一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります

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昨日、久しぶりに映画館で映画を観た。家でブルーレイの映画を観るのもいいが、やはり映画館という場所で観るのは楽しい。大きなスクリーン、計算された音響効果。わざわざ来たという高揚感もあるし、どこか真摯な態度で映画に臨んでいる自分がいる。

 

新聞社でフリーペーパーを編集していた頃は、月に6本のレビューを書く必要もあって、日課のように試写会に行っていた。仕事とはいえ、今にして思えばなんと贅沢な日々だったことか。洋画、邦画、硬軟問わず、読者層に喜ばれそうだと思えば夜の試写会でも勇んで出かけて行った。

 

あの頃のように、本当は今も浴びるように映画を観たい。しかし、浴びるように映画を観るには映画館の入場料は高すぎる。

 

そう、500円。せめて1000円だったら、月に数度は映画館に足を運ぶかもしれない。観たい映画はたくさんあるのだ。1800円は高すぎる。イベントになってしまうし、イベントなら誰かと行きたくなり、そうすると料金は倍になる。もっと気楽に、日常的に映画が楽しめるようになることを願ってやまない。

 

話は戻って、昨日。私の行きたかった映画館では木曜日のレディースデーということで、女性は1100円で観ることができた。祝日ということもあり、希望した時間は満席だったけれども(もちろん女性がほとんど!)次の回で観ることができた。「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」という米国映画だ。

 

夫婦歴40年という男女を、モーガン・フリーマンダイアン・キートンがチャーミングに演じている。テンポのいい会話が粋でお洒落な、いかにもニューヨークっぽい作品だが、結婚した当初の40年前はまだ人種差別が根強く残っていたことに触れ、この夫婦の成り立ちの難しさや試練の厳しさ、また子供に恵まれなかったことによる葛藤の日々など、単純とは言えないふたりの40年の軌跡が想像できるように描かれている。

 

現在は夫婦と愛犬と仲良く暮らす、ある種理想的な暮らし。ただ、年長の夫と老犬のために、妻は5階のエレベーターなしの自宅を手放し、他の部屋を探そうと動き出す。眺めのいい、夫婦のお気に入りの居心地抜群の部屋を、エレベーターがないというだけで本当に手放してしまえるのか?

 

持ち家と賃貸ではまるで違うけれど、我が家も年末に引越しをしたばかりなので、彼らの迷いやテンションの上下はすごくリアルに伝わってきた。高く売って安く買う、は市場の常識だけれども、振り回されるのは本当に疲れるだろう。ゆっくり考えながら気持ちを固めていきたいのに、即決即断を迫られる。傍目には滑稽だが、いやあ、当人は「なんでこんな目にあわされるのか」とだんだん腹も立ってくるだろう。

 

けれど、40年続いた夫婦がお互いへの愛情や、家族でいられた幸せへの認識を新たにするのに、この出来事はとても良いきっかけとなったよう。とにかく、主演のふたりが魅力的すぎる。夫婦で年を重ねていくということの理想を描いたような映画だと感じた。

 

垣間見られたNYの住宅事情も興味深かった。そして、ブルックリンの街を見下ろすアパートメント最上階の描写にはためいきが出た。豪華でなくても、古くても、なんて素敵なんだろう。40年間、動きたくなかったの、わかる!

 

この部屋に夫婦が愛着を持つ大きな理由、「眺めの良さ」は、手に入れるのが難しいものだけに憧れも強い。景色が遠くまで見通せるというのは、心の風通しにもつながるんじゃないか、などと考えながら映画館を後にした。

(写真はもちろんNYではなく、名古屋市某所の昨日の景色です)

 

嵐のような彼女

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天気予報では確か晴れると言っていたはず。バスタオルを外に干そうか迷いながら、私は空を見上げた。昨日の朝のことである。

 

なんとなく雲行きが怪しい。買い物に行った後、早めの昼食をとると頭が重くなってきた。気圧のせいかもねと思いながら、少し横になることにした。

 

風が鳴り始め、気のせいか建物が揺れた感じもした。雷の音も聞こえてくる。横になってはみたものの、寝ていられないような胸騒ぎを覚えて立ち上がり、TVをつけた。そのとき電話が鳴ったのだ。彼女だった。

 

今、近くに来てるんだわ、多分。引越し先、この辺かなあって、出先からの帰り道にナビを見たら想像以上に近かったんだ。ねえ、今日、あいてる?行ってもいい?ケーキ買いに行こうよ、誕生日のお祝いしよう!

