一筋の光、降り注ぐ光。

人生はなかなかに試練が多くて。7回転んでも8回起き上がるために、私に力をくれたモノたちを記録します。

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「瞳の面影」を聴きながら―西城秀樹さんを追い続ける日々

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「瞳の面影」という歌をほぼ毎日のように聴いたり、口ずさんだりしている。フランキー・ヴァリの名曲を西城秀樹さんがカヴァーした、美しいバラードだ。美しすぎて、気がつくと、涙が頬を伝っている。いつものことだ。

 

西城さんが遠い世界へ旅立たれて、4か月以上がたつ。喪失感は、形を変えながら今も続いている。

 

寂しい気持ちはある程度、落ち着いてきた気がする。しかし、何とも言えない哀しみと恋しさが、日を追うごとに深まっていくようなのだ。辛いのだけど胸は温かく、涙にくれながらも優しい気持ちになる。体験したことのない感覚。一体これは何なのだろう。

 

過去の歌を聴いたり動画を見たりして、私の覚えているHIDEKIをなぞり、私の知らなかったHIDEKIを知っていく日々。いつも彼を追っている。

 

お母さんはオタクなんだね、と先日、24歳の娘に言われてしまい、ちょっと笑った。そうだね、お母さん、HIDEKIオタクになったのかもしれない。

 

小学生のテレビゲームよろしく「HIDEKIのことは1日1時間までにします」などと言っていたら「いいじゃない、好きなだけやれば」と優しい娘。(笑)


動画を見て泣いてしまい「ありゃりゃ、ごめん、変だよね、私」と言ったら、夫まで「そんなの。好きなだけ泣けばいいさ」と言ってくれた。(甘えさせていただいてます)

 

西城秀樹さん。
16歳で上京、17歳直前でデビューして、63歳まで、46年もの間、ずっと芸能界の第一線で活躍されてきた。画家で言うところの「画業○○年」に相当する言葉が、歌手にもあるのだろうか。とにかく生涯現役で、大スターでいつづけるということは、本当に凄いことだと思う。

 

「西城秀樹が好き」と言うとき、相手がどの年代の「西城秀樹」を思い浮かべてくれているかは、いつもとても気になる。例えば10代のあどけなさの残る彼の姿や歌声(でも洋楽カヴァーでは思い切りロックしてる)と、30代の洗練されたそれとでは、全くイメージが異なる。もちろん、どの年代も本当に魅力的なのだけれどね。

 

以前にも書いたが、私がHIEDEKIに夢中になっていたのは、遠い遠い思春期の頃。1973年2月発売の「青春に賭けよう」(デビュー1年後くらい)でドキンとし、5月の「情熱の嵐」で恋に落ちた。(よくあるパターンみたいです)

 

「ちぎれた愛」「愛の十字架」「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」「涙と友情」「この愛のときめき」「恋の暴走」「至上の愛」「白い教会」

 

このあたりまでかな。レコード屋さんに3カ月に一度、走って行ったと思う。当時はそれくらいのペースでシングル曲を発売していたから。で、私は高校受験を機に、HIDEKIを卒業しようと自分で決めたのだった。

 

この後、1976年に入ってからの「君よ抱かれて熱くなれ」「ジャガー」「若き獅子たち」は、西城さんの「青年3部作」と言われている。西城秀樹を少年から青年にしようと、作詞家に阿久悠を起用、以後しばらく、阿久悠・三木たかしコンビの曲が続く。まさにその頃、HIDEKIを離れてしまった私は、少年期までの彼を愛していたことになるのね。

 

でも、テレビをつければ彼はそこにいた。少しずつ大人になって、いつもキラキラ輝いて。だから、その後のヒット曲もたくさん知っているし、ずっと好きだったし、活躍を見て嬉しかった。ただ、80年代になると自分がテレビをあまり見なくなったこともあって、彼の曲をよく知らない。90年代も、2000年代も、ネットで初めて知った曲がほとんどだ。そう、訃報後に・・・

 

アルバムも100枚以上出していて、その中にも素敵な曲がいっぱいあることを知った。YouTubeを開けば、お宝音源や動画が綺羅星のようにアップされていて、私は自分の知らないHIDEKIに驚き、改めてその素晴らしさを実感している。というか、圧倒されている。

 

音源や動画のアップも、これ、加速度的に増えているのではないだろうか。人気があるのはもちろんだが、それだけデータがあるということで。

 

歌謡界全盛期の国民的スターであったということは、しかも46年間も活躍されたということは、こういう膨大な宝物を残してくれるということなのか!(掘れば掘るほど出てくる・・・)

 

彼の素晴らしさは音楽だけにとどまらない。歌唱力や表現力がずば抜けているだけでは、こんなに多くの人に愛されないだろう。恵まれた容姿ももちろんあるけれど、やはり、人柄、人格なのだと思う。

 

数多くの後輩に慕われている様子はよく伝えられているが、彼は10代の頃から父性を感じさせるものがあった。

 

思春期の私は、彼をただ「カッコイイ!」と憧れただけでなく、いつも守ってくれそうな信じられるお兄さん、という目で見ていた。それでいて時折見せる、寂し気な瞳が幼い母性をもくすぐった。だってHIDEKIはまだ、18歳くらいだったのだものね。心細い、不安な思いもあったことでしょう、多分、たくさん。

 

冒頭で書いた「瞳の面影」で、HIDEKIと綺麗にハモっているギタリストの芳野藤丸さん。藤丸バンドでHIDEKIのバックを務めていた頃のエピソードを書いてくれた記事があり、その中で、ファンの多くは女子中学生や高校生だから、彼は保護者のような目で見ていたと回想していた。そうでしょうとも、と思い、また泣けてきた。

 

先日入手したDVD『ブロウアップ ヒデキ』では、20歳の彼が歌い、叫び、踊り、語っている。月並みだけど、青春がほとばしっている。43年前のステージとは思えないキラキラ感。スタイリッシュで可愛らしく、礼儀正しく、優しく、激しく、切なく、この世の人とは思えないほど美しい彼。そして抜群に歌が上手い。

 

ライヴで彼の作り出す世界観は、テレビの歌番組とは比較にならないスケールだ。私の魂も時間ごとごっそり持って行かれた気がする。クラクラするようなこの感覚を、どういう思いで受け止めたらいいのかわからない。

 

自分の娘よりも若い20歳の彼を「そんなに走ったら転ぶよ」と、ハラハラ見守る50代の自分がいるし、優しく美しい素敵なお兄さんにときめく中学生の自分もいる。そんなのが同時に存在するわけで、本当に混乱する。

 

どう表現したらいいのかわからない、この不思議さといったら。そして、もう彼はいないのだという思いに至れば、自分が存在することすら現実味がなくなってくる。

 

誰かと共有したい気持ちで、YouTubeの動画のコメント欄とか、掲示板などもそっと見ている。で、自分と同じような気持ちでいる人が多いことに、喜びと感動を覚える。私のように戻ってきたファンは「ブーメラン組」と呼ぶそうだ。

 

ブーメラン組の切なさは、ファン歴46年の方々や、訃報をきっかけに新規でファンになってくれた方々とはまた違う、贖罪の意識もある。一番大変だったときに、支えてあげられなくてごめんなさい。リハビリの頃のお姿を見るのが辛く、目を逸らしてしまってごめんなさい、という・・・。そして、いつも、いつだって、努力してきた貴方をリスペクトし、まぶしく見上げてきたのです、と。貴方は昔からずっと、本当に、身も心も美しい人でした、と。

