちに浸ってしまわないように。

 

さまざまな悩み事がある。最近は出口のない迷路を彷徨っているように感じることが多い。昔だって悩み事はたくさんあったけれど、どこか楽観的で何とかなるような気がしていた。今は本当に何をするにも自信がなく、決められず、困ってしまう。これも、年齢によるものなのだろうか。

 

しかし、下を向いてばかりではいけない、ということはわかる。心が下を向きたがるなら、せめて顔だけでも上を向かせよう、と、最近はよく空を見るようになった。雲や、鳥や、飛行機の動きを目で追うことが増えている。それから、笑顔。たとえ作り笑いでも、笑顔には心身に良い働きかけをする力があると聞いたことがある。そうだ、無理をしてでも笑おう。

 

晩秋の空を見上げ、ぎこちない変な笑い顔をしている人物がいたら、それは私である。

 

素敵なことば収集家

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・・・自分時間を愉しむのに必要なのは、日常を面白がる精神・・・
これは、こぐれひでこさんが何かの雑誌で言っていたことば。

・・・空気や風、明るさ、本の中で過ごす時間が変わる・・・
これは、文字組みについてブックデザイナーの祖父江慎さんが語っていたことば。

 

引き出しの整理をしていたら、一冊のノートが出てきた。多分、20年近く前に買って使い始めたもので、10年分くらいのメモや走り書きがある。当時発信していたメールマガジンのネタ帳的な部分もあったが、気になったことば、特にポジティブで感じの良いことばを、集中的に列挙してあるページが続いていた。それを見て、ああ、このノートは一生捨てられないな、と思ったのだった。

 

冒頭のように、誰の言葉かを書き留めてあるものもあれば、山高ければ裾野広し、とか「できないこと」を考えるのではなく「できること」を見つけていく、えもいわれぬ香りの光芒を放っている、などと、目に留まったことばや言い回しを、ただ箇条書きに並べているだけのものもある。

 

・・・微笑みと花と愛をあなたに・・・
これは、歌の歌詞の一節。今もときどき、胸の中を流れる曲だ。調べたら、naomi & goroの『BEAUTIFUL LOVE』というナンバーだった。

 

どうも自分で思いついたらしいことばもある。「悲しいできごとは短い小説にしてしまおう」「昨日を終わらせて今日を始めよう!」なんて、どんなシチュエーションのときに走り書きしたのだろうかと、ちょっと可笑しくなる。

 

ネガティブなことばもあった。弁解に終始した、とか、語るに落ちる、とか、青天井の交際費とか。書く仕事をしていたから、どこかで使ってやろうと思ってメモしたのかな。ネガティブだけどちょっと楽しい響きもある。やはり「おや?」と気になって、拾っておきたくなったのだろう。

 

実は、このようなことばたちを、自分の過去の手帳の中にも見つけた。どうやら私のクセらしい。新聞や雑誌、本などを読んでいて、あるいは人と話していて、気になることば、特に素敵だなと思ったことばを放っておけないタチなのだ。小さい子がきれいな石を拾ってポケットに入れて帰るのと同じである。

 

このことばたちはしかし、ただメモ同様にあちこち書き散らされていては可哀想だ。せっかく気に入って抜き書きしても、活かされなくてはつまらない。ふと、自分専用の辞書のようにまとめてみようか、と思いついた。どんなふうに編集しよう。いったいいくつぐらい集めたのかも気になるところだ。ちょっとしたコレクターだな、と楽しくなってきた。

 

心惹かれる素敵なことばたち、良いことばたちに触れていると、気持ちが晴れてくる。自分で感じるものがあって集めたものだから尚更だ。生き方や考え方の指南をしてくれるようなことばも多く、ここのところ閉じてしまいがちだった心に効いてくる。

 

キラリと輝くことばたちは良いイメージを集め、年月を重ねるほどに奥深いコレクションになっていく予感もする。多分、私はこれからもずっと、集めていくのだろう。

 

今度、「素敵なことば収集家」という肩書で新しく名刺を作ろうかな、などと思う。どういう人に手渡したくなるんだろうと想像していたら、また楽しくなってきた。

 