 

具合の悪いのが一度に吹き飛んだ。あの子ったら、来てくれたんだ!

 

突然の訪問でも嬉しい、そんなお客は限られる。彼女はそのひとりなのだった。15歳のときからの親友。この春には、出会って40年ということか。ふたりとも2月生まれだから、記念すべき誕生会ということになる。

 

近所のケーキ屋さんまで彼女のクルマで行った。はっきり言って荒天だ。雨はさほどでもないが、風が強く吹いている。そして、まだまだ荒れそうな気配。

 

「嵐が来るかと思ってたらあなたが来た」と私が言えば、「そうでしょう!嵐を呼ぶ女だからね、私は」と大笑いする彼女。

 

相変わらず快活で元気いっぱい。でも私は知っている。そんな彼女がどんなに心優しく、傷つきやすく、デリケートな女性であるかということを。

 

家に戻り、コーヒーを飲みながらケーキをいただく。近況報告から懐かしい昔話まで、話題は尽きない。2回離婚をし、子供を4人産み育て、家を3回買った彼女は、私とはまるで違う人生を歩んでいるが、彼女の気持ちはわかっているし、いつも心の底からエールを送ってきた。そしてきっと、彼女も。なかなか頻繁には会えないけれど、ずっと胸のどこかに温かく存在していてくれる、そんな友がいることに感謝したい。

 

彼女は強気な発言で誤解されることもあるようだ。しかし、強がらなくては自分や子供たちを守っていけなかったという背景がある。実際は愛情深く、弱っている人を見ると手を差し伸べずにはいられない、本当に優しい人なのだ。そして、私は彼女の強さやバイタリティ溢れる行動的なところ以上に、そんな部分を尊敬している。

 

別れ際、彼女が私の手を取り、涙ながらに言った。自分はひとつの家庭をずっと守ることはできなかったけど、あなたはそれをやってくれている。ありがとう。私はそれが嬉しい、と。本当に嬉しいのだと。

 

彼女がどれほど苦労をしてきたか、そして頑張ってきたかを知っているから、私は余計なことは言えなかった。ただ、あなたは私の誇りだよ、と。ただそれだけを伝えて別れた。

 

人生にはいろいろな形がある。人の数だけあるのだ。その形に正解はないし、悔いを残すも残さないも本人の気持ち次第だ。ひどいなと思えるような人が胸を張ってる場合もあれば、その逆もある。嵐のような人生も、凪いだ海のような人生も、みんな大事な人生だと思う。自分の大切な人がどんなに荒海を漕ぐような人生を送ってきたとしても、それを非難することなど絶対できないし、その涙や悔しさはむしろ全部いとおしい。

 

デモ、アタシタチモモウ50ダイナカバヨ。これからは、もうちょっと、そう、もうちょっと穏やかな航海をしたいよね? 無理はしないでいこう、お互いにね。大丈夫。これからもっと、きっときっとうまくいくよ。

 

今朝も風は強かったが、空は打って変わって青く澄んでいた。川沿いの道を歩きながら、銀色の柔らかな毛に包まれた白木蓮の花芽を見上げ、今年も春が来てくれる、そんな当たり前のことにも「ありがとう」と言いたくなる自分に気づいた。

 

何にでも「ありがとう」と言いたいね、言っていこうね。それは昨日、彼女と交わした約束なのだった。

 

朝日のあたる家

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立春を過ぎ、寒い中にも光の強さが感じられるようになってきた。日照時間も確実に伸びていて、夜が短くなったと感じる。待っていればじきに暖かい春が来る。この早春という季節が私は好きだ。東側にあるベランダの植物たちも、春を感じ始めている様子である。

 

今住む家は東を向いている。東向きの家に住むのは私、初めて。南側に窓がないということに、実は引越し前から不安があったし、昼間暗いとか洗濯物が乾きにくいとか、今も少し不便を感じている。

 

しかし、良いこともある。この家に来てから朝の楽しみができたのだ。それは、日の出を見られるということ。今年の初日の出も自宅のベランダから拝んだ。東の空を紅色に染めて、近くの森の中から煌めき昇ってくる朝日は、本当に美しかった。

 

最近は少し北寄りの、ちょうど遊園地の観覧車のあたりから昇ってくる。やはり美しいと思う。晴れた朝は、刻々と変わる東の空を眺めてつい時を過ごしてしまう。一日として同じ空はなく、見ていて飽きないのだ。そして部屋の中も桃色や橙色に染まっていて、ああ、ここは「朝日のあたる家」なんだなあ、と思う私である。