 

同世代ファンの想いは複雑で、それぞれの人生も反映されていて。私はついつい自分と重ね、感情移入してしまう。刺さる言葉を見つけては、涙して、時に嗚咽まで。でもやめられない。(これをヒデキ沼と言うそうです)

 

まあでもね、前述の24歳の次女に「お母さん、綺麗になったんじゃない?」と言ってもらえたのは嬉しい。傍から見たら滑稽でも、きっと私の救いになっていると思うのだ、この沼は。

 

切ないし、オタクかもしれないけど、宝物を見つけ直したような喜びがある。自分の知らなかった大人世代のHIDEKIを知って、初めて聴く曲に心打たれたり、これまであまり興味を持てずにいた楽曲にも魅力を感じてきた。今ではどの世代の彼をも絶賛したい。

 

・・・ただ。
やっぱり私は、私が一番夢中になっていた頃の彼を、今でも一番愛おしんでいると認めざるを得ない。HIDEKIは、それでいいと許してくれるだろうか。

 

最近は、向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」を見て懐かしんでいる。昔、見ていたはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない私。子どもだったんだね。HIDEKIが演じる周平君が、年上の親戚の女性にほのかな恋心を抱く23話、24話は、まるでフランス映画のようだ。ライムとかレモンとかの香りがしてくる。本当に素敵。

 

おばあちゃん役の樹木希林さんも、先日神に召された。今頃、周ちゃんとばあちゃんは、あちらでじゃれ合っているのかな。

 


・・・ああ、お彼岸ですね。仏花も良いけれど、彼に捧げるお花はやっぱり・・・深紅の薔薇かな、と思いました。

 

精油の力で、心のダメージを手当てする

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大暴れの台風21号がひどい爪痕を残し、ようやく去ったと思ったら、今度は北海道で大きな地震。テレビの映像を見て、茫然としてしまった。

 

大阪府北部地震、西日本豪雨もついこの間のこと。短い間にこんなに何度も被災するなんて、私たちはなんて危なっかしい国に住んでいるのだろう。

 

亡くなられた方、ご遺族の方には言葉もないし、日常を奪われてしまった方たちにも、掛ける言葉が見つからない。それは明日の私かもしれない。何万分の一にもならないけど、恐怖と苦しみ、悲しみを共有しようと想像するだけだ。

 

その何万分の一でも、ニュースで知る被害の数々に慄き、涙が出る。胸が痛み、頭が締め付けられる。あの、東日本大震災のときと同じだ。

 

ひとつ深呼吸して、落ち着こうと思う。私が苦しんだって、被災された方たちが喜ぶわけがない。手を合わせお見舞いの言葉をつぶやき、ホ・オポノポノの4つの言葉を重ねる。

 

自分が被災したわけでもないのに、心はダメージを受け、ちょっとウツっぽい。それで、昨夜はいつもより丁寧に、心の手当てをした。

 

私の手当ての方法は、アロマセラピー。ディフューザーによる芳香浴をしながら瞑想し、精油をブレンドしたオイルを使ってセルフマッサージ(アロマトリートメント)をする。

 

エッセンシャルオイルとの付き合いも、かれこれ3年。アロマセラピーは本当に奥が深いので、もっともっと勉強したいとは思っているのだけど、つい後回しにしてしまって。とりあえず数冊の本を参考にして選び、自分なりに組み合わせて楽しんでいる毎日だ。

 

精油は芳香成分はもちろん、天然の薬効成分がぎゅっと詰まっている。だから、ただ良い香りに癒されるだけでなく、心身に効く良い成分が鼻腔から大脳へダイレクトに届き、また、気管、気管支、肺にも吸収される。アロマトリートメントなら、加えて皮膚からも吸収される。こうして薬効成分は毛細血管やリンパ管に入り、全身に運ばれるということだ。

 

基本的な取り扱い方と、それぞれの精油のプロフィールを知れば、魅力的な自然療法を誰もが手軽に、自分で自分に、あるいは大切な人に施すことができる。

 

私の“魔女のクスリの小箱”も、3年前に比べるとなかなか充実してきた。リピートする子も増えてきたしね。(欲しい子も増えてきたけど)

 

ストレスや緊張を緩めてくれるラベンダーや、落ち着きを取り戻してくれるゼラニウムは、いつもそばに置いておきたい精油。スキンケアにも良いそうで。

 

最近のお気に入りは、フランキンセンスとシダーウッドの組み合わせ。そこにベルガモットを加えるのも好き。安らぎと静かな自信をもらえる感じで、上品な香りのバランスも、とても心地良い。

 

イランイランの甘い香りは強いので、ほんの1滴で充分。包み込むように不安な気持ちを和らげてくれる。スウィートオレンジも心を明るくしてくれるから外せない。本当はローズが一番好きだけど、あまりに高価でなかなか買えないのが残念だ。

 

リフレッシュしたりパワーをもらえたりする精油も良いが、今は抗うつ作用のあるものを中心に愛用している。心の奥の方まで、静かに優しく届き、痛みを癒してくれるのが、どんな薬よりも安心で幸せ感があると思っている。

 

思えばこれまでどれほど、そんな精油たちを頼ってきたことだろう。もっと早く知っていれば、生活に採り入れていれば、もしかしたらあの頃、心を病むことはなかったかも?などと考えてしまうほど。今は早めのケアができるようになったから、とても心強い。

 

長女がわが家へ来るたびに、「このうちはいつも良い匂いがするよね」と言ってくれるのも嬉しい。玄関に置いたアロマストーンに垂らしたゼラニウムや、洗面所やキッチンで日常的にスプレーしているスウィートオレンジやローズマリーなどのエアフレッシュナーのおかげだろう。あるいは、ディフューザーで毎日ミストを出しているから、お香を焚き込めたようになっているのかな?

 

もうすっかり私の暮らしに欠かせなくなっている精油たち。人工的なものにはない自然な香りに癒され、有効成分を心身の健康や美容に活かせるアロマセラピー。まさにセラピー(療法)だ。

 

多分、今、すごくすごく助けてもらっているよ、私。そして、きっとこれからもね。


 ◇アロマについて、過去に書いた記事

tsukikana.hatenablog.com

tsukikana.hatenablog.com

 

 

一眼レフと私

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8月もあと10日ほど。朝晩涼しくなり、日毎に秋が近づいて来るのを感じる。

 

義父の一周忌法要も滞りなく済み、我が家に泊まっていた長女一家も帰っていき、ここ2週間ほどの忙しさをぼんやりと振り返る。1歳4か月の孫娘が遊んだ積木やぬいぐるみを片付け、愛らしい笑顔を早くも懐かしみながら、でもやはり戻ってきた日常にホッとしている。

 

手元にはミラーレス一眼のカメラ。せっかく買ってもらったのに、その後忙しすぎて、まだちょっとしか触れていない。

 

いや、大丈夫。外に出やすくなるこれからの季節、いろいろ試して好きな写真をたくさん撮りたい。

 

私は30年くらい前、小さな出版社でグルメ系フリーペーパーの記者をしていた。当初はカメラマンと組み、彼のランクルに同乗し取材に飛び回っていたのだが、ある日、編集長にこう言われた。

 

「これからは、つきかなさんが写真も撮ろう。クルマも買うから(軽だけど!)一人で取材に行ってね」

 

要するに経費節減。カメラマンに撮影を頼めるのは表紙と特集ページに限られてしまった。そして、私はペーパードライバーを返上して運転することになり、会社にあったニコンの一眼レフを覚えることになってしまった。

