今日まで生きてきて、いったいどれほどの数、桜の写真を撮ったことだろう。毎年、毎年、まあ飽きもせずに、似たような写真をたくさん撮っている私。案外みんな、そうなのかな?
「さあ、私を撮って」
桜の花にはいつも、そう言われている気がしてしまう。
今年も数十枚撮影した。でも私は満足していないし、少し悔しい。どうしても撮りたいショットがあるのだが、それが叶わないまま、今年の桜の季節も終わってしまいそうなのだ。
去年の今頃は、近所の雑貨店でパートタイムで働いていた。12時から17時まで。帰りにスーパーで買い物をし、自転車で川沿いの道を走って帰る毎日。そう、ちょっと悩み事を抱えていたっけ。
ある日、夕暮れの光がキラキラと川面に反射するのを見ながら、いつものようにペダルを漕いでいた。考え事をしていたのだが、ふと対岸の1本の桜の木が花吹雪を散らしているのが目に入った。
遠目には、大きなパウダーブラシからラメの粉が振り落とされているようで、夕陽を受けて輝く桜の大木は、全体が淡く発光しながらボーッと浮かび上がって見えた。ほのかに赤みがかった金色の姿。幻想的で、この世のものとも思えないほどの美しさだった。
思わず自転車を止め見とれていた私は、その後、魂が抜けたようになって家に帰ったのだった。神様からの贈り物に、ただただ感動し、悩み事の輪郭も薄れていた。
どうして「あれ」を撮影しなかったのか。もちろん後悔した。夕景の中、桜の花びらがキラキラと散り落ちる様子を、動画に収めておけたらどんなに素敵だったか。
来年こそ、と思ったのだった。だから、今年は2度ほど、晴れた日の夕方にその場所に行っている。
しかし、あの瞬間は訪れない。同じ時間、同じ場所、同じような夕暮れの光の感じでも、あの日見た表情を桜は見せてくれない。もう二度と…多分見られないのだろう。
無数に撮ってきた桜だが、心から満足できる写真というのは本当に数少ない。この目で実際に見た美しさを、完全に再現できたこともない。所詮、無理なのかもしれない。それでもやはり、今年も何度もシャッターを切った。
木の下から上を見れば、枝と花がレースの模様のように広がっている。春霞の空が花模様に彩られ、楽しい。
地面を見れば、花びらがドット模様を作っている。椿が敷き詰められたように落ちている中にも、桜の花びらが可愛らしく点在していた。
天にも花、地にも花。そういえば、このシーズンは桜のついでに撮る花の種類も多い。気がつけばレンズをあちこちに向けている。アスファルトの隙間に咲くスミレの花も、みずみずしくて本当に愛らしい。
幻の一枚が撮れなくても、この世はこんなにフォトジェニックにできている。実際の美しさを切りとるのは難しく、悔しい思いもするけれど、写真を撮るのは楽しくてやめられない。そして、桜はやっぱり、春の素敵な被写体のエースなのだ。