 

米国のトラディショナルソング「House of The Rising Sun(朝日のあたる家)」は暗く寂しい内容の歌だけれど、朝日を受けて輝く家、というのはイメージとして素敵なのではなかろうか。住む人にお日様の力が注ぎ込まれるような気がしてくる。

 

そう、確かに朝、このお日様の光を浴びていると元気が出るように思えるのだ。朝の支度の手を止めて、家族揃って東の窓際に集合してしまうこともよくある。本当に綺麗だねえ、と言いながら。そして、何か良いことが起こりそう、そんな嬉しい予感をもらいながら。

 

27年間住んだ家を離れたときの、年末の心細さを思い出す。新しい住まいでは、使い慣れないキッチンや浴室などに不満もあった。いつかは住み心地が良いと思えるようになるだろうか。暗くなりがちな気持ちを振り払うように、私たち家族は努めて明るく冗談を言い合い「楽しいね」と笑って過ごしてきた。そんな私たちを、朝のお日様は優しく励ましてくれているように感じるのだった。

 

寝室にしている西側の部屋にも窓がある。夏は西日に悩まされるかもしれないが、今は夕方、光が型板ガラス(デザインガラス)を通して入ってくる様子がとても美しい。鳥が飛ぶ絵の描かれた薄手の布をカーテン代わりにかけているのだが、キラキラした光を背景にすると「夕映えの海に飛び立つカモメたち」という風情になる。なんというか、清々しい気配が漂うようで、これもちょっと気に入っている。

 

南側に大きな窓のあった前の家は、冬は特に明るく暖かく、確かに過ごしやすかった。けれども、東と西に窓がある家というのも、また面白いものだなあと思う。早春のお日様の優しさと、そのさまざまな表現力に、最近ちょっと魅了されている私なのだ。

 

香りのミストに癒されながら

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今年は暖冬だと聞いていたのに、ここへきてひどく冷え込むようになってきた。今のところ風邪はひいていないが、朝起きると少し喉が痛いことがある。うがいを念入りにして、あとは足腰を中心に冷やさないよう気を付けることが大切だ。

 

例年通りの風邪予防に加え、今年は心強く、かつ心楽しくなる味方が存在する。それは、アロマセラピーだ。去年の夏あたりから、精油を用いた芳香療法を少しずつ暮らしに取り入れている。

 

私はもともと香りの良い植物が好きで、葉をつまむだけで空気を爽やかにし、料理に加えればワンランク上の仕上がりを実現してくれるハーブには、強い関心を持っていた。そこからアロマへも行くのが自然の流れなのだろうが、私の場合、何故かアロマに対してはずっと遠巻きに眺めるだけなのだった。よくわからなかったのだ。

 

しかし、旅先で友に精油を用いた手当てについての話を聞き、実際にアロマオイルでのマッサージを教えてもらった去年の夏、気持ちが大きく動いた。旅から帰ると早速いくつかの精油を買い求めた私である。

 

マッサージオイルやエアフレッシュナーを作り、蜜蝋を使ってハンドクリームも自作してみた。市販の製品と比べ、どんなものが入っているかわかっているという安心感、必要なものだけを選んで加えたという満足感が得られる。割安感ももちろんある。何より自然で心地よい香りが嬉しい。

 

夏から秋、そして冬へ。アロマはもう、私にとって親しい友のようになっている。

 

今、はまっているのはアロマディフューザーを使っての芳香浴だ。私が買ったのは無印良品の「磁器超音波アロマディフューザー」。10日ほど前に我が家にやってきて、ほぼ毎日活躍してくれている。水とエッセンシャルオイルを超音波による振動でミスト状にして部屋に拡散させるもので、2段階の明るさでライトも点く。足元ランプ的な照明器具として見ても、シンプルで可愛らしいデザインだと思う。タイマー付きなので眠るときも安心だ。

 

事務仕事など気分をシャキッとさせたいときにはローズマリーユーカリプタスなどを、家族でリラックスして過ごす時間にはオレンジやゼラニウムなどを、寝室では安眠を願いカモミールローマンやラベンダーなどを。シチュエーションやそのときの気分で精油をチョイスするのは実に楽しい。また、抗ウィルス作用、殺菌・消毒作用のある精油はとても多く、それらを使って風邪予防の効果も期待できる。そういう精油には防虫効果もあるので、虫嫌いな私には大変ありがたい。コットンに数滴たらして、チェストの引き出しに忍ばせたりもする。