 

今では編集長に感謝しているが、当時は本当に面食らい、紙面完成度の低下を恐れて、仕事を取り上げてしまった形の当のカメラマン(強面だけど本当に優しい人だ)や、カメラの得意な同僚や仲間のデザイナーに聞きまくりながら、自分でも一眼レフを買って練習した。

 

もちろんスマホも携帯電話もない時代。それまでは、インスタントカメラしか持っていなかったけれど、写真を撮るのは好きだった。だから、一眼レフの魅力にも瞬く間にはまり、面白くてたまらなくなった。

 

そのフリーペーパーの印刷をお願いしていた会社の担当さんが、写真撮影を趣味にしていると聞き、それなら休みの日に一緒に撮りに行きましょうかという話になり、よく牧場や海などに連れて行ってもらった。

 

レンズを付け替えたり、絞りやシャッタースピードを変えてみたり。いろいろな表現力がある一眼レフにどんどん夢中になり、仕事で撮るだけでは物足りず、ついにはグループで写真展を2回、するまでになった。ちなみに、その担当さんが今の夫である。

 

結婚し、娘たちが生まれ、彼女たちが被写体になることが増えて、いつからか我が家でもデジタルのカメラが主流になっていき・・・使われないままのリバーサルフィルムの箱が埃をかぶっていった。

 

今ふと、あの巻き上げ式のニコンを懐かしく思い出す。135mmのレンズを愛用していたっけ。ああ、ニコンのシャッター音が好きだったなあ。

 

年月は流れた。10年近く前、新聞社で記者をしていたときには自分のデジタルカメラを使っていたが、今はもうそのデジカメさえどこかに仕舞い込まれたままだ。

 

いつしか私、スマホのカメラでしか撮らなくなっている。なんてことだ、そのスマホにしたって、機能を十分に使いこなせていない。

 

「あなたは写真を撮る人だと思うんだ」

 

そう言って、この夏、夫が買ってくれたオリンパスのPEN。小さくて可愛いけれど、このちょっとした重みに安心感を覚える。カメラって、やっぱりこう構えるものだよね(ファインダーはないけどね)。

 

これから、いろんな所へこの子を一緒に連れて行きたい。旅にも出たい。つい、スマホの手軽さに手を伸ばしてしまいがちだけど、本当に「撮る」モードのときは一眼がいい。絶対に面白いから。

 

で、面白くなるためには、まず操作を覚えなくてはならない。PENのマニュアル本も2冊買ってもらっている。が、パラパラと見ながら不安になるのだ。

 

いろんなことをメンドクサがりながらここまで来てしまった今の私に、こんなにたくさんのこと、覚えられるのかな。

 

が、がんばろ!

 

被写界深度、なんて言葉、ホント、懐かしいな。まずはスマホでは撮れない、キレイな背景ボケをマスターしたい。一応、強い意欲はあるのだ。

 

このカメラをつきかなに買ってあげようと思ったときの、夫の気持ちを想像してみる。彼にとっての「こうあってほしい」私像は、多分、私自身にとっても「こうありたい」私像なのだと思う。そこをサボって、錆びかけていた。

 

少しでも輝きを取り戻したいと思うよ。その気持ちへの感謝とともに。
さあ、何を撮ろうかな!

 

フランスへ行きたい、は魔法の言葉

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夏バテっぽい。なんとなくブルーで心が弾まず、おまけに左の膝の痛みが続く。これはあまりよろしくないかも。

 

今年の夏は、早くから猛暑・酷暑で、この地方では39度を超えた日もある。暑すぎて、買い物に行くのも大仕事だ。それどころか、ベランダに出るのも苦痛で、植物たちに水遣りするのが精いっぱい。10分も外に出ると、頭がガンガンしてくる。朝でも夜でも、ベッタリとした熱風が吹き付ける。

 

だから、ここ数週間はほぼ家にこもっている状態。身の安全のためにはそれで良いと思うが、なかなか心が楽しめない。5月のダイアリーを読み返すと、

 

もっとバードウオッチングしよう!
いろいろ勉強しよう!
毎日クリエイティブなことをしよう!
筋力をつけたい!

 

など、前向きな言葉で溢れているのに。…ああ、2カ月前の自分に嫉妬してしまう。

 

こもっているとは言っても、これで結構やることが多く、家では忙しく過ごしているのだ。毎日、筋トレとストレッチもしているし、それなりに家事もして。仕事の調べものをしたり、暑中見舞いを書いたり、刺繍をしたり、本を読んだり、映画を観たり。ああ、今日もいろいろ頑張ったな、こなせたな、と思っていつもベッドに入るのだけど。うーん。

 

とにかく暑すぎるのだ。本当に恐怖を覚えるほどで、まずそこにショックを受けているのかもしれない。そして膝の痛み。やっぱりクリニックへ行くべきかという迷い。(とっとと行けばいいのに、暑い中を十数分歩くことにすら恐れをなしている私)

 

もひとつ言えば、原因としてヒデキロスが、結構あるのかも。いつまでも続いているというか、だんだん重くなっているというか。これほどまでに好きだった?と自分でも意外なほど。何なんだろうこれは。恋をやり直しているのかなあ。

 

YouTubeで若い頃の彼の姿をUPしてくれる人が増えてきて、つい見入ってしまい、懐かしく悲しく、ベソベソと涙を流す。同時に何故か甘やかな幸せも感じていて。それがとても不思議なのだ。

 

西城秀樹さんという方は、本当に凄い。素晴らしい。もう称賛の言葉しか思いつかない。(いっぱい並べ立てたいけど、恥ずかしいからここではやめておく)

 

動画に寄せられているコメントを読んでウンウン!と共感したり、同じ思いの人がたくさんいるんだ!と嬉しくなったり。そうなの?と感動したり。胸が震え、感情が揺さぶられ、ウルウルして勝手に疲れている。

 

そんな(心の)夏バテぎみな私なのだが、実は今、ときめくフレーズがひとつあって。それは「フランスへ行きたい」という魔法の言葉。

 

そもそも、昔からずっとフランスには行きたかった。ほんの数週間でいいから「パリ暮らし」というのをしてみたかった。そこを基点に、フランス内のあちこちを旅するのが夢だった。でも、思っている間に、どんどん年月は流れていって、私の本気度はその程度なのかもねー、なんて諦めかけていた。

 

それが、2016年の秋から何となく録画して見始めた、NHKの「旅するフランス語」で、フランスへ行きたい思いが再燃したのだった。と言っても、その頃は気持ちがよみがえっただけで。

録画したものとテキストを照らし合わせながら真面目に勉強しだしたのは、それこそ、この5月から。2016年10月~2017年3月のものと、2017年10月~2018年3月のものを教材とし、週末を除きほぼ毎日、約1時間、フランス語に向き合っている。

 

いやいや、その教材でその程度の時間では、フランス語を勉強しているとはとても言えない。

 

そう。そうなんだけど。それはわかっているんだけど、私にしては毎日続けているということが大前進で、ここへきて自分の本気度を信用できそうになっているのだ!