バブルを知らない世代に学んだチープ&シックという豊かさ

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ちょうど10年前になる。それまで家で仕事をしていた私が、外に「お勤め」することになった。印刷物を扱う小さな会社で3年弱、書籍編集のフォローや校正、広告のコピー書きやディレクションなどをさせてもらった。

 

従業員は社長を含めて8人で、私は社長に次ぐ年長者だった。つまり、みんな私より若かったのだ。20代がふたりもいた。お給料は安かったし、いろいろ問題の多い会社だったけれど、仕事はけっこう好きだった。そして、あの若い同僚たちとはとても仲良くさせてもらい、本当に楽しかった。

 

その後、フリーペーパーの編集者として転職した新聞社の部署内にも、20代の若い女性がふたりいた。ここでは私より年上のおじさまもたくさんいらしたけれど、幅広い年代層の人たちと日々、会社で顔を合わせるというのは新鮮で面白かった。

 

私は結婚と同時にフリーランスになったので、16年間、家にいたことになる。その間ずっと、日常では自分と同年輩かそう変わらない年齢の人たちとの付き合いがほとんどだった。仕事関係でもママ友でも。具体的には「トレンディドラマ」を見てた世代、というか、バブル時代が20代の頃だった世代、というか。

 

そうバブル時代。私たちは当時の良くも悪くも華やいだ気分を、どこかまだ捨て去れずに身にまとったところのある世代である。1986年12月から1991年2月までをバブル景気と言うそうで、92年2月頃まで多くの人が好景気を感じていたとされている。後半は私、初めての出産と子育てで、世の中の雰囲気とは隔絶されていたと思うけれど。

 

「いいなあ。私、バブルの恩恵なんて全然なかったんですよね。子ども過ぎて」

 

バブル当時の話をすると、職場で同僚からこう返ってくることが何度かあり、年齢の差をひしと感じたものだ。そして、20代の彼女たちはとても美しいのだが、とてもつつましいのである。

 

お昼ご飯はコンビニのサンドイッチと紅茶。あるいは持参のお弁当。服はプチプラのお店かヤフオクで安く入手。食器などの雑貨はほとんど100円均一で。ある女の子は基礎化粧品を手作りしていた。だって、化粧品って高いじゃないですか、と。

 

私はちょっと感動していた。それでも彼女たちは綺麗だったし、何より楽しそうだった。お金を使わなくてすむ楽しみを、たくさん知っていた。女子会向きの格安居酒屋にもよく連れて行ってくれた。コツコツ将来のために貯蓄して、ときどきはパーッと海外旅行をし、自分を磨く。この海外経験すらワーキングホリデーで、というツワモノもいたっけ。

 

私たちの世代はついつい無駄遣いをして「しまった」と思ったり、お金がないと何もできない、と悲観したりしがちなのではないだろうか。それもこれも、バブル景気の後遺症なのかもしれない。分相応、という言葉で何度自分を叱ってきたか。

 

なければないで、何とかなる。お金をかけずに工夫する。ちょっと切ないけど身の程をわきまえ高い買い物は諦める。お金がなくても決してみじめではない。ささやかな幸せをたくさん見つけて、日々を心地よく過ごす。人と比べない、妬まない。お金をかけなくてもお洒落はできる。

 

…彼女たちを見ていて、私が学んだことである。若いからできるのよ、とは思わなかった。むしろ、若いのに偉いなぁと感心した。見習いたいと思った。

 

去年読んだ吉村葉子さんの『フランス流 お金をかけずに豊かに暮らす方法』にも、フランス人の多くはチープ&シックに人生を謳歌して暮らしている、とあった。類似の本もよく売れているらしい。お金をかけずにシックに暮らすのは近年の流れのようだ。家計の苦しい我が家にとってありがたい流れではある。

 