 

こうして日々、アロマに親しんでいると、もっといろいろな種類の精油エッセンシャルオイル)が欲しくなってくるのだが、安い物ではないので厳選して次に買うものを決めている。悩むが、それもまた楽しいのだ。

 

ひとりの午後、新聞や本を読んでいるとき、ふと傍らに目をやる。そこには、小さくシューッと音をたてながら白いミストを噴き出しているアロマディフューザーがある。淡く優しく、植物のいい香りが漂っている。外は木枯らし。贅沢なひとときだ。

 

引越しをしてちょうど1ヶ月になる。大騒ぎだったけれど、ようやくこうして寛ぎの時間を持てるようになり、部屋も心も少しずつ落ち着いてきた。私はアロマのミストに癒されながら「さて、次の一歩をどうしようかな」などと考える。そういえば人生はまだ続いていたのかと、今更のように小さく驚きながら。

 

巣作りをもう一度

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年末に転居をし、新しい年を迎えた。まだまだ片付け終わったと言うにはほど遠いが、ここへきてようやく落ち着いた感がある。転居に伴う各種住所変更手続きなどを、あらかた済ませたからだろうか。期限に追われて慌てているという焦燥感はなくなり、さてどのように暮らしていこうか、と考える余裕ができてきた。

 

引越しにあたり、我が家では初めての大がかりな断捨離をしたのだが、それでもまだスッキリした感じには至っていない。間取りは前の住居と同じようではあるが、全体に狭いのだ。この容積に対して、持ちモノが多すぎるということで、今後も「捨てる」「溜めこまない」習慣を継続していこうと思う。

 

とは言え、新たに必要になったモノも多いのが実際のところで、収納グッズを中心に結構買い物をしている。出費も嵩むし、サイズやデザインに悩んだりして負担ではあるのだが、この買い物、なんと面白いことだろう。

 

「洗面所は狭いからマットは小さめにしよう。ちょっとポコポコして可愛いのがいいな」
「お風呂の構造が今までと違うね。新しく棚を買おう」
「タオルをしまっておく場所がないから、カップボードの下の棚を使おうか。いくつかカゴを揃えなきゃ」
「キッチンの水栓は使いにくいなぁ。違うものに付け替えようね」

 

こんな調子で、家族からいくらでも提案が出てくる。もちろん全てを一度には揃えられないが、優先順位は自ずとわかるので、徐々に買い揃えている段階だ。まだランドリーラックやらカーテン(今までのでは少し幅が足りなかった!)やらトイレに置く棚やら、買わなくてはならないものがたくさんある。今週末には玄関に置くハンガーラックとアロマディフューザー(これは優先順位が高かったというより私のわがまま)が届く。あら楽しい。

 

おっと。これはまるで新婚生活のスタートのようではないか?

 

そう、四半世紀以上を共にする我々夫婦。初めての引越しにあたり、この際更新したい古いモノがたくさんあったのだ。「あれこれ考えて居心地の良い家を作って行こうね」と、同じ目標を確かめ合う。たとえ21歳の次女が一緒でも、これは再びの「巣作り」なのである。

 

いろいろあっての転居だったが、思い切って決行して良かったと今は思う。疲れたし、ストレスもたくさん感じた。今だって先のことは不安でいっぱいなのだけど。それでも何かが変わっていく、良くなっていく気がしてくる。「動く」ことは「始める」ことになるのだ、きっと。

 

今日は久しぶりに散歩らしい散歩をした。忙しかったのと少し体調を崩したのとで、なかなかのんびりした気持ちで外を歩くことができなかったのだが、自分の住む町をいろいろ探検したい気持ちがふくらんで、ついにスニーカーを履いた。

 

2時間ほど歩き回っただろうか。素敵なインテリアショップや可愛いフラワーショップ、雑貨屋さんなど、心惹かれる場所がいくつか見つかり嬉しい。これからしばらくお世話になる我が町に、心の中で「よろしくね」とつぶやいてみた。

 

750冊の本とお別れする日

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クリスマスのイルミネーションに街が輝く12月、華やかな雰囲気の漂う師走である。一年で最も忙しいこの時期に、我が家は引っ越すこととなった。目下、鋭意断捨離中である。

 

今後の暮らしについて家族で迷い悩む日が続いていたのだが、一旦引っ越しを決意するや、不思議なことに一気に気分が高揚し、体が動いた。家族が皆、この新しいプロジェクトに向けて意欲的に取り組んでいる。