 

毎日フランス語に触れて「フランスへ行きたい」という言葉を口にすると、不思議なくらい、胸がときめく。こうして毎日親しんでいることで、引き寄せて「実現しちゃうかも」と思えてくる。思うに、フランス語を勉強しているというよりも、フランス行きを引き寄せているつもりなんだろう。だから、「覚えられない~」とぼやきながらもすごく楽しい。

 

フランス語の響きが、とにかく好きだ。自分で発音するのは難しいし、文法も難しいけど、毎日触れていれば、いつか少しはあの響きで、簡単な日常会話ならしゃべれるようになるかもしれない。「うん、そうなるよきっと」と自分を応援している。「そして、フランスへ行こうね」と。

 

語学番組はあまり見たことがなかったのだけど、「旅するフランス語」は支持、不支持、大きく分かれる番組だろうな。

 

私は、旅人としてパリや南仏を訪れる設定で学んでいく形が、とても見やすいと感じた。お洒落なカフェやレストラン、歴史あるロマンチックな通りや建物、アートや芸術家を通しての町の紹介、そして今を生きる魅力的なフランスの人々の言葉と笑顔に、「ああ、いいなあ。素敵♡」と、毎回楽しい気持ちになる。

 

旅番組的な要素が強いんだと思う。それで私は親しめるのね。ポエム的な世界観も結構、好み。常盤貴子さんも好きな女優さんだし。テキストの巻末にある読み物も、ちょっと知的好奇心をくすぐってくれる。

 

というわけで、どこにも出掛ける気になれないこの夏の(ちょっとザンネンな)私を、唯一、外向きにさせてくれるのが、「フランスへ行きたい」という思いと、それを支えてくれる常盤ちゃんの番組なのだった。

 

で、今、気づいた。私がフランスに憧れを感じ始めたのは、遠い昔、HIDEKIが「傷だらけのローラ」のフランス語バージョンを歌った頃だったかもしれない……。あぁ……。

 


と、ここまで書いてきて。ちょっと時間がたって。

 

昨日は曇りがちだったせいかそれほどまでの暑さではなく、夕方ベランダに出て、暑さにやられたハーブたちを切り戻すことができた。

 

窓越しに枯れた枝を見てずっと辛かったから、スッキリできて気持ちが少し楽になった。そして、枝を切るとき、枯れてもなお心地よい香りを放ってくれる彼らに癒され、申し訳なさと愛おしさを感じた。ずっとお世話してなくて、ごめんね。

 

酷暑はもう結構。早く涼しくなってほしい、本当に。
そして、今日は台風12号の進路を警戒している。なんとも大変な、夏である。

 

荒ぶる自然への畏怖、被災地への思いに向けて4つの言葉を

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梅雨が明け、厳しい日差しの日々がやってきた。向日葵の明るい黄色が青空に映えるけれど、どこか悲し気に見えてしまう。

 

毎朝、西日本豪雨の被害状況を見聞きするにつけ、胸が苦しくなる。とりあえず今の私にできることは、義援金を送ることと、ホ・オポノポノによるクリーニングをすることだ。

 

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

 

自分の中に湧き上がる「ひどい。悲しい。あんまりだ。気の毒過ぎる」という感情に向けて、ひたすら4つの言葉を降り注いでいる。まず自分の内側に平和を取り戻すことが大切だと信じて。

 


ポノを実践して3年目。嬉しいシンクロニシティやちょっとしたミラクルが増えてきて、毎日を幸せと感じられるようになってきた私がいる。

 

でももちろん、いろいろな出来事がある日常では、ネガティブな感情も度々立ち上がってくる。ただ、昔よりその頻度は減り、解決までの時間も短くなっていると実感しているのだ。

 

クリーニングが習慣になっているからなのかな。多分、ネガティブな感情に対して反射的に、まず客観的にそれを眺められるようになってきたからだと思う。繰り返し行うことで、訓練されてきたのだろう。

 

ああ、私、今、落胆しているな。
この感情はきっと、嫉妬だよね。
なんだかないがしろにされてる気がして怒ってるのか。
仲良しの輪の外だと思ってしまって、寂しいんだね。

 

落胆とか嫉妬とか、怒りとか寂しさとか…。
今、痛みを感じているその感情に名前を与えると、クリーニングがしやすくなる。ただなんとなくモヤモヤ、イライラを胸に抱えているときよりも、数段。それは最近、気づいたことなんだけど。

 

ネガティブとまでは言えないような焦りも、期待も、判断もクリーニングする。

 

すると、私がこうなってほしい、こうしたい、と想像していたはるか上を行く感じで、シンクロニシティやミラクルは起こり、いつの間にか問題はきれいに解決していく。無理のない、とても穏やかな形で。自分では考えもつかないようなコースで。そんなことが本当に多くなった。

 

実は最初のうちは、ポノのおかげかどうか半信半疑だった私。けれど今は、クリーニングすることによって、自分が本来持っているはずのパーフェクトな流れにうまく乗れたんだな、と、理屈でなく肌で感じられるようになった。

 

ホ・オポノポノとは、「物事を正す」という意味とのこと。人は本来、パーフェクトなタイミングの波に乗って、いのちを輝かせることができるように出来ている、というのがポノの考え方のようだ。妨げてしまっているもの(太古からの膨大な記憶)を、クリーニングし続けることで、本来の完璧な流れと自由を取りもどせるのだ。

 

もしかしたら、ポノをしていなくても問題は同じように解決していたかもしれない。過去はやり直せないので、それは検証できないのだけど。

 

ただ、以前の私は、問題が起こると慌てて、何とかしようともがくことが多かった。早くこの苦痛から逃れたい、そのためにはどうしたらいいの?とばかりにジタバタして、結局さらにこじらせたりしていた。苦しかった。

 

今は、とても気持ちが楽だ。何か問題が起きても(歓迎はしないが)、ポノがあるから慌てなくていい、「ほら、頑張らなくちゃ!」と自分を追い立てなくていい、そう思えるだけで、明日も怖がらずに生きていける。

 

私が本当に怖いのは問題そのものではなく、問題が起きた時に狼狽して上手く対応できないんじゃないか、という不安なのかもしれない。健康上のことも、経済的なことも、離れて暮らす老親のことも、自然災害のことも、そして愛する者との死別、自分の死についても。

 

もちろん今も、それらの問題に対応できる自信はない。でも、ポノとともに日々を丁寧に生きていけば、先々起こることにいたずらに怯えながら過ごさずに済む。そして、ポノとともにあるというのはウニヒピリ(私の中のもう一人の私、潜在意識をポノではこう呼ぶ)を尊重しながら生きるということで、そこに難しさはなく、むしろとても楽しいし、機嫌よくいられるのが嬉しい。

 

 ※ウニヒピリについてはこちらでも書きました。

  今年もウニヒピリとともに
  

ところで、夢とか目標とか、持った方が良いと一般的には言われていることについても、ポノではクリーニングするのだそうだ。

 

望んでいることが自分にふさわしいかどうかはわからない。だから、夢や目標に対する思いをクリーニングすることで、望んだ夢へと導かれるか、あるいはその夢への思いが変わっていくのか、いずれにしても正しい道に導かれるのだと言う。

 

私は私でしかなく、他の誰にもなれない。なろうとしなくていい。本当の自分を生きることが、本来の流れであり、幸せはそこにある。…ポノに出会うまでは、そんな考え方を知らなかった。

 

でも、そう考えてみると、これまでギュッと握っていた「こうなりたい」「こうしたい」という大小の野望(笑)から自由になれて、かたくなさから解放されて、すごく軽くなれるような気がする。

 

手放すことは心地良い。まだまだ、道半ばだけれど。(溜め込んだ煩悩をひとつづつ消しているところ笑)

 


さて、今は被災地の痛みを自分の問題として捉え、4つの言葉と「アイスブルー」という言葉で、クリーニングを繰り返している。

 