しかし、ネットやテレビ、新聞や雑誌にも溢れる広告では、高価で素敵なものの写真が輝き、惹句が躍る。華やかな時代を知っているだけに、「いいものはいいよね」と心が揺さぶられる。情報もほどほどにしないと身が持たない、とばかりに、最近はシャットダウンする時間を多くとるようにしている私なのだった。煩悩との闘いは続く。

 

幸せを呼ぶ、小さなりんごのポマンダー

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四日ほど我が家に滞在した長女が昨日、帰って行った。今回の帰省は大学時代のサークルのイベント参加のためで、婿どのと子猫を残してやってきたのだった。

 

滞在中、家でのんびりできる時間も多かった彼女は、次女とじゃれ合ったり本を読んだり、ちょっとした工作でイヤリングを作ったりして、とてもくつろいでいた。その様子はあまりにも日常風景に溶け込んでおり、3月に彼女を送り出してからの月日は夢だったのではないか、と思えるほどだった。

 

私も長女の傍らで点描曼荼羅を描くなどしつつ他愛ないおしゃべりを楽しんで過ごし、三日目の朝には以前から興味のあったりんごのポマンダーを作ることにした。

 

小さな姫りんごの表面にクローブを刺していく。すると甘くスパイシーな香りが部屋中に広がった。作業中は長女と次女が交互に様子を見に来ては、「なんだか面白そう」とか「こうすると本当に腐らないの?」などと声を掛けていく。

 

母親の手が作り出していくものに好奇心いっぱいのまなざしを向ける。それは娘たちの小さかった頃にはよくあった光景で、ふと懐かしさに胸が熱くなる。

 

―― 子どもは3歳までに親孝行を済ませているんだよ。

 

昔、誰かに聞いたのだったか、何かで読んだのだったか忘れたが、私の中でずっと印象に残っている言葉である。子どもは神様からの預かりもので、たまたま親になれた私は、子育てを通して幸せをもらっているのだと。

 

ありがたいことに、我が家の子どもたちは3歳を過ぎても親孝行をしてくれているが、多分これは、子どもが大きくなって自分の思い通りにならなくなっても、それを残念がる気持ちを戒めるための言葉なのだろう。親となり、育てさせてもらったことに感謝せよ、と。

 

長女が赤ちゃんだった頃、夫はよくパステルなどで彼女の絵を描いていた。スヤスヤと眠る顔に「きれいなひとだね」と微笑みながら。夫が彼女を抱っこしてあやす姿を見ると、私は家事の手を止め、見とれてしまうのだった。これは本当のことなの?と。

 

私たちは彼女に夢中だった。この子が私たちのところに生まれてきてくれたことを奇跡のように感じ、神様に感謝していた。

 

おしゃべりができるようになれば、家に笑い声があふれるようになった。熱が出れば死んでしまうのではないかと心配し、元気が戻ると心から安心した。泣いたり笑ったり大忙しで、思えば本当に幸せな子育てだった。

 

そんな日々が、年を追うごとに遠くなっていく。娘たちの成長を喜びながらも、うっすらとした寂しさが少しずつ積み重なっていくのを感じる。それが親というものだろうか。私の両親にしても、もしかしたら同じ思いだったのかもしれない。

 

小さな小さな命を預かることができた、守り育てることができた。その喜びを忘れないようにしよう。あの幼い可愛らしい姿がこの胸にある限り、大人となった娘たちとの間にこの先たとえ何があっても、きっと乗り越えられる。そうして、彼女たちがずっと幸せでありますように、と祈らずにはいられない。

 

ところで、ポマンダーは魔除けや厄除けのお守りと言われている。りんごなどに香辛料をまぶしたもので、中世ヨーロッパでは邪気を払う香りのアクセサリーとして大流行したそうだ。背景にはペストなどの伝染病の存在があり、空気を清浄にしてくれる芳香を自らの周囲に漂わせておくことで病気を予防できると考えていた、という説もある。その後もクリスマスや新年の贈り物として定着し、今に至っているらしい。

 

作り方は簡単で、りんごやオレンジなどの小さな果物にスパイスのクローブを刺し込み、シナモンを中心とした何種類かのスパイスパウダーをまぶし、数日乾燥させれば出来上がり。クローブは抗菌力が強く、これを一面に刺すことによって、中の果物は腐らずきれいに萎びていくという。