 

さて、何を捨てて何を残すか、という判断をするのはなかなか骨の折れる仕事だ。処分すると決めたものも、リサイクルショップに持って行けそうなもの、テレビなど家電リサイクル対象機器としての手続きが必要なもの、粗大ごみ、不燃ごみ、可燃ごみ、と分けなくてはいけない。特に粗大ごみは自治体で引き取る日が決められており予約が必要なので、早めに判断しなくては。粗大ごみで出すつもりだったけど、リサイクルショップで引き受けてくれそうだ、とわかることもある。

 

家中をひっくり返している中で、ピアノ専門の引き取り業者がやってくるし、引っ越し業者数社が見積もりにやってくる。引っ越し先ですぐに必要になるものを買い足さなくちゃ。契約に必要な住民票を取りに行かなくちゃ。ああ、本当に忙しい。仕分け作業に手間取り、荷造りにはまだ手も付けられない。

 

今の部屋には結婚したときから住んでいるから、26年半いたことになる。当初は家具もモノも少なかった我が家だが、さすがにこう年月がたつと恐ろしいことになっている。中でも一番の懸念は「本」だった。

 

夫も私も出版・印刷関係の仕事をしてきたので、そもそも仕事関係で本が集まってしまう傾向があった。その上、二人とも本が大好き。夫にいたっては「本を買うのが趣味」と開き直っていたくらいで、多分読まれないままホコリをかぶり日に焼けてしまった可哀想な本もたくさんあったろう。

 

しかし「新しい場所で新しい生活を始めよう」と決めたのだ。これからはもっとシンプルにコンパクトに暮らしたい。どうしても手放せない本だけを残して、後はみんな処分しよう、と夫婦で決意。ブックオフさんに引き取りに来てもらうことになった。

 

やってきた担当者さんは、本棚を見るなり「これは1回じゃ無理ですね」と苦笑した。その日は半量を箱に詰め、残りの分の空箱を少し多めに置いて帰って行ったのだった。

 

次回来てもらうまでに、残りを箱詰めする。その作業を夫がやってくれた。独り言が面白いように出てくる。


「ああ、これはいい本だったなあ、でももう読むことはないな」
「読みたくなったときにまた買ったり借りたりすればいいんだよ、電子書籍もあるし」
「これは好きな人にはすごく価値がある本だから、そういう人の元に届くといいなあ」

 

欲しくて買った本である。手放す作業はとても心がくたびれたことだろう。でも、そうなのだ、本に気持ちがあるのなら、きっと読んでもらえる人の元へ行きたいだろう。だから、この先読むこともないと思うのなら、どんなに思い入れがあって買った本でも手放す方がいい。その方が本も喜ぶ。

 

人生が広がっていく若い時代は、モノを所有するための時間にもスペースにも、余裕があったのかもしれない。しかし、もう広げていく年頃は過ぎたのだと思う。これからは凝縮し、必要最低限を目指す方が自分も家族もラクだし、豊かな気持でいられるのだ。

 

モノが増えればメンテナンスも増える。それがまず億劫に思える。放っておけばモノは劣化し、傷み、ほこりや錆びに晒される。今回の引っ越し準備でつくづく思い知ったことだ。モノが多いって、ホント、大変!

 

そもそもモノを買うにはお金もかかるし、場所もとられる。いずれ処分するときには、お金がかかったり面倒な手続きが必要になってくる場合もある。単純に「欲しいから買う」のではなく、最後まで面倒を見る覚悟を持って買うべきだろう。そう、ペットと同じだ。これからは、何かをひとつ買うときでもじっくり考えてからにしよう、本当に。

 

それにしても、本に限らず写真とか日記とか絵とか、次から次へと懐かしい品々が出てくるものだ。片づけながら、私たちは何度歓声をあげたことだろう。あの頃はこういうことに興味があり、こういう分野に一生懸命になっていたんだ、といちいち感慨深い。そして、自分で納得してそれらと決別する。引っ越しは大変だけれど、こういう強制的な「片づけ」の機会はありがたいのかもしれない。

 

約750冊の本を手放すことになった日。それぞれの本との出会いやそれにまつわる若かりし日の思い出に浸りながら、私たちはお互いにこれまでの人生を振り返っていた。それは切ないけれどもどこか清々しく、前向きに歩き出せるきっかけになってくれた気がするのだった。出会うべくして出会い、別れるべくして別れる本たちよ、ありがとう!