ポノを実践しているといっても、私はクラスにもセッションにも行ったことがなく、ただ「ホ・オポノポノ手帳」を愛用し、何冊かの書籍を読んだだけのビギナーである。どれほどのクリーニングができているか心許ないが、とにかくシンプルにやっていこうと思う。

 

いや、もっとクリーニングツールを増やした方がいいのかな。その方が各々の状況に合わせた丁寧なクリーニングができるのかな。実は、迷っているところである。

 

それにしても、西日本各地の豪雨被害はあまりにもむごい。これからの酷暑も、本当に心配だ。台風も増える季節。荒ぶる自然を前に立ちすくむ。…私たちは何かに試されているのだろうか。

 


ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

 

少女時代の忘れものを胸に抱いて―西城秀樹さんと少女マンガ

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梅雨空には紫陽花。と、すぐにセットにしがちだけれど、真っ白なクチナシの花も雨によく似合う。どこからか香ってくれば、思わず周囲を見回して探したくなる。なんとなく、異世界から呼びかけてくるような、ちょっと神秘的な甘い香りだ。

 

じわじわと、くる。
5月16日に彼が亡くなって、もう1カ月以上が過ぎた。西城秀樹さん、享年63歳。

 

訃報を聞いたときはもちろんショックだったけど、それでも、遠い昔に好きだった芸能人が他界してしまった、という程度の認識だった。こんなに後から後から、彼の歌声が、歌う姿が、胸によみがえってくるとは思わなかった。

 

気がつけばYouTubeで彼の歌う姿を追い、涙を流している。なんと、私の手の中で彼は歌う。スマホの振動が、彼の命の拍動のようで切ない。HIDEKIの思い出…。ただし、10代の…。

 

思春期の頃、レコードを何枚も買った。テレビの歌番組で姿を追った。映画『愛と誠』を観に行った。

 

でも、ファンクラブに入らず、コンサートにも行ったことがない私など、コアなファンの人たちの足元にも及ばないだろう。ただ、彼が歌う姿を見ることが、声を聴くことが、地方に暮らす冴えない一中学生の日常を輝かせてくれていたことは間違いない。彼のまぶしい笑顔が大好きだった。

 

中学3年生になって、受験を前に「もうHIDEKIを卒業しよう」と決意したことを覚えている。勉強しなくては、という気持ちもあったけれど、あまりにも人気者になり過ぎた彼に好意の寄せ方がわからなくなってきた、ようだった気がする。

 

高校生になり、テレビに出演する姿やCMを見れば、やはり素敵だな、美しい人だな、と思っていたけれど、レコードは買わなくなっていた。20代の彼は、もう私をときめかせてくれた人とは違う人になっている気がしたし、ハイティーンになった私は他のたくさんのことに興味が広がって忙しかったり、リアルな恋もしたりで、だんだんテレビも見なくなっていった。

 

だから、彼の代表曲のように言われている「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」も、私にとっての彼の代表曲ではない。大ヒットしている頃、「うーん、それはあんまり好みじゃないかも…」なんて思っていた。ごめんなさい。


(私にとっては「薔薇の鎖」「恋の暴走」あたりがベストかな。小6のとき「青春に賭けよう」で彼を知り、なんてピシッと振り付けをキメる人なんだろうと驚いた。初めて買ったレコードは「情熱の嵐」)

 

こんな風に、年齢が上がってアイドルから離れていく女の子って多かったんだろうか。今はどうなんだろう。私は薄情だったのかな。

 

パッと出て、すぐに消えていく歌手が多い中、西城さんはずっとスターだった。だから、私が30代になっても40代になっても、ふとテレビを見ていてその姿をみとめることも多かった。

 

ああ、元気に活躍しているね、HIDEKI。
やっぱり圧倒的に歌が上手いね、さすがだわ。

 

そんな風に、60代になっても70代になっても、ときどき遠くから活躍を見ていられると思っていたのに…。

 


ところで。
今週、すごい本を読んでしまった。萩尾望都さんの『私の少女マンガ講義』(新潮社)だ。イタリアの大学での少女漫画講義と質疑応答、インタビューの収録、そして創作方法や自作関連エピソードなど、盛りだくさんの興味深い内容に夢中になった。

 

中でも、日本の少女漫画史を、とても詳しく丁寧に、愛情込めて語る様子に感銘を受けた。黎明期から現在に至るまでの他の作家たちの作品を多数取り上げ、日本の少女漫画がどのような変遷を辿ってきたかを、他国の学生にわかりやすく紹介している。日本文化や少女漫画の研究者ではない、現役の漫画家である萩尾先生がだ。その知識の広さと考察の深さといったら!

 

読みながら、どうしようもなく懐かしい気持ちになった。そして、それを心地よく感じていた。里中満智子、わたなべまさこ、浦野千賀子、望月あきら、山岸涼子、池田理代子、山本鈴美香、いがらしゆみこ、美内すずえ……etc。知ってる、知ってる。私、読んでた!

 

内気な小学生が、自転車を飛ばして、商店街の本屋さんへ急ぐ姿が見える。「別冊マーガレット」の発売日なのだ。あのお話の続きを早く読みたい。読み終わったら「リボン」を買ってるあの子と貸しっこしよう。漫画は、少女マンガは、いつも私を待っていてくれる夢と冒険の扉だった。

 

あんなに楽しい世界を、どうして捨ててしまったんだろう。多分、「漫画なんて子供の読むもの。中学生になったのだからもうやめなさい」的なことを親に言われたのだと思う。私自身も、あの派手な配色の背表紙が自分の本棚を占めていくことを、ちょっとカッコ悪いと思い始めていた。

 

でも、子供っぽいお話ばかりでなかったのは確か。今も鮮やかに思い出す、素晴らしい作品も多かった。萩尾作品のように、作家の豊かな教養に裏付けられた芸術性の高いものもあり、少女マンガは決して、絵のない文学作品に劣っているものではないと、今ならわかる。

 

だから、いくつかの作品は大人になってから単行本を入手しているし、私の娘たちの少女時代には、彼女たちが漫画に夢中になるのを注意したことはなかった。

 

今、朝のNHKのドラマ「半分、青い。」で、主人公は漫画家として奮闘している。このドラマがとても面白くて、萩尾先生の本に出てくる“若い作家たち”の一人なんだね、などとリンクさせて楽しく見ている。

 

そして、漫画に夢中になるのを終わりにしようとした私、HIDEKIのファンであることを卒業しようとした私。背伸びしたあの中学生の頃を甘酸っぱく思い出しているのだ。そういえば、西城秀樹さんも少女マンガから抜け出してきた王子様のようだった。

 

ためらいながら置き去りにしてきた、少女時代の忘れもの。少しの悔いと、申し訳なさ。そして、たくさんの懐かしさと感謝。それらを花束のように胸に抱えてみる。

 

かつて自分が憧れ、心を泳がせていた世界を、もう一度心によみがえらせてみることは、ひとつの癒しになるものなんだなと思う。多くの年月を重ねたけれど、まだよみがえらせることができるんだと、安心しているのかもしれない。クチナシの香る風を感じながら。

 


追記:今、Wikipediaで「西城秀樹」の項目を読み、これほどまでに凄い人だったんだと、正直、圧倒されています。知らなかったことばかり。書いてくださった方、ありがとう。
そして改めて、西城秀樹さんの素晴らしい63年の人生を称えたいと思います。合掌。

 