 

作っている最中から良い香りが漂い、乾いた後も数か月から1年以上、ほのかな香りが楽しめるそうだ。現在、寝室で乾燥中だが、確かにその前を通るたびに良い香りがする。消臭効果や防虫効果も期待できるとのこと。昔の人が、病気を遠ざけてくれる「幸福のお守り」として大切に考えていたのも、わかる気がする。

 

インターネットで画像を検索すると、クローブの刺し方が密なものとまばらなものとあったが、私は萩尾エリ子さんの単行本『香りの扉、草の椅子 ハーブショップの四季と暮らし (天然生活の本)』にあった作り方を参考に、小さな姫りんごにびっしりと隙間なく刺した。30g用意したクローブは1個のりんごで全て使い切ってしまい、今回できたのはひとつだけ。

 

それでも初めて作ったポマンダーである。出来上がりが何とも楽しみだ。クリスマスにはリボンをかけて飾ろうか。家族や友だち、大切な人たちの幸せを願いながら、今日も良い香りのするお守りを眺めている。

 

ときにはどこまでもセンチメンタルに

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肩こりと頭痛、それからめまいと不整脈に、いつも悩まされていた。2年前の私である。この年の手帳には、年明けから体調不良の記述がとても多い。そして、春頃からは仕事を辞めるかどうかでも悩んでいた。とにかく、くたびれきっていた。

 

当時、私も娘二人もシフトのある仕事をしており、休みが重なることは少なく、帰っても誰もいない夜が多かった。忙しいのに、寂しい。確か、そんな毎日だったと思う。

 

夕暮れから夜にかけて、暗くなっていく部屋の中でひとりでよく聴いていたのは、ピアノが綺麗なジャズ。ビル・エヴァンスも好きだったが、私の一番のお気に入りはキース・ジャレットのアルバム『The Melody At Night,With You』で、毎日聴いても飽きることはなかった。

 

報われることの少ない、心が折れることばかりが続く仕事。眠れないほどの不整脈と食欲不振。毎日がブルーだった私にとって、ウイスキーなどを片手にキースの知的で優しい旋律に身をあずけるひとときは、かけがえのないものだった。叙情豊かなピアノの音色に導かれ、冷たく静かな悲しみに浸れる時間が大切だった。明るく元気な音楽なんて、聴きたくなかったのだ。

 

悲しいからこそ、端正な悲しみの世界に身を置くことで、とてもなぐさめられる、そんなときがある。たっぷりと、とことんセンチメンタルになることで、その後、また少し前に進めそうな気がする。そういう気持ちのときに寄り添ってほしい音楽は、そんなにたくさんはない。

 

『The Melody At Night,With You』はいつ、どんな経緯で買ったのだったか。本当によくぞ私のそばにいてくれた、と思わずにいられない。このアルバムの全ての曲が好きだが、中でも『My Wild Ilish Rose』は何とも可愛らしく、切なさと透明感が胸に迫り、知らぬ間に涙が出てくるほど私にとっては特別な曲だ。よく食事を作る手を止めて、目を閉じて聴き入ったものだった。

 

毎日毎日、あの頃は本当によく聴いていた。よく「聞いていた」ものと言えば、毎朝時計代わりにつけていたあるテレビ番組のテーマソングがあったが、こちらは今また耳にするとあの頃の辛さがよみがえり、不快になる。思い出すから聞きたくないと、強く思う。キースの方は、今も変わらず何度でも聴きたいと思うのだから不思議だ。あるいは朝と夕方の違いなのか、音楽と記憶の関係も奥が深そうだ。

 

その後私は体調を崩し退職。手術や転職をし、うつを発症するというちょっと悲惨な時期を過ごす。重なるときは重なるものだ。そういう「お年頃」だと思い、受け入れるしかないだろう。今は、すっかり回復したとは言い切れないものの、あの頃のようなめまいや不整脈はなくなった。あちこち不具合は起こるけれど「あの頃よりはまし」だと思っている。