 

ありがとう、愛しています、ごめんなさい、許してください

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来年の手帳をどうしよう、と考えているとき、新聞広告が目に留まった。

 

「毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2016」

 

ホ・オポノポノ? ああ、そういうものがあった。2年半前、病気がわかりドクターから手術を勧められたとき、ある友人がメールで教えてくれたのだった。ホ・オポノポノというのを知っていますか?と。「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」を、心の中でいいからつぶやいてみて、と。

 

ホ・オポノポノとは、古代ハワイに伝わる問題解決法なのだそうだ。それを、人間州宝、モナ・ナラマク・シメオナという女性が、自分ひとりでいつでもどこでもできる方法に発展させて、今の形になったという。とてもたくさんの方法があるのだが、先の4つの言葉を繰り返すというのが、最も代表的なものらしい。

 

寝る前に「うれしいな」「幸せだな」「ありがたいな」といった感謝につながる言葉を繰り返すことで、良い睡眠が得られるだけでなく、潜在意識に働きかけて人生を好転させることができる・・・そんな内容の本を昔、読んだことがあったが、それと同じようなものなのかなと、友人のメールを見たときは思ったのだった。

 

スピリチュアルな分野は得意ではないし、成功者の書いた「成功するための○つの習慣」的な本も敬遠する方だ。けれども、きれいな言葉を唱えて心が穏やかになるというのは悪いことではないし、何も胡散臭がることはないだろう。ありがたく実践して入院する日を待ったのだった。

 

手術を終え無事生還し、心配してくれた他の人たち同様、彼女にもお礼メールを書いた私。そのままこの「ホ・オポノポノ」のことは忘れてしまっていた。

 

それがここにきて、手帳のことを考えているときに、偶然目にするとは。山あり谷ありの人生で、何度目かの深い谷にいることを実感する今。何かの引き寄せなのだろうか、とさえ思ってしまった。3日ほど考え、アマゾンで注文した私である。

 

基本的には普通のスケジュール手帳だった。普段私が使うタイプより少し大きめで、表紙の紙を裏返すと白い花の写真になり、一見本に見える。手帳のうしろの方には、この手帳の使い方と「ホ・オポノポノ」についての簡単な説明、そして「記憶のクリーニング」の方法がいくつか書かれている。

 

人生におけるさまざまな問題の本当の原因は、自分の中にある記憶である。ここで言う記憶とは、個人の幼少期の思い出のことではなく、この世界が始まってからの膨大な記憶のこと。潜在意識にはこうした記憶が無意識にため込まれている。これらの記憶をクリーニングしていくことで、私たちは本来持っている能力を十分に発揮する人生を送ることができる。神聖なる存在からのインスピレーションが、古い記憶に邪魔されることなく届くのだ。もっと自由に、自分を生きやすくなる。

 

……こんな理解でいいのだろうか。

 

実を言うと、ざっと読んだところよくわからなかったのだ。この先も理解できるかどうか甚だ怪しいが、何かのご縁だと思って4つの言葉を唱えることは実行してみようと思う。クリーニングを1、2週間続けていくと「クリーニングすること」の意味が体感できてくるでしょう、と綴られている。

 

「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」
自分の潜在意識に向かって言うのだ。順番は決まっていないし、「愛しています」だけでも良いそうである。難しくはないが、不思議な感覚である。負の記憶の浄化とは、いったいどのようなものなのだろう。こんな実験みたいな態度ではいけないのかな?

 

秋の夕暮れは好きですか

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年賀状の欠礼を告げる喪中はがきが届く季節になった。同年代の人たちからのお知らせには少し緊張する。亡くなったのが祖父母であったのが、いつの頃からか父母という場合が多くなってきており、受け取るたび、ギュッと胸が痛む。

 

先日届いたのは、私の母の友人が亡くなった悲しいお知らせ。息子さんからのもので、この親子とは古い知り合いだ。画家である息子さんには、母も私も絵を描いてもらっているし、もうずっと年賀状のやり取りが続いている。亡くなったお母さんは、私の長女が生まれたとき誕生祝を持って我が家に遊びに来てくれた。あのときの赤ん坊が今年結婚したことを、年賀状でお知らせしようと思っていたのに。

 

人は必ずいつかは亡くなる。わかってはいても、知人の訃報にはいつも「何故?」と思ってしまう。元気だった頃の面影を思い出し、もう会えなくなった事実を受け入れるのに苦しむ。近年、それが増えた気がする。自分が年をとったということだろう。

 