まずは自分のからだの声を聴こう

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ちょっとした繕い物をした。ほんの15分ほど、畳に座って膝の上で。終わって立ち上がろうとしたら…動けない。膝が固まっている。

 

びっくりした。これが、年を取るということか。こんなことで、立ち上がるのにも苦労するんだ。5分ほどかけて、ゆっくりと元に戻る私の体。膝だけでなく、腰もなかなか伸びない。哀しくなってくる。

 

でもさ、と思い直す。当たり前のことじゃん、トシなんだから。何歳だと思ってがっかりしてるの?(笑)

 

ここで、情けないわーとか、もういやだわー、とか嘆き落ち込む必要はないし、そんなネガティブな気持ちを引きずることこそが、自分を貶めてしまうことにつながる。何十年も頑張ってきてくれた自分のからだに対して失礼だ。

 

膝と腰に掌を当てて、私は心の中で謝り、感謝する。

 

ごめんね、15分も同じ姿勢でいて。
ありがとう、また元通りになってくれて。

 

ここ数年、からだの声に耳をすませるようになった。繰り返し意識してそうしていると、どうしてほしいのかがわかってくる。

 

歩き過ぎだよ。後でふくらはぎをマッサージしてよね。
もう2時間も椅子に座ってるよー。腰を伸ばすストレッチをして。
また猫背になってる。首が痛いよ、姿勢正して。

 

ごめんごめん!教えてくれてありがとう。
からだにそう伝えて、素直に従う。からだは、食べすぎや寝不足などについても、サインを送ってくれる。そして、ふと思うのだけど、私は若い頃よりも病気をしなくなっている。

 

まあ、私の若い頃というのは、やせ我慢とかっこつけで出来ていたようなものだから、からだにも随分無理をさせていた気がする。

 

徹夜で仕事してボロボロでも、ユンケルとか飲んで「全然平気」みたいな顔をして、クライアントの所へ行く。クタクタなのに、仕事仲間との飲み会ではハシゴもしてしまう。深酒もする。そうだ、タバコも吸っていた。…からだ、イジメスギ。

 

若い頃は、あんまり長生きしたくないし、長生きできないだろうなーなんて、自分のことなのに、他人ごとみたいに思っていた節がある。今も特に長生きしたいとは思わないけど、長生きしちゃうかもしれないなーと、何となく思う。

 

人生100年時代なんて言われている。私はどんなふうに老いていくのかな。長患いで苦しんだり、人に迷惑をかけたりせずに、寿命を全うできたらいいのだけど。でも、先のことをあれこれ思い煩っても仕方ない。

 

私は、もう何十年もお世話になっているこのからだと、最期まで仲良く付き合っていきたい。そのために、今日のこのからだを大事に思う。同じように、今日のこの心も、大事に思う。他人ごとでなく、自分のこととしてちゃんと自分の心身を見つめ、声を聴き、必要があればメンテナンスしようと思う。

 

自分を大切に扱ってもらっている、とわかると嬉しい。親切にされれば、嬉しい。自分のことをわかってくれようとしていると知れば、それも嬉しい。よね?

 

だから、自分のからだにも、自分がそうしてあげる。心にも、そうしてあげるのだ。

 

それだけのことなんだけど。これがなかなか難しくて、自分のからだや心に対しては、どうして暴君になってしまいがちなんだろう。どうして無理をさせてしまうのだろうね。

 

年を重ねてきた私のからだと心に、もっと感謝していこうと思う。

 

目も見づらくなり去年と今年、新しくメガネを二つ作った。こうして文章を書いているときや、読むとき、針仕事をするとき用と、運転や絵画鑑賞などできちんと見たいとき用。そう、私は老眼だけでなく近眼にもなってしまったのだけど、このメガネたち、普段はかけない。

 

まず、目、の声を聴く。今はラクにしていたいよ、とか、ここはピント合わせてちゃんと見たいから手助けして、とか。

 

例えば部屋の掃除。メガネをかけると細かい汚れが見えすぎて(笑)本当にキリがないので、掃除のときにかけるのはやめた。良く見えればいいというものでもないかと、最近は視力低下にすら寛大な私だ。目が悪くなってきた頃は、あんなに嘆いていたのに。

 

物忘れが増えたのも、何でも覚えていたらしんどいでしょうから、忘れられて上等、くらいに思っているし。人名や地名が出てこなくても、本当に困ったことって思い当たらない。あれ、これ、それ、が増えてきても、笑ってしまえばそれでおしまい。

 

年齢を重ねていくことは、ネガティブに捉えられがちだけど、できるだけポジティブに考えられたらいいな、と思っている。からだは硬くなっても、心の柔軟性は失いたくない。頑固なおばあさんにはちょっと憧れるけどね。笑

 

ある職場で「あなた、カッコよく歩くねえ」と褒められたことがある。すごく嬉しくて、今でも私の励みになっている。ときどき思い出しては、はっと背筋を伸ばし、顎を引き、スッスッと足を出す。

 

歩き方はちょっと気を付けたいなと、実は最近また思っていて。ショボショボ歩くと、心までショボショボになってしまうことを実感したから。すごく直接的に心にリンクするようなのだ。

 

家の中でも、油断するとドスドス歩いてしまっていて。あ、カッコ悪いな、と思い、すぐに直すようにしている。イメージはネコ。音を立てずにエレガントに歩く、長女の家の飼い猫を思い出しながら真似してみる。良いと思ったならば、ネコだってお手本にする!

 

先日のこと。日傘をさして前を歩く女性がいて、よろよろ歩いていたからてっきりご年配の方かと思っていたのだけど、追い越したときチラリと見たら、うら若き女性だったことに驚いた。スマホを見ながら背を丸めてヨタリヨタリ…。もったいないなあ。

 

やっぱり、歩き方って大事。若く見られたいから、でなく、素敵に見られたいから。いや、見られたいからじゃなく、自分で自分を肯定的に見たいから。これは、年齢に関係なくそうありたいと思う。

 

無理をさせずに鍛えて、甘やかさずに労わって。頑張ったり力を抜いたり、加齢との付き合い方はなかなかに難しい。ただ、まずはからだの声を聴いてみる、というのは、自分とのコミュニケーションをとる上でもお勧めだ。大事に思っていることが伝われば、からだはきっと、応えてくれる。

 

力の入らない雨の日も、刺しゅうで「やる気」モードにスイッチ

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朝からずっと雨が降っている。九州・四国地方に続いてもしかしたら今日あたり、この地方も梅雨入り認定されるかも?

 

大好きな5月が、終わってしまう。
この美しい季節にやっておきたかったことはいろいろあって、全部とは言わないが、ほぼ気が済む程度にはできたと思う。でも、もう終わってしまうのかと思うと、やはりちょっと寂しい。私は5月が好きすぎる。

 

四季のある国に生まれて、何十年も生きてきて。あれ?と思う。春と秋が短くなっている。そして、梅雨という名の雨期が、やけに長い。日本は亜熱帯になりつつある、なんて話も耳にしたことがある。

 

私は、蒸し暑いのが寒いのよりも苦手なので、梅雨から長い夏につながるこれからの季節は、冬以上に憂鬱のタネだ。外は過酷。できることなら、どこにも出掛けたくない(避暑地は別だけど!)。

 

春を謳歌するように我がベランダで勢いを誇っていたハーブたち。しかし、既にくたびれ始めたようなものもいる。セージとか、レモンバームとか。あの絵心をくすぐるような、フレッシュで美しい緑の競演はどこへ?