 

私を助けてくれた『The Melody At Night,With You』は、近頃「Google Play Music」で聴くことが多い。定額の音楽聴き放題サービスということだが、このアルバムは3500万曲あるという同サービスのリストになかったため、手元のCDをPCに取り込んでアップロードした。定額配信だけでなく、既に持っている曲は5万曲までクラウドに保存できるらしい。実に便利な世の中になったものだ。

 

青春の頃にはいつも音楽が身近にあった。いつからか、だんだんと疎遠になってしまったようだ。しかし音楽定額配信サービスのおかげで、若いときほどではないにしろ、ここのところよく音楽をかけるようになっている。ただし、夕暮れ時に聴きたくなるのは、やっぱりキースのこのアルバムなのである。今は、悲しみのお供としてでなく。

 

秋の日差しの中、歴史散歩でリフレッシュ

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朝起きたらすぐ、カーテンを開き、太陽の光を浴びると良い。と、何かで読んだ。以来、ずっと意識して実行するようにしている。体内時計がリセットされ良質な睡眠がとれるようになる、寝起きの悪さが改善される、そういった話だったと思う。薄曇りや雨の日の朝でも、少しの間窓の前に佇み空を眺めているうちに、眠くてぐずぐずしたい気分が薄れて活動モードになってくるから不思議だ。

 

「女心(男心)と秋の空」と言われるが、ここ数日、ずっと快晴が続いている。寝室のカーテンを開くと真っ青な秋空が広がっていて心が弾んでくる。ウオーキング日和だね、ということで思い立ち、先日の日曜日に夫と二人、少し離れた場所まで電車で出向き、散策した。日常生活で抱えているモヤモヤした気持ちも、少しは晴れるのではないかと期待して。

 

夏にはうらめしかった太陽の光だが、今は温かく好ましい。秋晴れ、というだけで、外にいることが嬉しくなる。体を動かしたくなる。見上げれば白い雲が清々しい。この季節が皆に愛されるのは当然だなと納得する。

 

歩いたのは藤が丘の駅から長久手古戦場周辺。初めての町を歩くのは面白いものだ。コスモスの咲く庭を眺めたり、とんがり屋根の図書館に立ち寄ったり。地図を頼っているのだが、実際の景色を見て予定のコースをちょっと変更したりするのもまた楽しい。日差しはあくまでも明るく、足取りは軽い。ベストシーズンならではの快適さだろう。

 

目的地のひとつ、長久手古戦場は1584年に豊臣秀吉徳川家康が戦った主戦場跡地だ。一帯には長久手城趾や武将たちの塚、本陣地の跡などがあり、武士たちが血槍や刀剣を洗ったとされる血の池公園や洗った鎧を乾かした鎧かけの松、なんてものまである。

 

見渡せば、そこは整備された閑静な住宅街。公園や緑道では金木犀が香り、爽やかな風が吹き渡る。とても戦国の当時を思い起こせるような景色ではない。それでも石碑や案内板を見つけると、立ち止まってはある種の感慨にふける。

 

一か所、武蔵塚という場所には、誰もいなかったせいかもしれないが、独特の静けさと寂しさを感じた。広々とした高台に木立ちが陰を作り、片隅に「森武蔵守長可戦死場」と刻まれた古い石碑が、文字通りひっそりと建っている。周囲とは隔絶された異空間のようで、妙に心惹かれるものがあった。

 

ちなみに森長可(もりながよし)は、本能寺の変織田信長と共に散った森蘭丸の長兄。勇猛果敢な武将で鬼武蔵(武蔵は官名)と呼ばれていたとか。享年27。

 

そうか、蘭丸のお兄さんが、ここで亡くなったのか。

 

私は「俄か歴女」と化し、タイムスリップしたような林の中で、430年以上も前の修羅場を想像してみる。木漏れ日が揺れ、また風が吹いた。

 

ときどきは史実や伝承を偲ぶ歴史散歩とか、文学散歩などもいいものだな、と思う。帰りに乗った「リニモ」は、日本初の磁気浮上式リニアモーターカー。歴史を感じた散策との対比が、考えてみれば面白い。