秋は夕暮れ・・・
清少納言は『枕草子』で、秋は夕暮れが一番、と言っている。私も秋の夕暮れの景色はとても趣があるとは思う。しかし、あっという間に太陽が西の空に落ちてしまうので、実はすごく怖いとも思っている。とても「死」に近い季節と時刻のように感じて恐れている。だからこそ、の美しさなのではないか?と考える。だからこその「いとをかし」かと。

 

12月は華やかで気忙しい印象だが、11月の下旬あたり、晩秋というのは妙に寂しさが募る。身の置き場のないような心細さを感じる。いっそ、今はもう12月なのだ!と自分をだまして追い立ててみたくなる。やるせないような気持ちに浸ってしまわないように。

 

さまざまな悩み事がある。最近は出口のない迷路を彷徨っているように感じることが多い。昔だって悩み事はたくさんあったけれど、どこか楽観的で何とかなるような気がしていた。今は本当に何をするにも自信がなく、決められず、困ってしまう。これも、年齢によるものなのだろうか。

 

しかし、下を向いてばかりではいけない、ということはわかる。心が下を向きたがるなら、せめて顔だけでも上を向かせよう、と、最近はよく空を見るようになった。雲や、鳥や、飛行機の動きを目で追うことが増えている。それから、笑顔。たとえ作り笑いでも、笑顔には心身に良い働きかけをする力があると聞いたことがある。そうだ、無理をしてでも笑おう。

 

晩秋の空を見上げ、ぎこちない変な笑い顔をしている人物がいたら、それは私である。

 

素敵なことば収集家

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・・・自分時間を愉しむのに必要なのは、日常を面白がる精神・・・
これは、こぐれひでこさんが何かの雑誌で言っていたことば。

・・・空気や風、明るさ、本の中で過ごす時間が変わる・・・
これは、文字組みについてブックデザイナーの祖父江慎さんが語っていたことば。

 

引き出しの整理をしていたら、一冊のノートが出てきた。多分、20年近く前に買って使い始めたもので、10年分くらいのメモや走り書きがある。当時発信していたメールマガジンのネタ帳的な部分もあったが、気になったことば、特にポジティブで感じの良いことばを、集中的に列挙してあるページが続いていた。それを見て、ああ、このノートは一生捨てられないな、と思ったのだった。

 

冒頭のように、誰の言葉かを書き留めてあるものもあれば、山高ければ裾野広し、とか「できないこと」を考えるのではなく「できること」を見つけていく、えもいわれぬ香りの光芒を放っている、などと、目に留まったことばや言い回しを、ただ箇条書きに並べているだけのものもある。

 

・・・微笑みと花と愛をあなたに・・・
これは、歌の歌詞の一節。今もときどき、胸の中を流れる曲だ。調べたら、naomi & goroの『BEAUTIFUL LOVE』というナンバーだった。

 

どうも自分で思いついたらしいことばもある。「悲しいできごとは短い小説にしてしまおう」「昨日を終わらせて今日を始めよう!」なんて、どんなシチュエーションのときに走り書きしたのだろうかと、ちょっと可笑しくなる。

 

ネガティブなことばもあった。弁解に終始した、とか、語るに落ちる、とか、青天井の交際費とか。書く仕事をしていたから、どこかで使ってやろうと思ってメモしたのかな。ネガティブだけどちょっと楽しい響きもある。やはり「おや?」と気になって、拾っておきたくなったのだろう。

 

実は、このようなことばたちを、自分の過去の手帳の中にも見つけた。どうやら私のクセらしい。新聞や雑誌、本などを読んでいて、あるいは人と話していて、気になることば、特に素敵だなと思ったことばを放っておけないタチなのだ。小さい子がきれいな石を拾ってポケットに入れて帰るのと同じである。

 

このことばたちはしかし、ただメモ同様にあちこち書き散らされていては可哀想だ。せっかく気に入って抜き書きしても、活かされなくてはつまらない。ふと、自分専用の辞書のようにまとめてみようか、と思いついた。どんなふうに編集しよう。いったいいくつぐらい集めたのかも気になるところだ。ちょっとしたコレクターだな、と楽しくなってきた。

 

心惹かれる素敵なことばたち、良いことばたちに触れていると、気持ちが晴れてくる。自分で感じるものがあって集めたものだから尚更だ。生き方や考え方の指南をしてくれるようなことばも多く、ここのところ閉じてしまいがちだった心に効いてくる。

 