 

植物のデッサンは、5月にやりたかったことのひとつ。ちょっと機を逃してしまったようだ。光の粒を浴びたタイムは神々しいけれど、その光もそろそろ精彩を欠いてきた。素敵に輝いていた頃にスマホで撮影した写真をもとに、今からでも描いてみようか。

 

好きな季節の自然美をこの目に焼き付けておきたくて、とにかく出歩くことの多い5月だった。しかし、今年は悪天候も多く・・・。なので、読書の機会も、手芸の機会も、例年のこの時期よりはたくさんあった気がする。

 

今はまっている手芸の刺しゅうについても、そこそこ楽しむことができたのは、ご機嫌ななめになったお天気のおかげかもしれない。

 

不思議に思ったのは、雨模様の気圧のせいか力が入らず、何もやる気がしなかったときでも、針を持って布に向かうと嘘のように頭がスッキリしてきたことだ。

 

以前、“手芸脳”(だったかな?)というのがあるらしいと、TVの何かの番組で聞いたことがある。手芸をすることで、脳が活発に動き出しやる気がアップ、他のことにも意欲的になれる、といった内容だった。

 

つまり、だるおも~な気分のときは、とにかく針と糸を持って、編んだり縫ったりすれば良い。これでスイッチがONになる。いったんスイッチが入れば、仕事でも勉強でも家事でも、「よーし!やるぞ!」という意欲が湧いてくる、ということだ。

 

ずっと前に『のうだま―やる気の秘密』(上大岡トメ&池谷裕二著、幻冬舎)という本を読んだことがあるが、“手芸脳”の仕組みはここに書かれていた内容と同じようなことなのだろうか。

 

脳の中の「淡蒼球」という部位を動かせばやる気は引き出されるので、この蒼い玉を動かすために、カラダを動かす、等のスイッチを入れよう、みたいなお話で、スイッチを入れる方法が具体的に述べられていて、すぐに試したくなった。脳って騙されやすいんだ、という新鮮な学びもあった。

 

上大岡トメさんの別の本、『キッパリ!』も読んだなあ。あのポーズ、今でもときどき思い出してやってみたりする。健康ドリンクよりも効く気がするのは、私の脳が人一倍、騙されやすいせい?

 

そして、手芸だ。手先を動かすことに没頭していくというのが、「淡蒼球」を動かすスイッチになっているのだろうか。また、脳内伝達物質のドーパミンは、楽しさや幸せを感じるとたくさん出るということだけど、そんなドーパミンを出す働きが、手芸にはあるのかもしれない。

 

私の場合、刺しゅうに対しては図案を見ている段階から、脳内の何かが踊りだしている実感がある。いわゆる、ワクワクしているってやつだ。だから、刺しゅうなら何でも良い、というわけではない。好みのデザインがたくさんある中から、どれを選ぼうか、どれにトライしてみようか、と嬉しく悩むことが重要になる。

 

今回は、キッチンのキャビネットのカバーに、さり気ないワンポイントが欲しかったので、桜井一恵さんの図案集からキッチンツールのデザインを選んでみた。桜井さんの刺しゅうの、日常を切り取ったような題材、スケッチ画のように軽やかでお洒落な作風が、とても好きなのだ。

 

図案を決めたら、それをトレーシングペーパーで写し取った後、布に片面複写紙と鉄筆で写していく。実はこの作業が、これまで私にはとても難儀だった。麻布の目が粗いせいもあるが、とにかく写りが悪くて。

 

刺しゅうはしたい。でも、写すのが上手くいかないからメンドクサイ。

 

これはかなりネックになった。しかし、100円ショップで買ったチャコペーパーをやめて、COSMOの「刺しゅう用コピーペーパー」を使ってみたら、あら素敵。くっきり鮮やかに写るではないか。

 

ストレスから解放された。道具って、やっぱり大事である。

 

道具が良くても、まあ、技術がアレなんで、出来栄えはちょっと・・・だけど。それでも好きな図案を自分で刺していく喜びと、仕上げた達成感はある。少し、上達したかな?という自己満足も。

 

少なくとも、低血圧気味の朝のやる気のなさは、すっかりなくなっている。集中しながらもリラックスした状態が続いていたので、とても気分が良くなっている。他のことに対しても、「やる気」モードに入っているようだ。

 

次は何に挑戦しようかな。シライカズミさんの小さなモチーフも好きだし(先日、ブローチを購入。ホンモノはやっぱりスゴイ!)、最近、atsumiさんのデザインもとっても気になっている。

 

ふと外を見たら、目の前の電線にいつものツバメがとまっている。3階のこの部屋は、彼らと視線が合いやすく、その度につい挨拶してしまう。

 

今日も元気?楽しくやってる?

 

雨空にツバメは、よく似合うなと思う。機嫌良くいられることは大切だね、なんてツバメに話しかける。

 

雨は小降りになり、少し日が差してきた。うん、なるほど。世界はやっぱり美しい。

 

光も雨も、美しい5月を存分に味わおう!

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1年で一番忙しいのは、私には12月より5月かもしれない。薫風に揺れる若葉が美しく、気温も湿度もちょうど良く過ごしやすい、一番好きな月。だから、とにかく無駄にしたくない。味わい尽くしたいという気持ちで、焦りさえ覚える。(笑)

 

まずは、わが家の植物たちと親しむ。モンステラを一回り大きな鉢に植え替え、ローズゼラニウムの挿し木をし、ベランダのハーブたちを整え、少し花を買い足す。

 

ぐんぐん大きくなるハーブは、どんな料理に使おうかと楽しく悩ませてくれる。チャイブやセージは、可愛らしい花も収穫。彩りになるだけでなく、結構、美味しい。

 

次に、薔薇のフェスタをやっている公園に出向き、春咲きの薔薇たちの極上アロマを心ゆくまで堪能する。自分の家では切り花で薔薇を楽しむ。香り高いイングリッシュローズ系の小さな花束を、夫に買ってもらった。(是非、毎年恒例にしたい。小さくなくてもいいけど!)

 

母の日も5月だ。実家の母への贈り物、今年は「愛彩祭」のプリザーブドフラワーリースにした。「生花はちょっと…だけど、お花を贈りたいな」というときに、とても重宝するショップだ。もちろん自分用にも。昔、ドライフラワーのクリスマスリースをお願いしたら、とても素敵に仕上げて送ってきてくれた。細かな要望を聞いてくれたり、贈り物のときは、仕上げた作品の写真を確認のため送ってくれたり、丁寧なメールのやり取りも好印象。


花やグリーンで心は華やぐが、同時に害虫対策の季節でもあることを、忘れてはならない。私以上に虫を怖がる次女とともに、今年も真剣に取り組んだ。次女はハッカ油で虫よけスプレーも作ってくれた。

 

窓ガラスや網戸を綺麗にするのにも、5月はピッタリ。窓を開けても寒くなく、暑くもなく、まだ蚊もいないから。サッシレールもしっかりブラシで洗い流す。ピカピカに磨き上げたガラス窓から見る外の景色はクリアで、思わずニッコリ。気持ちいい!

 

同時にカーテンも洗う。濡れたままカーテンレールにかけても、窓を開けておけば、この季節はすぐに乾く。今年は寒暖差がジェットコースターのように激しかったが、五月晴れの日を選んで、私は毎年これをやる。10月にもう一度、窓ガラスとカーテンの手入れをすれば、師走の大掃除がずっと楽になる。

 

そして、5月で忘れてならないのは、外歩きの楽しさ!
晴れた日は、寸暇を惜しんで散歩をする。家にいるのがもったいなくて。

 

自然豊かな場所へピクニックにでも行けたら一番なのだけど、なかなかそれも難しいので、私は近所の川沿いの緑道や、少し離れた所の田畑の脇道などを歩いている。百花繚乱の季節、あちこちのお庭の様子にも心がときめく。

 

どこもかしこも、キラキラと光が溢れている!