 

実はリニモ沿線は、新聞社で働いていた頃に仕事で何度か利用したため、ちょっと馴染みがある。長久手文化の家の素敵なホール、トヨタ博物館や県立芸大も取材でお邪魔した懐かしい思い出がある。名都美術館には何度もお世話になった。あの頃、リニモに乗る度に気になっていたのが「長久手古戦場」駅だったのだ。

 

今回、同駅では降りなかったものの、ようやく周辺散策の願いがかなった。それも嬉しい。付き合ってくれた夫に感謝、である。

 

日常生活のモヤモヤはそう簡単には消せないが、少しでいいからリフレッシュできる時間を挟み入れることを大切にしたい。お日様が味方してくれる気持ちのいい季節は特に!

 

薔薇の花のプロポーズ

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長女の婚約記念日だ。去年のこの日、108本の赤い薔薇の花を抱えて、涙ぐんで帰ってきた娘の姿がよみがえる。

 

彼氏、つまり現在の婿どのは、なかなかロマンチストのようで、こういったサプライズが大好きなのだそうである。

 

花が嫌いという女性には会ったことがない。日本の男性ももっと、女性に花を贈ってはどうだろう。特に「ここぞ!」というときに、花束は想像以上の効果を発揮してくれるに違いない。まさに、ハートを射止めるほどの。

 

花の中でも、薔薇の持つ特別感というのは、理屈抜きだと思う。そして「赤い薔薇」とくればもう、1本であってもその気品たるや、右に出るものはないのではないか。もちろん、好みはあるけれど。

 

若かりし日、東京で一人暮らしをしていた私。部屋に1輪の赤い薔薇を飾ったことがあった。勤めていた会社のランチ会で、ホテルのレストランが一人ひとりにプレゼントしてくれたと記憶している。たった1輪なのに、私の部屋は全く趣の違うものとなった。空気が変わった。仕事から帰ってくると高貴な香りが満ちていて、胸がときめいたのを思い出す。薔薇、恐るべし!

 

それ以来、薔薇の香りが大好きになった。百合の花も好きだったが、部屋に置くと香りが甘ったるくて少し苦痛だった。といって、全く香りのない花だと物足りない。いろいろ試してみたが、やはり薔薇が一番だと、結論を出した若き日の私だった。そして今も薔薇が一番好きで、町を歩いていて咲いているのを見つければ引き寄せられる。鼻を近づけ、香りを確かめずにはいられない。

 

好きなのだから、自分で買ってもいいのだ。でも、誰かからいただくことで、喜びは大きく膨らむ。ましてプロポーズに赤い薔薇だなんて、想像しただけで舞い上がる。もう魔法をかけられたも同様だ。娘はどんなに幸せな気持ちだっただろう。母親である私も、あの日、感謝とともに彼女のカレを大きく見直したことは間違いない。

 

そして、1年がたった。娘に「婚約記念日、おめでとう」と連絡をすると、今日は婚約指輪をして彼の帰りを待つ、とのこと。それは良いね、と言っているそばからまた連絡があった。「彼、今日のこと忘れてたって」

 

そう。そんなものだろう。そんなものだけど、娘にはまだあの魔法がきいているらしい。笑って指輪をはずし、夕ご飯を作っているようだ。怒らず悲しまず、面白がっている。余裕か?愛されている自信か?

 

多分これからずっと、とても長い間、もしかしたら一生、あの薔薇の花束は娘に魔法をかけてくれたままかもしれない。「あそこまでしてくれた」という甘い誇らしい思い出が、小さな不満をケムにまいていく。女心とは複雑でもあり、単純でもあるのだ。

 

世の独身男性には声を大にして言いたい。薔薇の花のプロポーズは照れるかもしれないが、トライする価値は十分あると思う。

 

もちろん、プロポーズでなくても花を贈る行為は素敵な物語のきっかけになる。アニバーサリーのアクセントだけでなく、引っ越し祝いや病気見舞い、また「ちょっと気が向いて」なんてことでも洒落ているし、好感度が高い。我が婿どののように、贈る方も楽しめれば申し分ない。