キラリと輝くことばたちは良いイメージを集め、年月を重ねるほどに奥深いコレクションになっていく予感もする。多分、私はこれからもずっと、集めていくのだろう。

 

今度、「素敵なことば収集家」という肩書で新しく名刺を作ろうかな、などと思う。どういう人に手渡したくなるんだろうと想像していたら、また楽しくなってきた。

 

バブルを知らない世代に学んだチープ&シックという豊かさ

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ちょうど10年前になる。それまで家で仕事をしていた私が、外に「お勤め」することになった。印刷物を扱う小さな会社で3年弱、書籍編集のフォローや校正、広告のコピー書きやディレクションなどをさせてもらった。

 

従業員は社長を含めて8人で、私は社長に次ぐ年長者だった。つまり、みんな私より若かったのだ。20代がふたりもいた。お給料は安かったし、いろいろ問題の多い会社だったけれど、仕事はけっこう好きだった。そして、あの若い同僚たちとはとても仲良くさせてもらい、本当に楽しかった。

 

その後、フリーペーパーの編集者として転職した新聞社の部署内にも、20代の若い女性がふたりいた。ここでは私より年上のおじさまもたくさんいらしたけれど、幅広い年代層の人たちと日々、会社で顔を合わせるというのは新鮮で面白かった。

 

私は結婚と同時にフリーランスになったので、16年間、家にいたことになる。その間ずっと、日常では自分と同年輩かそう変わらない年齢の人たちとの付き合いがほとんどだった。仕事関係でもママ友でも。具体的には「トレンディドラマ」を見てた世代、というか、バブル時代が20代の頃だった世代、というか。

 

そうバブル時代。私たちは当時の良くも悪くも華やいだ気分を、どこかまだ捨て去れずに身にまとったところのある世代である。1986年12月から1991年2月までをバブル景気と言うそうで、92年2月頃まで多くの人が好景気を感じていたとされている。後半は私、初めての出産と子育てで、世の中の雰囲気とは隔絶されていたと思うけれど。

 

「いいなあ。私、バブルの恩恵なんて全然なかったんですよね。子ども過ぎて」

 

バブル当時の話をすると、職場で同僚からこう返ってくることが何度かあり、年齢の差をひしと感じたものだ。そして、20代の彼女たちはとても美しいのだが、とてもつつましいのである。

 

お昼ご飯はコンビニのサンドイッチと紅茶。あるいは持参のお弁当。服はプチプラのお店かヤフオクで安く入手。食器などの雑貨はほとんど100円均一で。ある女の子は基礎化粧品を手作りしていた。だって、化粧品って高いじゃないですか、と。

 

私はちょっと感動していた。それでも彼女たちは綺麗だったし、何より楽しそうだった。お金を使わなくてすむ楽しみを、たくさん知っていた。女子会向きの格安居酒屋にもよく連れて行ってくれた。コツコツ将来のために貯蓄して、ときどきはパーッと海外旅行をし、自分を磨く。この海外経験すらワーキングホリデーで、というツワモノもいたっけ。

 

私たちの世代はついつい無駄遣いをして「しまった」と思ったり、お金がないと何もできない、と悲観したりしがちなのではないだろうか。それもこれも、バブル景気の後遺症なのかもしれない。分相応、という言葉で何度自分を叱ってきたか。

 

なければないで、何とかなる。お金をかけずに工夫する。ちょっと切ないけど身の程をわきまえ高い買い物は諦める。お金がなくても決してみじめではない。ささやかな幸せをたくさん見つけて、日々を心地よく過ごす。人と比べない、妬まない。お金をかけなくてもお洒落はできる。

 

…彼女たちを見ていて、私が学んだことである。若いからできるのよ、とは思わなかった。むしろ、若いのに偉いなぁと感心した。見習いたいと思った。

 

去年読んだ吉村葉子さんの『フランス流 お金をかけずに豊かに暮らす方法』にも、フランス人の多くはチープ&シックに人生を謳歌して暮らしている、とあった。類似の本もよく売れているらしい。お金をかけずにシックに暮らすのは近年の流れのようだ。家計の苦しい我が家にとってありがたい流れではある。

 

しかし、ネットやテレビ、新聞や雑誌にも溢れる広告では、高価で素敵なものの写真が輝き、惹句が躍る。華やかな時代を知っているだけに、「いいものはいいよね」と心が揺さぶられる。情報もほどほどにしないと身が持たない、とばかりに、最近はシャットダウンする時間を多くとるようにしている私なのだった。煩悩との闘いは続く。