 

植物も良いが、鳥も楽しい。5月10日~16日は、愛鳥週間だしね。巣作り、子育てシーズンの小鳥たちは、活発に動き回り、可愛らしいさえずりを聞かせてくれる。この時期、渡りの途中で立ち寄る野鳥が多いので、見たことのない小鳥に出会えたりもする。
「はじめまして。あなたは、だあれ?」

 

野鳥の名前を、もっと覚えたいな。

 

以前からなんとなく、そんなふうに思っていた。日本野鳥の会のオンライン野鳥図鑑なども何度か見ては、自分の見た鳥が何という名前だったのかを探したり、「こんな美しい小鳥がいるのね、どこに行けば会えるのかな」などと夢を膨らませたりしていた。

 

そして昨日、ついに探鳥会に初参加(無料)。夫に付き合ってもらって、集合場所へ。双眼鏡を貸していただき、大きな公園内でのバードウオッチングを楽しむことができた。

 

初心者もいいところの私である。ちょっと勇気が必要だったのだけど、本当に行って良かった。こんなに楽しいとは思わなかった!

 

あいにくの雨。しかし、鳥たちは雨の中でも動き回っていた。ツバメもシジュウカラもムクドリも、空中で、木の上で、芝生の上で、一生懸命餌を探していた。池ではアオサギが魚を狙って忍び足。私は見られなかったが、カワセミも飛んだらしい。

 

コブハクチョウが優雅に泳ぐお堀のそばに来たとき、「あ、オオヨシキリがいますね」と、小さな声がした。鳴き声でわかる人を尊敬の目で見る。双眼鏡で探したが、私には見つけられなかった。

 

参加人数は17人だった。去年は50人くらいいたとのことで、雨の影響で少なくなってしまったのだろう。けれど、そのおかげで、鳥に詳しい会員の方から頻繁にお話を聞くことができた。皆さん、親切で優しい。そしてもちろん、鳥が大好き。話しているだけで、嬉しくなってしまう。

 

そして、双眼鏡ってやはり、すごい。小鳥は近づくと逃げてしまうから、いつも遠くから見るだけだった。けれど、双眼鏡なら近づかなくてもすぐ近くに見える。手に取るように様子がわかる。そんな当たり前のことに感動していた。

 

傘をさしながらの鳥探しは、やはりちょっと大変だし、袖や足元が濡れて不快ではあったが、嫌な気持ちにはならなかった。5月は雨の日も綺麗なんだなぁ、と感じて。

 

花や葉が雨粒に輝き、池やお堀の水面に光の散乱が起こる。樹々を見上げれば、まだ柔らかい緑色が夏とは違う深みを見せ、グレーの空に彩りを添えている。雨音の向こうから聞こえてくる鳥たちのさえずりは、耳に心地よい。

 

「いる、と思って探すと、見つけられることが多いよ」

 

小鳥いないねーと参加者が言っていたら、ある会員さんが、そうおっしゃった。深い言葉を聞いたようで、ちょっとハッとする。樹木の発するアロマを胸いっぱいに吸い込んで、なんとなく夫と目を合わせた。

 

5月は半分、残っている。週末は長女一家の家まで遠出するし、そういえば我々の結婚記念日も。さあ、まだまだ楽しい、忙しい。

 

「ひとり暮らし」してた、懐かしい町へ

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最近、「ひとり暮らし」という言葉が、私の頭の中を巡っている。次女が「そのうちひとり暮らしをする!」宣言をしたり(時期等未定)、大学生になった姪っ子が、岐阜の実家を離れ、我が家の近所でひとり暮らしを始めたりしたせいだろうか。

 

新聞広告で見てなんとなく気になっていた『ていねいなひとり暮らし』(shoko著、すばる舎)を買い、あらこの人もご近所だわ、どんな方かしら、などと思ってみたり。ひとりでも、こんな風に丁寧にスッキリと暮らせるなんて偉いなあ、と感心してみたり。

(その後、インスタグラムでshokoさんはふたり暮らしとなりお引越しをしたと知る。おめでとうございます!お幸せに♡)

ホント、こんな暮らし方できなかったな、私には。

 

20歳の3月から26歳の8月までの約6年半、ひとり暮らしをした。最初の半年は会社の寮で、後の6年間は目黒のアパートで。

 

先日、1泊2日で上京した折、ふと気が向いて、このアパートのあった町を訪れたのだった。代官山からバスに乗って、月光原小学校前というバス停で降りる。この小学校の名前、昔から「素敵だな」と思っていた。

 

狭い道を縫うように、バスも自家用車も走っている。こんな場所にどうやって駐車したんだろう、というクルマもよく見かける。東京の人は運転が上手なのかな。

 

私には懐かしい町だが、同行の夫には何の変哲もない町。せっかく東京に来たのに、次の日は彼は仕事なのに、なんだか申し訳ない。けれど、珍しそうに楽しそうに、一緒に歩いてくれた。

 

私の住んでいた建物はもう跡形もなく、見覚えのある家や店もほとんどなかった。それでも、この道をこう曲がって投票所に行ったなあとか、大雪が降った朝、この辺りで転んだっけとか、歩いていると細かな思い出がよみがえるから面白い。

 

生まれて初めて明太子おにぎりを買ったセブンイレブン、その脇の釣り堀のある清水池公園が健在だった。噴水前の、置物だと思っていた大きな鳥が動き出したのでビックリ。あれは鷺?鶴のように大きかったけど。

 

4月の、光る風がそよぐ。「帰って来たよ」とつぶやいてみた。怖れていたよそよそしさは全く感じられず、「お帰り」と言われた気がした。

 

ここに住んでいる間、辛いこと、苦しいことも多かったけど、若かった私はたくさん夢を描いたし、物語を紡いだ。武蔵小山駅からの帰り道にある商店街は、当時、活気があって、店の人が気さくに声をかけ夕食のヒントを教えてくれた。仕事でうまくいかなかった日も、家に帰るまでには笑顔になっていたりして。元気をもらっていたのだろう。

 

散歩するのが楽しい町で、桜並木の道、すずめのお宿緑地公園、サレジオ教会、林試の森公園などなど、お気に入りの場所をいろいろ見つけたなあ。お隣の碑文谷の町は高級住宅街で、お家や庭を見て歩くだけでも楽しかった。

 

思い出はいい感じに風化して(笑)、優しい気持ちで懐かしめるようになっている。深呼吸しながら、ああ私、この町がやっぱり好きだなー、と素直に思い、そんな自分に安心した。いつか、東京に帰りたいな。

 

次女が本当にひとり暮らしを始めたら、きっと寂しくなる。でも、応援したい。遊びに行きたい(笑)。狭くても自分のお城だ、好きなものだけに囲まれて暮らす夢は、楽しくないはずがない。不安や寂しさもエッセンスにして、人生の冒険を楽しんでほしい。

 

さて私は、この先の人生、またひとり暮らしすることがあるだろうか。夫よりも先に逝きたいと願っているので、ちょっと考えにくい。でももし、そういうことになったとしても、どんなに年を取っていたとしても、毎日を「希望」とともに暮らしていたいと思う。できれば、丁寧にスッキリとね。