 

そうそう、私も年中無休でプレゼント受付中である。

 

霧の中で輝く小さな秩序

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点描曼荼羅については先月の9日に書いたが、その後も4点の曼荼羅画を描いている。前に描いた作品を見ていて、なんとなくまた描きたくなってしまったり、日常に起こるさまざまな出来事に心が乱れ、祈りを込めて描かずにはいられなくなったりしたのだった。

 

本当に不思議なのだが、黒い紙に点を打ちながら曼荼羅を仕上げていくと、心がすっと落ち着いてくる。どこかで「これは描く写経」と読んだ覚えがあるが、なるほどお写経に近い行為なのかもしれない。お写経というものをしたことがないので、想像でしかないのだけど。

 

「前向きに考えて生きていこう」と、嫌なことや辛いことがある度に自分を励ましてきた。出来事の程度や自分のコンディションによって、うまくいくこともあったし、そうでないこともあった。やはり「気の持ちよう」だけでは抜けられないピンチも、人生には多いようだ。そして今も、私は不安と心配の霧の中で彷徨っている。

 

若かった頃の私は、多くの若者と同様、どちらかと言うと無鉄砲で、愚かだったけど勇気はあった。昔の生意気な自分を思い出すと、両手で顔を隠したくなるくらい恥ずかしい一方で、とても眩しく懐かしい。

 

経験を重ねて得てきたものは多いはずだが、失ったものも少なくない。それは人によるのだろうか。失ったものなど気にせずに、得てきたものを、そしてこれから得ていくだろうものを、見つめていれば良いのだろうか。

 

私が失ったもののひとつが「突破力」。問題解決能力は本当はどこかで育っているのかもしれないのだけれど、そこへ至るまでのファイトや負けん気がとてもか弱くなってしまっているのだ。カチカチと火をつけようとしても、なかなか点火しない。不安は増すばかりで、残念な自分に失望する。

 

上手に年を重ねるのは、私にはなかなか難しいようだ。きっと、受け入れる覚悟がまだできていないのだろう。目が悪くなっていくこと、足腰が弱くなっていくこと、容姿が衰えていくこと、死が近づいてくること。この場合の覚悟って諦めに近い気がするけど、はてさて、これを前向きにやっていくには高度なロジックが必要なのではないだろうか。

 

うーん。これから少しずつ、「前向きに諦めて」いけるのかな?、と手近に置いてある曼荼羅画を眺めると、考えすぎて重くなってきた頭がふっと楽になる気がした。私はどうしてこんなに「マンダラさん」に惹かれるのだろう。

 

点描曼荼羅を描いていると、シンメトリーの安心感と、揺るぎない秩序の存在を感じる。拙い作品ながら広がりがあり、見ていて飽きない。純粋に、綺麗だなと思える。

 

黒い紙に光る点が散りばめられる様子は、夜空の星にも似ているし、クリスマスツリーやイルミネーションも連想する。ステンドグラスにも通じる美しさかもしれない。色とりどりの輝く粒は、ビーズのアクセサリーのようだし、その形はレース編みのモチーフやハワイアンパッチワークの回転対称デザインにもつながる気がする。六角形のものは雪の結晶にも見えてくる。

 

皆、私の好きなものばかりだ。そうか、私の好きなものの要素をたくさん持っているのが点描曼荼羅画なのだ。だからきっと惹かれたのだ、と腑に落ちた。心が散らかり疲れて哀しくなってきたとき、私の好きな要素を持つ曼荼羅が、気持ちのバランスを取り戻す力を与えてくれるのだ。

 

不安と心配の心細い日々の中にも、小さな喜びや幸せがある。美味しいものを食べた、楽しい話を聞いた、優しい言葉をかけられた……etc。それが日常というものだろう。楽観と悲観の繰り返しだが、なるべく楽観を多めにして生きていきたい。「マンダラさん」は、そんな私にとってのお守りなのかもしれない。